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アート・ミキ氏、マルルーニ首相でなければリドレスは成立しなかった

ブリティッシュ・コロンビア州バーナビー市にある日系文化センター・博物館。
ブリティッシュ・コロンビア州バーナビー市にある日系文化センター・博物館。File photo

 ブライアン・マルルーニ元首相が2月29日死去した。84歳だった。第18代首相として、アメリカとの自由貿易、GST(Goods & Services Tax)導入、国営企業民営化など、カナダの転換期となる経済政策を実行したことで知られる。

 多くの政治家や関係者が思い出や功績を語るが、その中に1988年のリドレスはない。

 しかし日系カナダ人コミュニティにとってマルルーニ氏は、戦時補償について合意し、カナダ政府として謝罪した首相として深く記憶に刻まれる。

 1988年9月22日、マルルーニ首相は全カナダ日系人協会・会長アート・ミキ氏とともに戦時補償問題の合意書に署名した。

 当時のマルルーニ首相の印象を聞くと、ミキ氏は昨年12月に出版された自身の著書「Gaman – Perseverance: Japanese Canadians’ Journey to Justice」を引用した。そこには、署名直後のマルルーニ首相の言葉があった。

 「『ここにいるあなたやコミュニティのリーダーの皆さん、中には86歳や87歳の個人的に(強制収容)を経験された方々もいますが、皆さんに向けて私が言えるとすれば、今日この日は、日系コミュニティにとっても、カナダにとっても、長い間待ち続けてきた瞬間であり、寛容さと正義の瞬間だったと思います。私は、カナダの公平性を信じてくれた日系カナダ人の皆さんのためにこれを実現したかったのです』。それからマルルーニ氏が拍手を始めると、周りからも拍手が起きた」。(日加トゥデイ訳)

 カナダ政府による日系人強制移動政策は1942年初めから始まり1949年3月末まで続いた。リドレス運動は1977年、日系カナダ人100年祭を機にその動きが高まり、1984年ミキ氏が全カナダ日系人協会・会長に就任して本格的に始まった。それから4年、紆余曲折を経てその日を迎えた。政策終了から約40年がたっていた。

 著書には、署名のために階段を下りて会場へ移動する時のマルルーニ首相との会話が引用されている。長い時間がかかったが待つに値する時間だったと言ったミキ氏に、「これが正しいことだと他の議員を説得するに時間がかかった」と答えたという。その言葉にマルルーニ氏がもっと早くに補償問題を解決したかったという意思が見えたと回顧している。

 またその気さくな人柄も著書の中で紹介した。引用したのはミキ氏が当日署名のために待機していた部屋でのできごと。マルルーニ氏が入ってくる前に首相を何と呼ぼうか悩んでいると入ってくるなり、“Hello, Art”とファーストネームでミキ氏を呼んで握手を求められ、自分もなんのためらいもなく“Hello, Brian”とファーストネームで返したと当時を振り返っている。

 ミキ氏にマルルーニ氏とのエピソードを聞いた。10年後のリドレス10周年にマルルーニ氏と妻ミラ氏にトロントで会ったという。リドレスが日系カナダ人コミュニティにポジティブな影響を与えたと告げると、政府の補償額はいくらだったのかと聞かれ、補償額を知らなかったことに驚いたと振り返った。金額を告げると特に驚いた様子を見せなかったという。長男のベン氏も同席しており、マルルーニ氏は日系カナダ人から認められていることを喜んでいるようだったと回想した。

 「もし、ブライアン・マルルーニ氏の正義と人権に対する個人的な尽力と、ルシアン・ブシャール氏の強力なサポートがなければ、1988年の和解は実現しなかっただろうと思います」とミキ氏。著書の中で署名直後のマルルーニ首相の言葉の後に「今日は、私たちのコミュニティにとってだけでなく、人権問題にとっても歴史的で画期的なできごととなるでしょう」とミキ氏が返している。そしてその通りとなった。ミキ氏は、このリドレス合意は、後にウクライナ人、中国人、先住民族に謝罪と補償を与える前例となったと説明した。

 「マルルーニ家の人たちは気さくで話しやすかった人たちでした」とも振り返った。10年たっても署名前に気さくにファーストネームで呼んで握手を求めたマルルーニ首相と変わっていなかったようだ。

***

 3月23日、ブライアン・マルルーニ元首相の国葬がモントリオールで行われた。ジャスティン・トルドー首相をはじめ、多くの関係者が別れを惜しんだ。

 全カナダ日系人協会は3月1日にフェイスブックで声明を発表し、哀悼の意を表した。

(記事 三島直美)

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「エレノア・コリンズ」音楽の楽園〜もう一つのカナダ 第21回

はじめに

 日加関係を応援頂いている皆さま、音楽ファンの皆さま、こんにちは。

 3月の声を聞き、夏時間が始まりました。春はすぐそこまで来ているという雰囲気があります。日照時間も日毎に伸びて来て、気分も明るくなります。ですが、オタワは、世界で最も寒い首都の一つ。まだまだ油断は出来ません。

 さて、今月は、エレノア・コリンズです。カナダの「ファースト・レディー・オブ・ジャズ」と称されている偉大な歌手です。北米で初めて、自らの名前を冠した全国放送のテレビ番組のホストを務めた黒人であり女性です。音楽を超えた社会的インパクトを与えた人物です。カナダ勲章を筆頭に多数の賞を受賞し、ブリティッシュ・コロンビア芸能の殿堂にも叙せられています。

 実は、今回はエレノアを書こうと前から決めていました。そして、実際にこの原稿を書き始めた直後に、バンクーバーから訃報が届きました。エレノア・コリンズが104歳で他界したというのです。家族の発表によれば、3月3日、ブリティッシュ・コロンビア州サリー市のサリー記念病院で安らかに逝ったそうです。グローブ&メイル、CBC等の主要メディアで大きく報道されました。

 2022年1月には、カナダ郵便公社が、エレノア・コリンズの業績を讃えて、記念切手を発行しました。その際に、5分32秒のビデオを制作していて、YouTubeで視聴出来ます。そこには、彼女の代表的なパフォーマンス、関係者のコメントとともに、インタヴューが収録されています。この時、102歳です。が、非常に若々しく、全身からポジティブなメッセージが発せられています。

 エレノア・コリンズの1世紀余の人生は、優れたジャズ歌手にして時代を切り拓いたテレビ・ショー・ホストという業績を超えて、カナダの歴史そのものを体現しているように思えます。

先駆者の娘

 エレノア・コリンズは、1919年11月、アルバータ州エドモントン郊外に誕生します。黒人の父とクレオール系先住民の母の間の3人姉妹の2番目です。ここで注目すべきは、両親が米国オクラホマ州からのホームステッド移民だったことです。

