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もみじ園弥生花祭りのお知らせ

★ 弥生花祭り・バザーのため ボランティアを募集しています。
3月23日・24日設営準備、25日当日9時ー5時半までお手伝いできる方、momijischool@hotmail.com まで、フルネーム、連絡先を送ってください。

★ 中古品セールのため物品ご寄付して頂ける方、サイレントオークションのため企業や個人でご寄付して頂ける方、momijischool@hotmail.comまでご連絡よろしくお願いします。

★ 弥生花祭り・バザー 3月25日(土曜日)11時ー2時、
場所 4010 Victoria Drive, Vancouver Japanese United Church にて子供用のゲーム、中古品掘り出し市、お食事、舞台発表など楽しんで頂けます。ご来場を心待ちにしております。

担当:もみじ園玲子

GK高丘陽平選手バンクーバーWFCに入団、「ホワイトキャップスに入団した決め手は熱意」

バンクーバー・ホワイトキャップスFCに入団したGK高丘陽平選手。Photo provided by Vancouver Whitecaps FC
バンクーバー・ホワイトキャップスFCに入団したGK高丘陽平選手。Photo provided by Vancouver Whitecaps FC

 バンクーバー・ホワイトキャップスFCにゴールキーパー高丘陽平選手が入団した。北米プロリーグMLS(メジャーリーグサッカー)に入団した日本人選手でゴールキーパーは初めて。

 チームは2月17日に2年契約を発表。ホワイトキャップスの一員となった高丘選手に話を聞いた。

***

-正式に入団が決まった今の気持ちをお聞かせください。

 「まずはこのチームに来ることができて、ほんとにうれしいですし、自分にとっても日本以外の国でプレーすることは初めての経験なので、これから経験する全てのことが自分を成長させてくれると思いますし、全てのことに自分自身しっかり努力していきたいなって思いでいるってのが一つと、あとはここにくるまで、前に所属してた横浜F・マリノスには感謝の気持ちでいっぱいですし、在籍した2年3カ月間、本当にすばらしい時間を過ごしさせていただいたので、そこへの感謝の気持ちというのも伝えたいと思います」

-海外移籍でチームを選ぶ中で、他にも選択肢があったと思いますが、ホワイトキャップスに決めた一番の理由は何ですか?

 「一番早くオファーをいただきましたし、すごい熱意を持って自分を獲得したいっていうのを伝えてくれました。熱いところがやっぱり1番でしたし、なぜ僕なのか?っていうところも含めて、サッカーのスタイルとか、僕のプレーもしっかりチェックしてくれた上で、オファー送ってくれたので、自分が次のステップを踏む上で、すばらしいチャレンジになるのではないかなと思って決断しました」

-これまでホワイトキャップスにも日本人選手が在籍していましたが、MLSのチームを選択肢とする中で誰かに話を聞きましたか?

 「いろんな選手に聞きましたが、今(MLS)FCシンシナティにいる久保裕也選手に連絡して、MLSがどういったものかとか、Jリーグとの違いだったりとか、いろんなことを聞かせていただいて、すごいポジティブなものばかりでしたし、久保選手にはすごい親身に相談に乗っていただきました」

-北米サッカーはJリーグとはサッカーのスタイルが違うと思うのですが、ゴールキーパーということで、その辺はあまり気になりませんか?

 「逆にゴールキーパーというところで、ゴールキーパーとしての能力がより求められると思いましたし、単純にシュートを止める能力だったり、クロスボールに出る、ボールを配球する、ディフェンスラインの裏のカバーだったり、リーダーシップだったり、いろんなものが日本よりも求められるのかなっていう風には感じました。
 自分がゴールキーパーとしてもっともっとレベルを上げたいっていうふうに考えた時に、魅力的なリーグだと思いましたし、世界的な選手も多くいて、そういった選手とプレーしたり対戦したりすることで、自分自身成長できるんじゃないのかなと思いました」

―チームも高丘選手に期待していると思いますが、高丘選手自身ホワイトキャップスとして、こういうプレーを見てもらいたいとか、目標とかビジョンというのはありますか?

 「日本人のゴールキーパーがMLSに来たっていうのは初めてのことだって聞いていますし、自分がどういうプレーをするかっていうのが、MLSの日本人ゴールキーパーに対する評価に直結する部分があると思うので、そういった意味では責任があると思います。
 『日本人のキーパーは優れているぞ』っていうのを示していかないといけないと思ってますし、これから自分が活躍するだけじゃなくて、次にMLSでプレーしたいゴールキーパーがもしかして日本にいるかもしれないので、道を作ってあげられるように、しっかり責任感のあるプレーをしないといけないなという気持ちでいます」

-バンクーバーには比較的大きな日系コミュニティがあるのですが、今回Jリーグから高丘選手が移籍してくるかもしれないとニュースを聞いて期待しています。コミュニティに一言いただけますか?

