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平和の希望 2~投稿千景~

エドサトウ

 雪が降る。無性に本が読みたくなる。読みかけの本を読みだせば新しい発見もある。外は寒くマイナス10度ぐらいで、とても散歩する気にもならない。昨日からの雪は、30センチも積もり、外はホワイトクリスマス。僕はラジオの音楽を聴きながら本を読み進めば、司馬さんの「アラベスク 井筒俊彦氏を悼む」についてのエッセイが出てくる。

 「井筒_国際的な一元的な世界ができるには、その中にようようの要素が入ってこなければならない。民族の場合には文化パターンというか、文化パラダイムが成立しているので、それぞれが衝突するのは当たり前で、ーーー(井筒氏は実験学者のように冷静なのである。)ーーー衝突を超えて、初めて本当の国際社会と言うものができるんじゃないか。そこに至る過渡期として、いま非常な危機を経てもいいんじゃないかなとおもうのです。」 

 それに対し司馬さんは「単に語法としての婉曲さでむしろ危機を経る。危機を経るべく人間はつくられているとおそろしいことを言いきっておられるようでもある。」と表現している。人の言葉の始まりは自分達の仲間の危機管理のシグナルではなかったのではと僕は思うのである。

 今、ウクライナの問題を考えるに、このロシアによる戦争は起こるべきして起こったと言えるいかもしれないが、しかし、文明とは自然と周りの国々に影響を与えてゆくものであると司馬さんが言っているのを見れば、今や日本文化は日本文明と言えるかもしれない。明治以後、近くは終戦以後の日本はアジアのモデルになったのではなかろうか?

 1970年ごろのシンガポールは、青少年の教育に力を入れて日本的な発展を目指していると言う話を聞いた記憶がある。

 日本の戦後の経済成長はドイツと並んで「奇跡」と言われたけれど、それはアジアの経済も押し上げて「貧困」という言葉がアジアで聞かれなくなったをみれば、日本は文明と言っても良いのでないかと思うのである。再び、過去の戦争のような悲惨な体験をアジアで繰り返してはならない。

 もう90歳を超えるIさんは青春時代を終戦前後に過ごされている。過日お会いした時に、ウクライナの戦争について、かっての日米の戦争のはじまったころとよく似ていると話されていたのが印象的であった。複雑な世界の中で国連の力をどう回復させるか?サミットは国連でするのが好ましいのかもしれない。

NAJC新移住者委員会から第5回カナダ移住者座談会のお知らせ

第5回カナダ移住者座談会

2023年1月12日(木)4:00PM PT/5:00PM MT/6:00PM CT/7:00 PM ET

第5回カナダ移住者座談会を開催します。

最初にジャムズネットカナダの傳法清さんから、カナダからの遠隔介護についてお話いただき、その後、鹿毛真理子さんから、異文化環境での結婚と子育てについてお話いただきます。

その後、3つのブレイクアウトルームに分かれ、①遠隔介護について②異文化環境での結婚、子育てについて、そして③人気の日系史セミナーの講師田中裕介さんとの日系史カフェというトピックでお好きなブレイクアウトルームでお話いただけます。

初めての方でもお気軽にご参加ください。このイベントは日本語で開催されます。

参加は無料ですが登録が必要です。

座談会のFacebookイベントはこちら。https://www.facebook.com/events/1535137643563941/

参加登録はこちらから。https://us02web.zoom.us/meeting/register/tZIkc-mgqz8rGdc2j4LjewPzoltzUUdFAi4F

主催:NAJC新移住者特別委員会(JNIC・ジェイニック)

座談会に登録する

JNICのFacebookページができました!https://www.facebook.com/NAJCJNIC

ぜひフォローしてください。

海外日系人大会からのお知らせ

この度、先に公開いたしました日本語版に加え、英語版、スペイン語版、ポルトガル語版による第62回海外日系人大会の録画配信を当協会Youtubeチャンネルにて公開いたしました。

English

Day-1 https://youtu.be/qHMeC2KrqJQ
Day-2 https://youtu.be/d631TMj97GA

Portugues

Dia-1 https://youtu.be/B-mfec89kr8
Dia-2 https://youtu.be/hHpBEXDnvYM

Espanol

Dia-1 https://youtu.be/6tK5NmJOA6I
Dia-2 https://youtu.be/bWn1Oz__KZk

皆さまにご視聴いただけますと幸いです。

公益財団法人 海外日系人協会

今後JNICから次回の座談会やその他イベントなどのお知らせを受け取りたい方はこちらからご登録ください。

お問い合せ、コメントは、NAJC新移住者委員会(JNIC) までどうぞ。
jnic@najc.ca

主催:NAJC新移住者委員会 : Japanese New Immigrant Committee (JNIC)

北海道日本ハム・ファイターズ入団、山口アタル選手インタビュー

 バンクーバー出身の山口アタル選手が、日本のプロ野球チーム北海道日本ハム・ファイターズに育成選手として入団した。2022年11月には北海道で入団会見に臨み、ファイターズの一員としてスタート。バンクーバー出身日系人として初の快挙となった。

