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矢野修三

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44 ☆「頑張れ」と「加油」の対比

日本語教師  矢野修三

 先日、台湾出身の友人との集まりがあり、そこで中国語の「加油」(ジャーヨウ)という言葉を話題にした。日本語にすれば、「頑張って」という意味である。

 実は、日本語教師として、中国語を母語とする生徒には、よくこの「加油」を使って、「日本語 ジャーヨウ」 と声を出して励ますと、なかなか効果的である。

 ところで、同じ漢字言葉としての「加油」と「頑張る」。意味的には同じなのに、なぜ中国語と日本語で、こんなに漢字が異なるのか、すごく気になっていた。ちょうど良い機会なので、この「加油」の語源などを台湾の友人たちにいろいろ聞いてみた。

 なるほど、まさしく「加油」(ジャーヨウ)は油を加えるであり、車もガソリンを入れると力強く走れるようになるので、そこから「頑張れ」や「ファイト」という励ましや応援の意味になったとのこと。確かに、人間にもエネルギーを加えて、もっと力を出そう、の意味として、応援相手や自分自身を励ます掛け声として使うとのこと。なるほど、とても分かりやすい。

 これに対して、日本語の「頑張る」だが、由来を探ると有力なのが二つある。一つは「我を張る」で、すなわち、自分の考えをどこまでも押し通す、意地を張るなどから変化して、踏ん張るや気を張るという意味に変化した。

 もう一つは「眼を張る」で、ちゃんと目を開き、油断せず努力してやり通すという感覚から。

 いずれにせよ、どちらも困難に負けず、踏ん張って意思を貫くという響きがあり、さらに、発音や意味が似ている、頑固などの漢字「頑」(ガン)を当て字として使うようになったようで、「頑張る」や「頑張れ」などの言葉ができたとのこと。うーむ、何となくややこしい。

 日本語と中国語では、発想の起点が異なっており、文化の違いと言えばそれまでだが、とても興味をそそられる。すなわち、日本語は精神的な「自分の力で踏ん張る」であり、中国語は具体的な「外から油を補給する」である。

 確かに、日本語の「頑張る」は自分自身に気合を入れるにはふさわしいが、応援の「頑張って」は、場合によっては「もう十分頑張っているのに・・・」と、相手が少し重く感じることもある。

 一方、中国語の「加油」(ジャーヨウ)は「油を加えるよー」なので、応援には実にふさわしい。でも、自分自身に対しては、ちょっと弱い感じも・・・。

 それゆえ、こんな考えが我が輩の頭の中に広がった。自分への励ましは、日本語の精神的な「頑張るぞ」がピッタリで、相手への応援には「加油」(ジャーヨウ)がバッチリかも。

 こんなこと、どうでもいいことだが中国系2世の日本語上級者に話したら、彼曰く、この「加油」を英語にすると「Add oil」であり、ここバンクーバーの大学などでも、中国語系の若者たちは、冗談交じりに、「加油」の代わりに「Add oil」を使っているとのこと。えー、びっくり。

 そこで、この「Add oil」が「Good luck」や「Do your best」などの意味として、近い将来、一般的に使われるようになったら面白いね、と二人で笑ってしまった。

 ちょうど、「久しぶり」を意味する「Long time no see」が中国語の「好久不見」(ハオジウ ブージェン)をそのまま、好久(long time)+不(no)+見(see)と英語に訳して作られた、という説が有力であり、確かに英語の正式な言い方ではなく、当初はかなり違和感があったようだが、現在では一般的に広まり、堂々と使われている。

 ぜひ、「Add oil 」も同じように広まって! 頑張って! 加油 ! Add oil!

「ことばの交差点」
日本語を楽しく深掘りする矢野修三さんのコラム。日常の何気ない言葉遣いをカナダから考察。日本語を学ぶ外国人の視点に日本語教師として感心しながら日本語を共に学びます。第1回からのコラムはこちら。

矢野修三(やの・しゅうぞう)
1994年 バンクーバーに家族で移住(50歳)
YANO Academy(日本語学校)開校
2020年 教室を閉じる(26年間)
現在はオンライン講座を開講中(日本からも可)
・日本語教師養成講座(卒業生2900名)
・外から見る日本語講座(目からうろこの日本語)    
メール:yano94canada@gmail.com
ホームページ:https://yanoacademy.ca

日本語教師として37年、81歳になって
初めて、平仮名「あいうえお」の
素晴らしさ、奥深さを悟りましたよ。

愛情、いっぱいで、生まれ
あ  い     う

笑顔で、終える。
え   お

素晴らしきかな「あいうえお」

43 ☆「ぎなた読み」とは・・・?

日本語教師  矢野修三

 日本語にはこんな言葉遊びがある。例えば、「ぼくはしらない」の読み方。「ぼくは、しらない」(僕は知らない)と「ぼく、はしらない」(僕、走らない)である。すなわち、切るところを変えると違う意味になってしまう遊びである。

 よく日本語クラスの授業中に、こんななぞなぞ遊びをした思い出がある。「女の子がカメラを買いに『カメラください』と言ってお店に入りました。するとお店の中に三匹の動物がいました」、その動物はなーんだ ?