 米国のホームステッド法は、リンカーン大統領が1862年に署名した、自作農民育成を目的とした法律です。映画「シェーン」や「大草原の小さな家」が正に、ホームステッド法で自分の農場を持った家族の物語です。

 カナダの場合は、20世紀初頭、カナダ政府は人口を増やすための積極的な移民政策を展開します。カナダ版ホームステッド法とも言うべき土地所有法を制定し、アルバータ州については、1908年から14年にかけて、米国のテキサス州、オクラホマ州、ミズーリ州等の黒人入植者を募集します。一定の条件を満たせば、州内の未開拓地160エイカー(東京ドーム14個分)を米国からの黒人移民に対して無償で払い下げるのです。

 1910年、エレノアの両親は、この募集に応じ、米南部のオクラホマ州から厳しい気候のアルバータ州の未開地に入植したのです。正に、パイオニア精神です。米南部の黒人にとって、カナダは自由にして希望の地に見えたことでしょう。

 エレノアは、先駆者たる両親からパイオニア精神と音楽の才を受け継ぎ、彼女の人生を歩み始めます。

エドモントンの歌姫

 ちょうどエレノアの両親が移住して来た1910年、エドモントンには、米国からのホームステッド移民達によって、シロホ・バプテスト教会が設立されます。この教会こそ、エレノアが音楽的才能を開花させていく場所となります。

 エレノアは、天性の歌手でした。微妙な音程の差異や音色の陰影を聴き分ける優れた耳を持っていました。家族で歌い楽器を演奏する家庭環境で育ちます。幼少の頃より、シロホ教会で聖歌や讃美歌や国歌などを歌うのです。正確な音程と豊かな表情を持った歌唱は、教会に集う老若男女を魅了したことでしょう。

 1934年、エレノア15歳の時に、エドモントンで開催されたアマチュア・タレント・コンテストで優勝。それをきっかけに、地元ラジオ局CFRNと契約します。エレノアの舞台は、教会を超えて、拡がります。そして、エレノアの伴奏も、教会のオルガンから、プロのダンス・バンド等の楽団へとグレードアップ。プロの歌手としてのキャリアを歩み始めたのです。地元エドモントンで歌う日々がエレノアの歌を磨きます。

バンクーバー

Eleanor Collins singing with her band. Photo by Jack Lindsay. Courtesy of City of Vancouver Archives
Eleanor Collins singing with her band. Photo by Jack Lindsay. Courtesy of City of Vancouver Archives

 1939年、19歳になるエレノアは、満を侍して拠点をブリティッシュ・コロンビア(BC)州バンクーバーに移します。そして、「スゥイング・ロウ・カルテット」と名乗る4人組のゴスペル・コーラス・グループを結成します。このカルテットは、時を経ずして地元で評判となっていきます。1940年には、バンクーバーを中心に広くBC州南部を聴取エリアとするCBCラジオへ定期的に出演するようになります。CBCラジオとの関係がやがてエレノアの一層の飛躍をもたらします。

 さて、音楽活動が充実してきこの時期、エレノアにとって運命の出会いが到来します。エドモントンとは違って年間を通じて温暖なバンクーバーで、エレノアはアウトドアの活動を満喫していたといいます。特に、スタンレー公園のテニス・コートがお気に入りだったそうです。そこで、生涯を共にするリチャード・コリンズと出会うのです。出会って2年後の1942年に2人は結婚します。結婚によって、彼女の人生に芯が通ったのかもしれません。彼女の歌には一層磨きがかかります。

 1945年、25歳のエレノアは、ゴスペル・コーラス・グループから独立し、ソロとしてのキャリアを歩み始めます。バンクーバーを拠点に活躍するカナダ屈指のジャズ・バンド、レイ・ノリス五重奏団の専属歌手に迎え入れられます。そして、CBCラジオの新番組「セレナーデ・イン・リズム」に出演します。この番組は、海外に駐在するカナダ軍基地においても放送されました。レイ・ノリス楽団のスィング感溢れる演奏で際立つエレノアの歌はリスナーに愛され、この番組は数年続きました。

バーナビー〜子育ての日々

 やがて、エレノアとリチャードは、4人の子宝に恵まれます。音楽活動は極めて順調ではありましたが、エレノアは1948年から52年まで育休を取ります。女性の社会進出に関連し、出産・子育てと仕事を如何に両立するかは現代でも課題ですが、75年前、エレノアの選択は鮮やかです。

 コリンズ家は、バンクーバー郊外のバーナビーに新居を構えます。大都市の中心部から離れて落ち着いた環境で家族との時間を過ごします。一見、素敵なことに見えます。しかし、そこは、完全なる白人コミュニティーでした。1948年のカナダ・BC州は、現在のカナダ・BC州とは全く違います。日系カナダ人を、カナダ市民でありながらも、敵性外国人として財産を没収し強制キャンプに収容し、45年に戦争が終結しても49年4月までは日系カナダ人がBC州に帰還することを禁じていたのです。極めて、露骨な人種差別と偏見があったのです。

 白人街の唯一の黒人家族として、大変に苦労があったようです。が、ボランティア活動や地元の子供達に音楽を教える活動を通じて、コミュニティーから敬愛されるに至ります。多様性と包摂性を自らの手で勝ち取っていくエレノアです。そこには、未開地で人生をスタートさせた両親の強靭さが受け継がれています。現在のカナダのモットーである多様性と包摂性は、現状を打破するこのような先駆的人々の不断の努力の上に築かれているのだと得心します。

歴史をつくる

 子育てを一段落させたエレノアは、母としての慈しみと強さを内に秘め、歌に一段と深みを増して、徐々に音楽活動を再開させます。

 1952年には、バンクーバーを拠点とする非営利の音楽振興組織「シアター・アンダー・ザ・スターズ」がスタンレー公園内の野外劇場で夏の間に主催するミュージカル「フィニアンの虹」に出演します。聴衆の前で歌い演じ喝采を浴びる喜びとの再会です。勿論、家族との時間は何ものにも代え難いのでしょうが、音楽家魂に火が付いたようです。翌53年は、シェークスピアの原作を巨匠コール・ポーターがミュージカル化した傑作「キス・ミー・ケイト」に出演し、再びスタンレー公園の舞台に立つのです。

 ちょうどこの頃、時代がラジオからテレビへと進化します。1952年、カナダ最大の都市モントリオールと第2の大都市トロントで、一般家庭向けにテレビ放送が始まります。翌53年には、テレビの波はバンクーバーにも到達します。この全く新しいメディアは、エレノアに、更なる機会をもたらします。