 「ここに来る前に、バンクーバーには日本人の方がすごい多く住まれているっていうのは聞いていましたし、そういった日本の方たちと触れ合う機会があるっていうのは、僕にとって非常に楽しみです。
 初めての海外生活で、なかなか僕自身もわからないことがいっぱいあるので、そういったところでサポートとしていただくことがもしかしてあるかもしれないですし、僕自身まずはバンクーバー・ホワイトキャップスでしっかり活躍することで、皆さんにいいニュースを届けられたらいいなと思っています。
 もし街中で見かけたりしたら声をかけてほしいですし、皆さんといい関係をこれから築いていきたいなという風に思っています」

***

 高丘選手は、数日前からチームに合流し、「みんな親切で快く受け入れてくれています」といい雰囲気で過ごしているという。本当にいいチームに入団できたと思うと話し、「ピッチで感謝の気持ちを返していきたい」と語った。

 チームメートとは英語でやり取りしているという。話す方はまだ「日本語みたいにぽんぽん、ぽんぽん出てくるわけではないので改善の余地あり」で、聞き取りは「深い話とかをされるとちょっとわかんないですというレベルです」と笑った。

 チームは2月18日にバンクーバーに帰ってくる。今シーズンは2月25日、本拠地BCプレースでのリアル・ソルトレイク戦で幕を開ける。

 高丘陽平選手がMLS初の日本人ゴールキーパーとして、どのようなプレーを見せてくれるのか。ファンも、日系コミュニティも、大きな期待を持ってデビュー戦を待ち望んでいる。

バンクーバー・ホワイトキャップスFCウェブサイト https://www.whitecapsfc.com/

高丘陽平(たかおか・ようへい)

ポジション・GK
2018年からJ2鳥栖に加入、20年10月にJ1横浜F・マリノスに。J1通算111試合出場。
神奈川県出身・26歳。

(取材 三島直美)

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カナダで開設できる3つの積立口座 RRSP・TFSA・FHSA:第1回「RRSP」

RBC Wealth Management Group日本語チームの平井アンディさん。2023年2月10日、バンクーバー市。Photo by Koichi Saito
RBC Wealth Management Group日本語チームの平井アンディさん。2023年2月10日、バンクーバー市。Photo by Koichi Saito
RBC Wealth Management Group日本語チームの平井アンディさん。2023年2月10日、バンクーバー市。Photo by Koichi Saito
RBC Wealth Management Group日本語チームの平井アンディさん。2023年2月10日、バンクーバー市。Photo by Koichi Saito

 将来のために積み立てを考えている人、現在のプランを見直したい人など、知っておくとためになる、カナダの3つの積立口座を紹介。

 今の時期に話題になる「RRSP:Registered Retirement Savings Plan」、非課税が特長の「TFSA:Tax-Free Savings Account」、今年中に始まる「FHSA:First Home Savings Account」。

 それぞれに特徴が異なるが、口座移行もできるなど相互に利用も可能で、内容をよく理解して、自身や家族の将来のために賢く利用したい。

 そこで今回はRBC Wealth Management Group日本語チームの平井アンディさんに話を聞いた。

 3回に分けて紹介する。第1回は「RRSP:Registered Retirement Savings Plan」。

RRSP:Registered Retirement Savings Plan

 2月になるとニュースでもよく耳にするRRSP。その名称の通り、リタイアした後に政府からの年金以外の収入源として積み立てるための自己積立型年金プラン。

対象:
カナダに居住し勤労所得がある人

特徴:

  • 積立額を所得から控除できる。
     RRSP口座に入金された金額はその年のタックスリターンで税控除が受けられる。そのため、入金できる締め切り日があり、通常対象年度の翌年2月末まで。2022年分は2023年3月1日までに入金をすれば、2022年タックスリターンで税控除の対象となる。
     また、源泉徴収されている所得税を払いすぎている場合は、政府から還付金が受け取れる。
  • RRSP積立は勤労所得の18%まで、2022年度分は29,210ドルが上限。毎年若干上昇する。           
     控除限度額は前年のタックスリターンで申告した収入の18%。例えば今年申告する2022年タックスリターンのためのRRSP限度額は昨年申告した2021年タックスリターンの勤労所得を基に計算されたもの、さらに過去からの累積分となる。正確な金額は、自身のCRA(Canada Revenue Agency:カナダ歳入庁)アカウントで確認できる。CRAから送られてくるNotice of Assessmentにも記載されている。
  • 積立期間中は非課税で、複利運用で資産を育てられる。
     入金された金額は口座に入っている間は金額が増えても課税されず、複利で増やすことができる。
     ただし、あくまでも税金は繰り延べされているだけで、引き出した時に所得として扱われ課税される。これは、退職した後や収入が少ない時に引き出すことで、課税率が低くなり税負担を減らす措置となっている。
  • 71歳になる年には、RRIF:Registered Retirement Income Fund(年金所得口座)に移行する。
     RRSPは71歳になる年まで将来のために積み立てていく口座で、72歳になる年からは少しずつRRIF口座から引き出す。
  • RRSPとRRIFの資産は、破綻の場合に債権者から保護される。
    (対象外となるケースがあるので注意)
  • 年齢に関係なく途中での引き出しも可能。
     リタイア前でも、収入が少ない時など必要な時に引き出しは可能。ただし、引き出した年の収入として扱われるため、所得税の対象となる。

 RRSPは所得が多い就労年齢時に税控除をすることで積み立てを促し、将来収入がなくなる、もしくは減少した時に備えることを目的としている。
 積立額が控除の対象となり、カナダでは税率が所得額に応じて上がっていくため、所得が多い時にRRSPを利用すると納税額が減る割合が大きくなるという特徴もある。

お勧めの積み立て方法

 平井さんはお勧めの積み立て方法として、「お客さまの可能な範囲内で、例えば、毎月金額を決めて自動積み立てを設定されるのが安定していると思います」と話した。

 RRSPの締め切り2月末頃に、ギリギリになって慌ててまとめて入金という事態を避けることができると言う。

 また、毎年限度額まで入金する必要もないとアドバイス。その年に利用しなかった積み立て可能額は翌年以降に繰り越されるため、無理のない積み立て設定を勧めている。

 「多くの方に知っておいていただきたいのは、積み立ての開始が締め切りの翌日からということです。なので、その年のタックスリターンのNotice of Assessmentが来たら、RRSPの金額を確認して、入金額を再検討して早めに設定されるのがいいと思います」とアドバイスした。

