バーナビー日本語学校 幼稚科体験会
【日 程】2023年4月5日 (水)
【時 間】午後4時30分~6時00分
【場 所】Lochdale Community School (6990 Aubrey Street, Burnaby, V5B 2E5)
【対象年齢】2〜4歳(2023年度のご入学は、年内に3歳以上になるお子様が対象です。)
【お申込みフォーム】https://forms.gle/5Jgb4oc4pSB6QP4Z8
【お問合せ】office@bjls.ca

バーナビー日本語学校 幼稚科体験会
【日 程】2023年4月5日 (水)
【時 間】午後4時30分~6時00分
【場 所】Lochdale Community School (6990 Aubrey Street, Burnaby, V5B 2E5)
【対象年齢】2〜4歳(2023年度のご入学は、年内に3歳以上になるお子様が対象です。)
【お申込みフォーム】https://forms.gle/5Jgb4oc4pSB6QP4Z8
【お問合せ】office@bjls.ca

毎週日曜日午前11時より教会礼拝堂で行い、礼拝の後、軽食をいただきながら親睦の時を持っています。クリスチャンでない方も留学、ワーキングホリデーで来られた方も大歓迎です。
礼拝は教会礼拝堂およびZoom (ID 5662538165、パスコード1225)で参加できます。
◎親子イースター:10:45集合、イースターの話、イースターゆで卵シール貼り
12時から1時:お食事とイースター卵探し(申し込み要)
◎バイリンガルイースター礼拝:午前11時より、礼拝後お食事会と祝会があります。
お問合せ:604-618-6491(テキスト可)、vjuc4010@gmail.com 牧師 イムまで
住所:4010 Victoria Dr, (Between 23rd and 25th Ave East), Vancouver
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――
サレーNorthwood 合同教会 日本語会衆 礼拝
第3日曜日午後2時より
住所:8855 156 St, Surrey, BC, V3R 4K9
お問い合わせ:604-618-6491(テキスト可)イム、kuniokazaki98@gmail.com 岡崎まで
日本語認知症サポート協会「オンライン de Cafe・笑いヨガ」
「笑顔の力」を引き出そう 〜「笑いヨガ」で、コロナに負けない体づくり〜
毎月、「笑いヨガ」を行っています。自宅にいながら参加できる、オンラインでのセッションです。
興味のある方、初めての方も大歓迎。楽しく一緒に笑いましょう!
日時:2023年4月20日(木)午後8時〜午後9時
会場:Zoom
参加費:初回無料、2回目からドネーション(e-Transfer、PayPalまたは小切手にて)
申し込み締め切り:2022年4月18日(火)
申し込みリンク:https://forms.gle/DHh5rQ8TWqD8UrKz7
*お申し込みいただいた方には、追って、参加方法をご案内いたします。
お問い合わせ先:orangecafevancouver@gmail.com
主催:日本語認知症サポート協会(Japanese Dementia Support Association)
http://www.japanesedementiasupport.com

バンクーバーに春を告げるVancouver Cherry Blossom Festivalが、4月1日から開幕する。桜の美しさを楽しむだけでなく、さまざまな芸術や文化のイベントも用意されて、アクティブに参加することができるのがうれしい。
フェスティバルのメインイベントの一つは4月1日のThe Big Picnic。David Lam Park(1300 Pacific Blvd)で開催される桜の下でピクニックを楽しむイベント。フェスティバルの開会式も兼ねている。公園には、David Lam氏が寄贈した桜があり、満開時には一面に桜が咲き誇る。ピクニック用シートやお弁当を持ってきてお花見気分に。音楽やダンスなどのパフォーマンスも楽しめる。イベントは無料で、事前にオンライン登録する必要あり。https://vcbf.ca/event/the-big-picnic-2023/
もう一つの人気イベントは、バンデューセン植物園で開催されるSakura Days Japan Fair。日本の伝統や文化を体験することができるのが魅力で、毎年大人気。華道、書道などのワークショップや、茶道のデモンストレーション、和太鼓や三味線などのパフォーマンスがあり、日本のフードや日本酒などのグルメも満喫できる。今年は4月15日、16日に開催。入場は有料で、チケットはオンラインで購入。https://vcbf.ca/festival/sakura-days-japan-fair/
他にも、桜の種類や歴史について学ぶTree Talks and Walksや、桜にインスピレーションを受けて俳句を作るHaiku Invitational(3月1日からオンラインで受け付け開始)、桜に関する芸術作品や写真を展示するBLOOM!など、イベントが満載。
春の訪れとともに、桜の美しさと多様性を祝うVancouver Cherry Blossom Festivalは4月23日まで。
Vancouver Cherry Blossom Festivalウェブサイト:https://vcbf.ca/


