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Koichi Saito

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「カナダの大自然と多様な文化が教えてくれた、人とつながる豊かさ」古賀義章さん~カナダの魅力を語る~シリーズ第12回

古賀義章さん
株式会社 講談社 国際ライツ事業担当部長
クーリエ・ジャポン初代編集長
カナダ滞在歴:バンクーバー2カ月、イエローナイフ1週間
バンクーバーでの講演会3回開催

 初めてカナダを訪れたのは1988年12月のことでした。ウィスラーとバンクーバーに約1カ月間滞在しました。以来、2011年、2013年、2015年、そして2020年と、これまでに合計5回カナダを訪れています。

 最初にカナダへ行こうと決めたきっかけは、スノーボードでした。当時のカナダではスノーボードはまだ一般的ではなく、専門ショップも2軒ほどしかありませんでした。滑っている人も10人に満たないという状況の中、自然と向き合いながら挑戦する楽しさを体感しました。その後、尾てい骨を骨折する大怪我も経験しましたが、それも含めて、今思えば自分にとって大きな成長の糧になったと感じています。

 カナダの魅力は、何といっても雄大な自然、多様な文化、そして人々の温かさです。初めての滞在では、空港で偶然知り合ったカナダ人の方のご家庭に招かれ、2〜3週間居候させていただきました。そういった出会いや交流の積み重ねが、私にとってカナダを特別な場所にしてくれました。

 バンクーバーではこれまでに3度、講演の機会をいただきました。2011年には、坂本龍一さんと共に手がけた東日本大震災をテーマにした写真スライドショーが映画祭のオープニング作品として上映され、その関連講演を行いました。2013年には日加商工会議所の10周年記念講演に招かれ、当時、出版社の仕事として関わっていたインドでのアニメ制作にまつわる裏話などをお話ししました。そして2015年には、コスモス・セミナー15周年の記念講演として、出版社での長年の経験をもとに、インドでの活動と共に、雲仙普賢岳の噴火災害やオウム真理教事件の取材に関わったことなどを中心にお話しさせていただきました。いずれの講演でも、カナダ在住の皆さんが非常に熱心に耳を傾けてくださり、貴重な交流の時間となりました。

 2020年にはイエローナイフを訪れ、極寒の中でオーロラを鑑賞しました。幻想的な光景もさることながら、「オーロラハンター」と呼ばれる現地の方と暗闇の中で語り合った時間が、今でも深く心に残っています。自然の美しさと人とのつながり——この二つが、私にとってカナダを象徴するものです。

 現在私は、出版社に勤務する傍ら、日本とインドの文化交流に関わる事業にも携わっています。インドへはこれまで50回以上渡航し、その都度異なるテーマで取材や制作活動を行ってきました。カナダで触れた「多様な価値観を受け入れる社会」という体験は、こうした国際的な仕事を進める上での根幹を支える重要な要素となっています。

 振り返ってみると、カナダでの経験はすべてが学びであり、人生の財産です。これからも、そこでの出会いや体験を大切にしながら、異文化への理解と交流をさらに深めていきたいと考えています。

(記事・動画 斉藤光一)

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「カナダでの17年を経て、浜松から留学生を支える今」西村元貴さん~カナダの魅力を語る~シリーズ第11回

西村元貴さん
8directions代表
カナダ滞在歴:ビクトリア5年、バンクーバー12年

 こんにちは、西村元貴です。今日は3歳の息子・健生(けんせい)と一緒に浜松城公園に来ています。ここは徳川家康がかつて居城とした場所で、歴史を感じられると同時に自然も豊かで、子育てをする上でとても気持ちの良い環境です。

 私はカナダに17年間暮らしていました。最初の5年間はビクトリアで大学と専門学校に通い、その後バンクーバーで12年間生活しました。バンクーバーでは、RBC(ロイヤル・バンク・オブ・カナダ)のデザイン部門に勤務した後、ブリティッシュ・コロンビア大学(UBC)に転職しました。大学では、教授の学会発表用資料の作成や、学内出版物のデザイン・印刷などを担当していました。

 カナダでの生活を通して最も強く感じたのは、人々がプライベートの時間を非常に大切にしているということです。日本ではどうしても仕事中心の生活になりがちで、家族との時間が後回しになることも少なくありません。しかしカナダでは、仕事の後や週末は当たり前のように家族や友人との時間を優先しており、それが心のゆとりや生活の質の向上につながっているように感じました。

 また、カナダで働いていた時に印象的だったのは、実に多くの国の人々と共に仕事ができたことです。アメリカやカナダ国内だけでなく、ヨーロッパ、アフリカ、南米、アジアなど、さまざまな文化や価値観を持つ人々と触れ合いながら一つのプロジェクトを進めた経験は、私にとって大きな財産になっています。