 さらに、50・60代にはRRIFへの移行を円滑にするための見直し、20~40代には今の税控除と将来の年金のために自動積立設定がお勧めと語った。

 第2回は「TFSA:Tax-Free Savings Account」を紹介する。

平井アンディ(ひらい・あんでぃ)
Chris Kwok Wealth Management Group・Associate
15年以上のキャリアを持つ。将来を安定して過ごせるためのライフプランについて、セカンドオピニオンの相談も受けている。
https://ca.rbcwealthmanagement.com/chris.kwok/home

Chris Kwok Wealth Management Group
RBC Wealth Management Dominion Securities Inc.(RBCウェルス・マネジメント資産運用グループ)の日本語担当サービス。
RBCグループを構成する5事業の一つRBCウェルス・マネジメントに含まれる。個人および法人の資産管理、並びにあらゆるニーズに応える金融商品・コンサルティングサービスを提供している。

RBC Wealth Management Group日本語チーム。写真提供:斉藤光一
RBC Wealth Management Group日本語チーム。写真提供:斉藤光一

(取材 三島直美)

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「メイナード・ファーガソン〜トランペット王国の仙人」音楽の楽園〜もう一つのカナダ 第8回

 音楽ファンの皆様、カナダ・ファンの皆様、こんにちは。

 冬になって屋内で過ごす時間も長くなり、音楽鑑賞の時間も増えている事でしょう。そこで、ちょっと時代を振り返ってみます。科学技術が発展する中で音楽の聴き方も随分と変わって来ました。1877年にエジソンが蓄音機を発明し、レコード産業が勃興します。初期のレコードは、78回転のSP盤、12インチで収録時間は最大5分。音質も100HZ〜2kHZで高音域の伸びないものでした。ベートーヴェンの交響曲の一つの楽章を聴くのに数枚のSP盤が必要な時代でした。が、音質面ではHiFi技術で30HZ〜12kHZに向上し、収録時間も片面で20分へと飛躍的に拡大したLP盤が誕生します。1947年の事です。

1.ハリウッドの寵児

 ちょうどその頃、1人のカナダ人トランペット奏者が、モントリオールからハリウッドに進出します。メイナード・ファーガソンです。当時も今も、才能に恵まれ野心あるカナダ出身の音楽家の卵達の多くが米国を目指します。でも、成功の保証はありません。実際に成功するのはほんの一握りです。競争は厳しく、楽器の腕前だけでなく、己を信じる力と「運」が勝負の別れ目です。

 そんな中、20歳メイナード・ファーガソンは、己のトランペットだけを頼りにエンタテインメントの聖地ハリウッドに乗り込みます。様々な楽団に客演しつつ、1950年1月には、弱冠21歳で実験的に40人編成のビッグバンドを短期間ながら組織する等、野心的で音楽的アイデアに溢れていました。そして、全盛を誇ったスタン・ケントン楽団に入団。因みに、この楽団は、アート・ペッパーやスタン・ゲッツらを輩出した事でも知られています。

 1950年代前半は、SP盤からLP盤が主流へと変わる時代です。ジャズの世界も拡大します。映画音楽でもジャズ的要素が本格的に導入されていきます。その頃、メイナードは映画会社パラマウント所属のトランペッターとなり「十戒」はじめ40作品以上のサウンドトラック盤の録音に参加します。評判が評判を呼び、他の映画会社でも録音します。

 そして、1956年、28歳で自らの楽団を率います。ニューポート・ジャズ祭にも出演。「メッセージ・フロム・ニュー・ポート」はジャズ史に残る名盤です。ハリウッドを拠点に活躍するメイナード・ファーガソンには、様々なオファーが来ます。最高水準の演奏技術と旺盛な好奇心の故です。

 例えば、1957年には、ジャズの老舗バードランドのドリーム・バンドへ参加します。1959年には、レナード・バーンスタイン率いるニューヨーク・フィルハーモニック・オーケストラに客演。現代アメリカの作曲家ウィリアム・ルソーの交響曲第2番ハ長調「タイタン」のトランペット独奏を担当しました。メイナードは活躍の幅を広げ、音楽的にも充実していきます。

2.モントリオールの神童

 メイナード・ファーガソンは、1928年5月、ケベック州ヴェルダンに生まれます。音楽好きの両親の下、4歳の頃からピアノとヴァイオリンのレッスンを受け、圧倒的な楽才を示します。8歳の時、教会で聴いたコルネット(トランペットの兄弟)の音色に魅せられ、親にねだってトランペットを買ってもらいます。そして、瞬く間に上達。音楽の確固たる基礎と情熱の成せる業でしょう。生涯の楽器との出会いがメイナード少年の運命を開きます。13歳でCBC(カナダ放送協会)オーケストラと共演し独奏パートを演奏。神童現ると大きな話題になります。そして、奨学金を得て名門モントリオール高校(現在のマギル大学附属高校)に入学します。ところがメイナード少年は、1年で高校をドロップ・アウトします。音楽で生きていくと決意したのです。人間誰しも、自分は何をすべきか、如何に生きるかについて思い悩み、自分探しします。自分の道を見い出すのに時間がかかる人も少なくありません。が、メイナード・ファーガソンの場合、15歳で人生の決断をした訳です。

 学業から解き放たれ、思う存分に音楽に打ち込むメイナード少年は、地元モントリオールのダンス・バンドに雇われます。歓楽街に集う客を前に演奏する事で多くを学んだ事でしょう。客を乗せ、刺激し、アンニュイな気分にさせる技も。やがて、自らが実質的リーダーとして楽団を率い、名をあげていきます。1940年代のモントリオールは歴史と文化に彩られたカナダ最大の都市でしたから、米国からスタン・ケントンはじめ有名楽団が公演に来ます。メイナードの楽団は、よく彼らの前座を務めていました。メイナードの演奏は、ジャズの本場、米国から来た強者どもをも虜にし、米国へ来るように誘われる訳です。そして、20歳にしてメイナードはハリウッドに旅立ち成功の階段を駆け上がる訳です。

