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Naomi Mishima

Naomi Mishima
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雛祭り*お寺deダンス*ワークショップ開催!雛祭り❣キッズ茶会&着物体験❣ 同時開催!

和の学校@東漸寺
3月3日(日曜日)
雛祭り*スペシャル

「親子でダンス!」「子供と大人いっしょにダンス!」
午前の部:午前10時~11時
午後の部:午後12時~1時
(対象:3歳~12歳と保護者、13歳~大人)

ダンスの後「雛祭り❣キッズ茶会」がございます。
是非、親子で茶道体験をされてくださいませ。
お着物を着てみたい方は、トモコまでご連絡ください。

東京ディズニーランドでダンサー経験のある日本人講師による、こども向けダンスワークショップです。どうぞ、ご家族でご参加ください。 お寺でお待ちしております!

<参加費>

ダンスワークショップ
$12/お子様おひとり(対象年齢:3歳~12歳) 無料/保護者 $14大人おひとり(13歳~大人)

雛祭り茶会
$3/お子様おひとり (対象年齢:3歳~12歳)$5/大人おひとり(13歳~大人)

お着物体験
$5/お子様おひとり (対象年齢:3歳~12歳)$10/大人おひとり(13歳~大人)

*お茶券と着物レンタルは、数に限りがございますので、お早めにお申し込みください。

 <お申し込み*お問い合わせ>
和の学校@東漸寺TOZENJI コナともこ tands410@gmail.com
住所 209 Jackson street Coquitlam,B.C. Japanese culutre school Homepage https://wanogakkou.jimdofree.com/

ダンス講師:Anna Dance StudioAnna- Akane
Tel: 604-365-9413
Mail: annadance2022@gmail.com
Instagram:@anna_dance_ak

午前の部 10:00-10:45
午後の部 12:00-12:45

カナダセブンズ2024開幕、女子日本代表強豪相手に接戦

女子日本代表キャプテン平野優芽選手。アメリカ戦。2024年2月23日、BCプレース。Photo by Koichi Saito
女子日本代表キャプテン平野優芽選手。アメリカ戦。2024年2月23日、BCプレース。Photo by Koichi Saito

 7人制ラグビーのセブンズシリーズ第4戦「カナダセブンズ」がバンクーバーで開幕した。パリ五輪を半年後に控え、女子12チーム、男子12チームが、BCプレースで熱戦を繰り広げる3日間の幕が切って落とされた。

 1日目はプール戦で各チーム2試合。日本からは女子代表が出場。プールBでこの日は、午前中にオーストラリア、午後はアメリカと対戦した。

「2試合とも入りはうまくいった」平野優芽選手

女子日本代表、アメリカ戦。2024年2月23日、BCプレース。Photo by Koichi Saito
女子日本代表、アメリカ戦。2024年2月23日、BCプレース。Photo by Koichi Saito

 オーストラリア戦でも、アメリカ戦でも、先制トライを奪ったのは日本だった。2試合とも負けはしたが、「今までこういう大会の課題であった試合の入りの部分ってところは今大会すごく修正することができています」とキャプテン平野優芽選手。そのため、「先制点を取ることができたり、試合の流れを作っていけるところは今までの大会と違って少ない失点で終われている一番の要因かなと思います」とチームの成長に自信をのぞかせた。

 ただ、2試合とも勝ち切ることができなかったと反省を口にする。

 プール戦は明日フィジー戦が残っている。「トライを取ったすぐ次のプレーで相手にトライを取られたり、自分たちのミスで流れをつかみきれないということがあったので、トライを取った後も乗って次のトライができるようなプレーをしていきたいと思います」と明日を向いた。

2月23日
日本 10-12 オーストラリア
日本 12-26 アメリカ

吉野舞祐選手。カナダセブンズ、女子日本代表第1試合オーストラリア戦。2024年2月23日、BCプレース。Photo by Koichi Saito
吉野舞祐選手。カナダセブンズ、女子日本代表第1試合オーストラリア戦。2024年2月23日、BCプレース。Photo by Koichi Saito
女子日本代表、オーストラリア戦。2024年2月23日、BCプレース。Photo by Koichi Saito
女子日本代表、オーストラリア戦。2024年2月23日、BCプレース。Photo by Koichi Saito

(記事 三島直美/写真 斉藤光一)

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カナダで薬剤師(2)荒波に揉まれて

 2020年の年初から世界を騒がせてきた新型コロナウイルスは、もはや未知の恐怖ではなくなり、先進国の中でもとりわけ慎重な水際対策を行なってきた日本でさえも、2023年5月からは感染症法上の扱いが季節性インフルエンザと同じ5類になりました。

 2024年に入ると、日経平均株価がバブル期の1990年2月以来の高値を更新。一方で、日本政府の賃上げ支援策を背景に企業で賃上げの取り組みは見られるものの、この30年以上に渡り停滞した賃金を短期間で北米レベルに引き上げるのは非現実的なこと。さらには最近の円安も追い打ちをかけ、海外留学を希望する若い世代にとっての経済的な負担はこれまでになく大きいものであると言えます。

 しかし、そんな時代だからこそ、海外で夢を追いかける皆さんを応援したく、私がカナダで薬剤師になった道のりを前回紹介させて頂きました。あの頃は、先が見えないという意味で本当に大変でしたが、その経験があったからこそ、ちょっとやそっとのことでは心が折れなくなったような気もします。今回は、私がカナダで薬剤師になってからのお話です。

 2007年の春に、ブリティッシュコロンビア大学(UBC)の外国人薬剤師向けブリッジングプログラム、Canadian Pharmacy Program(CP3プログラム)に滑り込んでスタートしたことはお話ししましたが、このプログラムの薬局実習でロンドンドラッグスにお世話になった縁から、薬剤師免許取得前から仕事のオファーを頂くことができました。いわゆる内定です。ロンドンドラッグスには、その後、Provincial Nominee Programを通した移民申請手続きのサポートまでして頂きましたから、当時から現在に至るまでお世話になりっぱなしです。

 そして2008年の春から働くことになったのは、ウエストバンクーバーからフェリーで40分のところにある、ギブソンズ(Gibsons)という人口5千人弱の小さな町です。バンクーバーの喧騒から少し離れた自然に囲まれた静かな町ということで、リタイヤした人が多く集まる土地です。2021年の統計では、バンクーバー市の65歳以上人口が17%であったのに対し、ギブソンズは人口の40%でしたから、町がシニア層を中心に成り立っていることが分かります。

 私が薬局勤務を始めた頃は、ベテラン薬剤師が二人で薬局を切り盛りしていました。私より少し後にもう一人の薬剤師が加わりましたが、彼はそれまで同じ町で30年以上に渡り個人薬局を営んでいたレジェンドのような方でしたから、彼らは全員、患者さんの信頼度の桁が違いました。一方で、私のように何でもゼロから説明しないと話がわからないようなアジア人の若造では話にならず、私以外のベテラン薬剤師を指名する人も多くいました。当たり前こととは分かっていても、あまりにこれが続くと人間としてはヘコみます。心の中では「またかよ!」みたいな感じで(笑)。私が特に悪いことをしているわけではありませんし、やる気だけはあったので、仕事を覚える機会が奪われることがフラストレーションでした。