 入団会見のため日本へ出発する前日の2022年11月20日、バンクーバー市ナナイモパークで話を聞いた。

父と二人三脚でつかんだ入団のチャンス

 野球を始めたのは8歳の時。友だちに誘われたのがきっかけだった。特に得意なスポーツはなかったという。

 そんな時、父親に、「野球だったら努力すればプロになれるみたいな感じに言われて、じゃあがんばろう」ということで野球を始めた。

 所属チームは年齢とともに移った。そんな時でもいつも一緒に練習してくれたのは父だったと振り返る。

 ただ、「お父さんは(日本では)全然野球をやってなくて。高校の時は卓球部だったんです」と言う。しかし「ぼくが野球を真剣にやるって言った時に、いっぱい野球のことを勉強して」。大学に行くまで「ずっと一緒に練習してた感じです」と笑顔を見せた。

 日本のプロ野球チームに挑戦する時も父親からの全面的なサポートがあった。球団に送る自身のプロモーションビデオの制作、12球団へのEメール送信、日本での入団テストの準備、どの場面でも父の強力なサポートがあったと振り返った。

 日本ハム入団が決まった時、「お父さんはぼくよりビックリしてた」と笑う。「お父さんはいっぱいぼくのために、サクリファイスした(犠牲を払った)ので。本当に自分の力だけではここまで来れなかった。お父さんのおかげでここまでこれた、本当にお父さんには感謝しています」と何度も父への感謝の言葉を口にした。

自らをアピールして日本ハム入団のきっかけをつかむ

 高校まではバンクーバーで、大学ではテキサス州で野球をやっていた山口選手が日本ハムに入団したきっかけはなんだったのか?それは意外とシンプルな方法だった。

 自身のプロモーションビデオを制作し、それを日本のプロ野球12球団すべてにEメールで送ったと話した。「遠投したりとか、夏の試合の動画とかを2分ぐらいのコンパクトな動画にまとめて。それを全球団に2回送りました」。1回目は普通にメールしたが反応がなく、2回目はタイトルに「スカウトへ」と入れて送った。

 すると3球団から入団テスト参加の知らせが届いた。そこで日本へ。大学までは投手として活躍していたが入団テストは外野手として受けた。そこに特に違和感はなかったという。入団テストではいきなりホームランを打ってスカウトの注目を集めた。「普段から体作りはしていたので」と強打者としての経験はなくても前向きに入団テストに臨んだ。

 結果は日本ハムに育成選手として入団。入団の知らせはドラフト会議(2022年10月20日:日本時間)のテレビ中継だったという。「おばあちゃんの家でライブを見てて、名前が出たって感じだった」とびっくりしたと笑った。

 入団までを振り返り、「自分に運が味方してくれたかなって感じ」と笑ったが、挑戦することが大事だと感じたとも。「Eメールで(球団にビデオを)送るとかってノーコストだし、誰にでもできることだと思う。その結果がどうなるかは分からないけど、やってみることが大切」と、ポジティブな姿勢が野球の女神を引き寄せた。

野球への自身の姿勢は新庄ファイターズと共通点も

 日本ハムの印象は「ハイペースで、盗塁とか、ホームランとか、アメリカみたいな感じの野球が新庄監督のスタイルなのかなと。そしてやっぱりファンを盛り上げるような野球をする印象がありますね」。自分もそんな選手を目指している。「楽しませられる野球ができる、ファンが盛り上がるようなプレーができる選手になりたいです」

 日本ハム・ファイターズの新庄剛志監督は、大リーグでも経験があり、カナダ、アメリカでプレーしてきた自分には「合っていると思います」と言う。

 それにファイターズとは意外な縁もある。2012年リトルリーグ・ワールドシリーズにカナダ代表で出場した時、日本代表には現在日本ハムで活躍する清宮幸太郎選手がいた。直接対決はなかったが、「バッティグとか、ピッチングとか、ものすごかった印象があります」。その清宮選手とチームメイトになる。

 また子どもの頃からの憧れの選手は、現在は大リーグで活躍する元ファイターズのダルビッシュ有投手。

 自身が目指す野球スタイルといい、元ライバルといい、憧れの選手といい、ファイターズには縁があったようだ。

 とはいえ、まだスタートラインにも立っていない。これから育成選手としてプロの厳しい練習が待っている。ポジションも投手から外野手へと変更し、北米とは違った練習スタイルに臨んでいく。

 それでも本人はいたってポジティブ。入団テストまで外野ノックをほとんど練習したことがなかったが、なんとかうまく切り抜けたと笑った。「守備は練習すれば上手くなると思っている。足の速さとか、パワーとか、肩の強さはあるので、あとは育成でいっぱい練習して守備を上手くなりたいと思います」

