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Naomi Mishima

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ホワイトキャップス引き分けを挟んで5連勝、GK高丘は最少失点の活躍

GK高丘、試合後にロッカールームの前で。2024年7月17日、BCプレース。写真 日加トゥデイ
GK高丘、試合後にロッカールームの前で。2024年7月17日、BCプレース。写真 日加トゥデイ

 ホワイトキャップスはホームで勝利し、これで引き分けを挟んで5連勝となった。GK高丘も5試合で失点4と1試合1点以下の失点でゴールを守り、5連勝に大きく貢献している。

7月17日(BCプレース:23,198)

バンクーバー・ホワイトキャップスFC 2-1 スポーティング・カンザスシティ

先制はホワイトキャップス。34分にWhite(FW)が決めたかと思ったが、判定はカンザスシティのオウンゴールで1-0。後半に入り動きが良くなったカンザスシティは69分に同点に追いつく。ホワイトキャップスは途中出場したPicault(FW)が決めて2-1として逃げ切った。

「選手がやるべきことを理解している」

 ホームで6月29日にセントルイス・シティSCに4-3で勝利して以降、アウェイが続いていたが、モントリオールとの引き分けを挟んでカナディアン・チャンピオンシップを含めて5連勝と好調だ。

 高丘は「それぞれの選手が自分がやるべきことを分かって、チームのやり方を理解していますし、迷うことなくプレーできているのが勝利につながっていると思います」と語った。

 ただこの日の試合内容については、「もうちょっとゲームコントロールしたかった」と反省の言葉が口をついた。後半はゲームコントロールがうまくいかず相手に流れを渡す時間があったと振り返った。

 7月に入って5試合で4失点。2点以上取られた試合はまだない。それでも「無失点で抑えられる試合も何回もあったので。そういう意味ではそこをゼロで抑えられなかったというのは全然違うので、次の試合はゼロで抑えられるようにしたいです」と貪欲さを見せた。

 チームはこの日の勝利で4位に浮上。次は7月20日、オールスター前、最後の試合に6連勝を目指してBCプレースでヒューストン・ダイナモと対戦する。

今年もリーグスカップが7月30日から始まる

 MLSとLIGA MXに所属する北米3カ国、カナダ、アメリカ、メキシコの47プロチームが参加する「リーグスカップ」が7月26日から始まる。ホワイトキャップスは、グループステージはウエスト7で、ロサンゼルスFCとクラブ・ティファナと同じグループ。

 ホワイトキャップスの初戦は7月30日のロサンゼルス、2試合目はBCプレースでクラブ・ティファナと対戦する。

7月、8月のホームゲームhttps://www.whitecapsfc.com/

7月27日(土)4:30pm Wrexham AFC戦(国際親善試合)
8月3日(土)7:00pm Club Tijuana戦(リーグスカップ)
8月24日(土)4:30pm ロサンゼルスFC戦
8月27日(火)7:30pm パシフィックFC戦(カナディアン・チャンピオンシップ)

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「きみこの真珠」音楽の楽園〜もう一つのカナダ 第25回

はじめに

 日加関係を応援頂いている皆さま、音楽ファンの皆さま、こんにちは。

 早いもので、2022年7月に始めた「音楽の楽園」は2年を過ぎて、いよいよ3年目に突入します。実感するのは、カナダの奥深さです。それは、音楽だけに限りません。政治・経済・ビジネス・科学技術・芸術など、様々な分野でです。理想を掲げ、常識にとらわれず、斬新なものを生む、エネルギーと創造性に満ちていると思います。

「きみこの真珠」のパンフレット
「きみこの真珠」のパンフレット

 そこで、今回、皆さまに紹介したいのは、「きみこの真珠(Kimiko’s Pearl)」という新作バレエです。ここには、音楽、舞踏、舞台美術、現在、過去、歴史、政治、欺瞞、諦観、希望、赦し、勇気、家族、そして愛が凝縮しています。

「ブラボー・ナイアガラ」

 「きみこの真珠」は、オンタリオ州ナイアガラ・オン・ザ・レイク地区で優れた舞台芸術を地元コミュニティーに紹介している非営利団体「ブラボー・ナイアガラ(Bravo Niagara! Festival of the Arts)」により委嘱・制作された作品です。

 「ブラボー・ナイアガラ」は、トロント出身の日系カナダ人ピアニスト、クリスティン・モリさんと御令嬢のアレクシス・スピルデナーさんが10年前に立ち上げました。

Christine Mori(左)and Alexis Spieldenner:Co-Founders, Bravo Niagara Festival of the Arts, Co-Creators and Producers, Kimiko’s Pearl. Photo by Bo Huang
Christine Mori(左)and Alexis Spieldenner:Co-Founders, Bravo Niagara Festival of the Arts, Co-Creators and Producers, Kimiko’s Pearl. Photo by Bo Huang

 クリスティンは、アスペン音楽祭、タングルウッド音楽祭を経て、ジュリアード音楽院を卒業。米国で30年余にわたり、フロリダ管弦楽団所属のピアニストとして活動する傍ら、アイザック・スターンからボビー・マクファーレンまで多彩なアーティストと共演し、高い評価を得ます。現役を退いたクリスティンは、トロントの郊外ナイアガ地区に帰郷します。第2の人生を始めるに際し、自身の日系カナダ人としてのアイデンティティーと音楽家としての情熱が結びつきます。長年の夢を形にする時が来たのです。それは、地元ナイアガラ地区に世界水準の音楽家を呼び、地元コミュニティーに極上のパフォーマンスを届けるというものです。

 御令嬢のアレクシスは、ピアニストの母の下で音楽愛を吸収して成長し、デューク大学を優秀な成績で卒業。オンタリオ州のドーズウェル副総督から多様な文化振興に功績のあった若者を表彰する「リンカーン・アレキサンダー賞(注)」を授与されます。(注: リンカーン・アレキサンダーは、オンタリオ州初の黒人の副総督)

 「ブラボー・ナイアガラ」は、母の芸術的センスと娘のマネージメント能力が融合して、良い仕事に恵まれます。地元に密着する姿勢も好感されます。2014年の立ち上げ以降、「ブラボー・ナイアガラ」は、このコラムでも取り上げたジェームス・エーネス(第20回)ヤン・リシエツキ(第23回)をはじめとするクラシック音楽やマンハッタン・トランスファーなどのジャズ、ポップのスター達を引っ張って来ます。地元コミュニティーにとっては、居ながらにして、世界最高峰の音楽に触れるまたとない機会です。地元コミュニティーに提供する音楽・舞台芸術は、年を追うごとに、充実していきます。

日系カナダ人アイデンティティー

 「ブラボー・ナイアガラ」が確固たる基盤を固めると、クリスティンとアレクシスの母娘は、長年温めて来たアイデアの実現に取りかかります。日系カナダ人が辿って来た旅路を舞台芸術作品に昇華させるのです。

 日系カナダ人の歴史を概略すれば、最初期の移民、差別的な扱い、刻苦勉励して得た安定したカナダでの生活、太平洋戦争の勃発と敵性外国人移民としての強制収容や財産没収、戦後は、戦時中の困難を克服しカナダ社会の中で尊敬される地位を築くに至る訳です。

 実は、このような日系カナダ人の歴史が反映された芸術作品は少ないのです。それは、日系カナダ人が辿った苦難と克服の経緯が現在のカナダ社会において十分に認知されていないのと同じです。クリスティンとアレクシスは、芸術を通して日系カナダ人の歴史と誇りを伝える意義の大きさを確信します。正に、日系カナダ人のアイデンティティーの核心でもあります。

 とは言え、歴史を芸術で描くということは「言うは易く行うは難し」です。そこで選択されたのがバレエです。人類がつくる究極の舞台芸術の一つです。音楽と舞踏と舞台美術がつくりあげる空間には、言葉を超えた人間の情念が現れます。極めて具体的な事象から喜怒哀楽の感情までも盛り込めるのです。

 但し、新作のバレエ作品を制作し実際に上演するためには、台本、音楽、振り付け、美術、ダンサー、演奏家、リハーサル、上演会場等々が必要で、そのためには莫大な経費を要します。現代の舞台芸術は、如何に経費を工面するかという現実的問題に直面します。あのカーネギー・ホールも一時は倒産・解体の危機に直面したほどです。

 しかし、クリスティンとアレクシスの構想力と緻密な戦略と情熱が道を拓きます。National Creation Fundからの支援が確保出来たのです。いよいよ、構想が作品へと結実します。

総合芸術バレエ〜7つのスペクトラム

 「きみこの真珠」は、次の7つのスペクトラムが交差し融合して初めて完成しました。

 第1に、物語です。これは、クリスティンとアレクシスの4世代にわたる家族の旅路です。実は、トロント生まれのアレクシスが4代目で、ミドルネームもキミコ。「きみこ」のモデルです。家族の物語は、きみこの視点で、曽祖父シズオ・アユカワの代から描かれています。アユカワ・ファミリーの実話に基づく物語が作品の核です。但し、物語だけではバレエになりません。物語の真髄をバレエによって最高に輝かせる台本が不可欠です。トニー賞受賞台本作家のハワード・ライヒが書き下しました。