 これも言葉遊びとして知られている一つである。この「かめらください」を切るところを変えて読むと、「かめ/らくだ/さい」となり、三匹の動物は「カメとラクダとサイ」と説明すると生徒はびっくり。日本語の面白さも加わり、クラスの雰囲気も明るくなる。

 この奇妙な読み方は一般的に「ぎなた読み」と呼ばれている。でもこんな言葉、日本人でも知っている人は少なく、小生も日本語教師になってから、初めて耳にした言葉である。

 この「ぎなた読み」の由来は「弁慶が、なぎなた持って」と読むべきところを、間違えて「弁慶がな、ぎなたを持って」と読んでしまい、それから、切るところ変えて読むことを「ぎなた読み」と言うようになったとのこと。なるほど。

 この「ぎなた読み」で有名なのが、「ここではきものをぬいでください」である。これを読んだご婦人が着物を脱ぎ始めたと、いうお話。「ここで、はきものをぬいでください」ではなく、「ここでは、きものをぬいでください」と読んでしまったのである。

 また、新聞の高校野球記事の見出しに、「エースがちんこ勝負」と書いてあり、これを「がちんこ」という言葉を知らない子供が、「エースが、ちんこ勝負」と読んでしまった・・・。こんな笑い話もある。

 この「ぎなた読み」を上級者に話したら、英語にも同じようなものがありますよと、こんな例文を。”Let’s eat, Grandpa.”である。もし、この文のGrandpa(おじいちゃん)の前のカンマを忘れたら・・・。なるほど。確かに恐ろしい文になってしまう。So funny. カンマは大事なり。

 この「ぎなた読み」に関して、江戸中期の歌舞伎脚本家である近松門左衛門に、こんなエピソードがある。文の読点(とうてん)を軽んじて、ないがしろにする数珠屋の主人に、「ふたえにしてくびにかける」数珠を注文した。そして、主人は「二重にして、首にかける」数珠を作ってきた。すると、近松は注文した数珠は「二重にし、手首にかける」数珠であると突き返し、読点の大切さを分からせた、という話である。なるほど。

 この「ぎなた読み」、漢字で書けばすぐ分かり、遊びにならないが、ひらがなで書いたり、口で伝える場合は分かりにくく、面白みもある。日本語教育においては、まるで必要ないが、でも助詞の「は」を「wa」と発音させることが、日本語教師としては大事であり、そのトレーニングに役に立つものもある。上記の「ぼくはしらない」などいい例である。

 これは言葉遊びとして、いろいろ作られている。「乳がんは男性にも、まれながら発見される」。これを「ぎなた読み」にすると・・・。

 区切り方一つで意味が大きく変わる言葉の妙に、改めて大いに頷いてしまった。

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42 ☆「弁護士」 と 「弁当」

日本語教師  矢野修三

 7月文月も後半に入り、夏本番。日本は猛暑、酷暑。それに比べて、バンクーバーの夏は誠に素晴らしく、至福のときを過ごしていたのだが・・・。思いもよらない、ちょっと笑いを誘う、難儀な質問が舞い込んできた。

 先月号の弁護士に関する「本の紹介」の記事を読んだ日本語上級者からの驚きの質問。なぜ、「弁護士」と「弁当」の「弁」は、同じ漢字なんですか?である。

 えー、こんな質問、長く日本語教師をしているが、初めてで、びっくり仰天。でも確かに言われてみれば不思議である。なかなか「弁護士」と「弁当」の共通点など思いつかず、言葉に詰まってしまった。「うーん、ごめん 調べるね」と、恥ずかしながら謝らざるを得なかった。

 そこでまず、「弁当」の語源が知りたくなり、早速調べてみた。諸説あるようだが、中国語の「便当」という言葉に由来するというのが有力らしい。中国語ではこの「便当」は「都合がよい」や「便利である」という意味で、これが日本に伝わり、「弁当」という漢字が当てられたようである。加えて、この「弁当」を日本式に「持ち運びする便利な食べ物」として使うようになったとのこと。

 そして、江戸時代ごろから、「弁当」を持って、お花見などの行楽を楽しむようになり、さらに、芝居の合間(幕の内)に食べる弁当として、「幕の内弁当」なども大いにもてはやされ、いわゆる日本特有のお弁当文化が花開いたようである。なるほど。

 一方、弁護士の「弁」だが、昔は「辯」という漢字か使われており「辯護士」であった。この「辯」の意味は「言葉で治め、正す」という意味とのこと。人々の権利や利益を守る法律の専門家、まさしく、「辯護士」である。

 しかし戦後1946年の当用漢字制定に伴い、この「辯」は、画数が複雑なので、簡単な「弁」に変えられてしまった。ほかにも「ベン」と読み、複雑な漢字、例えば「辨償」が「弁償」に、「花瓣」が「花弁」にと、すべてこの「弁」に統一されてしまった。

 それゆえ、そもそも「弁護士」と「弁当」の「弁」は、直接関係なし。さらに「弁」にはたくさんの意味があるのは当たり前なのである。うーん、大いに納得し、何となくホッとした。

 とはいえ、「もともとは別々の漢字でした」。こんな説明では、日本語学習者はあまり実感がわかず、面白くないであろう。 

 そこで、この「弁」には大きな意味で、「うまくまとめる」という意味があり、「弁護士」は言葉を用いて人と人の間をまとめるのが仕事であり、「弁当」はご飯やおかずを一つの箱の中にうまくまとめること。どちらも「まとめる」という点で仲間だよ・・・。少し面白味を出して、詭弁にならないように、こんな説明をしようと意気込んでいる。

 そんなことを考えていたら、「弁慶」はなぜ「弁」なのだろう・・・、余計な疑問が頭をもたげた。そして、思わず五条大橋の上で、弁慶か牛若丸に京都弁で弁解しながら、手作り弁当を差し出す。こんなシーンを思い浮かべてしまった。失礼しました。

 生徒の思わぬ質問から、「弁」に関するいろいろな知識を得ることができ、改めて教師冥利に尽きる思いである。でも日本語教師として、この「弁」はなかなか面白いが、すごく面倒な漢字だと分かったので、もう「弁」に関する質問は「勘弁」 願いたい。

