ホーム 著者 からの投稿 Maria Tagami

Maria Tagami

Maria Tagami
50 投稿 0 コメント

朝日レガシーゲーム2026 新ユニホームで2027年ジャパンツアーへ

2027年ジャパンツアーチームの選手たちが、OBチームや関係者とともに記念撮影。2026年9月7日、バンクーバー市。写真 加藤さくら/日加トゥデイ
2027年ジャパンツアーチームの選手たちが、OBチームや関係者とともに記念撮影。2026年9月7日、バンクーバー市。写真 加藤さくら/日加トゥデイ
2027年ジャパンツアーチームの選手たちが、OBチームや関係者とともに記念撮影。2026年9月7日、バンクーバー市。写真 加藤さくら/日加トゥデイ
2027年ジャパンツアーチームの選手たちが、OBチームや関係者とともに記念撮影。2026年9月7日、バンクーバー市。写真 加藤さくら/日加トゥデイ

 夏の終わりのレイバーデー。9月7日、今年もナナイモパークに朝日の選手たちが集まった。戦前にバンクーバーで活躍した日系人野球チーム「朝日軍」の歴史を受け継ぐ朝日レガシーゲーム。グラウンドを囲むように家族や関係者らが集まり、選手たちのプレーを見守った。

 今年の試合は、2027年3月に日本遠征を予定するジャパンツアーチームと、過去のジャパンツアーに参加した選手らによるOBチームの対戦。2027年チームは、この日初披露となった白と赤の新ユニホームでグラウンドに立った。

朝日のレガシーを次世代へ 新ユニホームを初披露

開会式でカナダ国歌を歌う2027年ジャパンツアーチームの選手たち。2026年9月7日、バンクーバー市。写真 加藤さくら/日加トゥデイ
開会式でカナダ国歌を歌う2027年ジャパンツアーチームの選手たち。2026年9月7日、バンクーバー市。写真 加藤さくら/日加トゥデイ

 試合前の開会式では、Vancouver Asahi Baseball Associationジョン・ウォン会長が1914年から1941年まで活動した朝日軍の歴史を紹介した。

 朝日軍は、バントや盗塁、スピードと戦術を生かした「ブレインボール」と呼ばれるスタイルで知られた日系人野球チーム。ウォン会長は、現在の朝日の活動がその歴史と精神を受け継いでいることを改めて伝えた。

 この日は在バンクーバー日本国総領事館・髙橋良明総領事も出席。開会式では2027年ジャパンツアーチームの選手たちを祝福し、「皆さんはバンクーバー朝日の名前とレガシーを背負っています」と激励した。

 2027年ジャパンツアーチームのヘッドコーチを務めるベン・チョウ(Ben Chow)さんは、この日、同チームのユニホームを一般に初披露したことを紹介。ユニホームは、かつて活躍した朝日チームにちなんだもので、選手たちにはその歴史と野球へのリスペクトを受け継いでほしいと語った。また右袖には、朝日ファミリーの一員をしのぶ印が施されていることも説明、世代を超えて受け継がれる朝日のつながりを伝えた。

始球式を務めたケン・ヤダさん(左)と髙橋良明総領事。2026年9月7日、バンクーバー市。写真 加藤さくら/日加トゥデイ
始球式を務めたケン・ヤダさん(左)と髙橋良明総領事。2026年9月7日、バンクーバー市。写真 加藤さくら/日加トゥデイ

 今年の始球式は、髙橋総領事とケン・ヤダ(Ken Yada)さんが務めた。1936年バンクーバー生まれのヤダさんは、6歳だった1942年に家族と強制移動地のブリッジリバーへ。強制収容政策が終了した1949年に一家でバンクーバーに戻った。その後、長年にわたり野球指導に携わったほか、BC Amateur Baseball理事や、大リーグ・ピッツバーグ・パイレーツの地域スカウトなどを務めた。

「日本のチームがどのように野球をしているのか」

2027年ジャパンツアーチームのキャプテン、Liam Gregsonさん。2026年9月7日、バンクーバー市。写真 加藤さくら/日加トゥデイ
2027年ジャパンツアーチームのキャプテン、Liam Gregsonさん。2026年9月7日、バンクーバー市。写真 加藤さくら/日加トゥデイ

 開会式を終えると、グラウンドでは早速、2027年ジャパンツアーチームが躍動した。試合を動かしたのはキャプテンのLiam Gregsonさん。先制のホームを踏むと、ベンチから歓声が上がり、チームメートが笑顔で迎えた。

 その後はOBチームもホームランを放つなど両チームが得点。世代を超えた朝日の選手たちが、同じグラウンドで試合を楽しんだ。

 Gregsonさんは母親が日本人で、グラッドストーンで朝日の案内を目にしたことがチームに加わるきっかけだった。初めて練習に参加して以来、指導やチームメートにも恵まれ「ずっと続けたいと思ってやってきた」という。

 朝日の魅力については「一番好きなのは楽しいところ。でも同時にすごく真剣でもある」と話す。「真剣に練習しながら、みんなで楽しんでいる。それがとても大切だと思う」と笑顔で語った。

 母方の祖父母に会うため日本には何度も訪れているが、朝日の仲間と一緒に行くのは初めて。遠征先の千葉を訪れるのも今回が初めてだという。

 2027年のジャパンツアーでは「日本の文化や、日本のチームがどのように野球をしているのかを学びたい」とGregsonさん。日本の野球には組織的で真剣に取り組む印象を持っていると言い、「もっと良い野球選手になって、みんなで楽しみたい」と来年の遠征を心待ちにしている。

「リスペクト」を胸に、16人で日本へ

一球一球に熱がこもるレガシーゲーム。2027年ジャパンツアーチームとOBチームが白球を追った。2026年9月7日、バンクーバー市。写真 加藤さくら/日加トゥデイ
一球一球に熱がこもるレガシーゲーム。2027年ジャパンツアーチームとOBチームが白球を追った。2026年9月7日、バンクーバー市。写真 加藤さくら/日加トゥデイ

 今年1月の朝日新年会ではまだ始動したばかりだったチームも、現在はキャプテンと副キャプテン2人が決まり、ツアーメンバーは18人から16人になったが、来年3月の日本遠征に向けた準備が進んでいる。ヘッドコーチのベンさんは、秋から冬にかけては野球の練習に加え、日本の文化や日本野球にも通じる考え方を学ぶ機会も取り入れていくという。全力でプレーする姿勢など、日本へ行く前に野球に向き合う意識も育てていく。

 そのチームづくりの軸にあるのが朝日が大切にしてきた「リスペクト」だ。「チームメートをリスペクトする。野球をリスペクトする。保護者をリスペクトする。全てはリスペクトから始まる」と話す。

16人の選手とともに2027年の日本遠征を目指す、ヘッドコーチのベン・チョウさん。2026年9月7日、バンクーバー市。写真 加藤さくら/日加トゥデイ
16人の選手とともに2027年の日本遠征を目指す、ヘッドコーチのベン・チョウさん。2026年9月7日、バンクーバー市。写真 加藤さくら/日加トゥデイ

 その考えは、自分たちのチームの中だけにとどまらない。選手たちが年下の子どもたちを教える時にも、まず相手への敬意を大切にするよう伝えているという。「次の世代にも、そのリスペクトを学んでもらうことが大切」とベンさんは話した。

 16人の選手たちはこれから秋、冬と練習や学びを重ね、来年3月のジャパンツアーを目指す。

朝日ベースボール・アソシエーション

 2016年に発足。当時の名称はカナディアン日系ユースベースボールクラブ。2015年に最初のジャパンツアーを実施し、これを機に2016年に創設された。戦前にバンクーバーで活躍した日系人野球チーム「朝日軍」の歴史や精神を受け継ぎながら、野球を通じた活動を続けている。

朝日チーム・ジャパンツアー

 2015年を第1回として、2年に1度、同アソシエーションでプレーする選手からチームを結成し、日本へ野球遠征している。2021年は新型コロナウイルス感染拡大の影響で中止。2017、2019年には横浜、静岡、滋賀、奈良など、2023年は神戸を中心とした関西地区、2025年は千葉、東京、栃木を訪問した。2027年は東京、千葉、愛知を訪れる予定。

(取材 田上麻里亜/写真 加藤さくら)

合わせて読みたい関連記事

五輪空手銀メダリスト清水希容さん「フレンドシップ」でつながる空手

佐藤義輝(明)師範と清水希容さん(右)。2026年8月27日、バーナビー市。撮影 田上麻里亜/日加トゥデイ
佐藤義輝(明)師範と清水希容さん(右)。2026年8月27日、バーナビー市。撮影 田上麻里亜/日加トゥデイ
佐藤義輝(明)師範と清水希容さん(右)。2026年8月27日、バーナビー市。撮影 田上麻里亜/日加トゥデイ
佐藤義輝(明)師範と清水希容さん(右)。2026年8月27日、バーナビー市。撮影 田上麻里亜/日加トゥデイ

 「『帰っておいで』と言ってくれる場所があるのは、私にとって大きな財産の一つです」。

 そう話したのは、空手女子形で全日本選手権7連覇、世界選手権2連覇、3度のアジア大会優勝を誇り、オリンピックで空手が初めて実施された2021年の東京五輪で銀メダルを獲得した清水希容さん。

 世界の舞台で戦い続けてきた清水さんが8月にバンクーバーを訪問。8月27日と30日には佐藤派糸東流空手バンクーバー本部道場主催「Summer Friendship Kata Training」に参加し、 Nikkei KarateやPemberton/Whistler Karate Clubなどの空手家191人と共に汗を流した。

 これでバンクーバーを訪れるのは3回目という清水さん。繰り返しこの地を訪れる理由、そして現役引退後の今の気持ちを聞いた。

空手を通じて一緒に過ごす時間そのものを大切に

一つ一つの動作を丁寧に指導する清水希容さん(左手前)と、稽古に励む参加者たち。2026年8月27日、バーナビー市。撮影 田上麻里亜/日加トゥデイ
一つ一つの動作を丁寧に指導する清水希容さん(左手前)と、稽古に励む参加者たち。2026年8月27日、バーナビー市。撮影 田上麻里亜/日加トゥデイ

 清水さんが初めてこの街を訪れたのは2024年。セミナーに招かれての訪問だったが、その前後の期間を使ってバンクーバーで長く過ごすことにした。その時の滞在先が佐藤派糸東流空手バンクーバー本部道場とも関係が深い家族だった。

 こうした縁がきっかけとなり、2025年には「Friendship Training」としての交流が始まった。今回で2回目の開催になる。

 佐藤派糸東流空手バンクーバー本部道場を率いる佐藤義輝(明)師範は、今回のイベントは「彼女にとってはホリデー」のため、試合を意識した練習ではなく、楽しみながら空手に向き合うことを大事にしていると説明。何よりも一緒に過ごす時間そのものが貴重で「フレンドシップが一番大切」と力を込めた。

 一方、メンバーでも大会出場を目指す選手たちにとっては、世界チャンピオンと同じ空間で稽古できるまたとない学びの機会になっているという。

清水さんにとってバンクーバーはもう一つの家

「戻っておいでと言ってくれる場所があるのは、私にとって大きな財産の一つです」と、個別インタビューで語った清水希容さん。2026年8月27日、バーナビー市。撮影 田上麻里亜/日加トゥデイ
「戻っておいでと言ってくれる場所があるのは、私にとって大きな財産の一つです」と、個別インタビューで語った清水希容さん。2026年8月27日、バーナビー市。撮影 田上麻里亜/日加トゥデイ

 イベント前に清水さんに話を聞いた。清水さんは今でも鮮明に1回目に訪問した時のことを覚えている。

 2024年当時は、競技を続けるか次の道に進むかを迷っていた時期で、バンクーバーで出会ったメンバーに何度も相談に乗ってもらったという。バンクーバーで、純粋に空手を楽しむ人たちの姿を見て、競技以外にもさまざまな空手の形があるのだと気づかされた。「いい意味で、まだ(競技を)やりなよと言ってくれましたし、でも、どっちの道を選んでも応援してくれるというスタンスでした。日本だけでなく、海外にも家族のような人たちがいるというだけでも、すごく支えられています」