 実際、仕事を始めて最初の5年位は仕事に慣れることで精一杯。この間、特にこれといったことを成し遂げた感覚はゼロです。要領と物覚えの両方が悪いタイプであることは十分自覚していますし、あれだけ苦労して取得したカナダの薬剤師という資格ですから、1つずつ仕事を覚えるしかありません。

 その頃は知りませんでしたが、現地の大学(UBC)を卒業した薬剤師でさえも、スピードを身に付け、テンポよく仕事が出来るようになるまでは、ニュービー(New babyのこと)やグリーン(未熟なこと)と呼ばれます。当時の私はニュービー中のニュービーでしたから、周りのスタッフも半ば諦めていたことでしょう。それでも、薬局業務は良くも悪くも同じ仕事の繰り返しですから、時間が経つにつれて最低限の仕事はこなせるようになっていきました。桃栗三年柿八年、何事も一人前になるには相応の歳月を要するものだからと思えるプラス思考だけが私の取り柄です。

 2010年には初めての子供が生まれましたが、悪性小児がんのために9ヶ月にして亡くなりました。ブリティッシュコロンビア州(BC州)唯一の小児病院であるBCチルドレンズホスピタルと、小児ホスピスCanuck Placeで、カナダの小児医療と小児緩和医療を患者の家族という立場で経験しました。幸いにも、その後2人の健康な子供に恵まれ、それ以来子育てに追われているうちにあっという間に時間が過ぎていきました。

 このようにプライベートは忙しくなったのと同時に、仕事にも結構慣れてきましたので、資格試験に挑戦しようと思いました。薬剤師としては一生勉強を続けなければなりませんし、もともと勤勉な日本人の遺伝子も持っている私です。Eメールで案内のあった、国際渡航医学会(International Society of Travel Medicine; ISTM)の渡航医学(travel medicine)医療職認定に挑戦することにしました。

 渡航医学とは、海外渡航者の健康管理を扱う分野で、薬局薬剤師としては、出発前に渡航先に応じた健康相談と予防接種を行い、人の移動に伴う健康リスクを包括的に管理します。具体的には、中南米や東南アジア、アフリカ大陸への旅行者へのA型肝炎や腸チフスの予防接種、旅程に応じた黄熱ワクチンの接種または免除証明、旅行者下痢症の対策と治療方法、新型コロナウイルスの流行で大きな話題になったクルーズシップ旅行の際に気をつけること、留学や駐在での海外滞在中のメンタルヘルス、高山病対策、海外出張、移民・難民の健康問題、海外でのスポーツ、スキューバダイビングの際に注意することなど、渡航先と渡航目的に合わせたコンサルテーションを行います。これらのバックボーンとなる知識をテストするのが ISTMの医療職認定試験です。

 日本のパスポート保持者が20%前後であるのに対して、カナダのパスポート保持者の割合は70%と高いことが挙げられます。これはカナダという国が多くの移民で成り立っていることと、また米国に隣接していることを考えれば自然なことかもしれませんが、とにかく国外に出かける人の数が多く、渡航前健康相談と予防接種は大きな需要のある分野であるといえます。

 これに加えて、2009年には鳥インフルエンザの大流行に備えて、BC州では薬局薬剤師によるインフルエンザの予防接種が始まり、薬剤師が注射を打つことが普通になっていたという背景もあります。そもそも私自身が日本からの移民である上、元添乗員の妻は海外旅行が大好きですから、もしかして渡航医学って面白いんじゃない?といった軽いノリで試験準備を始めました。

 現在はオンラインでも行われているこの試験も、2013年当時は世界各地の学術集会に合わせた現地受験のみしか選択肢がありませんでした。そこで、2013年の試験はオランダのマストリクトという小さな町へ行って、強烈な時差ぼけの中でこの試験を受けましたが、あと1歩のところで不合格。飛行機で一番揺れの少ないところはどこかという問題を間違えました。(答えは主翼の上です)。合格の場合には、会社からの金銭的なサポートが出るはずでしたが、不合格の場合はサポートゼロということで、全額自費のただのヨーロッパ旅行になってしまいました。

 この旅の途中、フランスのとある駅で、券売機でチケットを買うのを手伝ってあげるという人を信用してお金を払って、ゲートを通過しようとしたら子供用の一駅分のチケットだったという詐欺にも遭いました。旅の疲れで注意力が下がっていたとはいえ、踏んだり蹴ったりです。

 それでも私にとって人生初のヨーロッパ旅行で、アムステルダムとパリを観光したのが非常に良い刺激となりました。UBCのCP3でお世話になった先生の一人が、その頃フランスに帰国していましたので、パリで再会しました。

 肝心の医療職認定試験ですが、カナダの国家試験に何度も落ちた経験を持つ私としては、たかが一回失敗したぐらいではめげません。1年の勉強期間を経て、2014年の6月にはベトナムのホーチミンシティーで同じ試験に再挑戦。手応えはイマイチでしたが、無事合格することができました。何かを成し遂げるために一番大事なことは、やっぱり諦めないことですね。

 ここにも余談があり、ホーチミンシティー滞在最終日に街を散策した後、喫茶店でアイスコーヒーを飲んでお腹を壊してしまい、カナダに戻ってからメディカルクリニックに行く羽目になりました。ベトナムも最終日だし、蒸し暑しいので、一杯くらいはいいかなという気の緩みがいけませんでした。でも、そんな体験が人間を成長させてくれるもの。薬局に渡航前の相談に訪れる患者さんには、東南アジアは、蒸し暑いですが、とにかく氷には気をつけて水分補給してくださいねと、身をもってアドバイスしています。

 薬局薬剤師としてトラベルクリニックを標榜してから早10年が経過しますが、この間、日本渡航医学会に所属する薬剤師の先生とバルセロナの学会で知り合い、日本の学会で発表する機会を頂きました。さらに2023年には、国際渡航医学会の薬剤師専門部会運営委員に立候補し、選出されました。薬局勤務のため、研究実績がほとんどない私は、気合いと好奇心だけでこのようなポジションに辿り着いたといえます。

 波にノってくると、たまには良いことが続くもので、2023年のロンドンドラッグスのファーマシーマネージャーカンファレンスにおいて「Operation Efficiency」部門の社内表彰を受けました。2019年からマネージャー職を務めておりますが、2020年初頭からの新型コロナウイルス流行に伴う混沌とした状況でチームをまとめ、朝4時から働くこともあれば、オーバーナイトのシフトを入れて夜中に一人で処方せんの入力をしていた時期もありました。カナダという国にしてはかなりブラックな働き方であるとは思いつつも、毎日10〜12時間シフトを働くのが日常となりました。薬局の仕事を回すために、考え方と働き方を変えることで荒波を乗り越えてきたことが認められて大変嬉しく思いますが、こんな私をサポートしてくれる薬局スタッフと家族に恵まれたのはいうまでもありません。

 次回は、私の次のステップを紹介します。

*薬や薬局に関する質問・疑問等があれば、いつでも編集部にご連絡ください。編集部連絡先: contact@japancanadatoday.ca

佐藤厚(さとう・あつし)
新潟県出身。薬剤師(日本・カナダ)。 2008年よりLondon Drugsで薬局薬剤師。国際渡航医学会の医療職認定を取得し、トラベルクリニック担当。 糖尿病指導士。禁煙指導士。現在、UBCのFlex PharmDプログラムの学生として、学位取得に励む日々を送っている。 趣味はテニスとスキー(腰痛と要相談)

全ての「また お薬の時間ですよ」はこちらからご覧いただけます。前身の「お薬の時間ですよ」はこちらから。

13☆「魚」のぼやき?