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友人の本紹介 ☆「枯楓の救い」

自身の著書 「枯楓の救い」を手に。ブライアン・ダンさん。2026年6月、バンクーバー。撮影 矢野修三
自身の著書 「枯楓の救い」を手に。ブライアン・ダンさん。2026年6月、バンクーバー。撮影 矢野修三

日本語教師 矢野修三

 このようなすごい小説を日本で出版したカナダの友人がいます。彼の名はブライアン・ダン。本来の職業は作家ではなく、弁護士さん。ブライアンとの出会いは、およそ20年前。彼の妻は日本人で、当校の日本語教師養成講座を受講されたのがきっかけでした。 

 日本語が話せるカナダの弁護士と聞いて、日本語教師として興味を持ち、初めてお会いしてびっくり。彼の日本語はうまいなどというレベルではなく、とても流ちょうで発音も美しく、まるで日本人と話している感じ。さらに古典(平家物語)などにも造詣が深く、驚きの連続でした。

 仕事の関係で、日本に転勤され、しばらくお目文字も叶いませんでしたが、去年の暮れに、「枯楓の救い」という題名の小説を文芸社から上梓したとの報告を受け、先ずはびっくり、そして納得。日本語の小説家としてのデビューに拍手、万歳でした。

 たまたま、先月バンクーバーに一時帰国されたというので早速会って、この本を手にしながら、いろいろなトピックに花が咲きました。

 まず、この小説の内容ですが・・・、心にトラウマを抱えたカナダ人弁護士と東京の下町でひっそりと暮らす女性との・・・。著者が表紙の帯に書いてあるごとく、「愛は寂しさも悲しさも増幅させ、そして昇華させてくれる」です。うーん、とても含みのある、深遠な雰囲気が漂う、言葉遣いですね。すごい。

 それにしても、東京の下町、銀座、京都、鹿児島、そしてバンクーバーと舞台を変えて繰り広げられる「禁断の愛」であり、彼がどうしてこのようなストーリーを思いついたのか・・・。それがものすごい驚きでした。ナント、全体をまとめ上げるまでに約8年も費やしたとのこと。

 さらに、題名「枯楓の救い」ですが、枯楓(こふう)の読み方も難しく、最初はあまり馴染めませんでしたが、これに関して、彼曰く、「ちょっとしたひらめきでした」とのこと。

 まさしく、主人公はカナダ人でカナダといえば「楓・かえで」。それにあらすじと強く関係する「枯れかけた楓」や「救われる」などを加味した「枯楓の救い」がひらめいたようです。

 結びのエピローグも素晴らしく、なるほど、なるほどと何度も頷きながら読み終え、この題名「枯楓の救い」がとてもぴったり、ストンと腑に落ちた次第です。

 そして、最後に彼とのこんなやり取りで締めくくりました。「日本を離れて、バンクーバーにお住まいの日系社会の皆さんや一度でもバンクーバーで過ごされた経験のある方々に、ぜひこの本を読んでいただき、日本の伝統文化の素晴らしさや日本語の奥深い表現などを再認識していただければ嬉しいですねーーー」 以上也。

ブライアン・ダン著「枯楓の救い」(文芸社)
日本では書店やネットで購入可能、カナダからは電子版を電子書籍サイトから購入できる。

ブライアン・ダン著「枯楓の救い」(文芸社)
ブライアン・ダン著「枯楓の救い」(文芸社)

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41 ☆「間違った」と「間違えた」の違いは・・・ ?

日本語教師  矢野修三

 最近のSNSはまるで生き物のようにどんどん進化しており、すごいというよりは恐ろしい感じがする。確かに、スマホなどはいろいろなことができるのでとても便利。指一本で銀行振り込みから外国にいる友人と会話や写真なども簡単に写せて送れる。でも便利過ぎてうまく使いこなせず、苛立ちを覚えるお年寄りも多い。小生も然り。

 そんなお仲間と会うと、手元にあるスマホがよく話題に。先日もある方から、操作のやり方を間違えてしまい、いろいろ触って、スマホが動かなくなって大弱り。

 加えて、言葉に関する、「間違ってしまった」と「間違えてしまった」はどんな違いがあるのか・・・こんな質問も受けてしまい、こちらも大弱り。うーん、確かに両方使われており、日本語教師泣かせの質問である。

 これは先ず「間違う」と「間違える」の二つの動詞を意識する必要がある。つまり、自然に「火が消える」の自動詞と、何か目的があって「火を消す」の他動詞との違いで、「間違う」は自動詞であり、「間違える」は他動詞。でも、これは日本語上級者に説明するにはとても役立つが、日本語を母語とする人は自動詞や他動詞の違いなどほとんど意識したことはなく、こんな説明はとても分かりにくく、意味がない。

 でも、日本人はこの「間違う」と「間違える」を何気に使い分けている。例えば、職場などの住所録で、自分の住所が違っていれば、一般的に「間違っている」と自動詞「間違う」の活用形を使う。これは作成者が何となく無意識に「間違った」という自動詞感覚である。

 もし、他動詞「間違える」を使って、「私の住所、間違えてある」と言えば、何か目的があって、ワザと間違えた、というニュアンスで、とても違和感があり、ほとんど使わない。

 逆に、自分本人が、友達の住所を「間違ってしまった」は、自然に間違ったニュアンスで、何となく責任逃れを感じる。やはり「間違える」を用いた「友達の住所を間違えてしまった」のほうがふさわしい。うーん、ごもっとも。ちゃんと使い分けている。すこい。

