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Naomi Mishima

Naomi Mishima
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第19回 シュリシュリさん

84年、ああ、随分長いこと生きて来たなぁ。もう、2024年だぁ。そして、こんな便利な世の中、朝起きて息子の愛犬に食事とトイレを済ませコンピューターの前に座る。スイッチを入れPC開けると、わぁー、手紙、手紙、手紙。
何だか目の前がパッと明るくなった。

澄子さま

Happy New Year!!

明けましておめでとうございます!良いお正月をおすごしになられましたか。
私の方は3日に親族・親戚一堂が集まり、イギリス、カナダからの姪(夫婦)たちも含めて総勢20数名の賑やかな新年会となりました。
東京は穏やかなお正月でしたが、元旦早々に能登半島の北陸では震度7の震災に見舞われて大変でした。
今年は辰年、日本はちょうど辰・竜のような地形で、その列島が辰年の初日から大暴れした状況です。
日本は本当に地震大国であることを身に染みて感じていますが、自然界で起きることに人間はなす術はありません。
起きた地震の被災者には救援への活動と助け合いに力と心を寄せ合うことが私たちに求められています。
かつて、シュリシュリは「お互いの人心が離れ離れで寄せ合う心がない状況にあった時、自然はそうした人の心を寄せ合わせるために災害という出来事を起こして人心を揺り戻す」と述べたことがあります。
日本の社会に住んでみますと、私がかつてカナダで触れた人の優しさに何か欠けていて、ストレスが多い社会なのでしょうか、もう少し、人の温かさ・温度が感じられたら、と思うときが結構あるのですよ。
澄子さんにはもっと早くにメールをお出ししたかったのですが、バンクーバーを訪れた時がちょうど雨季で初日に傘がなくて雨の中、街中をずいぶんと歩き回っていたのが要因だったのでしょう、帰国するや否や発熱し一週間程寝込んでいました。その後、回復したのですが、英語教室での懇談会や年末の忙しさに明け暮れておりました。
バンクーバーでは中華のランチを囲んでご一緒したひと時をとても懐かしく思い出します。
澄子さんはお顔の表情もとても若々しくお元気そうで何よりでした。その時の写真を添付してお送りさせて頂きますね。
(お会いしたとも子さんにも長年ご無沙汰をしていましたが、変わらず、お元気そうで嬉しく思いました。何かの折にくれぐれも宜しくお伝えくださいますように。)
今年一年、澄子さんにとって平安で穏やかなお年となりますよう心より祈念しております。

つきえ

セレンディピティ(英語: serendipity)とは、素敵な偶然に出会ったり、予想外のものを発見すること。また、何かを探しているときに、探しているものとは別の価値があるものを偶然見つけること。平たく言うと、ふとした偶然をきっかけに、幸運をつかみ取ることである。

許 澄子
2016年からバンクーバー新報紙でコラム「老婆のひとりごと」を執筆。2020年7月から2022年12月まで、当サイトで「グランマのひとりごと」として、コラムを継続。2023年1月より「『セレンディピティ』幸運をつかむ」を執筆中。
「『セレンディピティ』幸運をつかむ」はこちらから全てご覧いただけます。

「ダニエル・ラノア〜鬼才プロデューサーの軌跡」音楽の楽園〜もう一つのカナダ 第19回

はじめに

 明けましておめでとうございます。

 同時に、能登半島地震の被災者・犠牲者の方々に心よりお見舞いを申し上げます。

 2024年は辰年です。昇龍の如く、全てがエネルギーに満ち、苦難を乗り越え、災いを転じて福と成すように、素晴らしい年となるように祈念します。

 さて、今回は、カナダが生んだ稀代の音楽プロデューサー、ダニエル・ラノアです。おそらく、この連載で取り上げた中で、一般的な知名度は最も低いかもしれません。が、1980年代以降のロック・ポップの展開を見れば、ダニエル・ラノアは、間違いなく、最も影響力のある音楽家の1人です。彼がプロデュースした作品群は、ボブ・ディラン、U2、ピーター・ガブリエル等ロックの現代史の重要な章に刻まれています。但し、ラノアの名前が前面に出ることは稀だったのです。

 そこで、読者の方には、音楽プロデューサーって一体何者?という素朴な疑問が湧き上がると思います。有名なのは、ビートルズを世に出したサー・ジョージ・マーチン。5人目のビートルとまで言われました。全く無名のボブ・ディランを発見したのは、伝説のプロデューサー、ジョン・ハモンド。若き日にベニー・グッドマン、ビリー・ホリデーらを発掘し、今日のジャズの隆盛の基礎をつくった人物です。「ウィ・アー・ザ・ワールド」は、クインシー・ジョーンズにして初めて実現した企画。尾崎豊を発見し育てたのが須藤晃でした。

 そこで、プロデューサーの仕事です。例えば、歌手、作詞家・作曲家・アレンジャー、演奏家は、彼らが参加し創造した音楽の中に具体的な音が刻まれています。役割が明確で、聴くことが出来ます。しかし、プロデューサーは、音楽制作そのものを総括していても、具体的な痕跡は見え難いかもしれません。録音スタジオの選定、参加ミュージシャンの選別、音盤のコンセプト、サウンドの色彩感、収録曲の決定等々に直接関わります。プロデューサーの役割は決定的です。

 敢えて言えば、音楽プロデューサーは、スポーツの監督に似ているかもしれません。野球でもアメリカン・フットボールでも駅伝でも、試合そのものは選手によって競われます。が、全体の戦略、個別の戦術、練習方法、選手の選択や起用のタイミング等は、監督が差配しています。そこに監督の力量が顕れます。

 そこで、ダニエル・ラノアに戻ります。カナダならではの響きを体現したラノアは、カナダ発世界行きの軌跡を鮮やかに描きます。

1951年、ケベック州ガティノー

 ダニエル・ラノアは、1951年9月、ケベック州ガティノー市ハル地区のフランス系カナダ人の家庭に生を受けました。ハル地区は、オタワ川を挟んで、首都オタワの対岸です。カナダ最大の博物館である「歴史博物館」の所在地ですが、一面ではギャンブルと酒場の街という顔も持ち合わせています。ラノア家は、決して裕福ではありませんでした。高級レストランの豪華な食事とは無縁だったけれど、祖父も父もヴァイオリンを弾き、母は歌がうまく、祝い事があれば、親戚が集まって皆で音楽を奏でていたといいます。

 そういう家庭環境で育ったダニエル少年は、自然に音楽の素養を身につけます。10歳の時に、スティール・ギターを習い始め、やがて、他の様々な楽器、さらに音楽理論も学び、吸収します。

 両親が離婚し、母親に引き取られますが完全に放任状態でした。ラノアは、後年、この頃を振り返り「自分がしたい事をする最高の養育環境であった」と述べています。時代は、疾風怒濤の1960年代です。ビートルズらが牽引しロック・ミュージックが単なる娯楽から前衛芸術へと進化します。ティーン・エイジャーになったダニエル少年も、大きな影響を受け、音楽の道へと歩み始めます。3つ年長の兄ボブの影響もあったようですが、その他の道は目に入らなかったと云います。高校在学中から、プロの演奏家として様々なバンドで伴奏をし、時には、誰も行きたがらないオンタリオ州の最北部にも出張しました。

 楽才に溢れるダニエル・ラノアです。様々な角度から、音楽にアプローチする訳です。興味深いのは、演奏だけではなく、録音スタジオに大きな関心を持ったことです。「サージェント・ペッパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」や「ペット・サウンド」等60年代の偉大な音盤は、スタジオでの実験と冒険の賜物。スタジオが楽器なのです。

1969年、オンタリオ州ハミルトン

 1969年、ラノアの母親は、ガティノーからオンタリオ州ハミルトン市アンカスター地区に転居し、家を新築します。そこで、ラノアは兄ボブと一緒に一計を案じます。この新居の地下室に防音を施し、小さな録音スタジオにしたのです。ラノア家には、旧式のオープン・リール・テープレコーダーがありました。当時は、未だ自分の声なり演奏を録音して、それを再生して聴くということは特別な体験でした。従って、現代の目から見れば、極めて素朴な資機材ですが、一般向けの録音スタジオが商売としても成り立ったのです。兄の影響があったにしても、高校在学中の17歳です。本能の赴くまま、目的のために、利用出来るものは全て利用したのでしょう。が、己の将来への明確なヴィジョンがあったのです。早熟と言えば、早熟。凄いことです。慧眼です。