 引退という決断を経て迎えた2回目の訪問では、空手との向き合い方が変わっていた。競技の物差しだけでなく、国や人それぞれの向き合い方に目が向くようになったという。競技が全てではなく、生活の一部として、そして日本文化として純粋に空手を楽しんでいる人たちの姿は、清水さんの目にうれしく映った。「そこに私も入らせてもらえるのがすごくありがたい」と話し、今の自分なりの形で伝えられることを伝えていきたいという。

世代や道場を超えて集まった参加者たちが稽古前に記念撮影。2026年8月27日、バーナビー市。撮影 田上麻里亜/日加トゥデイ
世代や道場を超えて集まった参加者たちが稽古前に記念撮影。2026年8月27日、バーナビー市。撮影 田上麻里亜/日加トゥデイ

 3回目となる今回の訪問を通じて伝えたいことを聞くと、「日本の精神性の部分」だと答えた。人を思う気持ちや感謝の気持ちを持つということを「強制ではなく自然に感じ取ってもらえたら」と話す。

 日本の文化だけが優れているわけではなく、カナダにも受け継がれてきたすばらしい文化がある。それぞれが良いと思うものを認め合い、互いに影響し合えたらいいとして、「お互いの種植えができたら」と表現した。押し付けるのではなく、共に作っていくことを、どこに行っても大切にしているという。

 そして、「私が教えるというよりも、一緒にその空間を楽しんで、みんなで過ごせたらいい」と柔らかな笑顔を見せた。

世代も道場も超えて 再会喜び、共に汗を流す

 8月27日、日系文化センター・博物館には白い道着に身を包んだ子どもや大人122人が集まった。

 清水さんは開始のあいさつで、「みなさん、お久しぶりです。ここに来るのは、私の楽しみでもあり、来るたびにエネルギーをチャージさせてもらっています!」と、集まった参加者を前に笑顔がはじけた。当日は3つのセッションが行われ、空手を愛する幼い子どもから大人まで幅広い年代が肩を並べて汗を流した。

手本を見せる清水希容さん。2026年8月27日、バーナビー市。撮影 田上麻里亜/日加トゥデイ
手本を見せる清水希容さん。2026年8月27日、バーナビー市。撮影 田上麻里亜/日加トゥデイ

 ダイナミックな気迫あふれる動きで知られる清水さんだが、この日の指導で伝えていたのは、その迫力の裏にある細やかな体の使い方。「引き手」(突きと同時に反対の拳を体の脇へ引く動作)や体の軸と重心の使い方など、一つ一つの動作を丁寧に説明した。自ら手本として突きを放つと、道着の袖がパンッと鋭い音を立てた。力強い動きに見えても実はリラックスすることがコツだという。

 清水さんのイベントに参加するのは今回で3回目というSara Ngさんは空手歴14年。イベント後には「先生が基本の動きを一つ一つ段階を踏んで教えてくれた」と満足そうな表情。「自分の体の使い方、特に体重をどう利用するかをもっと意識するようになった」と膝を使った体重移動について新たに学んだ。「(清水さんが)また来てくれるとは思っていなかった」と話し、再会を喜んだ。

 「種植え」という清水さんの言葉の通り、3年をかけて育ててきた関係は世代や道場を超えてこの日も確かに根を張っていた。

白帯から黒帯まで、笑顔の中にも真剣なまなざしをのぞかせる参加者たち。2026年8月27日、バーナビー市。撮影 田上麻里亜/日加トゥデイ
白帯から黒帯まで、笑顔の中にも真剣なまなざしをのぞかせる参加者たち。2026年8月27日、バーナビー市。撮影 田上麻里亜/日加トゥデイ

(取材 田上麻里亜)

合わせて読みたい関連記事

NSLバンクーバー・ライズ、終了間際の失点でハリファックスに惜敗 5位後退もプレーオフ圏まで勝ち点1

試合後、ピッチに座り込むバンクーバー・ライズFCの選手たち。2026年9月5日、スワンガードスタジアム(バーナビー市)。撮影 田上麻里亜/日加トゥデイ
試合後、ピッチに座り込むバンクーバー・ライズFCの選手たち。2026年9月5日、スワンガードスタジアム(バーナビー市)。撮影 田上麻里亜/日加トゥデイ
試合後、ピッチに座り込むバンクーバー・ライズFCの選手たち。2026年9月5日、スワンガードスタジアム(バーナビー市)。撮影 田上麻里亜/日加トゥデイ
試合後、ピッチに座り込むバンクーバー・ライズFCの選手たち。2026年9月5日、スワンガードスタジアム(バーナビー市)。撮影 田上麻里亜/日加トゥデイ

 バンクーバー・ライズFCは9月5日、スワンガードスタジアム(バーナビー市)でハリファックス・タイズFCと対戦し、0-1で敗れた。

 プレーオフ進出圏内の4位につけていたライズと、勝ち点2差で追う5位ハリファックスとの直接対決。試合は0-0のまま後半アディショナルタイムに入ったが、終了間際にハリファックスのジュリア・ベナティにハーフウェーライン付近からゴールを決められ、そのまま試合終了となった。

 この結果、ハリファックスが勝ち点24で4位に浮上。勝ち点23のライズは5位となった。ただ、その差はわずか1ポイント。レギュラーシーズンは残り6試合で、プレーオフ進出をかけた戦いは続く。

9月5日(スワンガードスタジアム)
バンクーバー・ライズFC 0-1 ハリファックス・タイズFC

チャンスを作るも得点につながらず、もどかしい時間

 この日は日本人選手3人がメンバー入り。ライズではDF岡本祐花と、日系カナダ人で日本の年代別代表経験を持つGKジェシカ・ウルフ結吏が先発、ともにフル出場した。ハリファックスでは中村恵実がベンチ入りした。

 ライズは序盤からボールを前線へ運び、マイテ・ロペスやジェシカ・デ・フィリッポがハリファックスの最終ラインの背後に抜け出す場面を作った。しかし最後のパスが合わず、シュートまで持ち込めない。その後はハリファックスも徐々に流れをつかみ、中盤での攻防が続いた。

 後半に入っても流れは変わらなかった。ライズのアンナ・バウトがペナルティエリア付近でボールを受けてシュートを放ったが決まらず、コーナーキックから何度もボールをネット前へ送った。75分にはアナイス・ウラルビが約30メートル以上の距離からフリーキックを直接狙ったが、シュートはゴールのわずか外へ。

 ライズはボール保持率58%、コーナー8本とハリファックスの42%、2本を上回った。一方、シュート4本、枠内は1本。前線までボールを運びながらも、パスが合わずにボールを失ったり、ゴール前まで進みながらシュートにつなげられなかったりする場面が目立ち、得点を奪えないもどかしい展開が続いた。

スタジアムの熱気が高まった直後、終了間際にまさかの決勝点

 0-0のまま試合終盤を迎えると、ライズはアディショナルタイムで決勝点を狙って攻勢を強めた。スタンドでは立ち上がって拍手を送り、ライズを後押しするファンの姿も見られ、スタジアムのボルテージは一気に高まった。

 その中でライズに大きなチャンスが訪れる。アブドゥがゴール前へ送ったボールにオードリー・フランソワが飛び込み、スタジアムはゴールへの期待に沸いたが、わずかに足が届かなかった。

 その直後だった。ハリファックスのジュリア・ベナティがハーフウェー付近から放ったロングシュートがGKウルフの頭上を越えてネットに吸い込まれた。ライズに反撃する時間はほとんどなく、そのまま0-1で試合終了となった。

 試合後のあいさつを終えた後も、ハリファックスの選手たちが勝利を喜ぶ傍らで、ライズの選手たちはピッチに座り込んだまま、しばらく動かなかった。終了間際の1失点で勝ち点を逃した、その重さを感じさせる光景だった。

 ハリファックスとは8月15日にもスワンガードスタジアムで対戦し、ライズが後半アディショナルタイムにデ・フィリッポの決勝点が決まり2-1で勝利したが、約3週間後の今回の再戦では、逆に終了間際の一撃で勝ち点3を奪われる結果となった。

岡本祐花「一試合一試合が本当に大事」

インタビューに答えたバンクーバー・ライズFCの岡本祐花選手。2026年9月5日、スワンガードスタジアム(バーナビー市)。撮影 田上麻里亜/日加トゥデイ
インタビューに答えたバンクーバー・ライズFCの岡本祐花選手。2026年9月5日、スワンガードスタジアム(バーナビー市)。撮影 田上麻里亜/日加トゥデイ

 岡本祐花はこの日、プレーオフ進出を争うハリファックスとの直接対決だっただけに、試合後は結果への悔しさを口にした。

 「本当に重要な試合で、プレーオフに向けて勝たなきゃいけない試合だったので、この結果ですごく悔しいです。チームとしてうまくいった部分が少なかったので、まずはこの後の6戦で改善して、プレーオフにまずつなげなきゃいけないなと思います」

 この日は守備陣に欠場者も多い中、岡本は最終ラインを担った。一つの失点が試合を大きく左右するだけに、周囲と声を掛け合いながら守ることを意識していたという。それでも最後まで守り切れなかったことについて、「最後の最後に失点してしまって、詰めが甘かったと思います」と、悔しさをにじませた。

 残りは6試合。プレーオフ進出に向けて、「一試合一試合が本当に大事なので、まず目の前の1試合を勝ち切ること。けが人もだんだん戻ってきていて、シーズンも後半なので、チームの目指すべき方向をしっかり再確認したいです」と、ここからの巻き返しを誓った。

 厳しい敗戦について語った岡本だが、かつてのチームメート中村恵実の話題になると表情が和らいだ。2人はAC長野パルセイロ・レディース時代に共にプレーしていた。

 「日本でもずっと一緒にプレーしていて、去年もずっとバンクーバーで待っていたんですけど、けがでなかなか来られなくて。やっと一緒にバンクーバーに来られたので」。今後再び同じピッチに立つことへの期待を聞くと、岡本は「そうですね」と笑顔を見せた。

中村恵実「耐えて、耐えて」つかんだ大きな勝ち点3

インタビューに答えたハリファックス・タイズFCの中村恵実選手。2026年9月5日、スワンガードスタジアム(バーナビー市)。撮影 田上麻里亜/日加トゥデイ
インタビューに答えたハリファックス・タイズFCの中村恵実選手。2026年9月5日、スワンガードスタジアム(バーナビー市)。撮影 田上麻里亜/日加トゥデイ

 昨年1月、AC長野パルセイロ・レディースからハリファックスに加入した中村は、2025年シーズンは24試合に出場し、チーム最多の5得点を記録した。この日はベンチから試合を見守ったが、ライズに押し込まれる時間もあった展開を「厳しい時間帯が多かった」と表現。それでも、「耐えて、耐えて」と守り続けた先に終了間際の決勝点が生まれたと話した。

 「最後にああいった形で決められたことは良かったかなと思います。ディフェンスで奪い切ってからのカウンターだったので、チームとしても結構ポジティブな試合になったのかなと思います」

 その1得点で手にした勝ち点3は順位にも直結した。試合前まで5位だったハリファックスはライズを抜いてプレーオフ圏内の4位へ。中村にとっても「今回の勝ち点3はすごく大きかった」という。

 シーズン終盤はプレーオフ進出を左右する試合が続く。「次のカルガリー戦もすごく大きいゲームになってくると思う」と気を引き締め、「残りの試合がプレーオフにすごく関わってくるので、1試合1試合大切にしていきたい」とプレーオフ進出に意欲を見せた。

 かつてのチームメート岡本との再会については「以前も日本で一緒に5年間ぐらいプレーしてたので、また一緒にプレーができたらうれしいです」と笑顔を見せた。

 バンクーバーについては、「都会と山と自然が融合してる感じでいいなと思います」と中村。ハリファックスとはまた違った街の雰囲気を感じたようで、アジア系の人が多いことも印象に残ったと話した。

プレーオフ圏内との差は勝ち点1、次戦はオタワ

青空が広がる晴天の中で行われたバンクーバー・ライズFC対ハリファックス・タイズFC。2026年9月5日、スワンガードスタジアム(バーナビー市)。撮影 田上麻里亜/日加トゥデイ
青空が広がる晴天の中で行われたバンクーバー・ライズFC対ハリファックス・タイズFC。2026年9月5日、スワンガードスタジアム(バーナビー市)。撮影 田上麻里亜/日加トゥデイ