 第2に、音楽です。現代カナダが誇る作曲家ケビン・ラオが、ライヒの台本に基づいて、全編を新たに作曲しました。バレエには台詞はありません。全ての感情や情景を音楽で描かねばなりません。ラオが紡ぐ旋律とハーモニーとリズムが、音楽でしか表現できない情感を舞台に生み出します。

 第3に、振り付けです。世界最高水準のウィニペグ・バレエ所属のヨースケ・ミノが担当しました。舞台の進行に合わせて、強制収容という非道な措置、絶望、諦観、希望、愛まで、舞踏で表現します。鍛え抜かれたダンサーの律動を引き出します。

 第4に、舞台美術です。ポップ・アートから日系カナダ人の歴史をモチーフにした作品まで実に多彩かつ上質な作品群で、カナダ勲章も受賞されているノーマン・タケウチ画伯らの作品です。シンプルな舞台に、アクセントをつけ、時代と場所を提示します。

在オタワ日系人画家ノーマン・タケウチ氏による絵画(舞台のバックグランドに使用)。Photo by Embassy of Japan in Canada
在オタワ日系人画家ノーマン・タケウチ氏による絵画(舞台のバックグランドに使用)。Photo by Embassy of Japan in Canada

 第5に、演奏家たちです。ケビン・ラオ作品の常連でもある国立芸術センター管弦楽団の首席チェリストのレイチェル・メンサー、メトロポリタン・オペラ管弦楽団のハープ奏者のマリコ・アンラクらが参加。極上の演奏が物語と舞踏を包み込みます。

 第6に、ダンサーたち。ウィニペグ、コースタル、ボストンのバレエ団から参加し、鍛え抜かれた肉体の強靭さと柔らかさと美しさで、起伏に富んだストーリーを表現します。

 そして、第7は、音響と照明です。バレエが上演される場を、観客席とは完全に異なる時空へと変貌させる要です。ケビン・ラオの音楽は、観客席を取り囲む360度の何処から聞こえてくるかは、バレエの進行に合わせて、緻密にデザインされているのです。

 これら7つのスペクトラムが重なり「きみこの真珠」全2幕が完成します。入念なリハーサルを経て、実際に聴衆の眼前でその真価を問う時が来ます。

世界初演〜オンタリオ州セント・キャサリン市、2024年6月22〜23日

パフォーマンス後の挨拶。Photo by Embassy of Japan in Canada
パフォーマンス後の挨拶。Photo by Embassy of Japan in Canada

 クリスティンとアレクシスが構想した4代にわたるアユカワ家の物語は、 National Creation Fund の支援を得て、「ブラボー・ナイアガラ」が委嘱・制作。新作バレエ作品「きみこの真珠」は、抜群の音響を誇る地元の劇場「ファースト・オンタリオ・パフォーミング・アーツ・センター」において、本年6月22日、午後7時から世界初演が行われました。

戦争博物館に寄贈された鮎川家のトランク(当日のみ会場にて展示)。Photo by Embassy of Japan in Canada
戦争博物館に寄贈された鮎川家のトランク(当日のみ会場にて展示)。Photo by Embassy of Japan in Canada

 特筆すべきは、会場ロビーに展示されていたアレクシスの曽祖父シズオ・アユカワが自ら手作りした木製トランクです。これは、戦時中の日系カナダ人収容の歴史を後世に語り継ぐべくアユカワ家からオタワの「国立戦争博物館」に寄贈されたものです。今般の世界初演のために、特別に展示されました。日系カナダ人が強制退去させられた時、携行出来たのは鞄一つだけだったという非人道的な措置を無言で訴えていました。舞台にも、家族4代にわたる出来事と思い出を次世代に繋ぐ重要なアイテムとして配置されています。この木製トランクに刻印された「13657」という数字が、非人間的措置の非道さを静かに告発しています。

 世界初演は、最初に関係者の挨拶で幕を開けました。「ブラボー・ナイアガラ」を代表して、アレクシスが、家族の思い、日系カナダ人の思い、新作オペラにかける思いを述べました。一つ一つの言葉に本当に重みを感じました。私も、今日の極めて良好な日加関係の土台に日系カナダ人の存在があり、苦難を乗り越えて来た旅路への信心なる敬意を表しました。
 その後、和太鼓グループによる勇壮なオープニング・アクトが祝福しました。

 バレエ「きみこの真珠」は、1941年12月7日の日本軍のパールハーバー攻撃で太平洋戦争が没発する場面から始まりました。物理的には同じ舞台ですが、美術と音楽と舞踏と照明の妙で、全く異なる時と場所となります。変幻自在です。設定は、ブリティッシュ・コロンビアからウィニペグ、そしてトロントへと移ります。敵性外国移民として断罪される場面も、過酷な中に勇気を持って対峙する場面もあります。きみこの祖父母が恋に落ちるラブストーリーは可憐です。言葉を用いない描写の中で、舞踏の芸術性に圧倒されます。

 音楽と舞踏と舞台美術が融合した素晴らしいパフォーマンスは、瞬く間に終わりました。鳴り止まぬスタンディング・オベーションが、聴取の感動を直裁に示していました。

その先へ

 「きみこの真珠」の世界初演は壮大なプロジェクトの始まりです。

 音楽に関して言えば、2025〜26のシーズンで、トロント交響楽団による「組曲『きみこの真珠』」の演奏が予定されています。これは、バレエ作品として作曲された楽曲をオーケストラ用作品として再構成するものです。「きみこの真珠」が新しいアヴェニューを歩み始めます。ストラビンスキーの「火の鳥」もバレエ音楽が管弦楽曲へと展開したものです。「組曲『きみこの真珠』」がケビン・ラオの最高傑作になると確信します。

 そして、日系カナダ人の歴史を描くバレエ「きみこの真珠」は、将来は首都オタワ、北米最大都市ニューヨーク、更には東京においても上演されるべき作品だと思います。来年は、大阪万博の年です。日本とカナダの間でも様々な文化交流が行われます。是非とも、その一角に「きみこの真珠」が含まれることを願ってやみません。

パフォーマンス前の歓談風景、左から2番目 Alexis Spieldenner、3番目 Christine Mori(後ろ姿)、大使、MCを努めた Mary Ito (CBC Radio)、ゲーリー川口JCCC元会長。Photo by Embassy of Japan in Canada
パフォーマンス前の歓談風景、左から2番目 Alexis Spieldenner、3番目 Christine Mori(後ろ姿)、大使、MCを努めた Mary Ito (CBC Radio)、ゲーリー川口JCCC元会長。Photo by Embassy of Japan in Canada

(了)

山野内勘二・在カナダ日本国大使館特命全権大使が届ける、カナダ音楽の連載コラム「音楽の楽園~もう一つのカナダ」は、第1回から以下よりご覧いただけます。

音楽の楽園~もう一つのカナダ

山野内勘二(やまのうち・かんじ)
2022年5月より第31代在カナダ日本国大使館特命全権大使
1984年外務省入省、総理大臣秘書官、在アメリカ合衆国日本国大使館公使、外務省経済局長、在ニューヨーク日本国総領事館総領事・大使などを歴任。1958年4月8日生まれ、長崎県出身

バンクーバー沖縄太鼓「沖縄から発信、世界で共に平和を願う」Ichari-Van Night~The Spirit of Okinawa

 沖縄の文化に親しみ、恒久平和を発信するイベント「Icahri-Van Night~The Spirit of Okinawa」が6月22日、日系文化センター・博物館で開催された。主催はバンクーバー沖縄太鼓、共催はバンクーバー沖縄県友愛会。

 会場では沖縄料理やオリオンビールが楽しめたほか、三線(さんしん)やエイサー、琉球舞踊、平和学習、折り紙などの体験ブースがあり、舞台では、琉球舞踊、三線独唱と、訪れた約450人が一夜限りの「沖縄」を満喫した。

オリオンビール試飲コーナー。2024年6月22日、日系文化センター・博物館。Photo by Koichi Saito/Japan Canada Today
オリオンビール試飲コーナー。2024年6月22日、日系文化センター・博物館。Photo by Koichi Saito/Japan Canada Today

「命どぅ宝・サガリバナプロジェクト」

 同じ時間、日本は6月23日、沖縄「慰霊の日」を迎えていた。太平洋戦争末期の1945年の沖縄戦で日本軍の組織的戦闘が終結したとされる日。沖縄県では休日で、79年たった今も、推計9万4千人と言われる一般住民の犠牲者を含む約20万人の戦没者の霊を慰め、恒久平和を祈る大切な日として過ごす。