 この「アンカスター・スタジオ」で、マイクの位置や音源との距離、多重録音の効果、エコーやイコライザー等の機材が如何に音楽の色彩感を決めるのか、音楽制作の核心を体得していきます。地元のローカル・バンド達との交流が深まり、プロデューサーとしての腕を上げ、音楽関係者の間で名を知られるようになります。

 1976年、25歳の時に、自宅地下室からステップ・アップします。ハミルトン市のダウンタウンにある20世紀初頭に建てられたビクトリア朝風の3階建家屋を兄と共同で購入し、大幅に改修。「グラント・アヴェニュー・スタジオ」をオープンするのです。この名称はここの住所、38 Grant Avenue, Hamilton, Ontario L8N 2X5 に由来します。兄弟は、Revox社製テープレコーダー等の本格的な機材・設備を導入し、地元のミュージシャンの音盤をプロデュースし始めます。後にメジャーになる地元のローカル・バンド「マーサ&マフィンズ」、更に「タイム・ツインズ」もラノアが手掛けたアーティストです。彼らを通じて、ラノアの評判が国境を越えます。

1979年、トロント〜ニューヨーク〜ハミルトン

 ニューヨークは世界の最先端を走る都です。世界中の猛者が集まり、時代を牽引します。そして、様々な出会いが起こります。

 トロント出身の「タイム・ツインズ」は、ラノアがプロデュースしたパンク・ロック調の「ユーリ・ソング」というデモ・テープを持ってニューヨークを訪れます。世に出る機会を探すプロモーションです。偶々このテープを聴いたのが、偶々ニューヨークを訪れていたブライアン・イーノです。ロンドンで異彩を放っていた鬼才です。若くして、シンセサイザー奏者としてロキシー・ミュージックに参加した後、ソロ・キャリアを展開しつつ、デビット・ボウイのベルリン三部作にも参加し、プロデューサーとしての活動を本格化させていました。

 そんなイーノの耳が「タイム・ツインズ」のテープに宿る新しい「音」を聴き取ります。彼が探し求めていた「音」があったのです。その段階で、ラノアは、カナダの無名の新米プロデューサーに過ぎません。が、イーノはラノアの巨大な才能の原石を察知したのです。

 ここからのイーノの動きは非常に素早いものがあります。ダニエル・ラノアに連絡を取ります。そして、あの「音」を生み出したハミルトンの「グラント・アヴェニュー・スタジオ」を訪れます。初対面にして、イーノは、音楽制作に関して通じ合う特別な紐帯があることを直感します。ラノアにとっては師との邂逅です。この出会いこそ、この後に続くイーノ/ラノア・チームの傑作群の始まりの始まりです。

 イーノは、早速、新しい音盤の録音を「グラント・アヴェニュー・スタジオ」で始めます。完成したのが「プラトウ・オブ・ミラー」です。ミニマルな環境音楽の代名詞“アンビエント・ミュージック”の傑作です。この音盤は、イーノ自身がプロデュースした作品です。小さな字ではありますが、ラノアへの特別な謝意がクレジットされています。初めて、メジャーな世界で認知されたのです。

 それまで世界的には無名のオンタリオ州ハミルトンの小さなスタジオが注目され始めました。

1981年、「グラント・アヴェニュー・スタジオ」

 イーノとの共同作業でダニエル・ラノアの才能は一気に開花します。カナダのローカルなマイナー・アーティストを世に出す仕事を続ける一方、スーパー・メジャーな音楽家の作品を手掛けるようになります。

 最初は、師であり同志であるブライアン・イーノとの共同名義の音盤「アポロ」の録音です。イーノは英国ロンドンを拠点にしていますが、この音盤は「グラント・アヴェニュー・スタジオ」で録音することに拘ります。1981年から翌年にかけ、イーノが何度も足を運び、完成に漕ぎつけます。元々は、アポロ計画に関するドキュメンタリー映画「フォー・オール・マンカインド」のためのサウンド・トラックとして企画されたものでしたが、映画の公開に先立ち、1983年7月に発表されました(映画の公開は89年)。ジャケットの月面写真が示すように、宇宙空間や月のイメージを音で紡いでいます。ここに響いている音楽は、もはやロックというよりは、ジャンルを超えた現代音楽です。幾つかの楽曲は、「28デイズ・レイター」など他の映画でも使用されています。

 音盤「アポロ」は、商業的に大成功という訳ではありませんでしたが、音楽・映画関係者の間では高く評価されていました。ダニエル・ラノアのファンにとっては、最初のメジャー作品です。そして、2019年7月には、アポロ11号の月面着陸50周年のCD2枚組特別編集盤がリリースされました。世紀を超え、今も新鮮な音楽です。

1984年、アイルランド

 1984年イーノ/ラノア・チームは、U2新作アルバム「焔(Unforgettable Fire)」をプロデュースします。この背景が非常に興味深いです。

 U2は1983年発表の3枚目のアルバム「闘」で、母国アイルランドを超え、英国、米国、更にはグローバルに成功していました。直裁なパンク・ロック的アプローチで時代の空気を掴んで、若い世代から絶大な支持を得ていました。しかし、U2は更に前進するために、もっと深みのある音楽を志向します。1983年米国ツアーのシカゴ公演の際、U2メンバーがシカゴの平和博物館を訪れ、そこで観た、「忘れざる炎」と題された広島・長崎の被爆者達が描いた絵画展に感銘を受け、構想が固まります。

 そこで、U2はイーノにプロデュースを依頼します。が、イーノは乗り気ではありません。自身がロキシー・ミュージックでロックの最前線にいた訳ですが、既に音楽的関心は別の次元にあったからです。しかし、U2側は非常に熱心です。そこで、イーノは最も信頼する同志ラノアを引き連れてダブリンに赴きU2メンバーとの面談に臨みます。U2にしてみればイーノに依頼してるのであって、ラノアは眼中にありません。ラノアは、依然として知る人ぞ知る存在でした。協議の末、イーノ/ラノアの共同プロデュースで話がまとまります。

 実際の録音セッションは、84年5月から約1ヵ月間、アイルランド北東部のスレイン村の古城に楽器・録音機材を搬入し、U2メンバーと関係者一同が住み込みで行われました。時には、朝10時から深夜1時まで続きました。集中力と創造性の究極の融合です。

 「焔」は84年10月にリリース。各国チャートを席巻します。因みに、音盤ジャケットの写真が正にスレイン城です。名義上は、イーノ/ラノアの共同プロデュースですが、実際のレコーディングを仕切ったのはラノアでした。ラノアは、U2の音楽をパンク・ロックからアート・ロックへと大きく変貌させた最大の功労者です。

 そして、革新的プロデューサー、或いは、スタジオの魔術師としてのダニエル・ラノアの名前が一気に知られることになります。ここから後は、現代ロック・ポップの歴史そのものです。が、もう1枚だけ、紹介します。ラノア自身が数多あるプロデュース作品の中で最も印象深いと言っている音盤、ボブ・ディランの「オー・マーシー」です。

1989年、ニューオリンズ

 ラノアは、U2からの信頼と尊敬を得て、その後も、最高傑作「ヨシュア・トゥリー」を含めU2をプロデュースし続けます。その縁で、U2のリード・ヴォーカル、ボノがボブ・ディランにラノアを紹介します。1988年の初夏のことでした。

 この頃のディランは、と言えば、最新盤「ダウン・イン・ザ・グルーヴ」の評価が非常に低く、セールスも伸びてません。実はその前の作品「ノックト・アウト・ローデッド」も低迷してました。ディランは、既に、功成り名を遂げていた訳ですが、過去のスターに甘んじる気は全くありません。新しい歌が頭の中で次々に生まれているのですから。次の音盤で起死回生を狙います。そこで、ボノから紹介されたラノアを起用します。

