日本語教師 矢野修三
日本語にはこんな言葉遊びがある。例えば、「ぼくはしらない」の読み方。「ぼくは、しらない」(僕は知らない)と「ぼく、はしらない」(僕、走らない)である。すなわち、切るところを変えると違う意味になってしまう遊びである。
よく日本語クラスの授業中に、こんななぞなぞ遊びをした思い出がある。「女の子がカメラを買いに『カメラください』と言ってお店に入りました。するとお店の中に三匹の動物がいました」、その動物はなーんだ ?
これも言葉遊びとして知られている一つである。この「かめらください」を切るところを変えて読むと、「かめ/らくだ/さい」となり、三匹の動物は「カメとラクダとサイ」と説明すると生徒はびっくり。日本語の面白さも加わり、クラスの雰囲気も明るくなる。
この奇妙な読み方は一般的に「ぎなた読み」と呼ばれている。でもこんな言葉、日本人でも知っている人は少なく、小生も日本語教師になってから、初めて耳にした言葉である。
この「ぎなた読み」の由来は「弁慶が、なぎなた持って」と読むべきところを、間違えて「弁慶がな、ぎなたを持って」と読んでしまい、それから、切るところ変えて読むことを「ぎなた読み」と言うようになったとのこと。なるほど。
この「ぎなた読み」で有名なのが、「ここではきものをぬいでください」である。これを読んだご婦人が着物を脱ぎ始めたと、いうお話。「ここで、はきものをぬいでください」ではなく、「ここでは、きものをぬいでください」と読んでしまったのである。
また、新聞の高校野球記事の見出しに、「エースがちんこ勝負」と書いてあり、これを「がちんこ」という言葉を知らない子供が、「エースが、ちんこ勝負」と読んでしまった・・・。こんな笑い話もある。
この「ぎなた読み」を上級者に話したら、英語にも同じようなものがありますよと、こんな例文を。”Let’s eat, Grandpa.”である。もし、この文のGrandpa(おじいちゃん)の前のカンマを忘れたら・・・。なるほど。確かに恐ろしい文になってしまう。So funny. カンマは大事なり。
この「ぎなた読み」に関して、江戸中期の歌舞伎脚本家である近松門左衛門に、こんなエピソードがある。文の読点(とうてん)を軽んじて、ないがしろにする数珠屋の主人に、「ふたえにしてくびにかける」数珠を注文した。そして、主人は「二重にして、首にかける」数珠を作ってきた。すると、近松は注文した数珠は「二重にし、手首にかける」数珠であると突き返し、読点の大切さを分からせた、という話である。なるほど。
この「ぎなた読み」、漢字で書けばすぐ分かり、遊びにならないが、ひらがなで書いたり、口で伝える場合は分かりにくく、面白みもある。日本語教育においては、まるで必要ないが、でも助詞の「は」を「wa」と発音させることが、日本語教師としては大事であり、そのトレーニングに役に立つものもある。上記の「ぼくはしらない」などいい例である。
これは言葉遊びとして、いろいろ作られている。「乳がんは男性にも、まれながら発見される」。これを「ぎなた読み」にすると・・・。
区切り方一つで意味が大きく変わる言葉の妙に、改めて大いに頷いてしまった。

「ことばの交差点」
日本語を楽しく深掘りする矢野修三さんのコラム。日常の何気ない言葉遣いをカナダから考察。日本語を学ぶ外国人の視点に日本語教師として感心しながら日本語を共に学びます。第1回からのコラムはこちら。
矢野修三(やの・しゅうぞう)
1994年 バンクーバーに家族で移住(50歳)
YANO Academy(日本語学校)開校
2020年 教室を閉じる(26年間)
現在はオンライン講座を開講中(日本からも可)
・日本語教師養成講座(卒業生2900名)
・外から見る日本語講座(目からうろこの日本語)
メール:yano94canada@gmail.com
ホームページ:https://yanoacademy.ca
日本語教師として37年、81歳になって
初めて、平仮名「あいうえお」の
素晴らしさ、奥深さを悟りましたよ。
愛情、いっぱいで、生まれ
あ い う
笑顔で、終える。
え お
素晴らしきかな「あいうえお」




