 その「慰霊の日」に沖縄から全世界に向けて平和の大切さを発信しようと企画されたのが、沖縄の創作芸団レキオスが主催した「命どぅ宝・サガリバナプロジェクト」。日本時間の正午に、沖縄で、日本で、バンクーバーで、そして世界で、同時に黙とうをささげ、一斉にエイサー「舞香花〜SAGARIBANA〜」を舞う。バンクーバーでは午後8時に始まった。人々は演舞に見入り、涙を流し、沖縄に思いを馳せた。

 「舞香花~SAGARIBANA~」は、沖縄のシンガーソングライターYuMeさんがレキオス代表・照屋忠敏さんの思い出を基に作詞作曲した楽曲。

バンクーバー沖縄太鼓によるエイサー演舞「舞香花〜SAGARIBANA〜」。2024年6月22日、日系文化センター・博物館。Photo by Koichi Saito/Japan Canada Today
バンクーバー沖縄太鼓によるエイサー演舞「舞香花〜SAGARIBANA〜」。2024年6月22日、日系文化センター・博物館。Photo by Koichi Saito/Japan Canada Today

 バンクーバー沖縄太鼓代表・花城正美さんは「慰霊の日」は沖縄の人々にとって特別な日と話す。日本国内38団体、海外ではインドネシア、アメリカ、南米やオーストラリアなど9団体が参加、「バンクーバー沖縄太鼓もこの『命どぅ宝・サガリバナプロジェクト』に参加し、感慨無量です」。

 「命どぅ宝」は「ぬちどぅたから」と読む。太平洋戦争で唯一地上戦が行われ、大きな犠牲を払った沖縄の人が大切にしている言葉。「『命どぅ宝』というのは沖縄の言葉で命っていうのが一番大切なんだよって、命あってこそできるんだよという意味です。沖縄で起きた歴史を通して世界の平和を望んでいきたいということですね」と笑顔を見せる。

 エイサーにはもともと「先祖供養・鎮魂の意味がある」と言う。それが現在は創作エイサーという形で舞台でもできるようになり世界に広がったと説明した。バンクーバー沖縄太鼓も創作エイサーで恒久平和への思いを発信している。

 今回の「Icahri-Van Night」の準備期間はたったの4カ月。「兼次(飛翔)実行委員長の吸引力とバンクーバー沖縄太鼓メンバーの見事な結束力と、バンクーバー沖縄県人会友愛会のご尽力、献身なボランティアの方々、そして日系センターのご協力、ご支援していただきました諸々のスポンサーのおかげさまで実現できました」

 サガリバナプロジェクトはエイサー演舞だけだが、バンクーバーではプロジェクトだけするよりも「沖縄を感じてもらって、沖縄芸能に触れて、沖縄のことを話しながらみんなで世界の平和を願うということで『Ichari-Van Night』としました」。「Ichari」とは沖縄のことわざ「いちゃりばちょーでー」から来ている。「みんな一度会えばもう兄弟・家族だという意味なんです。いつも支えてもらっているコミュニティの人たちと交流したいということで、その言葉を取って今回のイベント名にしました」

 これだけ多くの人が来てくれたのは「感動ですね」とうれしそうに笑う。「Ichari-Van Night」は恒例イベントとして継続したいという。「第1回の成功に皆さんにお礼をお伝えしたいと思います」と花城さん。「沖縄の文化芸能を通して、そしてエイサーを見て感じていただき、沖縄の歴史を顧みながら、皆さまと共に世界の平和を願いたいという思いから、これからも続けていきます!」と満面の笑みを見せた。

バンクーバー沖縄太鼓代表・花城さん(左)とIchari-Van NIGHT実行委員長・兼次さん。2024年6月22日、日系文化センター・博物館。Photo by Koichi Saito/Japan Canada Today
バンクーバー沖縄太鼓代表・花城さん(左)とIchari-Van NIGHT実行委員長・兼次さん。2024年6月22日、日系文化センター・博物館。Photo by Koichi Saito/Japan Canada Today

(取材 三島直美/写真・動画 斉藤光一)

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Gifts and Things「ファッション雑誌とコラボ、新しいマーケティングで日本市場を開拓」佐藤広樹さんインタビュー後編

バンクーバー市ガスタウンにある店の前で。写真提供:Gifts and Things
バンクーバー市ガスタウンにある店の前で。写真提供:Gifts and Things

 日本の人気ファッション雑誌とコラボするという斬新なアイデアで日本市場を開拓しようとしているバンクーバーのGifts and Things。「お土産物屋さん」ではなくバンクーバーのお洒落なギフトショップとして日本での知名度を上げるのが狙いだ。

 「カナダと言ったら “Gifts and Things”となるといいなと思います」と笑うオーナーの佐藤広樹さんに話を聞いた。後編。

Gifts and Things「ファッション雑誌とコラボ、新しいマーケティングで日本市場を開拓」佐藤広樹さんインタビュー前編

異業種とのコラボで知名度を上げる

動物が描かれたマグカップ。写真提供:Gifts and Things
動物が描かれたマグカップ。写真提供:Gifts and Things

 コラボはファッション雑誌だけでなく、5月のゴールデンウィークには東京でイベントを開催。環境活動をしている滝沢ごみクラブと合同のイベントで、Gifts and Thingsのトートバッグ販売やカナダでのエコグッズなどを紹介した。

 今後も「SNSインフルエンサーと一緒に何かできればいいかなと思っています」という。「コアなファンが付いている人たちと一緒にやっていければいいかなって」

 Gifts and Thingsも知ってもらいたいし、「カナダの良さをもっと日本の人に知ってもらいたいから」と話す。

 日本でそろそろGifts and Thingsが知られてきたなと思うようになるまで「3年くらいかな」と見ている。「すぐにはやっぱり無理なので。地道にやっていかないと。ポップアップもやったり、宣伝もやったり、雑誌とタイアップやったりとか、とにかくやってみる。すると新しいマーケットができたらそこで次に何かできるので、その先のビジネスになればいいかなと。日本人なので(日本で)何かできれば、それがまたプラスになる。(商品を)持って行くだけではね。(日本で)何かやれば将来につながるので。色々な動きをしていきたいです」

もっとカナダを知ってもらいたい

 佐藤さんはバンクーバーで日本人経営の土産物店がなくなっていることをさみしく思っているようだ。「だんだんと日本人同業者がいなくなってしまった」と話す。だから自分たちもなくならないようにするにはどうするかを考えなくてはと言う。

 「新しいところからどんどん攻めていかないと、いつかなくなっちゃうんじゃないか。競合はローカルですから、そこに勝たないといけない。常に新しいことを取り入れて、若い人の感性を取り入れて、ローカルに負けない店づくりをしていく。そして日本人としての強みを生かす。日本のマーケットには入りやすいので、そこでいま動いているところです」

 バンクーバー店では品揃えやディスプレイの工夫に加えて、日本式の細かな接客でリピーターを増やしている。「コミュニケーションはリピーターにつながります」と言う。新しい商品を開発したいとの意欲もある。いまはアメリカドル高の影響もあり「良い風が吹いています」と感じている。だからいまできることを一つ一つ実践していく。

 ファッション雑誌とのコラボもその一つ。「FUDGEに載れば洋服好きの人がカナダの物を見てくれる。そういう人たちにカナダに興味を持ってもらう。そしてカナダに来てもらう。そうなったらいいなと思って。ガスタウンはお洒落ですし、きれいな街なのでみんなに知ってもらいたいんです。こっちの方から入り口を増やせば日本からカナダに来る学生や旅行者も増えるし、カナダではこういうトレンド物を売っているんだなってカナダのイメージアップにもなる。だからファッション雑誌で紹介してもらうのは新しい入り口なのかなと思っています」

 今後も数回掲載を考えてると話す。中期的なビジョンで「客」ではなく「ファン」を増やしていく。そうして「カナダと言ったら “Gifts and Things”となるといいなと思います」と笑った。

佐藤広樹(さとう・ひろき)
Crescent Moon Enterprises Ltd.オーナー・代表取締役
1998年ウィスラーにSMILE GIFT、2008年バンクーバー市ガスタウンにSmileys Giftを開店し2020年GIFTS AND THINGSに改名

Gifts and Things
359 Water Street, Vancouver
TEL: 604-632-0155
ウェブサイト:https://www.giftsandthings.info/
インスタグラム: https://www.instagram.com/giftsandthings.ca/

バンクーバー市ガスタウンにある店の前で。写真提供:Gifts and Things
バンクーバー市ガスタウンにある店の前で。写真提供:Gifts and Things

(取材 三島直美)

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第14回 おひとりさまが終活をしないと、どうなる?! Pさんのケース その1~Let’s 海外終活~

終活は新しい大人のマナー

叶多範子

​​7月になり、バンクーバーでは、やっとバンクーバーらしいカラッと気持ちの良い気候になってきました。この時期は、青空が広がり、爽やかな風が吹く日が多く、外で過ごすのがとても気持ち良いですね。短いカナダの夏を思い思いに楽しみましょう。私はビーチでのんびり過ごしたいところですが、息子たちの野球で、ほぼ野球場で過ごしています。

