
今年も日系カナダ人コミュニティ最大のイベント「パウエル祭」が8月1日・2日、バンクーバー市オッペンハイマー公園周辺で開催された。1977年に始まったパウエル祭は、今年で第50回の節目を迎え、80以上のプログラム、60以上のクラフト・マーケット出店、20以上のフードブースを楽しむ来場者で大いににぎわった。
開会式が行われた1日は、直前まで降り続いた雨が開幕を待っていたかのようにぴたりと上がり、太陽と青空の下、開会の幕が開いた。
政府・地域を越えて広く祝福

開会式は先住民族のエルダーたちによる歓迎の言葉で幕を開けた。在バンクーバー日本国総領事館の髙橋良明総領事は「過去50年間でパウエル祭はカナダ最大かつ最長の歴史を持つコミュニティフェスティバルの一つへと成長した」と述べ、「日系カナダ人の歴史、文化、芸術表現を称えるとともに、あらゆる背景を持つ人々の友情と相互理解を育む大切な祭りになっている」と語った。
バンクーバー・イースト選出のジェニー・クアン連邦議員は「30年近くパウエル祭に来続けている」と笑顔で明かした。そして、強制収容の歴史に触れ、「それでも今日、日系カナダ人コミュニティがここにあるのは、その強さと回復力があるからだ。歴史を忘れないからだ。そして、前を向き、歩み続けているからだ」と力強く語った。

BC州政府からはアムシャン(ジョアン・フィリップ)州議会議員の事務所のタイラー・ピーターソンシニアアドバイザーがメッセージを代読し、バンクーバー市ケン・シム市長も「こんにちは」と日本語であいさつ。クアン議員が50周年を祝う祝辞状を、シム市長が8月1日を「パウエル・ストリート・フェスティバル・デー」とたたえる宣言書をそれぞれ贈呈するなど、開会式は各界からの祝福に包まれた。
1977年に産声を上げたパウエル祭も50周年

パウエル祭は、第2次世界大戦中の強制収容によって故郷を奪われた日系カナダ人コミュニティの回復と文化を伝える祭りとして1977年に始まった。以来、カナダ最大規模の日系イベントへと成長し、今年で50回目の節目を迎えた。
パウエル祭協会事務局長ソフィー・ヤマウチ・ラティマーさんは、50周年の節目の取り組みとして「今年は将来を見据えた新しいプログラムを多く用意しました。若い世代が参加し、つながりを深め、コミュニティに加わっていけるような場を作りたかった」と説明。バンクーバー日本語学校の各フロアには体験型プログラムや展示が詰め込まれ、来場者がつながりを築ける場となった。
また今年はJapanese Canadian Legacies Society(JCLS)の助成を受けたプロジェクトの発表も充実。強制収容を経験した日系人の子孫たちが、家族の歴史・写真アルバムの展示など、それぞれの形で歴史を次の世代に伝えるプロジェクトが展開された。
家族の写真で辿る、強制収容の記憶
バンクーバー日本語学校の4階では「My Great-Grandparents’ Farm」と題したインスタレーションが展示されていた。アーティストのミキ・ダーレイさんの曾祖父母はリッチモンドで果樹・野菜農場を営んでいたが、強制収容によって全てを奪われ、アルバータ州テイバーでの労働を強いられた。

奪われた土地には現在100戸以上の住宅が建ち並んでおり、展示ではその写真を通して失われた暮らしを伝えている。展示された写真には、だるまが写っているものもあり、片目だけ入れてあるのは、会うことのなかった家族への願いを表しているのだという。
会場を訪れた人々の多くは、この歴史を知らなかったという。「ある人に話したら、『それは本当に悲しい』と言ってくれた。でも別の人には『謝罪も補償金ももらったでしょう』と言われた」とダーレイさん。「曾祖父母も祖父母も、謝罪が行われる前に亡くなっていた。お金じゃなくて、生きているうちに謝罪の言葉を聞いてほしかったと、母はそう言っています。その痛みが社会に認められることのないまま、2人はずっとその痛みを抱えて生きていたんです」

日本語学校の各フロアには、こうした日系カナダ人の歴史や記憶をテーマにした展示が並び、それぞれの形で歴史を伝えるプロジェクトが来場者を迎えた。こうした歴史や文化を次の世代、そして社会に発信し続けることもまた、半世紀にわたるパウエル祭の大きな役割の一つだ。
音楽・ダンス・食、日本文化があふれた2日間
その他にも、毎年恒例の相撲や神輿をはじめ、太鼓・音楽・ダンス・武術のパフォーマンス、浴衣・生け花・手作り作品が並ぶクラフトマーケット、サーモンBBQの香りが漂うフードブースなど、日本文化があふれた2日間。その様子を写真とともに紹介する。






(取材 田上麻里亜/写真 加藤さくら)
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