バンクーバー朝日の選手とは今でも友だち

 バンクーバー朝日に在籍した経験がある。創設当初の2015年。ほかに所属していた野球チームとのスケジュールが合わず、1年だけの在籍だったが、朝日は「練習もしっかりしてて。日本から来たチームと試合をやった印象がすごく残ってて、めちゃくちゃ楽しかった」と笑顔が弾ける。

 今でも朝日の選手とはつながっていると話す。野球で上を目指したいという思いは同じ。情報交換もしている。中には日本で野球をやりたいという選手もいると聞いているという。「いつか同じ舞台に立てればうれしい」と話した。

期待を超える選手に

 何事にもポジティブな山口選手。北米からの育成選手として日本のプロ野球界に飛び込むことにそれほどの不安は感じていないと話す。違いこそが自分の強みだと感じている。文化的な違いなどは気にしていないと笑い飛ばす。

 流暢な日本語でコミュニケーションにも全く問題なさそうだ。ただ本人は「日本語が下手で、漢字があまり読めないこととかが不安ですけど」と笑う。日本のテレビ番組では「ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!」が大好きだそうで、その影響で「無礼な言葉使いをするのではないかとちょっと気にしてる」といいながらも、「そこは外国人ということで」とやっぱりポジティブ。

 周りを明るくするキャラクターで、新庄剛志監督の下、どんな選手へと成長していくのか、バンクーバーでも楽しみに見守っている。

 日系コミュニティには、「ファンのために期待を超えたいと思います。気持ちに応えたいと思います」とメッセージを贈った。

大学時代のユニフォームを着てインタビューに臨んでくれた山口アタル選手。2022年11月20日、バンクーバー市ナナイモパーク。Photo by Saito Koichi/JC Today
大学時代のユニフォームを着てインタビューに臨んでくれた山口アタル選手。2022年11月20日、バンクーバー市ナナイモパーク。Photo by Saito Koichi/JC Today

山口アタル(やまぐち・あたる)

1999年5月28日生まれ、ブリティッシュ・コロンビア州バンクーバー出身
アメリカ・テキサス州テキサス大学タイラー校在学中に日本プロ野球入団テストに挑戦
2022年11月育成ドラフト3位で北海道日本ハム・ファイターズに入団
ポジション・外野手、背番号・127

北海道日本ハム・ファイターズ

日本のプロ野球チーム、パシフィック・リーグ所属
本拠地・北海道北広島市、球場はES CON FIELD HOKKAIDO
2022年より新庄剛志監督が率いる
大リーグで活躍するダルビッシュ有投手や大谷翔平選手も在籍していた

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山野内勘二 駐カナダ大使の年頭挨拶

 明けましておめでとうございます。バンクーバー新報改め、日加トゥデイの読者の皆様におかれては、健やかな新年をお迎えのこととお喜び申し上げます。

 昨年5月にオタワに着任して、早くも8か月が経ちました。パンデミック下での行動制限が徐々に緩和され、幸いなことに、着任から現在までの間にカナダ国内各地を訪れる機会にも恵まれました。日本からカナダへの主要な玄関口であるバンクーバーも6月に早速訪問し、日本関連企業の皆様、日系コミュニティ関係の皆様、文化・芸術活動に携わっている皆様等と直接にお会いし、お話を伺う機会を頂きました。広いカナダは東西南北、地方ごとに異なる特色に溢れ、また、国を構成する人々や考え方も実に多様です。ここオタワは連邦の管轄を司る街であり、州の管轄が別途定められているこの国を少しでもよりよく知るにはオタワの外に出て、できるだけ多くの場所に足を運び、その土地の空気と人に触れなければならないと常々思っているところです。着任後比較的すぐのバンクーバー訪問は、その思いを明確にする鮮烈な体験となりました。バンクーバー及び西海岸地域を次に訪れる機会を、また楽しみにしたいと思います。

 一方、昨年は、ロシアによるウクライナ侵略が発生し、また、日本の周辺では、東シナ海や南シナ海における力を背景とした一方的な現状変更の試みやかつてない頻度でミサイル発射実験を試みる北朝鮮等により、世界の平和と安全、そして国際秩序が挑戦を受けた年でした。地政学的な困難が顕著となっています。パンデミック以降の半導体不足に象徴されるサプライ・チェーンの問題、ウクライナ危機を端緒とする食料安全保障やエネルギー安全保障の問題は、日本・カナダも例外なく、世界中の市民レベルでその影響が認識されています。一方、こうした様々な困難な課題を前に、カナダはインド太平洋地域の重要性に目を向け、この地域の同志国との関係強化を目指す方向に舵を切りました。昨年11月の「インド太平洋戦略」の発表は、伝統的に欧州・大西洋との結び付きが強く、また、長きにわたり外交戦略を策定してこなかったカナダが、現下の情勢を見据え、インド太平洋を掲げ分野横断的に外交・安全保障政策の基本戦略を策定・公表したものであり、非常に大きな意味を持っています。ジョリー外相を始めとする連邦政府の主要閣僚による同戦略の発表がバンクーバーで行われたことも、内外に鮮烈な印象を与えるものでした。これに先立つ昨年10月には、ジョリー・カナダ外相の初訪日が実現し、林外相と共に「自由で開かれたインド太平洋に資する日加協力のアクションプラン」を発表しました。日本とカナダは、日加両国そして地域の平和と繁栄を確保していけるよう、共にプラン実施に取り組んでいきます。

