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おれんじカフェ de 看取りーと「いつか来る『死』を見つめて~誰にでも訪れるその瞬間~」

恒例になっております、高山宙丸さんをゲストにお迎えして開催している「おれんじカフェ de 看取りーと」は、今年、5年振りに対面で行います。しかし、Zoomでのご参加も可能な ハイブリッド形式で行います。

毎回、違った趣向を取り入れた彼の作品を楽しみにしていらっしゃる方も多いので、少し作品情報をネタバレにならない程度に記載いたします。

今回は、リアルな作品をご披露くださるようです。作品の骨子は、「大病を患った男が見つめる自分自身の『死』を、一人語りとモジュラーシンセの音を通して表現した作品」となるようです。

「おれんじカフェ de 看取りーと」は、やさしく、ゆる~く、皆さんと『死』を語る場です。一年に一度は、何時か必ず訪れる『死』と向き合ってみませんか?

皆様のご参加、お待ちしております。

日本語認知症サポート協会

「おれんじカフェ de 看取りーと」詳細

イベント名:おれんじカフェ de 看取りーと
タイトル:いつか来る「死」を見つめて~誰にでも訪れるその瞬間~

要約:大切な人の「死」。大病を患って考えた自分の「死」。生きているものは、いつか死ぬ。頭で理解していても、「死」に対して漠然と不安や恐れを抱く瞬間はありませんか? 今年の「看取りーと」では、「死」について、参加者の皆さんと優しく、ゆる~く、触れてみたいと思います。

特別ゲスト:高山宙丸

プロフィール:詩人、ビートメーカー(モジュラーシンセ)。法政大学哲学科卒。2007年より4 年半、世界を放浪。無印良品、バンクーバー日本語学校、日系プレースなどに依頼を受けて詩や動画作品を提供。「Labyrinth of Messages」など、パブリックアートイベントを企画・主催している。

開催日時: 10月27日(日) 午後2時から午後4時
会場: スティーブストン仏教会、またはZoom
参加費:$20

チケット購入リンク:https://linktr.ee/Orange_Cafe_Mitori ←こちらは、クレジットカードでのお支払いとなります。

) 他のお支払い方法 (E-Transfer、小切手)をご希望の方は、下記のお申し込みリンクからお申し込みください。追って、参加費お支払い方法の詳細をメールさせていただきます。

参加申込リンク: https://forms.gle/Khgc8MiYspBU9iNNA

申込締切:10月25日(金)

連絡先:orangecafevancouver@gmail.com

主催:日本語認知症サポート協会

後援:スティーブストン仏教会、一般社団法人日本看取り士会

メディアスポンサー:ふれいざー、日加トゥデイ

「おれんじカフェ de 看取りーと」特別ゲスト高山宙丸氏イベントのチケットプレゼント

日本語認知症サポート協会が主催「おれんじカフェ de 看取りーと」で特別ゲストに高山宙丸氏を迎えて開催される「いつか来る「死」を見つめて~誰にでも訪れるその瞬間~」のチケットを2名にプレゼントいたします。

日時は 10月27日(日) 午後2時から午後4時、会場はスティーブストン仏教会、またはZoomとなります。

チケットご希望の方は10月14日までに、「おれんじカフェ de 看取りーと」希望と件名を明記の上、お名前と連絡先を記載して、promo@japancanadatoday.ca までご応募ください。締め切りは10月17日(木)とさせていただきます。

Danoneヨーグルト、リコール

 Danone Canadaが主力ブランドヨーグルトKirkland Signature Probiotic Yogurtのリコールを発表した。対象商品は2024年9月3日から19日までCostcoで販売されていた1個100グラムが24個パッケージされた商品で、CostcoID番号は1264134。

 発表によると、対象商品に含まれている酵母の一種が体調不良を引き起こす可能性があるという。ただ声明では「この酵母は冷蔵温度では成長しないことが知られているため、食品安全のリスクは低い」としている。

 対象商品の消費期限は、2024年10月18日、10月20日、10月22日。

 対象商品を購入している場合は、食べないよう注意喚起している。Costcoでは対象商品の返金に応じている。詳しくはウェブサイトを参照。

(記事 編集部)

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「縁」が重なって実現したバンクーバー・矢野アカデミー30周年を迎えて、矢野修三さんインタビュー(前編)

矢野アカデミー校長・矢野修三さん。2024年8月20日、バンクーバー市。Photo by Koichi Saito
矢野アカデミー校長・矢野修三さん。2024年8月20日、バンクーバー市。Photo by Koichi Saito

 矢野アカデミーが2024年9月に開講30周年を迎えた。バンクーバーで日本語を母国語としない大人を対象に日本語を教える先駆者として活躍する矢野アカデミー校長、矢野修三さんに話を聞いた。

「縁」が重なって実現したバンクーバーでの矢野アカデミー開講

 矢野アカデミーを開講したのは1994年9月。場所はバンクーバー・ガスタウン。観光スポット蒸気時計の近くで、知り合いを通して借りた部屋で「矢野アカデミー」が始まった。