 現在は日本に帰国し、浜松を拠点に留学生の支援活動を行っています。具体的には、日本に留学している学生たちが卒業後に日本での就職を目指す際のキャリア支援や、企業とのマッチングなどをサポートしています。奨学金を受けて日本に来ている学生の中には、残念ながら就職先が見つからずに帰国を余儀なくされるケースもあります。私自身が海外で学び、働いた経験があるからこそ、彼らの不安や悩みに寄り添い、実践的なアドバイスができると自負しています。

 自身の経験を活かして、留学生と企業の間に信頼関係を築き、多様性を尊重する社会づくりに貢献していきたい。それが、今の私の目標です。

 カナダに興味のある方には、ぜひ一度現地に足を運んでみてほしいと思います。たとえば、私が住んでいたビクトリアは、街と自然が近接しており、気軽に山や海へ出かけられる美しい場所でした。また、カナダの定番料理「プーティン」もおすすめです。日本ではなかなか味わえない一品ですので、ぜひ試してみてください。 カナダでの経験と、今浜松で取り組んでいること。そのどちらも、私にとってかけがえのない財産です。

(記事・動画 斉藤光一)

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「カナダで見つけた“おもてなし”の原点―公邸料理人・岩坪貢範が語る、海外経験と新たな挑戦」カナダの魅力を語る~シリーズ第10回

岩坪貢範(たかのり)さん
CRACRA(クラクラ)店主
カナダ滞在歴:バンクーバー3年(総領事公邸料理人)

 初めて日本を離れて海外へ渡ったのが、カナダのバンクーバーでした。公邸料理人として3年余り滞在しましたが、カナダの魅力は、やはり多様な国の人々が集い、文化が融合している点だと感じます。豊かな自然に恵まれ、都市部からのアクセスも良い。そうした環境が非常に魅力的でした。

 特に印象に残っているのは、2013年、バンクーバーの総領事公邸で初めて会食を任せていただいた時のことです。何もかもが初めての海外経験で、現地のキッチンで本当に料理ができるのか不安で眠れない夜を過ごしましたが、日本で考案し持参したメニューを現地の食材でうまく形にすることができ、大きな自信につながりました。

 その際に提供したのは、前菜としてのサーモンの手毬寿司、ダンジネス(アメリカイチョウガニ)とアボカドを用いたオードブル、アサリとホタテ、エビの滋味深いスープ、天ぷら仕立ての新鮮な魚料理、そしてカナダ産のサーロイン牛をメインディッシュとしたコースでした。すべて地元の豊かな食材を活かし、日本人のお客様に「カナダに来て本当に良かった」と感じていただけるよう、心を込めて調理いたしました。

 バンクーバーでの任期を終えた後は、一度実家に戻り、富山のレストランでサービスや日本酒について約1年間学びました。その後、南スーダン、そしてイタリアのバチカン市国日本国大使館での任務に同行し、合計で約10年間、大使と共に海外各地を巡りました。

 カナダでは、実に多様な人種や文化が共存していることに強い衝撃を受けました。それまで日本しか知らなかった私にとって、それは大きな発見であり、同時に、危険な場所には近づかない、常に周囲に気を配るといった危機管理意識の大切さも学びました。この経験は、後のイタリアでの生活はもちろん、現在の日本の日常においても大きな財産となっています。

 「海外で働きたい」という思いを抱いたのは、先輩から「公邸料理人」という制度について伺ったのがきっかけです。そこからは、ある種の勢いでした。英語も決して得意ではありませんでしたが、現地で必要に迫られれば自然と身についていくものです。ですから、もし海外へ行くことをためらっている方がいらっしゃるなら、「行きたい」と感じたその時点で、まずは一歩踏み出してみることをお勧めします。あれこれ考えるよりも、まず行動し、その中で考えていく。それが最良の方法だと私は信じています。

 2024年10月には、筑波山の麓にレストラン「CRACRA(クラクラ)」をオープンいたしました。店名はイタリア語でカエルの鳴き声を表す言葉から着想を得ており、日本と海外での経験を融合させた“おもてなし”を大切にする空間を目指しています。カナダでの経験が、今の私自身、そしてこの店づくりに全て繋がっていると実感しています。

CRACRA(クラクラ)https://wqpo.github.io/cracra7/

(動画・記事 斉藤光一)

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写真家・斉藤光一さんとロンドンドラッグスがコラボ 地元バンクーバー写真家との初の試み