 例えば、「間違いやすい漢字」と「間違えやすい漢字」だが、これも両方何となく使っている。でも、「間違い」は自動詞「間違う」繋がりなので、自然にその漢字自体が間違いを招きやすい、という感じがあり、「間違え」は読む人がその漢字を間違えやすい、そんなニュアンスを感じるのでは。でもでも、さほど大きな差などなく、どちらでもノープロブレム。

 さらに、「一歩間違えば、大惨事」という言い方であるが、「一歩間違えれば、大惨事」も耳にする。「間違えば」と「間違えれば」の違いであるが、これもどちらも意味は十分通じる。

 そこで、「どんな違いを感じますか・・・」と、何人かの日本人に聞いてみた。すると、「一歩間違えば」を使うという人が多い。でも、どことなく違いも感じると答えた方も多い。

 確かに、「一歩間違えば」はほんのわずか条件がずれればという、自然な危うさであり、一方、「間違えれば」は人が誤ればという、人的行為を感じる方も多いのでは・・・。無意識に、でも自動詞、他動詞の感覚的な違いを感じている。

 けれども、こんな違いを厳密に区別する必要などまるでないと思う。多くの日本人は「こっちのほうがしっくりくる」と、個人差もあろうが、何となく使い分けている。正に母語が持つ感受性であろう。ニュアンスを大事にする日本語の奥の深さである。

 すると、表題の「間違った」と「間違えた」だが、間違いを複雑なスマホのせいにしたい場合は「間違った」であり、使い方が下手で自分の責任にする場合は、このスマホは複雑すぎて、「間違えた」が何となくよろしいかも。確かに、日本語は、奥は深いが、間違えやすい言葉かも。

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40 ☆「行く春」の読み方は・・・? 

日本語教師  矢野修三

 皐月5月もすでに後半に・・・、若葉も日に日に色濃くなり、春は静かに背を見せながら過ぎ去ろうとしている。この季節、日本の報道関連の記事では「行く春を惜しむ」、こんなフレーズがちょくちょく目に入る。

 さて、この「行く春」の読み方だが、日本人は無意識に「ゆく春」と読む人が多いのでは・・・。ごもっとも。この「いく」と「ゆく」の読み分けだが、そこはかとなく使い分けている。ことさら学校で習った記憶などないが・・・、母語が持つ素敵な感受性なのであろう。

 でも、日本語学習者にとってはややこしい。初級レベルでは「行く」は「いく」と教える。「学校に行く」や「会社に行く」である。しかし、レベルが上がるにつれて「ゆく」も教えなければならない。例えば、「行く年・来る年」なども日本人は「ゆく年」のほうに親しみを覚える。

 すると上級生徒から、「いく」と「ゆく」の違いは何ですか、こんな質問をよく受ける。そこで、とりあえず「ゆく」は特別なケースに使うと、教えているがなかなか説明しにくい。

 この「ゆく」と「いく」の歴史的経緯だが、奈良・平安時代は「ゆく」だったが、「いく」も登場して、江戸時代ごろから明治以降はどんどん「いく」のほうが主流になってきたようである。確かに、現在では、漢字「行く」だけなら、「いく」と読みたくなる。

 でも、松尾芭蕉の俳句、「行く春や」や「行く秋ぞ」などは当然「ゆく」であり、戦時中の歌謡「海行かば」も無論「ゆく」。古風で情緒的、文学的な場合はちゃんと使い分けている。

 そこで「行く春を惜しむ」だが、惜しまれながら去っていく感じであり、やはり「ゆく」のほうが余韻を残す感じで落ち着く。状況にもよるが、「行く冬を惜しむ」などはあまり耳慣れない。

 また、個人差もあろうが、例えば、友達との会話で、急いでいる雰囲気であれば、「急いでどこにいくの?」であり、カジュアルな服装で旅行にでも行くような雰囲気であれば、「あら、どこにゆくの?」と、何となく使い分けたくなるのでは・・・。かっこいい、Cool !

 このように日本人は「ゆく」と「いく」を何となく見事に使い分けているが、これを生徒に教えるのは文法的な決まりなどないのでとても大変。そこで、一応日本人の考え方を説明した後で、こんなテーマを出して遊びながら教えている。「行き先」の読み方は「いき先」と「ゆき先」とどちらでもノープロブレム。でも、日本人になったつもりで、使い分けを考えて、である。

 すると、ある生徒は「伝統的でおもしろい場所」は「ゆき先」ですが、「おもしろくない場所」は「いき先」です、と答えた。お見事。思わず笑ってしまった。では、行き先が京都の場合は・・・、と聞くと、もちろん「ゆき先」です。でも、Schoolに「ゆきます」は絶対言いたくないです。うーん、なるほど、すごい、思わず脱帽。   

 でも、少し面倒な側面も。「一度行ってみたい」などの「行って」を日本語教育では「て形」と呼び、「行く」の「て形」は「行って」と教える。

 すると、生徒は「行って」の読み方も当然「いって」と「ゆって」と二つあると思う。でも「一度ゆってみたい」は意味が分かりにくい。それ故、「行く」の「て形」は残念ながら「いって」だけ。

 こんなこと一般的には気にする必要ないが、うーん、日本語教師としては意識しなければやばい。それなら、平安時代の「ゆく」の「て形」は「ゆきて」だったようなので、これを強引に使って、「ぜひ一度京都にゆきてみたい」を生徒に教えてみたいぞなもし。(ですよー、の土佐弁)

 ちなみに、「竜馬が行く」だが、坂本竜馬はでっかい夢に向かって突進したのだから、「ゆく」と読みたい人が多いのでは。でも若者世代は「いく」と読む人も多い。そこでどうしても「ゆく」と読んでもらいたい場合は、本のタイトルのように「竜馬がゆく」とひらがなが分かりやすい。確かにひらがなのほうがどことなく日本語として軟らかさを感じる。

 日本語は奥が深く、なかなか「行き先」が見えず、とても大変。でも、そんな日本語を楽しく教えながら、さらなる上級日本語を目指して、あまたの「生徒がゆく」。こんなCoolな光景を思い浮かべている。

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39 ☆「不気味」と「無気味」どっち?