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将来のために積み立てを考えている人、現在のプランを見直したい人など、知っておくとためになる、カナダの3つの積立口座を紹介。
退職後のための自己積立型年金プラン「RRSP:Registered Retirement Savings Plan」、非課税が特長の「TFSA:Tax-Free Savings Account」、今年中に始まる「FHSA:First Home Savings Account」。
それぞれに特徴が異なるが、複数を開設しての利用も可能で、内容をよく理解して、自身や家族の将来のために賢く利用したい。
そこで今回はRBC Wealth Management Group日本語チームの平井アンディさんに話を聞いた。
第1回では「RRSP」を紹介。2022年タックスリターンへの税控除対象期間はすでに終了したが、2023年の対象期間はすでに始まっている。詳しくは、「カナダで開設できる3つの積立口座『RRSP』『TFSA』『FHSA』:第1回『RRSP』」を参照。
第2回は「TFSA:Tax-Free Savings Account」を紹介する。
2009年から導入された貯蓄専用口座。RRSPも同じく貯蓄専用口座で、両方とも基本的に長期的な積立型の口座として開設し、将来に備えることを本来の目的としているが、条件や特徴が異なる。
所得から控除ができる特典はないものの、一般的にはTFSAの方が自由度が高く使いやすいと言われている。詳しく解説する。
対象:
カナダに居住し、SIN(Social Insurance Number)を持っている成人
特徴:
TFSAはカナダに居住し、SINを持っている成人なら誰でも開設できるが、数年以内にカナダを離れることが分かっている場合は、口座を保つことはできるが、解約手続きの煩雑さなどを考慮するとあまり勧めないとのこと。
TFSA口座を開設できる成人年齢は、居住している州の成人年齢によって決まる。ブリティッシュ・コロンビア州は19歳、アルバータ州、オンタリオ州は18歳。その他も各州で確認が必要。
TFSAは一律の限度額こそあるものの、非課税という特長を活かした利用方法があると説明した。
一つは、RRIF(Registered Retirement Savings Plan:年金所得口座)からの年金の入金先として利用する。RRIFは71歳になる年にRRSPから移行する口座(詳しくは第1回RRSPを参照)。RRIFからの引き出し額をすぐに使用する予定がない場合は、TFSAに入金しておくと非課税で運用ができる。
もう一つは、成人している子や孫に自動積立設定を勧める。TFSA口座の最初の入金を自己資金からサポートする、子や孫への金銭的支援、若いうちからお金の管理を学ぶ機会を与えるなどの目的で利用することを勧めている。
平井さんは、この3つの口座には共通の特徴があり、自身の持つ口座の見直しを定期的に行うことを勧めている。
共通の特徴の一つは、遺言書なしで相続の受取人を設定できること。受取人を設定していない、もしくは設定した当初から状況が変わったなどの理由で変更が必要になることがあるため、「必要に応じて設定をしておかないと、その時に自分が望む相手が受け取れないということになりかねませんので、見直しを勧めています」と説明した。
また、管理を簡単にするために口座の整理・一本化も勧めている。開設時にはその時々の判断で複数の金融機関などに口座を作ったとしても、時がたって利用していない金融機関があったり、複数個所にあることで管理が大変だったりと、状況が変わる。そこで、口座を見直し、整理・一本化することが望ましいと話す。
RRSPやTFSAは不要な口座を解約して1つにまとめることができる。しかも、解約は自身で金融機関に伝える必要はなく、まとめたい側の金融機関に依頼することで金融機関が代行してくれる。自分の口座にあるお金を移行するということで税金もかからない。
「忙しい生活の中では、口座をまとめることで時間の節約にもなりますし、書類の見落としなども防げるので、口座の整理・一本化を勧めています」と語った。
第3回は、今年から始まる「FHSA:First Home Savings Account」を紹介する。
平井アンディ(ひらい・あんでぃ)
Chris Kwok Wealth Management Group・Associate
15年以上のキャリアを持つ。将来を安定して過ごせるためのライフプランについて、セカンドオピニオンの相談も受けている。
https://ca.rbcwealthmanagement.com/chris.kwok/home
Chris Kwok Wealth Management Group
RBC Wealth Management Dominion Securities Inc.(RBCウェルス・マネジメント資産運用グループ)の日本語担当サービス。
RBCグループを構成する5事業の一つRBCウェルス・マネジメントに含まれる。個人および法人の資産管理、並びにあらゆるニーズに応える金融商品・コンサルティングサービスを提供している。

