「ジェームス・エーネス」音楽の楽園〜もう一つのカナダ 第20回

はじめに

 日加関係を応援頂いている皆さま、音楽ファンの皆さま、こんにちは。

 私にとって2回目のオタワの冬も2月も半ばです。そろそろ終盤に近づきつつある中で、地球温暖化を実感する日々でもあります。リドー運河の天然スケート・リンクが昨年は史上初めてオープン出来なかった訳ですが、今年は、限定的とは言え、オープンしました。が、気温のマイルドな日が続き、氷の厚さが足りず、今は閉鎖されています。オタワの冬の風物詩が体感出来ないのは残念です。

 しかし、音楽に関しては、2024年のオタワは、素晴らしい幕開けを迎えました。国立芸術劇場の今年最初のコンサートが1月10日に開催されたのですが、素晴らしいプログラムでした。現在、世界最高峰のヴァイオリニストと目されているジェームス・エーネスが登場したのです。英デイリー・テレグラフ紙によれば「地球上に僅かに存在する完璧なヴァイオリニストの1人」という事になります。という訳で、今回は、カナダが誇るジェームス・エーネスです。

神童現る

 ジェームス・エーネスは、1976年1月27日、マニトバ州ブランドンに生まれます。父アランはトランペット奏者にして地元のブランドン大学音楽学部トランペット科教授、母バーバラはバレリーナという家系です。音楽に溢れる家庭環境で、3歳児のジェームス君は、何故かヴァイオリンに強烈な関心を示し、ヴァイオリンを両親にねだったと云います。芸術家のDNAの成せる業でしょうか。1979年のクリスマス、両親は4分の1のサイズのヴァイオリンをプレゼントとします。

 そして、ジェームス君が5歳になると父からヴァイオリンを正式に習い始めます。圧倒的な才能が顕になるのに時間は要りませんでした。地元の音楽イベントの常連になります。9歳になると、もう父が教えられる事は尽きました。

チャップリンとの出会い

 幸運なことに、父の職場ブランドン大学の同僚にカナダの至宝とも言われたヴァイオリニスト兼ヴァイオリン教師、フランシス・チャップリンがいました。ジェームス君はチャップリンに師事することになります。ここから華麗なるキャリアへの本格的助走が始まります。

 1986年、10歳にして、地元で本格的リサイタルを開きます。

 1987年、11歳の時に、若手演奏家の登竜門として1958年に始まったカナダで最も権威のある音楽コンクールであるThe Canadian Music Competitionの弦楽部門で優勝。

 1988年、12歳で、モントリオール交響楽団主催のコンテストで優勝。翌89年には、13歳にして、シャルル・デュトワ率いるモントリオール交響楽団と共演。これがオーケストラ・デビューでした。才能の原石は磨かれる運命にあります。いよいよカナダの重力圏を超えます。

 ジェームス少年は、チャップリンの強力な推薦もあって真に優れた若き演奏者だけに許される「メドウモント音楽院」に入ります。この音楽院は、イツァーク・パールマンを育てたことで知られるヴァイオリン教師ガラミアンが1944年ニューヨーク州北東部のウェストポートに開きました。夏期7週間だけの非常に密度の濃い弦楽器のためのプログラムです。広大なキャンパスには、食堂、ラウンジ、パフォーマンス・スペース、練習スタジオ、コンサート・ホール、更に、テニス、バスケ等のレクリエーション設備も完備。音楽漬けの7週間を過ごします。生徒は、1日5時間の個人練習に加え、スタジオでの授業、個人指導、更にゲスト講師として招かれた名だたる名演奏家による特別ワークショップがあります。ヨガも取り入れられています。週に3回は、教授、ゲスト講師、生徒が参加するコンサートが開催されます。将来のトップ・プロの養成機関です。ヨーヨー・マ、リン・ハレル、ピンカス・ズッカーマン、チョン・キョンファ等々現在も活躍する錚々たる演奏家を輩出しています。13歳のジェームス少年がその入り口に立った訳です。89年から92年まで、夏になるとメドウモントで学びました。

ジュリアード

 そして、1993年17歳になったジェームス青年は、ジュリアード音楽院に入学。いよいよ、世界の舞台の中心の近傍に来ました。ここで、ジェームス青年の未来を決定づける出来事があります。カナダ楽壇の重鎮ウォルター・ホーンバーガーとの出会いです。