 NSL(ノーザンスーパーリーグ)は6チームでレギュラーシーズンを戦い、上位4チームがプレーオフに進む。

 試合前はライズが勝ち点23で4位、ハリファックスが21で5位だったが、ハリファックスが勝利したことで勝ち点24となり順位が逆転。ライズは勝ち点23で5位となった。ただ、4位ハリファックスとの差はわずか1ポイント。ライズはレギュラーシーズンが残り6試合あり、プレーオフ進出の可能性は十分にある。

 一方、ライズは試合から2日後の9月7日、アンニャ・ハイナー=モラー監督の退任を発表した。クラブ初代監督として2025年のNSL初年度からチームを率い、初代王者に導いた。退団の理由は明かされていない。今後はアシスタントコーチのイアン・ダービーシャーが暫定監督として今季残り試合を指揮する。

 次戦は9月13日、スワンガードスタジアムでオタワ・ラピッドFCと対戦する。続いて19日に首位モントリオール・ローゼズFCをホームに迎え、その後カルガリー、トロント、オタワとのアウェー戦を経て、10月25日にホームでカルガリー・ワイルドFCとレギュラーシーズン最終戦を迎える。

(取材 田上麻里亜)

合わせて読みたい関連記事

日本の中高生、バンクーバーのChopValueを訪問

ChopValueを訪問した「Youth Entrepreneur Initiatives」の参加者らと関係者。バンクーバー市、2026年8月6日。撮影:田上麻里亜/日加トゥデイ
ChopValueを訪問した「Youth Entrepreneur Initiatives」の参加者らと関係者。バンクーバー市、2026年8月6日。撮影:田上麻里亜/日加トゥデイ
ChopValueを訪問した「Youth Entrepreneur Initiatives」の参加者らと関係者。バンクーバー市、2026年8月6日。撮影:田上麻里亜/日加トゥデイ
ChopValueを訪問した「Youth Entrepreneur Initiatives」の参加者らと関係者。バンクーバー市、2026年8月6日。撮影:田上麻里亜/日加トゥデイ

 日本の中学・高校生24人が8月6日、バンクーバー市の循環型製造企業ChopValueを訪れ、使用済みの割り箸を建材や家具に変える革新的な製造工程を見学した。訪問は起業家教育プログラム「Youth Entrepreneur Initiatives」の一環で、主催はEduwel Solutions Ltd. 、日本カナダ商工会議所とChopValueが協力した。

「外に出て確かめる」学び

 中高生は7月29日から8月11日までバンクーバーに滞在。ChopValueへの企業訪問のほか、日本にある既存の商品・サービスを北米向けにローカライズして売り込み、英語で投資家や起業家に3分で事業案を売り込むピッチをするという課題にも取り組んだという。

 プログラムを企画・運営したEduwel Solutions Ltd.代表ウィットレッド太朗さんは、このプログラムをバンクーバーで実施する意義について、生徒が考えた事業案を実際の市場で検証できる点にあると語り、「外に出て確かめるプロセスは、バンクーバーでなければ成立しない。教室のドアを開ければそこが市場」と説明した。

身近な割り箸から 10年で2.9億本再生

製造工程でわずかに出る端材を再利用して作られた世界地図。バンクーバー市、2026年8月6日。撮影:田上麻里亜/日加トゥデイ
製造工程でわずかに出る端材を再利用して作られた世界地図。バンクーバー市、2026年8月6日。撮影:田上麻里亜/日加トゥデイ

 ChopValueは、ドイツ生まれのフェリックス・ベック氏によって2016年にバンクーバーで設立された。ドイツで木材工学を学んだ経歴を持ち、その後ブリティッシュコロンビア大学(UBC)の教員から招かれ、構造用竹材や革新的な竹由来の複合材料をテーマとした博士研究に取り組んだ。この研究は、UBC、マサチューセッツ工科大学(MIT)、ケンブリッジ大学が参加する国際共同研究の一環として行われた。

 ベック氏は当初、建設現場から出る廃材の活用を試みたが、さまざまな材料が混ざり合っていて扱いにくく、うまくいかなかった。何か他に使えるものはないかと考えていたところ、妻とすし店で食事をしていた時に「割り箸を使ったらどうか」と提案されたことが、事業の着想を得たきっかけになったという。

 同社によると、日本では年間およそ130億膳の割り箸が廃棄されている。関東地方だけで毎日約2700万本が廃棄されており、バンクーバー本社周辺の毎日約10万本、シンガポールの約150万本と比べても際立って多い。日本で使われる輸入割り箸のうち竹製が約33%を占め、主な産地は中国・ベトナムという。

 同社はレストランやフードコート、ホテルなどから使用済みの割り箸を無償で回収し、分別・乾燥(高温処理による除菌を含む)を経て、独自技術で高密度に圧縮・成形する。再製造・仕上げの工程の後、レーザー加工でロゴやメッセージを入れてカスタマイズすることも可能で、家具や建材、内装材に加工されるという。都市から生まれる廃棄されるはずの資源を地域内で回収し、新たな製品へと生まれ変わらせるこの地域密着型の取り組みを「アーバン・ハーベスティング(都市の資源収穫)」と呼んでいる。

 さらに輸送に伴う二酸化炭素排出を抑えるため、1カ所の工場から世界に出荷するのではなく、各国・地域に小規模な「マイクロファクトリー」を設ける方式を採用。必要な工場スペースは約330平方メートル(100坪)以下の軽工業用施設で足りるという。2026年8月10日時点で、これまでに世界で2億9015万本以上の割り箸を埋め立て処分される前に回収し、二酸化炭素排出量を約1,413万kg相当抑制した。マイクロファクトリーは現在、世界12カ国に広がっている。

 身近な割り箸というアイデアから始まった事業は、いまや2025年の大阪・関西万博や文具大手コクヨとの協業など、著名な企業やイベントとも手を組む規模に成長している。

割り箸から生まれたタイルを手に

プレス加工前の使用済み割り箸が積まれたChopValueの工場内。バンクーバー市、2026年8月6日。撮影:田上麻里亜/日加トゥデイ
プレス加工前の使用済み割り箸が積まれたChopValueの工場内。バンクーバー市、2026年8月6日。撮影:田上麻里亜/日加トゥデイ

 生徒たちは会社概要の説明を受けた後、2グループに分かれ製造ラボを見学した。

 圧縮前の割り箸と、プレス後の薄いタイルを実際に見比べる場面もあった。竹製の割り箸を使ったものは幾何学的な模様がはっきりと表れ、より柔らかい木材を使うとまだら模様になるなど、素材によって見た目や重さが変わる。

 生徒たちは実際にタイルを手に取り、重さや質感をじっくりと確かめた。厚さは用途に応じて3種類あり、壁材には薄いタイル、テーブルなど耐久性が求められる製品には厚みのあるタイルが使われるといった使い分けも紹介された。

割り箸から作られた製品について生徒に説明する、ChopValueプロジェクトアドミニストレーターの佐名木紬さん。バンクーバー市、2026年8月6日。撮影:田上麻里亜/日加トゥデイ
割り箸から作られた製品について生徒に説明する、ChopValueプロジェクトアドミニストレーターの佐名木紬さん。バンクーバー市、2026年8月6日。撮影:田上麻里亜/日加トゥデイ

将来は「日本と世界をつなぐ仕事を」

 年間およそ130億膳が廃棄されるという日本の割り箸。誰もが日常的に使っているだけに、質疑応答では「割り箸のリサイクルはなぜ日本で先に始まらなかったのか」という質問が出た。

 プロジェクトアドミニストレーターの佐名木紬さんは、日本では廃棄物処理法をはじめとする基準が厳しく、自治体によっても異なるため、割り箸を「廃棄物」ではなく「有価物」として扱ってもらえるようになるまで、川崎市の担当者との協議に約1年かかったと明かした。その他にも、「カナダなら直接訪問して交渉すればすぐに話が進むが、日本ではまず訪問の許可を取ることから始まる」と、交渉の進め方の違いもあったと説明すると、生徒たちはなるほどとうなずいた。

 自分の将来を模索する中高生にとって、日本からカナダで働く佐名木さんの経歴は関心の対象だったようで、「なぜ日本からカナダに来たのか」といった質問も向けられた。

 「なんでこれが日本から始まらなかったんだろう」と、率直な疑問を口にしたのは高校生の山下陽耀さん。イベント後に話を聞くと、日本になじみのある割り箸にも関わらず、この取り組みが「バンクーバーからなのがおもしろい」と話し、身近な物事にもビジネスチャンスは広がっていると学んだという。将来は「英語を生かして日本と世界をつなぐ仕事をしたい」と目を輝かせた。

 同じく高校生の板橋ひとみさんは、英語だけでなくアントレプレナーシップを学べる点にひかれて今回のプログラムに参加したという。「日本でリサイクルというとプラスチックや紙のイメージが強かったので、木に着目しているのがおもしろいと思った」と話し、将来は「自分で未来を切り拓いていきたい」と力を込めて話した。

身近な割り箸から新たなビジネスが生まれる可能性を学んだ高校生の板橋ひとみさん(左)と山下陽耀さん。見学後、それぞれ将来への思いを語った。バンクーバー市、2026年8月6日。撮影:田上麻里亜/日加トゥデイ
身近な割り箸から新たなビジネスが生まれる可能性を学んだ高校生の板橋ひとみさん(左)と山下陽耀さん。見学後、それぞれ将来への思いを語った。バンクーバー市、2026年8月6日。撮影:田上麻里亜/日加トゥデイ

第二の人生を与えられるかもしれない

 グローバルマーケティングディレクターのアリソン・リーさんは「生徒たちが割り箸という『廃棄物』から何を生み出せるか、学ぶことに夢中になっている様子を見るのは、とてもうれしい」と笑顔を見せた。こういった活動を通じて「循環経済について次の世代に伝え、刺激を与えたい」と話した上で、「一番大事なのは、割り箸でこれができるなら、他の何を『第二の人生』に生かせるだろうかと考えるきっかけになることだ」と続けた。

 割り箸はあくまで一つの例で、埋め立てられるだけの資源は他にもたくさんあるとし、「次の世代が、毎日飲むコーヒーの搾りかすでも、身近な何かでも、これにも第二の人生を与えられるかもしれないと考えるきっかけになれば」と話した。

ChopValueの事業や使用済み割り箸の再利用について説明を受ける日本の中高生ら。バンクーバー市、2026年8月6日。撮影:田上麻里亜/日加トゥデイ
ChopValueの事業や使用済み割り箸の再利用について説明を受ける日本の中高生ら。バンクーバー市、2026年8月6日。撮影:田上麻里亜/日加トゥデイ

(取材 田上麻里亜)

合わせて読みたい関連記事

第50回パウエル祭 雨上がりの青空の下、多彩な日本文化を楽しむ

バンクーバー神輿の会「楽一」によるみこし。大人と子どもが威勢のよい掛け声とともに会場を歩き、祭りを盛り上げた。2026年8月1日、バンクーバー市。写真 加藤さくら/日加トゥデイ
バンクーバー神輿の会「楽一」によるみこし。大人と子どもが威勢のよい掛け声とともに会場を歩き、祭りを盛り上げた。2026年8月1日、バンクーバー市。写真 加藤さくら/日加トゥデイ
バンクーバー神輿の会「楽一」によるみこし。大人と子どもが威勢のよい掛け声とともに会場を歩き、祭りを盛り上げた。2026年8月1日、バンクーバー市。写真 加藤さくら/日加トゥデイ
バンクーバー神輿の会「楽一」によるみこし。大人と子どもが威勢のよい掛け声とともに会場を歩き、祭りを盛り上げた。2026年8月1日、バンクーバー市。写真 加藤さくら/日加トゥデイ

 今年も日系カナダ人コミュニティ最大のイベント「パウエル祭」が8月1日・2日、バンクーバー市オッペンハイマー公園周辺で開催された。1977年に始まったパウエル祭は、今年で第50回の節目を迎え、80以上のプログラム、60以上のクラフト・マーケット出店、20以上のフードブースを楽しむ来場者で大いににぎわった。

 開会式が行われた1日は、直前まで降り続いた雨が開幕を待っていたかのようにぴたりと上がり、太陽と青空の下、開会の幕が開いた。

政府・地域を越えて広く祝福

開会式であいさつする髙橋総領事。2026年8月1日、バンクーバー市。写真 加藤さくら/日加トゥデイ
開会式であいさつする髙橋総領事。2026年8月1日、バンクーバー市。写真 加藤さくら/日加トゥデイ