 実際の録音は、1989年2月から4月にかけて、ニューオリンズの閑静な住宅街ソニアット通り1305番地の家屋に楽器・録音機材を持ち込んで行われました。録音は、夜間に限って行われました。それがディランのスタイルです。太陽が沈み、月光の中に浮かび上がる人間の本性と癒しを歌うのです。ラノアは「夜の音楽」を包み込む薄い靄がかかったサウンドをデザインします。それが、ディランの歌の力を呼び覚まし、聴く者の胸を突くのです。

 「オー・マーシー」は89年9月にリリース。批評家に絶賛され、セールスも好調。50歳を前に、ディラン完全復活を告げました。何事につけ辛口なディランですが、ラノアの的確な仕事ぶりに対し深い尊敬の念を示した、と伝えられています。

2024年、カナダ再び

 ダニエル・ラノアは、既に古希を超えています。生ける伝説です。一方、プロデューサー業だけでなく、ミュージシャンとしても現役バリバリです。2022年9月には最新盤「プレイヤー、ピアノ」をリリース。聴けば、誰の胸の奥にもある懐かしい風景を喚起します。虚飾を排した純朴にした美しい音楽。

 今年4月には、ニュー・ブランズウィック州モンクトンを皮切りに、ケベック州、スプリング・ツアーが行われます。

 カナダが誇る偉大なる音楽家の1人です。

(了)

山野内勘二・在カナダ日本国大使館特命全権大使が届ける、カナダ音楽の連載コラム「音楽の楽園~もう一つのカナダ」は、第1回から以下よりご覧いただけます。

音楽の楽園~もう一つのカナダ

山野内勘二(やまのうち・かんじ)
2022年5月より第31代在カナダ日本国大使館特命全権大使
1984年外務省入省、総理大臣秘書官、在アメリカ合衆国日本国大使館公使、外務省経済局長、在ニューヨーク日本国総領事館総領事・大使などを歴任。1958年4月8日生まれ、長崎県出身

バンクーバー市、1月11日をVancouver Asahi Dayに設定

上西ケイさんを囲んで、シム市長、市議、朝日チームと。2024年1月11日、バンクーバー市。Photo by Koichi Saito/Japan Canada Today
上西ケイさんを囲んで、シム市長、市議、朝日チームと。2024年1月11日、バンクーバー市。Photo by Koichi Saito/Japan Canada Today
上西ケイさん(前列中央)、シム市長(右から6番目)、丸山総領事(左端)と、上西さん家族、市議らと。2024年1月11日、バンクーバー市。Photo by Koichi Saito/Japan Canada Today
上西ケイさん(前列中央)、シム市長(右から6番目)、丸山総領事(左端)と、上西さん家族、市議らと。2024年1月11日、バンクーバー市。Photo by Koichi Saito/Japan Canada Today

 ブリティッシュ・コロンビア(BC)州バンクーバー市が1月11日をVancouver Asahi Dayに設定した。

 当日はバンクーバー市役所にケン・シム市長や市議が集まり、戦前のバンクーバー朝日軍で現在は唯一の存在となった元選手、上西ケイさんに宣言書を手渡した。

 シム市長らが読み上げた宣言書には、日系人への差別にも関わらず戦前の朝日軍が優勝するなど活躍したこと、1941年の真珠湾攻撃を機にカナダ政府による日系人への強制移動が行われたこと、朝日軍が2003年にカナダ野球の殿堂入りをしたことなどが記載され、また上西ケイさんについても1939年に内野手として朝日軍に加入、足が速く、堅実な守備で定評だったと紹介している。

 さらに2014年に設立された朝日軍の野球を引き継ぐShin-Asahiチーム、現在の朝日ベースボールアソシエーションについて、バンクーバー市に野球で貢献していると述べ、こうした功績により、1月11日をVancouver Asahi Dayに設定すると宣言している。

上西ケイさん、“Proclamation”を手に。2024年1月11日、バンクーバー市。Photo by Koichi Saito/Japan Canada Today
上西ケイさん、“Proclamation”を手に。2024年1月11日、バンクーバー市。Photo by Koichi Saito/Japan Canada Today

 1月11日は上西ケイさんの誕生日。宣言後にはシム市長や出席した関係者全員で「ハッピーバースデー」をプレゼント。今年102歳となった上西さんにとって何よりの誕生祝いとなった。

 シム市長は「こうして上西さんと朝日を招いてVancouver Asahi Dayを宣言できることはとても光栄」と終始笑顔を見せていた。

 在バンクーバー日本国総領事館・丸山浩平総領事はあいさつで、上西ケイさんと朝日のこれまでの貢献を称賛し、今後も若い選手たちに朝日野球へのガイド役となる存在であり続けてほしいと語った。丸山総領事は昨年8月に上西ケイさんに在外公館長表彰を贈っている。

“Proclamation”を読み上げるシム市長(中央)と市議ら。2024年1月11日、バンクーバー市。Photo by Koichi Saito/Japan Canada Today
“Proclamation”を読み上げるシム市長(中央)と市議ら。2024年1月11日、バンクーバー市。Photo by Koichi Saito/Japan Canada Today
左から、丸山総領事、上西ケイさん、シム市長。2024年1月11日、バンクーバー市。Photo by Koichi Saito/Japan Canada Today
左から、丸山総領事、上西ケイさん、シム市長。2024年1月11日、バンクーバー市。Photo by Koichi Saito/Japan Canada Today
上西ケイさんを囲んで、シム市長、市議、朝日チームと。2024年1月11日、バンクーバー市。Photo by Koichi Saito/Japan Canada Today
上西ケイさんを囲んで、シム市長、市議、朝日チームと。2024年1月11日、バンクーバー市。Photo by Koichi Saito/Japan Canada Today

(写真 斉藤光一/記事 編集部)

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1月25日開催 オンライン de Cafe「笑いヨガで初笑い-特別バージョン」

新年を迎え、早くも半月が過ぎようとしています。昨年は、「日本語認知症サポート協会」の講演会等にご参加いただき、誠にありがとうございました。今年も、どうぞよろしくお願いいたします。

さて、年明け後、初めてのイベント、「オンライン de Café・笑いヨガ」での「初笑い特別バージョン」のご案内です。毎月の「笑いヨガ」を始めて5年目を迎える今年の「初笑い」は、「日本笑いヨガ協会」代表の高田佳子さんをお招きし、いつもより更にパワーアップした笑いを皆様にお届けします。

未だ終わりが見えないコロナ禍、上がり続ける物価、世界情勢の変化に始まり、自身の生活や健康など、不安を感じる要素は千差万別。「笑い」には、そんな不安に負けない元気を引き出し、幸せを招く力があります。

「初笑い」で、幸先の良い1年のスタートを切りましょう。

「笑いヨガ」は初めての方、是非この機会をお見逃しなく。

ご参加お待ちしております。

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「オンライン de Café」
「笑いヨガ」で初笑い 〜Ho, Ho Ha-ha-haで福招き〜

日時: 2024年1月25日(木)午後8時から午後9時
会場:Zoom
参加費:無料
参加申し込み:https://forms.gle/3XsE35BZQwCeo3vx9
申し込み締め切り:2024年1月23日(火)
お問い合わせ:orangecafevancouver@gmail.com
主催:日本語認知症サポート協会(Japanese Dementia Support Association)
*お申し込みいただいた方には、開催日前日までに、当日の参加方法をご案内いたします。

日本語認知症サポート協会

2024 自力整体教室のご案内

・今まで何をやっても長続きしなかった方
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・治療や薬、他力だけに頼らず、『自力で健康』『死ぬまで健康』を目指したい方