 1954年、エレノアは、CBCバンクーバーTV制作のバラエティー番組「バンブーラ:西インディーの1日(Bamboula: A Day in the West Indies)」に出演します。これは、カナダ史上初の複数の人種のキャストが一緒に出演する番組でした。カナダの社会が人種差別と偏見を克服していく最前線にエレノアはいたのです。CBC幹部は、エレノアのパフォーマンスに感銘を受けます。舞台は、バンクーバーからカナダ全土へと拡大します。

 1955年6月19日の日曜日、エレノアが司会を自ら務め、歌い、ゲストをもてなす音楽番組「ザ・エレノア・ショー」の全国放送が始まりました。この番組は、北米史上初となる、黒人がホストを務めその名を冠した全国放送の番組となりました。女性、ジャズ歌手がホストを務める番組としても北米初です。この時、エレノアは35歳。YouTubeで、この時の模様を見ることが出来ます。白黒の画面で音質も良くはありません。それでも、慈愛に満ちて美しい表情と絹のような声と絶妙の歌唱は、彼女の実力と魅力を余すことなく伝えます。歴史をつくった瞬間です。

 因みに、類似の番組としては、米国NBCの「ナット・キング・コール・ショー」の方が有名です。が、こちらは、1956年11月5日が初回放送です。米国に先んじたカナダの矜持とも言えます。

結語

 エレノアは、その後もテレビ、ラジオ、公演と活躍します。米国への進出についてオファーが何度もあったそうですが、断り、カナダに留まりました。このコラムでも取り上げた才能溢れる多くのカナダ出身の音楽家は、米国へ拠点を移し、より大きな成功を得て、名を成しています。勿論、競争の苛烈な米国音楽業界での活動は綺麗事だけでないでしょうし、「夢破れて山河あり」の場合も多々あるでしょう。

 実は、現在、エレノアの音盤を入手するのは非常に難しいです。優れた楽才とパイオニアの精神を持ってはいましたが、誰かのカバーやスタンダード曲だけでなく、商業的に成功した彼女のヒット曲に恵まれなかったからでしょう。歴史にifを言っても詮無いことですが、仮に両親の祖国アメリカで勝負していたら・・と想像してしまいます。

 エレノア・コリンズ、104歳の大往生。

 カナダの誇りです。

(了)

山野内勘二・在カナダ日本国大使館特命全権大使が届ける、カナダ音楽の連載コラム「音楽の楽園~もう一つのカナダ」は、第1回から以下よりご覧いただけます。

音楽の楽園~もう一つのカナダ

山野内勘二(やまのうち・かんじ)
2022年5月より第31代在カナダ日本国大使館特命全権大使
1984年外務省入省、総理大臣秘書官、在アメリカ合衆国日本国大使館公使、外務省経済局長、在ニューヨーク日本国総領事館総領事・大使などを歴任。1958年4月8日生まれ、長崎県出身

「かんがえごと2」~投稿千景~

エドサトウ

 『ムー大陸』という本を読み始めて、ネットで検索をしてみると、この本は、かなり著作者の想像的な表現があるらしく、今頃は、ムー大陸説は否定されている。でも、さらにスンダーランドについて調べてみると、これは実際にあって、マレーシア、インドネシア、フィリピン、さらには台湾、沖縄まで陸地が繋がっている。一万四千年以上前の当時は、海面が百メートル以上低かったというから、その可能性は充分にある。

 と言うことは、日本の縄文時代以前には、このスンダーランドと日本は繋がっていて、人と人の交流があったと想像できる。だから、日本にもアフリカ原産のひょうたんの種が南からもちこまれて、縄文人が利用していたと考えられなくもない。

 「ヒョウタンがアフリカ大陸を東へ広がり、アラビア半島からイラン高原を経て、前六千年には東南アジアの地まで到達していたという。(中略)そして、東シナ海を渡って朝鮮半島南西部や西九州地方にその栽培圏が広がったのは縄文文化早期へきてから前期初頭のころで、だいたい前4千年頃であった。」と講談社『文明の誕生』にあるが意外ともっと早かったかもしれない。

 沖縄には海底遺跡があって、人が人工的に並べたような遺跡が見えるのは、スンダーランドの影響かもしれない。だから、縄文人が世界で最初に作ったのではと言われる縄文土器も日本から南へ伝わっていったのかもしれない。『文明の誕生』によれば、「東南アジアの各地域で前8千年代には、すでに煮炊き用具として、土器が使用されはじめたらしいことが明瞭になった地区もあり、日本列島では前一万数千年までさかのぼる土器の存在が、カーボン14の年代測定の成果から話題になっている」とある。さらに、スンダーランドにつながるインドには農耕や動物をかう、進んだ文化があったように『古代インドの文明と社会』にある。これよりのちのことであるけれど、なんせゼロという哲学的数字である「無」を発明したのはインド人であるくらいだから、進んだ建築技術もあったかもしれない。だから、エジプトに突然、進んだ文明が現れたわけではなく、『ムー大陸』の本にあるようにインドあたりからエジプトに渡り、ナイル川北部のエチオピアで農耕をしていた民族がいたと考えられなくもない。

 第一温暖化期の縄文時代前期の約二万年前から七千年~六千年前の地球の温暖化により、海面が100メートル以上上昇して、スンダーランドも大陸から切り離されて、島々となったころに、その暑さに耐えられないインドの一部の人々は須弥山(ヒマラヤ)方面にのがれ、また、別グループはエジプト北部のナイル川周辺に移り住み、やがて高度なエジプト文明を創り上げたとも想像できなくもない。

 やはり、『ムー大陸の子孫たち』の作者ジェームズ・チャーチワードの強力な想像力であったのかもしれないが、小生はそのように考える方が自然に思われるし、あのエジプト文明の在り方が理解できるような気がするのである。あのピラミッドの文明は突然現れたのではなく、気候変動の中で、人類が移動していく中で出来上がったのではないのだろうか?

