55年の世代を超えて グラッドストーン日本語学園祝賀同窓会

創立55周年を祝うケーキ。卒業生や髙橋良明総領事などに囲まれ、笑顔を見せる村上陽子学園長(右から4番目)。2026年5月30日、日系文化センターホール。写真提供 グラッドストーン日本語学園
創立55周年を祝うケーキ。卒業生や髙橋良明総領事などに囲まれ、笑顔を見せる村上陽子学園長(右から4番目)。2026年5月30日、日系文化センターホール。写真提供 グラッドストーン日本語学園

 バンクーバー市のグラッドストーン通りで1971年に生まれたグラッドストーン日本語学園は今年創立55周年を迎えた。

 午前中の曇り空がパッと晴れた5月30日の午後、バーナビー市の日系文化センター・博物館の大ホールに約180人の卒業生、保護者、関係者が集い、祝賀同窓会が開かれた。50周年は新型コロナウイルス禍のため開催できず、前回の同窓会から15年ぶりとなった特別な日。再会を喜ぶ笑顔が会場で輝いた。

55年間の卒業生・保護者・関係者約180人が一堂に会して記念撮影。2026年5月30日、日系文化センターホール。写真提供 グラッドストーン日本語学園
55年間の卒業生・保護者・関係者約180人が一堂に会して記念撮影。2026年5月30日、日系文化センターホール。写真提供 グラッドストーン日本語学園

リビングルームから始まった55年

 グラッドストーンの名前の由来は「寺子屋式に我が家で始めたのがグラッドストーン通りだったから」と村上陽子学園長はかつて振り返っている。当時の机は学園長の夫が手作りしたものだった。生徒が増えるにつれ教室は自宅から公民館、公立学校、教会など7度の移転を重ねた。「七転び八起きの8回目に、ナショナル日系博物館・日系ヘリテージセンター(日系文化センター・博物館の開館当時の名称)から『センターに移転しませんか』とお声がかかった時は夢ではないかと思った」という。

 これまでに小学科・中学科・高等科合わせて約2,000人が卒業し、現在は約50人の卒業生の子どもたちが日本語を学習している。参加者たちは、会場の壁にずらりと展示された創立当初からの写真を眺めながら思い思いに歴史を振り返っていた。

会場の壁に展示された「55年間のあゆみ 1971〜2026」。1970年代から年代別に並べられた写真や資料の前で、来場者たちが思い思いに言葉を交わした。2026年5月30日、日系文化センターホール。写真提供 グラッドストーン日本語学園
会場の壁に展示された「55年間のあゆみ 1971〜2026」。1970年代から年代別に並べられた写真や資料の前で、来場者たちが思い思いに言葉を交わした。2026年5月30日、日系文化センターホール。写真提供 グラッドストーン日本語学園

 司会を務めたのは1期生で1976年卒業の若林ケーシー良宏さん。開始前には「とても緊張します」と笑っていたが、式典が始まると終始和やかな雰囲気で進行し、参加者をひとつにつないだ。

 また、スライドショーも上映され、白黒写真から始まる55年分の記録が会場に流れた。白黒写真を見た卒業生が「これ、私たちの世代だよ」と村上学園長に声をかけると、驚きながら懐かしそうにうなずいた。

子どもの頃には見えなかったもの

卒業生を代表してあいさつした森永正雄さん。2026年5月30日、日系文化センターホール。写真提供 グラッドストーン日本語学園
卒業生を代表してあいさつした森永正雄さん。2026年5月30日、日系文化センターホール。写真提供 グラッドストーン日本語学園

 卒業生を代表して、3人が学園での思い出を語った。その一人、2001年卒業の森永正雄さんは「ハイスクールに入ると、自分のアイデンティティについて深く悩むようになり、言語学校に通うことがあまりかっこいいことではないと感じる時期もあった」と当時の正直な気持ちを打ち明けた。

 しかし学園に来ると、そこには「森ちゃん」と呼んでくれる仲間がいた。カナダの学校では名字で呼ばれることはなく、もちろん家庭内でも同じだ。日本語の文化の中でしか生まれない「森ちゃん」という呼び名は、学園の中にしか存在しないアイデンティティだったと振り返る。大人になった今、弁護士として毎日日本語を使いながら「言語とはアイデンティティを作るもの」だと確信するようになったという。

 「日本語教育で何より大切なことは、自分のアイデンティティを育てること。そして一緒に成長していく友達と、心と愛情がこもったあだ名で呼び合うことだ」と語り、「AIに森ちゃんと呼ばれても、ちっともうれしくない」という言葉に会場は笑いに包まれ、深くうなずく参加者の姿もあった。