日系センター教室

◎1月 5日(金) ・19日(金) AM10:30~11:30
28日(日)日曜日90分ワークショップ AM11:30~13:00

◎2月 2日(金) ・16日(金) AM10:30~11:30
25日(日)日曜日90分ワークショップ AM11:30~13:00 

◎3月15日(金) ・28日(木) AM10:30~11:30
24日(日)日曜日90分ワークショップ AM11:30~13:00

◎4月12日(金) ・26日(金) AM10:30~11:30
21日(日)日曜日90分ワークショップ AM11:30~13:00 

 バンクーバーMain教室は祝日に開講中❢  

Web教室 (月)夕・(木)朝と夕・(土)朝 

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詳細はお気軽に、、
☎ 604‐448-8854
jirikiseitai.canada@gmail.com
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日系文化センター・博物館 1月のお知らせ

日系文化センター・博物館
Nikkei National Museum & Cultural Centre
6688 Southoaks Crescent, Burnaby BC V5E 4M7
TEL 604.777.7000 
info@nikkeiplace.org   centre.nikkeiplace.org

受付・ミュージアム営業時間:火~土 午前10時~午後5時 休館日:日月祝

新年あけましておめでとうございます。今年も日本文化の普及と日系カナダ人の歴史の保存と共有に努めて参ります。

書初め

1月6日(土) 午前11時~午後3時 無料 ドロップイン

小学校以来筆を触っていない方、手元に道具がない方、カナダの友達に日本文化を紹介したい方、ぜひお気軽に会場に立ち寄って書初めを楽しんでいってください。同時に将棋のドロップイン・プログラムも開催します。初心者や子供も楽しめるように丁寧に指導します。ぜひ挑戦してみてください。

プログラム

日系センターでは、日本語でのプログラムも開催しております。柔道、合気道、書道、歌声喫茶、日本舞踊、囲碁、将棋、そろばん、和太鼓、フラダンス、ラインダンス、バドミントン、ピクルボール、シニアカラオケなど、ぜひご参加ください。

裏千家・茶道教室

4回:1月20日、27日、2月3日、10日
12:30-2:00PM あるいは 2:30 – 4:00PM
会費 $120 (+GST). 会員様 20% 割引
裏千家淡交会バンクーバー協会が少人数制のクラスで丁寧に指導します。どうぞご参加ください。

日系センター・シニアラウンジ

2024年1月よりスケジュールが変わります。毎月第4水曜日の正午から午後3時まで開催されます。1月24日(水)のシニアラウンジでは「入れ歯」に関するセミナー(英語1時より、日本語2時より)を行います。ぜひご参加ください。

日系ブックストア

毎週 火・木・金・土、午前11時~午後3時、2階
状態の良い子供の本の寄付を受け付けています。ただし、その他の古本に関する受け付けは中止しています。

展示 

 『超絶技巧の日本』展
開催期間 2023年11月7日ー2024年1月20日
本展では、観る者を驚かせる高度な技術、巧妙な表現やコンセプト、高い完成度に重点を置く作品、幅広いジャンルのものを紹介します。明治期の精巧な工芸品を出発点に、今日の『超絶技巧』作品や、ものづくりへの強いこだわりがうかがえるカプセル玩具のフィギュアや食品サンプルなどが展示されています。入場無料。

常設展:「体験:世代を超えて受け継がれる、困難を乗り越え立ち上がる力」日系人の歴史を日本語で紹介しています。2階入場無料 。

ミュージアムショップ

日系の歴史の書籍、日本からの輸入品、地元作家によるハンドメイド品を取り揃えております。お気軽にお立ち寄りください。

会員募集
日本文化と日系人の歴史をサポートしましょう。会費収入は施設の維持費、展示、イベント、プログラムの充実に活用されます。会員の皆様には割引特典があります。

The Annual Raoul Wallenberg Day for Civil Courage 2024

We invite you to join us for our annual Raoul Wallenberg Day for Civil Courage, on Sunday, January 21, 2024, at 1:30 pm.  This year we will honour Wartime Civil Courage in Scandinavia.

In Autumn 1943, in German-occupied Denmark and Norway, many people defied Nazi policies that threatened the human rights and lives of their countrymen.

Holocaust educator Norman Gladstone will speak about the remarkable rescue of Denmark’s Jewish population in 1943.  Danish Jews were to be detained by the Nazis for deportation.  However, thousands of Danes courageously hid and then ferried them to safety in neutral Sweden.

Local researcher and author Tore Jørgensen will speak about the hundreds of Norwegian policemen who refused to collaborate with the Nazi occupiers.  These officers were sent to Stutthof Concentration Camp, where, with great solidarity, they helped other prisoners to survive.

We’ll show a documentary film, Passage to Sweden.  Sweden’s location, history, and neutrality during WWII changed the fate of thousands of Jews.  Swedish diplomats such as Raoul Wallenberg leveraged their influence in extraordinary ways to save Jews in both Scandinavia and Hungary.

The nineteenth annual Wallenberg Day will be held at Congregation Beth Israel, 989 W 28th Ave at Oak St, Vancouver.  Please see the attached poster for full information.

Admission is free and donations will be gratefully accepted at the door or online.  We are a registered charity; donations of $36 or more will receive a tax receipt.

We hope to see you there!

Regards,

Alan Le Fevre

For the Civil Courage Society (in honour of Wallenberg and Sugihara)

Media sponsor: Japan Canada Today

第8回 エンディング(終活)ノートのススメ その2~Let’s 海外終活~

終活は新しい大人のマナー

叶多範子

2024年の新年のご挨拶を謹んで申し上げるとともに、能登半島地震により被災された方々および関係者の皆様に、心からお見舞いを申し上げます。被災地の安全と一日も早い復興を心からお祈り申し上げます。そして、羽田空港事故により殉職された方々のご冥福をお祈りいたします。 旧年中は多くの読者の皆様からの応援を頂き、本当にありがとうございました。 本年もどうぞよろしくお願いいたします。

さて前回はエンディング(終活)ノートを書く7つの利点について、ごく簡単に説明させていただきましたが、今回は皆さんがもう少しイメージしやすいように具体的に説明していきたいと思います。

  1. 自分の意向や希望の明確化

    お葬式の方法、お墓の場所や遺品の譲渡などについて、ときには「別に特に希望はないよ!だから書いておかなくてもいいでしょ?!」という方がいらっしゃいます。

    その場合は「特に希望はなし。任せる」でいいので、書いておいてください。希望があるか、ないか分かるだけでも、ありがたいことがあります。対外的には価値のないものでも自分にとっては思い入れの深いものや、収集品・コレクションなどがあった場合は、価値や希望譲渡先(人、場所)、処分方法を書いておいておくと、適切な扱いを受けられる可能性がぐっと高まります。

  2. 財産管理

    「うちには大したお金がないから、終活は必要ないでしょ?」とお考えの方が意外と多くいらっしゃいますが、資産や負債に関する情報は金額の多寡にかかわらず整理しておく必要があります。これはご自身の物忘れがひどくなったり、認知症になる可能性がある場合や、相続手続きの際に役立つからです。「遺言を書いていなかった」「必要な公的書類を準備しておかなかった」「自分ではわからないから、ほとんど全部代行してもらった」などの理由で弁護士費用に大部分を消費してしまった、ということがないように、あらかじめ対策を講じておくことが重要です。

    特に現在はネット(オンライン)で銀行や投資口座などにアクセスされる方が増えたため、パスワードがわからないと本人以外はお手上げ!というケースも少なくありません。

  3. 家族への配慮

    「うちの子たちは仲が良いから、喧嘩などせずにちゃんと平等に分け合うはず」という「うちは大丈夫」「うちの子に限って」という油断が、実際には仲の良かった兄弟間で口もきかなくなるほどの争いに発展するケースも少なくありません。
    兄弟姉妹仲が良くても、配偶者などの第三者が口を挟んだり、実家を売るか売らないかなど意見が分かれたり、自分の方が我慢してきたなどの感情論が噴き出したりすることもあります。そのためできるだけ早く話し合いの機会を設け、出せる膿は出し、建設的な話し合いで家族全員の気持ちや総意を確認しておくことが大切です。そのときに、「やっぱりうちは大丈夫だ!」と確認して安心できるのが一番ですね。

    そうは言っても、「なかなか家族全員で集まる機会がないし、久しぶりに全員が揃ったときにはそんな話をせずに楽しく過ごしたい」と思われる方もいるでしょう。また、ご家庭によっては家族の関係がモザイクのようで、話し合いも容易ではないという方もいるかもしれません。