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音楽ファンの皆様、カナダ好きの皆様、こんにちは。
3月も中旬で、長い冬も最終段階です。長崎出身の私も何とか初めてのオタワの冬を無事に越しつつあります。一方、オタワ名物、リドー運河の世界一長い天然スケートリンクがオープンしませんでした。歴史上初めての事と伺いました。寒さが足りず運河の氷が十分に厚くならなかった訳です。正に地球温暖化を実感します。
さて皆様、未だ、気候変動という概念もない頃の事ですが、“カナダのモーツァルト”と称された素晴らしい作曲家がいた事をご存知ですか?
アンドレ・マシュー(Andre Matheus)です。
アンドレ・マシューは、1929年2月18日、モントリオールの音楽教師の家に生まれました。両親とも音楽教師で、父ロドルフは作曲家、母ウィレミンはチェリストでした。しかし、両親ともに音楽の素晴らしさを知ると同時に、音楽家としての人生の過酷さを嫌というほど知っていました。それ故に、アンドレにはピアノを禁じていました。息子には社会的に認知され安定した人生を望んだのです。が、両親の音楽DNAを引き継いだアンドレは驚くべき早熟で、4歳の頃には作曲を始める程でした。その才能は、音楽が出来るというレベルを遥かに越えた天才でした。父ルドルフは覚悟決め方針を転換。モーツァルトに対し父レオポルドが全身全霊で英才教育を施したように、アンドレを鍛え磨きます。成果は直ぐに現れます。
1935年3月25日、モントリオールのリッツ・カールトン・ホテルでリサイタルを開きます。アンドレの作品を父子がピアノ2台で連弾したのです。6歳でのデビューです。翌36年には、カナダ放送協会オーケストラと共演してアンドレ作曲の「ピアノと管弦楽のためのコンチェルティーノ」を初演します。この演奏が関係者の目と耳にとまり、ケベック州政府の奨学金を得てパリ留学が実現します。この時、アンドレは7歳になったばかりの少年です。両親と姉の家族4人での事実上のパリ移住です。
マシュー少年は、パリに到着したその年の12月には、早速リサイタルを開きます。神童の域を越え、巨大な潜在力が明らかになります。が、まだ単純で音楽の真髄と奥義には至ってはいません。アンドレの本当の勉強が始まります。
1930年代のパリは、世界の楽都です。ストラヴィンスキー、ラフマニノフ、プロコフィエフ、ラヴェルらが暮らす街です。アンドレ少年は、スポンジが水を吸うよう、少年の心と眼でパリの全てを吸収します。パリ音楽院のド・ラ・プレスレ教授に師事し和声と作曲を学びます。1939年、隣のドイツではヒットラーの不気味な足音が徐々に大きくなる中、音楽漬けの少年は10歳になります。3月26日、パリ8区ラ・ボエン通りの「サル・ガヴォー」でリサイタルを開きます。フランスのピアノ製作会社ガヴォーに因んだコンサート・ホールで、ラヴェル、ドビュッシー、ストラヴィンスキーらが室内楽曲を初演した由緒ある場所です。カナダはモントリオール出身の10歳のピアニスト作曲家が登場する訳です。もはや芸達者な少年の発表会ではありません。極めてシリアスなものです。ラフマニノフら音楽関係者も多数聴きに来ます。耳の肥えたパリの聴衆は容赦ない事でも知られています。
其処で、アンドレはピアノ協奏曲第1番等の自らの作品を弾きます。不安げな両親を尻目に自信に満ちた10歳のアンドレは神がかっていたと云います。会場は総立ち、圧倒的な賞賛を得ます。作家エミール・ヴュイエルモーズは「カナダのモーツァルト現る」と論じ、パリのメディアが大きく報じるのです。フランス各地への公演旅行も企画され、「カナダのモーツァルト来る」は格好の宣伝文句となり各地で大きな話題を集めます。
そこで、アンドレ親子は3年振りにモントリオールに帰郷します。いわば凱旋帰国です。ところが・・。
1939年9月1日、ヒットラーはポーランドを侵攻し、第2次世界大戦が勃発。欧州は戦場と化します。アンドレ親子はパリに戻る事を諦めます。カナダは英連邦の一員として直ちに連合国に加わり参戦しますが、戦場は大西洋の対岸。モントリオールは平和そのものでした。でも、パリとは比べようもありません。早熟の神童には刺激が足りなかったでしょう。ザルツブルグがモーツァルトにとって退屈な街だったように。
アンドレ親子は、北米各地を公演旅行で訪れます。1940年2月3日にはニューヨークはカーネギー・ホールで公演。これを機に、アンドレ親子はニューヨークで暮らし始めます。ジュリアード音楽院やコロンビア大学で教鞭を取るモリス教授に師事し作曲を勉強。この頃、ニューヨーク・フィルハーモニック創設百周年を記念して作曲コンテストが行われます。因みに1842年創設でウィーン・フィルと同じ年です。11歳のアンドレが書き上げたばかりのピアノ協奏曲第2番を父ロドルフが勝手に応募します。そして、見事に一等賞に輝きます。カーネギー・ホールでも公演。実り多き日々です。一方、早熟の天才アンドレも今やティーンエイジャーです。強烈な自我が芽生え始めます。14歳のアンドレはピアノ協奏曲第3番を書きます。今では「ケベック協奏曲」と呼ばれ、美しい旋律と流麗なピアノを際立たせる管弦楽は聴けば聴くほど惹き込まれていきます。特に第2楽章アンダンテの微量の哀愁は異国にあったアンドレ青年の心象風景のようです。1943年、アンドレ親子は故郷モントリオールに帰ります。地元が生んだ天才の帰還です。公演は盛況です。が、満たされぬ思いも募ります。