斉藤光一さんと2025年版カレンダーサンプル
斉藤光一さんと2025年版カレンダーサンプル

 写真家・斉藤光一さんとバンクーバー発祥の老舗ドラッグストア、ロンドンドラッグスとのコラボレーションが実現した。斉藤さんの美しい写真を使用したオリジナルグッズが、ダウンタウン中心部にあるGranvilleとWest Georgiaの店舗地下フォトコーナーで販売されている。

 展開されているのは、トートバッグ、マグカップ、キーチェーンなどバラエティー豊かなラインアップだ。現在のところ同店舗のみの取り扱いだが、今後は他の店舗への拡大も予定されているという。また、フォトカウンターには斉藤さんの作品を大きく引き伸ばしたポスターが掲示されており、来店者の目を楽しませている。ポスターは季節ごとに写真が変更される予定だ。

GranvilleとW Georgiaのロンドンドラッグス地下フォトコーナーに並ぶ斉藤さんのグッズ
GranvilleとW Georgiaのロンドンドラッグス地下フォトコーナーに並ぶ斉藤さんのグッズ

 さらに、現在制作中の2025年版カレンダーのサンプルにも斉藤さんの写真が採用されている。カレンダーにはバンクーバーの風景写真が中心に使用されているが、特に目を引くのはコーギー犬のカレンダーだろう。この特別なカレンダーには、元在バンクーバー日本国総領事の大塚聖一氏がバンクーバー在任中に撮影した愛犬「ジゲン」くんの愛らしい写真が使用されている。

 長年、写真現像でロンドンドラッグスを利用していたという斉藤さん。今回のコラボレーションは、同店のフォトラボマネージャーからの熱心な提案がきっかけで実現に至った。ロンドンドラッグスがバンクーバーの地元写真家とコラボレーションするのは今回が初の試みであり、その第一弾として斉藤さんの写真が選ばれた。関係者によると、これらのオリジナルグッズは個人顧客への販売だけでなく、将来的には学校や企業などへの展開も視野に入れているという。

 斉藤さんは今回のコラボレーションについて、「ロンドンドラッグスは昔から利用していたので、今回このような形でコラボレーションできたことを大変光栄に思っています。写真家を続けてきて本当に良かったと感じています」と喜びを語った。また、「今回のコラボレーションはあくまで通過点。今後も現状に満足することなく、さらに新しいことに積極的にチャレンジしていきたい」と今後の抱負を述べた。

フォトカウンターに掲示された斉藤さんのポスター
フォトカウンターに掲示された斉藤さんのポスター

(記事 編集部)

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LUV (SIC) HEXALOGY TOUR 2024:Shing02の語る音楽と旅路

LUV(SIC) HEXALOGY TOUR 2024、ハリウッド・シアター、バンクーバー市。
LUV(SIC) HEXALOGY TOUR 2024、ハリウッド・シアター、バンクーバー市。
インタビュー中のShing02さん。リステルホテル、バンクーバー市、2024年8月22日。
インタビュー中のShing02さん。リステルホテル、バンクーバー市、2024年8月22日。

LUV (SIC) HEXALOGY TOUR 2024の一環としてバンクーバーを訪れたShing02(シンゴ・ツー)さんに、ハリウッドシアターでのコンサート直前に話を伺った。

「今回のツアーは、イギリス・マンチェスター出身のバンドOMAと、22年にわたり共に活動してきたDJのSPIN MASTER A-1と共に、北米23か所を巡っています。バンクーバーでちょうどツアーの1/3が終わるところですが、手応えは非常に良いですね。スケジュールはタイトですが、どの町に行くのも本当に楽しみで、会場や観客のエネルギーに触れることはもちろん、街並みを歩いたり、気になるお店に立ち寄ったりするのも楽しみのひとつです」

LUV(SIC) HEXALOGY TOUR 2024、観客(中央の黒いTシャツ着用)をステージに上げ一緒に熱唱。ハリウッド・シアター、バンクーバー市。
LUV(SIC) HEXALOGY TOUR 2024、観客(中央の黒いTシャツ着用)をステージに上げ一緒に熱唱。ハリウッド・シアター、バンクーバー市。

各地で異なるプログラムやゲストを招き、多彩なステージを展開している。たとえば、アリゾナ州フェニックスでの初回公演では、ネイティブアメリカンによるブレッシングが行われ、音楽に合わせたループダンスとの特別なコラボレーションが実現した。

「6月には中国ツアーを行い、すべての公演がソールドアウトという大成功を収めました。深圳での公演は、北京からの飛行機トラブルでキャンセルになってしまいましたが、それでもファンからは『払い戻しは不要なので、振替公演をしてほしい』という熱いリクエストがあり、10月には中国の伝統楽器を使うミュージシャンとのコラボレーション公演を予定しています。」

