メアリー・キタガワさん旭日単光章受章、日系カナダ人の誇りを胸に

勲章を手に記念撮影するメアリー・キタガワさん(左)と髙橋良明総領事。2026年5月22日、バンクーバー市。写真 斉藤光一/日加トゥデイ
勲章を手に記念撮影するメアリー・キタガワさん(左)と髙橋良明総領事。2026年5月22日、バンクーバー市。写真 斉藤光一/日加トゥデイ

 「傍観者になるな。声なき人々のために立ち上がれ」。父からそう教わって生きてきたと語るメアリー・キタガワさんは、日系カナダ人の権利の回復に半生をささげてきた。

 その功績がたたえられ、日本政府が2025年11月に発表した令和7(2025)年秋の外国人叙勲で旭日単光章を受章した。そして今年5月22日に、在バンクーバー日本国総領事館公邸で伝達式が行われ、髙橋良明総領事からキタガワさんに勲章が手渡された。国旗「日の丸」を象徴する日章を中心に旭光を配したそのデザインは「旭日昇天」の意気を示すとされる。信念を貫き歩み続けた証が、キタガワさんの胸に輝いた瞬間だった。

約2万2千人の奪われた日常

 1934年にブリティッシュ・コロンビア州ソルトスプリング島で生まれたキタガワさんは幼少期に日系カナダ人約22,000人が強制収容を余儀なくされた歴史を身をもって経験した。1941年12月、日本軍のハワイ真珠湾攻撃を機に、カナダ政府は戦時措置法のもとで日系人を強制収容し、財産を没収した。戦争が終わっても強制収容は1949年3月31日まで続き、奪われた土地や家は生涯日系人の手に戻ることはなかった。

 日系カナダ人が受けた差別と被害は、長年認められることはなかった。しかしキタガワさんは、沈黙を選ばなかった。1980年代にはカナダ政府に対して公式謝罪と補償を求める「リドレス運動」に参加、国内各地の大会・学校・地域イベントなど各地で強制収容の歴史を証言し続けた。リドレス運動は、1988年、連邦政府の謝罪と補償として実を結んだ。

 キタガワさんは、その後もさらなる取り組みへと歩みを広げていく。2006年にはバンクーバーに完成した新建築物に日系強制収容に深く関わったとされる元国会議員の名前が付けられることを知り、猛抗議した。その後建物は改称された。また、強制収容のため1942年にブリティッシュコロンビア大学(UBC)から追われた76人の日系カナダ人学生への名誉学位授与を求めて活動。当初は提案が却下されたものの4年間にわたる働きかけの末、2012年に授与式を実現させた。

 差別と向き合い、声を上げ続けたキタガワさんの数々の活動は、カナダと日本の両国から評価されてきた。BC州勲章(Order of British Columbia)、エリザベス女王2世ダイヤモンドジュビリー勲章️(Queen Elizabeth II Diamond Jubilee Medal)、UBC名誉学位(Honorary Degree from the University of British Columbia)、日本外務大臣表彰。そして今回、旭日単光章を受章した。

 髙橋総領事は、キタガワさんの活動が日系カナダ人だけでなく、カナダ社会全体に恩恵をもたらしたと賞賛。「差別は安定した時代には見えにくいが、不確実性や恐怖、危機が訪れた時に社会の脆弱性として現れる」と語り、「リドレス運動がなければ、カナダはこの歴史の一章と向き合うことはなかったかもしれない」と、一市民として差別そのものと闘い続けたキタガワさんの歩みを深く称えた。

「父と母の記憶にささげたい」

勲章を胸にスピーチするキタガワさん。受章の実現に尽力してくれた一人ひとりへの感謝を丁寧に言葉にした。2026年5月22日、バンクーバー市。写真 斉藤光一/日加トゥデイ
勲章を胸にスピーチするキタガワさん。受章の実現に尽力してくれた一人ひとりへの感謝を丁寧に言葉にした。2026年5月22日、バンクーバー市。写真 斉藤光一/日加トゥデイ