 これは、僕の考えごとなのである。

 『将軍』がデズニープラスで公開となり、小生がエピソード3に出てきますが、最後の方にもう一度でてきます。よろしく。

投稿千景
視点を変えると見え方が変わる。エドサトウさん独特の視点で世界を切り取る連載コラム「投稿千景」。
これまでの当サイトでの「投稿千景」はこちらからご覧いただけます。
https://www.japancanadatoday.ca/category/column/post-ed-sato/

ロリーン・オイカワ氏へ外務大臣表彰伝達式

外務大臣表彰を受け取ったロリーン・オイカワ氏(左)と丸山浩平総領事。2024年3月14日、バンクーバー市。Photo by Koichi Saito/Japan Canada Today
外務大臣表彰を受け取ったロリーン・オイカワ氏(左)と丸山浩平総領事。2024年3月14日、バンクーバー市。Photo by Koichi Saito/Japan Canada Today

 在バンクーバー日本国総領事館主催によるロリーン・ゲイル・オイカワ氏への令和5(2023)年度外務大臣表彰伝達式が3月14日、バンクーバー市内ホテルで行われた。

 オイカワ氏は「全カナダ日系人協会会長やグレイター・バンクーバー日系市民協会会長等を歴任し、カナダの日系人及び在留邦人コミュニティの発展及び日加間の友好増進に大きく寄与した」功績が認められての受賞となった。

 当日はカナダ全国、そして日本からも家族や友人らが駆け付け、祝福した。

 丸山浩平総領事は、総領事としてバンクーバーに赴任して以来、オイカワ氏はじめ多くの日系カナダ人と会い日系カナダ人の歴史を学び、コミュニティついて知ることになったと語った。自分にも日系アメリカ人の親戚がいて、日系コミュニティには個人的にも親しみがあり「今回オイカワ氏に外務大臣表彰を贈れることは特別に思います。おめでとうございます」と祝福した。

差別と闘いながらカナダでコミュニティを築いてきた先祖に感謝

 オイカワ氏は、受賞について「すごく驚きましたが、とても光栄に思います」と喜んだ。家族や友人と伝達式を迎えられるのはうれしいと笑顔を見せた。全カナダ日系人協会(NAJC)やグレーター・バンクーバー日系市民協会(GVJCCA)の会長を務められたことは日系の全国団体と地方団体の両方でコミュニティと共に日本の文化や先祖の物語を伝えることができて幸せだったと語った。

 「2024年から未来に向けて私たちの先祖の貢献を誇りに思う年にするべきだと思う」とカナダで苦労してきた自身の家族や日系の先祖たちへの尊敬と感謝を何度も口にした。

 日系カナダ人のレガシーはカナダで苦労した先祖の物語を語り継ぐとともに、未来に向けて全ての文化を受け入れ、サポートすること、そして、特に日系カナダ人の歴史に誇りを持つことと話す。

 「今日ここに出席できなかった多くの人にお礼を言いたいと思います。色々な場面で共にした先輩たちやコミュニティとの関係があって今の自分があり、これまで携わった仕事へのご助力に心から感謝と敬意を表したいと思います」と語った。「私としては全国の日系カナダ人コミュニティの人々と心は共にあって、皆さんを招待したかったけれどここに入りきらないので」と笑った。

あいさつするオイカワ氏。今日(3月14日)はpiの日ということで自分の祖先を両親、祖父母、曾祖父母と数字でたどっていき12世代までさかのぼると約400年前になり4,094人の祖先まで広がると話し、これらの人々が生き延びてきてくれたからこそ今ここに自分が立っていられることに感謝したいと語った。2024年3月14日、バンクーバー市。Photo by Koichi Saito/Japan Canada Today
あいさつするオイカワ氏。今日(3月14日)はpiの日ということで自分の祖先を両親、祖父母、曾祖父母と数字でたどっていき12世代までさかのぼると約400年前になり4,094人の祖先まで広がると話し、これらの人々が生き延びてきてくれたからこそ今ここに自分が立っていられることに感謝したいと語った。2024年3月14日、バンクーバー市。Photo by Koichi Saito/Japan Canada Today

(取材 三島直美/写真 斉藤光一)

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バーナビー日本語学校 幼稚科体験会

【日 程】2024年4月3日 (水)

【時 間】午後4時30分~6時00分

【場 所】Lochdale Community School  (6990 Aubrey Street, Burnaby,  V5B 2E5)

【対象年齢】2〜4歳(2024年度のご入学は、年内に3歳以上になるお子様が対象です。)

【お申込みフォーム】https://forms.gle/5Jgb4oc4pSB6QP4Z8

【お問合せ】office@bjls.ca

カナダの教育から日本を変える!「答えのない教室」との出会い

「答えのない教室」の様子
「答えのない教室」の様子

 カナダに来てから早17年。ワーキングホリデイを使って長くても一年、おそらく半年くらいで帰るだろうと思って初めての海外を経験したのが2007年。縁があって、語学学校から学童保育(デイケア)でボランティアする機会を得て、それがきっかけでデイケアで働くことになった。のちに永住権をとり、支援員(Educational Assistant)として学区で働き、働きながら大学に行き、高校の数学教師となったのが2019年。一つ一つの経験は意図したものではなかったが、今置かれた状況でより自分に向いているもの、自分がワクワクするものを追い続けた結果が今だと思う。

Building Thinking Classrooms
Building Thinking Classrooms

 教師になってからもより生徒に数学の楽しさを感じてほしいなと思っていた。数字や図形の間にいろんな関係性があって、どんなストーリーがあるのかを伝えたいと思っていた。でも多くの生徒はその楽しさには気づいていないようだった。表面的な解法を覚えるばかりでつまらなそうだった。どうしたものかともどかしさを感じていたけれど、どうしていいかわからないまま教員一年目を終えた。そんな時に出会ったのがBuilding Thinking Classrooms(答えのない教室)だった。

リリヤドール教授
リリヤドール教授

 これはSFU(サイモンフレイザー大学)の数学教育で著名なリリヤドール教授が開発された教授法。14のステップを通してより多くの生徒がより自然な形で考えることを楽しむ授業を実現できることを謳っている。幸運なことに2020年の末にこの教え方が書かれた本が発刊され、この教え方に精通している先生がおられた学校での勤務が決まった。本を読みながら実践しながら、また同僚の先生に相談しながら、はじめはおぼろだった「答えのない教室」ははっきりとした輪郭を描いた。

「答えのない教室」で授業が激変!

「答えのない教室」の様子
「答えのない教室」の様子

 一般的なクラスでは、先生がクラスの中心で、生徒が整頓された机に座って先生の方向を向いている。例題から演習を繰り替えし問題をこなしていく。だが「答えのない教室」ではどうだろう?生徒はまず立った状態で授業が進む。縦掛けになったホワイトボードに向かって3人ずつのグループでワイワイと騒がしい。それぞれのグル-プが自分たちのペースでそれぞれの問題に取り組んでいる。3人だからこそ、お互いに質問をしあい、わからないところはわからないと言いあえる空間がある。三人寄れば文殊の知恵ということわざがあるが、アイデアはアイデアを誘い、気が付けば理解は深まっていく。先生はただ教え込むのではなく、生徒がより考えられるように導く役割をなす。考えれば考えるほど先生頼りだったクラスはより自立したクラスへと変容していく。

「答えのない教室」の広がり

 この教え方は、算数・数学教育からスタートして小中高大学へと広がっている。北米だけでなく、英語圏、西欧、北欧へと驚くペースで広がっている。英語の原著になる本はすでに7か国語(デンマーク語、ノルウェー語、スウェー デン語、ポーランド語、トルコ語、中国語、フランス語)に翻訳されている。教育関係者で作られたFacebookのグループではすでに5万人以上の方が参加され、日々の実践を報告したり質問をしあうサポート体制が自然な形でできあがっている。

