Across the Pacific〜日本とカナダの新しき交流 第4回「SHOGUN」

はじめに

 日加トゥデイの読者の皆様、日本とカナダの友好親善協力関係を応援頂いている皆様、こんにちは。

 4年3ヶ月在勤したオタワから帰国して、早いもので3ヶ月余が過ぎました。帰国直後の「危険な暑さ」は去り、朝夕は秋めいて来た今日この頃です。一つ実感するのは、日本とカナダの関係の深まりです。例えば、先日も知人から問い合わせがありました。何かと思えば、孫がカナダの大学に留学を希望しているのだが、その説明会が満員御礼でウェイティング・リスト待ち状態だ。何とかならないか、というものでした。勿論、大学側へも問い合わせつつ、公平性が最も重要である旨を伝えました。留学先としてのカナダに注目が集まっています。また、日常生活の様々な局面に、カナダを感じます。スーパーで買うキャノーラ油も圧倒的にカナダ産ですし。

 そんな中、今回の「アクロス・ザ・パシフィック」は、『SHOGUN将軍』です。ディズニー傘下のFXが制作し、2024年から放送・配信されている歴史ドラマです。何故、日加交流を紹介する本コラムで取り上げるのかと疑問に思われるかもしれません。実は、『SHOGUN 将軍』は、日本とカナダの文化交流の真髄が生んだ究極の作品だ、と言って過言ではないのです。何故ならば、このドラマの主要な場面は全てBC州バンクーバー近郊にて行われたからです。

 それでは、『SHOGUN将軍』の舞台裏、日加交流をとくとご覧あそばせ。

『将軍』とは?

 ドラマ『SHOGUN将軍』の原作は、1975年に出版された英国人作家ジェームズ・クラベルの歴史小説『将軍』です。三浦按針(ウィリアム・アダムス)をモデルとしたイングランド人航海士ブラックゾーンを主役・語り部として、関東の大名・吉井虎長(モデルは徳川家康)が天下を取るまでの波乱の日々を描いています。舞台は、西暦1600年の日本です。

 この小説は、1980年9月に米NBCの全5回テレビ・ミニシリーズ『将軍SHOGUN』としてドラマ化され、爆発的にヒットしました。主役ブラックゾーンはリチャード・チェンバレン、虎長は三船敏郎。毬子は島田洋子が演じて一躍トップ女優へと昇り詰めました。

 私が米国へ留学していた1985〜87年の頃でも、米国人の友人・知人との間で何かとドラマ「将軍SHOGUN」が話題となりました。アイビー・リーグのリベラル・アーツで学ぶエリートの卵達が日本文化を知るきっかけだったのです。日本文化が一般家庭に広く紹介されたインパクトは小さくなかったと思います。と云うのも、戦国時代を本格的な歴史ドラマとして描き、主要登場人物に日本人俳優を起用し、日本語の台詞を多用し、武士道・忠義・名誉・茶道・切腹などを紹介したのです。日本への関心を高める文化的な契機となりました。

 但し、ドラマ「将軍SHOGUN」には、一つ大きな留保があります。

もっと本物らしい描写を

 1980年版「将軍SHOGUN」は米国ドラマ史上画期的な作品でした。しかし、このドラマは、日本人の視点からではなく、西洋人が発見する異文化として描かれていました。原作がそうなので致し方無いのですが。要するに、主人公ブラックゾーンの驚きや戸惑いを通じて日本文化が紹介されているのです。そのため、日本社会の複雑な実態よりは、西洋人に理解し易く脚色され、内面描写より刺激的な場面が強調されていました。良くも悪くも、ハリウッド製です。

 これを見た真田広之氏は、日本人として「もっと本物らしい描写」を見たかった、という率直な感想を持ったといいます(これが40数年後に2024年版『SHOGUN将軍』の主役兼プロデューサーを勤めることの遠因となるのです)。

 勿論、1980年版にも、当時としては異例の日本での長期ロケ、日本人俳優の起用に加え、衣装や美術の日本人専門家の参加など本物の日本を描こうとする真摯な努力はありました。1980年版は、いわば「西洋人が日本を発見する物語」でした。

 これに対し、2024年版は、「日本人自身が自らの歴史を世界に語る物語」です。そして、戦国時代の日本について、「もっと本物らしい描写」を望んだところに登場したのが、カナダだったのです。

BC州に出現した1600年の日本

 ドラマのリアリティーを左右するのは撮影場所です。当初は、2019年3月に日本と英国で撮影予定だったそうです。しかし、脚本や制作体制が大幅に変更されたため、撮影が延期されました。すると、新型コロナ・ウィルスの世界的流行もあって、日英での撮影を断念。