日本語教師  矢野修三

 日本語上級者との新年会ではいつも「干支(えと)」の話をしているが、今年は「星座」もちょこっと話題にした。実はこの星座だが、ナント、干支と同じように、中国から奈良時代ごろに伝わってきたとのこと。さらに、17世紀の江戸時代に、中国の星座を手本に、日本独自の星座を作った天文学者がいたことを最近知って、びっくり仰天。

 星座はてっきり古代ギリシャ神話が始まりだと思い込んでおり、ほとんど知識も興味もなかった。でも星座に関して、日本にそんな歴史があったとは全く知らず、学校で学んだ記憶もなく、いと不思議。

 こんな星座の話をしたら、ある上級者から、私は「魚座」ですが、なぜ「さかな」ではなく「うお」ですか、の質問を受けた。うーん、確かに星座では「うお座」である。でも生徒にすれば「さかな」のほうがはるかに親しい。これは「魚」の訓読みに、なぜ「さかな」と「うお」と二つあるのか、の疑問であり、ときどき上級者から受ける怖い質問である。

 これを説明するには、「酒の肴」に登場してもらわなければならない。この肴(さかな)の語源は「酒の菜」。昔からお酒には、いわゆる「酒のつまみ」が大事で、平安朝のころから野菜が主役だった。そこで「酒の菜」という言葉が生まれ、この「さけのな」が変化して「さかな」となり、中国語ですごい料理を表わす「肴」を日本式に「さかな」と読み、「酒の肴(さかな)」という言葉が出来上がったとのこと。うーん、なるほど。

 江戸時代になって、酒の肴は野菜ではなく、魚(うお)が大人気、肴といえば魚が主役になり、肴=魚 となって、魚(うお)を「さかな」と読むようになったとのこと。えー、ホント、びっくり、そして納得。

 確かに、「うお」は母音の重なりで発音しにくく、丁寧の「お」を付けると「おうお」。漁業が盛んになり、「魚」を日常会話でよく使うようになった江戸後期において、魚(うお)が発音しやすい「さかな」に変わったのも頷ける。でも、上方のほうでは広まらなかったようで、この「さかな」は当時のいわゆる江戸っ子若者言葉だったのかも・・・。

 そして明治以降、この「さかな」の読み方はどんどん全国に広まった。でも昭和21年の当用漢字表には、「うお」だけで、まだ載っていない。でも会話にはよく使われるようになり、ようやく昭和48年(1973年)に「さかな」を正式に認めたとのこと。えー、「さかな」の歴史はそんなに浅かったの・・・、日本語教師としても超驚きであった。

 それ以降、「魚」の訓読みは「うお」か「さかな」か、どっちにしようか、複雑になった。「昔から(うお)があるのに、何で(さかな)など認めたのよ、ややこしいわよ」。そんな魚ちゃんのぼやきが聞こえてきそうである。

 実際、地域や年齢差、さらに言いやすさなども絡んでややこしい。「魚釣り」や「魚屋」などは「さかな」だが、「魚市場」や「魚河岸」などは「うお」のほうが落ち着く感じが・・・。

 そして、星座だが、いろいろな国の星座をまとめるべく、1920年代に国際天文学連合が設立され、ラテン語を訳してそれぞれ名前を決めたとのこと。そのころ日本はまだ「さかな」の読み方は正式ではなく、当然、Pisces(パイシーズ)を「うお」と訳したのであろう。

 さらに、「行く春や 鳥啼き魚の 目は泪」、これは「奥の細道」の旅立ちの句とされているが、もしもこの時代に「魚」に「さかな」の読み方があったら、芭蕉は字余りを心配して、この句を作らなかったのでは・・・、そんな余計な思いを巡らせてしまった。

 昨今では、当然「さかな」が優勢であり、「魚」に関する古い慣用句なども「うお」から「さかな」に変わってしまう傾向に。年寄り教師としては寂しい限りだが、言葉は世につれ変わりゆく・・・。It is what it is!

 「魚料理じゃなくて、先生の陰口を肴に一杯飲もう」。こんな生徒が現れないことを、そして、いつまでも水を得た魚のように生き生きと元気に過ごせることを、さらに読み方「うお」の踏ん張りを祈りつつ。

「ことばの交差点」
日本語を楽しく深掘りする矢野修三さんのコラム。日常の何気ない言葉遣いをカナダから考察。日本語を学ぶ外国人の視点に日本語教師として感心しながら日本語を共に学びます。第1回からのコラムはこちら

矢野修三(やの・しゅうぞう)
1994年 バンクーバーに家族で移住(50歳)
YANO Academy(日本語学校)開校
2020年 教室を閉じる(26年間)
現在はオンライン講座を開講中(日本からも可)
・日本語教師養成講座(卒業生2900名)
・外から見る日本語講座(目からうろこの日本語)    
メール:yano@yanoacademy.ca
ホームページ:https://yanoacademy.ca

「学校の垣根を越え、日本語のアウトプットの場として」JALTA第24回お話発表会が開催される

発表会終了後、全員で記念撮影。Photo by Japan Canada Today
発表会終了後、全員で記念撮影。Photo by Japan Canada Today

 JALTA日本語教育振興会による第24回お話発表会が2月11日、バンクーバー日本語学校並びに日系人会館ホールで行われた。

 「この発表会は、学校の垣根を越え、生徒たちが日本語を学ぶ仲間として、ともにアウトプットを行う場です」とJALTA会長ベイリー智子さん。そのため、順位もつけないし、生徒たちの所属する学校も明記しないという。

あいさつする在バンクーバー日本国総領事館・丸山浩平総領事。Photo by Japan Canada Today
あいさつする在バンクーバー日本国総領事館・丸山浩平総領事。Photo by Japan Canada Today

 在バンクーバー日本国総領事館・丸山浩平総領事は、「皆さんは今日のために、本当にたくさん準備や練習をしてきたと思います。すばらしいと思います。今日は落ち着いて、立派な発表をなさってください」と、あいさつで生徒たちに語りかけた。

 発表は、小学科、基礎科、中高等科のカテゴリーに分かれて行われた。

 小学科でペットをテーマに話したのは、アトキンソン萌葦さんとスコットモンクリーフ敬美さん。それぞれ、飼っている犬、猫について、ペットの可愛らしさ、飼うことの大変さなどをいきいきと話した。

猫のベイリーについて話したスコットモンクリーフ敬美さん。Photo by Japan Canada Today
猫のベイリーについて話したスコットモンクリーフ敬美さん。Photo by Japan Canada Today