 算数・数学教育からスタートしたものの、考えることをより自然にする仕組みについて解かれた教授法なので、他教科への応用も可能。小学校はもとより、中高においても理科(特に物理)は言うまでもなく、国語や社会、家庭科など幅広い実践がなされている。

なぜ「答えのない教室」を広めようと思ったのか

 2020年、コロナの影響もありオンライン授業が増えたころ、日本でもウェビナーがかなり増えた。それまでそこまで興味はなかったが、日本で行われる教育関係のウェビナーに参加するようになった。そこで生徒主体な学び、協働的な学び、探究学習などカナダでもよく聞く話をたくさん聞いた。世界でもインクルーシブ教育最先端のカナダで実践している「答えのない教室」が日本で必要とされているかもと感じた。

 その感覚だけを頼りに日本の教育関係者とつながり、2022年の夏に小中高大学や教育関係者向けに「答えのない教室」模擬授業を開催した。10を超える会場で実践する中で、感覚は確信になった。忖度でもなく、丸暗記でもなく、生徒自身が自立して考える、探究する授業は「答えのない教室」に答えがあると思った。

「答えのない教室―3人で「考える」算数・数学の授業」
「答えのない教室―3人で「考える」算数・数学の授業」

 最初は原著になる「Building Thinking Classrooms」を翻訳することも考えたが、日本での実践本をまずは先駆けとして出版する運びとなった。それが「答えのない教室―3人で「考える」算数・数学の授業」(2月24日発売)である。14のステップのコアになる仕組みや、カナダでの実践や日本での実践で得られた普段の授業への導入方法、世界での実践者へのインタビューや共著者で日本での実践を実現してくださったデンマーク株式会社の有澤和歌子さんの視点でこの教え方を日本に取り入れたい思いなどがつづられている。

これからの展望

 この教え方をもとにカナダそして日本の両国での教員研修や教員養成に取り組んでいきたいと考えている。私一人の力でサポートできる生徒は1年に多くて200人程度。一人また一人と感化することで、より多くの先生の昔ながらの教え方で抱えているもどかしさを解消する手助けをし、そこからより多くの生徒の考える楽しさにつながればと思う。この教え方を取り入れだして早5年がたとうとしている。生徒がより考えるようになるだけでなく、私自身も教師としてより考えるようになったと思う。当たり前に疑問を持ち、より生徒にとって有意義な学びとは何かこれからも試行錯誤し続けたいと思う。

梅木卓也(うめきたくや)

バンクーバー学区公立高校教師
兵庫県加西市出身。2007年度よりワーホリをきっかけに、カナダで学童保育や障害児サポート等に携わり、19年度よりバンクー バー市の高校数学教員となる。 現在サイモンフレイザー大学にてリリヤドール教授の元、数学教育の修士課程在学中。「答えのない教室」著者兼認定講師。海外で先生になりたい人たちを応援するサロンを運営。カナダと日本両方で教員研修や教員養成に関わることが現在の目標。趣味は読書とカフェ巡り。双子の父。著者についてはこちらからtakuyaumeki | Twitter, Instagram, Facebook | Linktree

第10回  エンディング(終活)ノートのススメ 最終回~Let’s 海外終活~

終活は新しい大人のマナー

叶多範子

デイライトセービング(夏時間)が3月10日から始まり、少しずつ暖かくなってきていますが、まだ冬を思わせる寒い日もありますね。しかし、確実に春めいてきているので、きっとすぐに暖かい日が続くことになるでしょう。春休みになることもあり、また桜の時期でもあるため、この時期に日本へ一時帰国する人も多いように感じます。私は去年の3月に日本へ行き、久しぶりに日本の春と桜を楽しみました。ちょうどその頃は野球のワールドシリーズで日本全体が盛り上がっていたのも楽しい思い出です。

さて、今回はエンディングノート(終活ノート)を書く7つの利点についての4回目、いよいよ最終回となります。

6. 情報の提供

銀行、証券、保険会社などの金融機関や、電気やガスなどの公共料金、携帯電話など様々な取引先や契約先の会社名や内容など、必要な情報を家族が簡単に確認できるように書いておくことをお勧めします。

最近では特に携帯電話で全てのやり取りや注文や契約をする方が増えています。以前の項目2とも少し重複しますが、本人以外が携帯電話にアクセスできなければ、そこにある情報が分からず、また開示してもらうまでにかなりの時間と労力を要するため、日頃から自分にしかわからないことで、もしものときのために配偶者や家族がアクセスできるように手段を講じておく、または何かに書き残して、情報をあらかじめ共有しておくことが大切になってきます。

これ以外にも「出生〜現在までの本籍地」、「職歴」、「好きな香り」、「苦手な飲み物」なども書いておくと助かる場面や良いことがたくさんあるんです。この説明は長くなるため、また別の機会があればお話したいと思います。

7. 自分史を振り返り、後悔を防ぐ

ノートを書きながら、自分の人生を振り返り未来を見つめることができます。日頃から育児、家事、仕事、学校、介護などで忙しい人は、なかなか自分に向き合う時間がありません。自分の夢や願望を思い出したり、自分の内側にある思いに気づいたり、自分の人生を振り返ったり、「自分は今、幸せか?なりたい自分になれているか?理想の人生を生きているか?」と自問自答してみることで、これからの未来や人生について、ゆっくり考える良い機会にもなります。

ノートを書くことで、人生を終えるまでにやり残したことがないか、心残りがないかを確認することもできます。「叶えられていない夢はないか?」「実現できていないことはないか?」と自分に問いかけてみてください。それができたなら、次のステップとしてみなさんがやるべきことは、実際に行動を起こし、1つずつ実現させるだけです!それができれば、人生でやり残した後悔の数がぐっと減ることでしょう。

ここで晩年を迎えた方に「後悔はありますか?」と質問したアンケートです。よくある代表的な回答をいくつかご紹介したいと思います。

  1. もっと家族や家族との時間を大切にすればよかった
  2. 仕事ばかりしなければよかった
  3. もっと自分の気持ちに正直な人生を送ればよかった
  4. 周りの目を気にしすぎなければよかった
  5. やりたいことに挑戦すればよかった

その他にも「子供たちに好きなことをさせてあげればよかった」「もっと若い頃から健康に気をつければよかった」といった回答もありました。

みなさんは同じ質問をされたら、なんと答えるでしょうか?
人生を終えるにあたって、多少の心残りはあっても後悔はないといいですよね。 4回にわたってお伝えしたエンディングノートを書く利点ですが、論より証拠!実際に書いてもらうともっともよく理解していただけます。私のノート作成講座の参加者さんも、回を追うごとに学びや理解が深まっていくので、「参加してよかった!」「ノートを書くのが楽しくなってきた!」という喜びの声をたくさんいただいています。