 この日はさまざまな世代の卒業生が集まった。2022年に卒業したばかりのグラス海さんは「こんなに長く続いてきた学園の歴史の一部であることがうれしい。1971年から続く卒業生たちをこうやって見ていることも本当に驚き」とグラッドストーンの55年の長い歴史を感じた。6歳頃から通い続け、今年8月からは日本で英語指導助手として働く予定だ。

 同年卒業の加藤さくらさんも「大学で日本からの留学生と日本語で話せた時、やっぱり勉強してよかったなって思った。日本の親戚とも話せるし、日本語がここ(カナダ)と日本の架け橋になっている」と話す。当時は漢字の勉強や言葉ノートの宿題が大変だったと振り返りながらも、「あの言葉ノートの独特なデザイン、昔と今で全然変わってないんだなって」と、グラスさんと顔を見合わせて笑った。

 昨年のグラッドストーン日本語学園第54回卒業式で、村上学園長はこんな言葉を卒業生に贈っていた。

 「卒業はゴールではなく通過点。自分の力を信じて、あきらめずに続けてほしい」。

 子どもの頃には見えなかった日本語学習の意味に、それぞれが歳月をかけてたどり着いていた。

次の100年へ向けての助走期間

祝辞で学園と教師の力をたたえた髙橋良明総領事。2026年5月30日、日系文化センターホール。写真提供 グラッドストーン日本語学園
祝辞で学園と教師の力をたたえた髙橋良明総領事。2026年5月30日、日系文化センターホール。写真提供 グラッドストーン日本語学園

 在バンクーバー日本国総領事館の髙橋良明総領事は祝辞で「日本語は忍耐を必要とする言葉。日本の外で学び続けることは本当に難しい」と、子どもたちを支えている学園と教師の力をたたえた。「先生、生徒、保護者の皆さまが1年、また1年と積み重ねてこられた歩みが、今日の55周年につながっている」と語り、50周年の次は60周年と思う人もいるかもしれないが、1年1年を大切に積み上げてきたこの学園にとって、55周年は通過点ではない大切な期間。50周年からのこの5年間を「次の100年に向かっての助走期間ではないか」と表現した。

 また、勤続15年以上の教職員への感謝状贈呈も行われた。長年にわたり同じ教室で支え続けてきた教職員に、会場からは温かい拍手が送られた。

「青は藍より出でて藍より青し」

卒業生を代表してバンクス安里子さんから村上陽子学園長に花束を贈る。2026年5月30日、日系文化センターホール。写真提供 グラッドストーン日本語学園
卒業生を代表してバンクス安里子さんから村上陽子学園長に花束を贈る。2026年5月30日、日系文化センターホール。写真提供 グラッドストーン日本語学園

 あいさつした村上学園長は感無量の様子で、冒頭から何度も言葉を詰まらせた。それでも、大人になった卒業生たちの顔を確かめながら、「教えていた頃の面影が蘇り、懐かしさと喜びで胸がいっぱいになった」と力強い声で話した。涙をこらえながら語るその表情には、うれしさと強い誇らしさが表れていた。

 公民館、教会、学校と場所を変えながら、それでも子どもたちと歩みを止めなかった55年。創立当初の生徒が今日の式典を支えてくれている姿を見て、弟子が師を超えるという意味を持つ「青は藍より出でて藍より青し」ということわざを重ね、晴れやかな笑顔を見せた。そして卒業生の中に孫が生まれたという話を耳にしたと話し、「私にとってはひ孫になるんですよね。その子がいつか学園に来てくれるまで元気でいたい」と笑顔で語った。

 「私は子どもたちのパワーをもらっています。いつもだからこうして元気でいられる。子どもとの会話が私を元気づけてくれるんですね。だから毎日私は家を出る時、こう言うんです。『楽しいとこ行ってきます』」と。

 「みなさんとまた会えることを楽しみにしています。ぜひ日系センターに遊びに来てください」。卒業生たちの顔を見渡しながら閉会の言葉を述べた村上学園長。55年の歩みに感謝を込めて会場から大きな拍手が沸き起こった。

今年度の高等科・中学科卒業生有志によるソーラン節の披露。力強い踊りに大きな拍手が送られた。2026年5月30日、日系文化センターホール。写真提供 グラッドストーン日本語学園
今年度の高等科・中学科卒業生有志によるソーラン節の披露。力強い踊りに大きな拍手が送られた。2026年5月30日、日系文化センターホール。写真提供 グラッドストーン日本語学園
卒業生と保護者による琴の演奏「さくら舞曲」。和やかな音色が会場を包んだ。2026年5月30日、日系文化センターホール。写真提供 グラッドストーン日本語学園
卒業生と保護者による琴の演奏「さくら舞曲」。和やかな音色が会場を包んだ。2026年5月30日、日系文化センターホール。写真提供 グラッドストーン日本語学園

(取材 田上麻里亜)

合わせて読みたい関連記事