今回のツアーは、2010年に他界したNujabes(ヌジャベス)の楽曲をメインに構成されており、その音楽は絶えず進化を続けている。このツアーでのOMAとの共演、中国での伝統楽器奏者とのコラボ、そして日本でのDJ Spinmaster A-1とのツアーなど、Nujabesの楽曲は異なるミュージシャンたちの手でさまざまな新しい表情を見せている。天国のNujabesも、2024年のShing02の新たな冒険をきっと喜んでくれているだろう。

LUV(SIC) HEXALOGY TOUR 2024、ハリウッド・シアター、バンクーバー市。
LUV(SIC) HEXALOGY TOUR 2024、ハリウッド・シアター、バンクーバー市。

Shing02がステージでよく伝えるメッセージは、「自分をDOPE(カッコいい、素晴らしい)と思い、よりDOPEな人間になっていこう」というものだ。「善悪の基準は人それぞれで、世間の意見に流されることも多く、それが時に分断を生むこともあります。でも、自分が何をすべきかを見失わないことが大切です。リアクションではなくアクションを起こすこと。それが自分をよりハッピーにし、周りの人たちもハッピーにする鍵だと思います。何が自分にとって本当に面白いかを追求すること、それこそが人生のテーマだと、この歳になってようやく気づきました」

バンクーバーでのコンサートは超満員のソールドアウト。DJのSPIN MASTER A-1のソロ演奏からすでに会場は熱気に包まれ、彼も「これは素晴らしいコンサートになる」と確信していた。その予感は見事に的中し、ステージは大いに盛り上がり、最高の夜を創り上げた。カナダでの公演はモントリオールとトロント、そして西部ではバンクーバーのみ。隣のアルバータ州からも多くのファンが駆けつけた。公演の後半には、「LUV(SIC)」の6部作を続けて演奏し、観客は歌詞を一緒に口ずさみながら、熱狂の一体感に包まれた。

LUV(SIC) HEXALOGY TOUR 2024、観客(中央の黒いTシャツ着用)をステージに上げ一緒に熱唱。ハリウッド・シアター、バンクーバー市。
LUV(SIC) HEXALOGY TOUR 2024、観客(中央の黒いTシャツ着用)をステージに上げ一緒に熱唱。ハリウッド・シアター、バンクーバー市。

LUV(SIC)が次にどこで新しい形に進化した姿を見せてくれるのか、その日が待ち遠しい。Shing02とSPIN MASTER A-1のパフォーマンスからは、日本人としての誇りを持って活動する姿勢が強く伝わってきた。また、故Nujabesという日本人プロデューサーの音楽も、Shing02と多様なミュージシャンたちによって新たな息吹が吹き込まれ、今もなお世界中で愛され続けている。その姿を目の当たりにし、自分も異国の地で挑戦を続ける勇気をもらった。

LUV(SIC) HEXALOGY TOUR 2024、ハリウッド・シアター、バンクーバー市。
LUV(SIC) HEXALOGY TOUR 2024、ハリウッド・シアター、バンクーバー市。

(寄稿 斉藤光一)

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【インドから帰国した写真家、30年の悲願達成】斉藤光一

先月、私は30年越しでインドへの旅を果たしました。愛用のカメラと動画撮影用にiPhoneを携え、インドのガンジス川を主な舞台にした小説、遠藤周作の「深い河」の文庫本を手に持っての旅でした。

30年前、ワーキングホリデーでバンクーバーに降り立ち、当初は北米から、ヨーロッパそしてインドへの旅行計画を抱えていました。しかし、様々な事情からインド行きを果たせず、カナダからの帰国後は仕事と家庭に忙殺され、その夢は遠のいていました。

バンクーバーのワーキングホリデー時代に出会った当時学生の古賀義章さんとは、友人関係が今も続いています。彼は世界中のメディアから記事を厳選し、日本語に翻訳して掲載する雑誌「クーリエジャポン」の発案者であり、初代編集長となりました。また、バンクーバーでも3度講演会を開催しています。現在はJICAとの協力でインドでジェンダーに関する漫画を制作中です。彼の熱心なインドへの誘いに、インド行きを決意しました。

「数週間だけのインド滞在で何が分かる?」と言われるでしょうが、インドではシンプルに光と美しさを、カメラのファインダーを通して夢中で追い続けていました。人種のモザイクと言われるカナダに長く住んでおり、そこで培った経験が影響したのか、私がインドで撮った写真は、普段バンクーバーで撮る写真同様に、様々な人に分かりやすい写真が多かったようです。 今回、そこにビデオを組み合わせることで、インドへ行きたくても行かれない人にも、その場の雰囲気をより伝えることが出来ればと思っています。