3.ニューヨークからインド〜波瀾の時代、そして再び米国へ

 ハリウッドを拠点にメイナードは、20代から30代前半まで鮮やかに疾走します。が、変化の著しいジャズを取り巻く金銭主義に嫌気がさします。少年時代から音楽の女神に愛され、順風満帆の道を歩んで来たメイナードに初めて「波瀾の時代」が訪れたのです。

 1963年11月、35歳のメイナードは、レコード会社やジャズ・クラブとの契約を終了させると、家族を伴いマンハッタンの150kmほど北のハドソン渓谷の街ミルブルックに移住します。そこでは、ハーバード大学で心理学の教鞭を取るティモシー・リリー教授らが行っていたLSD等のサイケデリック薬物を使った実験に参加します。3年余に及ぶミルブルック実験が終わると、メイナードはインドのマドラス郊外へ移住します。1967年の事です。サティヤ・サイ・ババに心酔し、宗教哲学者ジッドゥ・クリシュナムルティの教えに立脚した学校で音楽を教え、ブラス・バンドを指導します。そんなインド生活が2年程続きます。

 そして、1969年。サイケデリック薬物とインド的スピリチュアル生活の6年を経て、“不惑の歳”を迎えます。心機一転。世界の音楽の中心ロンドンに移住します。新たにバンドを組み、英国のテレビに出演する等、音楽活動を本格的に再開します。1971年には世界最大のコロムビア・レコードと契約。

 73年にはニューヨークに戻ります。75年には再びハリウッド近郊のオーハイに移住します。フュージョン界の大物ボブ・ジェームスらとロック色の濃いポップな音盤を制作。時代の息吹を感じます。映画「ロッキー」のテーマを収録した「コンキスタドール」等、矢継ぎ早にヒット音盤を発表します。唯一無二のメイナードのトランペットは雄弁です。日本でもテレビのクイズ番組等でメイナードの音楽が流れました。

結語

 20歳で故郷を出た後の拠点は米国でしたが、メイナードはカナダ人です。1976年のモントリオール・オリンピックの閉会式では、主催国を代表する音楽家として演奏しています。メイナード自身にとっても、カナダの人々にとっても誇らしい瞬間であったと思います。

 トランペットはジャズという音楽の歴史を体現する特別な楽器です。創世記のルイ・アームストロング、ビバップ革命のディジー・ガレスピー、帝王マイルス・デイヴィス、更にクリフォード・ブラウン、リー・モーガン、フレディー・ハバードと強者どもの名が連なります。そんなトランペッター列伝にメイナード・ファーガソンの名は鮮やかに刻まれています。2006年8月に78歳の生涯を閉じるまで現役。実は9月には日本公演が予定されていました。

 ジャズ史上最高のハイノート・ヒッターにして、正確な音程、艶があって豊かな音色、超高速フレーズという3拍子揃ったメイナード・ファーガソン。カナダが生んだ偉大なるトランペッターでした。

(了)

山野内勘二・在カナダ日本国大使館特命全権大使が届ける、カナダ音楽の連載コラム「音楽の楽園~もう一つのカナダ」は、第1回から以下よりご覧いただけます。

音楽の楽園~もう一つのカナダ

山野内勘二(やまのうち・かんじ)
2022年5月より第31代在カナダ日本国大使館特命全権大使
1984年外務省入省、総理大臣秘書官、在アメリカ合衆国日本国大使館公使、外務省経済局長、在ニューヨーク日本国総領事館総領事・大使などを歴任。1958年4月8日生まれ、長崎県出身

第4回 インドへの旅 アッシュラム到着2日目

 明け方、まだうす暗いうちに起きて、ダルシャン(祝福)を受ける為にマンディール(御殿?キラビヤカなお寺の本堂みたいな所)の前へお婆ぁちゃんと2人で行くと既にかなり人が並び始めていた。地面一面にぺたりと座り入場を待つ。朝6時位にセバダル(インドのボランティア。多分「せば」とは「奉仕」と言う意味らしかった)、要するにボランティアが数人来て、列に並ぶ最前列の人に番号札を引かせる。その引いた番号順にマンディールへ入っていくのだ。1列が100人以上の長い列で、入り口で手荷物検査が行われる。結局、私達が中へ入れた時は、もうどこも満杯で後方の出口近くの床に座ることになった。けれど不思議なのは、自分がサイババと一つ屋根の下にいる幸せ感に満ち溢れている気がした。不思議だなぁ?なんで?不思議でならなかった。あの桐島洋子先生からの絵ハガキ1枚、手にしただけだ。洋子先生もここへきてサイババの帰依者になったわけではないだろう。でもあの彼女の絵はがきに書いてあった「幸せ感」それは嘘ではない。そして、そのハガキが私の心もつかんだのだ。何故?
 結局、12日間ほど、そのアッシュラムに滞在した。その間に私が体験した不思議が数々ある。最初に、例の私の口と顎上の腫れ。シンガポールもマダラスも列車の中の食べ物も辛い物が多い、アッシュラムの食堂もインドの人達と手で食べるのだが、皆辛い物だ。アッシュラム中で歩いている大勢の白人達、一体何処で食べているのか聞こうと白人に近づくと何処からともなく「This is not the place for socialize, if you like to have a friend I am the one」何となくそんな声が耳に聞こえるのだ。「ええっ!」と最初思ったが、何回も繰り返されると「これサイババが私に言ってるのかなぁ?」とそんな気がして、誰にも声をかけないことにした。しかし、辛くないものが食べたいのだ。見かけた一人の白人の後について行った。そして「見つかった!」。入り口にサイババの足の写真があり、その下に『灰』がある。その灰は「ビブーティ」と呼ぶ「聖灰」だ。サイババの言う「全ては灰になる」と言う意味かな?と思った。皆、入り口で、それをほんの少し口の中へ入れたり、額につけたりしている。私も真似して額につけ、口へもちょっと入れる。そして、台に積んであるお皿を取り、列に並び、食べ物をさらに入れお金を払い、席を見つけ座る。全部の食べ物と水で15円位だ。安い!世界中から集まるボランティアが作ってくれているのだ。そして、久しぶりの辛くないものは美味しかった。部屋へ戻り手洗いで鏡を見た「無い!」。下口びる上の傷が瘡蓋も消えて無い。不思議だなぁ。
 これも「セレンディピティ」幸運をつかむかしらぁ?