*このコラムは終活に関する一般的な知識や情報提供を目的とするものです。内容の正確さには努めておりますが、必要に応じてご自身で確認、または専門家へご相談ください。このコラムを元にして起きた不利益は免責とさせていただきます。

「Let’s海外終活~終活は新しい大人のマナー」の第1回からのコラムはこちらから。

叶多範子(かなだ・のりこ)

海外終活アドバイザー・弁護士アシスタント
「終活をせずに亡くなった!認知症になって困った!途方に暮れた!!」を、「終活しておいて良かった!」「終活してくれていて、ありがとう!」に変えたい!そんな思いから2020年に終活アドバイザー資格を取得。海外在住の日本人向けの「海外終活」についての講座や説明会、ご相談はブログやFacebookなどのSNSをご覧ください。家族はカナダ人の夫+息子2人+猫1匹、バンクーバー在住。

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著書「海外在住日本人のための50代からの終活」:​​https://a.co/d/ad4OeLw

ZIPAIRバンクーバー就航、第1便が成田から到着

バンクーバー空港70番ゲートに到着する成田からのZIPAIR第1便。2024年3月13日、バンクーバー空港。Photo by Japan Canada Today
バンクーバー空港70番ゲートに到着する成田からのZIPAIR第1便。2024年3月13日、バンクーバー空港。Photo by Japan Canada Today

 定刻より少し早めに成田から到着したZIPAIR第1便がバンクーバー空港に姿を見せた。3月13日、カナダと日本を結ぶ初の国際線中長距離LCC(格安航空会社・Low Cost Carrier)ZIPAIRが就航した。

便数をさらに拡大へ

 ZIPAIRバンクーバー成田線は3月13日から週3便で運航を開始。ZIPAIR Tokyo代表取締役会長・岩越宏雄氏はあいさつで、12月の発表以降予約率は就航から数カ月はすでに99.9%になっていると語った。7月28日からは週5便に増加する。「ZIPAIRはこれまでにないイノベイティブなエアラインとして、快適なフライトを提供できると自信を持っています。そしてこれが国際線の新しいスタンダードになると確信しています」とあいさつを締めくくった。

 式典が終わり「ようやくカナダに就航できて非常にうれしく感じています」と笑顔を見せた。バンクーバーに来たのは初めてという。街並みが美しく、「このような街に就航できてうれしく思います」と話す。今後は「なかなか難しいところはありますが」と前置きしながらも、「機材が揃ってくればデイリーでオペレーションしたいなと思っております」とさらなる増便にも言及した。

 在バンクーバー日本国総領事館・丸山浩平総領事は「東京とバンクーバーの路線が増えることで(日加)往来の増加に貢献され、日本とカナダ、周辺関係地域を含む協力関係、友好関係の増進に寄与されることを期待しています」と日本とブリティッシュ・コロンビア州の往来強化に期待した。

バンクーバーと縁のある機長が初フライトで夢を叶える

 成田からバンクーバーに到着した第1便は、折り返しバンクーバー発第1便として成田に向かう。機長を務めるのは堀田晋吾氏。あいさつで、バンクーバー市近郊のメープルリッジ市に3年間滞在していた経験があると話した。その後操縦士となり、日本・カナダ間を飛行することが夢だったと言う。この日は機長としてバンクーバー発第1便のフライトを任された。「今日は私の夢が叶う日となりました」とうれしそうに語り、周囲から拍手が起きた。「みなさん今日のフライトを楽しんでください。私も楽しみます」と満面の笑みを見せた。

 記念式典が行われたバンクーバーから出発するゲート前では、日本茶をベースにしたドリンクが搭乗予定の乗客らにふるまわれるなど和やかな雰囲気に包まれた。

ZIPAIR就航記念式典で。左から、バンクーバー空港エアーサービス部門ディレクター Russell Atkinson氏、堀田晋吾機長、ZIPAIR Tokyo代表取締役会長・岩越宏雄氏、在バンクーバー日本国総領事館・丸山浩平総領事。2024年3月13日、バンクーバー空港。Photo by Japan Canada Today
ZIPAIR就航記念式典で。左から、バンクーバー空港エアーサービス部門ディレクター Russell Atkinson氏、堀田晋吾機長、ZIPAIR Tokyo代表取締役会長・岩越宏雄氏、在バンクーバー日本国総領事館・丸山浩平総領事。2024年3月13日、バンクーバー空港。Photo by Japan Canada Today

(取材 三島直美)

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「日本好き高校生たちの熱き戦い!」メトロバンクーバー・ジャパンボウル2024

緊迫した雰囲気の中、白熱する決勝戦の様子。2024年3月9日、日系文化センター・博物館。Photo by Japan Canada Today
緊迫した雰囲気の中、白熱する決勝戦の様子。2024年3月9日、日系文化センター・博物館。Photo by Japan Canada Today
メトロバンクーバー・ジャパンボウル2024、参加者全員で。2024年3月9日、日系文化センター・博物館。Photo courtesy of JETAABC
メトロバンクーバー・ジャパンボウル2024、参加者全員で。2024年3月9日、日系文化センター・博物館。Photo courtesy of JETAABC

 今年で第7回を迎えるメトロバンクーバー・ジャパンボウル(Metro Vancouver Japan Bowl)が3月9日、日系文化センター・博物館で開催された。

 会場にはメトロバンクーバーの高校12校から21チーム、60人が参加。1組最大3人で、日本について広範囲なクイズに挑戦した。

 出題は、日本のマナーから時事問題、日加関係、その他にも文化、地理、歴史、地域、スペシャルトピックなどで、正解するには知識として知っているだけでなく漢字を含めた日本語を理解しておく必要もあるかなりレベルの高い大会となっている。

 主催はJETプログラム同窓会BC&ユーコン支部(The Japan Exchange and Teaching Alumni Association of British Columbia & Yukon:JETAABC)。

今年の優勝はLARGE FRIES 、21チームの頂点に

優勝チームLARGE FRIES、Kevin Liさん(左から2番目)、Alex Mengさん(中央)、Gabriel Silladorさん(右から2番目)。丸山浩平総領事(右端)から受け取った賞状を手に。左端はR.A. McMath Secondary教師Grace Hoさん。2024年3月9日、日系文化センター・博物館。Photo by Japan Canada Today
優勝チームLARGE FRIES、Kevin Liさん(左から2番目)、Alex Mengさん(中央)、Gabriel Silladorさん(右から2番目)。丸山浩平総領事(右端)から受け取った賞状を手に。左端はR.A. McMath Secondary教師Grace Hoさん。2024年3月9日、日系文化センター・博物館。Photo by Japan Canada Today