30年の歳月を経て、果たした悲願の旅。これからも独自の手法で世界を切り取っていくことを私自身期待しています。

講談社国際ライツ事業部担当部長古賀義章さん(左)と写真家斉藤光一。インド、バラナシ、ガンジス川で。
講談社国際ライツ事業部担当部長古賀義章さん(左)と写真家斉藤光一。インド、バラナシ、ガンジス川で。

(寄稿 斉藤光一)

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「異国の地で育まれた夢、小礒和子さんのカナダ滞在と起業の記」カナダの魅力を語る~シリーズ第9回

小礒和子さん
PHONCS株式会社 代表取締役社長
カナダ滞在歴:バンクーバー2年

 私が今でも思い出すカナダのお気に入りの場所は、気持ちが落ち込んでいる時によく友達に連れて行ってもらったアメリカとの国境沿いの町、ホワイトロックです。どこまでも続く海岸線が印象的でした。
 あと、バンクーバーのイエールタウンというお洒落な地区も印象深いです。いつか成功してここで自分のビジネスを展開したいと夢見ていました。

 そして、私たちが挙式をあげたカナディアン・メモリアル教会も特別な場所です。ここで挙式を行う際にウェディングプランナーさんから、「あなたはプロデュースの才能があるので、一緒に考えていきましょう。きっと大丈夫」と言われ、何とかやりとげた自信から、今こうして那須でウェディングのプロデュースの会社を立ち上げ展開しています。その時のウェディングプランナーさんには感謝しかありません。

 私は東京で仕事をしていたのですが、どうしても“次のステップ”に進みたくて7年間勤めていた会社を辞めて、ワーキングホリデービザを使ってバンクーバーへ行きました。
 日本で働いていた会社を辞めてまで、カナダに行くということは正直、恐怖もありました。でも、やってみないと分からないと思って、一歩踏み出したら、そのまま日本にいた時よりすばらしい世界が広がったような気がします。

 昔から私はずっと自分で会社を起こしたいと考え、バンクーバーへ行ってからも、私は女性だけど会社を起こしたいと言い続けてました。

 バンクーバー国際空港の到着ロビーの花屋さんの大きな看板の仕事を私個人で受注したのですが、最初、その花屋さんのオーナーに「あなたのそんなつたない英語力で何を言っているの?」と笑われたことは今でも覚えています。
 でも私の過去のデザイン関係のポートフォリオを見てもらいながら、情熱だけで説得した感じです。私がプロデュースした看板はオーナーにとても気に入ってもらい、まわりの評判も良く、空港に長期間設置されていました。

 現在、夫と共に栃木県の那須町でPHONCS(フォンクス)という会社を経営しています。夫とはバンクーバー滞在中に知り合い結婚したのですが、あの何とも言えない独特の空気感の中で、同じ時代を過ごしていたことで、口で説明しなくても感覚で分かりあえることが多々あります。

PHONCS株式会社:https://phoncs.com/

(動画・記事 斉藤光一)

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「挑戦の先に広がる成功、菅昌絵さんのカナダ留学とフードコーディネーションの仕事」カナダの魅力を語る~シリーズ第8回

菅昌絵さん
フードコーディネーター、デザイナー
カナダ滞在歴:バンクーバー3年

 中学生の頃から海外に行きたいと思って、親に相談しましたが、女の子ひとりで行くことに反対されました。それは高校生になっても同じでした。
 大学に入り、アルバイトで渡航資金と滞在費を貯め、親を説得する計画を練りました。生活費は1年間分を貯め、安全な場所で住むつもりや、カナダで何をしたいのか、その後の目標などを伝えました。実家で計画を話すと、父に「ひと晩考えさせてくれ」と言われましたが、翌朝には了承してもらい、渡加できました。

 もし、今外国へ長期で行きたいと思っているけど、色々な事情で行けないのであれば、今は行けなくても、あきらめることはありません。あなたが外国へ行けるタイミングはきっと来るでしょう。今、行けなくても、いつか外国へ行くための計画を立てるのが良いと思います。

 当初、私はブライダルプランナーの資格を取得することが目標で、その後で違う国へ行くことも考えていましたが、バンクーバーが住みやすく、長く住みたいと感じ、途中でワーキングホリデービザに切り替えました。その後、レストランで働き、就労ビザを取得して大手ラーメン店のマネージャーを務めました。

