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Naomi Mishima

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「極上のカナダグルメを楽しんでもらいたい」Cheena代表ショーン・リトンさんインタビュー(前編)

 カナダの極上グルメを「多くの人に楽しんでもらいたい」と話す「Cheena」代表ショーン・リトンさん。創業は1978年。両親が立ち上げたビジネスは、日本人向けグルメ商品の先駆者的存在で、受け継いだいまも変わらず品質とカナダ産にこだわり、商品開発に取り組んでいる。

 46年間変わらず流れ続けるフィロソフィは「クオリティに妥協せず、多くの人に喜んでもらえる商品を届けたい」。これからも歩みを止めることなく挑戦し続けたいと語るショーン・リトンさんに話を聞いた。

クオリティに妥協しない、メイド・イン・カナダを提供する

 「Cheena」の商品は、「カナダ産にこだわっている」と自負する。主力商品は、スモークサーモンとメープルシロップ、その関連商品。どちらも人気商品だという。

 人気の秘密は「クオリティに妥協することなく、良いものを届けたいと努力し続けていることがお客さんに伝わっているのかなと思います」と語る。

 ひと言で「クオリティに妥協しない」と言っても、実践するのはなかなか難しい。ビジネスとして成り立たなくては質の良い商品を届けることはできないからだ。リトンさんも「正直に言うと『価格が高すぎる』と言われたことがあり、プレッシャーを感じていた時期がありました」と話す。価格を下げるということは、原料の質を落とすか材料を変えることだと語る。「それではクオリティに妥協しないというフィロソフィに反すことになります。そこで、品質を落とさずに他社商品と価格で対抗できるよう商品開発を進めました」。価格だけに焦点を当てた商品開発ではなく、良いものを適正価格で提供できるように心がけている。

 それがいまのスモークサーモンやメープルシロップ商品に生かされている。

 スモークサーモンの原料となるサーモンは、「トローリング(Trolling)と言われる釣り針と釣り糸を使った方法で捕獲します。1匹ずつ処理されるためサーモンにあまり傷がつかず、その場で冷凍されるため良い状態が保たれます。またどの漁師さんが捕獲したかも分かるようになっています」という。大量に捕獲する刺網漁(Gillnetting)によるサーモンに比べると割高になるがより良いスモークサーモン作りに良質なサーモンは必要不可欠だと語る。

スモークにもこだわる。保存料、添加物、染料などの人工的な材料は使わない。低い温度で約8時間かけてじっくりとスモークし、スモークサーモン独特の香りとフレーバーを味わえるようにする。さらにダブルスモークはそれから数時間かけて高温でスモークする。ダブルスモークはウエストコーストの伝統的なスモーク方法だと語る。「時間や手間を省けば費用は抑えられますが、それでは品質も落ちてしまいます」

 メープルシロップはケベック州のパートナー契約しているメープルファームのものを使用、瓶詰などは自社工場で行っている。その契約ファームでは共同でさまざまなグレードのメープルシロップを作っている。「メープルシロップは色が濃いほど味わいや風味がリッチになるのでお勧めしています」と言う。「ただ日本の方は淡い色のメープルシロップを好むようです」と、顧客の好みも尊重する。

 こだわっているのは自分たちの主張ではなく、あくまでも手に取った人に「チーナの商品を楽しんでもらうこと」と語る。

両親から受け継いだパイオニア精神で「カナディアンテイスト」にこだわる商品開発を

 現在扱っている商品数を聞くと「たくさんです。多すぎるかな」と笑った。それほどの数を扱っていても、商品開発にはいまでも力を入れていると語る。

 そこには両親への敬意が含まれている。「両親はサーモンやメープルシロップを使ってさまざまな商品を開発してきたパイオニアだと思っています」と言う。「私が若いころ、両親は本当に休むことなく働いていました。時には、私や姉妹が両親に会えないときもあるほどでした。それでも私たちも自分たちにできることがあれば手伝っていました」と振り返る。「その両親の努力と情熱を見てきた若い時の経験は、『クオリティに妥協しない』というフィロソフィや『一つの商品にあぐらをかかずに常にクリエイティブに』というパイオニア精神として引き継いでいると思っています」

 最近の開発商品では“Stroopwafel”や“Maple Syrup Butter Popcorn”が特に気に入っているという。

 「“Stroopwafel”というのはもともとベルギーの代表的なお菓子なのですが、それにカナディアンなテイストをアレンジして開発したものです。いまではイチゴ味やチョコレート味なども加わって広がっています。個人的には甘すぎずメープルの香りが柔らかいこの商品が気に入ってます」と笑顔を見せる。

 もう一つの自慢商品が“Maple Syrup Butter Popcorn”。「自分で言うのでもちろんひいき目になるのですが」と笑い、「ポップコーン商品では一番だと思います」と胸を張る。「コーンもカナダ産、全ての材料がカナダ産です」。他の多くの商品と違うのは人工的なメープルフレーバーを使っていないことだという。「口に入れるとその違いはすぐに分かってもらえると思います」

 こうした商品開発の根底にあるのは「自分たちの商品を手に取った全ての人にその味を楽しんでもらいたいという思いと、購入した人が自信を持って家族や友人に贈れる商品にしたいという思いです」。商品開発のためには、市場調査、顧客の意見やフィードバックなどに耳を傾け、どういうものを欲しいと思っているか、どういうものが好まれるかなどを捉えて、商品として形にしていく。「我々の開発チームにとっても、新しい商品を待ってくれている顧客にとっても、とてもエキサイティングなことだと思います。これからも、商品開発には力を入れていきたいと思っています」と笑顔を見せた。

インタビュー後編は、「Cheena」の始まりや日本の顧客へのこだわりについて

Cheenaカナダ社
1978年ウェイン&かおり・リトンさんがブリティッシュ・コロンビア州バンクーバー市に設立。スモークサーモン商品、メープルシロップ商品を主力として販売。日本や韓国などアジアを中心に展開している。
カナダから日本へ届ける専用サイト(日本語):https://cheenashop.com/
日本国内専用サイト(日本語):https://cheena.co.jp/
北米顧客用シーフード商品サイト(英語):https://cheena.com/
北米顧客用メープル商品サイト(英語):https://mapleterroir.com/

Cheena代表ショーン・リトンさん。Cheena事務所で。Photo by Koichi Saito
Cheena代表ショーン・リトンさん。Cheena事務所で。Photo by Koichi Saito

(記事 三島直美/動画 斉藤光一)

山野内勘二駐カナダ特命全権大使より新年のごあいさつ

 明けましておめでとうございます。日加トゥデイ読者の皆様におかれては、健やかな新年をお迎えのこととお喜び申し上げます。

 昨2023年は、日本とカナダにとって重要な年であったほか、世界的にも歴史的な転換点となった年でもありました。1月に岸田総理がカナダを訪問してトルドー首相との間で行われた首脳会談は、G7議長国である日本にとって完璧なスタートとなりました。4月のG7外務大臣会合の際のジョリー外務大臣訪日を経て、5月に行われたG7広島サミットで、日本は、ロシアによるウクライナ侵略をはじめとする国際社会が直面する危機に先頭に立って取り組む姿勢を内外に力強く示しました。G7広島サミットで各国首脳らは、法の支配に基づく自由で開かれた国際秩序の堅持、核軍縮・不拡散、グローバル・サウスとの関係強化といった課題について協議しました。また、その際の日加首脳会談では、日加関係やG7の関心事項について議論を深めました。