    家族であっても相手の事情や感情に配慮することは欠かせないため、話し合いができるまでに時間がかかることも考慮しつつ、タイミングを逃さないようにしてください。「面倒だ!切り出しにくい!」と避け続けた結果、「やっぱりあのとき話しておけばよかった」「せめてどう思っているかだけでも聞いておけばよかった」と後悔しないようにしたいですね。

続く

*このコラムは終活に関する一般的な知識や情報提供を目的とするものです。内容の正確さには努めておりますが、必要に応じてご自身で確認、または専門家へご相談ください。このコラムを元にして起きた不利益は免責とさせていただきます。

「Let’s海外終活~終活は新しい大人のマナー」の第1回からのコラムはこちらから。

叶多範子(かなだ・のりこ)

海外終活アドバイザー・弁護士アシスタント
「終活をせずに亡くなった!認知症になって困った!途方に暮れた!!」を、「終活しておいて良かった!」「終活してくれていて、ありがとう!」に変えたい!そんな思いから2020年に終活アドバイザー資格を取得。海外在住の日本人向けの「海外終活」についての講座や説明会、ご相談はブログやFacebookなどのSNSをご覧ください。家族はカナダ人の夫+息子2人+猫1匹、バンクーバー在住。

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著書「海外在住日本人のための50代からの終活」:​​https://a.co/d/ad4OeLw

バンクーバー・ホワイトキャップスGK高丘陽平選手インタビュー「2024年シーズンに向けて」

3月8日 MLS初勝利をチームメイトと喜ぶ高丘。CONCACAF Champions LeagueレアルC.D.エスパーニャ(ホンデュラス)戦。2023年3月8日、BCプレース。Photo by Koichi Saito/Japan Canada Today
3月8日 MLS初勝利をチームメイトと喜ぶ高丘。CONCACAF Champions LeagueレアルC.D.エスパーニャ(ホンデュラス)戦。2023年3月8日、BCプレース。Photo by Koichi Saito/Japan Canada Today
バンクーバーダウンタウンで。2023年11月10日。Photo by Koichi Saito/Japan Canada Today
バンクーバーダウンタウンで。2023年11月10日。Photo by Koichi Saito/Japan Canada Today

 MLSバンクーバー・ホワイトキャップスFCに2023年シーズンから入団したGK高丘陽平選手。日本人ゴールキーパーとして初めて北米プロサッカーリーグMLSに挑戦した1年を振り返り、2024年シーズンに向けての話を聞いた。

 インタビューは2023年11月にバンクーバー市内で行った。

初挑戦した海外サッカーリーグMLSについて

3月8日 MLS初勝利をチームメイトと喜ぶ高丘。CONCACAF Champions LeagueレアルC.D.エスパーニャ(ホンデュラス)戦。2023年3月8日、BCプレース。Photo by Koichi Saito/Japan Canada Today
3月8日 MLS初勝利をチームメイトと喜ぶ高丘。CONCACAF Champions LeagueレアルC.D.エスパーニャ(ホンデュラス)戦。2023年3月8日、BCプレース。Photo by Koichi Saito/Japan Canada Today

-2023年シーズンを振り返って、自身がMLSにバンクーバーに来た時と今とでは自分の中で成長したと感じることはありますか?

 成長してるところ…そうですね…成長なのかどうか分からないですけど、ポジショニングは日本にいた時と変わりましたし、その後キーパーの守り方というか考え方っていうのをすごく変えてもらったというか。

 ただ単にボールを守るだけじゃなくて、その目の前にあるスペースをどうやって守るかっていうのをずっと言われてたので、そのためにはどこに立てばいい、どこに立たないといけないだとか、ここにボールが来た時はどういうステップを踏まなきゃいけないとか、体の使い方はどうだとか。そういうのを本当にこの1年間ずっと考えながらやってきたので、そういったところが試合の中で考えなくても徐々に出せるようになって。そういった部分では継続してきたことがある程度反射的にできた場面もありますし、まだまだの部分もありますし、日本を出て分かったこともあったので、そういった意味では充実した1年だったかなと思います。

バンクーバー・ホワイトキャップス、Canadian Championship優勝!2023年6月7日、BCプレース。Photo by Koichi Saito
バンクーバー・ホワイトキャップス、Canadian Championship優勝!2023年6月7日、BCプレース。Photo by Koichi Saito

ー自分にとって良い時も悪い時もあったと最後の試合の後に話されていましたが、MLSはレギュラーシーズンの他に色々トーナメントが入ってきて、結構な試合数だと思うんですが、1年間通してほぼフル出場だったので、疲れた時期とか体調的に悪かったなという時期はあったと思うのですが?

 体調が良くない時もありましたし、なかなか調子が上がらない時期もありましたけど、僕としてはベストを尽くしたというか。試合も多かったり、移動も多かったりする中で、トレーニングをしながらかつリカバリーをして、リカバリーだけじゃ自分自身の成長はないので、そこの絶妙なラインを構築させながらやってますし、日本にいる時よりも自分の体のケアというところはより意識しました。ゴールキーパーは1年間通して試合に出続けないといけないのでけがも絶対できなかったですし、そういった意味で一つの目標であった大きなけがをせず試合に関わり続ける試合に出続けるっていうのは自分としてのテーマでもあったので、そこは果たせて良かったなと思います。

79分、PKの場面で好セーブを見せたGK高丘。バンクーバー・ホワイトキャップス対コロラド・ラピッズ。2023年4月29日、BCプレース。Photo by Koichi Saito/Japan Canada Today
79分、PKの場面で好セーブを見せたGK高丘。バンクーバー・ホワイトキャップス対コロラド・ラピッズ。2023年4月29日、BCプレース。Photo by Koichi Saito/Japan Canada Today

ーMLSのサッカーの印象っていうのは、来る前とシーズンを経験して終えた今とでは変わりましたか?

 チームによってある程度スタイルは違いますし、LA みたいにこうしっかりサッカーを知るチームもあれば、フィジカルを前面に押し出してってチームもあります。そこは日本でも一緒なんですけど、よりダイナミックというかカオスを作り出すというか、オーガナイズを崩すというか、なんていうんですか…そんなにオーガナイズがちゃんとしてない中で、それを個人だったり…説明が結構難しいんですけど、カオスを作り出していくって感じです。

-MLSで1年間戦って印象に残った選手とかいますか?

 LA(FC)のブワナ(Dénis Bouanga)とかめちゃくちゃ点決められました。あとはシンシナティのアコスト(Luciano Acosta)とか、その辺はやっぱり能力高いなって純粋に感じました。

-いい意味でも悪い意味でも自分自身で印象に残った試合というのはありますか。

MLSプレーオフ第1戦第2試合LAFCとの対戦は不公平な判定に思わずホワイトキャップス選手が審判に詰め寄る場面も。2023年11月5日、BCプレース。Photo by Koichi Saito/Japan Canada Today
MLSプレーオフ第1戦第2試合LAFCとの対戦は不公平な判定に思わずホワイトキャップス選手が審判に詰め寄る場面も。2023年11月5日、BCプレース。Photo by Koichi Saito/Japan Canada Today

 印象に残った試合…やっぱり直近なんで最後の最終戦(LAFCとのプレーオフ)だったりは頭に残ってますし、アウェイでのシアトル戦とか残ってます。あとは、アウェイでLA戦に勝った試合とかも残ってます。基本全部覚えてます。

-日本と違って北米のスポーツ全体にそうですけど、移動がすごく大変そうで。しかもバンクーバーは北西の端っこですし。今シーズンは9月に7試合連続アウェイがありましたが大変ではなかったですか?

 そこの7連戦はチームにとっても僕にとっても山場になるだろうなと思ったし、そこをどう乗り切れるか?っていうのはテーマでもあったんですけど、何勝何分けだったかは忘れましたけど、その試合の前まではアウェイであまり勝ってなかった中で、あそこである程度勝ちを積み重ねられたので、もちろん負けた試合もありましたけど、それをここで踏ん張れたのでプレーオフに行けた一つの要因だったと思います。

 そこでいかに負けを引き分けにしたり、引き分けを勝ちにするかっていうのはやっぱり大事なことだと思うので、そこで勝ち点をより積み重ねていれば4位以内に入れたと思いますし、そういうところで勝ちを落としてしまったっていうのがトップ4に入れなかった一つの要因かなと思います。

-移動はそんなに影響しなかったって感じですか?