 外国へ行ったら、行かなかった自分にはできない経験ができます。しかし、帰国子女の教育をしていたことで、同じ期間でも一生懸命努力した人と、とりあえず住んでいただけの人では、成長が全く違うことを実感しました。英語でなくても、外国へ行って自分が成長したいと思える目標があると、海外滞在後の成長がより明確になると思います。
 同時に、予想外のトラブルもたくさん経験して、たくましくなってきてください (もちろん、自分の命は何より大切に)

 帰国して、いろんなネタを海外経験者たちとシェアし合えるのも一つの醍醐味だし、困ったときに助けてもらった記憶と縁は、きっと長く続きます。

 また、カナダで生活することで、日本にいた時の安定感に感謝の気持ちを強く感じ、現在の普通の日常にも感謝の気持ちを持って過ごすようになりました。

 日本に帰国後、大学に復学し卒業し、帰国子女の家庭教師などを経て、現在はフリーランスとして、食とサステナビリティ関連の会社で、東京・虎ノ門にておむすび屋を運営しています。忙しい中でも週に3日は休みを作り、仕事以外の時間を大切にしています。

Sustainable Food Asia
https://sustainablefoodasia.com/

(動画・記事 斉藤光一)

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「留学生活からスケートボードビジネスの舞台へ:聡さんが綴るカナダ時代の思い出」カナダの魅力を語る~シリーズ第7回

大野聡さん
スカルスケーツ・ジャパン、オーナー
カナダ滞在歴:バンクーバー3年

 スノーボードをしながら冬のグラウスマウンテンから夜のダウンタウンを見降ろす光景や映画に登場するスタンレーパークからの風景に、私は魅了されました。
 都市と自然が絶妙に調和した街の雰囲気は、あまり危険を感じずに住みやすい環境であり、留学生活をより豊かなものにしてくれました。ロサンゼルスへ遊びに行った際、バンクーバーに戻ると、私は日本に帰ったような安心感を得たことを今でも覚えています。

 留学時代のエピソードとして、当時スノーボードへの情熱と学業の両立に挑戦し、毎日のようにスノーボードに明け暮れ、学校とのバランスを取る苦労もありましたが、それがかけがえのない思い出となりました。

 その時は私の生涯で一番勉強しました。また、友達との絆を深めた経験が私に充実した日々をもたらしました。他国の人々との交流も多く、カナダでは比較的すぐに友達ができ、その人間関係が日本では得られない充実した日々をもたらしてくれた、私のとても貴重な体験です。
 貧乏ながらも充実感ある生活、そしてその経験は現在も懐かしい思い出として私の心に蘇ります。特に当時の音楽を耳にするとなおさらです。

 留学中に得た教訓として、自己主張の必要性です。日本人特有の遠慮の文化が、海外では意見をはっきりと述べることの重要性に気づく契機となりました。現在の私の姿勢や主張の仕方にも反映されていると言えます。

 留学やワーキングホリデーに悩む人々へのアドバイスとして、興味があるならばとりあえず行くことをお勧めします。ネットの進化により情報収集が容易になった今、昔の私よりもずっと気楽に留学ができると思います。
 留学を通じて広がった視野や貴重な出会いが、今の私を形作る一因となっていますので、皆さんにもそれを少しでも知って欲しいです。
 英語について心配される方もいますが、私の学生時代の英語の点数は本当に酷かったです(笑)。でも、それなりに何とかなります。英語は話すための道具であって目的じゃないので!

 現在は、カナダのスケートボードブランドであるスカルスケーツの日本総代理店をやっています。このブランドは1978年にカナダで生まれ、80年代のスケートボードブームの時に世界中に広まりました。私は94年に日本で事業を始め、既に30年以上にわたり営業しています。拠点は岐阜県の土岐市という田舎に位置しています。

 その出会いは、留学当時、バンクーバーで通っていた学校の近くにスカルスケーツの本拠地のホットショップがあり、帰りによく立ち寄っていました。スノーボードを買ったことがきっかけで、社長のピーター・デュコム氏(通称PD)と仲良くなり、一緒にスケートボードやスノーボードに行ったりと楽しい時間を過ごしていました。そんな中で、日本でもこんな店をやりたいな~なんて話をし、「それはクールだ!いつかやろうぜ!」という感じになりました。
 帰国後、数年たってPDから電話があり、「昔話をしたあれ、まだ覚えてるか?日本でスカルスケーツの店をやるという話!もしまだやる気あるなら、来月日本に行って話をするから!」との提案からスタートしました。その電話からなんだかんだとずっとお店をやっています。
 カナダに行ったからこそ、こんな出会いもあり、チャンスもあったし、これがやりたい!と思えたことも見つかりました。もし、あの時に私がカナダへ行っていなかったら、今頃何をしていたのかを想像すると怖いですね。