 2023年、日本とカナダは、外交関係樹立から95周年を迎えました。日本大使館は9月に、カナダ連邦議会の加日議員連盟と共に外交関係樹立95周年記念レセプションを開催し、日加関係の進展を祝い、より良い世界と二国間関係の更なる拡大・深化に向け努力を重ねていく決意を表明しました。このレセプションは、オタワの日本大使館にとっては初開催となる自衛隊記念日のレセプションでもありましたが、自衛隊とカナダ軍の音楽隊の共演により奏でられたハーモニーは、日加安全保障協力の具体的進展を象徴するものとなりました。

 日加協力の進展は、経済分野でも顕著です。2023年9月には、経済産業大臣がオタワを訪問し、関係閣僚との会談を行い、蓄電池サプライチェーン及び量子・AI等の産業技術に関する協力覚書の署名が行われたほか、蓄電池サプライチェーンに関する官民ラウンドテーブルに出席しました。10月のG7大阪・堺貿易大臣会合には、イン輸出促進・国際貿易・経済開発担当大臣が出席しました。イン大臣はこの訪日の際にカナダ企業160社250人から成る「チーム・カナダ」代表団を率いて大阪と東京を訪問。また、マッコーリー農業・農産食料大臣のほか、カナダ商工会議所及びカナダ・ビジネス評議会の関係者も、それぞれ同時期に日本を訪れています。歴史的に見ても最大規模のカナダ・ビジネス代表団の訪日が実現しました。

 さて、2024年の日加関係は、こうした様々な前向きな流れが更に勢い付いて、一層緊密なものとなると確信しています。そのベースとなるのは両国間の人の往来ですが、これは既に大きな盛り上がりを見せており、2023年1月~10月の統計によれば、コロナ禍前の数字を上回る35万人以上のカナダ人が訪日しています。また、カナダ人にとっての日本の好感度が、英国と並ぶ1位となっているとの嬉しい世論調査結果もあります。カナダにおいて日本を売り込んできた私としては、本当に嬉しいことです。引き続き、数字にあぐらをかくことなく一層気を引き締めて、日本の良い所や日加間の協力の可能性と潜在力をカナダの人々に分かっていただくための努力を続けていく所存です。

 2024年は、東京にカナダ公使館が開設されてから95周年、横浜にカナダ貿易事務所が開設されてから120周年、日加通商協定締結から70周年、日本人に馴染みの深い『赤毛のアン』作者のL.M.モンゴメリ生誕から150周年です。さらにバンクーバーについて見ると、1889年に大日本帝国領事館が設置されてから135周年、1954年に日系カナダ市民協会が設立されてから70周年、1994年に日系カナダ文化センターが開館してから30周年という年でもあります。こうした様々な歴史の節目に照らすと、わずか百数十年の期間とはいえ、日本とカナダの間には豊かな関係が築かれてきたことに驚くばかりです。

 日加関係は「新たな章」に突入しています。これまで両国が共に培ってきた両国関係の歴史の上に更なる発展を遂げるため、日本大使館としても、様々な分野・レベルにおける日加間の協力と信頼関係が深まるよう、日々取り組んで参りたいと思います。

 本年も、どうぞよろしくお願いいたします。

令和6年元旦

丸山浩平在バンクーバー日本国総領事より新年のごあいさつ

 「日加トゥデイ」読者の皆様、明けましておめでとうございます。 

 2024年の年頭に当たり、皆様のご健勝とご多幸、そして「日加トゥデイ」の一層のご発展を心よりお祈り申し上げます。

 昨年、日本とカナダは外交関係95周年を迎え、またコロナの落ち着きと共に、様々な交流が活性化し始めました。政府間のやり取り、経済ミッションの派遣、都市間交流など、多くの分野で動きが進み、本年はその更なる飛躍と成果が期待されます。

 今年は辰年です。十二支の中で唯一の想像上の生き物であり、自在に空を飛び雲を呼ぶ霊力を持つとされる龍・・・ そのような龍の年を迎え、我々総領事館も改めて大きな抱負を持ち、充実した一年となるよう取り組みたいと存じます。そして激動する国際環境の中、総領事館としてより一層役割を果たせますよう、皆様の安全、安心に関わる情報発信、ご相談への取り組みに更に努めて参ります。本年も、引き続き当館業務へのご関心とご指導をお願い申し上げます。

 本年が希望に満ち、皆様にとり素晴らしい一年となりますよう、重ねて心からお祈り申し上げます。  

2024年 元日
在バンクーバー日本国総領事 丸山浩平

「除夜の鐘*願いをこめて打ちにけり」

カナダde着物

第54話
*戦国時代~現代の着物*

 今年もあと少しで終わろうとしています。
 皆さまにとりまして今年はどんな1年でしたでしょうか。

 去年からしきりなく続く戦争のニュースは、これが本当に現実なのだろうかと疑うぐらいに酷い状況が続いています。

 NHKの大河ドラマで「どうする家康」が放送されていましたが、乱世の世が再び起きているように思えます。

 ドラマの中で印象的だったのが、前途を悲観する徳川家康公が「戦国乱世を住みよい浄土にすることがあなたの役目です」と言う仏教の言葉に励まされ、その言葉に勇気づけられ〝生まれ変わり〟、墓前に大願成就を誓った一場面です。

 これは「厭離穢土、欣求浄土」(おんりえど、ごんぐじょうど)という仏教の教えです。

 解釈は色々とあるかと思いますが、260年間の平和な江戸時代の礎を築き、戦国時代を生き抜いた武将から何か学べないでしょうか。

 今、私は日本へ里帰りをしていまして、地元の静岡、掛川、浜松、岡崎など、徳川家康公が活躍したお城をめぐり、この世が浄土になることはあるのだろうかと思いながら周っています。

 何の罪もない子どもたちを大人が始めた戦争で苦しめている現状があります。
 来年はこの戦争が終結し平和の心を取り戻せるよう、切に願っております。

「Happy winter solstice and holiday Official Winter Day」Manto Artworks
「Happy winter solstice and holiday Official Winter Day」Manto Artworks

*今日の着物*Today’s Kimono

「戦国時代~現代の着物」

 私は以前、カナダで撮影された戦国時代のドラマの仕事に関わったことから、武士や公家の衣裳を研究することが増えました。現代の着物のルーツであり、歴史背景、身分制度や生活文化が顕著に表れているので、常に勉強の日々です。