 日本では日本語教師はおろか教員免許すら持っていなかったと笑う。きっかけはつくば博。1985年に茨城県つくば市で開催された国際科学技術博覧会に、当時勤めていた会社のプロジェクトチームの一員として参加した。準備から開催期間も含めて約1年。万博と言えば海外パビリオンも多く、そうした関係者には日本語がある程度できる人が派遣されていた。そうした中で「『日本語を教えてください』って多くの人に声をかけられたんですよ」と振り返る。

 これが矢野アカデミーinバンクーバーの最初の「縁」だった。

 つくば博が終了し、仕事は通常業務に戻った。そんな時、転勤の可能性が出てきたため、家族の事情も考慮して、「脱サラをしようかな」と密かに考えていたという。その時にひらめいたのがつくば博での体験。「万博で外国の人に日本語を教えてほしいって言われたのが頭に残っていたから、いまとなってはそれが日本語教師になろうと思ったきっかけかな」と話す。

 しかし終身雇用が当たり前の当時、脱サラには勇気がいった。「自分としてもすごい決心でしたね。ちょうど42歳。男の厄年です」と笑う。

 会社を退職後に父親も一緒に横浜に引っ越し、日本語教師養成講座を受講。会社員時代とは違い、時間に余裕がある生活の中で出合ったのがバンクーバーへの2つ目の「縁」だった。

 たまたま入ったピザ屋で食事をしていた外国人に声をかけた。「同じような世代の外国の人に声をかけたんですよ。自分は日本語教師になるための勉強もしていて、そのための英語の勉強もしていたから、英語で話しかけてみたんです。『どこから来たの?』って感じに」と思い出し笑い。すると「相手はこっちの英語が下手だと分かって優しく話しかけてくれたんですよ。それで会話が弾んで、どこに住んでいるのか聞いたら、すごい近所!奥さんの仕事の関係で家族で1年間だけ横浜に滞在していることが分かったんです」。しかも同年代の子どもがいて、彼自身は英語を教えているという。この彼がカナダ人だった。「ほんとこれが運命の出会いなんですよ。彼に会ってなければ、私のカナダ移住もなかったですね」

「ピザ屋で彼に会っていなければ、バンクーバーに行こうとは思わなかったですね」と振り返る矢野修三さん。2024年8月20日、バンクーバー市。Photo by Koichi Saito
「ピザ屋で彼に会っていなければ、バンクーバーに行こうとは思わなかったですね」と振り返る矢野修三さん。2024年8月20日、バンクーバー市。Photo by Koichi Saito

 それから家族ぐるみの付き合いが始まった。一緒に旅行にも行った。彼ら家族がカナダに帰った後も手紙のやりとりは続いていた。そんな時「カナダに行ってみようかっていうことになって。1988年、家族でカナダに会いに行ったんです」。当時友人家族はデルタ市に住んでいた。その時の印象が忘れられないという。「空港に着いた時、8月なのに、なにこのさわやかさ!って思って。その友人が空港まで迎えに来てくれてデルタの自宅に泊めてくれたんです。大きな裏庭があって豪邸に見えてね。いいところだなぁっと」。当時は物価も安く、カナダの銀行の利子は高いという時代と振り返る。「移住しようかなぁと芽生えましたね。でも、本当にできるとは思ってもいませんでしたけど」

 それでもバンクーバーにすでに移住している人に滞在中に色々と話を聞いた。すると「簡単、簡単なんて言われて。カナダ大使館に聞いたらいいよ」とアドバイスを受けた。早速帰国後カナダ大使館に問い合わせて、起業家移民という移住制度があることを知って、「じゃあちょっとやってみるかと考え始めましたね。正式に始めようと思ったのは1989年くらい」。すぐに申請したが、面接までいったにもかかわらずビザ発給とはならなかった。カナダ大使館からは政策が変わったためと説明され、再申請し1993年無事に移住が決まった。そして、1994年8月8日、「末広がりの吉日」にバンクーバーに降り立った。

 「いま思えば」と前置きして、「85年のつくば博の最終日に会場に『来年はバンクーバーで会いましょう』とあったんですよ。86年と言えばバンクーバーEXPO(バンクーバー国際交通博覧会86)。その時はバンクーバーなんて知らなかったけど、振り返ると『赤い糸』があったのかなと思います」と笑った。

「優しく、楽しくをモットーに」矢野アカデミー30周年、矢野修三さんインタビュー(後編)に続く

(取材 三島直美/写真 斉藤光一)

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「いい旅 バンクーバー島 1」~投稿千景~

エドサトウ

 8月も半ばを過ぎて、少々涼しくなり、もう晩夏という感じである。この週末は雨模様の予報ではあるが、すでにバンクーバー島へ行くフェリーの予約を入れてチケットは買ってある。ドライバーの息子はコロナウィルスの時から、ホリデーを取っていない。ここは無理をしてでも行かねばなるまい。