スカルスケーツ・ジャパン
https://skullskatesjapan.com/

脂肪遊戯(Music)
https://www.youtube.com/@shibouyugijp

(動画・記事 斉藤光一)

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「由香さんのカナダでの挑戦と発見:自然、人々、そして新たな一歩」カナダの魅力を語る~シリーズ第6回

園田由香さん
インターナショナルスクール・講師アシスタント、保育士
カナダ滞在歴:モントリオール8カ月、バンクーバー1年

 私が12才の時に家族と暮らしたモントリオールがとても印象的に心に残っています。人生で初めての海外生活でしたので、クリスマス時の街中のイルミネーション、スーパーマーケット、現地の学校、スクールバスなど、見るもの全てがとても新鮮でした。大変なこともありましたが、今では全てが良い思い出です。

 カナダの魅力は、何と言っても壮大な自然です。カナディアンロッキー、ナイアガラの滝、スタンレパークなど、どこもすばらしかったです。そしてカナダの人たちも魅力のひとつです。関わった全ての方が、とても親切で温かい方ばかりでした。分け隔てなく接してくださる方々ばかりだった気がします。

 私のワーキングホリデーでの滞在中は、今しかできないこと、カナダでしかできないことを少しでも興味があったらやってみよう!と思っていた1年間でした。スノーボードを習ったり、地元で有名なゴスペルのグループに参加したり、カナダ横断旅行をしたり、ウェディングコーディネーターの仕事を夏の期間働き、全てがとても良かったです。その時の自分のように何にでも挑戦するという気持ちは、今でも忘れずにいようと心がけています。

 ワーキングホリデーは最長でも1年間と短いので、何にでも挑戦するのがいいと思います。挑戦してみて、自分に合う合わないという経験ができます。その経験から新しい自分を発見できると思います。海外へ出るというのは不安もあると思いますが、将来何かのカタチでその経験した点と点が結びついていくと思います。

 私は常に子どもと英語に囲まれている自分がしっくり来ると感じていましたので、カナダから帰国後すぐに、英会話教室で英語講師として働き始めました。現在はインターナショナルスクールで外国人講師のアシスタント及び保育士として働いています。保育士の資格は、現在の職場で働き始めてから、必要性を感じ取得しました。
 先日、カナダデイケアで出会った友人が来日し、Early Childhood Education(幼児教育) についてお話しすることができました。ここでも、カナダ滞在中の経験が、いま現在の仕事と繋がった!と感じました。

 将来の夢は、いつか娘と一緒にカナダに長期で住むことです。カナダで私が多くを学んだように娘にも沢山の経験をさせてあげたいです。

(動画・記事 斉藤光一)

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「バンクーバーの自然と多様性に魅了された元ラグビー代表選手、二渡一行さんが語る異文化体験の価値」カナダの魅力を語る~シリーズ第5回

二渡一行さん
Rugby School Japan、課外活動&パートナーシップ担当
元ラグビー女子日本代表アシスタントコーチ、元ラグビー男子日本代表選手
カナダ滞在歴:バンクーバー12年

 約12年間、私はバンクーバーに住んでいましたが、私のお気に入りの場所はノースバンクーバーのディープコーブです。毎週末、妻と一緒に犬を連れてハイキングに出かけ、カフェでドーナツとコーヒーを味わうのが楽しみでした。

 バンクーバーの魅力は、前を見れば海があり、後ろには山が広がっています。夏はビーチで泳いだり山でハイキング、冬はスキーやその他のアウトドアアクティビティが楽しめる理想的な場所です。また、さまざまな国から来た人々がさまざまな考えを持って共に生活していることも魅力の一つです。

 私がカナダに住んでいた際に一番印象的だった経験は、同世代の人に比べて自分の考えがあまり明確ではなかったことです。カナダでの生活を通じて、自分を発見する貴重な経験がありました。自分の言いたいことや思っていることをはっきりと表現できるようになりました。

 カナダ生活で、自分が足りないものが多いと感じた経験は非常に重要でした。しかしその答えには簡単な答えはなく、多くの経験を通じてそれを見つけるチャンスを与えてくれたのがカナダでした。
 その経験を生かし、現在は日本でさまざまな挑戦に取り組んでいます。帰国してから7年が経ちますが、日本にはまだまだ自分の意見を言わない、言えない文化が残っていると感じます。それでも、私は自分の意見を常に述べるように心がけています。

