「カナダ“乗り鉄”の旅」第42回 対米関係で苦労する「スーパースター」首相、同じアキレス腱を抱えていた先人とは

ロッキーマウンテニアの列車(2026年5月、ブリティッシュ・コロンビア州で大塚圭一郎撮影)
ロッキーマウンテニアの列車(2026年5月、ブリティッシュ・コロンビア州で大塚圭一郎撮影)

 2026年11月3日投票のアメリカ議会の中間選挙で上下両院の過半数を奪取した野党民主党の大勝に、いち早く賭けたと言えるのがカナダのマーク・カーニー首相だ。1月の世界経済フォーラム年次総会(ダボス会議)での演説で世界の中堅国に「結集し、影響力を持つ『第三の道』」の形成を呼びかけ、アメリカのドナルド・トランプ大統領(共和党)との対決をいとわない姿勢を示した。

 そんなカーニー氏の読みは見事に的中し、トランプ氏が仕掛けたイラン攻撃が物価高に拍車を掛け、有権者の不満が爆発したことで共和党は歴史的な大敗を喫した。求心力の著しい低下が浮き彫りになったトランプ氏のレームダック(死に体)化は避けられない。

 輸出額の約7割を占める“超お得意様”のアメリカであっても、国益にかなわない要求を突きつけられて貿易交渉での妥協に背を向けたカーニー氏。そんな豪腕のリーダーはカナダとイギリスの両国の中央銀行で総裁を務めた経歴を持ち、金融関係者は「カーニー氏はスーパースターだ」と認める。

 一方、21人が犠牲となる列車衝突事故の責任を問われた依頼人の無罪判決を勝ち取った「スーパースター」として成果を高めたのが、カーニー氏の11代前の首相経験者だ。当時は連邦議会下院議員という重職に就いていながらも法廷に立つことになった“エモい”いきさつと、法定で示した驚くべき“真犯人”を紹介したい。

 共同通信社経済部次長・鉄旅オブザイヤー審査員:大塚圭一郎

▽ゾウか、ハイエナか

 「アメリカの隣に暮らすということは、ある意味でゾウと一緒にベッドで寝るようなものだ」。1969年3月、アメリカの首都ワシントンを訪れていた当時のカナダ首相、ピエール・トルドー氏(ジャスティン・トルドー前首相の亡父)はそう演説した。

 世界最大の経済大国で、軍事力でもリードするアメリカの隣国であることのリスクを言い表したものだが、トルドー氏は「その獣がどれほど友好的で穏やかであろうとも、あらゆる身震いやうなり声に影響を受けずにはいられない」と補足した。

 これに対し、トランプ氏は「友好的で穏やか」どころか、「カナダを51番目の州に」と覇権主義を隠さない荒くれ者だ。「身震いやうなり声」どころか、一瞬で餌食にされかねないハイエナが隣に横たわっていると言っても過言ではない。

 カナダとアメリカの貿易交渉は2026年8月21日に決裂し、トランプ氏が幅広いカナダ製品に50%の追加関税を発動。カナダもアメリカのさまざまな輸入品に報復関税を課し、泥沼の貿易戦争に突入した。

 カーニー氏が“プランB”として発動したのが、欧州連合(EU)にとって初めてとなる「準加盟国」入りという構想だ。成否はまだ見通せないが、トランプ氏のような保護主義的な大統領が再び現れるリスクを踏まえると、貿易相手国のアメリカ依存から脱却し、多様な国・地域に広げてリスクを分散しようとする試みは必然的だと言えよう。

 先進7カ国(G7)加盟国のうち2カ国の中銀総裁を歴任した現職の第24代首相のカーニー氏と比べても遜色のない、輝かしいキャリアを誇るのが第13代首相の故ジョン・ディーフェンベーカー氏(1895~1979年)だ。

 皮肉にもアメリカの大統領と折り合いが悪く、対米関係がアキレス腱になっていたのもカーニー氏と共通している。ディーフェンベーカー氏の首相在任中の1961年1月には、アメリカの第35代大統領にJFKこと故ジョン・F・ケネディ氏が誕生。しかしながら、両者は対立が目立った。