 朝の8時半、土砂降りの雨のなか車に乗り出かければ、フレイザー河の下をくぐってているトンネルの中ほどは低く、結構な水たまりになっていた。ドライバーの息子が勢いよく通りぬければ、すごい水しぶきがトンネルの壁から跳ね返り、車のフロントガラスの視界が水しぶきで見えなくなるほどであった。

 しかし、前線が通り抜けたのか、フェリー乗り場に着くころには小雨となり、少々ホッとする。小雨ぱらつく中、フェリーはバンクーバー島の中ほどにあるナナイモ市に向けて、ゆっくりと動きだす。

 ナナイモは、割と雨の少ないところだと、以前、泊まった宿の主人が言っていたことを僕は少々頼りにしていた。9時15分、ゆっくりと港を離れてゆく。僕たちは、キャフェテリアに行き昼食を兼ねて、朝食のトースト、スクランブルエッグ、ハッシュドポテト、ソーセージのトラディショナルブレックファーストとコーヒーを注文した。料金は20ドルぐらいであったが、ボリュームもあり、おいしかった。

 朝食兼昼食を済ませて、少しゆったりとしたラウンジの柔らかいシートに座って外を見れば、雨もやみ、空が明るくなっている。朝の土砂降りの雨は、すっかりと止み、いい旅になりそうである。

 ナナイモの港に昼前に到着。太陽が照り始めた高速道路を最初の目的地パークスビルを目指して、我らの少々古いホンダシビックスポーツは快調に走る。出発前にエンジンオイルがエンジンからわずかに滲みでてオイル焼の臭いがするのでエンジンのガスケットなどを交換してもらい、少々お金がかかったが凄く調子がいい。

 この先のキャンプ場や宿の様子などを知りたいのでパークスビルの街の手前にある旅のインフォメーションセンターに寄るが、土曜日と日曜日は休みとある。それで、すぐ隣に新しくできた郷土歴史博物館があり、古い昔の建物が復元されて、いくつも建っていた。それによれば、この辺りは1866年頃、つまり江戸時代末期に英国のコロニー(植民地)となり、材木の切り出しが行われていたようである。当時の船は多くが木製であったから、バンクーバー島の大きなイエローシイダ(日本のヒノキに似る)が水に強く腐りにくいので船の船体を作るのに良く、ここで切り出されて製材されたものが、アメリカや英国に輸出されたのかもしれない。

 そのためか、早くに鉄道も敷かれて、ナナイモの港まで材木が運ばれたのかと想像される。その昔、ネイティブ(先住民)の人々しか住まない小さな集落の近くに白人の人々が住み、食料や鉄の道具を売る店もでき、学校ができて、次第にパークスビルの街も大きくなっていったようである。

 丸太を四角く切り、それを積み上げて壁を作り屋根を作り、風が入らないように丸太の間にはしっくいなどを詰める。小さな室内には窓とドアがあり、ドアの近くに四角いキッチンストーブがあり、料理と部屋の暖房が出来る様になっている。その横に小さなテーブルがあり、食事ができる。さらにその横に壁に沿ってベッドが置かれてあるが、トイレとシャワーはない。たぶんトイレは外にあったのかもしれない。シャワーはないから、ストーブで沸かした熱いお湯で身体を拭くぐらいであったのかもしれない。

 週末には、お湯で身体を拭いて近くの教会へ行ったのかもしれない。食料は自分達の畑で作り、ほとんど自給自足であったのであろう。近くの海でサーモンはとれるし、山に行けば、鹿や熊の肉がハンティング(狩猟)できたのであろう。

投稿千景
視点を変えると見え方が変わる。エドサトウさん独特の視点で世界を切り取る連載コラム「投稿千景」。
これまでの当サイトでの「投稿千景」はこちらからご覧いただけます。
https://www.japancanadatoday.ca/category/column/post-ed-sato/

20 ☆「雨雲」と「雨男」の違いは・・・?

日本語教師  矢野修三

 中秋の候、木の葉も色づき、日に日に目を楽しませてくれる。でも、「Rainクーバー」と揶揄されるバンクーバーは間もなく雨期がやってくる。毎日、雨、雨。気持ちも湿りがちでうんざりだが、雨は日本語教師にとっても、手ごわくてうんざり。この「雨」、漢字はやさしいが、読み方がいろいろ変化するので、生徒は大変だし、教師も説明に大変。

 先ずは連濁現象。「鼻」+「血」が連なって一つの単語「鼻血」になると、後ろの「血」が濁り、「はな+ぢ」となる現象。「青空」は「あお+ぞら」になる。すると、「雨空」は当然「あめ+ぞら」に・・・。うーん。でも正しくは「あまぞら」。なぜ「あめ」が「あま」に・・・。ややこしい。

 さらに、「大雨」は「おおあめ」だが、「小雨」は「こあめ」でも「こあま」でもなく、ナント「こさめ」である。えー、なぜ、生徒の悲鳴が聞こえてくる。

 確かに、この「雨」は日本語教師として手ごわく、生徒の戸惑いもよく分る。でも、こんなこと日本人はほとんど意識したことない。母語として、子供のころから「雨雲」は「あまぐも」、「雨戸」は「あまど」、さらに「春雨」は「はるさめ」などと聞き習ってきた。慣れや言いやすさもあり、なぜ「あめ」が「あま」や「さめ」になるのかなどほとんど考えたこともないのでは・・・。