 もし、あなたにカナダへ行くチャンスがあるのであれば、ぜひ行ってみてください!外国から見た日本は非常に興味深いものだと思います。カナダの人々は日本に対してどのように考えているのでしょうか?日本の文化はカナダでどのように受け入れられているのでしょうか?これらを自分で体験することは、その後の人生においても非常に有益だと思います。

 現在は、千葉県の柏市にあるイギリス系の全寮制の学校であるラグビースクール・ジャパンで働いています。主な仕事は、生徒たちが学校で学ぶIQ(知能指数)からEQ(感情知性、心の知能指数)への活用を企画検討し、展開することです。 また、学校の正課以外での活動として、本校生徒と実社会との懸け橋になるための活動も行っています。

Rugby School Japan:https://rugbyschooljapan.ed.jp/

(動画・記事 斉藤光一)

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佐藤派糸東流空手、氷点下のバンクーバーで恒例の寒稽古

 朝の気温がマイナス5度まで下がったバンクーバーで毎年恒例の佐藤派糸東流空手の寒稽古が1月13日に行われた。

 毎年1月第2土曜日にダウンタウンのイングリッシュベイで行われる寒稽古は今年で52回目。この日指導したUBC糸東流空手インストラクターのマイク・ナカツ氏は「今年は最近では最も寒い寒稽古となりました」と語った。

 それでも参加したメンバーは寒さを気にする様子もなく、「いち、に」と大きな声を出しながらうっすらと雪が残る海岸で稽古に励んだ。最後には全員で海に飛び込み、2024年の寒稽古を完遂した。

身を切るような冷たい冬のバンクーバーの海に入って寒稽古。2024年1月13日、バンクーバー市イングリッシュベイ。Photo by Koichi Saito/Japan Canada Today
身を切るような冷たい冬のバンクーバーの海に入って寒稽古。2024年1月13日、バンクーバー市イングリッシュベイ。Photo by Koichi Saito/Japan Canada Today

 ナカツ氏は寒稽古をする意味は現代こそ大切だと語る。「最近は、フードでも家でオーダーしてデリバリーしてもらったり、仕事ですら自宅からリモートでできたりと、何事も簡単になっています。そんな時代だからこそ、自分自身を鍛えるということが重要です」と言う。「寒稽古は自分自身への挑戦といえると思います」

 海を前にして、「できない、無理だ」と言うのではなく、「とにかく行動することが大切なのです」と話し、「人生において何事も同じです。自分の100%を出し切れば、できるということだと思います」と語った。

 佐藤派糸東流空手道国際連合は佐藤明師範が指導するバンクーバーに拠点を置く空手道場。1970年代に道場を開き、現在ではバンクーバーのみならずブリティッシュ・コロンビア州各地やケベック州、海外にもメンバーを持つ。

 1月の寒稽古以外にも、バンクーバー日系コミュニティでは8月に開催されるパウエルフェスティバルや9月の日系祭りなどでもパフォーマンスを披露。秋には「Sato Cup」を主催している。またコモンウェルスやパンナム、世界選手権などの国際大会にもカナダ代表選手を輩出している。

佐藤派糸東流空手道国際連合: https://www.shitoryu.net

寒さの中、大きな声を出しながら稽古に励む。2024年1月13日、バンクーバー市イングリッシュベイ。Photo by Koichi Saito/Japan Canada Today
寒さの中、大きな声を出しながら稽古に励む。2024年1月13日、バンクーバー市イングリッシュベイ。Photo by Koichi Saito/Japan Canada Today
佐藤派糸東流空手道寒稽古の様子、「寒稽古は自分自身への挑戦」。2024年1月13日、バンクーバー市イングリッシュベイ。Photo by Koichi Saito/Japan Canada Today
佐藤派糸東流空手道寒稽古の様子、「寒稽古は自分自身への挑戦」。2024年1月13日、バンクーバー市イングリッシュベイ。Photo by Koichi Saito/Japan Canada Today
新年の寒稽古で身も心も清らかに。2024年1月13日、バンクーバー市イングリッシュベイ。Photo by Koichi Saito/Japan Canada Today
新年の寒稽古で身も心も清らかに。2024年1月13日、バンクーバー市イングリッシュベイ。Photo by Koichi Saito/Japan Canada Today
佐藤派糸東流空手道、寒稽古のあとで。2024年1月13日、バンクーバー市イングリッシュベイ。Photo by Koichi Saito/Japan Canada Today
佐藤派糸東流空手道、寒稽古のあとで。2024年1月13日、バンクーバー市イングリッシュベイ。Photo by Koichi Saito/Japan Canada Today

(動画 斉藤光一/記事 編集部)

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