「洋子先生に贈る舞」西川流カナダ支部彩月会 松野洋子(西川佳洋)追悼舞踊公演

「西川流カナダ彩月会」全員で。2026年3月28日、バーナビー市。写真提供 西川流カナダ彩月会/撮影 斉藤光一
「西川流カナダ彩月会」全員で。2026年3月28日、バーナビー市。写真提供 西川流カナダ彩月会/撮影 斉藤光一

 満開の桜に囲まれた日系文化センター・博物館で3月28日、西川流カナダ彩月会が「松野洋子(西川佳洋)追悼舞踊公演」を開催した。広い会場には松野さんをよく知る多くの人が集り、見守った。

 西川流師範・西川佳洋として約50年間バンクーバーで西川流日本舞踊を教えていた松野洋子さんが逝去したのは2025年3月26日。さよならも言えなかった突然の別れから約1年、寂しさと戸惑いと感謝の思いを胸に練習を重ね、この日はメンバー全員が「洋子先生」との思い出の舞を披露した。稽古中の指導やいつも優しく時に厳しかった言葉など、それぞれの思いを胸に「洋子先生」に贈る追悼の舞だった。

 公演中には、松野洋子さんの軌跡を紹介する写真や動画も流され、いつも明るく笑顔の「洋子先生」の姿を来場者も一緒に目に焼き付けた。1部と2部に分かれた全12の舞は、厳かに、そして華やかに、会場を包み、最後は彩月会全員で「さくらさくら」を踊って締めくくった。

最後に全員で舞った「さくらさくら」。2026年3月28日、バーナビー市。写真提供 西川流カナダ彩月会/撮影 斉藤光一
最後に全員で舞った「さくらさくら」。2026年3月28日、バーナビー市。写真提供 西川流カナダ彩月会/撮影 斉藤光一

 最後にあいさつしたリトンかおりさんは冒頭から涙声で「もう泣いているんです」と苦笑いして、まだ近くにいるような気がするが「とても寂しいです」と声を絞り出した。それでも生前に松野洋子さんが楽しみにしていたという新たな名取3人を紹介。2025年4月6日に愛知県名古屋市の西川流家元会館で名取襲名披露式に参加して無事に苗字内に加わった、田口恵理子(西川洋恵)さん、吉村真理(西川洋真)さん、久永勝芳(西川洋芳)さんを紹介した。3人にとってはバンクーバーでのお披露目会となった。

 リトンさんは公演実現へ協力した全ての関係者に感謝の言葉を述べ、「洋子先生が多くのものを残してくださいましたので、私たちはそれを一生懸命引き継いで残していきます。これからもどうぞ応援よろしくお願いします」と語った。

 そして「洋子先生」が大好きだったというズンドコ節と炭坑節を来場者も参加して踊り、にぎやかに幕を閉じた。

来場者も一緒に炭坑節を踊る。2026年3月28日、バーナビー市。写真提供 西川流カナダ彩月会/撮影 斉藤光一
来場者も一緒に炭坑節を踊る。2026年3月28日、バーナビー市。写真提供 西川流カナダ彩月会/撮影 斉藤光一

 公演終了後、「秋の色種」を3人で踊った一人、相原満美子さんは「練習ではきちんと踊れていたのですが舞台ではちょっとミスが出ました」と反省したが無事に終わって「ほっとしています」と笑顔を見せた。「博多夜船」を舞った武田麗子さんは「感謝の気持ちを込めてみんなでがんばろうねって練習をしてきました。それと先生は楽しいことが好きだったので楽しく踊れたら」とこの1年間全員で練習に励んできたと話す。松野洋子さんの急逝になかなか実感が湧かなかったが「先生が亡くなって1年があっという間に過ぎて、今日無事に終えてすごく感じることが多いです。本当に先生がおられないんだなという感じです」と少ししんみりした。それでも多くのものを残してくれた「洋子先生」を思いながら、二人とも彩月会を「続けていきたい」と前を向いた。

 「彩月会」は2011年に松野洋子さんが立ち上げ、日系センターで後進の指導に力を入れていた。コミュニティとのつながりも深く、日系カナダ人コミュニティを中心に幅広く活動してきた。2023年には西川流家元西川千雅さんの承認を得て6月16日に正式名称を「西川流カナダ彩月会」と改名。時を同じくして、かおりリトンさんが西川洋香に、芦田有希子さんが西川洋雪に、カナダで初めて2人が名取式を経て正式に西川流苗字内に入った。この日は名古屋の西川千雅さんから追悼公演のためにメッセージが届いていた。

第1部終了後の休憩時間に琴の音色と共に紹介されたスライドショー「舞い続けた人生:西川佳洋メモリアル・フォトストーリー」。2026年3月28日、バーナビー市。写真提供 西川流カナダ彩月会/撮影 斉藤光一
第1部終了後の休憩時間に琴の音色と共に紹介されたスライドショー「舞い続けた人生:西川佳洋メモリアル・フォトストーリー」。2026年3月28日、バーナビー市。写真提供 西川流カナダ彩月会/撮影 斉藤光一

(取材 三島直美)

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