 家族のふるさとである海辺の村について話したのは小川真理枝さん。浜辺で見つけた貝や石、ガラスなどの描写に繊細な感性を見せた。

 生まれつき難聴である有賀夏織さんは、「音のない世界と、ある世界を行き来できる」ため、たくさんの友達を得たことなどポジティブな面をユーモアを交えて語り、世界にひとつだけの自分の耳を誇りに思っているという言葉で締めくくった。

 基礎科では日本や日本語をテーマにした発表が目立った。メーガン・ハインズさんは、アニメや漫画が好きで日本語を学んでいると言い、いつか家族で日本に行き、家族のために通訳をしたいという夢を披露した。

ピアノへの情熱を話すシェン・ブランドンさん。Photo by Japan Canada Today
ピアノへの情熱を話すシェン・ブランドンさん。Photo by Japan Canada Today

 「ピアノに触れた瞬間、僕は絶対に弾けるようになりたいと思いました」という出だしが印象的だったのはシェン・ブランドンさん。ピアノから学んだことや両親のサポートについて、なめらかな日本語で話した。

 中高等科の発表は、内容のレベルの高さはもちろん、話し方も落ち着いて堂々としたもの。斉藤慎さんのテーマは「私と演劇」。演劇部の活動について、「演技で大切なのは恥を捨てること」と会場の笑いを誘いつつ、その楽しさや、やりがいについて語った。

 昨年、今年と出席した丸山総領事は「子どもたちが普段の生活や取り組んでいることについて日本語で一生懸命話す、そのひたむきな姿に心を打たれました。私たちの仕事にも非常に重要な『言葉』、その大切さに思いを馳せる貴重な機会になったと思います」と述べた。

 閉会に際してベイリー会長は、「きれいな花を支えるのは根。皆さんも日本語学校で少しずつがんばって花を支える丈夫な根っこを広げてください」とあいさつした。

 日加トゥデイのインタビューには「このお話発表会では、生徒たちに普段の授業とは違うかたちで日本語を学んでもらいたいと思っています。開催にあたっては各学校の先生はボランティアで準備にも時間がかかるのですが、その甲斐あって今年も個性あふれる発表を見ることができました」と笑顔で話した。

参加生徒と「お話」タイトル

小学科

  • 「わたしのペット」アトキンソン萌葦(Mei Atkinson)
  • 「大好きな妹たち」五来穂香(Honoka Gorai)
  • 「ぼくのゆめ」グリーンフィールド・アストン(Aston Greenfield)
  • 「ぼくのすきなスポーツ」高橋春樹(Haruki Takahashi)
  • 「わたしのねこ」スコットモンクリーフ敬美(Kiyomi Scott-Moncrieff)
  • 「サッカー」山田真(Ataru Yamada)
  • 「日本の海辺で」小川真理枝(Marie Ogawa)
  • 「私と耳」有賀夏織(Kaori Ariga)
  • 「平和な日本」森永和馬(Kazuma Morinaga)

基礎科

  • 「日本旅行」ブラックモア・ヘンリー(Henry Blackmore)
  • 「日本語との出会い」グエン・マーカス(Marcus Nguyen)
  • 「きょうえいについて」藤本エミリー梅子(Emily Umeko Fujimoto)
  • 「きょねんのなつ」ヒックス義文(Yoshifumi Hicks)
  • 「ピアノ」シェン・ブランドン(Brandon Shen)
  • 「日本語の勉強」チュン・エルフィー(Alfie Chun)
  • 「私が日本語を勉強する理由」メーガン・ハインズ(Meaghan Hines)

中高等科

  • 「おせちのひみつ」星聖楽(Kiyora Hoshi)
  • 「私と演劇」斉藤慎(Makoto Saito)
発表の後に行われた、劇団「座・だいこん」の舞台。演目「かんがえること」は、詩人、工藤直子さんの作品から。Photo by Japan Canada Today
発表の後に行われた、劇団「座・だいこん」の舞台。演目「かんがえること」は、詩人、工藤直子さんの作品から。Photo by Japan Canada Today

(取材 宗圓由佳)

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2024年度 企友会年次総会・懇親会開催

参加者のみなさま(Zoomにて)。写真:企友会
参加者のみなさま(Zoomにて)。写真:企友会

企友会(バンクーバー日系ビジネス協会)の年次総会並びに懇親会が、2024年1月31日にオンラインにて開催されました。

定足数に達する会員参加のもと、2023年度の議事録並びに会計報告の承認、活動報告が行われ、そして2024年度の理事の選出が行われました。13名の方が立候補をされ、承認をされました。今期の新執行部は以下の体制となります。

会長:白石 有紀
副会長:マトソン 悠治
事務局:澤田 泰代
会計:高岡 利和

その後、白石新会長より今年の活動骨子が発表されました。

第二部はホール奈穂子前企友会副会長の司会による懇親会。先ずは、新しく理事になられた5名の方より自己紹介と抱負が語られ、また他の参加者の方からも色々なコメントを頂きました。

公益法人として登録されてから、今年で31年目を迎える企友会、新しいリーダーシップと新体制のもと、更にBC州の日系事業家、起業を目指す人、そしてBC州で働くすべての人を応援するべく活動してまいりますので、応援よろしくお願いいたします!

参加者のみなさま(Zoomにて)。写真:企友会
参加者のみなさま(Zoomにて)。写真:企友会

寄稿:企友会

「ジェームス・エーネス」音楽の楽園〜もう一つのカナダ 第20回

はじめに

 日加関係を応援頂いている皆さま、音楽ファンの皆さま、こんにちは。

 私にとって2回目のオタワの冬も2月も半ばです。そろそろ終盤に近づきつつある中で、地球温暖化を実感する日々でもあります。リドー運河の天然スケート・リンクが昨年は史上初めてオープン出来なかった訳ですが、今年は、限定的とは言え、オープンしました。が、気温のマイルドな日が続き、氷の厚さが足りず、今は閉鎖されています。オタワの冬の風物詩が体感出来ないのは残念です。

 しかし、音楽に関しては、2024年のオタワは、素晴らしい幕開けを迎えました。国立芸術劇場の今年最初のコンサートが1月10日に開催されたのですが、素晴らしいプログラムでした。現在、世界最高峰のヴァイオリニストと目されているジェームス・エーネスが登場したのです。英デイリー・テレグラフ紙によれば「地球上に僅かに存在する完璧なヴァイオリニストの1人」という事になります。という訳で、今回は、カナダが誇るジェームス・エーネスです。

神童現る

 ジェームス・エーネスは、1976年1月27日、マニトバ州ブランドンに生まれます。父アランはトランペット奏者にして地元のブランドン大学音楽学部トランペット科教授、母バーバラはバレリーナという家系です。音楽に溢れる家庭環境で、3歳児のジェームス君は、何故かヴァイオリンに強烈な関心を示し、ヴァイオリンを両親にねだったと云います。芸術家のDNAの成せる業でしょうか。1979年のクリスマス、両親は4分の1のサイズのヴァイオリンをプレゼントとします。

 そして、ジェームス君が5歳になると父からヴァイオリンを正式に習い始めます。圧倒的な才能が顕になるのに時間は要りませんでした。地元の音楽イベントの常連になります。9歳になると、もう父が教えられる事は尽きました。