 戦国時代は男性が表舞台で活躍していましたので、着物の資料は男性の方が多いのですが、江戸中期以降はもっと女性の着物が発展していったようです。

 ファッションや文化は平和な時代に華咲くのでしょうか。
 いつまでも新しい芸術や文化を生みだすことができ、お洒落を愉しめるといいですね。

「戦国時代の着物 NHK「どうする家康」ドラマ館にて」コナともこ
「戦国時代の着物 NHK「どうする家康」ドラマ館にて」コナともこ

*きもの旅*

「結城紬の里、おやま」

 日本は縦長の国土を持つがゆえに多彩な風土に恵まれ、各地に多種多様な着物が存在します。
 私は里帰りの際に各地の織元や染元を訪れ、名もなき職人の手による作品に触れ、多くの祖先たちの経験が積み重なって今日までの技に成していることを感じ尊びます。

 今回訪れたのは栃木県小山市です。その周辺は織物の生産が古代より受け継がれていて、手作業の地機(じばた)が結城紬のはじまりだそうです。

 小山駅近くにある「おやま本場結城紬クラフト館」は、結城紬のPR拠点として、本場結城紬を身近に感じる場所となっています。

 紬の特徴は、作業工程の多さと絹のしなやかな手触りではないでしょうか。
 最近は高価で上質な合成繊維もありますが、袖に腕を通した感触に違いを感じます。
 素朴な着物ですが、着慣れたお洒落さんにとっては魅力溢れる「ニッポン美」ですね。

「おやま本場結城紬クラフト館にて」コナともこ
「おやま本場結城紬クラフト館にて」コナともこ

*今日の和の学校*Today’s Gathering

除夜の鐘

 年の暮、お寺は大晦日から三が日にお参りする方々をお迎えするため、準備に忙しいようです。
 毎年、千人以上の皆さまがコキットラム市にあります東漸寺を訪れるそうです。
 どなたでもお参りできますので、お友達やご家族と是非訪れてみてはいかがでしょうか。

コキットラム市の東漸寺での恒例の年末年始行事のお知らせです

「除夜の鐘 東漸寺にて」コナともこ
「除夜の鐘 東漸寺にて」コナともこ

 可愛い兎年から勇ましい辰年へ、移ろうとしています。
 今年も着物コラムをご覧いただき、ありがとうございました。
 皆さまにとって、新しい年が幸多き1年となりますように、お祈り申し上げます。
 よいお年をお迎えください。
 コナともこ

「Burnaby Lake Regional Park」Manto Artworks
「Burnaby Lake Regional Park」Manto Artworks

参照
日本の行事・暦:http://koyomigyouji.com/index.html
きもの大辞典:https://www.someoriren.jp/dictionary/index.html
おやま本場結城紬クラフト館 | 小山市公式ホームページ(city.oyama.tochigi.jp)

「着物語り」
コナともこさんが着物の魅力をバンクーバーから発信する連載コラム。毎月四季折々の着物やカナダで楽しむ着こなしなどを紹介します。
2020年8月から連載開始。第1回からのコラムはこちらから

コナともこ
アラフィフの自称着物愛好家。日本文化の伝道師に憧れ日々お稽古に励んでおります。
13年前からコキットラム市の東漸寺で「和の学校」を主宰。日本文化を親子で学び継承する活動をしております。

年間を通じて季節の行事に加え、お寺での初参り、七五三祝い、十歳祝い、元服祝い、二十歳祝い、結婚式、生前葬、お葬式などの設えと装いのお手伝いもさせていただいております。

*詳しくはコナともこ までお問い合わせ下さい。tands410@gmail.com
東漸寺は非営利団体で、和の学校の収益は東漸寺の活動やお寺の維持の為に使われています。

カナダ人の夫+社会人と大学生の3人娘+老犬1匹(昨年末、虹の向こうへ)がおり、バンクーバー近郊在住。

和の学校ホームページ https://wanogakkou.jimdofree.com/
インスタグラム https://www.instagram.com/wa_no_gakkou_tozenji/
フェイスブック https://www.facebook.com/profile.php?id=100069272582016

東漸寺Tozenji Temple https://tozenjibc.ca/

コナともこ
Facebook https://www.facebook.com/tomoko.kona.98
Instagram https://www.instagram.com/konatomoko/?hl

 

11☆「めんそーれ沖縄」編

こんな夢を見た。
我が輩はしゃれたかりゆしを着て、とてもうれしい気分で、沖縄・那覇の国際通りを歩いている。でもなぜだかよく分らない。秋たけなわの10月、夕日が美しいたそがれ時である。スターバックスのマークが目に入り、びっくり。
思わず店に飛び込みコーヒーを飲んでいると、前の席で子どもたちが楽しそうにしゃべっている。中学生ぐらいの男の子と女の子、そしてまだ幼いお茶目な女の子の兄弟姉妹らしき3人。今日、ママが結婚した新しいパパをナンて呼ぼうか・・・、そんな相談をしているようで思わず耳を傾けた。
しばらくしてママと新しいパパが現れた。そのパパの顔を見たとき、目がさめた。
令和5年10月 夢一夜(漱石「夢十夜」に因んで)

 私事で恐縮ですが、この10月久しぶりに日本を訪れ、先ずは沖縄に、さらに足を伸ばして台湾、そして東京・川崎と駆け巡った。実は、息子が沖縄の女性と結婚式を。那覇でささやかながら、沖縄伝統のシャツ、かりゆしを着て、心に残る結婚披露宴を。そして突如として素敵なお孫ちゃんが3人。沖縄の守り神シーサーのおかげで、初めてのじいちゃん・ばあちゃん役も無事こなすことができ、とてもうれシーサー。

 自然豊かな、独特な歴史を持つ沖縄にはぜひ一度訪れてみたいと思っていたが、バンクーバーに移住してからは、かなり遠い存在に。でもこのような形で夢が実現するとは、この上ない喜びで、先ずは息子に感謝。また、はるか昔の教師養成講座の卒業生とハグもでき、すごくたのシーサー。誠に有意義な大きな節目となる沖縄の旅であった。

 また、日本語教師として沖縄語(うちなーぐち)はとても興味深い。数多くあるが先ずは空港で目につく「めんそーれ沖縄」は「ようこそ沖縄」であり、「こんにちは」は「ハイサイ」と「ハイタイ」で、男性と女性で異なり、確かに文化の違いを感じる。

 さらに、言い方は標準語と同じだが、意味がおもしろく異なる。例えば「ランチに行きましょうね」である。この表現を沖縄以外の会社などで、突然聞いた人は「えー、なぜ、急に・・・」と、間違いなく戸惑ってしまうであろう。

 日本語教師としても、この「~しましょう」は「Let’s」の意味、相手を誘う表現として教えている。「あ、もうお昼、ランチに行きましょう」や「疲れました、ちょっと休みましょう」などである。

