エドサトウ
流れる新緑の山並みを近鉄特急の車窓から眺めながら、流れゆきカナダで暮らす我が人生を重ねる。穏やかな晩年の人生の旅に出て、名古屋から大阪までこられたことは、大げさに言えば大きな喜びでもある。脊椎管狭窄症の手術を3年前にして、何とかビッコで歩きながらも、日々の生活が出来る様になり、不自由な足であるがこうして大阪まで来られたことは、大きな喜びでもあり、挑戦でもある。
当日は、8時に実家を車で出発、名古屋駅から近鉄線に乗り、穏やかな初夏の日、西へと走り続けて、11時ごろに難波駅に到着する。
駅には、いろんな電車が交差していて慣れない者には少々複雑ではあるが便利な難波の駅の近くで昼食をすまして、今日の予定である日本一高いというアベノハルカスへ行く。いやいや下から眺めて見上げれば本当に高い。300メートルあるという展望台までの入場料は二千円程度であった。少しばかり曇りであったが、遠くまでの視界は大興奮であった。そこから7階の美術館で展示されてある「エジプト展」は大混雑で展示品をゆっくりと観賞できなかったのは残念であった。その後、宿泊先のアパホテルに近い居酒屋で夕食をとるが、てんぷらの量が多くてビックリであり、さすが、食い倒れの大阪だと思われた。後ろの席からはフランス語が聞こえて、7、8名で賑やかに食事を楽しんでいた。アパホテルの最上階のほうは多くの外国人が宿泊しているみたいだというのは同行した弟のはなしである。部屋は狭いが、ビルも新しく部屋もとてもきれいであり、宿泊料も良心的な値段だと思う。4階にコンビニエンスストアがあり、軽食やコーヒーが買えるのは便利であった。

翌日は、9時にホテルを出て環状線に乗り大阪城を見に行けば、想像していたよりも凄く堅牢で手ごわく攻め難いお城のように思えた。「さすがは、秀吉だ!」と思うが、その堅牢なお城が、冬の陣、夏の陣で攻め落とされたのは残念であり、悲しく思えた。今のお城は、秀吉の時代のものではなく、後の徳川幕府により建て替えれたものであるが、さらに太平洋戦争で焼失して再建されたものである。お城の飾りものの金色の輝きは、大阪の人々が慕い、かつての秀吉の時代風にしたらしいとのことであった。
庶民から慕われたお城の裏側の石垣を降りてきたところにある平らな空き地には、その昔、館があったのかもしれない。淀殿と秀頼がここで自害したというのも、もの悲しく、薄黒い城の石垣の陰にたたずめば、なにやら物悲しく感じられた。栄枯盛衰は時の流れとは言え、何か別の解決方法はなかったものかと思えば、真田幸村の活躍が悲しくもあった。同時に、イランとアメリカの中東の戦争のことも、大国ロシアと戦うウクライナの戦争も不憫に思えるのであった。
青い初夏の空、金の飾りが光り輝くお城の上を白い雲が流れてゆく空を眺めながら、遠い過去の日を想像するのも旅の楽しみの一つでもある。

投稿千景
視点を変えると見え方が変わる。エドサトウさん独特の視点で世界を切り取る連載コラム「投稿千景」。
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