 日加間のビジネス関連では、農業やエネルギーという伝統的な分野に加え、脱炭素社会への移行の加速化を視野に入れ双方向で大きく進展しつつあり、今後はLNG、水素やアンモニアといった次世代エネルギー、重要鉱物資源、AI・量子等のハイテク分野での日本からカナダへの投資も期待されます。また、日本食はもはやカナダの食文化の一角を占めており、ミシュラン・ガイドにおける日本食レストランの際立った存在感は誇らしい限りです。パンデミックによる行動制限もなくなり、今後またバンクーバーを足がかりにカナダを訪問する邦人が増えることと思います。そこから多くの新しい交流が生まれることを期待しています。

 本2023年は、日本がオタワに公使館を開設し外交関係を樹立して95周年という節目の年でもあります。本年日本はまた、G7議長国として、5月にG7広島サミットを開催し、それに合わせて一年を通し国内各地でG7関係閣僚会合を開催します。要人の訪日を始め人の往来を促すこれらの機会も捉えつつ、様々な分野・レベルにおける日加間の協力が深まるよう、政府レベルでも一層努力したいと思っております。

 ウィズ・コロナの時代にあって、邦人の皆様が日々安心して生活し、活動できるよう、日本大使館・バンクーバー総領事館ともに力を尽くして参ります。

 本年も、どうぞよろしくお願いいたします。

令和五年元旦

全カナダ人日系人協会(NAJC)が新移住者特別委員会設立、JNICメンバーにインタビュー

新移住者特別委員会(Japanese New Immigrants Ad Hoc Committee:JNIC)の(左から)大木崇さん、ピアレスゆかりさん、高林美樹さん。写真提供:JNIC
新移住者特別委員会(Japanese New Immigrants Ad Hoc Committee:JNIC)の(左から)大木崇さん、ピアレスゆかりさん、高林美樹さん。写真提供:JNIC

日本語を話す人へのサービス提供

 全カナダ人日系人協会 (National Association of Japanese CanadiansNAJC)が、2022年5月に新移住者特別委員会(Japanese New Immigrants Ad Hoc Committee:JNIC)を設立した。これまで、主に英語を話す日系人を対象としてきたNAJCが、日本語を母国語とする人、特に新移住者へのサービス提供にも力を入れていこうという試み。
 2022年12月6日、同委員会メンバーの大木崇さん、ピアレスゆかりさん、高林美樹さんにオンラインで話を聞いた。(以下敬称略)

まず、みなさんの自己紹介をしていただけますか? 

大木:1964年にカナダに来て、バンクーバーに5年、アルバータ州レスブリッジ市に5年、エドモントン市に40年以上住んでいます。補習校に関わっていたことから、20年前からNAJCで翻訳などのボランティアと役員をするようになりました。現在、日系コミュニティの統計リサーチ、JNICでは書記・会計を担当しています。

ピアレス:長崎県佐世保市出身です。1998年にカナダに来て、留学エージェントをしています。ビクトリア在住で、ブログを発信しています。NAJCでは昨年9月から理事をしています。

高林:静岡県浜松市出身です。留学生としてカナダに来て卒業後後に世界を転々としたあと、12年前に子連れでバンクーバーに来て、教育コンサルティングの会社を立ち上げました。誰も取り残されない、インクルーシブなコミュニティ作りを目指して色々な移民支援団体で、ダイバーシティ・インクルージョン関連のイベントを企画するボランティアをしています。

日本語によるサービスのニーズ

新移住者特別委員会の発足経緯を聞かせてください。

大木:まず日系人とはカナダ国勢調査で人種的・文化的祖先に「日本人」と回答した人たちで、2021年にカナダには129,000人の日系人がいました。これはカナダの人口の0.36パーセントにあたります。
 1960年代以降カナダに来た新移住者の多くが、日本に住む親の遠距離介護、自分がどこの老人ホームに入るかなどの問題をかかえています。
 現在、新移住者の子どもは14歳以下が15,000人いると言われています。国際結婚も多く、その子らの日本語教育も大切な課題となっています。

ピアレス:横のつながりはどこにあるのだろうという点もあります。例えば、ユーコン準州での日本人新移住者の生活。社会福祉サービスを日本語で提供できる団体は大都市にはあっても小都市にはありません。そこで提供できるサービスは何なのか、文化交流なども考えていきたいと思います。