 でも沖縄では文の最後に「ね」を付けて「~しましょうね」はナント、誘いではなく、単に自分の行動を相手に伝えるときに使う表現とのこと。えー、びっくり。

 すると、「ランチに行きましょうね」を聞いて誘われたと思い、一緒について行ったら、沖縄の人(うちなーんちゅ)は逆にびっくりしちゃうのであろう。

 実際、「お先に帰りましょうね」と言って、一人で帰るのがごく自然で、標準語の「お先に帰ります」と同じ意味として使っているとのこと。うーん、なるほど。

 こんな言い方は人との繋がりを大切にし、相手に対して常に温かな言葉で接したいとする沖縄特有の文化と言われており、慣れれば、確かに温かみを感じる表現である。

 このように、沖縄言葉は古き文化とも絡んで奥が深い言語であり、ぜひもっと学んでみたい。そしてまた、お孫ちゃんたちとおしゃべりしながら国際通りを歩いてみたい。

 では、今回のエッセイはこれにて終わりにします、ではなく、終わりにしましょうね。

「ことばの交差点」
日本語を楽しく深掘りする矢野修三さんのコラム。日常の何気ない言葉遣いをカナダから考察。日本語を学ぶ外国人の視点に日本語教師として感心しながら日本語を共に学びます。第1回からのコラムはこちら

矢野修三(やの・しゅうぞう)
1994年 バンクーバーに家族で移住(50歳)
YANO Academy(日本語学校)開校
2020年 教室を閉じる(26年間)
現在はオンライン講座を開講中(日本からも可)
・日本語教師養成講座(卒業生2900名)
・外から見る日本語講座(目からうろこの日本語)    
メール:yano@yanoacademy.ca
ホームページ:https://yanoacademy.ca

カナダで薬のさじ加減を考える

 いよいよ2023年最後の記事となりました。今年は、久しく遠ざかっていたコラムを再開しましたが、新型コロナウイルスが流行している間に情報の伝達・共有のグローバル化が一気に進み、さらにはChapGPTのような生成AIも登場したことで、読者の皆様に求められている薬の情報を手探りする状態が続きました。いつも親身に助言して頂いた日加トゥデイ編集長の三島直美様には、感謝の言葉も見つかりません。

 さて、この「情報」というのは、薬の世界でも大きなキーワードになっているのをご存知でしょうか?医薬品の効果や副作用の発現には個人差が存在し、その背景には遺伝情報の違いがあります。遺伝子(DNA)の塩基配列の違いが、肝臓にある薬物代謝酵素の違いに反映され、薬の効き方に差が出てくるわけです。逆にいうと、治療を開始する前に、薬を代謝する酵素の量を測定し、薬の量を調節したり、効果のある薬、副作用の少ない薬を効率的に選ぶことができます。このような内容は、2017年にCBCニュースでも取り上げられています。Test your DNA at a pharmacy? Now you can

 しかし、このような遺伝子情報を利用した薬物治療はまだ限定的なもので、薬局レベルではまだそこまで浸透していません。また、これまで長年に渡り臨床現場で使用されており、薬効や副作用の発現に個人差・人種差がない薬、または薬のさじ加減がすでに分かっている薬に関してこのような個別化治療を行うことの利益は少ないとも言えます。すると、やはり患者さんの体重、病状、そして薬物代謝の中心的な役割を担う肝臓や腎臓の具合を見ながら薬の量を決定するのが、現在の標準的な方法といえます。

 以上の点を踏まえて、前回に引き続き、カナダの薬は日本に比べて強いのかというテーマで、いくつかの処方せん薬を取り上げて薬の量の違いを見てみます。

 まずは、高血圧の薬のアムロジピン(ブランド名:ノルバスク)です。アムロジピンは、カルシウム拮抗剤(Calcium channel blocker)と呼ばれるグループの薬の一つで、細胞内へのカルシウムの流入を減少させることにより冠血管や末梢血管を広げることで、血圧を下げたり、狭心症の発作を起こりにくくします。

 日本では、1日量として2.5mg、5mg、10mgの規格があり、症状に応じて薬の量は増減されますが、降圧効果が不十分な場合には1日最大10mgまで増量することができます。この用量の幅はカナダでも変わりません。患者さんの体格や年齢、そして血圧の高さに応じて用量を決定すると、日本人の場合は自然と低用量が、カナダでは相対的に高用量が処方されることが多いように見受けられます。

 ちなみにアムロジピンが、1993年に日本でノルバスクという商品名で発売開始された当初は1日5mgまでの使用しか承認されていませんでしたが、当時すでに国外では1日10mgまでの使用が承認され、その後日本人においても増量による優れた降圧効果と安全性が確認されたことで、2009年には日本でも10mgの錠剤が承認されたという経緯があります。https://www.viatris-e-channel.com/viatris-products/di/pdf/nor01if.pdf

 次は「スタチン」という薬を見てみます。薬の名前の最後に必ず「スタチン」がつくことから、そのまま総称されていますが、正式名称は「HMG-CoA還元酵素阻害薬」で、日本の遠藤章博士が世界で初めて開発したことで知られています。遠藤博士は、応用微生物学とコレステロール代謝を研究する中で、青カビからコンパクチンという、現在のスタチンの元になる物質を発見しました。抗菌薬のペニシリンも青カビから発見されましたから、何万種も存在する菌類の中で、ペニシリンもスタチンも青カビから発見されたことは自然の奥深さを感じると述べられています。

 現在ではジェネリック薬として幅広く使用されているプラバスタチン、シンバスタチン、アトルバスタチン、ロスバスタチンなどのスタチンは、いずれもコレステロール生合成を制御するHMG-CoA還元酵素を阻害することで悪玉コレステロールを減らし、結果として動脈硬化や脳卒中のリスクを下げる効果があります。

 現在カナダでよく使われているスタチン薬であるロスバスタチン(rosuvastatin)について、用量を日本とカナダで比較してみます。日本の錠剤の規格は2.5mg、5mg、10mgであるのに対し、カナダの錠剤の規格は5mg、10mg、20mg、40mgとなっており、カナダではかなり高い用量まで使われることが分かります。もう一つの例としてアトルバスタチン(atorvastatin)をみてみると、日本での承認1日最大用量が40mgであるのに対し、カナダでは80mgとなっています。

 スタチン服用による副作用の一つに、大腿や背中、お尻などの比較的大きな筋肉に現れる筋肉痛があり、用量が増えるにつれて筋肉痛が起こる確率も高くなります。従って、いずれのスタチンにおいても、低用量から必要に応じて用量を増やしていくという方法が取られます。

 長い枕と字数の関係で多くの例を取り扱うことが出来ませんでしたが、本日の内容をまとめると、カナダには日本に比べて強い薬はあるものの、体重や病状、肝機能や腎機能に合わせて薬効と副作用のバランスの取れた量が処方されるということになります。従って、カナダの薬は強いから危ないのではないかという心配は不要かと思います。また、薬物代謝の個人差や人種差が大きな薬に関しては、遺伝子検査に沿った薬物治療が今後期待されますので、こちらはぜひ注目していきましょう。