 かなり昔、上級者に「雨(あま)宿り」の話をしたら、バンクーバーでは、雨宿りなどする人はほとんどいないとのこと。確かに、傘なしで歩いている人多し。加えて、「雨男」って、おもしろい表現ですが、読み方はなぜ「あま男」ではなくて「あめ男」なんですか、と思いもよらぬ質問を受けて、びっくり。うーん、困った思い出がある。

 話し言葉における音声変化は、日本語だけでなく、どこの言語にも必ずあるはず。たとえば、英語の「want to」が「wanna ワナ」に、Why? 特にフランス語は言語として、長い、かなり込み入った歴史も絡んで、音声変化はとても複雑なようである。

 会話における音声変化には一応ルールはあるが、例外も多々あり、複雑で、いちいち生徒に説明などする必要はなく、「発音のしやすさ」が一番大事、と教えるようにした。

 これは日本で一番古いとされている「なぞなぞ」で、「母には二度会うが、父には一度も会わない、なーんだ?」である。答えは「くちびる」。理由は、平安、室町時代ごろの「母」の発音は、「ふぁ ふぁ」だったようで、上と下の唇が二度触れ合うが、「父」の発音は「ち ち」で唇は一度も合わない。なるほど、面白い。でも、江戸中期以降から、発音は「は は」になり、もはや意味が分からない「なぞなぞ」になってしまった。

 このように言葉の発音はその時代、時代の人たちの言いやすさが最優先であり、時代とともに変化するのは当然。生徒には、「あまぐも」や「あめおとこ」の発音が現代の日本人にとって、言いやすいからが理由。あまり気にせず、ぜひ慣れ親しんで、と説明ではなく、エールを送っている。ひょっとすると、100年後には、「雨雲」や「雨男」の読み方も変わっているかも・・・。

 この連濁に関してはこんな質問も。「豆腐汁」は「豆腐+じる」なのに、どうして「味噌汁」は「味噌+じる」と濁らないのか・・・。えー、衝撃ではなく、笑撃を受けた。でも落ち着いて、日本人には「みそじる」は言いにくいし、まずそうに聞こえるからね。 That’s all.

「ことばの交差点」
日本語を楽しく深掘りする矢野修三さんのコラム。日常の何気ない言葉遣いをカナダから考察。日本語を学ぶ外国人の視点に日本語教師として感心しながら日本語を共に学びます。第1回からのコラムはこちら

矢野修三(やの・しゅうぞう)
1994年 バンクーバーに家族で移住(50歳)
YANO Academy(日本語学校)開校
2020年 教室を閉じる(26年間)
現在はオンライン講座を開講中(日本からも可)
・日本語教師養成講座(卒業生2900名)
・外から見る日本語講座(目からうろこの日本語)    
メール:yano@yanoacademy.ca
ホームページ:https://yanoacademy.ca

メトロバンクーバーの穀物ターミナルでスト始まる

 メトロバンクーバーの穀物ターミナル(穀物を貯蔵する施設)6カ所で9月24日、労働者約650人がストライキに入った。

 組合グレイン・ワーカーズ・ユニオン・ローカル333と、雇用者側のバンクーバー・ターミナル・エレベーターズ・アソシエーション(VTEA)は、2023年11月から労使交渉を続けてきた。しかし12月に契約が失効後、交渉は行き詰まり、組合側は今年9月21日にスト通告を出した。争点となっているのは賃金、年金、福利厚生、スケジュールという。

 ストが行われているのは、バンクーバー市とノースバンクーバー市にある6カ所のターミナル。生産者組織グレイン・グローワーズ・オブ・カナダ(GGC)によると、昨年はカナダ産穀物の50%以上がこれらのターミナルを利用しており、経済やサプライチェーンに与える影響は甚大で、輸出額の損失は毎日3500万ドルになるという。

 組合側と雇用側が互いに非難し合う状況のなか、収穫シーズン中の生産者は懸念を示し、GGCは連邦政府の介入を呼びかけている。スティーブン・マッキノン労働大臣はX(旧ツイッター)に、23日に両者と会談し政府の調停のもとで両者が交渉再開で合意したと投稿した。

 CTVニュース電子版は、食糧政策を専門とするダルハウジー大学シルヴェイン・シャルボワ教授の話として、「食料安全保障にも影響が出る可能性がある」とし、ストが1週間以上続けば消費者は商品不足や価格高騰に直面するだろうと伝えている。

(記事 編集部)

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BC州選挙活動、公式スタート

The Legislative Assembly of British Columbia, Victoria, Canada.
ブリティッシュ・コロンビア州の州都ビクトリアにある州議事堂。