高林:個人的な意見ですが、日系コミュニティは他のコミュニティに比べ横のつながりが少し薄いように感じます。特にカナダ全国の繋がりは皆無。またいろんな世代が集まる会も少ないです。ですから弊委員会の活動としては新移住者と日系人コミュニティの相互利益になるようなネットワーク作りができたらと思っています。

新移住者と日系コミュニティのネットワーク

-新移住者委員会が目指すものの中には、現在ほかの団体で提供しているサービスもあると思います。なぜ今NAJCが日本語を話す人たちに力を入れるのでしょうか。

大木:バンクーバーでは隣組が日本語によるサービスを提供していますね。そういう団体にもNAJCに入ってもらい、全国的に情報シェアができるといいと思っています。
 NAJCは以前から新移住者へのサービスを大切にしてきました。亡くなった鹿毛達雄さんが、新移住者のための組織づくりに努めてきましたが、その後、NAJCでは新移住者との関係で、その方向が今まで見つからなかったという点もあったのではないでしょうか。

高林:全国規模で集う機会、共通点、触れ合う場があまりなかったのですね。ですから何か一緒にして活動することで歩み寄り、コミュティ繁栄に必要な、人と人の間の信頼感を得られると思います。

各コミュニティですでにさまざまなネットワークがあると思いますが、新移住者委員会ではどのような支援をしていますか?

ピアレス:座談会形式で、国際結婚や遠距離介護など、個人的な問題を相談できるようなネットワーク作りをしています。JNICでは、ジャムズネットカナダと協力して日本語でのメンタルヘルスや医療のリソースを提供していけたらと思っています。

高林:英語が達者な新移住者は、これまで日系コミュニティと多くの関わりを持たずに来たかもしれません。ですが、長年暮らしていると母語で参加できる場所を求める人もでてきます。JNICでは主に日本語でまたは英語でも安心して頼れる心の拠り所になっていけたらと思います。

日系カナダ人の歴史セミナー

新移住者に日系カナダ人の歴史を学ぶ機会を提供しているということですが。

高林:トロント在住で元日系ボイス編集長の田中裕介さんによる講演『カナダ日系145年歴史セミナー』を、不定期にオンライン発信しています。永野萬蔵とその末裔たち、戦後の日系社会の再興、朝日野球チームと都市伝説など10回シリーズです。

活動予定はオンライン主体ということでしょうか。

ピアレス:NAJCの加盟団体は100パーセント、オンラインでつながっています。カナダ在住日本人グループ、ジャパニーズカナディアンのフェイスブックグループがあり、そこで情報をシェアしています。
 (新型)コロナ(ウイルス)禍でオンラインでの座談会が始まり、それを元にしてこの委員会が発足しました。

高林:オンラインを使うことにより、カナダ全国の新移住者とつながることの利点がありますね。全国版ということで、就職活動にもつながることもあると思います。
 この委員会の委員長であるホワイトホース在住の鳥飼文彦さんは「ざっくばらんに話しましょう」と提案しています。いままで知り合うこともなかった遠方のいろんな方と話すことで、こんな違った考えや見方もあるのかと気づき、人生の選択肢も増え、豊かな気持ちになります。
 多くの新移住者がJNICの活動に参加することを奨励しています。親元になるNAJC年次総会では、新移住者が日系人と共同で行えるような活動についても積極的に話し合いたいと思っていますので、各地からの新移住者の活動参加を期待しています。

新移住者特別委員会(Japanese New Immigrants Ad Hoc Committee :JNIC)
連絡先jnic@najc.ca

「カナダ日系145年歴史セミナー」

スケジュール:

第4回:2023年2月23(木)1920〜1930年代 二世の成長と「白主日従」の時代へ
第5回:2023年4月13(木)こうして日系社会は第二次世界大戦に飲み込まれていった
第6回:2023年4月27(木)戦中疎開地での人間模様と分散定住
第7回:2023年5月31日(木)戦後の日系社会の再興
第8回:2023年6月29(木)リドレス運動の勃興と政府との合意
第9回:2023年7月27(木)1990年代:朝日野球チームと都市伝説
最終回:第10回:2023年8月31(木)リドレスから30年:戦後移住者から未来世代へ

(取材 ルイーズ阿久沢)

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丸山浩平・在バンクーバー日本国総領事より新年のごあいさつ

 読者の皆様、新年明けましておめでとうございます。

 年頭に当たり、皆様のご健勝とご多幸を、また新生「日加トゥデイ」のご発展を心よりお祈り申し上げます。そしてカナダと日本との交流・協力の進展、両国関係の一層の発展を祈念いたします。

 昨年カナダ政府がコロナに関する規制の緩和に踏み切り、様々な動きが戻り始めています。日本との人的な往来も復活しつつある中、皆様におかれましては、これまで以上の強い意気込みをもって新年をお迎えのことと存じます。うさぎ歳の今年、我々日本総領事館もうさぎにあやかり、より俊敏に事に当たり、より明るい未来へ向けて皆様とともに跳躍をはかりたいと考えます。皆様の健康、安全の維持のため、関連する情報の発信や、様々なご相談への対応等に更に努力して参ります。当館業務へのご関心とご指導を引き続きお願い申し上げます。