 移動はきつかったですよ。

-日本とは全然違う距離ですけど、どうやってアジャストしてたんですか?

 もう基本寝られる時にできるだけ寝て。3列シートで基本寝転がれるので、そこはチャーターなんでできる良さでもあるんですけど。基本寝て、休める時に休む。食べ物とかもリカバリーするために意識的に取ったりとか。ほんと基本的なことをして、スペシャルなことを目指しているつもりはなかったですけど、小さな積み重ねが自分のコンディションだったり、パフォーマンスに影響してくるっていう風に思っていたので、小さいことをいかに積み重ねられるかっていうのを意識してしました。

-MLSの中で驚いたこととか初めて経験したことっていうのはありますか?

LAFCにホームで敗れ今季最終戦となった11月5日。ファンにあいさつしながら引き上げる高丘。2023年11月5日、BCプレース。Photo by Koichi Saito/Japan Canada Today
LAFCにホームで敗れ今季最終戦となった11月5日。ファンにあいさつしながら引き上げる高丘。2023年11月5日、BCプレース。Photo by Koichi Saito/Japan Canada Today

 アウェイでもいいプレーしたら良かったよとか言ってくれるんでビックリしました。基本アウェイのサポーターがアウェイチームの選手に何か言うというのはないんですけど、いいプレーしてたら「いいプレーしてたよ」とか「ナイスプレー」とか言ってくれたので、そういうのはなんかいい意味で驚いたというか、ちゃんといいものはいいって言ってくれるんだなと。日本だとホームチームのサポーターが言ってくれるんですけど、アウェイチームのサポーターに試合後にロッカー引き上げる時になんか言われたのとかは良い意味で驚きでした。

海外生活の一歩目のスタートとしてはバンクーバーはパーフェクトな環境

-ホワイトキャップスでのチームの中での人間関係はうまくいってましたか?

 ずっとそうですね。基本みんな良い選手で良い人間ですし、僕がキャンプに来た時から積極的に話しかけてくれましたし、ウェルカムみたいな感じをすごく感じました。そこは良い意味で驚きでした。それはシーズン終わった後でも変わらなかったですし、バンクーバーのクラブの人とはすごく良い関係を築けていけてるのかなと思います。

-最後の試合のあとのインタビューで監督が「陽平にとっても良いシーズンだっただろう」といっていたのですが、監督の印象はどうでしたか?

 やりやすいとかやりやすいとかっていうような感じで、僕は監督を見てないというか。サッカーに対する情熱を持ってるかとか、どういう戦術や選手とどうやってコミュニケーション取るかとか、スタッフとのコミュニケーションをどうしてるのかとか、マネージメントの部分を結構見るので。

 そういうところで、僕も日本人監督だけじゃなくて、イタリア人監督だったりブラジル監督だったり、いろんな監督と一緒にやりましたけど、新しいスタイルの監督だなという印象です。いろんなことで、イタリア人的な感じで、パッションがすごい出る監督なのでおもしろかったです。

 かといってその情熱だけでやってるわけでもないですし、ちゃんとチームがどうやって上向きになるかとか、コミュニケーションの部分も非常に大切にする監督なので、この1年僕自身も勉強になったことたくさんありましたし、おもしろかったです。

-バンクーバーのファンのやることで驚いたことはありますか。

 新鮮でしたね、やっぱり。日本で10年、9年ぐらいやってて初めてこうやって海外に出てきて、応援のスタイルとか、日本は、特にゴール裏で言えばちゃんとオーガナイズされて歌ったりしますけど、それとはやっぱり違います。

 もしかしたら日本が特殊なのかもしれないし、ヨーロッパとか素朴に楽しんでましたし。(バンクーバーでは)ファンサポーターが最終節もなんか僕の写真?バナーみたいなのもありましたし。そういうところからもみんなから信頼をしてもらってというか、応援していただいてるなって感じましたし、そういったところから1年間通して自分がパフォーマンスで出してきたものを評価してくれているのかなというようなありがたさというか感謝があります。

LAFC戦に現れたGK高丘陽平アップグレード・コンプリート画。2023年11月5日、BCプレース。Photo by Koichi Saito/Japan Canada Today
LAFC戦に現れたGK高丘陽平アップグレード・コンプリート画。2023年11月5日、BCプレース。Photo by Koichi Saito/Japan Canada Today

-日本人に限らずファンから声かけられることありましたか?

 ありますね。街中を歩いてて、帽子とサングラスとかしてたのになんか声かけられて、どうやって分かったのみたいなこともありました(笑)。あとは普通に歩いてたら車で後部座席の窓が開いて子どもから「ヨウヘイ」って言ってもらえたりとか、どうやって気づいた?みたいなこともありました(笑)。

 見てるんだなって、すごい感じましたし、サポーターとかも気持ちよく声をかけてくれるんで、そういったところは良かったです。「がんばってね」とか、「応援してるよ」とか、シンプルに声かけてくれるんですごい気持ちはいいですね。

-ちょっとサッカーから離れて。この1年間過ごしたバンクーバーでの印象は?

 町もきれいですし、海もあって山もあって。ウィスラーすごい大好きだったんですけど、ウィスラーも何回も行きました。色んな国籍の方もいたりとか、色んな多様な文化を感じれるというか、本当に海外生活の一歩目のスタートとしてはパーフェクトな環境なのかなという印象はありますね。

-基本サッカーが中心の生活だと思うんですけど、ウィスラー大好きだったっていう話でしたが、バンクーバーの生活はそれそれなり楽しんでたんですね。

 基本はやっぱりシーズン中はもうサッカーに集中してるのであんまり遠出とかはしないですし、基本、家と練習場の往復だけですけど、シーズン中でも何連休かあった時はできるだけ外出たりとかするようにしてます。せっかくこうやって海外でやらせてもらってるので、なるべくいろんなものを経験したいなと思って来てたんですけど、やっぱりシーズン中はなかなかこう自分の気が張ってるんで、気を抜きすぎてもダメなんで、バランスをうまく取りながらはやってました。もうちょっと来年は色んなところに行ってもいいかなっていう気はしてますね。

-バンクーバーの日系コミュニティと触れ合う機会はありました?

 こちらの日系のサッカーチームにちょっと遊びに行ったりとかしましたし、その子どもたちが応援に来てくれたりもしましたし、楽しかったです。

-英語はどうですか?来た時からバッチリだったので聞こうかどうしようか思ったんですけど。1年間生活してみて英語は慣れましたか?

4月29日 相手のペナルティキックを止め引き分けに抑えた高丘が記者会見に。英語での会見も特に気にならないと話す。コロラド・ラピッズ戦。2023年4月20日、BCプレース。Photo by Koichi Saito/Japan Canada Today
4月29日 相手のペナルティキックを止め引き分けに抑えた高丘が記者会見に。英語での会見も特に気にならないと話す。コロラド・ラピッズ戦。2023年4月20日、BCプレース。Photo by Koichi Saito/Japan Canada Today

 英語はやっぱりまだ今でも難しいです。昨日とかも(他の)選手とご飯に行ったりしましたけど、みんなでこうばぁって話してる中に割って入るのとかはやっぱり難しいし、もうネイティブ同士が話してる時だと全然普通に分からない時もあるので、そういった部分もまだまだ全然改善は必要だと思いますけど、試合後のインタビューとか記者会見とかは普通はそんなにほぼストレスなくというか。もちろんたまにわかんないことありますけど、聞けば全然教えてくれるんで、インタビューとかはストレスなくできますし。あとはもっと自分の会話力を上げてもっと言いたいこと、もっと喋りたいこととかもいっぱいありますし、深い内容も話していかなきゃいけないなと思ってるんで、そこの語彙力だとかボキャブラリーとかはやっぱりもっともっと改善しなきゃなと思います。

-ゴールキーパーなので色々前にいる選手とかにずっと声かけたりとかしていましたけど、サッカーっていう共通語があるので難しくはないと思うのですが、試合中にもっと細かいことが言えればと思っていたんですか?