 ホーンバーガーは、グレン・グールドを発掘しマネージャーも務めたことで知られるプロデューサー兼スカウトにして興行主。トロント交響楽団のマネージング・ディレクターを長年務め、その手腕でトロント響の地位を大きく向上させました。トロント大学にホーンバーガー講座を開設する等の後進の指導に熱心で、日本の民音が主催する東京国際指揮者コンクールの審査員も務めています。カナダ楽壇の発展に大きな足跡を残し、1987年、63歳に引退します。

 そのホーンバーガー御大が、1993年、69歳にして悠々自適の生活を切り上げて、17歳のジェームス青年のマネージャーに就任するのです。ここから、ヴァイオリニスト、ジェームス・エーネスの活動が本格化します。ジュリアードで学びつつ、ホーンバーガーの采配で、北米、欧州、そしてアジアの有名オーケストラとの共演を重ねて行きます。

 1995年、未だジュリアード在学中の19歳にして、テラーク・レコードと契約を結びます。デビュー盤は「ニコラ・パガニーニ、24のカプリース」です。超絶技巧を要求される難曲中の難曲。この選択に、エーネスの自信と野心が伺えます。眼光鋭いジャケット写真も印象的です。但し、この段階では、未だ一般的知名度は低く、関係者の間で、あのホーンバーガーがマネージャーを務める期待の大型新人という程度でした。元々、クラシック音楽のレコードCD市場は大きい訳ではなく、商業的には一敗地に塗れました。その後は、録音の機会は与えられませんでした。音楽業界の厳しい現実を垣間見た訳です。しかし、今や、このデビュー盤は相当な貴重品で、中古盤1枚500ドル超のプレミアが付いています。

世界の檜舞台へ

 エーネスは、ジュリアード在学中から、ホーンバーガーのバックアップで北米を中心に世界各国の名だたるオーケストラで客演を重ねていきます。学業との両立は決して容易ではなかったでしょうが、経験こそは何ものにも代え難い生きた教育でした。

 1997年、極めて優秀な成績で、ペータ・メニン賞を受けて、ジュリアードを卒業しました。いよいよ、生き馬の目を抜く厳しい競争と政治的駆け引きとも無縁ではいられない、世界のクラシック音楽業界へと参入するのです。

 順風満帆に見えるエーネスにとっても一つ悩みがあったと云います。それは、ヴァイオリニストにとっての生命線。己の技量をも左右する優れたヴァイオリンを如何に確保するかということです。演奏会であれ、レコーディングであれ、美しき音色は絶対条件です。最高峰は、17〜18世紀に製作されたストラディバリウスです。超一流の奏者は、有力な支援者・団体から貸与され、専属的に使用します。エーネスの場合は、カナダの芸術協会のサポートで、1717年製のウィンザー・ウェインスタイン・ストラディヴァリを使用することが出来るようになりました。

 ここからは、現代のクラシック音楽界の歴史そのものと言えるでしょう。「百年に一人のヴァルチオーゾ」と称されるジェームス・エーネスの誕生です。

 レコーディングに関しては、デビュー盤の不調で、4年間は新規録音はありませんでした。契約上の問題を整理する必要もあったのかもしれませんが、力を貯める良い機会にもなったに違いありません。2000年以降は、CBC、Analekta、Chandon等のレーベルから、精力的にCDを発表しています。年平均2枚余のペースです。如何なる分野の芸術でも、超多作は天才の証です。今や、バッハ、モーツァルト、ベートーヴェンからパガニーニ、ラヴェル、ドビュッシー、ストラヴィンスキー、バルトーク、更にはフィリップ・グラスまで、協奏曲、ソナタ、無伴奏ソナタ等々がヴァイオリンの主要レパートリーを網羅する膨大なディスコグラフィーを誇ります。

 最新盤は、2024年2月9日にリリースされたばかりの「我らの時代の真実(Truth in Our Time)」です。アレクサンダー・シェリー率いるカナダ国立芸術劇場管弦楽団との抜群の相性です。