 ブリティッシュ・コロンビア(BC)州で9月21日、州議会議員選挙の活動が公式に始まった。投開票は10月19日、選挙区は前回から増え93。

 BCNDP(BC新民主党)デイビッド・イービー党首は20日に保守党との激戦が予想されるサレー市を訪れた。選挙活動初日の21日にはリッチモンド市で事務所開設を兼ねてキャンペーンの公式スタートを切った。

 BC保守党ジョン・ラスタッド党首は、バンクーバー市ダウンタウン・イーストサイドで活動開始。バンクーバー市で唯一ホームレスキャンプが許可されているクラブパークで、ホームレスと薬物中毒問題への取り組みを訴えた。

 BCグリーン党ソニア・ファーステノー党首はビクトリア市で演説、「これ以上、環境問題に遅れを取ってはならない」と訴えた。

 イービー氏とラスタッド氏は、それぞれ党首として初めての選挙戦となる。BCユナイテッド(前BC自由党)は8月28日に票割れを防ぐために今回の選挙ではBC保守党を支援すると発表。同党から一切候補者を出さないことを表明し、事実上党として消滅した。

 今回の選挙で投票できるのは、カナダ国籍を有する18歳以上で、今年4月18日以前からBC州に住んでいる人。投票には登録が必要で、事前登録を呼び掛けているが、投票所でも登録できる。期日前投票は10月10日〜13日、15日〜16日。投票は郵送でも可能。

(記事 編集部)

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「コーダの人だけではなく普遍的な物語」北米プレミア バンクーバー国際映画祭「ぼくが生きてる、ふたつの世界」呉美保監督インタビュー

五十嵐大を演じる吉沢亮。Photo courtesy of VIFF
五十嵐大を演じる吉沢亮。Photo courtesy of VIFF

 第43回バンクーバー国際映画祭(VIFF)が北米プレミア上映となる「ぼくが生きてる、ふたつの世界(英題:Living in Two Worlds)」(日加トゥデイ・メディアパートナー作品)。原作は、作家・エッセイストの五十嵐大による自伝的エッセイ「ろうの両親から生まれたぼくが聴こえる世界と聴こえない世界を行き来して考えた30のこと」で、本作では、コーダ(Children of Deaf Adults/きこえない、またはきこえにくい親を持つ聴者の子どもという意味)の主人公・五十嵐大(吉沢亮)の「きこえる世界」と「きこえない世界」での葛藤と成長の姿を描く。

「ぼくが生きてる、ふたつの世界(英題:Living in Two Worlds)」の呉美保監督。Photo courtesy of VIFF
「ぼくが生きてる、ふたつの世界(英題:Living in Two Worlds)」の呉美保監督。Photo courtesy of VIFF

 現在、子育てと仕事の両立に多忙を極める呉美保(お・みぽ)監督は今回の映画祭への出席は見送ったが、バンクーバーでの上映に先立ち、東京から本作に込めた思いを語った。

—国内外で高い評価を得た「そこのみにて光輝く」以来、9年ぶりとなる長編監督作品となる本作。「映画にもう一度戻る勇気がなかった」という呉監督が、それでもこの作品を監督したいと思った理由は?

 映画は四六時中そこに時間を割かなきゃいけない本当に大変な作業なので、2015年に子どもを産んで以来、育児中心の生活となり、長編作品を監督することは難しいと感じていました。しかし、2人目の子どもが1歳になった頃にこの企画をいただき、本作が息子と母親の話であり、私たちの生活の延長線上にある話で、なにより社会的マイノリティを描いている点に興味を引かれました。

 原作を読むまでコーダのことは知りませんでしたが、そこに流れている感覚が自分の幼い頃の感覚に似ていたんです。私は在日韓国籍で、そのことでいじめられた経験はないですが、「あれ、私は他の人とはちょっと違うの?」、「『普通』って何だろう?」と思っていた当時の感覚を思い出し、この作品は、コーダの人だけではなくこの社会で生きるいろんな人たちに共感をしてもらえる物語、普遍的な物語にできるのではないかと思い、ぜひともこれを映画にしたいと思いました。

 また、この企画をいただく2年前に私のめいが元々あった聴力を高熱で失い、ろう学校で手話の勉強を始めたんです。会うたびに、手話を習得して吸収していく様子にびっくりして、本当にすばらしいな、こういう世界もあるのだと気付かされたことも、この作品に引かれた大きな理由です。

—制作が始動すると、9年前にはなかった母親としての不安との闘いだったという監督。そんな状況の中、作品でこだわったことは?