 試合中は短い言葉で伝えるしかないので。ハーフタイムとか試合前、試合終わった後に会話するんですけど、それをもうちょっとわかりやすく伝えたいなと思います。わからせなきゃいけない部分もあるんで、そういったところでもっともっと伝え方の部分だったり、英語で聞くところはまだまだ鍛えなきゃいけないなと思います。

2024年シーズンに向けて

-来季(2024年)ですが、今シーズン1年戦った上で、来季は自分なりにこういう風なシーズンにしたいとか、こういうことにチャレンジしたいというかそういうのはありますか?

 そうですね。今年1年MLSでやらせてもらって、リーグの特徴というか色だったり、アウェイチームのスタジアムの雰囲気だとか、いろんなチームのスタイルとか個人の選手の特徴だとかもある程度つかめたので、そういった部分で来年はやっぱり今年以上のパフォーマンスが求められると思いますし、僕自身もそこは出さなきゃいけないと思うんで、本当に今年以上のパフォーマンスを来年はしたいなと思います。

-今シーズン対戦できなくて、来シーズンは対戦してみたい選手とかいますか?

 特にないです。

-私たちは吉田(麻也)選手がLAギャラクシーに移籍したので直接対決を見てみたいと思いますし、楽しみにしているんです。

 同じカンファレンスですし、来シーズン試合できると思って、そこは一つのお楽しみではあります。

-最後にファンに来年に向けて一言お願いします。

 今年もたくさんの応援していただいてましたし、本当に最終節はプレーオフの最後の試合は3万人以上入ってたくさんのサポーターが来てくれました。これを来シーズンのベースにしたいです。僕らも勝ち続けることでサポーターの方々が来てくれると思うんですけど、そういった意味でも勝ち続けてホワイトキャップス強いよとみんなに思ってもらいたいですし、応援してもらえる存在であり続けられるように僕らかがんばらないといけないなと思います。

-ありがとうございました。

***

 バンクーバー・ホワイトキャップスFCのレギュラーシーズンは3月2日BCプレースで開幕する。その前には、CONCACAF Champions Cupがあり、2月7日にメキシコのUANL Tigersと対戦する。

 昨季はレギュラーシーズンでほぼフル出場した高丘選手。今年はそれ以上の活躍に期待がかかる。

バンクーバー・ホワイトキャップスFC:https://www.whitecapsfc.com/

7月21日 19回のペナルティキックとなったリーグスカップのクラブ・レオン(メキシコ)戦。2023年7月21日、BCプレース。Photo by Koichi Saito/Japan Canada Today
7月21日 19回のペナルティキックとなったリーグスカップのクラブ・レオン(メキシコ)戦。2023年7月21日、BCプレース。Photo by Koichi Saito/Japan Canada Today
カナダの祝日 "National Day for Truth and Reconciliation"の9月30日、オレンジ色の "Every Child Matters"と書かれたTシャルで試合前練習する高丘。2023年9月30日、BCプレース。Photo by Koichi Saito/Japan Canada Today
カナダの祝日 “National Day for Truth and Reconciliation”の9月30日、オレンジ色の “Every Child Matters”と書かれたTシャルで試合前練習する高丘。2023年9月30日、BCプレース。Photo by Koichi Saito/Japan Canada Today

(取材 三島直美/写真 斉藤光一)

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祝*成人式 2024

新成人の皆さまへ

ご成人、おめでとうございます。
心よりお祝い申しあげます。

東漸寺では、ご成人になられた皆さまのご健康とご健闘を願いまして、合同の法要を行います。

是非、ご家族お揃いでお越しくださいませ。

合同法要:日時 1月14日(日曜日)
法要開始:午後1時

早めにいらして本堂でお待ちください。
事前にお申し込みをいただけましたら、粗品を差し上げます。

●日本の成人年齢が、2022年4月から18歳に引き下げられました。

東漸寺では、グローバルスタンダードに合わせまして、18歳、19歳、20歳の皆さまに対応させていただきます。
(日本での成人年齢につきましては参照をご覧ください。)

●合同の法要になります。お布施はお心入りとして$30〜をお願いしております。

(お名前の読み上げをご希望の方は、お知らせください。)

ご理解の程、よろしくお願い申し上げます。

●和の学校@東漸寺では、着物レンタル及び着付サービスをさせていただきます。
着物レンタル&着付サービス料金は別途となります。

お見積をご希望の方は、ともこまでお問い合わせくださいませ。
お問い合わせ、お申し込みは
コナともこ 
和の学校@東漸寺 tands410@gmail.com 
ホームページ https://wanogakkou.jimdofree.com/

住所:209 Jackson street Coquitlam,B.C. Canada V3K 4C1

参照
日本文化研究ブログ
【2024年】成人式はいつ・何をする?年齢は何歳?行かないと後悔する? – 日本文化研究ブログ – Japan Culture Lab (jpnculture.net)

バンクーバー日系人合同教会から2024年1月のお知らせ

  • 毎週日曜日午前11時より教会礼拝堂で行い、礼拝の後、軽食をいただきながら親睦の時を持っています。クリスチャンでない方も留学、ワーキングホリデーで来られた方も大歓迎です。 Zoom (ID 5662538165、パスコード1225)と教会Facebookに紹介されたYoutubeで オンライン参加もできます。
  • バイリンガル新年礼拝と食事会の案内

1月14日(日)午前11時より、新年礼拝後、教会の有志が用意したお雑煮とお節をいただきます。どなたでもお越しください。

  • シニア・初心者ラインダンス 毎週土曜午前11時から12時 会費$1、ダンスの後、軽食(実費)をいただきながら交流の時を持ちます。1月13日から再開
  • Zoomで聖書を読む会(火曜、水曜)があります。
  • ダウンタウンイーストサイドのストリートでサンドイッチ等の手渡し:木曜日午前9時から教会でサンドイッチとコーヒーの準備、10時半から11時の配布のボランティアをしてみませんか?(場所はカーネギーコミュニティーセンタ―横)
  • 結婚、葬儀、その他の人生相談をお伺いします。

お問合せ:604-618-6491(テキスト可)、vjuc4010@gmail.com  牧師 イムまで

住所:4010 Victoria Dr, (Between 23rd and 25th Ave East), Vancouver

―――――――――――――――――――――――――――――――――――――

サレーNorthwood 合同教会 日本語会衆礼拝

1月21日(日)午後2時より。
住所:8855 156 St, Surrey, BC, V3R 4K9
お問い合わせ:604-618-6491(テキスト可)イム、kuniokazaki98@gmail.com 岡崎まで 

「カナダ“乗り鉄”の旅」第8回 日本では今年全廃!バンクーバーの“隠れた名物”トロリーバス

バンクーバー中心部を走るトロリーバス(2023年12月21日、大塚圭一郎撮影)
バンクーバー中心部を走るトロリーバス(2023年12月21日、大塚圭一郎撮影)

大塚圭一郎

「世界で5番目に住みやすい都市・バンクーバー編」

 米国の有力旅行雑誌「コンデナスト・トラベラー」の「世界で最も住みやすい都市」の調査で2023年に5位となったカナダ西部ブリティッシュ・コロンビア州バンクーバーは、運輸当局トランスリンクの発達した公共交通機関で好きな場所に簡単に移動できるのが魅力の一つだ。特にユニークなのがカナダで唯一で、日本では24年中に全廃されるトロリーバスが縦横無尽に走っていることだ。そんなバンクーバーの“隠れた名物”に乗り込み、バンクーバー湾を見下ろす美しい街並みを一望した。

バンクーバーのトロリーバス。車体の屋根のトロリーポールで架線から集電している(2023年12月23日、大塚圭一郎撮影)
バンクーバーのトロリーバス。車体の屋根のトロリーポールで架線から集電している(2023年12月23日、大塚圭一郎撮影)