 開会式は先住民族のエルダーたちによる歓迎の言葉で幕を開けた。在バンクーバー日本国総領事館の髙橋良明総領事は「過去50年間でパウエル祭はカナダ最大かつ最長の歴史を持つコミュニティフェスティバルの一つへと成長した」と述べ、「日系カナダ人の歴史、文化、芸術表現を称えるとともに、あらゆる背景を持つ人々の友情と相互理解を育む大切な祭りになっている」と語った。

 バンクーバー・イースト選出のジェニー・クアン連邦議員は「30年近くパウエル祭に来続けている」と笑顔で明かした。そして、強制収容の歴史に触れ、「それでも今日、日系カナダ人コミュニティがここにあるのは、その強さと回復力があるからだ。歴史を忘れないからだ。そして、前を向き、歩み続けているからだ」と力強く語った。

開会式に出席した(左から)、マスクイアム族クリスティ・チャールズさん、BC州議会ジョアン・フィリップ議員代理タイラー・ピーターソンさん、ジェニー・クアン連邦議員、パウエル祭協会ラッセル・チョン会長、同協会ソフィー・ヤマウチ・ラティマー事務局長、在バンクーバー日本国総領事館・髙橋総領事、バンクーバー市ケン・シム市長、スコーミッシュ族デニス・ジョセフさん。2026年8月1日、バンクーバー市。写真 加藤さくら/日加トゥデイ
開会式に出席した(左から)、マスクイアム族クリスティ・チャールズさん、BC州議会ジョアン・フィリップ議員代理タイラー・ピーターソンさん、ジェニー・クアン連邦議員、パウエル祭協会ラッセル・チョン会長、同協会ソフィー・ヤマウチ・ラティマー事務局長、在バンクーバー日本国総領事館・髙橋総領事、バンクーバー市ケン・シム市長、スコーミッシュ族デニス・ジョセフさん。2026年8月1日、バンクーバー市。写真 加藤さくら/日加トゥデイ

  BC州政府からはアムシャン(ジョアン・フィリップ)州議会議員の事務所のタイラー・ピーターソンシニアアドバイザーがメッセージを代読し、バンクーバー市ケン・シム市長も「こんにちは」と日本語であいさつ。クアン議員が50周年を祝う祝辞状を、シム市長が8月1日を「パウエル・ストリート・フェスティバル・デー」とたたえる宣言書をそれぞれ贈呈するなど、開会式は各界からの祝福に包まれた。

1977年に産声を上げたパウエル祭も50周年

パウエル祭協会ソフィー・ヤマウチ・ラティマー事務局長。2026年8月1日、バンクーバー市。写真 加藤さくら/日加トゥデイ
パウエル祭協会ソフィー・ヤマウチ・ラティマー事務局長。2026年8月1日、バンクーバー市。写真 加藤さくら/日加トゥデイ

 パウエル祭は、第2次世界大戦中の強制収容によって故郷を奪われた日系カナダ人コミュニティの回復と文化を伝える祭りとして1977年に始まった。以来、カナダ最大規模の日系イベントへと成長し、今年で50回目の節目を迎えた。

 パウエル祭協会事務局長ソフィー・ヤマウチ・ラティマーさんは、50周年の節目の取り組みとして「今年は将来を見据えた新しいプログラムを多く用意しました。若い世代が参加し、つながりを深め、コミュニティに加わっていけるような場を作りたかった」と説明。バンクーバー日本語学校の各フロアには体験型プログラムや展示が詰め込まれ、来場者がつながりを築ける場となった。

 また今年はJapanese Canadian Legacies Society(JCLS)の助成を受けたプロジェクトの発表も充実。強制収容を経験した日系人の子孫たちが、家族の歴史・写真アルバムの展示など、それぞれの形で歴史を次の世代に伝えるプロジェクトが展開された。

家族の写真で辿る、強制収容の記憶

 バンクーバー日本語学校の4階では「My Great-Grandparents’ Farm」と題したインスタレーションが展示されていた。アーティストのミキ・ダーレイさんの曾祖父母はリッチモンドで果樹・野菜農場を営んでいたが、強制収容によって全てを奪われ、アルバータ州テイバーでの労働を強いられた。

「My Great-Grandparents’ Farm」で展示された写真を眺める来場者。写真の裏面には、強制収容によって農場を追われた曾祖父母や家族の歴史が記されている。2026年8月1日、バンクーバー市。撮影 日加トゥデイ
「My Great-Grandparents’ Farm」で展示された写真を眺める来場者。写真の裏面には、強制収容によって農場を追われた曾祖父母や家族の歴史が記されている。2026年8月1日、バンクーバー市。撮影 日加トゥデイ

 奪われた土地には現在100戸以上の住宅が建ち並んでおり、展示ではその写真を通して失われた暮らしを伝えている。展示された写真には、だるまが写っているものもあり、片目だけ入れてあるのは、会うことのなかった家族への願いを表しているのだという。

 会場を訪れた人々の多くは、この歴史を知らなかったという。「ある人に話したら、『それは本当に悲しい』と言ってくれた。でも別の人には『謝罪も補償金ももらったでしょう』と言われた」とダーレイさん。「曾祖父母も祖父母も、謝罪が行われる前に亡くなっていた。お金じゃなくて、生きているうちに謝罪の言葉を聞いてほしかったと、母はそう言っています。その痛みが社会に認められることのないまま、2人はずっとその痛みを抱えて生きていたんです」

日系カナダ人リドレス運動の末に連邦政府の謝罪と補償の合意書に署名した当時のNAJC会長だったアート・ミキさんのワークショップ。2026年8月1日、バンクーバー市。撮影 日加トゥデイ
日系カナダ人リドレス運動の末に連邦政府の謝罪と補償の合意書に署名した当時のNAJC会長だったアート・ミキさんのワークショップ。2026年8月1日、バンクーバー市。撮影 日加トゥデイ

 日本語学校の各フロアには、こうした日系カナダ人の歴史や記憶をテーマにした展示が並び、それぞれの形で歴史を伝えるプロジェクトが来場者を迎えた。こうした歴史や文化を次の世代、そして社会に発信し続けることもまた、半世紀にわたるパウエル祭の大きな役割の一つだ。

音楽・ダンス・食、日本文化があふれた2日間

 その他にも、毎年恒例の相撲や神輿をはじめ、太鼓・音楽・ダンス・武術のパフォーマンス、浴衣・生け花・手作り作品が並ぶクラフトマーケット、サーモンBBQの香りが漂うフードブースなど、日本文化があふれた2日間。その様子を写真とともに紹介する。

Sawagi Taikoによる演奏。迫力ある和太鼓の音色がダイヤモンドステージに響き、多くの来場者を魅了した。2026年8月1日、バンクーバー市。写真 加藤さくら/日加トゥデイ
Sawagi Taikoによる演奏。迫力ある和太鼓の音色がダイヤモンドステージに響き、多くの来場者を魅了した。2026年8月1日、バンクーバー市。写真 加藤さくら/日加トゥデイ
オッペンハイマー公園に設置されたメインステージで歌声を披露するサクラシンガーズ。2026年8月1日、バンクーバー市。写真 加藤さくら/日加トゥデイ
オッペンハイマー公園に設置されたメインステージで歌声を披露するサクラシンガーズ。2026年8月1日、バンクーバー市。写真 加藤さくら/日加トゥデイ
バンクーバー生け花協会による生け花展示。四季の草花を生かした作品が並び、日本の伝統文化の魅力を紹介した。2026年8月1日、バンクーバー市。写真 加藤さくら/日加トゥデイ
バンクーバー生け花協会による生け花展示。四季の草花を生かした作品が並び、日本の伝統文化の魅力を紹介した。2026年8月1日、バンクーバー市。写真 加藤さくら/日加トゥデイ
ヨーヨーに興味津々?! 日本の伝統玩具もブースを出していた。2026年8月1日、バンクーバー市。写真 加藤さくら/日加トゥデイ
ヨーヨーに興味津々?! 日本の伝統玩具もブースを出していた。2026年8月1日、バンクーバー市。写真 加藤さくら/日加トゥデイ
Hitotoseによる殺陣(たて)のパフォーマンス。刀を使った迫力ある演武で観客をわかせた。2026年8月1日、バンクーバー市。写真 加藤さくら/日加トゥデイ
Hitotoseによる殺陣(たて)のパフォーマンス。刀を使った迫力ある演武で観客をわかせた。2026年8月1日、バンクーバー市。写真 加藤さくら/日加トゥデイ
Sumo Sundaysによる相撲体験プログラム。参加者は基本動作を学びながら相撲に挑戦。翌日にはオッペンハイマー公園の土俵で相撲大会が行われた。2026年8月1日、バンクーバー市。写真 加藤さくら/日加トゥデイ
Sumo Sundaysによる相撲体験プログラム。参加者は基本動作を学びながら相撲に挑戦。翌日にはオッペンハイマー公園の土俵で相撲大会が行われた。2026年8月1日、バンクーバー市。写真 加藤さくら/日加トゥデイ

(取材 田上麻里亜/写真 加藤さくら)

合わせて読みたい関連記事

W杯日本代表第2戦チュニジアに大勝 バンクーバーファンフェスも大盛り上がり!

試合前、ステージの司会者が「Japan!」「Tunisia!」と観客に呼びかけると、サポーターたちが歓声で応えた。日本への声援は圧倒的で、会場はサムライブルーの熱気で満ちた。2026年6月20日、バンクーバー市。撮影 田上麻里亜/日加トゥデイ
試合前、ステージの司会者が「Japan!」「Tunisia!」と観客に呼びかけると、サポーターたちが歓声で応えた。日本への声援は圧倒的で、会場はサムライブルーの熱気で満ちた。2026年6月20日、バンクーバー市。撮影 田上麻里亜/日加トゥデイ
FIFAファンフェスティバルバンクーバー会場で日本代表の勝利に沸くサポーターたち。2026年6月20日、バンクーバー市。Photo credit: FIFA Fan Festival Vancouver
FIFAファンフェスティバルバンクーバー会場で日本代表の勝利に沸くサポーターたち。2026年6月20日、バンクーバー市。Photo credit: FIFA Fan Festival Vancouver

 日本代表は6月20日、メキシコのエスタディオ・モンテレイでFIFAワールドカップ2026北中米大会グループF第2戦でチュニジアを4対0で撃破した。W杯通算1000試合目という節目に、W杯1試合最多得点記録を更新する歴史的な勝利を飾った。

 日本の大勝利に、バンクーバーのFIFAファンフェスティバル会場も、この夜はサムライブルーへの歓声が響き渡った。

監督交代のチュニジアを圧倒、日本代表が4発完封

 初戦のスウェーデン戦に1対5で大敗し、大会中に監督交代という異例の事態に陥ったチュニジア。試合展開の予測が全くつかない中、日本は開始わずか4分で試合を動かした。まずはゴール前へ走り込んだ鎌田大地が左足で合わせ先制、オランダ戦に続く2試合連続ゴールを決めると、31分には上田綺世がペナルティーエリアのライン付近からボレーシュートで2点目、2対0で前半を折り返した。

 後半も日本の勢いは止まらなかった。69分、田中碧のパスを受けた上田が華麗なフリックで相手ラインの裏へ落とすと走り込んだ伊東純也が今大会初ゴール。そして83分には、伊東のスルーパスから佐野海舟が右からクロスを上げると上田がヘディングで逆サイドに流し込むみ、4点目と勝利を決定づけた。

 2010年大会のデンマーク戦を超える日本のW杯史上最多となる4点目で日本人初の1試合複数得点という新記録も生まれた今回の試合。「W杯通算1000試合目の記念試合で勝利を飾れて大変うれしい」と森保一監督。勝ち点4でグループF暫定2位に浮上し、第3戦への弾みをつけた。

歴史的大勝にファンフェスティバルでも喜びの声

試合前、ステージの司会者が「Japan!」「Tunisia!」と観客に呼びかけると、サポーターたちが歓声で応えた。日本への声援は圧倒的で、会場はサムライブルーの熱気で満ちた。2026年6月20日、バンクーバー市。撮影 田上麻里亜/日加トゥデイ
試合前、ステージの司会者が「Japan!」「Tunisia!」と観客に呼びかけると、サポーターたちが歓声で応えた。日本への声援は圧倒的で、会場はサムライブルーの熱気で満ちた。2026年6月20日、バンクーバー市。撮影 田上麻里亜/日加トゥデイ