いきなりですが以前、私が会った人の中に、こんなことをおっしゃった方がいらっしゃいました。「自分は配偶者もいないし、子供もいないおひとりさまだから、終活はいらないと思っている。だって自分が死んだ後のことは自分がやることじゃないから、わざわざ高いお金を払ってまで遺言も作りたくない。正直に言って、本当に興味も関心もない!今を生きることで精一杯!」と言われた方がいらっしゃいました。誰もが自分の人生をどう生きるかは自由です。ただ終活の観点から見れば非常に残念だと言わざるを得ません。自分がいなくなった後に残された人たちがどうなっても構わないと言っているようなものだからです。

私は終活は自分や周りの人への「思いやり」だと思っています。自分自身も悔いなく、周りの人への感謝も込めて行うのが終活なのですが、頑なに「自分は必要ない!やらない!」という方がいらっしゃることも事実です。

では、実際にこのような方が終活をされないとどんなことが起こりうるのか、私の経験も織り交ぜて具体例を挙げて、みなさんと一緒に考えてみたいと思います。

Pさんのケース

Pさんは50代のカナダ在住の日本人男性。翻訳会社の社長(社員はPさんのみ)で独身・子なし。20代でカナダに移民し、両親はなく日本に妹が1人いる。趣味は節約とジョギング。Pさん名義の不動産あり。(自作の架空人物です。実在の人物や会社とは関係・関連ありません)

もしもPさんが突然亡くなったら、どうなる?

Pさんの仕事仲間で友人でもあるQさんが、何度メールしても、携帯に電話してもPさんが出ません。不審に思ったQさんは、数日後にPさんの住むマンションの管理人と一緒にPさんの部屋へ行くと、部屋の中でPさんが亡くなっていました。QさんはPさんの日本の家族に連絡しなければと思いますが、連絡先を知りません。共通の友人に尋ねても誰も知らないため、Qさんは途方に暮れてしまいました。

終活ポイントアドバイス
①Pさんが日本とカナダにいる家族や友人の名前や連絡先をあらかじめ伝えておけば良かった
②おひとりさま同士の安否確認ネットワークのようなものを作っておけば良かった

個々ではお互いのメールアドレスや携帯電話番号を知っていても、その家族や周りの人の連絡先を知らせ合っていないことが多々あります。近所の人が異臭に気づき、警察へ連絡したときにはすでにかなり日数が経っており、正確な死亡日を特定できないこともあります。Pさんのケースでは少なくともQさんがPさんの住所を知っていて、そこまで遅くならずにPさんの状況を確認できたのは良かったですね。

また、以前は会社に出勤してこないので会社の人が気が付くというケースが多かったのですが、最近では自宅で仕事をしているスタイルの人が増えているので、これに自分が当てはまると思われた方はぜひすぐに対策を講じていただきたいと思います。

家族や友達の連絡先を交換しておいても、安否確認ネットワークを作っても、もしかしたら全く使わないかもしれません。使わないならそれはそれで、「お金のかからない保険」と思うのはいかがでしょうか?使うことがなければそれは幸いなことですし、万が一のときには「あって良かった!」ときっと思うことでしょう。

結局、Pさんの日本の家族の連絡先がわからず、思い余ったQさんは日本大使館に相談しました。大使館を通じてPさんの妹さんに連絡を取ってもらいましたが、QさんがPさんの妹さんと話せたのは、Pさんの死亡が確認されてから3日後のことでした。その間、カナダの警察、葬儀社、マンションの管理会社などとの対応に追われたのはQさんでした。

まさかこんな形でカナダと日本両方の政府機関にお世話になり、迷惑をかけることになるなんて、きっと亡くなったPさん自身は思いもよらなかったはずです。また、「早く知らせてあげたい」、「もっと早く知りたかった」といったQさんとご遺族の気持ちの葛藤もあったはずです。

続く

*このコラムは終活に関する一般的な知識や情報提供を目的とするものです。内容の正確さには努めておりますが、必要に応じてご自身で確認、または専門家へご相談ください。このコラムを元にして起きた不利益は免責とさせていただきます。

「Let’s海外終活~終活は新しい大人のマナー」の第1回からのコラムはこちらから。

叶多範子(かなだ・のりこ)

海外終活アドバイザー・弁護士アシスタント
「終活をせずに亡くなった!認知症になって困った!途方に暮れた!!」を、「終活しておいて良かった!」「終活してくれていて、ありがとう!」に変えたい!そんな思いから2020年に終活アドバイザー資格を取得。海外在住の日本人向けの「海外終活」についての講座や説明会、ご相談はブログやFacebookなどのSNSをご覧ください。家族はカナダ人の夫+息子2人+猫1匹、バンクーバー在住。

ブログ: https://globalmesen.com/
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著書「海外在住日本人のための50代からの終活」:​​https://a.co/d/ad4OeLw

笑いの健康効果を学び、笑い力を鍛える2024~笑いの底力、バンクーバーで講演会&体験会が開催される

日系文化センター・博物館での講演会&体験会の様子。2024年6月16日。写真提供:日本語認知症サポート協会
日系文化センター・博物館での講演会&体験会の様子。2024年6月16日。写真提供:日本語認知症サポート協会

 日本語認知症サポート協会では以前から笑いヨガの講座を開いてきた。この度「日本笑いヨガ協会」の代表・高田佳子さんを講師に迎えて、メトロバンクーバーで全4回の講演会&体験会を開催した。

 高田佳子さんは2009年にインドで笑いヨガを学び、日本へ帰国後「日本笑いヨガ協会」を設立。笑いと健康の研究を進め、全国で講演や指導を行っており、著書や翻訳書も多数出版している。一級建築士及び老年学修士であり、日本応用老年学理事、早稲田大学文学学術院非常勤講師も務める。

 6月14日から16日まで全4回の講演会は、日系文化センター・博物館(日系センター)やスティーブストン仏教会、リステルホテルなどの会場で開催されたほか、Zoomでの配信が行われた回もあり、たくさんの入場者、視聴者を集めた。

 このうち6月16日に日系センターで行われた「未来をつくる笑いの力」と題された4回目の模様をリポートする。

 笑いヨガをベースとした笑トレ®は、立ち上がって行うものだけでなく、座ったままでもできるものも多い。呼吸に意識を置くものが多い点にはヨガの要素を感じるが、ヨガの難しいポーズを取るという必要もなく、誰でもすぐに始められそうなものばかりだ。

 笑トレ®にはいろいろな体操がある。手や脇の下の筋肉を伸ばしたりするストレッチ、スクワットなどの筋トレがあったり、ゴム飛びの真似などで可動域を拡大するなどといった運動効果が期待される。

 いくつかの体操のあとにはパワーポイントで「笑いの力」について説明した。93歳のスーパーモデル、93歳のフィットネスインストラクター、94歳の世界最高齢の総務課長など、さまざまな分野で活躍する高齢者を紹介。これらの人たちの共通点は素敵な笑顔だ。

 その他にも、アメリカのプロ野球選手のベースボールカードで選手の表情と寿命の関係を調査した結果、笑顔で写っている選手のほうがそうでない選手に比べて平均して7歳ほど長生きしているということなどを紹介した。笑いは健康や寿命に良い影響があると高田さんは言う。

 「人は楽しいから笑うのではなく、笑うから楽しい」という言葉を紹介し、笑うことで心身を活性化し、ポジティブな気分を引き起こすことが可能だとしている。また、いろいろな口の形に開けて笑ってみることで、オーラルフレイル*の予防になったり、表情筋のトレーニングや肌の血行促進にも役立つという。

*オーラルフレイル:口腔機能の軽微な低下や食の偏りなどを含み、身体の衰え(フレイル)の一つ。口の周りの笑トレ®を行う事で、口輪筋や舌筋を鍛え、誤嚥予防や滑舌を良くすることに繋がる。(日本語認知症サポート協会より)

 笑トレ®で一番大切なのは声を出して笑うことだ。高田さんによると、おもしろく感じなくても笑うことはでき、それはおもしろいことがあって笑うのと同じ効果が期待できるという。笑うことで血液循環が良くなり、体が温まるのを実感できる。そして、声を出して笑うことでストレス解消に役立つほか、リラックス効果もあるという。また笑いは伝染するので、周りの人を巻き込んで笑いの渦を広めることができるのも良い点と、笑うことの効用を説く。

 今回の講座では、15種類ほどの体操を高田さんのリードで参加者が体験。会場には朗らかな笑い声が響き、楽しそうな雰囲気が伝わってくる。

 どれも簡単な動きなので、体が硬い人でも可動域が狭い人でも無理なくできるのが特長。運動をしようと気負わなくても、気楽に始められるのも良い点だろう。

 おもしろいことがあったわけでもないのに笑うということは、やってみると意外と難しい。よく笑えるようになることで、内臓に刺激を与え、血液循環が良くなり、幸せホルモンが検出されてポジティブな気持ちになれる。いまよりもっと健康で豊かな未来のために、毎日の生活に取り入れるのもいいかもしれないと感じさせてくれる講座だった。

