カルラ5~投稿千景~

エドサトウ

ニューギニアのお面
ニューギニアのお面

 イナバの白ウサギのように皮を剥がされ、丸裸になることはなかったけれど、徐々に入れ墨は消えてゆくのであろう。でなければ、ニューギニアの土着民のようにいまだに日本人は入れ墨をしているかもしれない。アイヌの人たちも近世までは入れ墨をしていたのではないか?

 カナダの西海岸に住んでいるインデアン(土着民)が、1800年頃に西洋文明が上陸してきた高度な鉄の文明に支配されたことを思わせる。

 日本の大きな古墳は支配者のお墓かもしれないが、周りはお濠と砦で囲まれていて、支配者の要塞のようにも見える。

 渡来人は次第に縄文人を同化してゆき、南九州にいたという土着の馬と渡来人が運んできた馬を掛け合わせて、ひずめの強い日本の風土に合う馬を育てていた。カルラ達はその飼育を手伝っていた。カルラ達は大きな動物の飼育になれていたのである。

 余談であるが、映画新『将軍』のモデルとなった英国人ウィリアムス・アダムスが1600年ごろに彼の乗る帆船が漂流して九州の東岸大分県の小島に漂着したのは、カルラたちと同じ潮の流れであったようにも想像できる。さらに言えば、このウイリアムスこと日本名三浦按針の日本の妻は木曽馬五平とかいう江戸で木曽馬で荷駄を運ぶ今風の運送御者の娘さんであったという。英国からきた按針には、江戸の馬に大いに興味深いものであったのであろう。後に按針は旗本となり、横須賀あたりの領地を家康から拝領しているから、運送業者の娘さんは玉の輿に乗り旗本の奥方となり、按針が長崎で他界後も領地を安堵されて息子さんが後を継いでいる。

 縄文時代には日本本土には馬はいなかったといわれる。

投稿千景
視点を変えると見え方が変わる。エドサトウさん独特の視点で世界を切り取る連載コラム「投稿千景」。
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