 最後になりましたが、コラムの読者の皆様におかれましては、どうか良い新年をお迎えください。そして来年は、皆様からのリクエストをお待ちしておりますので、どうか宜しくお願い致します。

参考:

*薬や薬局に関する質問・疑問等があれば、いつでも編集部にご連絡ください。編集部連絡先: contact@japancanadatoday.ca

佐藤厚(さとう・あつし)
新潟県出身。薬剤師(日本・カナダ)。 2008年よりLondon Drugsで薬局薬剤師。国際渡航医学会の医療職認定を取得し、トラベルクリニック担当。 糖尿病指導士。禁煙指導士。現在、UBCのFlex PharmDプログラムの学生として、学位取得に励む日々を送っている。 趣味はテニスとスキー(腰痛と要相談)

全ての「また お薬の時間ですよ」はこちらからご覧いただけます。前身の「お薬の時間ですよ」はこちらから。

「マッセイ・ホール〜音楽の生まれる場所」音楽の楽園〜もう一つのカナダ 第18回

はじめに

 光陰矢の如し、とは良く言ったもので、もう12月も下旬です。あと10日で大晦日です。年末年始の慌ただしい中、気持ちをリラックスさせるため、或いは、やりかけた仕事を完了させるべく気合いを入れるために、音楽を聴く方は多いです。出張で飛行機に乗るとイヤホンやヘッドホンを着用している非常に多くの人々を見かけます。

 今や、音楽は日常生活の不可欠の一部です。1日24時間、どこででも好きな時に、状況に応じ、好みに合わせ、世に存在する様々な音楽が聴けます。考えてみると、現代の科学技術の賜物です。言わば、iPhoneは現代のカーネギー・ホールです。源流を辿れば、音楽を屋外に持ち出したのはSONYのウォークマンでした。更に、音楽をテープやビニール盤に刻んで記録し再現出来る仕組みを作ったのは、発明王エジソンです。それ以前は、ストリーミングもCDもテレビもラジオもレコードも存在していません。音楽は、演奏される場所に行かなければ聴くことは出来なかったのです。

 そこで、今回の「音楽の楽園」は、カナダが誇る歴史的コンサート・ホール、トロントの「マッセイ・ホール」です。

極私的なマッセイ・ホールとの出会い

 佐世保から上京してからの学生時代の事です。“モラトリアム”とか“自分探し”とか言えば、聞こえは悪くありませんが、実際は、世の中の事を何も分からず、本当に何をしたいのかも見えず、霞を食うような日々でした。授業はサボリ、新宿のジャズ喫茶に入り浸ってました。特に、大好きだったのがDUGという店でした。ロール・キャベツで有名なレストラン「アカシア」が1階にある雑居ビルの狭い階段を上がった2階でした。中上建次の初期の傑作「灰色のコカ・コーラ」に登場します。DUGは、店内が薄暗く、おしゃべり厳禁、JBLの巨大スピーカーの腹に響く音響がリアルでした。コーヒー1杯で2時間、お代わりすれば3時間くらいは大丈夫でした。ジャズをひたすら聴き、時に情報誌「ぴあ」で名画座で上映中の映画をチェックしたり、ヘンリー・ミラーやジャック・ケルアックやジャン・ジュネらを読んでいました。正直に言えば、内容はほとんど憶えていません。が、そこで聴いたチャーリー・パーカーとディジー・ガレスピーの即興が胸を掻きむしった感じは、今も鮮明に思い出します。その頃、よく聴いた音盤が「ジャズ・アット・マッセイ・ホール」です。実は、マッセイ・ホールがトロントに所在するという事や、この音盤に関する逸話はもっと後になって知るに至りましたが、これがマッセイ・ホールとの極私的な出会いでした。

マッセイ・ホールに終結したザ・クインテット

 この音盤は、70年も前に録音された古いものですが、ジャズ愛好家の必聴盤となっています。ジャズで使用される基本中の基本の5つの楽器の最高峰が5人集まっているからです。それだけでも超レアです。ドラム、マックス・ローチ。ベース、チャールス・ミンガス。ピアノ、バド・パウエル。トランペット、ディジー・ガレスピー。そして、アルト・サックス、チャーリー・パーカーです。ニューヨークを拠点にする5人の日程が合ったのが奇跡的でした。しかし、相当酷い依存症に陥っていたパーカーは自分の楽器すら忘れてくる始末です。何とか、主催者側が用意できたのが、プラスチック製の玩具のようなサックスでした。更に、この公演が行われたのが1953年5月15日の金曜日の夜。ちょうど同じ時間帯に世界ボクシング・ヘビー級王者ロッキー・マルシアノと前王者ジャシー・ジョー・ウォルコットとのタイトルマッチが米国で行われ、テレビ中継は驚異的な視聴率でした。従って、ジャズ史上に燦然と名を残す5人の揃い踏みでも、3千人収容出来るマッセイ・ホールに観客はわずかでした。当時の北米社会の中でのジャズの位置付けを反映しているとも言えます。主催者はまともにギャラが払えず、メンバーには小切手を渡しますが、結局、その小切手は現金化出来なかったそうです。

 しかしです。何重にも重なった不運な状況を吹き飛ばすほど、音楽は素晴らしいのです。マッセイ・ホールの名を今に留める名盤です。

故郷に錦を飾るニール・ヤング

 更に、何年も経って、久しぶりにマッセイ・ホールの名を見たのは、ニール・ヤングの「ライブ・アット・マッセイ・ホール1971」という音盤です。2007年3月のリリースですが、内容は、音盤タイトルにあるとおり1971年1月19日のマッセイ・ホールにおける単独公演の克明な記録です。レコード会社の販売戦略で、素晴らしい内容にも関わらず、長らくお蔵入りになっていたものが陽の目を見たのです。

 ニール・ヤングはトロントが生んだロックの英雄で、今も、現役で活躍しています。1966年以降、拠点は米国です。そのニール・ヤングがマッセイ・ホールに登場です。1971年1月と言えば、ヤングが参加するスーパー・グループ「クロスビー・スティルス・ナッシュ&ヤング(CSN&Y)」の1970年9月発表の音盤「デジャ・ヴ」が全米・全加・全蘭アルバム・チャートで1位を獲得。正に絶頂期です。CSN&Yは、出身国で言えば、米国人、英国1人、そしてカナダ1人です。国籍はさて起き、それぞれ才能溢れる個性的なミュージシャンです。協働して素晴らしい音楽を生み出す歓喜も大きいでしょうが、嫉妬も葛藤も不可避です。そんな中、ニール・ヤングはグループから距離をおき、故郷に錦を飾るマッセイ・ホールでの単独公演です。

 自身で弾く生ギターとピアノのみを伴奏とする弾き語りで全18曲を歌います。この段階で発表されていたのは上記「デジャ・ヴ」収録の『ヘルプレス』等の8曲のみ。残りは全て未発表曲。故郷のファンの前で新曲を披露するのです。これは貴重です。この単独公演の13ヶ月後にリリースされる傑作「ハーヴェスト」に収録されることになる5つの曲の原型が聴けるのです。特に、後に全米1位になる『孤独の旅路』のピアノ弾き語りは必聴です。正に、マッセイ・ホールで、未来の名曲が現在進行形で鍛えられていた訳です。