ロッキーマウンテニアの車窓に見える、カナディアンロッキーの山容(2026年5月、ブリティッシュ・コロンビア州で大塚圭一郎撮影)
ロッキーマウンテニアの車窓に見える、カナディアンロッキーの山容(2026年5月、ブリティッシュ・コロンビア州で大塚圭一郎撮影)

 ディーフェンベーカー氏にまつわる武勇伝を教えてもらったのは2026年5月下旬、カナダ西部ブリティッシュ・コロンビア(BC)州バンクーバーからアルバータ州ジャスパーへ向かう観光列車「ロッキーマウンテニア」の車中のことだった。BC州のカナディアンロッキーの山中を走っていた時、客室乗務員のハリソンさんが「この先、右手を見てください」と呼びかけた。

▽電報から抜けた「2語」

 ロッキーマウンテニアが誇る天井まで延びた窓から外を眺めると、コロンビア川の支流のカヌー川付近に石碑が立っていた。埋め込まれたレリーフに「21.11.1950 2ND FIELD REGIMENT(第2野戦砲兵連隊) RCHA(カナダ王立馬砲兵)」と記されていた。

 ハリソンさんは「ここは列車の衝突事故が起きた場所なのです」と打ち明けた。ここからはハリソンさんの解説に加え、私がひもといたカナダ史に関する文献とウェブサイトに基づいて説明していきたい。

 事故が発生したのは石碑に刻まれた1950年11月21日の午前10時35分で、朝鮮戦争へ向かうカナダ王立馬砲兵第2野戦砲兵連隊の将校と兵士らを乗せて西へ向かっていた兵員輸送列車と、東へ進んでいたカナディアン・ナショナル鉄道(CNR、貨物鉄道大手カナディアン・ナショナル鉄道の前身)の大陸横断列車「コンチネンタル・リミテッド」が単線で正面衝突した。21人が死亡し、61人が負傷した。

走行中のロッキーマウンテニアの窓から見た列車衝突現場(2026年5月、ブリティッシュ・コロンビア州で大塚圭一郎撮影)
走行中のロッキーマウンテニアの窓から見た列車衝突現場(2026年5月、ブリティッシュ・コロンビア州で大塚圭一郎撮影)

 事故の原因とされたのが、当時22歳だったBC州レッド・パス・ジャンクションの通信指令員のアルフレッド・ジョン・アサートン氏が兵員輸送列車の乗組員に電報で送った運行指令から脱落していた極めて重要な「2語」だった。

 運行指令は本来、兵員輸送列車がBC州シーダーサイドでコンチネンタル・リミテッドとすれ違うことを伝える役割を担っていた。正しい運行指令を受け取っていれば、兵員輸送列車はシーダーサイドの側線で待避し、対向列車のコンチネンタル・リミテッドが通り過ぎるのを待っていたはずだ。

 ところが、送られたのは「at Cedarside(シーダーサイドで)」の2語が欠落した運行指令だった。このため、兵員輸送列車は退避すべき側線を通り過ぎてしまい、見通しの悪いカーブの先にある現場でコンチネンタル・リミテッドと正面衝突した。

▽「二足のわらじ」にとどまらない大きな壁

 アサートン氏は翌1951年1月9日に業務上過失致死罪で起訴され、争点となったのが「シーダーサイドで」の文言が抜け落ちた理由だった。被告となったアサートン氏の運行指令の元となったのが、CNRのBC州カムループスの事務所にいる指令員がアサートン氏に伝えたメッセージだった。

 アサートン氏は「シーダーサイドで」という言葉を受け取っていないとした一方、CNRの指令員は正しく送信したと主張。アサートン氏の父親から依頼されたのをきっかけに、弁護人を引き受けたのが地元のサスカチュワン州選出の連邦議会議員、ディーフェンベーカー氏だった。

 ディーフェンベーカー氏は議会で忙しかったため断ろうとしたが、白血病で入院していた妻のエドナさんに引き受けるよう懇願された。ディーフェンベーカー氏が拒否しようとすると、妻はアサートン氏の父親に引き受けると既に伝えたと告げた。エドナさんは1951年2月7日に息を引き取った。