日本語教師  矢野修三

 早くも4月半ば、自然界は春本番、いろいろな花が咲きこぼれる素晴らしい季節を迎えている。でも人の世は依然として、むごい戦争が続いており、とても不気味である。

 こんな情勢を踏まえて、日本の年輩友人から、「無気味」と「不気味」、どっちが正式な書き方なのか、との質問を受けた。確かに、どちらも見かけるし、辞書にも両方載っている。

 そこで、「どうぞお好きなほうを、それが正解です」と返事した。すると友はびっくり。驚くのはごもっともであるが、この「不」と「無」は誠に日本語教師泣かせの漢字であり、使い方は日本人にとってもかなり厄介である。

 実は、この漢字「不」と「無」の使い分けは歴史的な背景も絡んで複雑である。まず戦前は「不器用」や「不気味」などは、「不」を使っていたとのこと。それが、戦後間もない昭和23年(1948年)に国の制定により、「不」は「フ」だけで、「ブ」と読んではダメと決めてしまった。

 そこでそれまで「ブ」と読んでいた「不器用」や「不気味」などは、「不」は使えず、「無」を使って、「無器用」や「無気味」に変えてしまった。

 するとその結果、いろいろ不都合が出てきた。例えば「不祝儀」を「無祝儀」と書いたら意味的にもおかしくなってしまった。

 そこで、ようやく昭和48年(1973年)に改定されて、再度「不」を「ブ」と読んでも良いことにしたようである。いろいろ調べてびっくりしてしまった。

 このように、お粗末な歴史的経緯があり、それ以降、現在では「ブ」と発音する言葉で、かなりのものは辞書に「不」と「無」と両方の漢字が載っている。例えば「不気味」と「無気味」や「不作法」と「無作法」、「不用心」と「無用心」などなどである。確かに昔の経緯もあり、両方使っていたのであるから、いまさら一つに決められず、どちらもOKとしたのである。年配の方は学校教育でどのように教わったのか、戸惑ってしまうのは至極当然である。

 でも文法的には、確かに「不」と「無」では違いがある。「不」は「そうではない」という否定を表し、「無」は「有る」の反対語で「無い」である。葬式などを表す「不祝儀」は「祝儀ではない」という意味であり、「無祝儀」は「祝儀は無し」という意味になってしまい、不自然である。

 しかし、「器用」などは「器用ではない」であれば「不器用」でいいし、「器用さが無い」と考えれば「無器用」でも、ほぼ同じ意味であり、両方辞書に載っている。どっちを使うかはその人の判断に任せるが結論である。

 そこで、「不気味」と「無気味」、どっちに馴染みがあるか、いろいろな人に聞いてみた。すると、それなりのお年の方は「無気味」であるが、若い世代は「不気味」が多い。なるほど。新聞などでも「不」のほうが優勢のようである。

 うーん、ややこしいので、過去の不備は水に流し、そのうちどちらか一つに定める動きが出てくるかも・・・。でも、白黒つけず、個人の考えに任す。こんな考え方があっても、いかにも日本的でよろしいのでは・・・。日本語教師としては大変だが、「不用心」か「無用心」などもその人の考えで異なる、いとおかし。実に 「無粋or不粋」な説明ですみませぬ。

 最後に、我が感じをこんな漢字で綴ってみた。八十路を過ぎ、「出不精」になり、髭を剃るのも面倒で、「無精髭」をさすりながら、エッセイを書いているので、体が「不器用」に、そして「無愛想」になってしまいそうで、いささか心配でござる。

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38 ☆ 午年は ほくそ笑みたい !

日本語教師  矢野修三

 ひと雨ごとに春めく今日この頃、かなり昔に日本語教師養成講座を受講し、現在日本で日本語を教えている卒業生M君から面白いメールが届いた。過日、彼の友人の結婚式があり、二人の「馴れ初め」を聞いて、にやりと笑ってしまった、とのこと。

 彼曰く、新郎はサラリーマンで、ボーナスが思ったより多かったので、大喜び。早速、仲間と呑み会を。でも、うれしさのあまり飲みすぎて、果ては、転んで病院に入院するほどの怪我をしてしまった。後悔しきり。でも、その病院に素敵な看護婦さんがおり、一目ぼれ。

 さらに続けて、そんな出会いを聞いて12年前に先生からしっかり学んだ『人間万事塞翁が馬』を思い浮かべ、今年がちょうど午年なので、思わずメールを入れました、である。

 そういえば、彼は2014年に養成講座を受講。午年であり、時折、馬に関するこの「人間万事塞翁が馬」を話題にした。特に彼は関心を寄せたので、本来の授業はそっちのけ、「人間」の読み方や「ほくそ笑(え)む」なども説明したことを思い出し、こっちもにんまり笑ってしまった。

 さて、この「人間万事塞翁が馬」、中国の古い故事でご存じの方も多いが、簡単に説明すると・・・。塞翁(さいおう)とは砦に住む老人であり、彼の馬が隣の国へ逃げてしまった。人々は気の毒がる。でも老人は動じない。やがて、その馬が名馬を連れて戻ってきた。みんな大喜び。しかしその名馬に乗った息子が落馬して足の骨を折ってしまった。人々は気の毒がる。でも老人は動じない。しばらくして隣国と戦が始まり、若者はほとんどが戦死してしまう。しかし彼の息子は怪我のおかげで兵役を免れ、命を長らえた、という故事に基づく。