 このライブ盤のもう一つの価値は、観客の反応をリアルに刻んでいる事です。歌詞の中に、“カナダ”とか “ノース・オンタリオ”とか出てくる箇所では、歓声があがります。曲の間で、観客に「カナダを出て5年になるけれど、戻って来れて嬉しい」と語りかける時には熱狂的な拍手が湧きます。また、アンコールを求める観客が足を踏み鳴らす音が迫力です。要するに、ニール・ヤングとカナダとの強い絆が克明に記録されています。

マッセイ・ホール略史

Hart Massey
Hart Massey

 今や、トロントは、ニューヨーク、ロサンゼルスに次ぐ北米3位の大都市です。そのトロントの象徴的な建物の一つがマッセイ・ホールです。その名は、カナダが誇る実業家ハート・マッセイに由来します。全カナダの60%のシェアを誇った農機具メーカー、マッセイ製作所の会長のトロント市民への贈り物とも言えます。鉄道王アンドリュー・カーネギーがカーネギー・ホールを完成したのが1891年ですが、その3年後の1894年に完成します。

 マッセイ製作所は、米国生まれの父ダニエル・マッセイがオンタリオ州ニュー・カッスルに創業した小さな会社でした。高校を卒業し、1851年にハートは父の会社に就職し、経営を学びます。1856年に父が他界すると、33歳のハートが会社を引き継ぎます。地元で会社の土台を固めます。

 1867年7月、大英帝国の自治領としてカナダが「建国」され、オンタリオ州は加速度的に発展します。1870年代になると、拡大著しいトロントにマッセイ製作所の拠点を移します。大きな決断でしたが、会社は順調に成長します。80年代に入ると、自社の農機具をアルゼンチン、オーストラリア、更には欧州各国へと輸出し始めます。

 そして、1884年、ハートは既に61歳で会社も順調です。引退の時と考え、商才溢れる息子のチャールズ36歳に会社を引き継ぐ準備を始めます。ところが、チャールズは腸チフスで急逝します。失意の中で、ハートはそれまで以上に経営に没頭し、同業のハリス社やパターソン・ウィンザー社等を吸収合併して、マッセイ製作所をカナダ最大の農機具メーカーに育てます。

 そして、功成り名を遂げたハート・マッセイは、息子チャールズが大変な音楽好きだったことから、チャールズ追悼の思いも込めて、コンサート・ホールの建設を決めます。コンセプトは、「宗教に関係なく、音楽を楽しみ、皆が集える場所とする」、それと、「入場料を低く設定し、コンサート・ホールを利潤追求の場としない」というものです。そして、コンサート・ホールの建物はネオ・クラシカルな意匠で、アルハンブラ宮殿がモデルとなっています。カナダが誇る建築家シドニー・バッジリーの代表作です。柿落としは、1894年6月14日、ヘンデルの「メサイヤ」でした。ハートは、マッセイ・ホール完成の1年8ヶ月後に他界。享年73歳でした。

21世紀、その先へ

 ハート・マッセイの思いが詰まったマッセイ・ホールは、素晴らしい音響と同時に、自由で多様性に満ち包摂的な街の個性と相まって、此処では、クラシックから、ジャズ、ロック、ブルース更には民族音楽に至るまで、実に多様で多彩なアーティストが公演を行っています。

 トロント・シンフォニー・オーケストラは、1906年の創設以来、1984年に新設のロイ・トンプソン・ホールに移るまで、ここマッセイ・ホールを拠点としていました。クラシック音楽では、ジョージ・ガーシュイン、マリア・カラス、グレン・グールド、ウラジミール・ホロヴィッツ、アルトゥーロ・トスカニーニ、ルチアーノ・パバロッティ等々。

 ロック・ポップならば、ボブ・ディラン、ビリー・ジョエル、ジャスティン・ビーバー、クリーム、ボブ・マーリー、ゴードン・ライトフット、ラッシュ等々。

 現在、マッセイ・ホールは、リノベーションの真っ最中です。ハートの思いは、世紀を跨ぎ、未来へと繋がっていきます。19世紀の最先端の建物が、その核を残しつつ、大胆に21世紀の最先端へと変貌を遂げつつあります。

 マッセイ・ホール、22世紀に残る古典の生まれる場所になるに違いありません。

(了)

山野内勘二・在カナダ日本国大使館特命全権大使が届ける、カナダ音楽の連載コラム「音楽の楽園~もう一つのカナダ」は、第1回から以下よりご覧いただけます。

音楽の楽園~もう一つのカナダ

山野内勘二(やまのうち・かんじ)
2022年5月より第31代在カナダ日本国大使館特命全権大使
1984年外務省入省、総理大臣秘書官、在アメリカ合衆国日本国大使館公使、外務省経済局長、在ニューヨーク日本国総領事館総領事・大使などを歴任。1958年4月8日生まれ、長崎県出身

「いい旅」4 ~投稿千景~

エドサトウ

 金沢に着いたのは、もう日が暮れてすっかり暗くなった夕刻であった。ホテルでチェックインをすまし、急ぎ、前もって予約を入れておいた和食レストランに小雨がぱらつく中、歩いて出かける。

 旅の楽しみの一つは、美味しい地元の料理と出会うことでもあるけれど、僕の場合はちょっと古くて小さな料理屋で地元の話を聞きながら食べるのが楽しい。

 ホテルに戻り、甥っ子と一緒に屋上にある岩風呂に行き、ゆっくりと大きなお風呂に入り、旅の疲れをいやす。風呂から上がり休憩ロビーで冷たいジュースを飲みながら、屋上からの金沢の夜景を眺めつつ、甥っ子と世間話をするのも楽しかった。

撮影:エドサトウ

 翌日は、大雨の元になる線状降水帯が通過しているのか、どしゃ降りの雨の朝、ホテルでのバフェットの朝食に行けば、いろんなメニューが用意されていて、ビックリするくらいで何を食べるかは迷うばかりだけれど、それも楽しかった。

 8時半にホテルをチェックアウトして、大雨の中、金沢で有名な海鮮問屋が建ち並ぶ近江町の朝市を見に行く。アーケードの商店街なので雨に濡れることなく、いろんな食材を見て歩くのも楽しかった。僕たちが早くに来たので客は少なかったが、10時前になると観光バスが到着したのか、アジア系の外国人がどっと入ってきて急に混雑してきたので、僕は野菜も売る店もあるので、ヌカズケのあるお店を探して行くと愛想のいいおじさんが「今日、出してきたばかりだ」というヌカズケを見せてくれた。自分でもヌカズケを作っているので、少しばかり立話をすれば、ご夫婦で切り盛りしている小さなこの店のご主人は80歳になるという。「もう年だで、いつまでやれるかわからんけど頑張りますわ!」と笑って話しておられたが、息子さんたちは、別の仕事をされていて後に継ぐ人もなく、一抹の寂しさを感じた。僕の場合はささやかな家業を息子たちが継いでくれて3年になる。僕の足が不自由になる前に仕事を始めたけれど、今は僕の足が不自由となり、全部を息子たちに任せて、僕は自動的に引退となり、こうして母の見舞いがてら、弟の家族と金沢まで旅行が出来て「最高!」である。