(取材 大島多紀子)

日本語認知症サポート協会より
この講演会および体験会は、「Japanese Canadian Legacies Society」のCommunity Fundからの助成金をいただき、企画・運営いたしました。

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Gifts and Things「ファッション雑誌とコラボ、新しいマーケティングで日本市場を開拓」佐藤広樹さんインタビュー前編

FUDGE掲載記念で日本でも限定販売したオリジナルトートバッグ。写真提供:Gifts and Things
FUDGE掲載記念で日本でも限定販売したオリジナルトートバッグ。写真提供:Gifts and Things
FUDGE掲載記念で日本でも限定販売したオリジナルトートバッグ。写真提供:Gifts and Things
FUDGE掲載記念で日本でも限定販売したオリジナルトートバッグ。写真提供:Gifts and Things

 日本の人気ファッション雑誌とコラボするという斬新なアイデアで日本市場を開拓しようとしているバンクーバーのGifts and Things。「お土産物屋さん」ではなくバンクーバーのお洒落なギフトショップとして日本での知名度を上げるのが狙いだ。

 「カナダと言ったら “Gifts and Things”となるといいなと思います」と笑うオーナーの佐藤広樹さんに話を聞いた。

日本向けウェブサイトを開設

 バンクーバー市でも特に観光客に人気のガスタウンにあるGifts and Things。ガスタウンの象徴「蒸気時計」に近く絶好のロケーションだ。店内には商品が見やすくディスプレイされ、心地よくショッピングできるよう考えられている。

 そんなバンクーバーのGifts and Thingsが日本での購入専用ウェブサイトを今年4月に開設した。販売するのは日本向け商品。「オリジナル商品を扱っています。日本の人たちに見てもらって購入してもらえるように、日本販売専用のホームページを作りました」

 バンクーバーの商品を日本へ持って行って販売するのは費用がかかる。しかも「そうするとただの販売になってしまって、普通の商品を売ってるだけになってしまいます」。Gifts and Thingsの名前が目立たないという。だから「オリジナルを出して、(Gifts and Thingsの)名前を知ってもらえばいいと思って」。

 そして日本で「名前を知ってもらう」ための方法として雑誌とのコラボを思いついた。

人気ファッション雑誌FUDGEとコラボ

 雑誌掲載となったとき、従来なら旅行雑誌に「お勧めのお土産物」として掲載されていたが、そこは発想を転換。若者に人気のファッション雑誌「FUDGE」(発行:株式会社三栄)を選んだ。

カラフルな動物柄の靴下が並ぶ。写真提供:Gifts and Things
カラフルな動物柄の靴下が並ぶ。写真提供:Gifts and Things

 「(FUDGEの人も)カナダでお洒落な雑貨を販売しているお店だってことを理解してくれて、今回紹介していただいて」。バンクーバー店で販売している人気のアイテム、ジェリーキャットやカラフルな動物柄の靴下などが4月13日に発売された5月号とFUDGEの公式WEBサイトに掲載された。

 それに合わせて掲載記念としてバンクーバーで扱っているGifts and Thingsの名前入りオリジナルトートバッグを日本で1カ月限定販売。「FUDGEの雑誌を見てこのお店気になったなと思ってくれた人がロゴの入ったバッグを欲しいと思って買ってくれると名前が広がるなと思って。価格を抑えて販売しました」

人気のジェリーキャット。ジェリーキャット販売店でカナダナンバー3に選ばれた。写真提供:Gifts and Things
人気のジェリーキャット。ジェリーキャット販売店でカナダナンバー3に選ばれた。写真提供:Gifts and Things

 日本に数あるファッション雑誌の中からFUDGEを選んだのは、バンクーバー店のスタッフからの勧めだった。「日本に住んでいた時に海外に興味がある人が読む雑誌がFUDGEで」というのは店長の久保ゆうやさん。日本にいる時にはアパレル業界で働いていた経験もありファッション雑誌にも詳しい。佐藤さんは「うちの若い人たちがみんなFUDGEを知っていたので。教えてもらわなかったら私は分からなかったんです」と笑う。

 FUDGEの魅力は雑誌だけでなくインスタグラムのフォロワーが多いこと。「ストーリーズにあげてもらったのでそこから見てくれた人も多いと思います」

 そうして日本でのGifts and Thingsの名前が知られて行くとカナダに来た時に「あッ、Gifts and Thingsの商品!ってイメージで入ってきてくれるかなと。そしたらバンクーバーのお店も広がっていくかなと」と話す。「そういう活動を今後数年かけてブランディングしていこうかなと思っています。FUDGE掲載がその第1歩ですね」

後編に続く。

佐藤広樹(さとう・ひろき)
Crescent Moon Enterprises Ltd.オーナー・代表取締役
1998年ウィスラーにSMILE GIFT、2008年バンクーバー市ガスタウンにSmileys Giftを開店し2020年GIFTS AND THINGSに改名

Gifts and Things
359 Water Street, Vancouver
TEL: 604-632-0155
ウェブサイト:https://www.giftsandthings.info/
インスタグラム: https://www.instagram.com/giftsandthings.ca/

(取材 三島直美)

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「恩師への感謝とクラスメートとの友情を胸に」2023年度バンクーバー日本語学校卒業式

2023年度バンクーバー日本語学校卒業式。卒業生と先生たちと一緒に。2024年6月22日、バンクーバー市。Photo by Japan Canada Today
2023年度バンクーバー日本語学校卒業式。卒業生と先生たちと一緒に。2024年6月22日、バンクーバー市。Photo by Japan Canada Today

 バンクーバー日本語学校2023年度(2023年9月~24年6月)卒業式が6月22日にバンクーバー日本語学校並びに日系人会館で行われた。今年度、小学科、中学科、高等科、基礎科、Youthを卒業したのは合わせて29人。ドレスや着物に身を包んだ卒業生たちは名前を呼ばれると「はい」と返事をして舞台に上り、一人ひとり藤井清子校長から卒業証書を受け取った。

 会場には、これまで生徒たちを支えてきた家族や友人が駆け付け、先生たちと共に門出を祝った。

「漢字をがんばりたい」次の目標に向かって

 卒業証書を受け取った生徒たちは、学校での思い出を一人ひとり日本語で発表した。2歳や3歳から通っている生徒も多い。

 楽しかった思い出には、お正月、節分、運動会、ひな祭り、かるた遊び、中学科になると百人一首と、日本の伝統イベントが印象に残っていた。一方で大変だったのは「漢字テスト」。それでも、「日本語は難しいですが学校は楽しいです」「私は日本語が大好きです」「毎週早起きして日本語学校に行ってとても良かったと思います」と楽しかった思い出が多かった。

 基礎科のキャツァフロス・フェイスさんは「この学校で学んだことは私の宝物です。特にスピーチコンテストは私の人生を大きく変えました」と話す。9歳から日本文化に興味を持ち始めたと言うYouthのベアス・ビクトルさんは「最初はアニメを見るだけでした。でも時間がたつにつれて日本の文化全般に興味を持つようになりました。国、風景、伝統、食べ物、音楽、そして言葉。日本の文化が大好きです。日本について新しいことを学ぶたびに僕は魅力的だと思います」と話した。

 小学科や中学科の生徒たちは多くが継続して次の科へ進む。「これからも日本語の勉強を目標を決めて達成できるようになりたい」「日本語の漫画を読んだり、アニメを見たりできるようになりたい」「高校生になっても日本語の勉強をがんばり、もっと日本の文化を学びたい」と次の目標を発表した。

 新型コロナウイルス感染拡大の影響でオンラインだった授業が対面に変わったことを振り返る生徒も多く、「先生やクラスメートと会えるようになったことがうれしかった」と言う。そして、毎週土曜日に送り迎えをしてくれた両親に感謝の言葉を添えていた。

先生や家族に感謝、クラスメートとの楽しかった思い出を胸に

 高等科の生徒にとってこの日は学校を卒業する日。田村夢楓さんは「今日はこのバンクーバー日本学校に通う最後の日です。やっと卒業だという思いもありますが、振り返ると本当に忘れられない思い出があります」と高等科卒業生8人全員の思いを代弁した。

 それぞれに思い出を話し、先生・両親への感謝の気持ちを語った。入学して過ごしたのは2年半だったという大久保暁理さんは「カナダに来たら日本を話せなくなると思っていましたが、この学校に通い始めたら地球の反対側にいても、まだ日本語を練習できて、日本語で話せる友達を作れることが分かりました。バンクーバー日本語学校のコミュニティには本当に感謝しています」と短くて楽しい学校生活を振り返った。

 12年間1日も休まず12年間皆勤賞のワーナー華耶さんは「土曜日が楽しみでした。みんなと話したり、笑ったりしたことを私はずっと忘れないと思います。卒業してみんなに会えなくなるのがさみしいです。2歳から通い続けてきた日本語学校は私の中で特別な場所になりました」、いつか日本に留学したいという目標を持っているという。