 幸と不幸は予測しがたく、幸せが不幸に、不幸が幸せに転じることもあるので、安易に喜んだり、悲しんだりするべきではないという老人の味わい深い教訓である。

 先ずはこの「人間」の読み方。正式な読み方はナント「じんかん」であり、「世の中」や「世間」という意味になるとのこと。普通は「にんげん」と読んでしまうが、確かに、この諺は「人」よりは「世の中」のほうが理解しやすい。でも最近は「にんげん」と表記している辞書もあるようだが、やはり「じんかん」と読むほうが奥深さを感じる。

 次に、「ほくそ笑む」。現代ではほとんど使われていない古語だが、でもシニア世代では心当たりのある方も多いのでは。この語源は諸説あるようだが、「人間万事塞翁が馬」と関係ありとの説が有力である。中国語で、塞翁(さいおう)とは砦に住む老人であり、北叟(ほくそう)も北の辺境の地に住む老人を意味し、この二人は同じ人物とのこと。

 この老人の物事に達観した静かな笑いを北叟笑む(ほくそうえむ)と呼ぶようになり、それが変化して「ほくそえむ」になったとのこと。具体的には、声など出さず、一人静かに口元だけで笑う仕草である。親として、息子が落馬骨折の理由で戦死を逃れたのだから、この老人、一人ひそかに、にんまり笑ったのは間違いないであろう。正に「ほくそ笑む」である。

 うれしいとき、悲しいときは声を出して笑ったり、泣いたりするのは若気の至りで大いに結構。でも加齢につれ、物事を静観し、はしゃぎすぎたり、落ち込みすぎたりする必要はなく、静かに余裕をもって生きることが大事だと、この歳になり、ようやく悟りの境地に。それゆえ、一生懸命、鏡を見ながら、「ほくそ笑む」の笑い方を練習している今日この頃。

 この午年、「人間(じんかん)万事塞翁が馬」にあやかり、災難が幸運を呼んで、何事もうまくいきますように、静かに口元でほくそ笑みたいと思います。

「ことばの交差点」
日本語を楽しく深掘りする矢野修三さんのコラム。日常の何気ない言葉遣いをカナダから考察。日本語を学ぶ外国人の視点に日本語教師として感心しながら日本語を共に学びます。第1回からのコラムはこちら。

矢野修三(やの・しゅうぞう)
1994年 バンクーバーに家族で移住(50歳)
YANO Academy(日本語学校)開校
2020年 教室を閉じる(26年間)
現在はオンライン講座を開講中(日本からも可)
・日本語教師養成講座(卒業生2900名)
・外から見る日本語講座(目からうろこの日本語)    
メール:yano94canada@gmail.com
ホームページ:https://yanoacademy.ca

日本語教師として37年、81歳になって
初めて、平仮名「あいうえお」の
素晴らしさ、奥深さを悟りましたよ。

愛情、いっぱいで、生まれ
あ  い     う

笑顔で、終える。
え   お

素晴らしきかな「あいうえお」

37 ☆ 「三寒四温」に物申す

日本語教師  矢野修三

  2月の和風名、如月(きさらぎ)の由来は諸説あるが、寒さが厳しく、「更に衣(きぬ)を重ねて着る」という意味の「衣更着(きさらぎ)」が最も有力のようである。厳冬の候であり、風邪など引かぬように、衣服を更に着たくなるので、衣更着(きさらぎ)とし、中国の2月の月名である、この漢字「如月」を当てはめ、「きさらぎ」と読むことに。なかなか複雑なり。

 ところで、2月如月も後半を迎えるころには春の足音が聞こえてくる。手がかじかむほど寒かったかと思えば、かなり暖かな日も、そんな気まぐれな天気を表す四字熟語が、いわゆる「三寒四温」。つまり、三日寒く、四日暖かい日が訪れ、だんだん春めく時節の言葉である。

 折よく先日、この「三寒四温」を「一石二鳥」などの四字熟語にとても興味のある上級者に教えたところ、彼女から思わぬ質問を受け、びっくり仰天、面食らってしまった。

 その内容は、「先生、これはお天気の話ですね。でしたら、漢字はなぜ『暖』ではなく、『温』ですか? 『三寒四暖』のほうがとても分かりやすいです」である。

 えー、思わず笑いながら、うーん、何回も唸ってしまった。こんなこと、今まで考えたこともなかったが・・・、確かに、言われてみると、その通りである。でもよくもまあ、こんな発想を。流石だが、恐ろしき上級者。

 事実、生徒には「暑い」と「熱い」の違いはとても大事だからねと、口を酸っぱくして教えている。どちらも訓読みは「あつい」であり、英語では両方「hot」、確かにややこしい。

 そして、この「暖かい」と「温かい」も、両方「あたたかい」であり、生徒にしてはとても大変。書く場合はひらがなでもいいが、でも上級者になれば、「暖かい」と「温かい」の違いは理解してもらいたい。とりあえず、天気には「暖かい日」を使い、飲み物などには「温かいスープ」を使う。こんな説明である。

 すると、この「三寒四温」だが、天気のことなので、「寒い」や「暖かい」であり、確かに、「温」は不自然である。生徒にすれば「三寒四暖(だん)」のほうが分かりやすい。                           

 うーん、 困ってしまった。とても説明などできず、とりあえず、この「三寒四温」は中国から伝わった四字熟語なので、いろいろ調べてみるね、が精一杯。

 早速、中国の友人にも聞いてみたが、この「三寒四温」は中国東北部で古くから使われた気象用語のようで、真冬の寒気の強弱を表わしており、「暖」はまだ早すぎで、「温」のほうがふさわしく感じたのは至極当然。「温暖な気候」などの言葉もあり、日本語ほど「暖」と「温」に、こだわっていないとのこと。なるほど。