 本年が皆様にとり、素晴らしい一年となりますことを重ねてお祈り申し上げ、年頭の挨拶とさせていただきます。

2023年 元日
在バンクーバー日本国総領事 丸山浩平

大雪、大雨でBC州南部は大混乱に

メトロバンクーバーで日中も雪が降り続いた。2022年12月18日。
メトロバンクーバーで日中も雪が降り続いた。2022年12月18日。

 大雪・荒天となった12月23日、メトロバンクーバーを含むブリティッシュ・コロンビア(BC)州南部は大混乱に見舞われた。これに先立ちBC州政府は12月22日に不要不急の外出は避けるよう求めていた。バンクーバーが大雪に襲われるのはこの週では2回目。

 BC州運輸省はハイウェイ3のホープ・プリンストン間で大雪、ハイウェイ1のフレイザー・キャニヨンで雪崩の注意報を出した。アレックス・フレイザーとポートマンの両橋は落雪の危険があるとして、23日早朝から24日朝まで閉鎖された。

 BCフェリーも、23日午前中はメトロバンクーバー・ビクトリア間など主要路線を含む多くの航路が運航中止に。午後にもいくつかがキャンセルされた。スカイトレインの駅や路線も一部が閉鎖となり、トランスリンクは利用を控えるよう呼びかけていた。

 バンクーバー国際空港の混乱も続き、23日には300便以上のフライトがキャンセル。同空港は、足止めとなった利用者にホテルとレストランのギフトカード約400枚を提供した。24日にはほぼ通常通りの運航となった。

 各地で停電も相次いだ。多くは倒木や折れた枝が原因と見られ、24日朝の時点で11,000世帯が影響を受けた。

 カナダ環境・気候変動省は24日も引き続き、メトロバンクーバーに大雨警報を発令し、洪水や落氷についても注意を促した。

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日系ホームを支えたHi-Genkiレストラン、惜しまれつつ営業を終了

Hi-Genkiレストランで人気メニューだったからあげ丼。Photo from Fujiya
Hi-Genkiレストランで人気メニューだったからあげ丼。Photo from Fujiya

 日系ホームで居住者への食事を提供していただけでなく、一般のレストランとしても営業していたHi-Genkiレストラン。2020年3月から始まった新型コロナウイルス感染拡大の影響を受け、2020年4月に営業を終了した。

 ボリュームたっぷりで美味しく、リーズナブルな価格で提供していたランチは特に人気で、営業終了を惜しむ声も多かった。

 日系ホームがオープンした2002年から日系コミュニティに日本食の美味しさと楽しさを提供してきたHi-Genkiレストランを経営してきたのは日本食料品店Fujiya。今回は、FujiyaのMegan Matsudaさんに話を聞いた。

―日系ホームでHi-Genkiを始めるきっかけを教えてください。なぜFujiyaが始めることになったのですか?

 日系ホームの担当者が平居しげる(Fujiya創業者)にこの構想を相談しました。平居氏は1970年代に「まねき食堂」を経営して以来、飲食業への復帰を熱望していました。 また、母であるフジエさんが日系ホームに入居することになり、母や入居者のために美味しい料理を提供したいという思いもありました。

―メニューのカロリーや品数、味付けなど、何か特別に心がけたことはありますか?レストランは日系ホームの入居者だけでなく、一般の方にも開放していましたから、バランスが必要だったと思うのですが。

 一般向けと入居者向けのメニューは別で、基本的に2つのチームを編成していました。 入居者向けのメニューは、アシステッドリビング施設のガイドに沿って、登録栄養士と共同で開発しました。さまざまな食事制限や嗜好に対応し、おいしくて健康的な食事を数多く提供できるようにすることは、常にチャレンジでした。レストランでは、家庭的な和食にこだわり、鶏の唐揚げやトンカツなど、ボリュームたっぷりの揚げ物メニューが評判でした。

―レストランが正式に閉店したのはいつですか?閉店を決めた理由は何ですか?

 2022年4月30日にレストランを閉店しました。とても難しい決断でした。2020年の新型コロナの影響拡大以来、私たちはダイニングルームをお客様に開放することができませんでした。日系ホームに新型コロナのリスクを持ち込むわけにはいかないので、閉店したままでした。テイクアウトやデリバリーで多くの支持を得ましたが、それだけでは続けられませんでした。レストランは、入居者の食事サービスを財政的に支える重要な役割を担っており、その収入源がなければ続けることができなかったのです。

―今、バンクーバーでは美味しくて手頃な価格の日本食レストランを見つけるのが難しいので、みんな本当にHi-Genkiレストランを恋しがっています。今後、同じようなレストランをオープンする可能性はありますか?