欧州全土を巻き込んだ第2次世界大戦も終結した翌46年、マシューは17歳の青年に成長。再びパリへ留学します。音楽面では、ピアノ協奏曲第4番ホ短調を完成させます。アンドレ・マシューの代表作です。第1楽章冒頭からデモーニッシュな響きが迫ります。人間の奥に潜む言葉にならない複雑な情念がピアノの超絶技巧に乗り移っています。一転、第2楽章の抒情的な面には心が洗われます。動と静、陰と陽が交錯する振幅の大きいダイナミックな音楽です。18歳にして、この力量。巨大な才能です。しかし、この2度目のパリ留学は、実生活ではホームシックに陥り孤独と酒の苛烈な日々でもありました。アルコール依存症に陥りこの後の人生の宿痾となってしまいます。

1947年、アンドレは留学を切り上げモントリオールに戻ります。その時は全く別人のようだったと伝わっています。18歳にして疲労困憊し世捨て人の如き雰囲気だったと。既に、作曲家として傑作を残していたアンドレにとって、生きる意味を問い自分を探す旅路に疲れてしまったのかもしれません。1950年代になると、徐々に、活動の場が遠のきます。光が強ければ影も濃くなるもの。天才の人生は過酷です。才能の代償でしょうか?
1968年6月2日、アンドレ・マシューは39歳3カ月余の生涯を閉じます。かつて“カナダのモーツァルト”と絶賛されたアンドレ・マシューです。76年のモントリオール・オリンピックの開会式ではマシューの曲が使用されました。が、徐々に忘れられていきます。
が、21世紀に入り、アンドレ・マシューは再発見されます。カナダが誇るピアニスト、アラン・ルフェーブルがマシューの音楽を精力的に取りあげ、再びマシューの音楽と人生に光が当たり始めたのです。最大の理由は、時代を越えて輝くマシューの楽曲自体の素晴らしさです。が、ルフェーブルの公演活動やCDリリースがなければ、どうだったか・・。例えば、人類史に輝く傑作、バッハ「マタイ受難曲」も百余年の時を経て忘れられていました。メンデルスゾーンが再発見して現在に繋がっています。

ルフェーブルはピアノ連弾曲からピアノ協奏曲まで次々にCDを発表。上述の「ピアノ協奏曲第4番」は半世紀余ほぼ演奏される事はありませんでした。ルフェーブルが2008年にCDリリースし世界に聴かせたのです。そして、2010年にはアンドレ・マシューの光と影を描く映画「L’enfant Prodigy」が公開されますが、ルフェーブルはその実現にも極めて大きな役割を果たしています。音楽も担当しています。
“カナダのモーツァルト”の音楽と人生を味わってみては如何ですか?
(了)

山野内勘二・在カナダ日本国大使館特命全権大使が届ける、カナダ音楽の連載コラム「音楽の楽園~もう一つのカナダ」は、第1回から以下よりご覧いただけます。
山野内勘二(やまのうち・かんじ)
2022年5月より第31代在カナダ日本国大使館特命全権大使
1984年外務省入省、総理大臣秘書官、在アメリカ合衆国日本国大使館公使、外務省経済局長、在ニューヨーク日本国総領事館総領事・大使などを歴任。1958年4月8日生まれ、長崎県出身
エドサトウ
弥生時代が始まるころは、古代温暖期の頃で、日本でも南の亜熱帯のお米が生産できるようになったのではと想像もできる。海洋民族も暑さを逃れて北へ移動して、九州や朝鮮半島の南に到達したのではあるまいか。
約三千年続いたエジプト文明も紀元前30年頃にはローマ帝国に滅ぼされている。ユダヤ人の人々はアフガニスタンへ移動して行き、その一部が朝鮮や日本に到達したとも考えられなくもない。
戦後の歴史の中で、日本人のルーツはトルコあたりだと言われたのは、大乗仏教が西洋のギリシャ文化と出会うアフガニスタンのガンダーラが、つまり、ユダヤ系ではと思われる秦氏のルーツと重なることにあるのかもしれない。
モンゴルの草原の風をきり、はるばる日本まで来た人々の文化が僕たちのルーツになろうとしている弥生時代の草原にも初夏の風が吹いていた。普遍と思われるものは、実は普遍ではなく変化している。日本的なようで、そのように見える新しい普遍的なものが必要なのかもしれない。
草原に風が流れる。タケが「カルラ!胡服スタイルのズボンを穿いてきたか?」と問うと、カルラはすその長い服のすそをたくし上げて、大きな声で笑った。タケが「それでよし。じゃあ、縄で足をかける木片のあぶみと手綱を取り付けよう」と笑いながら言う。「馬は背中に人が乗ると、気持ち悪がって、暴れるから、しばらくは、おらの馬に乗ったらいい」
すると、カルラは、興味しんしんに「わかった」とうなずくのであった。

投稿千景
視点を変えると見え方が変わる。エドサトウさん独特の視点で世界を切り取る連載コラム「投稿千景」。
これまでの当サイトでの「投稿千景」はこちらからご覧いただけます。
https://www.japancanadatoday.ca/category/column/post-ed-sato/