 遠くメキシコで繰り広げられた歴史的な一戦を、バンクーバーのファンたちも共に見届けた。

 カナダ・メキシコ・アメリカの3カ国13都市で展開されているW杯公式ファンイベント、FIFAファンフェスティバル。入場無料のバンクーバー会場はヘイスティングスパーク(PNE会場)で、ライブミュージックや地元グルメ、体験型アクティビティも充実している。試合日には収容1万人の野外ステージで試合をライブ中継するほか、有料の予約制着席エリアも設けられている。

浴衣姿で観戦するファンも。ファンフェスティバルには日本ならではの雰囲気も漂った。2026年6月20日、バンクーバー市。撮影 田上麻里亜/日加トゥデイ
浴衣姿で観戦するファンも。ファンフェスティバルには日本ならではの雰囲気も漂った。2026年6月20日、バンクーバー市。撮影 田上麻里亜/日加トゥデイ

 試合時間が近づくにつれ、野外ステージにはサムライブルーのユニフォームを着たサポーターが続々と集まり、中には浴衣や祭りの法被姿で訪れる人たちの姿も。会場内では、試合前から「ニッポン!チャチャチャ」と、日本でお馴染みの応援コールが起きるなど熱気があふれ、開始時には歩くのもやっとなほど満員となった。会場内の公式グッズショップでは日本のユニフォームが数日前からすでに完売状態で次の入庫を待つ状況だという。

 友人たちと第1戦のオランダ戦に続いて参加したというバンクーバー在住6年の留学生は、「中村選手に期待している。5対0で勝ってほしい」と目を輝かせた。取材中に選手入場のアナウンスが流れると、声をかき消されるほどの歓声が上がり、待望のキックオフを迎えた。日本のゴールのたびに会場はどっと沸き、日本の国旗を掲げハイタッチを交わすサポーターの姿で会場は盛り上がった。

試合を待ちきれない様子のバンクーバー在住の留学生たち。2026年6月20日、バンクーバー市。撮影 田上麻里亜/日加トゥデイ
試合を待ちきれない様子のバンクーバー在住の留学生たち。2026年6月20日、バンクーバー市。撮影 田上麻里亜/日加トゥデイ

 試合後半に訪れた会場内のパークステージエリアには、日本のサポーターだけでなく様々な国のファンたちが芝生に腰を下ろして試合を見守っていた。

 大阪と東京からそれぞれ仕事を休んで駆けつけたという男性2人組は、第1戦のオランダ戦はアメリカ・ダラスの現地スタジアムで観戦し、第2戦のチケットが取れなかったためバンクーバーのファンフェスティバルへ。翌日には帰国予定という。

 3点目が入った直後のインタビューに、「日本は2回戦に弱いイメージがある」と話しながらも、「この試合は問題ないかな」と笑顔を見せた。JFA公式によると、日本がグループステージ第2戦で勝利したのは2002年日韓大会のロシア代表戦以来。試合前から「鬼門の第2戦」と言われていたが、この日はその壁を乗り越え、24年ぶりの勝利となった。

 試合終了のホイッスルが鳴ると、会場は大きな歓声と拍手に包まれた。「Team Japan!」と声を上げながら帰路につくサポーターたちの姿が会場にあふれ、勝利の興奮が夜のヘイスティングスパークに広がった。

ノースバンクーバーのカナダ・サッカーハウスにも日本を応援するファンが

 ノースバンクーバー市ではカナダサッカー協会が主催するカナダ・サッカーハウスでファンフェスティバルが開催されている。開催日は13日間と少ないが、カナダ代表の試合を中心に、ロンズデールキーのピアに設置された会場では、トロントとバンクーバーで行われる試合に合わせてパブリックビューイングも開かれている。

 20日はトロントで行われたドイツ対コートジボワール(グループE)を中心に4試合。最後が午後9時の日本対チュニジアの試合だった。会場にはまだドイツのユニフォームを着たファンもいたが、日本がゴールを決めると大きな歓声と日の丸が上がった。

 次戦は6月25日、スウェーデンと対戦する。引き分け以上で3大会連続の決勝トーナメント進出が確定し、敗れた場合もグループ3位からの突破の可能性が残る。その場合は、かなり低い確率だが7月2日に日本代表がバンクーバーで試合する可能性がある。2位以上を確定してほしくもあり、バンクーバーにも来てほしいというジレンマを抱えて25日は観戦することになりそうだ。

ブリティッシュ・コロンビア州ノースバンクーバー市のカナダ・サッカーハウスで行われたパブリックビューイング日本対チュニジア。日本がゴールを決め喜ぶファン。2026年6月20日、ノースバンクーバー市。撮影 日加トゥデイ
ブリティッシュ・コロンビア州ノースバンクーバー市のカナダ・サッカーハウスで行われたパブリックビューイング日本対チュニジア。日本がゴールを決め喜ぶファン。2026年6月20日、ノースバンクーバー市。撮影 日加トゥデイ

(取材 田上麻里亜/編集 三島直美)

合わせて読みたい関連記事

渡辺直美、初のバンクーバー公演 英語で挑む新たな笑い

ショーの最後に急きょ観客全員に撮影OKの時間が...。SNSでのシェアもと。渡辺さんは、バンクーバー公演後、自身のSNS(Instagram)に「もっと大きくなって必ず帰ってきます」と投稿した。2026年6月13日、バンクーバー市。撮影 田上麻里亜/日加トゥデイ
ショーの最後に急きょ観客全員に撮影OKの時間が...。SNSでのシェアもと。渡辺さんは、バンクーバー公演後、自身のSNS(Instagram)に「もっと大きくなって必ず帰ってきます」と投稿した。2026年6月13日、バンクーバー市。撮影 田上麻里亜/日加トゥデイ
北米ツアー「Naomi Watanabe: From Tokyo」のバンクーバー公演に出演した渡辺直美さん。2026年6月13日、バンクーバー市。 Photo credit: S. Ace Suasola
北米ツアー「Naomi Watanabe: From Tokyo」のバンクーバー公演に出演した渡辺直美さん。2026年6月13日、バンクーバー市。 Photo credit: S. Ace Suasola

 ビヨンセのダンスパフォーマンスで一躍人気を集め、日本のお笑い界を代表する存在となった渡辺直美さん。現在は活動拠点をニューヨークに移し、英語によるスタンドアップコメディに挑戦している。

 その渡辺さんが6月13日、北米18都市を巡るツアー「Naomi Watanabe “FROM TOKYO”」の最終公演をバンクーバー市「Vogue Theatre」で行った。初のバンクーバー公演は2公演とも完売。北米ツアーの締めくくりにふさわしい夜となった。

「日本のビヨンセ」からスタンドアップコメディアンへ

 渡辺さんは2007年のデビュー以来、ビヨンセのダンスパフォーマンスで爆発的な人気を得た。お笑い芸人として人気を集める一方、映画やドラマ、ファッション分野にも活動の場を広げ、アパレルブランド「PUNYUS(プニュズ)」のプロデュースも手掛けた。インスタグラムのフォロワー数は985.4万人に上る。

 日本で確かな人気を築く中、2021年に選んだ新たな舞台がニューヨークだった。

 アメリカで挑戦しているのがスタンドアップコメディ。日本のコントやモノマネとは異なり、マイク1本で観客を笑わせるアメリカ独自のお笑い文化だ。言語も文化も異なる環境に飛び込み、英語でステージに立ち続けている。

 2023年には全米7都市を巡るライブツアーを実施。2024年にはニューヨークで初の単独スタンドアップ公演を開き、チケットは発売後数分で完売したという。

 北米での活動が軌道に乗る中、今年2月には東京ドームで単独公演「渡辺直美(20)in 東京ドーム」を開催。販売されたチケット44,356枚は、「女性ソロコメディアンによるコメディーショーで販売されたチケットの最多枚数」としてギネス世界記録に認定された。

 その直後にスタートしたのが北米18都市ツアー「Naomi Watanabe “FROM TOKYO”」。バンクーバーはその締めくくりの舞台となった。

「英語はベイビースタイル」

ショーの最後に急きょ観客全員に撮影OKの時間が...。SNSでのシェアもと。渡辺さんは、バンクーバー公演後、自身のSNS(Instagram)に「もっと大きくなって必ず帰ってきます」と投稿した。2026年6月13日、バンクーバー市。撮影 田上麻里亜/日加トゥデイ
ショーの最後に急きょ観客全員に撮影OKの時間が…。SNSでのシェアもと。渡辺さんは、バンクーバー公演後、自身のSNS(Instagram)に「もっと大きくなって必ず帰ってきます」と投稿した。2026年6月13日、バンクーバー市。撮影 田上麻里亜/日加トゥデイ

 夜7時からの公演は、日本人と外国人の観客が半々といった様子だった。登場前から「今日はどんな服を着てくるかな」という期待の声が上がる中、渡辺さんが姿を現した瞬間、会場は一気に沸き上がり、日本の国旗を掲げるファンもいた。「過去に私のツアーに来たことがある人は?」という問いかけに手を挙げたのはわずか1人。それにもかかわらず、会場の盛り上がりは知名度の高さを物語っていた。

 ネタの軸は日本と北米の文化の違い。知らない人が突然話しかけてくるスモールトークの文化や、トイレの個室にある謎の隙間など、ニューヨークでの暮らしの中で感じた戸惑いを次々と笑いに変えていった。スタンドアップコメディとは言え、ただ話すだけではない。驚いた表情で舞台を走り回り、時には身をかがめながら、その場面を全身で再現する。マイク1本のスタンドアップコメディながら、全身を使ったパフォーマンスは、渡辺さんが日本で築いてきた芸風を思わせた。

 「私の英語はベイビースタイル」。そう笑った渡辺さんだが、公演のほとんどを英語で進行した。ときには、「えー!」「うそー!」と思わず日本語が飛び出す。それさえも笑いに変える。表情や動き、間合いを自在に操り、笑いを生み出す姿は、笑いに言語の壁などないと証明しているようだった。

「あなたの選択はいつだって正しい」夢を追う若者へ

 公演の中では台湾出身の母のことも語られた。シングルマザーで外国である日本に来てゼロから始めたことと自身が外国であるニューヨークでゼロから挑戦したことを重ね合わせ、「怖かった」母親のことをユーモアたっぷりに語った。

 後半には客席との質疑応答コーナーも。マイクを握ったのは、16歳でカナダに移住し、バンクーバーで俳優を目指しているという女性。「日本で成功してからニューヨークでゼロから始めた渡辺さんに背中を押されてきた。毎日前に進む力はどこから来るのか」。そう話し始めた女性は言葉を続けるうちに涙を流した。

 渡辺さんは少し考えた後、「つらいことはある。でも私はコメディアンだから、嫌なことが起きても全部ネタに変える。この人生はあなただけのもの。あなたがこれまで選んできたことは、いつだって正しい」と言葉をかけた。観客が静かに聞き入る中、渡辺さんはそう語り終えるやいなや「What do you think? Good, right?」と逆に問いかけ、会場を笑いに引き戻した。

 公演後も余韻は続いた。日本人の友人に連れられてきたというメキシコ人留学生は「彼女はユニークで、特別で、何でもあり」と興奮した様子で話し、日本人留学生の女性は「英語であんなにおもしろく話ができるなんてすごすぎる」と絶賛した。反響はSNSのX(旧Twitter)にも広がった。投稿では、日本人が英語でスタンドアップコメディに挑戦していることへの驚きや、英語のみで大勢の観客を魅了するパフォーマンスへの称賛の声が見られた。

 日本でトップスターとなりながら、ニューヨークでは再び英語で笑いを学ぶ一人のコメディアン。その姿に胸を打たれた人も少なくなかったようだ。「絶対またバンクーバーに来る」と宣言した渡辺さん。バンクーバーで次の公演を期待するファンも多いにちがいない。

北米ツアー最終日のステージを終えた渡辺さんが観客と記念撮影。この日の2公演はいずれも完売だった。2026年6月13日、バンクーバー市。Photo credit: S. Ace Suasola
北米ツアー最終日のステージを終えた渡辺さんが観客と記念撮影。この日の2公演はいずれも完売だった。2026年6月13日、バンクーバー市。Photo credit: S. Ace Suasola

(取材 田上麻里亜)

