「かんがえごと2」~投稿千景~

エドサトウ

 『ムー大陸』という本を読み始めて、ネットで検索をしてみると、この本は、かなり著作者の想像的な表現があるらしく、今頃は、ムー大陸説は否定されている。でも、さらにスンダーランドについて調べてみると、これは実際にあって、マレーシア、インドネシア、フィリピン、さらには台湾、沖縄まで陸地が繋がっている。一万四千年以上前の当時は、海面が百メートル以上低かったというから、その可能性は充分にある。

 と言うことは、日本の縄文時代以前には、このスンダーランドと日本は繋がっていて、人と人の交流があったと想像できる。だから、日本にもアフリカ原産のひょうたんの種が南からもちこまれて、縄文人が利用していたと考えられなくもない。

 「ヒョウタンがアフリカ大陸を東へ広がり、アラビア半島からイラン高原を経て、前六千年には東南アジアの地まで到達していたという。(中略)そして、東シナ海を渡って朝鮮半島南西部や西九州地方にその栽培圏が広がったのは縄文文化早期へきてから前期初頭のころで、だいたい前4千年頃であった。」と講談社『文明の誕生』にあるが意外ともっと早かったかもしれない。

 沖縄には海底遺跡があって、人が人工的に並べたような遺跡が見えるのは、スンダーランドの影響かもしれない。だから、縄文人が世界で最初に作ったのではと言われる縄文土器も日本から南へ伝わっていったのかもしれない。『文明の誕生』によれば、「東南アジアの各地域で前8千年代には、すでに煮炊き用具として、土器が使用されはじめたらしいことが明瞭になった地区もあり、日本列島では前一万数千年までさかのぼる土器の存在が、カーボン14の年代測定の成果から話題になっている」とある。さらに、スンダーランドにつながるインドには農耕や動物をかう、進んだ文化があったように『古代インドの文明と社会』にある。これよりのちのことであるけれど、なんせゼロという哲学的数字である「無」を発明したのはインド人であるくらいだから、進んだ建築技術もあったかもしれない。だから、エジプトに突然、進んだ文明が現れたわけではなく、『ムー大陸』の本にあるようにインドあたりからエジプトに渡り、ナイル川北部のエチオピアで農耕をしていた民族がいたと考えられなくもない。

 第一温暖化期の縄文時代前期の約二万年前から七千年~六千年前の地球の温暖化により、海面が100メートル以上上昇して、スンダーランドも大陸から切り離されて、島々となったころに、その暑さに耐えられないインドの一部の人々は須弥山(ヒマラヤ)方面にのがれ、また、別グループはエジプト北部のナイル川周辺に移り住み、やがて高度なエジプト文明を創り上げたとも想像できなくもない。

 やはり、『ムー大陸の子孫たち』の作者ジェームズ・チャーチワードの強力な想像力であったのかもしれないが、小生はそのように考える方が自然に思われるし、あのエジプト文明の在り方が理解できるような気がするのである。あのピラミッドの文明は突然現れたのではなく、気候変動の中で、人類が移動していく中で出来上がったのではないのだろうか?

 これは、僕の考えごとなのである。

 『将軍』がデズニープラスで公開となり、小生がエピソード3に出てきますが、最後の方にもう一度でてきます。よろしく。

投稿千景
視点を変えると見え方が変わる。エドサトウさん独特の視点で世界を切り取る連載コラム「投稿千景」。
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