カリフォルニアの私が言う「魔法の家」、日本サイセンター全国大会の講演で知った病気を治してくれる「聖蜜」、「聖灰」、「聖水」が出る家に、その講演をしてくれた鮫島氏と出会うことが出来、彼の助けで、その家に行く事になった。
バンクーバーの家に帰宅し、息子に同行を依頼すると直ぐOKをくれた。仕事の都合で直ぐに出発はできなかった。11月になってやっとサンフランシスコに行き、その日、空港のレンタカーショップに息子と行った。すると、息子には車をレント出来ないという。年齢が20歳以上でないと借りられないのだ。何をやってもボケな私、それを初めて知った。私は仕方がない、彼には横に座って貰い、自分で運転を始めた。どうやら問題はなさそうだ。かなり時間はかかったが、その家に到着した。昼過ぎだった。ドアをノックする。だーれもいない!考えて見れば普通の家の、普通の日は皆仕事をしている時間だ。夕方まで待つことにして、スーパーへ行った。そこにオレンジ色の綺麗な菊の鉢が並んで売っていた。ふっと、私はサイババが、何時も着ているオレンジ色のローブを思い出し、「魔法の家」の入り口にそれを飾りたくなった。そして、夢中で8鉢買った。さっきのだーれもいないその家に花と戻り、入口のコンクリートの通路の両側に鉢を飾った。綺麗だ!
聴くところ、この家にはサンフランシスコのサイセンターの人達が「バジャン会」を行うために、チャーターバスで時々来るという。
(注:バジャン【bhajan】とは ヒンズー教の献身歌。また、それを歌い行う宗教儀式そのものをも指す。「捧げる」という意味のサンスクリット語に由来します。)
息子と私は花を飾った後、軽い夕食。そして、「魔法の家」にまた行った。やっとその家族と会えた。明るい、優しいご夫婦と娘さんだった。彼等が噂の聖水、蜜、灰の出る部屋に案内してくれた。帰りに4~5㎝四方の小さなプラスティックの入れ物に夫々3ポットずつ、合計9ポットを紙袋に入れてくれた。息子がそれを持った。ホテルへ戻る途中で、手に持っている紙袋を運転席の方に向けて、息子が「ママ、紙袋の聖水、蜜、灰が熱くなっているよ」と運転中の私に言った。私は直ぐに宇宙にある「波動の法則」を、例えば「以心伝心」等を信じる人間だから、「大丈夫よ。直ぐに温度は下がるから」と言ってそのままにしながら、心中は「うーん、これは本物だ!」早く東京のお母さんに飲ませなければと真剣に思った。
そして、この家は「魔法の家ではなく『宇宙エネルギーの家』」だと言いなおしていた。
バンクーバーへ戻り、11月に日本へ行き、母に会った。会って間もなく母は入院した。私の姉妹は、私が変な宗教に凝って、母にこれまた変なものを飲ませるのではないかと心配していた。「オウム真理教」のサリン事件が1995年、町は誰でもこの事件を忘れてはいなかった。だから、せっかく持って行った「聖灰、蜜、水」を母に上げるのも、工夫が必要だった。
私の到着後まもなくの母の入院だから、どうやって母にあげたらよいか戸惑った。しかし、姉が入院中の母の朝食補助を私に言いつけてくれた。
朝7時に病室で、彼女の食事の世話をする。ある朝、ナイトテーブルの上に置いてあった私が持参した「聖蜜」小さなポットが空になっていた。
何とか「聖水」だけでも飲ませたくてチャンスを狙っていた私は、その朝テーブルにそれとなく「聖蜜」を置いておいたのだ。それが空になっていた。
私は「お母さん、この入れ物、空になっているけどお母さんが飲んだの?」、すると母が「うーん、それはね、私の便秘の飲み薬なの、飲んだわよ」と言った。確かに色が薄ーい、何となくピンクっぽくてその便秘薬と「聖蜜」は入れ物だけでなく、色も似ていた。「ああ、飲んでくれた!」
そして、その日 11月23日の午後、何故だろう?私は昼寝中、遠くにいる「サイババの姿」を見たのだ。でもふっと「アレーいつもと違うスワミ(サイババ)だなぁ。今日は白いローブを着ていらっしゃる」と思った。サイババは何時もオレンジ色のローブなのに、今日は何故か白を着ている。
予定に反して母の退院は早く、自宅に戻ることが出来た。私は何となくサイババを知る友人に電話で白のローブの話をしたら、「何時?」「11月23日?」、「その日は彼の誕生日よ、23日でしょう?」「スワミの白いローブは、彼の誕生日だからね。でも今はもう又オレンジ色よ」と教えられた。
その後、予定よりずっと早く母は退院した。彼女の住まいはエレベーターのないビルの4階だ。そして、退院後4階まで階段の上下は艱難で、そこへ戻れなかった。幸い、彼女の賃貸コンドの1階に約2ケ月仮住いし、3ケ月目にはエレベーターのない4階の住まいに戻っていった。つまり、2ケ月目に毎日の階段の上り下りが出来る身体になったという事だ。結局、彼女は1997年11月入院し12月退院。それから、1998年の約1年間は少々元気になり、一緒に買い物を楽しむこともできた。そして、1999年2月再度入院し、3月2日に他界。サイババの誕生日に「聖蜜」を飲んだ母。それから、約1年自宅で自由に生活できたのだ。
「ありがとう」サイババ!「聖蜜」下さった後、楽しかった母との時間。
これって、やっぱり「『セレンディピティ』幸運をつかむ」みたいだなぁ。
セレンディピティ(英語: serendipity)とは、素敵な偶然に出会ったり、予想外のものを発見すること。また、何かを探しているときに、探しているものとは別の価値があるものを偶然見つけること。平たく言うと、ふとした偶然をきっかけに、幸運をつかみ取ることである。
許 澄子
2016年からバンクーバー新報紙でコラム「老婆のひとりごと」を執筆。2020年7月から2022年12月まで、当サイトで「グランマのひとりごと」として、コラムを継続。2023年1月より「『セレンディピティ』幸運をつかむ」を執筆中。
「グランマのひとりごと」はこちらからすべてご覧いただけます。https://www.japancanadatoday.ca/category/column/senior-lady/
世界20カ国が参加し、盛り上がりを見せているワールド・ベースボール・クラシック(WBC)。カナダはアメリカやメキシコと同組のプールCで、現在アメリカ・フェニックスで1次ラウンドを戦っている。
チームカナダには読売ジャイアンツで投手として活躍していたバンクーバー出身スコット・マシソン投手が代表入り。WBCは今回で4回目の出場となる。
フェニックスへの移動を前にした3月6日、電話インタビューでカナダ代表や日本代表について話を聞いた。
***
カナダ代表選手たちは3月7日からフェニックスで全体練習や練習試合を行い、3月12日からWBCに臨んだ。フェニックス入りするまでは各自が所属チームなどでトレーニングを行っていたという。マシソン投手はフロリダでトレーニングをしていた。
-今回で4回目のWBCで、カナダ代表としては最多出場ですね。
そうですね(笑)
-2019年にプロ野球を引退した後、2020年東京オリンピックの予選でカナダ代表入り、今回のWBCでも選手として復帰していますが、カナダ代表でプレーしようと思ったのはなぜですか?
膝をけがして手術したので長いシーズンを投げるということはできないけど、1週間や2週間ならプレーできるので。今回(WBC)はチームカナダから依頼があって受けました。他の選手がけがをしたり、投げられなかったりした時のためにブルペン入りしてほしいと。
若い選手を助けたり、必要な時はバックアップとして控えていて、若い選手のプレーする機会を奪わないのであれば、喜んで参加すると伝えました。
-今回のチームカナダはどんなチームですか?
若手とベテランのバランスが取れたチームだと思います。John Axfordや自分や、Adam Loewenなど20年以上やってるベテランもいれば、まだメジャーを経験していない若い選手もいる。かなりいいバランスだと思います。
オフェンスもディフェンスもいい感じに揃ってます。Tyler O’NeillやFreddie Freemanもいて、打撃の方はかなり期待できますね。ディフェンスも悪くないと思います。
-これまでカナダは準々決勝に進んだことがありませんが、今回は大丈夫と?
そうですね、これまで1次ラウンドを通過したことはないので、今回は準々決勝に進むことがまずは目標。(プールCでは)メキシコ、コロンビア、イギリスに勝てば行けると思うし、行きたいですね。ただ、野球だから、何が起こるか分からないけど(笑)
-マシソン選手は4回目の出場ですが、どういうことに期待していますか?
WBCを楽しみたい。チームではなにか手助けになるような役割ができればと思っています。投手としては、何かあったときにイニング途中から投げてイニングを終えたりとか。若い時は中心的な役割を担っていたけど、今回はチームの助けになる役割ができればうれしいかな。また、若い選手にとってWBCは緊張するものなので、アドバイスしたりして、精神的な支えにもなれたらいいかなと思います。WBCではアメリカや日本など世界のトッププレーヤーと対戦するし、冷静に戦うのが難しいこともあるし。自分も若い時は緊張した経験がありますしね。
-WBCでカナダ代表としてプレーすることに特別な思いがありますか?
ありますね。また、特にメジャーリーガーにとっては特別な思いがあると思いますね。(WBCは)カナダ代表としてプレーできる唯一の世界大会だから。あと、若い選手にはメジャーのプレーとは何かをちょっとだけでも体験できるいい機会だと思います。
-2023WBC日本代表について聞かせてください。
とってもエキサイティングなチームだと思う。自分もチームジャパンの試合を楽しみにしています。できれば対戦したいですね。笑。
-ジャイアンツ時代に一緒にプレーしたり、対戦したりした選手はいますか?
若い選手を除いてはほとんど対戦した選手じゃないかな。ジャイアンツからは誰か選ばれてる?
(大勢選手、大城捕手、岡本選手などが登録されていることを伝えると)みんな良く知っているよ。大城は一番好きなキャッチャーだった。彼が代表に入ってうれしい。みんな活躍すると思う。フェニックスに移動する時に連絡してみるよ(笑)
カナダが準決勝に進んで日本と対戦できたらうれしいですね。日本が大好きだし、日本のファンも大好き(笑)
-カナダの日系カナダ人コミュニティに向けてメッセージをお願いします。
日本人が野球に熱狂的なのはよく知ってるし、僕の考えでは、日本の野球ファンは最高だと思う。アメリカよりも、南アメリカよりも、全然すごい。あんなにいいファンには会ったことがない。
できれば僕(カナダ)を応援してほしいけど、やっぱり日本を応援するかな(笑)。僕もカナダが負けてしまったら日本を応援するよ(笑)。
***
日本が大好きというマシソン投手。今年も日本訪問を予定しているという。日本の野球も、日本の野球ファンもリスペクトし、WBCでは日本と対戦できることを期待していると声を弾ませる。
カナダは3月14日時点で、2勝1敗でアメリカと並んでプールC1位。15日のメキシコ戦の結果で1次ラウンドの順位が決定する。マシソン投手は14日のコロンビア戦で9回に登板。無失点に抑えて5-0の勝利に貢献した。
WBCは3月21日まで、熱い戦いが続く。カナダ代表とマシソン投手の活躍で、日本とカナダの直接対決が実現することを期待したい。
スコット・マシソン(すこっと・ましそん)
ブリティッシュ・コロンビア州ラングレー出身。
2012-19年、読売ジャイアンツに在籍。2019年プロを引退。
カナダ代表として、WBCは2006年、2013年、2017年に出場。2021年6月に東京オリンピック予選でもカナダ代表入り。
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最高裁判官国民審査法の一部を改正する法律が令和5(2023)年2月17日から施行され、日本国外に居住している国民も最高裁判官国民審査の在外投票ができるようになった。これは、国外に住む国民の審査権行使の機会を保障するための措置で、改正法は令和4(2022)年11月18日に公布された。
最高裁判官国民審査は、衆議院議員総選挙と同時に行われる制度。最高裁判所の裁判官の適格性を国民が審査する。改正法では、分離記号式投票による在外投票を可能とする。また、遠洋区域を航行区域とする船舶などに乗船中の船員などの審査投票の機会を確保するため、洋上投票等を可能とするほか、所要の規定の整備も行っている。
在外投票をするには、在外選挙人名簿に登録し、在外選挙人証の交付を受けている必要がある。申請から交付までには約2カ月かかるため、在外公館では希望する場合は早めの申請を呼びかけている。
また、衆議院小選挙区間の格差を2倍未満に是正する関連法令の改正により、昨年12月28日以降に実施される衆議院総選挙から、新しい小選挙区の区割りが適用される。
そのため住所によっては在外選挙人名簿に登録している選挙区が変更になっている可能性がある。区割りの変更が実施されるのは25都道府県にのぼるため、在外選挙人証を保有している場合は確認が必要。
在外選挙で郵便等投票を希望する場合は、投票用紙など請求書の様式が変更されているため、新しい様式を使用し、登録している選挙管理委員会に投票用紙等を請求するよう呼びかけている。
参考サイト
なるほど!「最高裁判所裁判官国民審査制度」
https://www.soumu.go.jp/senkyo/kokuminshinsa/seido_point.html
投票用紙等請求書(郵便による在外投票)新様式
https://www.soumu.go.jp/senkyo/zaigai6.html
在外選挙人名簿登録申請手続きについて
https://www.mofa.go.jp/mofaj/toko/senkyo/flow.html
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FCダラスとBCプレースで対戦したバンクーバー・ホワイトキャップスFCは、レギュラーシーズン初白星とはならなかった。チームは引き分け、ポイント1を獲得した。
3月11日(BCプレース:16,780)
バンクーバー・ホワイトキャップスFC 1-1 FCダラス
FCダラスは開始早々の5分に先制する。その後、ホワイトキャップスは堅い守りで追加点を許さず、34分にFCダラスのオウンゴールで同点に追いついた。後半は、両チームとも無得点で、引き分けに終わった。
試合後、Vanni Sartiniヘッドコーチは「フラストレーションを感じるべき試合だったと思う。1ポイント取ったからOkだという試合内容ではなかった」と開口一番語った。
ゴールチャンスはいくつもあったが、結局相手チームのオウンゴール1点のみ。試合内容はよく「ポイント5を獲得してもいいくらいだった」と評価したが、ただチャンスをどう得点につなげていくだと課題も。この調子で良い試合をしていけばゴールできるだろうとも語った。