合わせて読みたい関連記事

55年の世代を超えて グラッドストーン日本語学園祝賀同窓会

創立55周年を祝うケーキ。卒業生や髙橋良明総領事などに囲まれ、笑顔を見せる村上陽子学園長(右から4番目)。2026年5月30日、日系文化センターホール。写真提供 グラッドストーン日本語学園
創立55周年を祝うケーキ。卒業生や髙橋良明総領事などに囲まれ、笑顔を見せる村上陽子学園長(右から4番目)。2026年5月30日、日系文化センターホール。写真提供 グラッドストーン日本語学園

 バンクーバー市のグラッドストーン通りで1971年に生まれたグラッドストーン日本語学園は今年創立55周年を迎えた。

 午前中の曇り空がパッと晴れた5月30日の午後、バーナビー市の日系文化センター・博物館の大ホールに約180人の卒業生、保護者、関係者が集い、祝賀同窓会が開かれた。50周年は新型コロナウイルス禍のため開催できず、前回の同窓会から15年ぶりとなった特別な日。再会を喜ぶ笑顔が会場で輝いた。

55年間の卒業生・保護者・関係者約180人が一堂に会して記念撮影。2026年5月30日、日系文化センターホール。写真提供 グラッドストーン日本語学園
55年間の卒業生・保護者・関係者約180人が一堂に会して記念撮影。2026年5月30日、日系文化センターホール。写真提供 グラッドストーン日本語学園

リビングルームから始まった55年

 グラッドストーンの名前の由来は「寺子屋式に我が家で始めたのがグラッドストーン通りだったから」と村上陽子学園長はかつて振り返っている。当時の机は学園長の夫が手作りしたものだった。生徒が増えるにつれ教室は自宅から公民館、公立学校、教会など7度の移転を重ねた。「七転び八起きの8回目に、ナショナル日系博物館・日系ヘリテージセンター(日系文化センター・博物館の開館当時の名称)から『センターに移転しませんか』とお声がかかった時は夢ではないかと思った」という。

 これまでに小学科・中学科・高等科合わせて約2,000人が卒業し、現在は約50人の卒業生の子どもたちが日本語を学習している。参加者たちは、会場の壁にずらりと展示された創立当初からの写真を眺めながら思い思いに歴史を振り返っていた。

会場の壁に展示された「55年間のあゆみ 1971〜2026」。1970年代から年代別に並べられた写真や資料の前で、来場者たちが思い思いに言葉を交わした。2026年5月30日、日系文化センターホール。写真提供 グラッドストーン日本語学園
会場の壁に展示された「55年間のあゆみ 1971〜2026」。1970年代から年代別に並べられた写真や資料の前で、来場者たちが思い思いに言葉を交わした。2026年5月30日、日系文化センターホール。写真提供 グラッドストーン日本語学園

 司会を務めたのは1期生で1976年卒業の若林ケーシー良宏さん。開始前には「とても緊張します」と笑っていたが、式典が始まると終始和やかな雰囲気で進行し、参加者をひとつにつないだ。

 また、スライドショーも上映され、白黒写真から始まる55年分の記録が会場に流れた。白黒写真を見た卒業生が「これ、私たちの世代だよ」と村上学園長に声をかけると、驚きながら懐かしそうにうなずいた。

子どもの頃には見えなかったもの

卒業生を代表してあいさつした森永正雄さん。2026年5月30日、日系文化センターホール。写真提供 グラッドストーン日本語学園
卒業生を代表してあいさつした森永正雄さん。2026年5月30日、日系文化センターホール。写真提供 グラッドストーン日本語学園

 卒業生を代表して、3人が学園での思い出を語った。その一人、2001年卒業の森永正雄さんは「ハイスクールに入ると、自分のアイデンティティについて深く悩むようになり、言語学校に通うことがあまりかっこいいことではないと感じる時期もあった」と当時の正直な気持ちを打ち明けた。

 しかし学園に来ると、そこには「森ちゃん」と呼んでくれる仲間がいた。カナダの学校では名字で呼ばれることはなく、もちろん家庭内でも同じだ。日本語の文化の中でしか生まれない「森ちゃん」という呼び名は、学園の中にしか存在しないアイデンティティだったと振り返る。大人になった今、弁護士として毎日日本語を使いながら「言語とはアイデンティティを作るもの」だと確信するようになったという。

 「日本語教育で何より大切なことは、自分のアイデンティティを育てること。そして一緒に成長していく友達と、心と愛情がこもったあだ名で呼び合うことだ」と語り、「AIに森ちゃんと呼ばれても、ちっともうれしくない」という言葉に会場は笑いに包まれ、深くうなずく参加者の姿もあった。

 この日はさまざまな世代の卒業生が集まった。2022年に卒業したばかりのグラス海さんは「こんなに長く続いてきた学園の歴史の一部であることがうれしい。1971年から続く卒業生たちをこうやって見ていることも本当に驚き」とグラッドストーンの55年の長い歴史を感じた。6歳頃から通い続け、今年8月からは日本で英語指導助手として働く予定だ。

 同年卒業の加藤さくらさんも「大学で日本からの留学生と日本語で話せた時、やっぱり勉強してよかったなって思った。日本の親戚とも話せるし、日本語がここ(カナダ)と日本の架け橋になっている」と話す。当時は漢字の勉強や言葉ノートの宿題が大変だったと振り返りながらも、「あの言葉ノートの独特なデザイン、昔と今で全然変わってないんだなって」と、グラスさんと顔を見合わせて笑った。

 昨年のグラッドストーン日本語学園第54回卒業式で、村上学園長はこんな言葉を卒業生に贈っていた。

 「卒業はゴールではなく通過点。自分の力を信じて、あきらめずに続けてほしい」。

 子どもの頃には見えなかった日本語学習の意味に、それぞれが歳月をかけてたどり着いていた。

次の100年へ向けての助走期間

祝辞で学園と教師の力をたたえた髙橋良明総領事。2026年5月30日、日系文化センターホール。写真提供 グラッドストーン日本語学園
祝辞で学園と教師の力をたたえた髙橋良明総領事。2026年5月30日、日系文化センターホール。写真提供 グラッドストーン日本語学園

 在バンクーバー日本国総領事館の髙橋良明総領事は祝辞で「日本語は忍耐を必要とする言葉。日本の外で学び続けることは本当に難しい」と、子どもたちを支えている学園と教師の力をたたえた。「先生、生徒、保護者の皆さまが1年、また1年と積み重ねてこられた歩みが、今日の55周年につながっている」と語り、50周年の次は60周年と思う人もいるかもしれないが、1年1年を大切に積み上げてきたこの学園にとって、55周年は通過点ではない大切な期間。50周年からのこの5年間を「次の100年に向かっての助走期間ではないか」と表現した。

 また、勤続15年以上の教職員への感謝状贈呈も行われた。長年にわたり同じ教室で支え続けてきた教職員に、会場からは温かい拍手が送られた。

「青は藍より出でて藍より青し」

卒業生を代表してバンクス安里子さんから村上陽子学園長に花束を贈る。2026年5月30日、日系文化センターホール。写真提供 グラッドストーン日本語学園
卒業生を代表してバンクス安里子さんから村上陽子学園長に花束を贈る。2026年5月30日、日系文化センターホール。写真提供 グラッドストーン日本語学園

 あいさつした村上学園長は感無量の様子で、冒頭から何度も言葉を詰まらせた。それでも、大人になった卒業生たちの顔を確かめながら、「教えていた頃の面影が蘇り、懐かしさと喜びで胸がいっぱいになった」と力強い声で話した。涙をこらえながら語るその表情には、うれしさと強い誇らしさが表れていた。

 公民館、教会、学校と場所を変えながら、それでも子どもたちと歩みを止めなかった55年。創立当初の生徒が今日の式典を支えてくれている姿を見て、弟子が師を超えるという意味を持つ「青は藍より出でて藍より青し」ということわざを重ね、晴れやかな笑顔を見せた。そして卒業生の中に孫が生まれたという話を耳にしたと話し、「私にとってはひ孫になるんですよね。その子がいつか学園に来てくれるまで元気でいたい」と笑顔で語った。

 「私は子どもたちのパワーをもらっています。いつもだからこうして元気でいられる。子どもとの会話が私を元気づけてくれるんですね。だから毎日私は家を出る時、こう言うんです。『楽しいとこ行ってきます』」と。

 「みなさんとまた会えることを楽しみにしています。ぜひ日系センターに遊びに来てください」。卒業生たちの顔を見渡しながら閉会の言葉を述べた村上学園長。55年の歩みに感謝を込めて会場から大きな拍手が沸き起こった。

今年度の高等科・中学科卒業生有志によるソーラン節の披露。力強い踊りに大きな拍手が送られた。2026年5月30日、日系文化センターホール。写真提供 グラッドストーン日本語学園
今年度の高等科・中学科卒業生有志によるソーラン節の披露。力強い踊りに大きな拍手が送られた。2026年5月30日、日系文化センターホール。写真提供 グラッドストーン日本語学園
卒業生と保護者による琴の演奏「さくら舞曲」。和やかな音色が会場を包んだ。2026年5月30日、日系文化センターホール。写真提供 グラッドストーン日本語学園
卒業生と保護者による琴の演奏「さくら舞曲」。和やかな音色が会場を包んだ。2026年5月30日、日系文化センターホール。写真提供 グラッドストーン日本語学園

(取材 田上麻里亜)

合わせて読みたい関連記事

メアリー・キタガワさん旭日単光章受章、日系カナダ人の誇りを胸に

旭日単光章を胸に、両手に余るほどの大きな花束を髙橋総領事とともに持つ、キタガワさん。2026年5月22日、バンクーバー市。写真 斉藤光一/日加トゥデイ
旭日単光章を胸に、両手に余るほどの大きな花束を髙橋総領事とともに持つ、キタガワさん。2026年5月22日、バンクーバー市。写真 斉藤光一/日加トゥデイ
勲章を手に記念撮影するメアリー・キタガワさん(左)と髙橋良明総領事。2026年5月22日、バンクーバー市。写真 斉藤光一/日加トゥデイ
勲章を手に記念撮影するメアリー・キタガワさん(左)と髙橋良明総領事。2026年5月22日、バンクーバー市。写真 斉藤光一/日加トゥデイ

 「傍観者になるな。声なき人々のために立ち上がれ」。父からそう教わって生きてきたと語るメアリー・キタガワさんは、日系カナダ人の権利の回復に半生をささげてきた。

 その功績がたたえられ、日本政府が2025年11月に発表した令和7(2025)年秋の外国人叙勲で旭日単光章を受章した。そして今年5月22日に、在バンクーバー日本国総領事館公邸で伝達式が行われ、髙橋良明総領事からキタガワさんに勲章が手渡された。国旗「日の丸」を象徴する日章を中心に旭光を配したそのデザインは「旭日昇天」の意気を示すとされる。信念を貫き歩み続けた証が、キタガワさんの胸に輝いた瞬間だった。

約2万2千人の奪われた日常

 1934年にブリティッシュ・コロンビア州ソルトスプリング島で生まれたキタガワさんは幼少期に日系カナダ人約22,000人が強制収容を余儀なくされた歴史を身をもって経験した。1941年12月、日本軍のハワイ真珠湾攻撃を機に、カナダ政府は戦時措置法のもとで日系人を強制収容し、財産を没収した。戦争が終わっても強制収容は1949年3月31日まで続き、奪われた土地や家は生涯日系人の手に戻ることはなかった。

 日系カナダ人が受けた差別と被害は、長年認められることはなかった。しかしキタガワさんは、沈黙を選ばなかった。1980年代にはカナダ政府に対して公式謝罪と補償を求める「リドレス運動」に参加、国内各地の大会・学校・地域イベントなど各地で強制収容の歴史を証言し続けた。リドレス運動は、1988年、連邦政府の謝罪と補償として実を結んだ。

 キタガワさんは、その後もさらなる取り組みへと歩みを広げていく。2006年にはバンクーバーに完成した新建築物に日系強制収容に深く関わったとされる元国会議員の名前が付けられることを知り、猛抗議した。その後建物は改称された。また、強制収容のため1942年にブリティッシュコロンビア大学(UBC)から追われた76人の日系カナダ人学生への名誉学位授与を求めて活動。当初は提案が却下されたものの4年間にわたる働きかけの末、2012年に授与式を実現させた。