セレンディピティ(英語: serendipity)とは、素敵な偶然に出会ったり、予想外のものを発見すること。また、何かを探しているときに、探しているものとは別の価値があるものを偶然見つけること。平たく言うと、ふとした偶然をきっかけに、幸運をつかみ取ることである。

許 澄子
2016年からバンクーバー新報紙でコラム「老婆のひとりごと」を執筆。2020年7月から2022年12月まで、当サイトで「グランマのひとりごと」として、コラムを継続。2023年1月より「『セレンディピティ』幸運をつかむ」を執筆中。
「グランマのひとりごと」はこちらからすべてご覧いただけます。https://www.japancanadatoday.ca/category/column/senior-lady/

カルラ6~投稿千景~

エドサトウ

 湿気と雨の多い日本の風土に、馬の生態が合わなかったからか、あるいは大陸と陸続きでなかったからか、古代の馬の骨は日本本土では見つかっていないが南九州には土着の馬がいたのではという説もある。284年に百済の王、良馬二匹を貢上すると『日本書紀』の年表にあるのをみれば、早くから韓国に馬はいたのかもしれない。想像をたくましくすれば、奈良時代にはかなりの馬が日本の各地にいたようであるが、まだ縄文時代の終わりころには、土着の馬と中国から不老不死の仙薬を求めて日本に来たという徐福の一行が仔馬を掛け合わせて、より強く大きな馬が誕生したのかもしれない。いろんなことが想像できる。

馬で引く2輪車ワゴン。カナダプレースで催されていた古代エジプト展より。
馬で引く2輪車ワゴン。カナダプレースで催されていた古代エジプト展より。

 過日、バンクーバーのカナダプレースで催されていた古代エジプト展をみれば、紀元前1300年頃には二輪車のワゴン車を馬が引くツタンカーメンのお墓の記録写真があり、日本より、はるか前に馬が活躍していたのかと思うと同時にずいぶんと驚いた。まだ日本が石器を使っていた時代にすごく進んだ文明があったものだと思うと、このくらいの進んだ文明があれば、アジアの国々にも大きな影響を与えたろうと思われる。

馬で引く2輪車ワゴン。カナダプレースで催されていた古代エジプト展より。
馬で引く2輪車ワゴン。カナダプレースで催されていた古代エジプト展より。

 さらに、エジプト展から、想像できることは、日本でも天祖降臨(祖の字は僕の当て字である)の時代に、牛馬による畑を耕すスキを使うエジプトの様な農耕が始まりつつあったかもしれない。アジアでの小氷河期の寒気が強くなると、北の方の多くの渡来人が縄文人の人口の少なかった大阪湾や瀬戸内海の空白地帯での開拓が進んだのではなかろうか?

 桃太郎の昔話も、そんな頃のことかもしれない。鉄の刀を背中にぶら下げて馬に乗ってきたのかもしれない。名前のない縄文人にサルとかイヌとかキジなどと呼び名をつけて呼んだのかもしれない。僕がカナダに来た時に、大農場には多く日本人がいて、ホーマン(現場監督)が白人で日本名が覚えにくいので、それぞれに英語の名前をもらう。それ以来、僕はエドと呼ばれている。さて、桃太郎たちは、淡路島や四国の縄文人を自分たちの傘下に入れるための征伐に出かける物語のようでもあり、日本武尊の話のようでもある。

投稿千景
視点を変えると見え方が変わる。エドサトウさん独特の視点で世界を切り取る連載コラム「投稿千景」。
これまでの当サイトでの「投稿千景」はこちらからご覧いただけます。
https://www.japancanadatoday.ca/category/column/post-ed-sato/

天皇誕生日祝賀レセプション、バンクーバーで開催

あいさつをする在バンクーバー日本国総領事館・丸山浩平総領事。2023年2月6日、バンクーバー市。Photo by Japan Canada Today
あいさつをする在バンクーバー日本国総領事館・丸山浩平総領事。2023年2月6日、バンクーバー市。Photo by Japan Canada Today

 天皇陛下が2月23日に63歳の誕生日を迎えられるのを祝う天皇誕生日祝賀レセプションが在バンクーバー日本国総領事館主催で2月6日に開催された。

 ブリティッシュ・コロンビア(BC)州議員、バンクーバー市議、各国在外公館代表、そして、バンクーバー日系コミュニティで活躍する財文化界からも多くの人が出席し、天皇陛下の誕生日を祝った。

 丸山浩平総領事は「天皇陛下の誕生日を世界で最も友好な二国間関係を築いているカナダと日本のみなさまと一緒に祝福できることを光栄に思います」とあいさつ。今年は日加修好95周年という記念の年にあたり、1月には岸田文雄首相がオタワを訪問しジャスティン・トルドー首相と会談して国際安全保障、経済・貿易、今年5月に広島で開催されるG7(7カ国首脳会議)の成功に向けた意見を交換したと紹介した。