チャップリンとの出会い

 幸運なことに、父の職場ブランドン大学の同僚にカナダの至宝とも言われたヴァイオリニスト兼ヴァイオリン教師、フランシス・チャップリンがいました。ジェームス君はチャップリンに師事することになります。ここから華麗なるキャリアへの本格的助走が始まります。

 1986年、10歳にして、地元で本格的リサイタルを開きます。

 1987年、11歳の時に、若手演奏家の登竜門として1958年に始まったカナダで最も権威のある音楽コンクールであるThe Canadian Music Competitionの弦楽部門で優勝。

 1988年、12歳で、モントリオール交響楽団主催のコンテストで優勝。翌89年には、13歳にして、シャルル・デュトワ率いるモントリオール交響楽団と共演。これがオーケストラ・デビューでした。才能の原石は磨かれる運命にあります。いよいよカナダの重力圏を超えます。

 ジェームス少年は、チャップリンの強力な推薦もあって真に優れた若き演奏者だけに許される「メドウモント音楽院」に入ります。この音楽院は、イツァーク・パールマンを育てたことで知られるヴァイオリン教師ガラミアンが1944年ニューヨーク州北東部のウェストポートに開きました。夏期7週間だけの非常に密度の濃い弦楽器のためのプログラムです。広大なキャンパスには、食堂、ラウンジ、パフォーマンス・スペース、練習スタジオ、コンサート・ホール、更に、テニス、バスケ等のレクリエーション設備も完備。音楽漬けの7週間を過ごします。生徒は、1日5時間の個人練習に加え、スタジオでの授業、個人指導、更にゲスト講師として招かれた名だたる名演奏家による特別ワークショップがあります。ヨガも取り入れられています。週に3回は、教授、ゲスト講師、生徒が参加するコンサートが開催されます。将来のトップ・プロの養成機関です。ヨーヨー・マ、リン・ハレル、ピンカス・ズッカーマン、チョン・キョンファ等々現在も活躍する錚々たる演奏家を輩出しています。13歳のジェームス少年がその入り口に立った訳です。89年から92年まで、夏になるとメドウモントで学びました。

ジュリアード

 そして、1993年17歳になったジェームス青年は、ジュリアード音楽院に入学。いよいよ、世界の舞台の中心の近傍に来ました。ここで、ジェームス青年の未来を決定づける出来事があります。カナダ楽壇の重鎮ウォルター・ホーンバーガーとの出会いです。

 ホーンバーガーは、グレン・グールドを発掘しマネージャーも務めたことで知られるプロデューサー兼スカウトにして興行主。トロント交響楽団のマネージング・ディレクターを長年務め、その手腕でトロント響の地位を大きく向上させました。トロント大学にホーンバーガー講座を開設する等の後進の指導に熱心で、日本の民音が主催する東京国際指揮者コンクールの審査員も務めています。カナダ楽壇の発展に大きな足跡を残し、1987年、63歳に引退します。

 そのホーンバーガー御大が、1993年、69歳にして悠々自適の生活を切り上げて、17歳のジェームス青年のマネージャーに就任するのです。ここから、ヴァイオリニスト、ジェームス・エーネスの活動が本格化します。ジュリアードで学びつつ、ホーンバーガーの采配で、北米、欧州、そしてアジアの有名オーケストラとの共演を重ねて行きます。

 1995年、未だジュリアード在学中の19歳にして、テラーク・レコードと契約を結びます。デビュー盤は「ニコラ・パガニーニ、24のカプリース」です。超絶技巧を要求される難曲中の難曲。この選択に、エーネスの自信と野心が伺えます。眼光鋭いジャケット写真も印象的です。但し、この段階では、未だ一般的知名度は低く、関係者の間で、あのホーンバーガーがマネージャーを務める期待の大型新人という程度でした。元々、クラシック音楽のレコードCD市場は大きい訳ではなく、商業的には一敗地に塗れました。その後は、録音の機会は与えられませんでした。音楽業界の厳しい現実を垣間見た訳です。しかし、今や、このデビュー盤は相当な貴重品で、中古盤1枚500ドル超のプレミアが付いています。

世界の檜舞台へ

 エーネスは、ジュリアード在学中から、ホーンバーガーのバックアップで北米を中心に世界各国の名だたるオーケストラで客演を重ねていきます。学業との両立は決して容易ではなかったでしょうが、経験こそは何ものにも代え難い生きた教育でした。

 1997年、極めて優秀な成績で、ペータ・メニン賞を受けて、ジュリアードを卒業しました。いよいよ、生き馬の目を抜く厳しい競争と政治的駆け引きとも無縁ではいられない、世界のクラシック音楽業界へと参入するのです。

 順風満帆に見えるエーネスにとっても一つ悩みがあったと云います。それは、ヴァイオリニストにとっての生命線。己の技量をも左右する優れたヴァイオリンを如何に確保するかということです。演奏会であれ、レコーディングであれ、美しき音色は絶対条件です。最高峰は、17〜18世紀に製作されたストラディバリウスです。超一流の奏者は、有力な支援者・団体から貸与され、専属的に使用します。エーネスの場合は、カナダの芸術協会のサポートで、1717年製のウィンザー・ウェインスタイン・ストラディヴァリを使用することが出来るようになりました。

 ここからは、現代のクラシック音楽界の歴史そのものと言えるでしょう。「百年に一人のヴァルチオーゾ」と称されるジェームス・エーネスの誕生です。

 レコーディングに関しては、デビュー盤の不調で、4年間は新規録音はありませんでした。契約上の問題を整理する必要もあったのかもしれませんが、力を貯める良い機会にもなったに違いありません。2000年以降は、CBC、Analekta、Chandon等のレーベルから、精力的にCDを発表しています。年平均2枚余のペースです。如何なる分野の芸術でも、超多作は天才の証です。今や、バッハ、モーツァルト、ベートーヴェンからパガニーニ、ラヴェル、ドビュッシー、ストラヴィンスキー、バルトーク、更にはフィリップ・グラスまで、協奏曲、ソナタ、無伴奏ソナタ等々がヴァイオリンの主要レパートリーを網羅する膨大なディスコグラフィーを誇ります。

 最新盤は、2024年2月9日にリリースされたばかりの「我らの時代の真実(Truth in Our Time)」です。アレクサンダー・シェリー率いるカナダ国立芸術劇場管弦楽団との抜群の相性です。

音は人なり

 ヴァイオリンという楽器は、演奏者の人格識見が音に直裁に反映します。左手の指が押さえるポイントが0.5ミリ違えば音程がズレてしまいます。指の力加減がヴィヴラートの質を決めます。右手の弓を弾くスピードと圧力が音色を決めます。同じ楽器でも弾く人が違えば、全く異なる音が生まれます。ピアノならば、誰が鍵盤を押さえても同じ音程で基本的に同じ音が出ます。勿論、曲を奏でる場合は演奏者の違いが出ます。が、一つ一つの音は既に準備されています。ヴァイオリンは、一つ一つの音をつくるところから始まります。それ故に、ヴァイオリンの音にその人間のほぼ全てが滲むのです。