 再出店については、今、フード業界は食材のコストアップ、スタッフの確保・定着の難しさなど、さまざまな問題を抱えています。このような状況が改善されれば、再出店を検討することができると考えています。

2000年から20年間、日系ホームの台所を担ったHi-Genkiレストランの店内の様子。Photo from Fujiya
2000年から20年間、日系ホームの台所を担ったHi-Genkiレストランの店内の様子。Photo from Fujiya

(取材 三島直美)

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日系ホーム、今年で20周年を迎える

日系ホーム20周年を祝うイベントの様子。2022年9月17日、日系文化センター・博物館。Photo from Nikkei Place Foundation, by Manto Artworks
日系ホーム20周年を祝うイベントの様子。2022年9月17日、日系文化センター・博物館。Photo from Nikkei Place Foundation, by Manto Artworks

 ロバート・ニイミ日系ホームが2022年9月、開設から20周年を迎えた。9月17日には、日系文化センター・博物館で20周年を祝う式典が開催された。

 式典には、100歳を迎えた7人を含む、現在の日系ホームの居住者や関係者ら約160人が参加。在バンクーバー日本国総領事館石浦陽子領事、バンクーバー市マイク・ハーレー市長も出席した。

Ms. Ruth Midori Coles, President of Nikkei Seniors Health Care & Housing Society, at Robert Nimi Nikkei Home 20th Anniversary Luncheon on September 17, 2022. Photo ©2022 Nikkei Place Foundation, by Manto Artworks
Ms. Ruth Midori Coles, President of Nikkei Seniors Health Care & Housing Society, at Robert Nimi Nikkei Home 20th Anniversary Luncheon on September 17, 2022. Photo ©2022 Nikkei Place Foundation, by Manto Artworks

 あいさつをした日系シニアズ・ヘルスケア住宅協会ルース・コールズ理事長は、「20周年を迎え、これまでの成果を祝うと同時に、この先20年における日系社会のシニアの方々の将来を考える機会だと思います」と語った。シニアにはまだ多くのニーズがあり、「新しいプログラムや地域社会とのパートナーシップを築きながら、これからの20年でそれらのニーズに応えていくことが、私たちの希望であり、夢です」とこれからを見据えた。

 式典では、日系シニアズ・ヘルスケア住宅協会キッチンチームによる20周年を記念した特別な豪華お弁当が用意され、日系ホーム紹介ビデオや日系体操、彩月会による踊りの披露など、参加者は楽しいひと時を過ごした。

日系ホーム

 「日系カナダ人シニアの文化的ニーズに配慮した住宅の必要性は地域の多くのシニアの方々の長年の夢でした」とコールズ理事長はあいさつで語った。

 Nikkei Seniors health Care & Housing Societyホームページによると、協会は1975年9月に日系カナダ人のための住宅設立を目的にJapanese Canadian Societyとして始まり、2000年にJapanese Canadian Health Care Sociery of BCと統合。これを機にNikkei Seniros Health Care and Housing Sociery(Nikkei Seniors)と改名した。

 2002年にAssisted LivingホームNikkei Homeをオープン。当初は59ユニットで、完全バリアフリー、バストイレ付、カップルでも入居できる画期的なAssisted Livingホームとして注目された。

 日系ホームの食事は、同施設内1階にあるレストランHi-Genkiが担当。日本食料品店で知られるFujiyaが運営した。

 2016年にはロバート・ニイミ日系ホームに改名。2020年4月Hi-Genkiレストラン閉店。

 新型コロナウイルス感染拡大で訪問を制限するなどの影響は受けたが、現在も、「自立、尊敬、尊厳、プライバシー、選択」を理念に掲げ、シニアが「健康で長生き」な生活を送るために、プログラムやサポート、ケアを提供している。

日系ホーム20周年のイベントに花を添えた「彩月会」。2022年9月17日、日系文化センター・博物館。Photo from Nikkei Place Foundation, by Manto Artworks
日系ホーム20周年のイベントに花を添えた「彩月会」。2022年9月17日、日系文化センター・博物館。Photo from Nikkei Place Foundation, by Manto Artworks

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2022年日本カナダ商工会議所クリスマス・ランチと第2回小松和子アワード授与式の開催

総勢32名が集まり楽しく歓談した昼の時。来年の抱負も語りながら交流の時間を過ごしました。写真提供:日本カナダ商工会議所
総勢32名が集まり楽しく歓談した昼の時。来年の抱負も語りながら交流の時間を過ごしました。写真提供:日本カナダ商工会議所

日本カナダ商工会議所のクリスマス・ランチと第2回小松和子アワード授与式が12月13日、ガスタウンのイタリアン・レストラン、Al Portoで開催された。着任2か月の在バンクーバー日本国総領事館丸山浩平総領事をはじめ、32名が参加し、和やかな雰囲気の集いとなった。