音は人なり

 ヴァイオリンという楽器は、演奏者の人格識見が音に直裁に反映します。左手の指が押さえるポイントが0.5ミリ違えば音程がズレてしまいます。指の力加減がヴィヴラートの質を決めます。右手の弓を弾くスピードと圧力が音色を決めます。同じ楽器でも弾く人が違えば、全く異なる音が生まれます。ピアノならば、誰が鍵盤を押さえても同じ音程で基本的に同じ音が出ます。勿論、曲を奏でる場合は演奏者の違いが出ます。が、一つ一つの音は既に準備されています。ヴァイオリンは、一つ一つの音をつくるところから始まります。それ故に、ヴァイオリンの音にその人間のほぼ全てが滲むのです。

 もう随分前の事ですが、某テレビ局の有名アナウンサーと懇談の機会を得ました。その方はアナウンス室長を務められていて、後進の指導に当たっておられました。モットーは「声は人なり」。視聴者の方々にニュースを正確に客観的に届けるために、声を鍛え、発音を磨くのだと。謙虚に努力した声には誠意が宿り、視聴者の信頼を得るのだ、と力説されていたのを思い出します。一見華やかな世界の土台に地道な準備があると学びました。

 ヴァイオリンも本質は同じです。外からみれば、才能だ偉才だ天才だと言って片付けてしまいそうですが、そんな簡単な訳がありません。世界最高水準で演奏し続けるための鍛錬とコミットメントは人格そのもののです。故に、音は人なりです。心の乱れは音の乱れです。演奏と人格の境界線は、五木寛之の傑作「海を見ていたジョニー」にも通じる深淵なテーマです。

 2017年発表のCD2枚組「モーツァルト・ヴァイオリン協奏曲全集」を聴いた時の事です。エーネスのヴァイオリンが純朴で善意の塊のような音色だと感じました。モーツァルトの父レオポルドは成功したヴァイオリン教師でしたから、幼いモーツァルトは英才教育で徹底的にヴァイオリンを仕込まれました。モーツァルトにとってヴァイオリン協奏曲は、彼の人格の一部でもあります。その協奏曲を3歳児の頃からヴァイオリンを弾いて来たエーネスが奏でるのです。時代を超えた共感と絆があるに違いありません。小手先ではなく、エーネスの全人格が反映しているのです。

結語

 2024年1月の国立芸術劇場(National Art Centre)での公演プログラムは、エーネスとNAC管弦楽団による4曲のバッハのヴァイオリン協奏曲集です。エーネス自身が指揮して独奏する「イ短調」と「ト短調」。そして「2つのヴァイオリンのための協奏曲ニ短調BWV1043」では、 ジュリアードの同級生であるNACのコンサートマスター川崎洋介と共演。更に、「3つのヴァイオリンのための協奏曲ニ長調BWV1064R」では、右の2人に川崎夫人でもあるジェシカ・リンバックが加わりました。音楽の本質は、音学ではなく、音を楽しむことにある、と心底得心させる素晴らしい演奏会でした。そして、この日の演奏は全て録音されていて、2024年9月にはCDリリースされる予定です。また一つ、名盤がエーネスのディスコグラフィーに加わる訳です。

 最後に全くの私事ですが、演奏会の後、幸運にも楽屋で御挨拶をさせて頂く機会を得ました。巨匠ぶったところは全くなく、お茶目で本当にフレンドリーな人柄に魅了されました。NHK交響楽団との共演が感慨深いとも語ってくれました。最後に「アリガトウ」と笑顔で言ってくれました。

 カナダが生んだ現代の巨匠ジェームス・エーネスは47歳になったばかりです。この先、どれだけの傑作を残すのか超楽しみです。既にクラシック音楽の名演奏家列伝に入っているエーネスが如何なる物語を加えるのでしょうか。時代に彼を聴ける喜びを噛み締めたいと思います。

(了)

山野内勘二・在カナダ日本国大使館特命全権大使が届ける、カナダ音楽の連載コラム「音楽の楽園~もう一つのカナダ」は、第1回から以下よりご覧いただけます。

音楽の楽園~もう一つのカナダ

山野内勘二(やまのうち・かんじ)
2022年5月より第31代在カナダ日本国大使館特命全権大使
1984年外務省入省、総理大臣秘書官、在アメリカ合衆国日本国大使館公使、外務省経済局長、在ニューヨーク日本国総領事館総領事・大使などを歴任。1958年4月8日生まれ、長崎県出身