 もう随分前の事ですが、某テレビ局の有名アナウンサーと懇談の機会を得ました。その方はアナウンス室長を務められていて、後進の指導に当たっておられました。モットーは「声は人なり」。視聴者の方々にニュースを正確に客観的に届けるために、声を鍛え、発音を磨くのだと。謙虚に努力した声には誠意が宿り、視聴者の信頼を得るのだ、と力説されていたのを思い出します。一見華やかな世界の土台に地道な準備があると学びました。

 ヴァイオリンも本質は同じです。外からみれば、才能だ偉才だ天才だと言って片付けてしまいそうですが、そんな簡単な訳がありません。世界最高水準で演奏し続けるための鍛錬とコミットメントは人格そのもののです。故に、音は人なりです。心の乱れは音の乱れです。演奏と人格の境界線は、五木寛之の傑作「海を見ていたジョニー」にも通じる深淵なテーマです。

 2017年発表のCD2枚組「モーツァルト・ヴァイオリン協奏曲全集」を聴いた時の事です。エーネスのヴァイオリンが純朴で善意の塊のような音色だと感じました。モーツァルトの父レオポルドは成功したヴァイオリン教師でしたから、幼いモーツァルトは英才教育で徹底的にヴァイオリンを仕込まれました。モーツァルトにとってヴァイオリン協奏曲は、彼の人格の一部でもあります。その協奏曲を3歳児の頃からヴァイオリンを弾いて来たエーネスが奏でるのです。時代を超えた共感と絆があるに違いありません。小手先ではなく、エーネスの全人格が反映しているのです。

結語

 2024年1月の国立芸術劇場(National Art Centre)での公演プログラムは、エーネスとNAC管弦楽団による4曲のバッハのヴァイオリン協奏曲集です。エーネス自身が指揮して独奏する「イ短調」と「ト短調」。そして「2つのヴァイオリンのための協奏曲ニ短調BWV1043」では、 ジュリアードの同級生であるNACのコンサートマスター川崎洋介と共演。更に、「3つのヴァイオリンのための協奏曲ニ長調BWV1064R」では、右の2人に川崎夫人でもあるジェシカ・リンバックが加わりました。音楽の本質は、音学ではなく、音を楽しむことにある、と心底得心させる素晴らしい演奏会でした。そして、この日の演奏は全て録音されていて、2024年9月にはCDリリースされる予定です。また一つ、名盤がエーネスのディスコグラフィーに加わる訳です。

 最後に全くの私事ですが、演奏会の後、幸運にも楽屋で御挨拶をさせて頂く機会を得ました。巨匠ぶったところは全くなく、お茶目で本当にフレンドリーな人柄に魅了されました。NHK交響楽団との共演が感慨深いとも語ってくれました。最後に「アリガトウ」と笑顔で言ってくれました。

 カナダが生んだ現代の巨匠ジェームス・エーネスは47歳になったばかりです。この先、どれだけの傑作を残すのか超楽しみです。既にクラシック音楽の名演奏家列伝に入っているエーネスが如何なる物語を加えるのでしょうか。時代に彼を聴ける喜びを噛み締めたいと思います。

(了)

山野内勘二・在カナダ日本国大使館特命全権大使が届ける、カナダ音楽の連載コラム「音楽の楽園~もう一つのカナダ」は、第1回から以下よりご覧いただけます。

音楽の楽園~もう一つのカナダ

山野内勘二(やまのうち・かんじ)
2022年5月より第31代在カナダ日本国大使館特命全権大使
1984年外務省入省、総理大臣秘書官、在アメリカ合衆国日本国大使館公使、外務省経済局長、在ニューヨーク日本国総領事館総領事・大使などを歴任。1958年4月8日生まれ、長崎県出身

第23回 「肉体の死と存在の死と生」

 今日もまた朝5時に息子の愛犬「ジュナ」に起こされ、温めたエサを上げ、庭へトイレに出し、そっと身体を拭いて中に入れ、私はゆっくりコーヒーを飲みながらPCに向かう。
 毎週、彼女の為に「アニマル ドクター」助言の野菜入り餌を作り、それを1日2回食べさせる。彼女も私と同じ老齢でよたよた歩くし、遠くへ散歩はもうできない。もそもそ動く犬と私、互いに「老齢の犬と人」労わり合いながら生きている。

 今朝、PC開けて、最初に目に留まったのがチロチャンからのメイルだった。
Date: 2024/02/04 日 21:50
Subject: 母の容態

ポテおばさん
こんにちは。
今日の東京は(関東地方全体)大雪の予報がでており、 会社のデスク下でヒーターを入れているのですが底冷えがします。
土曜日に母に面会してきました。 もうほとんど声が出ず、コミュニケーションはYESとNOを苦しげに、 まばたきでするような状態です。
あるいはホワイトボードに文字で書いて用件を伝えると、 弱々しい手つきで、力なく文字で受け答えをしていました。
そのような中、今週、父が緩和ケア施設に転院する旨を伝えると、 私も一緒に行きたい、パパに会いたい、と言うので、 また私の涙が止まらなくなってしまいました。 一日も早く二人が会えるように、施設に空き状況を確認したのですが、 現在は満室とのことで、母はいつ入れるか分かりません。 最後に二人を、何としても会わせて上げたいです。
チロより

チロちゃん
 
返信遅れごめんなさい。さっきテレビで日本のニュ―ス見ました。2月5日、関東地方は雪で10-15センチ積もると言っていました。
 ここバンクーバーの我が家床暖房ですから家の中暖かです。でも、外は寒いですね。昨日は、マイケルが腎臓結石で緊急病院へ行き11時間くらいの入院で戻って来ました。
 彼は家で今薬を飲み落ち着いています。かなり痛かったようで可哀そうでした。でも、大丈夫でしょう。
 彼はチロチャンが12歳でモントリオールへ1年留学に来て我が家に滞在、その後バンクーバーへ転校しましたね。彼は其の後、モントリオールで生まれた息子です。

 優しいチロちゃんのメイル、貴方やご両親「クーニャンとイーちゃん」との忘れられない懐かしい昔、全て思い出しながら涙で読みました。
 そうですね。「クーニャン」が夫「イーちゃん」のそばに行きたい気持ちわかります。一緒にさせて上げたい、仲良し夫婦ですものね。
 そして、何だか今、次々色々思い出しながら人間の「肉体の死と存在の死と生」も考えています。するとチロちゃん、貴方ご自身と私達家族もつながって、結局、全て…私達の素敵な出会いが良い思い出となり、「存在」が語り継がれる間、その人は死なないのですよ。「その人の存在」は「笑顔」一つ「人に与えたもの」に全てが残る。ねぇ、…そうだとすると、チロチャン、私達の出会い、皆「素敵な人生」の一部だったと言えるでしょう?
 そう、「幸せな私達」が此処にいると思いましょう。数えきれない思い出をこれからしばらくエッセイに書いて行こうと思います。
 「クーニャンとイーちゃん」は何時も私の思い出に生きています。
澄子