 雨は益々ひどくなり、どしゃ降りの雨の中、美術館へ移動していく。

 江戸中期の日本画家伊藤若沖の絵を見に行く。若沖(じゃくちゅう)の絵は、当時あまり評価はされていなかったが、近年、その細密な画法とか、動物の動きを丹念に観察をしたという彼のリアリズム、つまり、実物写生画法とかその派手とも思える色使いが高く評価されているようであるぐらいの知識しかない小生は前から本物が見てみたいと思っていた。弟も地元で展示会がある折に若沖の絵を見に出かけたのだが、当日は休館日で観賞を出来なかったのが、今回、たまたま見る機会に恵まれて感激のひと時であった。

 余談であるが、近江町の朝市で、北米でハラバと呼ばれている「えいひれ」の干物を買った。このハラバの白身のフライステーキは結構高い値段で美味しいと話に聞いたことがあるので、この干物を試しに買ってみた。一袋500円ぐらいだったと思う。

 バンクーバーに戻ってから、これで松前漬けにしてみようと思い、するめの代わりに「えいひれ」を細くきざみ、カズノコの細かいくずの冷凍ものと混ぜて松前漬けらしきものを作ってみると、これが意外に美味しくて我ながらビックリのいいアイデアであった。この正月は、「えいひれの松前漬け」を作るつもりである。

 美術館から外に出れば、雨は小降りとなり、そこから歩いて兼六園に移動する。たしか、シニアの入場料は証明書を見せれば無料であったと思う。途中の休憩所では、抹茶などをいただき、いささか優雅なひと時であった。見学が終わるころには再度、雨が降り出し、急ぎ正面の新しいホテルの様なモダンな駐車場に戻り、金沢の街をとおりぬけて高速道路に入り帰路につく。日本アルプスの山中の長いトンネルを何度もくぐり抜けて、岐阜の高山方面に出て、さらに、名古屋郊外の高速道路に入れば夕刻の混雑が予想されるので、そこから東濃に入り、迂回して帰宅したのは、日の暮れた6時過ぎであった。

 往復の走行距離は530kmでT社のハイブリッド車の燃料は出発前の満タンから約半分ぐらいで、約五千円ぐらいであった。大人四人で、意外と経済的な楽しい旅であった。

 このT社のこのハイブリッド車を、現在、開発している水素エンジンにして、電気とエンジンを水素で動くようにすれば、公害はゼロになるはずである。ガソリンの代わりに、ガスステーションで水素を注入すれば、車はどれだけでも走る。すでにT社は水素エンジンを開発しているから、その可能性を期待したいものである。

 また、この水素エンジンのハイブリッドを利用すれば、船や飛行機(ドローンタイプ)の少人数の航空機に利用できるのではと、小生の想像は膨らむ。いい旅からいい時代へ飛躍できるような気がするのである。温暖化などの公害を無くすために、僕たちは北米や南米、シベリア、オーストラリアなどの大規模な森林火災をコントロールすることを考えなければいけないと、小生はいい旅から帰ってから思うことである。

 素人考えながら、航空機が緊急事態の時は、水素とヘリュームガスを大きなチューブにセーフティーエアーバッグのように膨らませば、気球のように安全に着陸できるのでは?

投稿千景
視点を変えると見え方が変わる。エドサトウさん独特の視点で世界を切り取る連載コラム「投稿千景」。
これまでの当サイトでの「投稿千景」はこちらからご覧いただけます。
https://www.japancanadatoday.ca/category/column/post-ed-sato/

ポーラーベアスイム、2024年も元日に開催!

毎年参加者に配られる直径3cmほどの参加缶バッチ。毎年デザインが変わり、今年はシロクマが膝を抱えて水に飛び込んでいるイラスト。Photo by Koichi Saito/Japan Canada Today
毎年参加者に配られる直径3cmほどの参加缶バッチ。毎年デザインが変わり、今年はシロクマが膝を抱えて水に飛び込んでいるイラスト。Photo by Koichi Saito/Japan Canada Today

 バンクーバーに新年の幕開けを告げる毎年恒例「ポーラーベアスイム」が2024年も開催される。

 来年で104回となる冬の風物詩。閑散とする冬のイングリッシュ・ベイがこの日ばかりは、水着姿の市民でにぎわうひと時となる。

 イベントのきっかけは1920年、ピーター・パンテージスさんら9人がイングリッシュ・ベイの冷たい海に飛び込み新年を迎えたことだとか。その後このグループは、バンクーバー・ポーラーベア・クラブとして知られるように。以来、このイベントがバンクーバーの新年イベントとして愛されるようになった。今年もピーターさんの孫娘リサ・パンテージスさんも参加する。

 現在の主催はバンクーバー市。そのため、更衣室、洗面所、ポータブルトイレ、ウォーミングアップテントなどの屋内スペースも用意される。また、ライブミュージック、エンターテイメント、フードトラックなどのアクティビティも用意されている。

 会場では、現金または募金によるコートチェックが行われ、その全額がグレーター・バンクーバー・フードバンクに寄付される。コートチェックのスペースには限りがあるため、スイムプログラムに参加する人は身軽な服装で、泳げる状態で来場することを勧めている。

 参加料は無料だが、市は参加登録を呼び掛けている。

 北緯49度、北海道最北端より北にあるバンクーバーで開催される寒中水泳に参加するつわものが毎年集う楽しいイベント。2024年の始まりに、冷たい海で気合を入れたい人、多くの人と楽しく迎えたい人、とりあえず冬のバンクーバーの海を体験したい人などなど、イングリッシュ・ベイに集合だ!