 決勝へ進むチームが発表された瞬間、大きな歓喜の声が上がった。決勝で戦えるのは3チーム。今年はEbi、LARGE FRIES、Point Grey Houndsが勝ち抜いた。

 緊迫した雰囲気の中で行われた決勝は一進一退。全問終了すると2チームが同点ということで追加問題が出題されたほどの接戦となった。

緊迫した雰囲気の中、白熱する決勝戦の様子。2024年3月9日、日系文化センター・博物館。Photo by Japan Canada Today
緊迫した雰囲気の中、白熱する決勝戦の様子。2024年3月9日、日系文化センター・博物館。Photo by Japan Canada Today

 そして順位発表。3位から順に、Point Grey Hounds、Ebiと発表され、そのたびに大きな歓声が上がった。優勝はLARGE FRIES。21チームの頂点に立った。

 在バンクーバー日本国総領事館・丸山浩平総領事は、昨年に続き大会に出席して「今年もカナダの若者が日本について多くの項目ですばらしい知識を発揮してくれたことをうれしく思います」とあいさつ。「この大会を通じて若者の日本への興味がカナダと日本との関係をより深くしてくれることと思います」と将来の日加の架け橋に期待した。

 優勝したLARGE FRIESのGabriel Silladorさん、Alex Mengさん、Kevin Liさんは、自分たちが優勝するとは思わなかったと興奮気味。最後2チームが同点で順位決定の追加問題があると聞いたときは「1位と2位を決めるためだと思った」と3人が笑顔を見せた。

 Silladorさんは今大会のために「ゆっくりと(昨年の)9月とか10月くらいから(準備を)始めて、2月、3月に真剣に取り組みました」と振り返った。Liさんは今回が3回目の参加。「だから大体どういう問題が出るかは見当がつきました」とちょっと余裕を見せたが、前週末にはバンクーバー総領事館主催の弁論大会に出場していて時間がなく、「(主催者が)ガイドをくれるので大事だなと思う情報を見つけて使えるなと思えるところを集中的に準備しました」。Mengさんが「大体1カ月くらい前から準備して、全ての情報を集めて毎日勉強しました」と話すと、Liさんは「僕のノートを繰り返し復習したのはすごく役に立ちました」と言って3人で笑った。

JETプログラム同窓会BC&ユーコン支部がボランティアで支えるジャパンボウル

ボランティアとしてイベントを支えるJETAABCと審査員ら全員で。2024年3月9日、日系文化センター・博物館。Photo by Japan Canada Today
ボランティアとしてイベントを支えるJETAABCと審査員ら全員で。2024年3月9日、日系文化センター・博物館。Photo by Japan Canada Today

 高校生を対象としたクイズ大会「ジャパンボウル」はJapan-America Society of Washington DCが1992年に日本語での大会形式を創設したのが始まり。今では世界各地で開催されている。

 BC州ではメトロバンクーバー大会としてバーナビー市の日系センターで毎年開催。新型コロナウイルス禍ではオンラインで開催したこともあったが今年で7回目となる。主催はJETAABCで、会員がボランティアで開催している。

 大会実行メンバーの一人Rachel Davidsonさんによると今年は新しく3校が参加したという。参加校もメトロバンクーバー各地に広がり、ラングレーやポートムーディ、オンライン校からも参加した。

 大会に参加する高校生も大変だが、運営側の準備もまた大変となる。「問題は毎年出題されるコアカテゴリーと3年に1回出題されるトピックがあります。そうすることで参加生徒が同じトピックに当たらないようになっています。今年は鉄道やビデオゲームなどのトピックがありました」。これらは配布される「Study Guide」に記載されている。「出題問題は、(大会運営)ボランティアでアイデアを出し合って、参加者全員に公平で挑戦的な問題になるように努めています」と高校生たちが楽しんで参加できるようにこれからも取り組んでいく。

メトロバンクーバー・ジャパンボウル2024年順位

優勝:LARGE FRIES(リッチモンド市R.A. McMath Secondary)
2位:Ebi(バンクーバー市Eric Hamber Secondary)
3位:Point Grey Hounds(バンクーバー市Point Grey Secondary)

2位となったEbiと賞状を授与したバンクーバー領事館専門調査員・長谷川綾子さん(左端)。2024年3月9日、日系文化センター・博物館。Photo by Japan Canada Today
2位となったEbiと賞状を授与したバンクーバー領事館専門調査員・長谷川綾子さん(左端)。2024年3月9日、日系文化センター・博物館。Photo by Japan Canada Today
同点だったが順位決定戦で惜しくも敗れ3位に、Point Grey Hounds。左端は賞状を授与したJETAABCのDaniell Markewiczさん。2024年3月9日、日系文化センター・博物館。Photo by Japan Canada Today
同点だったが順位決定戦で惜しくも敗れ3位に、Point Grey Hounds。左端は賞状を授与したJETAABCのDaniell Markewiczさん。2024年3月9日、日系文化センター・博物館。Photo by Japan Canada Today

(取材 三島直美)

「人生を振り返り、明日を見据え、熱く語った!」第36回ブリティッシュ・コロンビア州日本語弁論大会開催

全員集合 お疲れさまでした!2024年3月2日、バンクーバー市UBCアジアンセンター。Photo by 笹川守/Japan Canada Today
全員集合 お疲れさまでした!2024年3月2日、バンクーバー市UBCアジアンセンター。Photo by 笹川守/Japan Canada Today

 ブリティッシュコロンビア大学(UBC)アジアンセンターに、弁士が集まり、自らの胸の内を流ちょうな日本語で熱く語った。日本への関心が高まっている現在、36回目となるこの弁論大会での競争率もますます激しさが増し、うれしい審査員泣かせとなっている。

 日本語への関心の入り口は、「アニメ、漫画、ポップカルチャーをもっと理解したかったから」という声が多く、その後、日本文化への理解へと深化している。

参加者が楽しんで日本語を学んでいるという印象とあいさつで語った在バンクーバー日本国総領事館・丸山浩平総領事。2024年3月2日、バンクーバー市UBCアジアンセンター。Photo by 笹川守/Japan Canada Today
参加者が楽しんで日本語を学んでいるという印象とあいさつで語った在バンクーバー日本国総領事館・丸山浩平総領事。2024年3月2日、バンクーバー市UBCアジアンセンター。Photo by 笹川守/Japan Canada Today

 在バンクーバー日本国総領事館・丸山浩平総領事が表彰式で「本来、他国語を学ぶことは、とても苦痛を伴うものなのに、皆さん楽しんで学んでおられるような印象でした」と述べた。好きなことから入門するのが上達のコツなのだろう。