 退路を断たれて弁護人を引き受けたディーフェンベーカー氏にとっては議員との「二足のわらじ」にとどまらない大きな壁が立ちはだかっていた。それは裁判が開かれるBC州での弁護士資格を持っておらず、同州の司法試験に合格する必要もあったのだ。

 アサートン氏の裁判の弁護人を引き受ける場合、ディーフェンベーカー氏が司法試験に合格するチャンスは一度きりだった。1500カナダドルの受験料を支払って司法試験に臨んだディーフェンベーカー氏は、口頭試験は「法律で書面による契約が義務付けられているものはありますか」という問いだったと述懐している。

 ディーフェンベーカー氏は「はい」と答え、試験官は一つを挙げるよう求めた。「土地売買契約書です」と答え、晴れて合格した。

▽ディーフェンベーカー氏が推察した驚くべき“真犯人”

 1951年3月13日、アサートン氏が裁判にかけられるだけの十分な証拠があるかを裁判官が判断する手続き「予備審問」が始まった。アサートン氏の弁護人として出廷したディーフェンベーカー氏は、CNR側に手続きの瑕疵があったとして訴訟を棄却するように申し立てを行った。

 同月15日にかけての予備審問でディーフェンベーカー氏は熱弁を振るったが、この主張は認められずに裁判へ突入した。

 1951年5月9日の開廷後、出席者の耳目を集めたのはディーフェンベーカー氏が示した事故の“真犯人”だった。CNR指令員のメッセージから「シーダーサイドで」の文言を消した、隠れた犯人がいると訴えたのだ。

ロッキーマウンテニアの車内で解説する客室乗務員のハリソンさん(2026年5月、ブリティッシュ・コロンビア州で大塚圭一郎撮影)
ロッキーマウンテニアの車内で解説する客室乗務員のハリソンさん(2026年5月、ブリティッシュ・コロンビア州で大塚圭一郎撮影)

 ロッキーマウンテニアの車中でハリソンさんはこの史実を紹介すると、「ディーフェンベーカー氏は何が犯人だと言ったと思いますか」と問いかけた。そして、こうヒントを出した。

 「それに使っていた物が、沿線に今もたくさん残っていますよ」

 ディーフェンベーカー氏の主張は、飛行中だった鳥がくわえていた魚を落としてしまい、それが電報に使っている電線に当たったことで「シーダーサイドで」の文言が飛んでしまったという推論だった。ハリソンさんがヒントを出したように、電報に使われていた電線と支えるための木柱の残骸が沿線に多く残されている。

ロッキーマウンテニアから見た、かつて電報に使われていた電線と木柱の残骸(2026年5月、ブリティッシュ・コロンビア州で大塚圭一郎撮影)
ロッキーマウンテニアから見た、かつて電報に使われていた電線と木柱の残骸(2026年5月、ブリティッシュ・コロンビア州で大塚圭一郎撮影)

 ディーフェンベーカー氏は「過去にも同じような事例があった」とし、このようなことが起こり得るにもかかわらず、CNR側が十分な対応を取っていなかったと主張した。

 裁判の陪審員は約40分間にわたって審議し、アサートン氏に無罪判決を出した。判決を聞いたアサートン氏の母親は感涙したという。

 ディーフェンベーカー氏は弁護費用を自費で賄い、アサートン氏の家族に報酬を請求することはなかった。ただ、費用の約半分を賄う寄付が集まったという。

反対方向へ走る貨物列車。行き違いのために側線に停車中のロッキーマウンテニアから撮影(2026年5月、ブリティッシュ・コロンビア州で大塚圭一郎撮影)
反対方向へ走る貨物列車。行き違いのために側線に停車中のロッキーマウンテニアから撮影(2026年5月、ブリティッシュ・コロンビア州で大塚圭一郎撮影)

 裁判後にCNRは安全対策として、駅などの停車場同士の間にある区間「閉塞(へいそく)」の境目に設置する信号「閉塞信号」を事故現場にも導入。手前の急カーブも線路を付け替え、列車をけん引するディーゼル機関車を運行する機関士からの視界が改善した。