 差別と向き合い、声を上げ続けたキタガワさんの数々の活動は、カナダと日本の両国から評価されてきた。BC州勲章(Order of British Columbia)、エリザベス女王2世ダイヤモンドジュビリー勲章️(Queen Elizabeth II Diamond Jubilee Medal)、UBC名誉学位(Honorary Degree from the University of British Columbia)、日本外務大臣表彰。そして今回、旭日単光章を受章した。

 髙橋総領事は、キタガワさんの活動が日系カナダ人だけでなく、カナダ社会全体に恩恵をもたらしたと賞賛。「差別は安定した時代には見えにくいが、不確実性や恐怖、危機が訪れた時に社会の脆弱性として現れる」と語り、「リドレス運動がなければ、カナダはこの歴史の一章と向き合うことはなかったかもしれない」と、一市民として差別そのものと闘い続けたキタガワさんの歩みを深く称えた。

「父と母の記憶にささげたい」

勲章を胸にスピーチするキタガワさん。受章の実現に尽力してくれた一人ひとりへの感謝を丁寧に言葉にした。2026年5月22日、バンクーバー市。写真 斉藤光一/日加トゥデイ
勲章を胸にスピーチするキタガワさん。受章の実現に尽力してくれた一人ひとりへの感謝を丁寧に言葉にした。2026年5月22日、バンクーバー市。写真 斉藤光一/日加トゥデイ

 勲章を受け取ったキタガワさんがスピーチで最初に口にしたのは感謝の言葉だった。

 受章の実現に尽力してくれた人たち、式を支えたスタッフ、送迎を担当しているドライバーまで、一人ひとりの名前を丁寧に挙げていった。長年ともに歩んできた夫トシュ・キタガワさんについては「縁の下の力持ち」と称え、自分たちが成し遂げてきたことの原動力だったと語った。

 「正しいことだからやってきただけで、このような章をいただけるとは思っていなかった。自分の賞賛のために行っているわけではない」と、真っ直ぐな瞳で話したキタガワさん。その言葉は、感謝を真っ先に伝えようとしたスピーチの姿そのものだった。

 受章の知らせを3年間誰にも言えなかったと明かして笑いを誘う場面もあったが、「この栄誉を、父と母の記憶にささげたいと思います」と話し始めると、言葉を詰まらせた。涙をこらえながら語ったのは、父が生涯繰り返し伝えてきた「傍観者になるな。声なき人々のために立ち上がれ」という言葉。不正義を前にして沈黙せず、声を持たない人々のために立ち上がること、その教えがキタガワさんの活動のすべての原点にあったと語った。

 式典で乾杯の音頭を取ったUBC歴史学准教授ヘンリー・ユーさんは、キタガワさんを「誠実さと思いやりを同時に体現している人物」と称えた。そんなキタガワさんの姿が、このスピーチにも色濃く表れていた。

カナダ人として、日本人として

「縁の下の力持ち」とたたえた夫のトッシュさん(左)とメアリーさん夫妻。共に歩んだ活動が、この日の受章につながった。2026年5月22日、バンクーバー市。写真 斉藤光一/日加トゥデイ
「縁の下の力持ち」とたたえた夫のトッシュさん(左)とメアリーさん夫妻。共に歩んだ活動が、この日の受章につながった。2026年5月22日、バンクーバー市。写真 斉藤光一/日加トゥデイ

 伝達式に先立ち行われたインタビューでは、家族の中で日本生まれは父だけだったが、「自分は部分的に日本人でもある」という感覚を生涯持ち続けていると話した。その思いが最も鮮明になったのは、初めて日本を訪れた時だったという。父の生まれた部屋に立った瞬間、「足元から根が生えてくるような感覚があった」と語り、カナダに生まれながらも自分が日本に属していると強く実感した瞬間だったと話した。

 現在の日系カナダ人コミュニティについては、「以前はなかった法律ができた今、差別はもうできない」と述べ、自身が子どもの頃は全ての法律は自分たちに不利なものだったと振り返り、両親や祖父母の世代がいかに困難な時代を生きたかを語った。「今は自由に何でもできる、子どもの頃とはまったく違う世界になった」。その変化がどれほど遠い道のりだったか、キタガワさん自身が誰よりもよく知っている。

 次世代へのメッセージを聞くと「日系カナダ人にまず伝えたいのは、自分たちはカナダ人だということ。そして日本にルーツを持つことを誇りに思ってほしい」と力を込めた。孫たちの中には見た目が白人に見える子も多く、日系だと言っても友人に信じてもらえないこともあるそうだ。それでも自分が日系であることを証明しようと、誇りを持って主張し続けている孫の姿が「とてもうれしい」と優しく微笑みながら話した。

 そして最後に、「常に勇気を持って自分の物語を語ってほしい」と続けた。差別を目にした時、声を上げられない人たちのために立ち上がってほしいと語るその言葉は、父から受け継いだものだ。「傍観者になるな。声なき人々のために立ち上がれ」――キタガワさんはその言葉を、今日も次世代に伝え続ける。

キタガワさんを囲み、集まった関係者たちと記念撮影。会場には終始温かな雰囲気が漂っていた。2026年5月22日、バンクーバー市。写真 斉藤光一/日加トゥデイ
キタガワさんを囲み、集まった関係者たちと記念撮影。会場には終始温かな雰囲気が漂っていた。2026年5月22日、バンクーバー市。写真 斉藤光一/日加トゥデイ

(取材 田上麻里亜/写真 斉藤光一)

合わせて読みたい関連記事

「女性だけの問題ではない」National Council of Women of Canada会長ペニー・ランキン氏に聞く、今の社会課題

人身売買に反対する抗議活動の様子。中央がペニー・ランキン会長。2020年2月、モントリオール。提供:National Council of Women of Canada
人身売買に反対する抗議活動の様子。中央がペニー・ランキン会長。2020年2月、モントリオール。提供:National Council of Women of Canada

 「権利、正義、行動。すべての女性と少女のために」。3月7日の国際女性デー2026年はこのテーマで、女性の権利やジェンダー平等について各地でさまざまな活動が行われた。

 カナダで130年以上の歴史を持つ「National Council of Women of Canada(NCWC)」は、女性の権利をめぐる課題に長く向き合ってきた団体の一つだ。創設期から教育や医療へのアクセス、法的権利の向上にも取り組み、現在も政策提言を通じて社会課題の改善を目指している。

 今回は同団体会長ペニー・ランキン氏に、団体の歩みと活動、そしてカナダ社会が直面する現在の課題について聞いた。

女性の権利を守る130年以上の取り組み 市民の声を政策へ

ー NCWCはどのような歴史を持つ団体ですか

 「NCWCには133年の歴史があります。1880年代にアメリカで開かれた一連の会合をきっかけに設立されました。当時の女性たちが、国際的にどのように連携し活動していくかを話し合うために、遠方から会議に参加していたと考えると、本当に驚くべきことです。

 創設者であるレディ・アバディーンの関心は、女性参政権運動だけにあったわけではありません。女性が投票権を持つことを支持していたのは確かですが、彼女が特に重視していたのは、女性が教育を受ける機会や仕事を得る機会、そして医療や法的権利へのアクセスの改善でした。

NCWCの創設メンバーと創設者レディ・アバディーン。NCWCアーカイブより。提供:National Council of Women of Canada
NCWCの創設メンバーと創設者レディ・アバディーン。NCWCアーカイブより。提供:National Council of Women of Canada

 その例として、ブリティッシュ・コロンビア州に関わるエピソードがあります。1890年代、バンクーバーの女性たちが(ノバスコシア州)ハリファックスで開かれた総会に参加し、州の農村地域で女性が医療にアクセスしにくいという問題を提起しました。

 この会議をきっかけに、女性たちに看護教育を行う全国的なネットワークを作る構想が生まれ、『Victoria Order of Nurses』が設立されました。看護学校のネットワークを通じて医療サービスを広げ、カナダ全体に看護ケアを届けようという取り組みでした。この活動は現在も続いています。

 しかし、それから130年以上がたった今でも、カナダでは遠隔地に住む女性が医療にアクセスしにくいという問題が残っています。

 この活動に関わる中で強く感じるのは、女性や少女、そして人種的・社会的に周縁化された(主流から外されることで不利益を受ける)コミュニティを取り巻く課題が、今も数多く残っているということです。私たちは権利を守り続けるために、声を上げ続けなければなりません。そうしなければ、その権利は失われ、無視されてしまうからです」

女性参政権から80年 前進と今も残る課題

ー女性の権利を前進させた転換点はいつでしたか

 「歴史的に見れば、カナダではいくつもの重要な前進がありました。代表的なものの一つが1929年の『パーソンズ・ケース(Persons Case)』です。この判決によって、一部の女性はカナダ上院議員に任命される権利を獲得しました。もう一つは1982年の『権利と自由の憲章(The Canadian Charter of Rights and Freedoms)』です。さらにカナダは『子どもの権利条約(Convention on the Rights of the Child)』など多くの国連条約を批准してきました。こうした一つ一つの取り組みが女性の権利や社会の平等を前進させてきました。

 ただ、今私が個人的に懸念しているのは、社会の中で非常に保守的な価値観が強まる可能性です。ここで言う保守的というのは特定の政党のことではなく、価値観のことです。

 特に現在アメリカで起きている社会の変化が、カナダ社会の一部にも影響するのではないかと心配しています。

 私たちは組織としては非政党性を保っています。しかし女性の権利やLGBTQ、そして人種的に周縁化された人々やその他のマイノリティの権利が尊重されることについては、非常に進歩的な立場を取っています。社会の一部を軽んじれば、その影響は社会全体に及ぶからです。誰もが価値と尊厳を持っているという考え方が、私たちの理念の核にあります」

ー女性の社会進出は、社会にどのような変化をもたらしましたか

 「カナダでは全国の全ての女性に投票権が完全に認められたのは1940年代になってからです。そこから、これまで女性の首相は1人しかいません。キム・キャンベルです。ただ、この30年ほどの間に政府の中でのジェンダー平等にはかなり近づいてきました。

 女性が多くのポジションに就き、政府や企業のリーダーシップの場に女性が増えていくことは、とても良いことだと思います。

 進歩の例として挙げられるものの一つが、カナダの中絶をめぐる法制度です。これは多くの女性が影響力のある立場に就いたこと、あるいは女性たちが連携して声を上げてきたことによって実現したものだと考えています。

 銃規制の問題でも、これまで政策を後押ししてきた団体の多くは女性たちのグループです。飲酒運転の問題でも、(飲酒運転事故で娘を失った母親が設立した団体)『Mothers Against Drunk Driving(MADD)』のように、女性が集まり社会を動かしてきました。

 ただ、特に公の場にいる女性たちが今なお直面している困難は、ハラスメントです。上院議員や下院議員の女性たちも、権力のある立場にいる女性は本当に多くのハラスメントにさらされています。だからこそ、この問題はまだ終わっていません。女性の数が増えれば解決するという単純な問題ではないのです。

 自己主張が強く意見をはっきり言い、率直な女性は、『彼女は偉そうだ』『彼女はきつい』などと言われる。一方で同じ行動をする男性は、同じようには言われないことが多いのです。本当の意味で平等になるには、まだ時間がかかります」

暴力・オンライン被害・人身売買 女性を取り巻く現在の課題

ー現在、女性や少女を取り巻く最も深刻な課題は何ですか

 「最も深刻な問題は、やはり暴力です。しかも暴力は増加しています。これは決して単純な問題ではありません。私たちは女性や少女、そして全ての人を守るための立法を求めています。

 カナダの法律には、(女性が性別を理由に殺害される犯罪を指す)「フェミサイド(Femicide)」という言葉が、いまだに法的用語として入っていません。新しい司法大臣は、その言葉を導入することについて前向きな姿勢を見せているようですが、その言葉を法律の中に取り入れることはとても重要だと思います。

 女性に対する暴力の問題は、銃規制や支援、ケアへのアクセス、住宅の問題など、さまざまな社会制度とも関わっています。

 また、多くの女性が直面している問題の一つが、(DV(家庭内暴力)から逃れた女性や子どもが一時的に避難する)『シェルター』の利用の難しさです。子どもを受け入れる施設もありますが、多くは幼い子どもを想定しており、10代の子どもがいる家庭には対応できない場合もあります」