 結果として、カナダはブリティッシュ・コロンビア州、特にバンクーバー周辺を中心に撮影が行われることとなりました。実は、この変更が新作の『SHOGUN将軍』の大成功の極め手となったのです。

 主な撮影地は次の通りです。

  • ポートムーディ(Port Moody):閉鎖されたFlavelle製材所跡に巨大な大坂の港・城下町のセットを建設。Rocky Point周辺も大坂港として使用。
  • ミナティ・ベイ(Minaty Bay):Sea-to-Sky Highway沿い、Howe Soundに面した場所で、伊豆・網代の漁村を再現。
  • ウエスト・バンクーバー:Whytecliff Parkなどを海岸場面に使用。
  • バンクーバー島・ユクルーレット(Ucluelet):Wya Point Beachが、冒頭のブラックソーンの船エラスムス号が漂着する伊豆の海岸になっています。
  • バンクーバーのスタジオ:大坂城の内部、庭園、評議会の大広間など大規模なセットを建設しました。

 つまり、画面では「1600年の日本」として描かれていますが、実際はカナダBC州なのです。山・海・森林が近接するBC州の景観を日本に見立て、VFXで富士山や城下町などを加えています。VFX責任者によれば、江戸へ向かう虎永の軍勢の場面などは、バンクーバー郊外の畑で撮影し、背景の江戸、富士山、田園などはCGで作成されているそうです。

 実は、FX関係者は、当初バンクーバーが日本の代わりになるとは考えていなかったそうです。しかし、日本人の俳優やスタッフを現地に連れて行くと、海岸や湾の景色を見て、故郷の日本によく似ていると驚いたといいます。

 真田広之氏も、バンクーバーの利点を具体的に語っています。曰く:

 「バンクーバーにはすべてがある。大きなスタジオがあり、車で30分も走れば、森、山、海岸、港、川、野原がある。しかも電柱や電線がない」と。

 実は、今の日本で時代劇を撮影すると、電柱や現代建築などを映像処理で消す必要があるのです。他方、BC州ではその負担を軽減できたのです。

 バンクーバーにはもう一つの利点がありました。この街には、大型スタジオ、熟練した映画技術者、セット建設の能力などが集積しています。制作の規模を考えれば、合理的な選択でした。実は、バンクーバーの持つこの映画制作能力の高さが、本物の時代劇を作る上で威力を発揮したのです。それは、カナダの映画産業を支える熟練した技術者たちです。地元の大工、塗装職人、美術スタッフらが、日本の城郭、武家屋敷、漁村などを再現しました。制作には約340人のカナダ人スタッフが参加したと報じられています。バンクーバーが長年培ってきた国際的な映像制作拠点としての実力が発揮されたのです。

ホンモノの時代劇

 『SHOGUN将軍』は、単に、カナダを日本の代わりのロケ地として使った作品ではありません。日本の時代劇文化、バンクーバーの映画制作能力、日系カナダ人コミュニティが一緒になって、17世紀の日本を世界に再現した日加共同作業だったのです。

 風景は、勿論、時代劇の重要な要素です。しかし、ドラマの核は人間です。従って、登場する全ての人々が、1600年の日本人らしくなければなりません。そこで、大きな役割を果たしたのが、原田徹氏です。『御家人斬九郎』などの監督作品があり、大阪芸術大学客員教授も勤める映像作家です。原田氏は、『SHOGUN将軍』では、テクニカル・スーパーバイザーを勤めました。

 『SHOGUN将軍』では主要俳優は日本から渡航しましたが、武士、武家の女性、漁村の住民など、多数のエキストラをバンクーバーの日系カナダ人コミュニティから募集しました。彼らは、日本人の容貌は持っていますが、21世紀のカナダに生きています。ホンモノの時代劇を作るためには、彼らが1600年当時の日本人の如く、正座、すり足、着物の着方、畳の上での振る舞いなどを一つ一つ自然にこなさなければなりません。これは正に、「言うは易く行うは難し」です。

 そこで、テクニカル・スーパーバイザー原田氏の出番となる訳です。最初は文化的な違いに戸惑った現地スタッフに、日本の生活・風習・慣習を根気強く教え込んだと云います。お一人お一人が納得して1600年の日本人になりきってもらわなければなりません。

 実は、原田氏は、2024年5月に「日加トゥデイ」のインタビューを受けてます。実際の撮影に際しては、悲喜交々苦労も多かったに違いありませんが、「日本の文化・習慣を説明することで、違いを理解してもらい、そのうち楽しんでもらえるようになった」とポジティブに振り返ってらっしゃいます。