 ブリティッシュ・コロンビア(BC)州はアジアとの玄関口であり、ビジネス、教育、文化、人々の交流が盛んで、当地に大きな日系カナダ人コミュニティがあることでも日加関係の深い歴史を示すものと語り、こうした関係を築いてきた関係者に感謝の言葉を贈った。

BC州のサステナブルな森林資源は環境問題に取り組む日本にとっても有効だと思うと語るBC州ブルース・ラルストン森林大臣。2023年2月6日、バンクーバー市。Photo by Japan Canada Today
BC州のサステナブルな森林資源は環境問題に取り組む日本にとっても有効だと思うと語るBC州ブルース・ラルストン森林大臣。2023年2月6日、バンクーバー市。Photo by Japan Canada Today

 BC州ブルース・ラルストン森林大臣は、ジャネット・オースティン副総督、BC州デイビッド・イービー州首相と共に「天皇陛下63歳の誕生日をお祝い申し上げます」と祝福の言葉を贈った。BC州議会はこの日議会開始の副総督演説(Throne speech)が行われたため、「数人しかここに来る許可が下りなかった」と説明。日本とBC州との友好関係は長く、桜の咲くころになると日系人との関係の深さを思い起こすと語り、カナダ国内でBC州が最も日本との姉妹都市・友好都市が多いと紹介した。

 BC州にとって日本は重要な経済相手国でもあり、日本にとってもBC州がさまざまなビジネス分野で重要な相手となると信じていると語り「今夜こうして皆さんと一緒に天皇の誕生日と日本とカナダ・BC州の関係を祝えることをうれしく思います」と、乾杯の音頭を取った。

 レセプションには約300人が出席。バンクーバー市内ホテルの会場は華やかな雰囲気に包まれ、主席者は日本食や日本酒に舌鼓を打ちながら歓談した。

左から、BC州シーラ・マルコムソン社会開発・貧困削減大臣、丸山総領事、BC州ラルストン森林大臣。2023年2月6日、バンクーバー市。Photo by Japan Canada Today
左から、BC州シーラ・マルコムソン社会開発・貧困削減大臣、丸山総領事、BC州ラルストン森林大臣。2023年2月6日、バンクーバー市。Photo by Japan Canada Today
日本についての会話に花が咲く、(左から)コロンビア総領事館Jairo Abadia総領事、パナマ総領事館Edel Marie Garcia総領事、バンクーバー市Pete Fry市議。2023年2月6日、バンクーバー市。Photo by Japan Canada Today
日本についての会話に花が咲く、(左から)コロンビア総領事館Jairo Abadia総領事、パナマ総領事館Edel Marie Garcia総領事、バンクーバー市Pete Fry市議。2023年2月6日、バンクーバー市。Photo by Japan Canada Today
BC州日本酒協会による日本酒ブース。2023年2月6日、バンクーバー市。Photo by Japan Canada Today
BC州日本酒協会による日本酒ブース。2023年2月6日、バンクーバー市。Photo by Japan Canada Today
吉野川・日本酒ブース。2023年2月6日、バンクーバー市。Photo by Japan Canada Today
吉野川・日本酒ブース。2023年2月6日、バンクーバー市。Photo by Japan Canada Today
日本を紹介する資料が並ぶブースも。2023年2月6日、バンクーバー市。Photo by Japan Canada Today
日本を紹介する資料が並ぶブースも。2023年2月6日、バンクーバー市。Photo by Japan Canada Today

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「建築などに携わりたい人たちの力に」建友会新年会開催

あいさつをする建友会・松原会長。2023年1月25日、バンクーバー市。Photo by Koichi Saito
あいさつをする建友会・松原会長。2023年1月25日、バンクーバー市。Photo by Koichi Saito

 建友会が1月25日、バンクーバー市にあるバンクーバー日系ガーデナーズ協会で、新年会を開催した。建築・建設、その周辺産業に従事する企業や個人で構成される建友会だが、この日は会員だけでなく、その他のバンクーバーの団体代表ら合わせて32人が出席し、親睦を深めた。

「コミュニティにも貢献」

あいさつをする建友会・松原会長。2023年1月25日、バンクーバー市。Photo by Koichi Saito
あいさつをする建友会・松原会長。2023年1月25日、バンクーバー市。Photo by Koichi Saito

 建友会・松原昌輝会長が昨年の年次総会で決まった副会長をはじめとする役員10人を紹介。「会長含めこの10名でがんばっていきますので、よろしくお願いします」とあいさつした。

 また参加団体も紹介。バンクーバー日系ガーデナーズ協会、懇話会、企友会、日本カナダ商工会議所、日系女性企業家協会、桜楓会から代表らが参加した。

乾杯の前のあいさつをする丸山総領事、笑いを誘う場面も。2023年1月25日、バンクーバー市。Photo by Koichi Saito
乾杯の前のあいさつをする丸山総領事、笑いを誘う場面も。2023年1月25日、バンクーバー市。Photo by Koichi Saito

 在バンクーバー日本国総領事館・丸山浩平総領事、岡垣さとみ主席領事も出席。あいさつで、住宅がバンクーバーで報道されない日がないくらい非常に大きな問題であり、建築関係に携わる建友会の会員の仕事も難しい問題にも直面しながら取り組んでいるのだろうと想像していると丸山総領事。日系祭りなどへの協力など色々な形で貢献していることに、「これから春が近づいて、そういう機会に改めてみなさまのご貢献ぶりを直接見させていただくこともあると思いながら、楽しみにしております」と笑顔で乾杯の音頭を取った。