 今回、9年ぶりの長編監督作品としてのプレッシャーよりも、子育てと両立ができるのかという不安が大きかったです。「今日子どもが熱を出したらどうしよう」とか、「この打ち合せが子どもの迎えの前までに終わるのだろうか」ということを常に考えて、ずっと動悸がしている状態で1日中不安を抱えていました。

 限られた時間の中でも特に作品でこだわったのは、「違和感をなくす」こと。この作品の原作は実話なので、作られたような世界の描き方にはしたくないと思っていました。例えば、この作品では、ろう者役は、全てろう者俳優に演じてもらっています。ろう者の方々に聞くと、今まで多くのろう者役を聴者の俳優が演じてきたけど、「外国人が生粋の日本人を演じているような違和感があった」と皆さんおっしゃる。よくよく考えると当たり前なのですが、実は気付いていなかったことに今回たくさん気付かされました。

子どもの頃の五十嵐大(右)と母(左)、父(中央)。Photo courtesy of VIFF
子どもの頃の五十嵐大(右)と母(左)、父(中央)。Photo courtesy of VIFF

 また、この作品では観客がドキュメンタリーを見ているような感覚になるように、主人公・五十嵐大の0歳から28歳までを描くことが目標でした。映画「6歳のボクが大人になるまで」では何年もかけて実際に撮影されていますが、この作品の撮影期間はわずか3週間でしたので、幼少時代から吉沢亮さんまでの変遷を違和感なく見てもらえるように、とことんオーディションをやり、「ミニ吉沢亮」を探し続けました。

—撮影中、監督自身の感情が最も動いた瞬間は?

 吉沢さんが父親と線路沿いを歩く長いワンカットのシーンの撮影だったのですが、吉沢さんの初めての手話のシーンですし、電車のタイミングやワンカットでの撮影など、難しい要素が多く、1回ではOKは出せないだろうと思っていました。

「ぼくが生きてる、ふたつの世界(英題:Living in Two Worlds)」より。Photo courtesy of VIFF
「ぼくが生きてる、ふたつの世界(英題:Living in Two Worlds)」より。Photo courtesy of VIFF

 でも、びっくりしたのですが、ワンテイクで、吉沢さんの手話の間違いもなく、カメラワークもよく、電車もベストなタイミングで走り、うわーっと思いました。吉沢さん、持ってるなと。そのとき、「この映画は、きっとうまくいく!」と確信しました。今考えてもわくわくします。いまだに試写で見るたびに、もう完成しているのに、セリフの間違いないかなとドキドキして。そして毎回感動します(笑)

—本作では、ろう者と聴者間のコミュニケーションの問題が描かれています。手話を作品で扱う上で、苦労したことはありますか?

 今回最も苦労したのは、「手話」という「異文化・異言語」を理解することのハードルで、ロスト・イン・トランスレーションといいますか、本当に忍耐勝負でした。話し言葉もたくさんの言い方が人それぞれあるように、手話の場合も、年代、性別、方言、性格によって全然違い、言葉の選択も違うため、まず、各キャラクターにのっとった手話翻訳をし、そのあと実際の俳優も交えて一緒に精査をして、現場でさらにもう一度修正するということを何段階も行って、手話を作り上げていきました。

 現場にはおおよそ8人の手話チームが常駐し、ろう者俳優と話すときは、手話通訳に入ってもらい、手話演出メンバーともメールなどの活字での打合せが必要でしたので、やはりこうして話すよりも2倍、3倍の時間を要しました。そのときの疲労は想像以上で、英語が話せないのに海外に行ったときの疲れと同じ感覚でした。しかし、そこで少しでも気を抜くと自分の目指すところには行けないと思ったので、諦めずに最後までやり抜きました。

—バンクーバー国際映画祭で期待していることは?

 私にとっての初めての国際受賞は2014年のモントリオール世界映画祭で、そのとき、カナダの人たちがとてもおおらかに迎え入れてくださったことを今でも覚えています。今回私が描いたコーダの主人公は、確固たる夢があるわけでもなく、何をしたいのかも分からない。主人公が「第一歩を踏み出すか、踏み出さないか」のような日本独特の空気の映画をカナダという多文化の国の人たちが、どのように受け止めてくれるのかすごく気になります。日本の片隅の、何でもない男の子の人生を見守るように楽しんでもらえたらなと思います。

「ぼくが生きてる、ふたつの世界(英題:Living in Two Worlds)」上映日時・会場

9月26日(木)8:30 pm @The Cinematheque
9月30日(月)10:30 am @International Village 9
https://viff.org/whats-on/viff24-living-in-two-worlds

母親(忍足亜希子)と大(吉沢亮)。Photo courtesy of VIFF
母親(忍足亜希子)と大(吉沢亮)。Photo courtesy of VIFF

(取材 佐々岡沙樹)

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「お寺で七五三のお祝いしませんか?」 

七五三は、その名の通り、三歳・五歳・七歳に成長の節目として、無事に成長したことを感謝し、これから先の幸福と健康長寿を御祈りする儀式です。

そして、お寺でも参拝ができることをご存知ですか?

和の学校@東漸寺では、今年も七五三のお祝いをお手伝いさせていただきます。

完全予約制の個別式で着物レンタル、着付サービス、記念写真撮影を承ります。

合同での七五三祝いご祈祷及び厄除け法要につきましては、決まり次第にお知らせいたします。

着物レンタル及び着付サービスのお申し込みをされた方、先着10名様へ千歳飴をプレゼントいたします!