FCダラス相手にこの日の失点は1点のみ。チーム状態は非常に良いという評価はVanniヘッドコーチと同じで、良いプレーをしている時間の方が圧倒的に長かった中でも、負ける試合というのはサッカーではよくあることだと話し、「そういうところを改善していければ、もっともっと上に行けると思いますし、ポテンシャルを秘めたチームだと思うので、(今日のことを)引きずらずに次の試合に向けてがんばっていきたい」と前を向いた。
次はホンデュラスでCONCACAF Champions Leagueのセカンドレグ(3月15日)となる。ファーストレグは3月8日にBCプレースで5-0と圧勝。数字的には快勝だが、「そんなに簡単な試合ではなかったし、最初に自分たちが失点していたらどうなっていたか分からなかった」と振り返った。「最初の失点を防げたというのは大きかったし、そうした我慢強さが出てくればより勝つ確率が高くなるかなと思っています」
バンクーバーに来て約3週間。試合が続いているためゆっくりと街を散策する時間はないが、自宅周辺を散歩したりしてバンクーバーを楽しんでいるという。「とても居心地がいいです」との感想だ。
2月下旬にバンクーバーに来て、雪が降ったりと寒い日が続いている。「寒いですね」と笑ったが春になれば大丈夫かなと話す。
体調管理はチームのサポートもあり特に心配していない。「最低限、自分でできることはしっかり自分でコントロールして、体調管理というところはプロとして当たり前にやっていきたいなと思います」と語った。
4月のホームゲーム
4月1日(土) 7:30pm CFモントリオール戦
4月8日(土) 7:30pm ポートランド・ティンバーズ戦
4月29日(土) 7:30pm コロラド・ラピッズ戦