 この「三寒四温」は明治末期ごろ伝わってきたようで、日本の暦に合わせて、春先の語句として使うようになり、日本人も全く気にならない。むしろ、気になるのは「暖」と「温」の違いを一生懸命学んだ日本語学習者かも。Exactly

 そこで、彼女にはこの「三寒四温」は昔からある、make senseな四字熟語なので、「暖」と「温」の違いなど気にする必要はないよ、と力説した。さっぱり要領を得ない説明だが・・・。

 でも、少々気になり、日本の近代作家が作品の中に、この「三寒四温」を使っているかどうか、AIに調べてもらったところ、ゼロのようである。

 あら、ひょっとすると、やはり言葉のプロは何となく、「温」に違和感を覚え、使いにくかったのでは・・・、と含み笑を浮かべながら、余計なことを考えてしまった。

 生徒の思わぬ質問から、それなりに心温まる思いを巡らせた2月も「逃げる」がごとく、あっという間に過ぎてしまい、いと心寒く、寂しい限りでござる。

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36 ☆ 丙午の「丙」とは・・・?

日本語教師  矢野修三

 遅ればせながら、明けましておめでとうございます。今年は午年、多くの方と馬が合い、何事もウマくいきますように、本年もよろしくお願いいたします。  

 なおその上、今年は丙午(ひのえうま)である。この「ひのえうま」と聞いて、「あらー」と反応する人はそれなりのお年の方であり、若者世代は「なにそれー」。でも60年に一度やってくる、いわく付きの年なので、ニュースなどにも取り上げられ、気になっている方も多いのでは。

 この「丙午(ひのえうま)」を理解するには、「十干・十二支」の知識が必要である。はるか昔、古代中国で、年や時間、方位や占いなどに作られたもので、日本には飛鳥時代ごろ伝わったとされ、時代とともに、日本文化として定着し、江戸時代ごろから一般庶民にも大いに親しまれたようである。

 先ず、十干(じっかん)だが、これは「甲・乙・丙・丁・戊・己・庚・辛・壬・癸」である。しかし我がおじさん世代でも、甲・乙・丙・丁ぐらいは学校で習った記憶はあるが、他の漢字は読むことも難しい。因みに、甲は音読み「こう」で、訓読みは「きのえ」。丙は音読みが「へい」で、訓読みが「ひのえ」。最後の「癸」は「き」と「みずのと」だが、ほぼ馴染みなし。

 一方、十二支(じゅうにし)は年賀状などでお馴染みの「子・丑・寅・卯・辰・巳・午・未・申・酉・戌・亥」であるが、これも若干ややこしい。これが作られた古き中国において、漢字など分からない一般大衆も馴染めるように、十二支の漢字に、身近な動物を「ねずみ」から順番に、それぞれの漢字に割り当てたとのこと。それゆえ、例えば、今年の「午」と動物の「馬」は全く関係なし。でも動物の「馬」がこの「午」に割り当てられたので、十二支の上では「午=馬」の特別な関係になり、日本式読み方は両方「うま」である。

 この「十干」と「十二支」が組み合わさって、暦が成立した。甲子(こうし・きのえね)から始まり、癸亥(きがい・みずのとい)まで60通り、すなわち60年で生まれた年に戻る、いわゆる「還暦」である。つまり、干支(えと)とは十干(じっかん)の「干」と十二支の「支」であり、今年西暦2026年がこの丙午(ひのえうま)の年である。

 実は、江戸時代に八百屋お七という女性の放火騒動があり、気性が激しく、災いを招くなどの俗信が広まり、このお七が丙午生まれだったようで、丙午の年に女の子を生んではダメ、こんな迷信が近代でも根強く残り、1906年や1966年の丙午の年は出生数がかなり落ち込んだのは事実。さて、2026年はどうなるか・・・。

 ともあれ、正式な干支(えと)とは「十干・十二支」であり、明治ごろまでは、ちゃんと両方使っていた。例えば1868年の戊辰戦争は「戊辰(ぼしん・つちのえたつ)」の年であり、1924年は「甲子」の年で、この年に出来た野球場を「甲子園」と命名した。なるほど。ついでに、我が干支は甲申(こうしん・きのえさる)なり。

 しかし、昭和に入り、「十干」はややこしく、だんだん使われなくなり、干支といえば十二支だけになってしまった。当然、「丙午」などお呼びでなく、そんな迷信を信じる若者カップルなど、恐らくいないであろう。令和の「丙午」、むしろ、ウマく出生数が増えることを願いたい。

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35 ☆「忙しい」は厄介なり

日本語教師  矢野修三

 早や、師走も終盤を迎え、またまた「今年も残り少なく・・・」、こんな挨拶をする時期になってしまった。まさに「光陰矢のごとし」。歳を重ねるにつれ、一年の歩みが駆け足のごとく通り過ぎていく思いを強めている。

 そして、忘年会のシーズンだが、かなり物忘れも進んでおり、あえて忘年会などする必要ない思いも強めているが、年末の風物詩であり、やらないと何となく落ち着かない。

 そこで、先ずは日本語大好きな上級者たちと年忘れ会を行なった。年の瀬の話題として「師走」や「忙しい」の語源や漢字の由来など説明しながら、とりあえず、乾杯。

 すると、T君から「忙しい」に関して厄介な質問を受けてしまった。「いそがしい」はよく使うので、分かりますが、この漢字、「せわしい」とも読むんですね。今まで聞いたことないですが、どんな違いがありますか。うーん。これは日本語教師泣かせの質問で、以前にも質問されて困った記憶がある。