 クラスの友達がいたから学校に通い続けられたという三島愛子さんは、「この学校で過ごした時間は私にとって非常に貴重なものになりました。ここでの経験は私の人生にこれからも大きな影響を与えると思います。卒業後も日本語の学習を続け日本文化に関わっていきたいと思います」。

 そして高等科卒業生が必ず口にしたのが担任「土屋(拓大)先生」への感謝の言葉。富永誠志朗さんは「クラスがこんなに仲良くなるとは最初は想像できませんでした。考えると土屋先生の存在がとても大きかったように思います」と振り返った。畠中凛さんは「土屋先生とはたくさんの楽しい思い出があります」とイチゴ大福作りや羽根つきでの罰ゲームを紹介し「土屋先生が担任でよかったです」と感謝した。

 人見遙さんはオンラインから対面授業に変わった時に静かだった教室が「土屋先生が明るくよく話すので賑やかなクラスになったと思います」と振り返り、オンラインではできなかったかるた大会や書道の授業、イチゴ大福やパフェ作りの楽しい思い出を話した。

 小学生の頃には日本語学校に行くのが「ちょっと嫌になり始めた頃もあった」と振り返った有浦弓さんは、「小さい頃に見たドラマの影響で日本の先生に憧れを持つようになりました。日本の大学で学んで日本で暮らしたい、それが私の夢です。そして、将来は土屋先生のような先生なりたいです。その夢を叶えるためにも卒業した後も日本語の勉強を続けたいと思います」と夢を語った。

 バンクーバー日本語学校で学んだことを胸にそれぞれが次の一歩へと踏み出していく。その夢を応援し続け、支えてきた、家族への感謝も忘れなかった。

「日本とカナダをつなぐ大切な架け橋」

卒業する生徒たちに祝辞を贈るバンクーバー総領事館・丸山総領事。2024年6月22日、バンクーバー市。Photo by Japan Canada Today
卒業する生徒たちに祝辞を贈るバンクーバー総領事館・丸山総領事。2024年6月22日、バンクーバー市。Photo by Japan Canada Today

 在バンクーバー日本国総領事館・丸山浩平総領事は「ご卒業おめでとうございます。各過程を終えて卒業される皆さんがこの学校でたくさんの努力を重ねていらっしゃったことに心からの敬意を表します」と卒業生たちを祝福。「日本語を学び、これからも学び続ける皆さんは日本とカナダをつなぐ大切な架け橋でもあります。日本とカナダのこのすばらしい関係をさらに強化していくために、そして世界中に友情が広まっていくように一緒に取り組んでいければうれしく思います」とあいさつした。

バンクーバー日本語学校卒業生という町田理事長。卒業しても日本語の勉強は大切と経験を語る。2024年6月22日、バンクーバー市。Photo by Japan Canada Today
バンクーバー日本語学校卒業生という町田理事長。卒業しても日本語の勉強は大切と経験を語る。2024年6月22日、バンクーバー市。Photo by Japan Canada Today

 同校の卒業生という町田友成理事長は「20年以上前に高等科を卒業しました。これで日本語学校の宿題がなくなると喜んでいました」と笑い、日本語学校の宿題はなくなったが現在は日系コミュニティとかかわりを持ち、日本語の勉強は続けていると話す。「皆さんには卒業しても日本語の勉強を続けて、日系コミュニティとの関りを持ち続けてほしいと思っています」と想いを込めた。

バンクーバー日本語学校を卒業する生徒たちをお祝いの言葉で送り出す藤井校長。2024年6月22日、バンクーバー市。Photo by Japan Canada Today
バンクーバー日本語学校を卒業する生徒たちをお祝いの言葉で送り出す藤井校長。2024年6月22日、バンクーバー市。Photo by Japan Canada Today

 卒業生に「日本語と英語で書かれたユニークな」卒業証書を渡し「おめでとうございます」と一人ひとりに声をかけた藤井校長は、2歳の時から通っている高等科卒業生、一度も休まず通学してきた卒業生ワーナー華耶さんを紹介し、「本当にすごい快挙だと思います。継続は力なり。みなさんにはこれからの人生を自信を持って進んでいってほしいです」と卒業生にエールを送った。

(取材 三島直美)

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猛暑に備える、BC州での注意ポイント

暑さ対策に設置されたMisting Station。消火栓から水を引いたシャワーが辺りを涼やかに。2022年7月26日リッチモンド市。Photo by Japan Canada Today
暑さ対策に設置されたMisting Station。消火栓から水を引いたシャワーが辺りを涼やかに。2022年7月26日リッチモンド市。Photo by Japan Canada Today
暑さ対策に設置されたMisting Station。消火栓から水を引いたシャワーが辺りを涼やかに。2022年7月26日リッチモンド市。Photo by The Vancouver Shinpo
暑さ対策に設置されたMisting Station。消火栓から水を引いたシャワーが辺りを涼やかに。2022年7月26日リッチモンド市。Photo by The Vancouver Shinpo

 メトロバンクーバーをはじめとするブリティッシュ・コロンビア(BC)州も7月に入り、真夏の暑さがやってきた。

 猛暑が続いたとき、高温警報が発令された場合に、どのような行動をとればいいか、どのような点に気を付ければいいのか、BC政府の資料を基にまとめた。

猛暑について

 BC州での猛暑とは、日中や夜間の気温が高くなり、例年の標準を大幅に超えた状態。

 猛暑になると、熱中症などの体調不良や死亡の原因となるため、自分自身や家族、身近な人を守るための対策が必要となる。

 BC検視局の発表によると2021年は、6月25日から7月1日にかけてBC州を襲ったヒートドーム(極暑)が原因で595人が命を落とした。それらの死因のほとんどは、個人宅の室内温度が高すぎたことに起因している。

 BC州では暑さの程度により2段階で警報を発令している。第1段階は、非常に暑く公衆衛生に中程度のリスクがある場合の「高温警報」、第2段階は、危険なほど暑く公衆衛生に非常に高いリスクがある場合の「極暑緊急事態」。

 BC州政府による定義は以下通り。

「高温警報(Heat Warning)」

 日中や夜間の気温が通常より高く、猛暑が続き、熱中症や熱性疲労を起こす危険性が高くなったときに発令。高温警報が出ているときは、涼しく過ごすための行動が必要。

「極暑緊急事態(Extreme Heat Emergency)」

 日中や夜間の気温が例年の標準を大幅に超え、さらに上昇を続ける場合に発令。暑さに対する緊急時対応策を取るよう注意喚起される。

高温警報が出されたり、いつもより暑いと感じたら?

1.「涼」を確保する

  • 冷たい水で濡らしたタオルなどで体を拭く
  • 水分補給する、水を飲む(甘い飲料やアルコール飲料は脱水を引き起こすので注意)
  • エアコンがある場合はエアコンをつける
  • 涼しい場所に移動する。家の中の一番涼しい部屋や、エアコンがある家族・友人宅、もしくは、地域のクーリングセンターなどを利用する

2. クーリングセンターについて

 地域にある冷房設備を完備している公共施設がクーリングセンターに指定されている。

  • 図書館
  • コミュニティセンター
  • ショッピングモール
  • 映画館宗教施設

 詳しい住所は各地域の市役所ホームページに掲載されているので確認する。

3. 屋外で気を付けること

  • 屋外での活動をなるべく減らす
  • 買い物などの用事がある場合は、早い時間帯か遅い時間帯の涼しい時間を利用する
  • 涼しく風の通る日陰に入ったり、つばの広い帽子や肌を守る服を着たりして、直射日光をなるべく避ける
  • ミストステーションでクールダウンする

暑さの影響を受けやすい人、熱中症になるリスクが高い人

 自宅や住居施設にエアコンなどの冷房設備がない場合、猛暑の影響を受けやすい人は特に注意が必要。

  • 65歳以上のシニア
  • ひとり暮らしの人
  • 妊婦、乳幼児や子ども
  • 糖尿病、心臓病、呼吸器疾患などの慢性疾患がある人
  • 統合失調症、うつ病、不安神経症などの精神疾患がある人
  • 薬物使用における障がいがある人
  • 運動障がいや認知障がいなど、身体的または精神的な障がいを持つ人
  • 激しい運動をする人、暑い環境で仕事をしている人

 また、熱中症を引き起こすリスクが高くなる行為として、暑い天候の中で十分な水分補給をしない、アルコールや薬物の過剰摂取などがある。

熱中症の症状と対策は?

