日本語教師 矢野修三
春たけなわ、休暇を取って、念願の日本へ観光旅行と洒落込んだ日本語上級者から、「新幹線の窓から日本一の富士山が見られました。とてもうれしかったです」と、富士山の写真付きのメールが届いた。さらに、「窓から一生懸命見ていましたから、『見える』より『見られる』のほうが正しいですね」と、つけ加えてあり、日本語教師として、ハッピーな気分になった。
ところで、日本人に「見る」の可能形は何ですか?と尋ねると、多くの人は迷わず「見える」と答える。確かに、この「見える」にも可能形を感じるが、文法上は「見る」の可能形は「見られる」である。これを理解するには多少なりとも、自動詞と他動詞の知識が必要だが、日本人はそんなこと学んだ記憶はほとんどない。
でも、そんなこと知らなくても、流石、使い方はちゃんと心得ている。例えば、上野動物園に行けば、パンダが「見える」などとは言わず、「見られる」を、見事に使い分けている。さらに、自動詞と他動詞がペアになっている、「電気がつく・電気をつける」や「お風呂がわく・お風呂をわかす」など、自然にどんどん口から出てくる。母語として当たり前だがすごい。
しかし、日本語学習者は、この自動詞と他動詞が大の苦手。そこで、実例として、「火が消える」と「火を消す」の違い。先ずマッチに火をつけて灰皿に入れ、自然に消えるのを待って自動詞「火が消える」を。次に火をつけたマッチを手に持ちながら、「熱い」といって息で火を消して、何か目的がある場合に他動詞「火を消す」を教えている。
さて、「新幹線の窓から富士山が( )」の文の場合、大部分の日本人は「見える」を使う。この「見える」と「見る」も同じ関係で、自然に「富士山が見える」(自動詞)と、何か目的があって「富士山を見る」(他動詞)であり、この「見る」の可能形が「見られる」となる。
すなわち、東海道新幹線からは自然に「富士山が見える」。でも、日本一の富士山をどうしても見たいと、窓から一生懸命見ていた場合は「富士山が見られた」のほうがいい感じ。英語では、Mt. Fuji can be seen. と I can see Mt. Fuji. の違いかも。
しかし、昨今はSNSなどの影響もあり、「食べれる」などの「ら抜き言葉」が、どんどん広まり、この「見られる」もすでに「見れる」に主役の座を奪われてしまったようで、残念至極。「見える」を含めて、生徒には実にややこしい。でも「ら抜き」にはそれなりの理由もあり、うーん、日本語教師としてもそろそろ考え直さねば。言葉は時代とともに、である。
オーロラなどの自然現象も両方使えるので、イエローナイフに行けば、きれいなオーロラが(見える・見られる)。この使い分けも、自動詞と他動詞の違いを強く意識する必要がある。メールをくれた生徒は、ちゃんと覚えていたようで、とっても嬉しい。So happy!
もし、この生徒が日本で、視力検査を受けたとしたら・・・、眼科の先生が検査表を指しながら、「この字、見えますか?」の質問に、彼は一生懸命見ているので、自信満々に「はい、見られます」と答えるであろう。すると、その先生の一瞬戸惑った、妙な驚きの微笑む姿が目に浮かぶ。

「ことばの交差点」
日本語を楽しく深掘りする矢野修三さんのコラム。日常の何気ない言葉遣いをカナダから考察。日本語を学ぶ外国人の視点に日本語教師として感心しながら日本語を共に学びます。第1回からのコラムはこちら。
矢野修三(やの・しゅうぞう)
1994年 バンクーバーに家族で移住(50歳)
YANO Academy(日本語学校)開校
2020年 教室を閉じる(26年間)
現在はオンライン講座を開講中(日本からも可)
・日本語教師養成講座(卒業生2900名)
・外から見る日本語講座(目からうろこの日本語)
メール:yano@yanoacademy.ca
ホームページ:https://yanoacademy.ca