(写真・動画 斉藤光一/記事 三島直美)
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長井明氏への令和4(2022)年度外務大臣表彰伝達式が2月28日、在バンクーバー日本国総領事公邸で行われた。
長井氏は、バンクーバー交響楽団(VSO)コンサートマスターを35年間務め、2005年には終身名誉コンサートマスターの称号を受けた。
カナダと日本を中心に活躍。「パシフィック・ノース・トリオ」を結成してバンクーバー日系コミュニティでのチャリティー演奏や東日本大震災復興支援のためのチャリティーコンサートを継続。また後進の育成にも献身し、音楽を通じた日加交流の増進、在留邦人や日系社会への支援に大きく貢献した功績が認められての受賞となった。
丸山浩平総領事は、コンサートマスターという難しい立場から、名門オーケストラを率い、支えることは大変だと想像すると述べ、「音楽には国境がありませんが、さまざまな文化が混在する中で長年活動する間には、色々な壁があったことでしょう。だからこそ、長井氏は人間関係を大切にし、ハーモニーを尊重し、和を尊び、純粋に音楽を愛しているのだろうと思っています」と語った。
自分自身は楽器を弾かないが音楽は大好きで、これまで生きてきた中で音楽に勇気づけられ、なぐさめられた場面は何度もあった、「長井氏の長年にわたる音楽への献身と愛情に、心から敬意を表します」と称え、「おめでとうございます」と祝福した。