セレンディピティ(英語: serendipity)とは、素敵な偶然に出会ったり、予想外のものを発見すること。また、何かを探しているときに、探しているものとは別の価値があるものを偶然見つけること。平たく言うと、ふとした偶然をきっかけに、幸運をつかみ取ることである。

許 澄子
2016年からバンクーバー新報紙でコラム「老婆のひとりごと」を執筆。2020年7月から2022年12月まで、当サイトで「グランマのひとりごと」として、コラムを継続。2023年1月より「『セレンディピティ』幸運をつかむ」を執筆中。
「『セレンディピティ』幸運をつかむ」はこちらから全てご覧いただけます。

日本LCC初のバンクーバー就航「ZIPAIR Tokyo」マーケティングマネージャー森本マーク氏インタビュー

ZIPAIR機。写真:ZIPAIR Tokyo
ZIPAIR機。写真:ZIPAIR Tokyo

 カナダと日本をつなぐ新たな航空会社として「ZIPAIR Tokyo」が今年3月バンクーバー・成田線を就航する。日本の国際線中長距離LCC(格安航空会社・Low Cost Carrier)として初めてカナダに乗り入れる。

 今回は3月13日の初フライトを1カ月後に控え、ZIPAIR Tokyoマーケティングマネージャー森本マーク氏にオンラインで話を聞いた。

期待の日本初LCCバンクーバー線

 バンクーバーと日本を結ぶ空路は意外と多い。成田に日本航空、エアカナダが、羽田に全日空が毎日1便、さらに関西空港へもエアカナダが5月から運航する。そこに新たに加わるのがZIPAIR Tokyo。初のLCCだ。新型コロナウイルス規制が撤廃される前からカナダ・日本間の運賃は燃油サーチャージなどもあり新型コロナ前と比べ驚くほど値上がりしている。

 そんな中で発表されたZIPAIR就航。2023年12月27日の公式発表によれば、スタンダードバリューは片道300ドル~(28,950円から~)。そのためバンクーバーでも期待は大きく、森本氏によると12月のチケット販売開始からすでに3月、4月はほぼ満席状況という。

 会社は2018年7月31日に日本航空100%出資で準備会社としてティー・ビー・エルが設立され、2019年3月8日にZIPAIR Tokyoとなった。成田空港を拠点とする国際線中長距離に特化したLCCだ。現在はアジアに4路線、北米にはハワイと、西海岸にサンフランシスコ、サンノゼ、ロサンゼルスの3路線、バンクーバーは北米西海岸4路線目となる。

 ZIPAIRを設立するにあたり森本氏は、これまで難しいとされてきた中長距離路線でのLCC就航について「しっかりと利益が取れるビジネスモデルを一から作り上げて、日本から東南アジア、北米へ、格安で運航できるエアラインを立ち上げることにしました」と説明した。「色々と模索し、前例にない低価格でクオリティの高いエアラインとして誕生したのがZIPAIRです。リーズナブルな料金で中長距離を飛べる新しい付加価値を提供しつつ、これまでになかった新しい常識を作っていくエアラインを目指しています」

 バンクーバー・成田路線ではすでに親会社の日本航空も毎日1便運航しているが、そんな中で開設を決めたのは「需要が高いと見込んでいるから」と説明する。アメリカ西海岸3路線をここまで見てきて「今まで日本やアジアに行きたいと思っても運賃が高くて諦めていた新しいマーケット層を開拓できると確信しています」。ZIPAIR利用者の約70%はZ世代と言われる20代から30代と言う。さらに「バンクーバーは(新型)コロナ前から日本との往来が活発でアジアゲートウェイ的な役割も持っている都市だと認識しています。フルサービスエアラインを利用しない層の需要があるとの見込みから、9路線目としてバンクーバーを選びました」。

航空運賃のカスタマイゼーション

 フルサービスエアラインには、ビジネス・エコノミークラスというサービスが異なるクラス分けが存在する。しかし「ZIPAIRの大きな特徴は全てモノクラスということなんです」と話す。「全290席、サービス内容は同じです」。ただビジネスクラス同様の座席としてジップフルフラット席を提供している。「これは(1機に)18席しかなく、とても人気がある座席です」

 他にも特徴的なのは、一律のエンターテイメントや機内食サービスがないこと。「ZIPAIRの座席には個人モニターがありません。その代わりにタブレットやスマートフォンを目の前に置くことができる座席設定がされていて長時間のフライトでも自分の端末で動画を楽しむことができます。ただ、事前に端末にダウンロードしておくことをお勧めしています」

 食事は事前予約のみ、ただ軽食やドリンクは機内でインターネット(Wi-Fi)サービスに接続して自身のスマートフォンで注文することができる。機内インターネットサービスは無料。「現時点では動画ストリーミングは難しいですが、メールの送受信やSNSの閲覧投稿などは快適に行えるほどの通信速度は確保しています」

 つまりチケット購入時は座席料金のみを購入し、サービスについては自分が必要なサービスを必要な分だけ追加する、「航空運賃のパーソナライゼーション・カスタマイゼーション」ができるというわけだ。

「大きなポイントは納得感」

 長距離路線ではZIPAIRだけが行っているサービスもあるという。それは受託手荷物で、有料だが荷物1個につき重さ上限は30キログラム。「去年の10月にルールを改定して1個30キロに設定することになりました。バンクーバー線は1個につき7,000円に設定しています」。1人5個まで同じ料金で預けられる。

 さらに料金で特徴的なのは子供料金。6歳未満なら夏休みや年末年始も含め定額設定となっている。北米路線はバンクーバーも含め片道1万円(104カナダドル)。「ファミリーにとっては優しい運賃体系となっています」

 安さが強調されるLCCだが機材は日本航空なども使用しているボーイング787-8型機を使用。決して小さい機材を使っているわけではないと語る。

 「ZIPAIRの大きなポイントは納得感ですね。ただ安い運賃を提供するだけでなく、その金額に見合ったサービスをきっちりと提供することです」と森本氏は語る。

 気になる成田から、バンクーバーからの国内線乗り継ぎについては、「他社とのコードシェアについてはありません」ということで国内乗り継ぎサービスはないとのこと。国際線はZIPAIRのアジア線に成田経由で同日乗り換えできる路線があるということだった。

「皆様と一緒に成長できるエアラインを目指したい」

 現在は10月までのスケジュールしか販売していないが夏季限定就航ではなく通年で運航するとのこと。

 森本氏は「ZIPAIRはフライト時間を好きなように使えますので、ぜひ効率よくご利用いただければと思います。皆様と一緒に成長し続けるエアラインを目指したいと思いますので、ぜひ機会がありましたらZIPAIRにご搭乗いただき、良かったことも、そうでないことも、教えていただければ大変ありがたく思います。皆様のご搭乗を心よりお待ちしております」とメッセージを送った。

ZIPAIR Tokyo
2024年3月13日からバンクーバー・成田線を就航
運航日は、バンクーバー発、成田発ともに、月・水・土
運航時間や料金など詳しくはこちら:https://www.zipair.net/ja/notification/208
ZIPAIRホームページ:https://www.zipair.net/ja

(取材 三島直美)