*サンデープラン*
毎週日曜日、午前10時と午後1時のお席を設けております。
その他の日も承りますので、詳しくはトモコまでお問い合わせ下さいませ。

日時:随時受付けております。
会場:東漸寺館内 209 Jackson St, Coquitlam 
お問い合わせ コナともこ tands410@gmail.com
和の学校ホームページ https://wanogakkou.jimdofree.com/

「インスパイアされる音楽家」石橋英子さんインタビュー

石橋英子さん。Photo courtesy of VIFF
石橋英子さん。Photo courtesy of VIFF

 独特の明るい雰囲気で日本から9月10日、日加トゥディのインタビューに応えてくれた音楽家の石橋英子さん。10月1日にバンクーバー国際映画祭(VIFF)の今年の目玉であるライブ演奏「GIFT」で来加が予定されている。石橋さんといえば2021年の濱口竜介監督「Drive My Car」を思い出す人が多いだろう。国内だけでなくカンヌ映画祭やアカデミー賞など世界で大絶賛を受けた監督のベスト作品。石橋さんが担当した良質なオリジナルサウンドトラックが背中を押したと言っても過言ではない。

映画と音楽について

 「映画は子どもの頃から好きで、音楽を聴く時間より映画を見る時間の方が長かった」と語る石橋さんだが、特に映画音楽にこだわった訳ではない。3、4週間で仕上げなければならない商業映画の音楽制作が多い中、新型コロナウイルスが発生。海外ロケを含む撮影が中断された時期で濱口監督とゆっくりと時間をかけられた。まず脚本や映像に目を通してイメージをわかせ、監督と話し合いをして作品への理解を深める。最初に信じて作ったものが完成するとイメージが違ったりする時もある。「時間をかけることが奥行きを生むのです」と石橋さんが微笑んだ。

 新しいシンセサイザーを購入したら、石橋さんは毎日使いこなせるまで練習して何かを録音する。監督とのやり取りの間、その過去の積み重ねともいえる毎日の録音も聞き直したそうだ。自分で映像に合うと感じた音楽をまとめて濱口監督に送り、監督も送られてきた大きなデータから自ら音楽を選び出す。大物監督の要望に応えるのはかなりのプレッシャーだが、共存できるものを見つけられた。「濱口監督に出会えてラッキーだった」と振り返る。

多才な活動

 映画音楽は映像より目立ってはいけないから、どこか地味な印象がある。だが石橋さんはリスボンの国際フィルム・アワーズで最優秀音楽賞を受賞したほどのミュージシャン。2018年のアルバム「The Dream My Bones Dream」は国外の音楽誌でベストアルバムとして選出された。ある日、地元で道に捨てられていた電化製品を見た石橋さん。寂れて取り残された物が海に流れていくようなインスピレーションを受け、「そのイメージを意識して(2014年のアルバム『Car and freezer』の)曲を作りました」と話した。その後2019年のアニメ「無限の住人-IMMORTAL -」でも音楽を担当した。

 肩書きを聞かれると自分でも首をかしげて難しいと感じるそうだ。映画や舞台、展覧会の音楽を担当する作曲家、ライブ演奏するシンガーソングライター、他のミュージシャンのプロデューサーであり、さらにピアノ、シンセサイザー、フルート、マリンバ、ドラムなど演奏者など幅が広い。

Photo courtesy of VIFF
Photo courtesy of VIFF

 そんな石橋さんがカナダで初めて披露する「GIFT」では、サイレント映画に合わせてライブ演奏を行う。これは濱口監督の2023年作品「Evil Does Not Exist」からスピンオフした新たなコラボ企画で、ニューヨークでは「言葉で表せない」、ロンドンでも「他には類がない」とすでに海外で注目を浴びている。カナダではバンクーバーで1日限りの貴重なライブとなる。

VIFF Live 石橋英子さん「GIFT」開催日時・会場
10月1日(火)7:00 pm Rio Theatre
https://viff.org/whats-on/gift-hamaguchi-ishibashi-live

(取材 Jenna Park)

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「多文化の地で広がる未来」バンクーバー日本語学校入学式

2024年度バンクーバー日本語学校入学式。2024年9月7日、バンクーバー市。写真提供:バンクーバー日本語学校
2024年度バンクーバー日本語学校入学式。2024年9月7日、バンクーバー市。写真提供:バンクーバー日本語学校

 バンクーバー日本語学校2024年度(2024年9月~25年6月)入学式が9月7日にバンクーバー日本語学校並びに日系人会館(VJLS-JH)で行われた。今年度は、キンダー(幼稚園)クラス、小学科1年生、基礎科Aクラスに新入生として合わせて83人が入学。小学科、基礎科、午後からの中学科、高等科、ユースクラス、アダルトコース合わせて380人が土曜日に通学する。平日クラス、オンラインクラス、プライベートクラスを入れると約500人の生徒となる。

 午前中に行われたキンダー(幼稚園)クラスから小学科の入学式では、新入生が会場の大きな拍手に迎えられて入場し、日本とカナダの国歌を斉唱した。

 小学科4年生のクラスに入学する生徒は学校で楽しみにしていることを聞かれ、「友達に会えることが楽しみです」と丁寧な言葉遣いで答えた。始めた漢字の学習は「楽になるから好き。ひらがなをいっぱい書かなくてよくなるから」と笑顔で話した。