長井氏はあいさつで、コンサートマスターとしていつもステージで大事にしてきたのは「ひとつの心」だと語った。「全ての演奏家を一つにするというコンサートマスターとしてのミッションをいつも心掛けていた」と言う。
「目的に向かっている自分をサポートしてくれる、懸命な努力の価値を共有してくれる、そういう人たちと幸せで達成感のある人生を築くためには『心をひとつ』にすることが大事だと思います。たった一人で何かを達成するというのは難しい。いつも周りにいる人々の協力があって成し遂げられるもの。それが『心をひとつ』にするということの全て。心をひとつにするということが人々をつなげる原動力になる、音楽は人々をつなげる力があると思っています」と語った。
また、若い才能を育てることも自分のミッションの一つという。「30年以上伝えてきたことは、ただ単に技術的な向上だけでなく、練習によって人として成長すること。質の良い練習というのは考える力が必要となる、考えるという行為は良い効果をもたらす」と言う。そしてコンペティションやオーディションで上位に入ることも若い人には重要な経験と語る。「勝てばもちろん気分がいいし、目的を達成すると自信にもなる。そうした経験をすることで人として一回り大きくなれると思っています」と若い世代に期待を込めた。
最後には日本語でもあいさつ。「この場に立ってごあいさつできるのはいつも応援してくれた力添えがあったからと考えております。残された日々、健康に十分気を付けてもう少し精進しようと思っています。どうぞよろしくご指導のほどお願いします。ありがとうございました」と感謝の気持ちを伝えた。
長井明(ながい・あきら)
バンクーバー交響楽団終身名誉コンサートマスター
インディアナ大学音楽学部(Indiana University School of Music)でジョーゼフ・ギンゴールド(Josef Gingold)氏に師事。1971年に音楽修士号を取得し、モントリオール交響楽団、マギル室内管弦楽団に入団。
日本では1982-83年読売日本交響楽団、1995-96年札幌交響楽団でコンサートマスターを務める。
(VSOウェブサイトを参照)
外務大臣表彰
国際関係のさまざまな分野で活躍し、日本と諸外国との友好親善関係の増進に多大な貢献をしている個人や団体の功績をと称えると共に、その活動に対する一層の理解と支持を国民に求めることを目的としている。

(写真 斉藤光一/記事 編集部)
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