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【能登半島地震】バンクーバーで支援活動の輪

 能登半島に甚大な被害をもたらした1月1日に起きた大地震。バンクーバーでも心配の声が上がる中、支援の輪が広がっている。

 2月に開催される能登半島地震被災者支援のための募金活動や、バンクーバーからの義援金の送付方法をまとめた。

バンクーバーでの募金イベント

裏千家淡交会バンクーバー協会主催
「能登半島地震支援茶会」

裏千家淡交会バンクーバー協会がコッキトラム市の東漸寺で茶会を開催。

日時:2月11日(日)
場所:東漸寺(209 Jackson St. Coquitlam, BC, V3K 4C1)
席入り:11:00、12:00、13:00、14:00、15:00
参加費:$30.00 プラス寄付金
*予約はE-TransferでYoshino Nomuraさん(yoshinomura0330@gmail.com)まで。その際にComment欄に希望する時間と参加者の電話番号を記入してくださいとのこと。
詳しくはこちらのページを参照。
【能登半島地震支援茶会】裏千家淡交会バンクーバー協会主催

「Noto Night」@日系センター
2024年能登半島地震被災者支援のためのチャリティイベント開催

 メトロバンクーバー在住の有志による日系文化センター・博物館で開催されるイベント。当日は、太鼓、フラダンス、K POPダンス、コーラス、カラオケ、よさこいなど幅広いジャンルから楽しい催しも。現在、「コミュニティのいろいろなグループや個人からイベントの情報を拡散していただいている『サポーター』を募集中」とのこと。
 主催はBC-Japan Friendship Facebook Group。

開催日:2024年2月17日(土)
時間:午後7時~9時(開場:午後6時)
場所:日系文化センター・博物館(6688 Southoaks Cres. Burnaby)
入場料:寄付
問い合わせ先:bc.japan.friendship@gmail.com

詳しくはこちらを参照。
2024年能登半島地震被災者支援のためのチャリティイベント開催「Noto Night」@日系センター

在バンクーバー日本国総領事館
「能登半島地震災害義援金について」

 在バンクーバー日本国総領事館でも、能登半島地震災害の義援金を受け付けている。総領事館の銀行口座に送金するか、小切手を総領事館に送るもしくは持参する方法がある。

 総領事館によると、「当館経由で日本赤十字社に送金された寄附金は、日本赤十字社の活動に充てられる『救援金』ではなく、全て『義援金』として被災者の方々に届けられます」とのこと。

 詳しくは総領事館ウェブサイトを参照。
https://www.vancouver.ca.emb-japan.go.jp/itpr_ja/noto_earthquake_relief_2024.html

2024年度建友会新年会開催

写真:建友会
写真:建友会

建友会の新年会が2024年1月26日(金曜日)イーストバンクーバーのバンクーバー日系ガーデナーズ協会の事務所をお借りして開催されました。

毎年恒例の新年会に、今年は合計で30名以上が参加しました。建友会会員に加え、総領事館、ガーデナーズ協会、懇話会、企友会、女性企業家協会、日加商工会、日本酒協会からもご来賓として多数にご出席いただきました。

まずは松原会長の新年の挨拶からはじまり、続いて在バンクーバー日本国総領事館の久田領事から祝辞を頂戴しました。

次にBC州日本酒協会代表であり建友会会員でもある小西氏から、日本酒について講演をいただきました。純米酒や純米大吟醸酒など名称の違い、製法の違い、味わい方、世界の他のアルコールドリンクとの違いなどについて教わりました。

そして乾杯につづき、会食をしながらテーブルごとに近況報告、情報交換をしました。日本で元日にあった能登半島地震や、羽田空港滑走路での飛行機事故、またカナダの住宅不足対策としての留学生ビザの発給数制限など、時事についても意見交換がありました。

後半は穴澤元副会長(今年度より役員に返り咲き)の取り仕切りで、恒例のクイズ大会をしました。高得点のテーブルから先に、出席者が持ち寄ったドネーションを賞品として選べるため、建設に関連するクイズの答えを皆さん真剣に考えていました。

そして最後にパーマー副会長の閉会の挨拶で約2時間の新年会が締めくくられました。

建友会は2024年も毎年恒例の社会貢献活動や勉強会、ワークショップを企画運営していきます。イベントの告知、会員の情報につきましては建友会のホームページ、フェイスブックをご確認ください。今年もよろしくお願いいたします。

建友会ホームページ:https://kenyukai.ca/

写真:建友会
写真:建友会
写真:建友会
写真:建友会
写真:建友会
写真:建友会
写真:建友会
写真:建友会
写真:建友会
写真:建友会

(寄稿 建友会)

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最後まで目が離せない学校映画 “THE TEACHERS’ LOUNGE”

Leonie Benesch in THE TEACHERS' LOUNGE, Courtesy of Sony Pictures Classics
Leonie Benesch in THE TEACHERS' LOUNGE, Courtesy of Sony Pictures Classics

 ベルリン国際映画祭などドイツで数々の賞に輝き、アカデミー賞の国際映画長編部門へ送られ、釜山、トロント、バンクーバーなど世界の国際映画祭に招待された作品がバンクーバーへやってくる。

 Carla Nowak(LEONIE BENESCH)は、中学校の体育と数学を教える新任教師。ある日学校で数件の盗難事件が発覚し、教え子の1人に疑いがかかる。ある時先生の1人が小銭を盗んでいるのを目撃した彼女は、わざと自分のジャケットを職員室に置き去りにする。真の泥棒を探して生徒の無実をはらそうとした彼女だが、逆に別の疑いや脅しをかけられてしまう…

 教育制度や学校の規則に問いかけるİlker Çatak監督のストーリー構成は的をついている。かれこれ50年以上も同じ状態で続いてきた学校制度がいま壊れかけてきていることを予感させる映画。若い熱血教師、年齢も態度も古い校長、声を出さず影で文句を言うだけの先生たち、生徒だけでなく先生の中にも泥棒はいるなど、ついうなずきながら見てしまう。また主演女優Carla Nowakの演技も自然。優しくて責任感のある彼女がいじめの攻撃に合う姿は、今の社会で誰もが一度は目撃した事のある場面ではないだろうか。学校を通じて社会の在り方について考えさせられるので、是枝裕和監督の「怪物」と一緒に合わせて見てほしい。

 音楽も最小限だが、何気ない画面の移り変わりがすばらしく、これがİlker Çatak監督の持ち味だと感じた。また何十年も変わっていない先生ファッションも皮肉っぽくてグッド。

THE TEACHERS’ LOUNGE
期間: 2月8日、10~13日、15日
会場:Vancouver International Film Festival(1181 Seymour St, Vancouver)
ウェブサイト:https://viff.org/whats-on/the-teachers-lounge/
オリジナル言語ドイツ、2023、95分。
Press Screening Credits: Mongrel Media / Star PR

Leonie Benesch as Carla Nowak in THE TEACHERS’ LOUNGE. Photo credit: ©if Productions. ©Judith Kaufmann. Courtesy of Sony Pictures Classics.
Leonie Benesch as Carla Nowak in THE TEACHERS’ LOUNGE. Photo credit: ©if Productions. ©Judith Kaufmann. Courtesy of Sony Pictures Classics.

(記事 ジェナ・パーク)

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