▽結婚式の予行演習を欠席しても駆けつけたのは…

 晴れて自由の身となったアサートン氏はその後、サスカチュワン州サスカトゥーンへ移住して運輸企業に就職した。

 亡き妻の懇願を受け入れ、弁護人として無罪を勝ち取ったディーフェンベーカー氏の“エモい”サクセスストーリーはカナダで広く知られるようになった。一躍英雄となり、1956年に当時野党だったカナダ進歩保守党(現・保守党)の党首に就任した。

  “エモい”逸話は、まだある。ディーフェンベーカー氏が進歩保守党党首としてサスカチュワン州レジャイナで選挙運動をしていた時のことだった。アサートン氏は自身の結婚式の予行演習を欠席し、サスカチュワン州の州都レジャイナへ駆けつけた。恩人のディーフェンベーカー氏との再会を果たすためだ。

 ディーフェンベーカー氏と一緒に記念撮影をしたアサートン氏は「次期首相と一緒に写真を撮ってもらえるとは、なんて素晴らしいことでしょうか」と感嘆の声を上げた。

 その言葉の通り、ディーフェンベーカー氏は57年6月に首相となった。63年4月までの在任中、国政でも基本的人権の尊重や多様性の推進で大きな足跡を残した。

 人権意識の高まりを背景に1960年制定された「カナダ権利章典」を主導し、同年には先住民に対して連邦選挙の投票権を付与。多様性の推進では、57年6月の政権発足時に故エレン・フェアクロフ氏を国務相に起用し、カナダ史上初の女性閣僚となった。また、上院議員に先住民族出身者を選んだ。

 一方、そんな「スーパースター」でも、カウンターパートのJFKを相手に対米関係で苦労したのは先述の通りだ。同じように「スーパースター」と呼ばれる輝かしいキャリアを誇るカーニー氏も、対米関係では「カナダを51番目の州に」と呼びかける無礼千万なトランプ氏に煮え湯を飲まされてきた。

 アメリカとの関係悪化に直面しても、ディーフェンベーカー氏が法曹界にとどまらず政界でも大きな足跡を残した。金融界で重職を勤め上げてきたカーニー氏も、トランプ氏が率いる共和党の中間選挙惨敗を足がかりにして対米貿易交渉で反転攻勢に転じ、政界でもレガシー(遺産)を残すことができるだろうか。

共同通信社元ワシントン支局次長で「VIAクラブ日本支部」会員の大塚圭一郎氏が贈る、カナダにまつわる鉄道の魅力を紹介するコラム「カナダ “乗り鉄” の旅」。第1回からすべてのコラムは以下よりご覧いただけます。
「カナダ “乗り鉄” の旅」

大塚圭一郎(おおつか・けいいちろう)
共同通信社経済部次長・「VIAクラブ日本支部」会員

1973年、東京都生まれ。97年に国立東京外国語大学外国語学部フランス語学科を卒業し、社団法人(現一般社団法人)共同通信社に入社。2013~16年にニューヨーク支局特派員、20~24年にワシントン支局次長を歴任し、アメリカに通算10年間住んだ。24年9月から現職。国内外の運輸・旅行・観光分野や国際経済などの記事を多く執筆しており、VIA鉄道カナダの公式愛好家団体「VIAクラブ日本支部」会員として鉄道も積極的に利用しながらカナダ10州を全て訪れた。

 優れた鉄道旅行を選ぶ賞「鉄旅(てつたび)オブザイヤー」(http://www.tetsutabi-award.net/)の審査員を2013年度から務めている。共同通信と全国の新聞でつくるニュースサイト「47NEWS(よんななニュース)」や「Yahoo!ニュース」などに掲載されている連載『鉄道なにコレ!?』と鉄道コラム「汐留鉄道倶楽部」(https://www.47news.jp/column/railroad_club)を執筆し、「共同通信ポッドキャスト」(https://digital.kyodonews.jp/kyodopodcast/railway.html)に出演。
 本コラム「カナダ“乗り鉄”の旅」や、旅行サイト「Risvel(リスヴェル)」のコラム「“鉄分”サプリの旅」(https://www.risvel.com/column_list.php?cnid=22)も連載中。
 共著書に『わたしの居場所』(現代人文社)、『平成をあるく』(柘植書房新社)などがある。東京外大の同窓会、一般社団法人東京外語会(https://www.gaigokai.or.jp/)の広報委員で元理事。