昨年から始めた小松和子アワードは、日本カナダ商工会議所発起人の一人で長年に渡り、会を引っ張ってこられた故小松和子氏を尊び設けられ、今年で2回目となる。

小松元会長の名前を冠したこのアワードは、地域社会への還元、貢献を通じて日本とカナダの国際交流にビジネス、文化、教育、観光で活躍した人や日系コミュニティーで活躍した人たちを表彰するもので、今年は10名が選出され、サミー高橋会長から授与式に参加された6名と2名の代理の方々に表彰状が渡された。

受賞者リスト

1)ライフタイム・アチーブメント・アワード

・かおりリトン氏、ウェイン・リトン氏 チーナBC Ltd (チーナカナダ)社創業者
・宮坂まり氏 月刊「ふれいーざー」ジャーナル・パブリッシング社主
・島田友子氏 スカイランド・トラベル社、escapes.ca 創業者

2)JCCOCリーダーシップ・アワード

・加藤真理氏 日本カナダ商工会議所理事
・高林美樹氏 日本カナダ商工会議所副会長、AK Jump Educational Consulting Inc. CEO

3)コミュニティ・サービス・アワード

・諸橋富雄氏 Bridges International Insurance マネッジング・ディレクター
・渡辺雅之氏 BC州日英翻訳家、お国自慢(I LOVE MY HOMETOWN) イベント実行委員会リーダー
・桑原茂子氏 合唱グループ「ウィンズ」の前リーダー(2000年―2020年)
・吉澤明子氏 ケロウナ日本語学校校長と日本文化継承プログラムのリーダー

着任2ヶ月の大変気さくな在バンクーバー日本国丸山浩平総領事のご挨拶でクリスマス会が始まりました。写真提供:日本カナダ商工会議所
着任2ヶ月の大変気さくな在バンクーバー日本国丸山浩平総領事のご挨拶でクリスマス会が始まりました。写真提供:日本カナダ商工会議所
ライフタイム・アチーブメント:チーナBC Ltd. (チーナカナダ)かおりリトン氏とウエインリトン氏の代理のご子息のショーンリトン氏。1978年創業、家族経営の会社として、カナダの最高級グルメ商品の提供を長年してきた。写真提供:日本カナダ商工会議所
ライフタイム・アチーブメント:チーナBC Ltd. (チーナカナダ)かおりリトン氏とウエインリトン氏の代理のご子息のショーンリトン氏。1978年創業、家族経営の会社として、カナダの最高級グルメ商品の提供を長年してきた。写真提供:日本カナダ商工会議所
ライフタイム・アチーブメント:1992年に創刊された無料月刊『ふれいざー』ジャーナル・パブリッシングの社主、宮坂まり氏の長年のコミュニティ貢献を称える。写真提供:日本カナダ商工会議所
ライフタイム・アチーブメント:1992年に創刊された無料月刊『ふれいざー』ジャーナル・パブリッシングの社主、宮坂まり氏の長年のコミュニティ貢献を称える。写真提供:日本カナダ商工会議所
ライフタイム・アチーブメント:創業32年のスカイランドトラベルの島田明子氏。日本他アジアへの旅行専門としてBC州の日本人コミュニティの情報源となってきた。写真提供:日本カナダ商工会議所
ライフタイム・アチーブメント:創業32年のスカイランドトラベルの島田明子氏。日本他アジアへの旅行専門としてBC州の日本人コミュニティの情報源となってきた。写真提供:日本カナダ商工会議所
コミュニティ・サービス・アワード:日英翻訳家渡辺雅之氏:お国自慢実行委員会リーダーを務める。十四回続行しているお国自慢の総合司会を務め、日本紹介、文化継承、観光やビジネスや教育の多面を通して国際交日加国際交流に貢献。写真提供:日本カナダ商工会議所
コミュニティ・サービス・アワード:日英翻訳家渡辺雅之氏:お国自慢実行委員会リーダーを務める。十四回続行しているお国自慢の総合司会を務め、日本紹介、文化継承、観光やビジネスや教育の多面を通して国際交日加国際交流に貢献。写真提供:日本カナダ商工会議所
ライフタイム・アチーブメント賞を受賞された桑原茂子さん、通称モコさんは長年ボランティアをしてきたシニアホームで歌のプレゼントを企画したのをきっかけに、現在の混声合唱グループウィンズが結成されました。授賞式には残念ながら出席できず、賞状をモコさんのお宅まで、サミー高橋会長が届けました。写真提供:日本カナダ商工会議所
ライフタイム・アチーブメント賞を受賞された桑原茂子さん、通称モコさんは長年ボランティアをしてきたシニアホームで歌のプレゼントを企画したのをきっかけに、現在の混声合唱グループウィンズが結成されました。授賞式には残念ながら出席できず、賞状をモコさんのお宅まで、サミー高橋会長が届けました。写真提供:日本カナダ商工会議所

(寄稿 日本カナダ商工会議所)

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