世界に一つのユニークな会

「建築などに携わりたい人たちの力に」と閉会のあいさつで語る三河副会長。2023年1月25日、バンクーバー市。Photo by Koichi Saito
「建築などに携わりたい人たちの力に」と閉会のあいさつで語る三河副会長。2023年1月25日、バンクーバー市。Photo by Koichi Saito

 三河慎修副会長は、「真偽は定かではないが」と前置きして、海外には日本人が作った建築関係の団体はバンクーバーの建友会だけという話を聞いたと紹介した。そして「とてもユニークな会だと思いますので、これからもがんばって盛り立てていきたいと思います」とあいさつした。

 専門性の高いユニークな会として、「これからバンクーバーまたはカナダで建築関係の仕事をされる方とか、日本から来ている学生の人で建築などに携わりたい人たちの力に建友会が少しでもなれれば、いいかなと思っています」と抱負を語った。

この日の司会役・吉武理事。クイズの出題も。2023年1月25日、バンクーバー市。Photo by Koichi Saito
この日の司会役・吉武理事。クイズの出題も。2023年1月25日、バンクーバー市。Photo by Koichi Saito

 新年会の後半には、会員や他団体との親睦を深める懇親の時間や全員参加のゲームも用意された。ゲーム形式のクイズを出題するのは松原会長。建友会らしく、問題は建築関連。現在再開発が進んでいるオークリッジモール周辺の建設に関する問題や、日本を代表する建築家・隈研吾さんが設計した東京の国立競技場に関する問題など、分かりそうで分からない問題に会場は大いに盛り上がった。

建友会
 2012年11月に発足したバンクーバー地域の建築・建設関係者のコミュニティ。
 グレーターバンクーバーとその近郊で活動する建築・建設および周辺産業に従事する会員がお互いに切磋琢磨し、幅広く深い技術力を持った集団に成長することと、会員それぞれの事業の発展を促す環境整備と相互協力を深めることを目的としている(建友会ホームページより抜粋)。

 建友会ホームページ:kenyukai.ca

建友会会員で桜楓会会長も務める久保克己さん(左)と松原会長。2023年1月25日、バンクーバー市。Photo by Koichi Saito
建友会会員で桜楓会会長も務める久保克己さん(左)と松原会長。2023年1月25日、バンクーバー市。Photo by Koichi Saito
会場は、クイズ大会に大盛り上がり!2023年1月25日、バンクーバー市。Photo by Koichi Saito
会場は、クイズ大会に大盛り上がり!2023年1月25日、バンクーバー市。Photo by Koichi Saito

(写真 斉藤光一/記事 編集部)

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FAN Expoバンクーバー、ファミリーデー3連休に開催

Guardians of The Galaxyより。Photo by FAN Expo HQ
Guardians of The Galaxyより。Photo by FAN Expo HQ
Guardians of The Galaxyより。Photo by FAN Expo HQ
Guardians of The Galaxyより。Photo by FAN Expo HQ

 ポップカルチャーの祭典FAN Expoがバンクーバーで、2月18日~20日の3日間開催される。

 スタートレックやハリーポッターに出演した俳優や人気アニメの声優が参加するほか、楽しいイベントも満載。

 俳優たちとの写真撮影、サイン会、コスプレ大会、パネルディスカッションやワークショップ、アニメセッション、さらに、日本のアニメ映画やテレビシリーズに関するクイズ大会、ポケ・マンディイベント、金魚すくい、K-Popダンスクラスなど、盛りだくさん。コミックやアニメ、ゲームを思いっきり楽しめる3日間。

 2月20日はファミリーデーで祝日。バンクーバーの街に楽しいコスプレス姿を多く見かける3連休となりそうだ。

FAN Expo Vancouver

日時:
2月18日(土)10:00am – 7:00pm
2月19日(日)10:00am – 5:00 pm
2月20日(月)10:00 am – 5:00 pm

会場:Vancouver Convention Centre(1055 Canada Pl, Vancouver, BC)

ウェブサイト:https://fanexpohq.com/fanexpovancouver/

FAN Expoバンクーバ

 毎年バンクーバーで開催されるポップカルチャーの祭典。アニメやコミック、ゲームを楽しむ家族向けイベント。
 FAN Expoは、カナダではトロントやカルガリー、エドモントン、アメリカではデンバー、シカオ、ダラス、ボストン、サンフランシスコなど、北米各地で開催されている。

キャラクターに夢中。Photo by FAN Expo HQ
キャラクターに夢中。Photo by FAN Expo HQ
ショップも充実。Photo by FAN Expo HQ
ショップも充実。Photo by FAN Expo HQ
スパイダーマンのコスプレでスーパーマリオに?! Photo by FAN Expo HQ
スパイダーマンのコスプレでスーパーマリオに?! Photo by FAN Expo HQ
Harry PotterにNeville Longbottom役で出演したMatthew Lewisさん(中央)。Photo by FAN Expo HQ
Harry PotterにNeville Longbottom役で出演したMatthew Lewisさん(中央)。Photo by FAN Expo HQ

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和の学校@東漸寺より2月のイベントのお知らせ

「フィルム撮影向/殺陣教室」

2月19日(日曜日)午前10時半~午後3時

3つのクラスがございます。

午前クラス 10:30am~ 「殺陣*お稽古クラス」
午後Aクラス 12:15pm~ 「殺陣*俳優クラス」
午後Bクラス 2pm~ 「殺陣*初回&基礎クラス」

稽古参加費 $20/回
茶話タイム:お稽古の後、1時間ほど皆さまとお話ししませんか。  

「寺子屋*雛祭りde遊ぼう!」

2月26日(日曜日)午前10時~午後12時

*折り紙で雛人形を作ろう* AIKOさんによる折り紙ワークショップ
午前10時~11時
(保護者同伴でお願いいたします)
参加費 $10/家族

*みんなで踊ろう* AKANEさんによるダンスワークショップ
午前11時~午後12時
(保護者同伴でお願いいたします)
参加費 $12/家族

*茶話タイム*
午後12時~午後1時
イベントの後、1時間ほど皆さまとお話ししませんか。
(大人のみのお茶タイムなります。お子様はご遠慮願います。)