 勲章を受け取ったキタガワさんがスピーチで最初に口にしたのは感謝の言葉だった。

 受章の実現に尽力してくれた人たち、式を支えたスタッフ、送迎を担当しているドライバーまで、一人ひとりの名前を丁寧に挙げていった。長年ともに歩んできた夫トシュ・キタガワさんについては「縁の下の力持ち」と称え、自分たちが成し遂げてきたことの原動力だったと語った。

 「正しいことだからやってきただけで、このような章をいただけるとは思っていなかった。自分の賞賛のために行っているわけではない」と、真っ直ぐな瞳で話したキタガワさん。その言葉は、感謝を真っ先に伝えようとしたスピーチの姿そのものだった。

 受章の知らせを3年間誰にも言えなかったと明かして笑いを誘う場面もあったが、「この栄誉を、父と母の記憶にささげたいと思います」と話し始めると、言葉を詰まらせた。涙をこらえながら語ったのは、父が生涯繰り返し伝えてきた「傍観者になるな。声なき人々のために立ち上がれ」という言葉。不正義を前にして沈黙せず、声を持たない人々のために立ち上がること、その教えがキタガワさんの活動のすべての原点にあったと語った。

 式典で乾杯の音頭を取ったUBC歴史学准教授ヘンリー・ユーさんは、キタガワさんを「誠実さと思いやりを同時に体現している人物」と称えた。そんなキタガワさんの姿が、このスピーチにも色濃く表れていた。

カナダ人として、日本人として

「縁の下の力持ち」とたたえた夫のトッシュさん(左)とメアリーさん夫妻。共に歩んだ活動が、この日の受章につながった。2026年5月22日、バンクーバー市。写真 斉藤光一/日加トゥデイ
「縁の下の力持ち」とたたえた夫のトッシュさん(左)とメアリーさん夫妻。共に歩んだ活動が、この日の受章につながった。2026年5月22日、バンクーバー市。写真 斉藤光一/日加トゥデイ

 伝達式に先立ち行われたインタビューでは、家族の中で日本生まれは父だけだったが、「自分は部分的に日本人でもある」という感覚を生涯持ち続けていると話した。その思いが最も鮮明になったのは、初めて日本を訪れた時だったという。父の生まれた部屋に立った瞬間、「足元から根が生えてくるような感覚があった」と語り、カナダに生まれながらも自分が日本に属していると強く実感した瞬間だったと話した。

 現在の日系カナダ人コミュニティについては、「以前はなかった法律ができた今、差別はもうできない」と述べ、自身が子どもの頃は全ての法律は自分たちに不利なものだったと振り返り、両親や祖父母の世代がいかに困難な時代を生きたかを語った。「今は自由に何でもできる、子どもの頃とはまったく違う世界になった」。その変化がどれほど遠い道のりだったか、キタガワさん自身が誰よりもよく知っている。

 次世代へのメッセージを聞くと「日系カナダ人にまず伝えたいのは、自分たちはカナダ人だということ。そして日本にルーツを持つことを誇りに思ってほしい」と力を込めた。孫たちの中には見た目が白人に見える子も多く、日系だと言っても友人に信じてもらえないこともあるそうだ。それでも自分が日系であることを証明しようと、誇りを持って主張し続けている孫の姿が「とてもうれしい」と優しく微笑みながら話した。

 そして最後に、「常に勇気を持って自分の物語を語ってほしい」と続けた。差別を目にした時、声を上げられない人たちのために立ち上がってほしいと語るその言葉は、父から受け継いだものだ。「傍観者になるな。声なき人々のために立ち上がれ」――キタガワさんはその言葉を、今日も次世代に伝え続ける。

キタガワさんを囲み、集まった関係者たちと記念撮影。会場には終始温かな雰囲気が漂っていた。2026年5月22日、バンクーバー市。写真 斉藤光一/日加トゥデイ
キタガワさんを囲み、集まった関係者たちと記念撮影。会場には終始温かな雰囲気が漂っていた。2026年5月22日、バンクーバー市。写真 斉藤光一/日加トゥデイ

(取材 田上麻里亜/写真 斉藤光一)

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