 最近では、日本への観光も通常のルートだけではなく、穴場的な地方へと広がりを見せ、地元の人とのコミュニケーションがスムーズになってきたという。それは、この弁論大会の盛り上がりぶりからもうなずける。

大学の部1位受賞者の発表内容を紹介する。

<大学生の部・初級>

「ビターコーヒーとケーキ」ケリー・デンさん(Kelly Deng:UBC)
 大学入学後、最初の専攻は生物学でした。それはビターコーヒーの味のようなものでしたが、途中で日本語の授業を取ることができました。それはおいしいケーキの味。ビターコーヒーとケーキの2つの味のハーモニーは格別。人生、自分の好きなことばかり選べるわけではないので、苦手なものでも好きなものと組み合わせれば、うまくいくという教訓を得た思いです。

<大学生の部・中級>

「自分自身から私を守ってあげるもの」ソヒ・リさん(Seohee Lee:UBC)
 私は毎日、日本語の授業の1時間前に教室に入り、ホワイトボードに似顔絵を描く習慣があります。“それは何のために描くの?”という疑問を持たれていましたが、今では、その絵が現在の自分の感情表現となっているようで、クラスメートとのコミュニケーションツールの一助になっているようです。だから、この習慣は当分続きそうです。

<大学生の部・オープン>

「占いブーム」チブン・ショウさん(Zhiwen Zhong:UBC)
 占いは紀元前2000年にさかのぼるといわれます。誰もが一度は試したことがあるでしょう。占いの回答は、あいまいで、誰にも当てはまるものと知っていながらも、迷ったとき、つい頼ってしまうもの。それが、背中を押してくれるときもあり、自信を取り戻すきっかけになれば幸い。占いが長年続いてきたポイントではないでしょうか。

優勝者は「カナダ全国日本語弁論大会」に参加

全国大会へ向け気持ち新たに(左から)チブン・ショウさん、ソヒ・リさん、ケリー・デンさん。2024年3月2日、バンクーバー市UBCアジアンセンター。Photo by 笹川守/Japan Canada Today
全国大会へ向け気持ち新たに(左から)チブン・ショウさん、ソヒ・リさん、ケリー・デンさん。2024年3月2日、バンクーバー市UBCアジアンセンター。Photo by 笹川守/Japan Canada Today

 カナダ全国の地区大会を勝ち抜いた強豪たちがオタワの在カナダ日本大使館に集まり「カナダ全国日本語弁論大会」が3月24日に行われる。BC州・ユーコン準州からは今回の「大学生の部」の各カテゴリー優勝者が出場する。3人は日本語をもっと勉強したいと意欲を見せ、「全国大会がんばります!」と心の内で火花を散らしながらも互いに健闘を誓い合っていた。

第36回BC州日本語弁論大会

 3月2日、UBCアジアンセンターで開催。在バンクーバー日本国総領事館、BC州日本語弁論大会実行委員会共催、UBCアジア研究学科、UBC、ローカル企業・団体、日本の姉妹都市(安中市、千葉市、 釧路市、さいたま市)協力。

 発表者は、BC州、ユーコン準州に居住し、日本語を母国語としない人が対象。今年の大会には、高校生の部に初級12人、中級9人、オープン3人、大学生の部には初級6人、中級8人、オープン5人が参加した。

(取材・写真 笹川守)

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Vancouver Cherry Blossom Festival 2024、3月29日から開幕!

バンクーバー市M.H. Macmillanスペースセンター前。Photo by Koichi Saito
バンクーバー市M.H. Macmillanスペースセンター前。Photo by Koichi Saito

 バンクーバーに春の訪れを告げるVancouver Cherry Blossom Festival。今年は3月29日からさまざまなイベントが開催される。発起人のリンダ・ポールさんの提案で2005年に始まった「バンクーバー桜まつり」は、今やバンクーバーの春の風物詩。

 フェスティバルのメインイベントの一つは、The Big Picnic。David Lam Park(1300 Pacific Blvd)で開催されるフェスティバルの開会式を兼ねた桜の下でピクニックを楽しむイベント。公園には、David Lam氏が寄贈した桜があり、満開時には一面に桜が咲き誇る。ピクニック用シートや食べ物は持参するか、現地で購入することもできる。音楽やダンスなどのパフォーマンスもあって、お花見気分に。イベントは無料。https://vcbf.ca/event/the-big-picnic-2024/

 もう一つの人気イベントは、Sakura Days Japan Fair。日本の伝統や文化を体験することができるのが魅力で、毎年大人気。茶道や華道、書道などのワークショップや、和太鼓などのパフォーマンスがあり、日本のフードや日本酒などのグルメも満喫できる。今年は4月13日、14日に開催。入場は有料で、チケットはオンラインで購入。https://vcbf.ca/event/sakura-days-japan-fair-2024/

 他にも、桜の種類や歴史について学ぶTree Talks and Walksや、桜にインスピレーションを受けて英語俳句を作るHaiku Invitational(3月1日からオンラインで受け付け開始、6月1日締め切り)、メトロバンクーバー各地でのポップアップイベント、桜のトンネルを自転車で楽しむBike the Blossomsなど、イベント満載。

 約6万本が咲き誇ると言われるバンクーバーの桜は、1930年代初めに神戸と横浜の市長が500本の桜をバンクーバーに贈ったのが始まり。それらはスタンレーパーク内にある日系カナダ人戦没者慰霊碑の周りに植えられた。

 さらにVancouver Cherry Blossom Festival のサイトによると1958年には当時の在バンクーバー日本国総領事館・田辺宗夫領事により「日加の永遠の記憶と友好」として約300本の桜が贈られたという。バンクーバーで咲く約4万3000本の桜は何らかの形で日本から贈られたとポールさんが記している。

 春の訪れとともに、桜の美しさと日本文化、そしてバンクーバーの多様性を祝うVancouver Cherry Blossom Festivalは4月25日まで。

Vancouver Cherry Blossom Festivalウェブサイト:https://vcbf.ca/

(記事 編集部)

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人形供養のご案内

東漸寺では日本から持ってきて今は飾ることがなく押入れで眠っているひな人形、五月人形、藤娘人形などの供養を行うことにしました。

BC州ではお寺で「お焚き上げ」は法律の理由で実行できませんので、集められた人形は本堂で飾って住職が供養したあと、地元のリサイクル専門業者に渡して焼却又はリサイクルしてもらいます。

つきまして、法要は下記の通り開催いたします。

日時:2024年4月28日(日) 午後1時(受付 午後12時開始)
場所:東漸寺 209 Jackson Street, Coquitlam BC

人形の受付は予約制です。供養料と注意事項については https://tozenjibc.ca/doll-ceremony へアクセスしてください。

連絡先:担当者 渡辺 tozenji.bc@gmail.com     cell (778)320-4533

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