詳しくは和の学校@東漸寺ページからご覧ください。 https://wanogakkou.jimdofree.com/

お問い合わせ、お申し込み
コナともこ
和の学校@東漸寺
tands410@gmail.com

東漸寺TOZENJI
住所 209 Jackson st. Coquitlam

日系カナダ人強制移動の歴史に望みを!ホープ・ステーション「のぞみ駅」プロジェクトの投票は22日まで

The Next Great Save, Hope station
The Next Great Save, Hope station

 National Trust for Canadaが主催するコンテスト「The Next Great Save」が大詰めを迎えている。国内の価値ある建造物の保存を目的とするコンテストで、一般からの投票数が最も多い1位に輝いたプロジェクトに50,000ドルが支援される。

 候補地は10カ所。今年はそこに、日系カナダ人強制移動に関係の深い建物「ホープ・ステーション」が含まれている。

日系カナダ人にとって忘れることができない場所

 日系カナダ人強制移動は、1942年からカナダ政府によって実施された。日本に祖先を持つ日系人は、たとえカナダ生まれであろうと西海岸から100マイル以東へと移動を強いられた。移動先の収容地は人が住むにはあまりにも過酷で、電気や水道もなく、荒れ果てた土地で身を寄せて暮らした。

 約22,000人が強制移動させられたが、その約8,000人が通ったのがブリティッシュ・コロンビア(BC)州ホープにあるホープ・ステーション。しかも、収容地に向かうトラックに乗せられるためにプラットホームを歩いただけ。人種差別は、駅の建物の中に留まることすら禁止していた。

 こうした歴史的背景を忘れないよう、当時は絶望の入り口となっていたホープ・ステーションを、「のぞみ駅」へと再生させるのが今回のプロジェクト。現在のステーションを、歴史を語るミュージアム、ビジターセンター、レストランや共同オフィスが入る建物にする予定。

 ホープから東19キロにあったのは最大の収容地タシメ、現在のサンシャインバレー。2644人が収容された。プロジェクトは、Tashme Historical SocietyがDistrict of Hopeと共同で進めている。

 ホープ・ステーションが選ばれた場合は、支援金で遺産建築家・コンサルタントを雇って作業を開始するために使用される。

ホープ・ステーション、健闘も現在3位

 The Next Great Saveコンテストは1位のプロジェクトのみが50,000ドルを受け取ることができる。

 どの建造物もカナダにとっては大事な歴史遺産。この10カ所の中からトップになるのは至難の業だが、現在は3位につけている。

 1位は一般からの投票で決まる。締め切りは2月22日午後2時(東部標準時)。投票にはEメールアドレスが必要となる。投票は1日1回。カナダ国内外から投票可能。

 10カ所の候補地は、National Trust for Canadaのウェブサイトで紹介されている。各候補地への投票もここからできる。https://nationaltrustcanada.ca/what-you-can-do/nextgreatsave/competition2022

 ホープ・ステーション “Historic 1916 CNR Hope Station”に関する情報はこちら。このページから投票も可能。

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カルラ5~投稿千景~

エドサトウ

ニューギニアのお面
ニューギニアのお面

 イナバの白ウサギのように皮を剥がされ、丸裸になることはなかったけれど、徐々に入れ墨は消えてゆくのであろう。でなければ、ニューギニアの土着民のようにいまだに日本人は入れ墨をしているかもしれない。アイヌの人たちも近世までは入れ墨をしていたのではないか?

 カナダの西海岸に住んでいるインデアン(土着民)が、1800年頃に西洋文明が上陸してきた高度な鉄の文明に支配されたことを思わせる。

 日本の大きな古墳は支配者のお墓かもしれないが、周りはお濠と砦で囲まれていて、支配者の要塞のようにも見える。

 渡来人は次第に縄文人を同化してゆき、南九州にいたという土着の馬と渡来人が運んできた馬を掛け合わせて、ひずめの強い日本の風土に合う馬を育てていた。カルラ達はその飼育を手伝っていた。カルラ達は大きな動物の飼育になれていたのである。

 余談であるが、映画新『将軍』のモデルとなった英国人ウィリアムス・アダムスが1600年ごろに彼の乗る帆船が漂流して九州の東岸大分県の小島に漂着したのは、カルラたちと同じ潮の流れであったようにも想像できる。さらに言えば、このウイリアムスこと日本名三浦按針の日本の妻は木曽馬五平とかいう江戸で木曽馬で荷駄を運ぶ今風の運送御者の娘さんであったという。英国からきた按針には、江戸の馬に大いに興味深いものであったのであろう。後に按針は旗本となり、横須賀あたりの領地を家康から拝領しているから、運送業者の娘さんは玉の輿に乗り旗本の奥方となり、按針が長崎で他界後も領地を安堵されて息子さんが後を継いでいる。

 縄文時代には日本本土には馬はいなかったといわれる。

投稿千景
視点を変えると見え方が変わる。エドサトウさん独特の視点で世界を切り取る連載コラム「投稿千景」。
これまでの当サイトでの「投稿千景」はこちらからご覧いただけます。
https://www.japancanadatoday.ca/category/column/post-ed-sato/

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