ー近年増えている被害はありますか

 近年、特に大きな問題になっているのが、インターネット上で起きている被害です。これは現在私たちが取り組んでいる大きなテーマの一つです。(個人情報をさらす行為)ドクシング(Doxing)や(性的な画像や動画を送信する)セクスティング(Sexting)と呼ばれるインターネット上の問題は、特に少女たちに大きな影響を与えています。

 Statista Research Departmentの調査によると、カナダでは11歳以下の子ども約270万人がインターネットを利用していると推計されています。また、Children First Canadaの調査によると、子どもを狙ったオンライン上の性的誘導は過去5年間(2023年ベース)で815%増加しています。若者の51%が抑うつを感じた経験があり、39%が不安を経験しているという報告もあります。

 私たちが求めているのは、カナダ政府が子どもの権利条約に基づく義務を果たすこと。残念ながらカナダの子どもたちは、オンラインでもオフラインでもまだ十分に安全な環境を保障されていません。

 私は以前、モントリオールの貧困地域で生活支援を行う団体で活動していました。その後、シリアの戦争をきっかけに世界中の難民キャンプについて調べ始め、多くの少女たちが人身売買の被害にあっていることを知りました。そこから調べていく中で、カナダでも非常に多くの人身売買が起きていることを知りました。カナダでは少女が最初に人身売買の対象になったり、そこに引き込まれたりする平均年齢は13歳です。私にとって大きな衝撃でした。

 以前はショッピングモールのような場所で、加害者が少女に接触することが典型でした。しかし今では、インターネット上で接触が始まるケースが増えています。

 インターネットの問題は、人身売買への誘導だけではありません。少女たちが『こう見えなければならない』『こう振る舞わなければならない』と感じてしまうことがあります。それは自己肯定感を育てるものではありません。嫌がらせや(差別的な発言をする)ヘイトスピーチ、インターネット上で(極端な思想に影響され)過激化することもあります。こうしたこと全てが社会に大きな影響を与えています。

 もちろんインターネットは本当にすばらしいツールです。私はインターネットそのものを否定したいわけではありません。ただ同時に危険もあります。オフラインの世界では子どもにタバコを売らず、ギャンブルをさせず、お酒も買わせません。インターネットの負の側面についても同じように向き合う必要があります」

「平等は女性だけの問題ではない」社会全体で取り組む課題

ー今、社会に伝えたいことは何ですか

 「平等という最終目標は女性だけの問題ではありません。みんなの問題で、社会全体の問題です。みんなが参加しなければいけません。

 多くの組織で起こりがちな問題の一つは、人々がそれぞれの小さな枠の中だけで活動してしまうことです。私たちがやろうとしているのは、異なるコミュニティ同士の対話を絶やさないことです。そこには男性と女性だけではなく、あらゆる年代の人が含まれます。高齢者には豊かな経験があり、若い人にも若い人ならではの経験があります。

 また、カナダでは子どもたちの声が十分に社会に反映されていないと感じています。全国評議会が25年以上取り組み続けていることの一つが、カナダに(子どもの権利が守られているかを行政から独立した立場で監視・調査・勧告する権限を持つ)『子どもコミッショナー』を設置することです。子どもたちの生活や現実を全国的に見続ける独立した存在が必要だと考えています。

 そして、今年の国際女性デーのテーマ『権利、正義、行動。すべての女性と少女のために』は、前進を呼びかける力強いメッセージだと思います。ただし、言葉だけで終わらせてはいけません。

 私たちが本当に求めているもの、必要としているものは、尊重、誠実さ、平和です。それが私たちの目標であり、人間として国際的な共通の目標です。そして、私たち人間の平和だけではなく、地球や環境との平和も必要です。人間が尊重されていると感じること、そして、自分自身や周りの人との関係の中で平和を感じられることが、私たちが本当に必要としていることなのです」

National Council of Women of Canada

NCWCの年次総会(AGM)の様子。2025年6月1日、モントリオール。提供:National Council of Women of Canada
NCWCの年次総会(AGM)の様子。2025年6月1日、モントリオール。提供:National Council of Women of Canada

 女性や家族、社会全体の生活の質の向上を目指して活動する団体。1893年、レディ・イシュベル・アバディーンが設立、130年以上にわたり女性の権利や社会課題に関する提言活動を続けている。

 全国、州、自治体の3つのレベルの評議会で構成され、個人会員のほか、州・自治体の評議会やNGO、各種団体などのネットワークによって支えられており、活動はすべてボランティアによって運営されている。

 政府に対する政策提言を主な活動とし、提言書の提出や議会委員会での発言などを通じて政策形成に働きかけている。ジェンダーに基づく暴力や経済格差の問題のほか、核廃棄物の輸送や核エネルギーのリスク、飲料水の全国基準の導入など環境分野の課題にも取り組んでいる。https://www.ncwcanada.ca

(取材 田上麻里亜)

合わせて読みたい関連記事

【更新】「やっと始まった」2026年カナダワーホリ招待 昨年より遅く不安の声も

 今年のカナダワーキングホリデー(International Experience Canada=IEC)ビザ申請への招待が3月2日に始まり、胸をなでおろしている申請者も多いことだろう。3月4日付の記事に続いて、カナダ移民・難民・市民権省(Immigration, Refugees and Citizenship Canada=IRCC)から追加質問への回答が4日に送られてきた内容を追記する。

 追加質問では受け入れ枠減少の理由を聞いたが、移民基準計画に基づき、近年と比べてIECの受け入れ枠も減少しているとの説明を繰り返した。

 また、招待開始が例年より遅れたことで応募資格を失う可能性がある応募者への対応については、招待を受け取った時点で18〜30歳であれば申請資格があると従来の制度に基づくことを強調。現時点で招待開始の遅れに伴う救済措置についての説明はなく、「将来的な政策判断については推測できない」との回答だった。

 3月6日時点で招待数は2,438、次回に招待を受け取る可能性は「Very Good」となっている。

 今後も新たな動きがあれば、随時記事を更新していく。

(取材 田上麻里亜)

***

やっと始まった、2026年カナダワーホリ 昨年より遅れSNSで不安の声(3月4日付)

 「やっと始まってくれたー!」。カナダの2026年ワーキングホリデー(International Experience Canada=IEC)の招待が3月2日から始まったことを受け、SNS上では安堵の声が上がった。

 今年は昨年より招待開始が遅れ、日本人応募者の間では不安の声が出ていた。ただ、やっと招待が始まったものの、招待の時期や審査の見通しを巡って疑問も残る。

 そこで、2026年ワーキングホリデービザの状況について、カナダ移民・難民・市民権省(Immigration, Refugees and Citizenship Canada=IRCC)に2月28日にメールで質問を送った。

例年より遅い開始 安堵の声と続く不安

 今年は昨年より招待開始が大幅に遅れた。日本ワーキングホリデー協会公式ブログによると2025年の最初の招待は1月27日となっている。今年は約1カ月の遅れだ。

 さらに2025年と違う点は年間枠。今年は6,283人で、昨年の6,500人からやや減少している。一方で招待を待つ応募者数は昨年よりも多くなっているようだ。カナダ政府が発表した3月2日時点では5,509人。昨年は1月24日時点で1,770人だった。

 招待開始の遅れや応募者数の増加に伴い、招待や申請後の審査の時期について不安の声が上がっている。現在カナダにワーキングホリデーで滞在し、2回目の招待を待つ紗織さんは、「例年より(抽選の)開始が遅く、5月末に31歳の誕生日を迎えるとワーホリの延長ができなくなるのでソワソワしている」と話す。

 紗織さんの現在のビザは今年6月30日に期限を迎える。それまでに招待を受け、申請手続きを行い新たなワーキングホリデービザに切り替える必要がある。「早くプールに入れたから、同時期の人と同じように来るかと思ってたのに私の分はまだ来ていない」と不安を口にする。「誕生日までに無事に申請が済むことを祈るのみ」と話した。

カナダ入国外国人数減少政策が影響

 日加トゥデイの質問にIRCC広報担当から3月3日に回答が来た。質問は、1.招待開始時期と枠数の公表時期、2.招待開始が昨年より遅れている理由、3.ワーホリ申請が生涯で2回となった背景、4.2回申請可能による枠数増加の可能性、5.招待開始時期の遅れによる申請者への救済対応。

 招待開始時期については3月2日、発表のタイミングについては枠数決定後となったためとの回答だった。

 さらに移民政策について、カナダ政府は移民制度の管理を強化し、持続可能な水準に戻す方針を示していると説明。2026〜2028年の移民基準計画では、2027年以降の永住者受け入れ数を人口の1%未満に抑え、2027年末までに一時滞在者の割合をカナダ人口の5%未満にする方針を掲げているため、2026年のIECでもカナダに入国する外国人数を減少していると続けた。

 申請が2回になった背景については、日本とカナダが2024〜2025年に制度を見直したことによるものとの説明だったが、この制度変更が移民受け入れ数の削減方針には影響しないとも明確に言及している。

 今回の回答では、招待前に31歳になり応募資格を失う可能性がある応募者への対応などについての明確な回答はなく、追加質問への回答次第で記事を更新する予定。

(取材 田上麻里亜)

訂正:「昨年は1月で1,770人だった」について具体的な日付を加え、「昨年は1月24日時点で1,770人だった」と訂正しました。

合わせて読みたい関連記事

「やっと始まった」2026年カナダワーホリ招待 昨年より遅く不安の声も

  「やっと始まってくれたー!」。カナダの2026年ワーキングホリデー(International Experience Canada=IEC)の招待が3月2日から始まったことを受け、SNS上では安堵の声が上がった。

 今年は昨年より招待開始が遅れ、日本人応募者の間では不安の声が出ていた。ただ、やっと招待が始まったものの、招待の時期や審査の見通しを巡って疑問も残る。

 そこで、2026年ワーキングホリデービザの状況について、カナダ移民・難民・市民権省(Immigration, Refugees and Citizenship Canada=IRCC)に2月28日にメールで質問を送った。

例年より遅い開始 安堵の声と続く不安

 今年は昨年より招待開始が大幅に遅れた。日本ワーキングホリデー協会公式ブログによると2025年の最初の招待は1月27日となっている。今年は約1カ月の遅れだ。

 さらに2025年と違う点は年間枠。今年は6,283人で、昨年の6,500人からやや減少している。一方で招待を待つ応募者数は昨年よりも多くなっているようだ。カナダ政府が発表した3月2日時点では5,509人。昨年は1月に1,770人だった。

 招待開始の遅れや応募者数の増加に伴い、招待や申請後の審査の時期について不安の声が上がっている。現在カナダにワーキングホリデーで滞在し、2回目の招待を待つ紗織さんは、「例年より(抽選の)開始が遅く、5月末に31歳の誕生日を迎えるとワーホリの延長ができなくなるのでソワソワしている」と話す。

 紗織さんの現在のビザは今年6月30日に期限を迎える。それまでに招待を受け、申請手続きを行い新たなワーキングホリデービザに切り替える必要がある。「早くプールに入れたから、同時期の人と同じように来るかと思ってたのに私の分はまだ来ていない」と不安を口にする。「誕生日までに無事に申請が済むことを祈るのみ」と話した。

カナダ入国外国人数減少政策が影響

 日加トゥデイの質問にIRCC広報担当から3月3日に回答が来た。質問は、1.招待開始時期と枠数の公表時期、2.招待開始が昨年より遅れている理由、3.ワーホリ申請が生涯で2回となった背景、4.2回申請可能による枠数増加の可能性、5.招待開始時期の遅れによる申請者への救済対応。

 招待開始時期については3月2日、発表のタイミングについては枠数決定後となったためとの回答だった。

 さらに移民政策について、カナダ政府は移民制度の管理を強化し、持続可能な水準に戻す方針を示していると説明。2026〜2028年の移民基準計画では、2027年以降の永住者受け入れ数を人口の1%未満に抑え、2027年末までに一時滞在者の割合をカナダ人口の5%未満にする方針を掲げているため、2026年のIECでもカナダに入国する外国人数を減少していると続けた。

 申請が2回になった背景については、日本とカナダが2024〜2025年に制度を見直したことによるものとの説明だったが、この制度変更が移民受け入れ数の削減方針には影響しないとも明確に言及している。

 今回の回答では、招待前に31歳になり応募資格を失う可能性がある応募者への対応などについての明確な回答はなく、追加質問への回答次第で記事を更新する予定。

(取材 田上麻里亜)

合わせて読みたい関連記事

Today’s セレクト

最新ニュース