 暑さが原因の症状には、熱中症(Heat Exhaustion)と熱性疲労/重度の熱中症(Heat Stroke)がある。

熱中症(Heat Exhaustion)の症状

  • 皮膚の発疹
  • 多量の発汗
  • 吐き気や嘔吐
  • 呼吸と心拍が速くなる
  • 頭痛
  • 集中力の欠如
  • 筋肉のけいれん
  • 極端な喉の渇き
  • 濃い尿と排尿の減少
  • めまいや失神
  • むくみ(特に手足)
  • 倦怠感や脱力感

対処法

  • 涼しい場所へ移動する
  • 冷たいシャワーを浴びたり、冷たい水で体の一部を冷やす
  • 水で濡らしたシャツやタオルを身に着ける
  • 十分は水分補給をする(アルコール飲料は避ける)
  • 休息する

 専門家と話したいときは、8-1-1に電話すると看護師など専門家と話ができる。またシニアは、2-1-1も利用できる。どちらも日本語の通訳サービスがあり。

熱性疲労/重度の熱中症(Heat Stroke)

  • 発熱
  • めまいや失神
  • 皮膚が非常に熱く、赤くなる
  • 意識が混とんとする
  • 精神敏しょう性の低下
  • 意識不明

対処法

 一緒にいる人、近くの人が、すぐに9-1-1に電話し、救急救命士が到着するまで、顔や首を冷やすなどの手助けが必要。

 また、8-1-1に電話して看護師などと話すこともできる(日本語の通訳サービスあり)。

普段から心がけておくこと

 猛暑の時だけでなく、大雪や洪水など、天候による災害が起きたときに慌てないように普段から何かあったときのために、次のようなことを心がける。

  • あらかじめ何かあったときに連絡を取り合う仲間の連絡先を確保する
  • コミュニティセンターなどの場所を確認しておく
  • ひとり暮らしでいざという時に手助けが必要な場合は、様子を見に来てくれる人にお願いしておく
  • なにかあったときに必要な電話番号を控えておく

知っておくと役立つ連絡先

  • 9-1-1:救急
  • 8-1-1:症状などを看護師などの専門家に相談できる。日本語通訳サービスあり。英語で対応した相手にJapanese Pleaseと言ってリクエストできる。
  • 2-1-1:シニア向け相談窓口(日本語通訳サービスあり)
  • 3-1-1:バンクーバー市緊急リクエスト(通訳サービスあり)

BC州、バンクーバー市などが推奨する部屋の中を涼しくする工夫

 BC州政府や各市・機関が暑さ対策のために、室内をなるべく涼しく保つための方法を紹介している。「暑い時は、住まいを少し工夫するだけで、大きな違いが生まれます。あなたのニーズに合わせて、1つでも2つでも実行すると役立ちます」とのこと。

  • 窓用フィルムなどをつけて日差しを遮る。窓の外側に厚紙を貼るなどしても効果あり(カバーのない窓は家の内部の熱を2〜3度上昇させる)
  • カーテンやブラインドを閉める
  • 外気温が室内温度より低いときは窓やドアを開け、午前10時から午後8時までは窓を閉める。午後8時には開けて涼しくし、扇風機(台所や浴室の換気扇を含む)を使って家の中の涼しい空気を動かす
  • 扇風機で熱気を外に出し、一晩中涼しい空気を家の中に入れる
  • 室内の温度を正確に測るために温度計を用意する(暑さの影響を受けやすい人にとって31度以上は危険。26度以上になったら涼しい場所に移動する)

 暑さが続き、体調不良を感じたら無理せず、医療機関を受診するか、誰かに助けを求めることが大切。

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サーモンフェスティバル2024、今年は最高の人出に

サーモンフェスティバル・中央ステージで開会式。2024年7月1日、リッチモンド市。Photo by Koichi Saito/Japan Canada Today
サーモンフェスティバル・中央ステージで開会式。2024年7月1日、リッチモンド市。Photo by Koichi Saito/Japan Canada Today
サーモンフェスティバル・パレード。楽一神輿も登場。2024年7月1日、リッチモンド市。Photo by Koichi Saito/Japan Canada Today
サーモンフェスティバル・パレード。楽一神輿も登場。2024年7月1日、リッチモンド市。Photo by Koichi Saito/Japan Canada Today

 毎年7月1日のカナダデーにリッチモンド市のスティーブストンで開催されているサーモンフェスティバル。パレードには楽一神輿が参加して、日系の雰囲気を盛り上げた。

 開会式ではリッチモンド市マルコム・ブローディ市長が司会を務めた。在バンクーバー日本国総領事館・丸山浩平総領事は「ハッピーカナダデー」とカナダの建国記念日を祝い、今年は2回目の参加で、日本とカナダ、そして多くのコミュニティの友好関係が強まっていくのを感じているとあいさつした。

今年で2回目の参加という丸山浩平総領事。左隣に座っているのはリッチモンド市ブローディ市長。2024年7月1日、リッチモンド市。Photo by Koichi Saito/Japan Canada Today
今年で2回目の参加という丸山浩平総領事。左隣に座っているのはリッチモンド市ブローディ市長。2024年7月1日、リッチモンド市。Photo by Koichi Saito/Japan Canada Today

 ブローディ市長は日加トゥデイの取材に、リッチモンド市と日本の関係は強固で友好的で「このカナダデーで共に祝うにふさわしい」と語り、日本から多くの人がリッチモンドに移民してきた歴史があり、1973年には和歌山市と姉妹都市を結んだ、特別な関係だと思っていると語った。

日本からの移民が多く暮らしていたスティーブストンで毎年開催

 サーモンフェスティバルは毎年ブリティッシュ・コロンビア州リッチモンド市のスティーブストン地区で開催される。日系コミュニティセンターがあるほど、日本との関係が深いスティーブストンには、日系の史跡も多く、カナダ史としての日系移民の歴史を知ることができる。

サーモンフェスティバル・中央ステージで開会式。2024年7月1日、リッチモンド市。Photo by Koichi Saito/Japan Canada Today
サーモンフェスティバル・中央ステージで開会式。2024年7月1日、リッチモンド市。Photo by Koichi Saito/Japan Canada Today

 スティーブストンはリッチモンド市の最南端に位置し、戦前には和歌山県から多くの日本人移民が定住した街。フェスティバルの各会場には日系コミュニティの軌跡が学べるイベントも多く、フードや音楽を楽しむだけでなく、街の歴史や日本文化にも触れる日となる。

 会場はスティーブストン・コミュニティセンターを中心に、東はブリタニア・シップヤード・ナショナルヒストリックサイトから西はギャリーポイント・パークまで広くスティーブストンを楽しめる。

スティーブストン日系文化センターでは生け花のデモンストレーションが行われた。2024年7月1日、リッチモンド市。Photo by Koichi Saito/Japan Canada Today
スティーブストン日系文化センターでは生け花のデモンストレーションが行われた。2024年7月1日、リッチモンド市。Photo by Koichi Saito/Japan Canada Today

 日系コミュニティセンターでは、武道のデモンストレーションや生け花展示が行われ、日系団体のブースも参加していた。

 サーモンフェスティバルに欠かせないものと言えば、やっぱりサーモンバーベキュー。新型コロナウイルス禍では中止となっていたバーベキューも復活。朝から晴天に恵まれたこの日は、サーモンバーベキューを求めて長蛇の列ができていた。

サーモンフェスティバルに欠かせない炭火焼サーモンバーベキュー。2024年7月1日、リッチモンド市。Photo by Koichi Saito/Japan Canada Today
サーモンフェスティバルに欠かせない炭火焼サーモンバーベキュー。2024年7月1日、リッチモンド市。Photo by Koichi Saito/Japan Canada Today

(取材 三島直美/写真 斉藤光一)

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「カナダ“乗り鉄”の旅」第14回 NY、ワシントン地下鉄の新潮流の〝先駆車〟はトロントにあり!カナダ最大都市・トロント編

カナダ・トロント交通局の地下鉄1号線を走る通称「トロントロケット」(2024年2月、トロントで大塚圭一郎撮影)
カナダ・トロント交通局の地下鉄1号線を走る通称「トロントロケット」(2024年2月、トロントで大塚圭一郎撮影)

大塚圭一郎

 アメリカの最大都市ニューヨークの地下鉄で今年2月に営業運転が始まった川崎重工業グループ製の新型車両が、車両同士の連結部分に利用者がそのまま通り抜けられる開放された通路「オープンギャングウェイ」(OPEN GANGWAY)を採用した。ワシントン首都圏の地下鉄も2025~26年の冬に受領開始予定の日立製作所グループ製車両で初めて導入する。アメリカの大都市の地下鉄で新潮流となっている構造の〝先駆車〟になったのは、カナダの最大都市であるオンタリオ州トロント都市圏を走るトロント交通局(TTC)の地下鉄だ。

トロントロケットの壁面に貼られたトロント交通局のロゴ(2024年2月、トロントで大塚圭一郎撮影)
トロントロケットの壁面に貼られたトロント交通局のロゴ(2024年2月、トロントで大塚圭一郎撮影)