 日系人を中心にアジア系のカナダ人がエキストラとして参加して、それぞれの場面を「ホンモノの時代劇」へと昇華してくれた訳です。原田氏の次の言葉が印象的です。

 「カナダの日系の方々が参加してくださったことで、作品の制作が可能になりました」

 全体で何人のエキストラが参加したかについては、公表された数字はありません。が、一つの大掛かりな場面では、一度に150人のエキストラが参加したそうです。おそらく、数百人規模で、バンクーバー近郊の日系・アジア系コミュニティからの参加者があったと思われます。

 バンクーバーに出張した際、或る日本レストランで夜食を食べてましたら、『SHOGUN将軍』のエキストラに出たという方がいて、その話で盛り上がりました。

 考えてみれば、これこそ究極の人物交流です。日本の戦国時代を描いた作品を「ホンモノの時代劇」にするために、伝統的な文化と所作を学び、実践し、世界的な大ヒットを共に仕上げたのですから。

真田広之のこだわり

 2024年9月、『SHOGUN将軍』は、史上最多となる18部門でエミー賞を獲得しました。快挙です。世界的な成功の証明と言えるでしょう。と言うのも、トリビアですが、エミー賞は、映画のアカデミー賞、演劇のトニー賞、音楽のグラミー賞と並ぶ米国の誇る四大エンタテインメント賞の一つです。テレビ番組に与えられる最高峰の栄誉です。

 その立役者は、主演のみならずプロデューサーも務めた真田広之氏です。真田氏が徹底してこだわったのは、日本の歴史と文化を、日本人の目から見ても違和感のない形で、世界に伝えることでした。

 「1980年版が『青い目を通して見た日本』であったのに対し、2024年版は『日本人のレンズ』を通して描こうとした」とは、真田氏の言葉です。

 真田広之氏は、子役として芸能界に入り、時代劇の現場で殺陣や所作を学びました。2003年の映画『ラスト サムライ』を機にハリウッドで本格的に活動するようになりましたが、そこで痛感したのが、欧米の映像作品における日本文化の描写の不正確さでした。衣装、言葉遣い、礼儀作法、武士の振る舞いなど、細部の誤りが積み重なると、日本人には不自然に映ります。真田は長年、撮影現場でこうした問題を指摘し、修正を求めてきたと云います。しかし、撮影現場の現実と制約と限界を痛感してきました。

 そして、『SHOGUN将軍』で、初めてプロデューサーとして制作の根幹に関与する機会を得たのです。真田が目指したのは、単なるハリウッド流の「サムライ・ドラマ」ではなく、歴史的な説得力を備えた本格的な時代劇でした。

 そのため、上述のとおり、衣装、美術、小道具、殺陣、言語指導などに日本の専門家を起用し、細部まで監修しました。武士の刀の扱い方、畳の上での座り方、着物の着付け、身分による言葉遣い、さらには人物同士の距離感に至るまで、時代背景に即した表現を追求したのです。 

 とりわけ画期的だったのは、日本人の登場人物が日本語で話すことを徹底した点です。1980年版『将軍SHOGUN』が英国人航海士の視点を中心に描かれたのに対し、2024年版『SHOGUN将軍』は日本人自身の視点と人間ドラマが大きな比重を占めています。英語の字幕を読むことに慣れた世界の視聴者に、日本語による演技の豊かさを伝えることにも成功したのです。

結語

 『SHOGUN将軍』の撮影は、主にカナダのバンクーバー周辺で行われました。日本から遠く離れた土地に、戦国末期の日本を再現するのは容易ではありません。しかし、真田広之氏の指揮の下、日本人スタッフとカナダを中心とする国際的な制作チームは、細部まで妥協しない作品づくりを貫いたのです。

 日本の文化的知識とカナダの技術力が制作現場で融合し、世界を魅了する新しい作品を生み出したのです。日本文化の独自性を薄めなくても、世界に通用する普遍的なドラマをつくれる。本物を追求する姿勢こそが、文化の壁を越えて人々の心を動かすことを証明したのです。

 『SHOGUN将軍』は、文化交流が相互紹介の段階から、共同で価値を創造する「文化共創」の時代へ進んでいることを示しています。太平洋を挟む日本とカナダが、世界に向けて新しい物語を発信する。その可能性を鮮やかに示したのです。

 そして、「シーズン2」の撮影もバンクーバー近郊で今年の1月28日に始まり、9月12日に終了しました。放送が待ち遠しいです。

(了)

山野内勘二(やまのうち・かんじ)
2022年5月から2026年7月まで第31代在カナダ日本国大使館特命全権大使
1984年外務省入省、総理大臣秘書官、在アメリカ合衆国日本国大使館公使、外務省経済局長、在ニューヨーク日本国総領事館総領事・大使などを歴任。1958年4月8日生まれ、長崎県出身