「留学生活からスケートボードビジネスの舞台へ:聡さんが綴るカナダ時代の思い出」カナダの魅力を語る~シリーズ第7回

大野聡さん
スカルスケーツ・ジャパン、オーナー
カナダ滞在歴:バンクーバー3年

 スノーボードをしながら冬のグラウスマウンテンから夜のダウンタウンを見降ろす光景や映画に登場するスタンレーパークからの風景に、私は魅了されました。
 都市と自然が絶妙に調和した街の雰囲気は、あまり危険を感じずに住みやすい環境であり、留学生活をより豊かなものにしてくれました。ロサンゼルスへ遊びに行った際、バンクーバーに戻ると、私は日本に帰ったような安心感を得たことを今でも覚えています。

 留学時代のエピソードとして、当時スノーボードへの情熱と学業の両立に挑戦し、毎日のようにスノーボードに明け暮れ、学校とのバランスを取る苦労もありましたが、それがかけがえのない思い出となりました。

 その時は私の生涯で一番勉強しました。また、友達との絆を深めた経験が私に充実した日々をもたらしました。他国の人々との交流も多く、カナダでは比較的すぐに友達ができ、その人間関係が日本では得られない充実した日々をもたらしてくれた、私のとても貴重な体験です。
 貧乏ながらも充実感ある生活、そしてその経験は現在も懐かしい思い出として私の心に蘇ります。特に当時の音楽を耳にするとなおさらです。

 留学中に得た教訓として、自己主張の必要性です。日本人特有の遠慮の文化が、海外では意見をはっきりと述べることの重要性に気づく契機となりました。現在の私の姿勢や主張の仕方にも反映されていると言えます。

 留学やワーキングホリデーに悩む人々へのアドバイスとして、興味があるならばとりあえず行くことをお勧めします。ネットの進化により情報収集が容易になった今、昔の私よりもずっと気楽に留学ができると思います。
 留学を通じて広がった視野や貴重な出会いが、今の私を形作る一因となっていますので、皆さんにもそれを少しでも知って欲しいです。
 英語について心配される方もいますが、私の学生時代の英語の点数は本当に酷かったです(笑)。でも、それなりに何とかなります。英語は話すための道具であって目的じゃないので!

 現在は、カナダのスケートボードブランドであるスカルスケーツの日本総代理店をやっています。このブランドは1978年にカナダで生まれ、80年代のスケートボードブームの時に世界中に広まりました。私は94年に日本で事業を始め、既に30年以上にわたり営業しています。拠点は岐阜県の土岐市という田舎に位置しています。

 その出会いは、留学当時、バンクーバーで通っていた学校の近くにスカルスケーツの本拠地のホットショップがあり、帰りによく立ち寄っていました。スノーボードを買ったことがきっかけで、社長のピーター・デュコム氏(通称PD)と仲良くなり、一緒にスケートボードやスノーボードに行ったりと楽しい時間を過ごしていました。そんな中で、日本でもこんな店をやりたいな~なんて話をし、「それはクールだ!いつかやろうぜ!」という感じになりました。
 帰国後、数年たってPDから電話があり、「昔話をしたあれ、まだ覚えてるか?日本でスカルスケーツの店をやるという話!もしまだやる気あるなら、来月日本に行って話をするから!」との提案からスタートしました。その電話からなんだかんだとずっとお店をやっています。
 カナダに行ったからこそ、こんな出会いもあり、チャンスもあったし、これがやりたい!と思えたことも見つかりました。もし、あの時に私がカナダへ行っていなかったら、今頃何をしていたのかを想像すると怖いですね。

スカルスケーツ・ジャパン
https://skullskatesjapan.com/

脂肪遊戯(Music)
https://www.youtube.com/@shibouyugijp

(動画・記事 斉藤光一)

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