ポーラーベアスイム・バンクーバー2024

日時:2024年1月1日スイムは午後2時30分から、イベントは午後12時から午後4時まで
場所:イングリッシュ・ベイ(バンクーバーダウンタウン)
参加費:無料
登録(推奨)https://www.eventbrite.ca/e/2024-polar-bear-swim-tickets-764844108317
バンクーバー市ウェブサイトhttps://vancouver.ca/parks-recreation-culture/polar-bear-swim.aspx

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日本カナダ商工会議所【クリスマスの集いと第3回「小松和子アワード」授賞式】 

受賞者と日本カナダ商工会議所会員と一緒に。写真:日本カナダ商工会議所
受賞者と日本カナダ商工会議所会員と一緒に。写真:日本カナダ商工会議所

バンクーバー 2023年12月15日

「日本カナダ商工会議所」主催の【クリスマスの集い】は、ガスタウンに位置する「SELCランゲッジ・カレッジ」を会場に行なわれた。

会員はもちろん、新年に向けて、夢を追い続ける若人たち等のゲストを併せて、総勢23人の熱気は、クリスマスミュージックが止むことなく流れるウォーターストリートの活気に勝るイブニングとなった。

この集いに併せて行なわれたのは、今年で3度目になる「小松和子アワード」の授与式。同アワードは、遡ること20年、2003年に「日本カナダ商工会議所」を創設した中心人物のひとりであり、カリスマ的な牽引力で知られた、故 小松和子氏にちなんで、3年前の2021年に設けられた。

受賞対象者は、日系カナディアンコミュニティに貢献したり、「日本カナダ商工会議所」の発展に寄与された方々に贈られる。

本年度、2023年は、6人の方々が選出され、受賞者の発表は、サミー高橋会長によって行なわれた。

3部門の受賞カテゴリーのうち、[カテゴリー1] は、日系カナディアンコミュニティに、長年貢献された方に贈られる「ライフタイム・アチーブメント賞」で、平居 幹さんと堀田ミミさん(欠席)に贈られた。

[カテゴリー2] の「コミュニティ サービス賞」は、過去数年に渡り、日系カナディアンコミュニティで活躍された方々に授与される。受賞者は吉川英治さんと三島直美さん(欠席)。

そして [カテゴリー3] は「日本カナダ商工会議所」の向上にリーダーシップを取った方々に贈られる「JCCOCリーダーシップ賞」で、2011-2013年に会長を務められた上遠野和彦さんと、現在の理事の宮鍋健樹さんが受賞。

以下が受賞者の方々の主な活動内容:

[カテゴリー1]

平居 幹さん(帰加二世)

「ライフタイム・アチーブメント賞」を受賞した平居幹さん。写真:吉川英治さん撮影
「ライフタイム・アチーブメント賞」を受賞した平居幹さん。写真:吉川英治さん撮影

平居さんは、日系カナディアンの団体をまとめるための様々な活動を実施。その活動には、バンクーバーにおける「滋賀県人会」の再開、BCジャパン・フレンドシップ・グループをFacebook で立ち上げてBC州在住の日系人と彼らの日本での出身地をつなぐ情報源となること。日系プレースの協力を得て、毎週行なわれる「ITシニアラウンジ」では、ソーシャルメディアの使い方を教えたり、日本語、英語でのセミナーを開催。

堀田ミミさん(リッチモンド市スティーブストン・ヘリテージ・サイト・デスティネーション・デベロップメント担当)

堀田さんは現在、スティーブストン・サーモン・フェスティバル日本文化ショーの会長。日系合同新年会の中心的オーガナイザー。過去においてはバンクーバー桜まつりの一環として行なわれる「桜デイズ・ジャパンフェア」の中心的オーガナイザー。日系博物館において18年間にわたり、各種イベントでのボランティア活動に従事。

[カテゴリー2]

吉川英治さん(世直しボクサー)

「コミュニティ サービス賞」を受賞した吉川英治さん。写真:日本カナダ商工会議所
「コミュニティ サービス賞」を受賞した吉川英治さん。写真:日本カナダ商工会議所

9.11事件直後のニューヨークの救援に単身乗り込み、日本初の民間自警団「明大前ピースメーカーズ」を創設した元プロボクサーは「世直しボクサー」として知られる。

トレーナーとして、日本・アジアで、計4人のチャンピオンを育成。

「各個人が自己を戒め、国境を越えて人を愛する」ことを、ユーモアたっぷりに説く世界各地での講演回数は千回近く。

カナダでは「日系ホーム」にて、パーキンソン病の人たち対象のボクシングクラスや、女性のストレス軽減のための「MamaFight」を。「KidsFight」では、子供たちに自信を。また「テリー・フォックス財団」の日本大使として映画上映やスピーチ等の活動。

「ハートは老いない」と60才を越えてからも、若きチャンピオンたちと対戦し、貧困国の孤児たちに全額寄付する様子は、特に日系コミュニティの人々を感動させている。

英文と和文の執筆家でもある慈善活動家ボクサーは、映画製作、映画スクール講師、国際ビジネス誌編集長でもある。

三島直美さん(日加トゥデイ編集長)

三島さんは約20年間、バンクーバーでフリーランスライターとして活動。主に日系コミュニティを中心に取材活動を続け、2020年7月にMH Pacific Media Inc社を設立し、日系コミュニティを中心とした日本語メディア・オンラインサイトを開始。2023年1月サイトを「日加トゥデイ」とリブランディングし、バンクーバーだけでなくカナダと日本のコミュニティをつなぐメディアを目指している。

[カテゴリー3]

上遠野和彦さん(リステルホスピタリティーグループ副社長兼CFO)

「JCCOCリーダーシップ賞」を受賞した上遠野和彦さん。写真:吉川英治さん撮影
「JCCOCリーダーシップ賞」を受賞した上遠野和彦さん。写真:吉川英治さん撮影

上遠野さんは「日本カナダ商工会議所」以外にも企友会理事、日加ヘルスケア協会副理事長、トモエアーツ理事を務め、現在はバンクーバービジネス懇話会理事、バンクーバー補習授業校運営副委員長、日加協会理事を担当。3団体においてそれぞれ外務大臣の表彰を受賞。

宮鍋健樹さん(スマート・リンクコムソリューションズ創業者)

「JCCOCリーダーシップ賞」を受賞した宮鍋健樹さん。写真:吉川英治さん撮影
「JCCOCリーダーシップ賞」を受賞した宮鍋健樹さん。写真:吉川英治さん撮影

宮鍋さんはこれまで、活動の理念“Be the change you want to see in the world”(見たい世界の変化に、あなた自身がなりなさい)をもとに20年以上に渡る金融、ベンチャーキャピタル、そして自らの通信分野の経営経験をいかし、日本とカナダでスタートアップ企業の投資や提携をサポート。

「日本カナダ商工会議所」の後援のもとに、2023年9月には、関西圏の起業家とベンチャーキャピタル11名をバンクーバーへ招致し、Telus VenturesやInBC、InnovateBC、オンタリオ州VentureLABなど、当地でのベンチャーキャピタルや起業アクセラレーターと資金調達ピッチや、カナダ提携候補先を個別にアレンジし、現在4社が、カナダでの事業提携の話を進めて「日本とカナダをつなぐ」ことに貢献。

「炙りマーケット」特注和牛弁当。写真:日本カナダ商工会議所
「炙りマーケット」特注和牛弁当。写真:日本カナダ商工会議所

「小松和子アワード」の授賞式のあとは、会員懇親会が実施され「日本カナダ商工会議所」の会員の「炙りマーケット」特注の和牛弁当、しゃけ弁当を楽しく会食。そして最後にこちらも会員であるコーストホテルの田尻純一さんから、28ヶ所にあるコーストホテルで一泊できる宿泊券が会員に提供され、抽選でユージ・マトソンさんが当選。

(寄稿 日本カナダ商工会議所)

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