【トロリーバス】バスの車体の屋根に棒状の集電装置「トロリーポール」を取り付けており、空中に張った「トロリー線」と呼ばれる架線から電気を取り込んでモーターを駆動させるなどして走る。「トロバス」の愛称でも呼ばれる。日本の法律の鉄道事業法では鉄道の一種である「無軌条電車」に分類しており、運転には鉄道と同じ運転士の資格が必要となる。
 軽油を燃料にしたディーゼルエンジンで走る通常の路線バスと異なり、トロリーバスは走行中に二酸化炭素(CO2)を排出しないため環境性能が優れており、走る時のモーター音が静かなのも利点。一方、トロリーポールが架線から外れて立ち往生してしまうトラブルが起こる場合があり、運転手が車外に出てトロリーポールを架線に接続させる作業によってバスの運行が遅れたり、道路渋滞を招いたりするのが難点となる。

日本では唯一の路線が消滅へ

 中部山岳国立公園の一部で、標高3千メートル級の山が連なっている長野県と富山県にまたがる山岳観光ルート「立山黒部アルペンルート」の立山トンネルを通る日本で唯一のトロリーバスが、2024年11月30日をもって運行を終える。運行する立山黒部貫光が23年11月30日、国土交通省北陸信越運輸局に対して24年12月1日付での廃止を届け出た。

 立山黒部アルペンルートは積雪が多い冬季の毎年12月から翌年4月中旬は運休しており、2025年4月からは電気バスに切り替える。電気バスならば架線が必要ではない上に「高地における安定走行性に加え、今後一層の技術革新が見込まれる」(立山黒部貫光)と判断した。

日本の大都市では1972年前に全廃

 日本では架線にトロリーポールが届く車線しか走れないことなどが難点となり、横浜市で1972年に廃止されたのを最後に大都市のトロリーバスは一掃された。

 これに対し、富山県内にある標高2450メートルの室堂駅と標高2316メートルの大観峰駅の約3・7キロを約10分で結ぶ立山黒部貫光は1996年にトロリーバスを導入した“後発”だ。71年の開業後にディーゼルエンジンのバスを走らせていたものの、観光客の増加に伴う増便でトンネル内に滞留する排出ガスが問題化したためトロリーバスに切り替えた。

 立山黒部貫光によると、トロリーバスを運行してきた約28年間の累計利用者数は1920万人を超えている。今年は「ラストイヤーを記念したイベントなども実施していく」(立山黒部貫光)だけに、乗り納めを目指して大勢の旅行者が押しかけることになりそうだ。

 立山黒部アルペンルートでは、関西電力も扇沢(長野県)と黒部ダム(富山県)の間の「関電トンネル」でトロリーバスを1964年から2018年まで半世紀余り運行していた。19年からは電気バスを運転している。

路面電車を代替

 トロリーバスの“最後の牙城”が年内に陥落する日本に対し、バンクーバーでは第二次世界大戦終了から間もない1948年8月に営業運転が始まったトロリーバスが今も主要交通手段の一つだ。13系統の延べ約315キロもの路線が運行されている。

 バンクーバーではPCCカー(本連載第3回「トロントの往年の路面電車、米首都圏で今も健在!」参照)などを用いた路面電車の路線網があったが、トロリーバスのほうが整備や維持の費用を抑えられると判断。路面電車を1955年に全廃した一方、トロリーバスの路線を順次広げてきた。

 路線は主にバンクーバー中心部を発着。使っている車両はカナダ中部マニトバ州ウィニペグに本社を置くバスメーカー、ニューフライヤー・インダストリーズが製造した全長12・2メートルの「E40LFR」と、二つの車体をつなげた全長18・3メートルの連節バス「E60LFR」がある。ともに床が低く、乗降扉の部分に段差がないため、車いすやベビーカーの利用者でも乗り降りしやすいバリアフリーの設計になっている。

頭一つ抜き出た充実ぶり

 バンクーバーはコンデナスト・トラベラーの23年の「世界で最も住みやすい都市」で総合得点97・3点となり、3都市が入って国別の最多となったカナダの中で最上位だった。西部アルバータ州カルガリーは96・8点で7位、カナダの最大都市トロントは96・4点で9位だった。日本は大阪が96・0点で10位に入った。

 カナダのトップテンに入った3都市の共通しているのは公共交通機関で移動しやすい点だが、バンクーバーの充実ぶりは頭一つ抜き出ている。トロリーバスを含めた路線バスが幅広く運行されており、3路線全線が無人運転の「スカイトレイン」、近郊と結ぶ鉄道「ウエスト・コースト・エクスプレス」、ノースバンクーバーと結ぶ水上バス「シーバス」もある。

 バンクーバーを訪れる際の常套手段として、私は昨年12月に旅行した際も幅広い公共交通機関に乗り込んだ。宿泊したザ・リステルホテルが面したロブソン通りにはトロリーバスの5番系統(途中から6番系統として運行)が走っており、市内を行き来するのに何度も活用した。利用時はニューフライヤーのE40LFRが運用されていた。

カナダ・バンクーバーのトロリーバス(2023年12月23日、大塚圭一郎撮影)
カナダ・バンクーバーのトロリーバス(2023年12月23日、大塚圭一郎撮影)

 スカイトレインの路線「カナダライン」のイエールタウン・ラウンドハウス駅へ向かった際は、集積回路(IC)乗車券「コンパス」を乗車口の端末にかざして車両前部にある座席に腰かけた。

心温まる光景

 少し先のバス停でベビーカーに赤ちゃんを乗せた白人の夫婦が通路を挟んだ反対側の座席にやって来た。赤ちゃんが私の顔をのぞき込んでいるのに気づいたので、手を振ってあいさつして「お子さんに興味を持ってもらっています」と話しかけると夫婦はほほえんだ。

 バスが曲がってデイビー通りに入ると、10人ほどのアジア系女性のグループが乗り込んできた。女性たちは赤ちゃんがいるのに気づくと「ワー」と歓声を上げ、ベビーカーを取り囲んで笑顔で見つめた。

 先のバス停で夫婦が降車した時には女性たち全員が手を振って赤ちゃんを見送り、もちろん私も一緒になって手を振った。

 多くの人種が共生し、知らない相手にも温かく接する心温まる光景を眺めて思い出したのが、コンデナスト・トラベラーのバンクーバーについての「最も重要なのはここの人々はとてもフレンドリーなので、ほぼすぐに打ち解けた気持ちになるでしょう」という寸評だった。指摘は正鵠を射ており、旅行者の私もすぐにアットホームな気分に包まれた。

共同通信社ワシントン支局次長で「VIAクラブ日本支部」会員の大塚圭一郎氏が贈る、カナダにまつわる鉄道の魅力を紹介するコラム「カナダ “乗り鉄” の旅」。第1回からすべてのコラムは以下よりご覧いただけます。
カナダ “乗り鉄” の旅

大塚圭一郎(おおつか・けいいちろう)
共同通信社ワシントン支局次長・「VIAクラブ日本支部」会員

1973年、東京都生まれ。97年に国立東京外国語大学外国語学部フランス語学科を卒業し、社団法人(現一般社団法人)共同通信社に入社。大阪支社経済部、本社(東京)の編集局経済部、3年余りのニューヨーク特派員、経済部次長などを経て2020年12月から現職。運輸・旅行・観光や国際経済の分野を長く取材、執筆しており、VIA鉄道カナダの公式愛好家団体「VIAクラブ日本支部」会員として鉄道も積極的に利用しながらカナダ10州を全て訪れた。

優れた鉄道旅行を選ぶ賞「鉄旅(てつたび)オブザイヤー」(http://www.tetsutabi-award.net/)の審査員を13年度から務めている。共著書に『わたしの居場所』(現代人文社)などがあり、CROSS FM(福岡県)の番組「Urban Dusk」に出演も。他にニュースサイト「Yahoo!ニュース」や「47NEWS」などに掲載されているコラム「鉄道なにコレ!?」、旅行サイト「Risvel」(https://www.risvel.com/)のコラム「“鉄分”サプリの旅」も連載中。

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