日本語への関心 急上昇

 同校の多くの子どもたちは、家族の勧めで入学している。入学式に出席した保護者のプロッサー彩佳(あやか)さんは「海外生活が長いため、子どもたちに日本語を維持してほしい」という思いで3人の子どもを通わせていると話す。また、2人の子どもが同校に通うアルベロ妙(たえ)さんは、カナダに来る前にアメリカで10年以上生活していた経験から、「ずっと海外で生活している子どもにとっても、授業がしんどいと思わない、無理のない形で日本語の勉強を続けさせたい」との考えからこの学校を選んだという。

 大学生・社会人を対象としたアダルトコースは入学者数が昨年度の約1.5倍。通常、初級レベルは1クラスだけだが、今年度は3クラスに増設して対応する。同校ゼネラルマネジャーの杉山ヨシさんは、「日本文化やアニメをきっかけに、日本語自体への関心の高まりを感じます」と話す。

日本とカナダを繋ぐ架け橋になる人に

新入生に向けてあいさつをするバンクーバー総領事館・丸山総領事。2024年9月7日、バンクーバー市。撮影 佐々岡沙樹/日加トゥデイ
新入生に向けてあいさつをするバンクーバー総領事館・丸山総領事。2024年9月7日、バンクーバー市。撮影 佐々岡沙樹/日加トゥデイ

 あいさつで「今日はこれから日本語を勉強する皆さんを応援するためにやってきました」と新入生にエールを送った在バンクーバー日本国総領事館・丸山浩平総領事は、こうした日本語学校がバンクーバーにあることの意義は非常に大きいと話す。「日加関係の増進には、お互いの言語を理解し、交流を深め、信頼関係を築くことが重要です。その基礎となる大きな部分が『言語』にあると思います。言葉以外のコミュニケーションももちろん大事ですが、言語の役割は非常に大きく、無視できないものです。習得は大変ですけどね…。私も外国語の勉強にはずっと苦心していますが、小さい子どもたちが日本語の勉強を始める姿を見て、今日はすごく自分もフレッシュな気持ちになりました」と語った。

入学式で新入生を激励する本間真理校長。2024年9月7日、バンクーバー市。撮影 佐々岡沙樹/日加トゥデイ
入学式で新入生を激励する本間真理校長。2024年9月7日、バンクーバー市。撮影 佐々岡沙樹/日加トゥデイ

 1906年に設立された同校は、カナダで最も古い日本語学校であり、日系カナダ人コミュニティによって運営され、日本語教育と日本文化の継承・普及に努めている。ここで40年以上教師を続ける今年度校長に再任した本間真理校長は、同校の教育方針について「『今日これだけの漢字を覚えたよ』というようなすぐ見える結果ではなく、ずっと先まで、子どもたちが日本語学習や日本文化に興味を持ち続けることが一番大切」と述べ、「オーバーな話ですが、日本とカナダを繋ぐ架け橋になる人材育成をモットーにがんばっている」と熱意を語った。

 カナダは多文化主義の国で、人口のおよそ4分の1が移民であり、200以上の言語が母語として使用されている。本間校長は、こうした環境こそ言語を学ぶにはうってつけだという。「日本でいろんな言葉を習うのは難しいですが、ここでは隣の人は日本語ではない言語を話し、日本とは異なる文化を持っていることが当たり前。すでにもう子どもたちは国際人なんです。そういうすばらしい環境の中で育っている子どもたちのさまざまな可能性をもっと広げてあげられたらいいな」と思いを語った。

(記事 佐々岡沙樹)

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漁具に絡まったザトウクジラを4日間かけて救出

 カナダ漁業海洋省(DFO)が、4日間かけて漁具やロープ、ブイなどが絡まったザトウクジラを救出した。同省の海洋哺乳類コーディネーター、ポール・コトレル氏は「最も時間のかかった救出活動のひとつ」と話した。

 救出は、ブリティッシュ・コロンビア(BC)州北部沿岸のプリンス・ルーパートとハイダ・グァイの間で行われた。クジラは、明らかに数カ月に渡って漁具が絡まった状態で、頭部にもロープが絡まり口を開けることができなかった。コトレル氏によると「どこから手を付けていいのかわからない状態だった」という。

 救出チームはロープなどを50カ所切断し、クジラの体から絡まったものを取り外した。クジラは長期間、何も食べていない状態で、呼吸のために浮上することも困難なほどひどい状態だったが、救出後は元気を取り戻した様子だった。しかし体に多くの傷を負っているため、DFOは様子を見ていくという。

  コトレル氏は、BC州沿岸で漁具がクジラの体に絡まるケースが増えているとし、この海域へのクジラの流入との関連性を考えているという。クジラの保護団体はDFOに対し、外部団体も救出活動を行えるよう、トレーニングや設備の提供を求めている。

(記事 編集部)

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