 この「忙しい」だが、日本人でも、「せわしい」とはなかなか読めない。それは、「いそがしい」は常用漢字としての読み方だが、「せわしい」は常用外の読み方なので、公的な新聞などには使えず、ひらがな書きなので、あまり馴染みがないからであろう。

 もちろん、私的なメールやエッセイなどでの使用は問題ないが、送り仮名が同じであり、読み手とすれば、どっちで読むか、ややこしい。もし、「忙しい」と書いて「せわしい」と読んでもらいたい場合はルビを振るか、やはり、ひらがな書きが無難である。

 ところで、この「いそがしい」と「せわしい」の違いだが、日本人は、個人差もあろうが、何となく使い分けている。でも学校で習った記憶などなく、説明しようとすればなかなか難しく、日本語教師としてはとても厄介な言葉である。

 生徒には、なるべく簡単に、分かりやすく教えたいのだが、当方もはっきり理解しておらず、「いそがしい」は「やることが多くて時間がない」状態で、英語では「busy」であり、「せわしい」は「そわそわして落ち着きがない」状態、心で感じる忙しさなので、「restless」ぐらいかも。こんな説明が関の山である。

 でも、「心忙しい」は確かに、「心いそがしい」とは読まず、「心せわしい」であり、そのほうがぴったりする。やはり、「せわしい」は心で感じる慌ただしさを表しているのは間違いなし。

 さらに、「せわしない」が加わると、ますます厄介に。これは「せわしい」の否定形ではなく、逆に強めた感じで、話し言葉などに使われているようである。一度も使ったことないが・・・。

 このように、使い分けを説明するのは難しく、上級者には、先生もよく分からず、ごめんなさい。でも、こんなこと気にせず、日本語の奥深さを感じてくれればそれで十分ですよと、やや焦りながら、せわしなく、こんな情けない説明になってしまった。

 ここで一句 「年の瀬や せわしないから 世話しない」。 一応生徒には受けました。

 せわしくない、のんびりしたお正月をお迎えください。

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34 ☆ 大リーグ「ドジャース」と「ドッジボール」

日本語教師  矢野修三

 今年度のアメリカ大リーグのワールドシリーズは、異様なほど盛り上がった。ナ・リーグ代表の「ドジャース」とア・リーグ代表の「ブルージェイズ」との天下分け目の大一番。

 野球に関心のない方には申し訳ないが、ドジャースは大谷を含め3人の日本選手が活躍しているチームであり、一方、ブルージェイズは大リーク30チームの中で、唯一のカナダのチーム。奇しくも、今回は1993年以来のカナダとアメリカの国対抗となり、トロントはもちろん、カナダ全土、ここバンクーバーでも大いに活気づいた。

 さらに、個人的にも、子供のころは、ピッチャーで四番バッターの野球少年だったので、気分はいつも二刀流の大谷翔平であり、日本選手の活躍をワクワクしながら応援。

 しかし、カナダに移住している日本人としては、やはりカナダが大事であり、どっちを応援すればいいのか・・・うーん、いろいろ迷ってしまったのも事実である。

 戦いは、最終第7戦までもつれ込む大接戦。最後は延長戦でドジャースが栄冠をつかんだ。まさに歴史に残る素晴らしい試合であり、さりげなく両チームを応援しながら、テレビに釘付け。どっちにも声援を送り、へんてこなテレビ観戦になったが、野球の醍醐味を存分味わった。

 加えて、先月号の「ドッジボール」のエッセイを読んだ友人から、「ドジャース」のチーム名は「ドッジボール」と関係あり、との助言があり、聞いたり調べたりして、びっくり。「ドジャース」と「ドッジボール」の興味深い繋がりが判明。とてもタイムリーな話題に胸をときめかせてしまった。

 さて、その繋がりとは・・・、このドジャース球団の歴史は古く、はるか昔1883年までさかのぼる。ナント日本では明治中期である。さらに驚いたことは、最初の本拠地はニューヨークのブルックリンとのこと。その当時、市民の足はトロリー(路面電車)であり、街中あちこち走っていたようである。だから、市民は道を横断するにも、このトロリーをドッジする、うまくよけなければならなかった。まさに、「ドッジ・ボール」と同じで、「ドッジ・トロリー」である。

 そこで、トロリー(路面電車)をよけながら生活するブルックリン市民のことを「dodge」に「er」をつけて、トロリーをよける人、ドッジする人、すなわち、トロリー・ドジャース(Trolley Dodgers)と、少しおどけて呼ぶようになったとのこと。なるほど。

 そしてこの地で生まれた野球チームに、この「トロリー・ドジャース」と名付けた。でも少し長いので、「トロリー」を除いて、単に「ドジャース」にした。Oh, I see!

 その後、1958年に今のロサンゼルスに移ったが、古き伝統を残そうと、名前はそのままにしたようである。うーん、確かに、LAとは関係なく、「よける人々」では弱そうで、野球のチーム名としてはふさわしくない気もするが、でも昔からの伝統を重んじた粋な計らい。日本的なつつましさも感じられ、このチームには日本人選手が活躍しやすい雰囲気があるのでは・・・。

 因みに、ブルージェイズはカナダ・オンタリオ州を代表する鳥BlueJay(アオカケス)が由来である。ぜひ来年も、再びこの両チームの決戦となり、日本選手は活躍するが、今度は「ブルージェイズ」が勝つ。こんな夢、My dreamをドッジしないでね。

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