【トロント交通局】カナダで最大の都市、トロントの都市圏で地下鉄や路面電車、路線バスを運行している交通当局。英語名の「TORONTO TRANSIT COMMISSION」を略して「TTC」と呼ばれる。2023年の平日1日当たりの平均利用者数は約248万3800人に達する。
 IC乗車券「PRESTO(プレスト)」を使えば、片道2時間以内のTTCの公共交通機関を大人3・25カナダドル(1カナダドル=117円で約380円)で利用できる。現金の場合は大人3・30カナダドルとなる。
 地下鉄は3路線があり、VIA鉄道カナダなどと接続する中央駅のユニオン駅を経由してU字型に走って南北を結ぶ1号線(路線図のラインカラーは黄色)、東西を走る2号線(緑色)、1号線のシェパード・ヤング駅で分岐して東西に走る4号線(紫色)がある。
 2号線の終点のケネディ駅では、主に高架を走る電車が行き来する路線の3号線が接続していた。老朽化を受けて2023年11月に路線バスで置き換えることが決定後、5人がけがを負う脱線事故が起きたため運行終了が23年7月に前倒しされた。

NY地下鉄では2月から

 ニューヨークの都市圏交通公社(MTA)の地下鉄で、川崎重工が最大1612両を納入する契約を結んだ新型車両「R211」の導入が進んでいる。うち車両同士の連結部分にオープンギャングウェイを採用した新たなタイプ「R211T」の営業運転が今年2月1日に始まった。

アメリカ・ニューヨーク地下鉄の「R211」(2024年5月、ニューヨークで大塚圭一郎撮影)
アメリカ・ニューヨーク地下鉄の「R211」(2024年5月、ニューヨークで大塚圭一郎撮影)

 オープンギャングウェイは幌で覆われた通路に仕切り用の扉がなく、乗客がそのまま行き来できる仕組みだ。R211Tは全長18・4メートルの車両を5両連結しており、2編成をつないだ10両で運用している。

 ニューヨークを含めたアメリカの地下鉄車両の多くは、火災などの非常時の避難だけに利用できる脱出用扉を連結部に設置している。ニューヨーク地下鉄では「車両間の乗車や移動を禁止する」と記したシールを貼っており、平常時は通り抜けることを禁じている。

 だが、勝手に開けて隣の車両に移る乗客が後を絶たないのにとどまらず、若者らの常軌を逸した〝超非常識行動〟に悪用されているのが頭痛の種になってきた。

昨年は少なくとも5人死亡

 その〝超非常識行動〟とは脱出用扉を通り、主に地上区間を走る際に連結部分から屋根によじ登ってサーフィンのような姿勢を取る「地下鉄サーフィン」だ。地下鉄は線路の脇にある第三軌条から電気を取り込んでいるため架線はないものの、地下鉄サーフィンをしている最中にトンネルや橋にぶつかるなどして転落し、死傷する若者が相次いでいる。

 MTAによると、地下鉄サーフィンによって2023年に少なくとも5人が死亡し、今年1月にも14歳の少年が命を落とした。

 防止のためにMTAは2023年9月、車内や駅構内での放送や案内表示で地下鉄サーフィンの危険性を警告するキャンペーンを開始。次なる一手として導入したのが、連結部分を幌で覆っているため屋根に上がりにくいのが特色のR211Tだ。

 ニューヨーク州のキャシー・ホークル知事は「広がっている地下鉄サーフィンのために若者が犠牲になるのを防ぐことができる」と安全性向上に期待を込めた。MTAのジャノ・リーバー最高経営責任者(CEO)も「購入する車両は最も革新的な設計でなければならない」とオープンギャングウェイを採用した意義を強調した。

ワシントン地下鉄はCEOの鶴の一声で

ワシントン首都圏交通局の次期車両「8000系」の実物大模型(2024年3月、ワシントンで筆者撮影)
ワシントン首都圏交通局の次期車両「8000系」の実物大模型(2024年3月、ワシントンで筆者撮影)

 ニューヨーク地下鉄のR211Tに触発され、日立グループが製造する次期車両「8000系」でオープンギャングウェイを初めて採用することを決めたのがワシントン首都圏交通局の地下鉄だ。

 ワシントン地下鉄では「今のところ地下鉄サーフィンは問題化していない」(職員)という。だが、ランディ・クラークCEOが8000系の設計に当たって「ニューヨーク地下鉄のオープンギャングウェイを参考にすべきだ」と鶴の一声を発したのを受け、従来の車両のように連結部分に脱出用扉を設ける計画を見直した。

 クラーク氏は「オープンギャングウェイの採用とより広い車内空間、リアルタイムの情報を提供できる改善されたデジタル案内板、安全性を高めるための強化された監視カメラシステム、持続可能性を高めたアルミ合金製車体、そして目を引くデザインと世界中の最善の要素を採り入れてこの電車(8000系)に詰め込んだ」と胸を張る。

ワシントン首都圏交通局の8000系の実物大模型に設けられたオープンギャングウェイ(2024年3月、ワシントンで筆者撮影)
ワシントン首都圏交通局の8000系の実物大模型に設けられたオープンギャングウェイ(2024年3月、ワシントンで筆者撮影)

 日立グループは、ワシントン近郊に新設した工場で8000系を量産。ワシントン首都圏交通局幹部は「最初の編成を受け取った後に試運転を1年間実施し、2027年に営業運転を始める予定だ」と説明する。

 かつてはヨーロッパ系メーカーの独壇場だったワシントン地下鉄は、今や川崎重工製の7000系が748両と営業用車両の6割超を占める主力車両となっている。さらに8000系の運転が始まれば、日本の同盟国であるアメリカの首都圏で日系メーカーがほとんどを占めるようになる。

トロントロケットが広く採用

 ワシントン地下鉄が手本としたニューヨーク地下鉄よりも早く、オープンギャングウェイを広く採用したのがTTCの地下鉄だ。2011年に登場した通称「トロントロケット」の電車が、全ての連結部分にオープンギャングウェイを用いている。先頭部の中央に貫通扉を備えたステンレス製の車両で、カナダの輸送機器メーカー、ボンバルディアの傘下だった旧ボンバルディア・トランスポーテーション(現在のフランスのアルストム)が製造した。

 トロントロケットは、1954年にカナダで最初の地下鉄として部分開業した1号線と、2002年開業とTTCの地下鉄路線で最新の4号線で運用されている。

 今年2月、トロント中心部にあるオスグッド駅から1号線に乗り込んだ。地上の入り口から階段を降りて自動改札機でIC乗車券のプレストをかざし、階下のプラットホームに着くとフィンチ行きのトロントロケットが入線した。

 1号線は1編成に6両を連結しているが、同じく6両編成で運転している東京メトロの銀座線、丸ノ内線よりもはるかに長い。というのもトロントロケットは1両当たりの全長が23メートル程度で、銀座線の16メートル、丸ノ内線の18メートルより長いからだ。

 トロントロケットは両端の運転席を備えた先頭車の全長の方が、中間車より長い。このような違いがあるのは東北・北海道新幹線で運用されている「長い鼻」のような先頭形状が特徴的なJR東日本のE5系、JR北海道のH5系も同じだ。

東北・北海道新幹線で運行されているJR東日本の「E5系」(2024年6月16日、東京都台東区で筆者撮影)
東北・北海道新幹線で運行されているJR東日本の「E5系」(2024年6月16日、東京都台東区で筆者撮影)

ユニオン駅を挟んだヘアピンカーブ

 トロントロケットに乗り込むと、車両同士をつないだ5カ所全てがオープンギャングウェイのため先まで見通すことができた。よって開放感があり、1編成が実際よりも長いように感じさせる視覚的な効果を生んでいる。

トロントロケットの車内のオープンギャングウェイ(2024年2月、トロントで大塚圭一郎撮影)
トロントロケットの車内のオープンギャングウェイ(2024年2月、トロントで大塚圭一郎撮影)

 この区間はトロント大学からユニオン駅付近まで南北につなぐユニバーシティー(大学)通りの地下を走っている。電車は次のセントアンドリュー駅を出発後、「キキキキ」という車輪と線路の摩擦音を奏でながら急カーブを曲がった。

 東西に延びているフロント通りの地下へと進路を変えるためで、電車はユニオン駅のプラットホームに滑り込んだ。ユニオン駅を出ると南北につなぐヤング通りの地下を通るため、再び急な曲線を通る。

 すなわちユニオンを挟んで「U字」状のヘアピンカーブになっており、1号線に乗る際のちょっとした見せ場だ。

 ユニオンから北へ向かって11駅先にあるエグリントン駅までの区間は、1954年に1号線が最初に開通した。カナダの地下鉄の〝元祖〟となっており、主にヤング通りの下を通る。

 トロントロケットの車内に掲げられた路線図の駅名をまじまじと眺めていると、「これは面白い!」と思った。それはまた別のお話―。

トロントのユニオン駅舎(2024年2月、大塚圭一郎撮影)
トロントのユニオン駅舎(2024年2月、大塚圭一郎撮影)

共同通信社元ワシントン支局次長で「VIAクラブ日本支部」会員の大塚圭一郎氏が贈る、カナダにまつわる鉄道の魅力を紹介するコラム「カナダ “乗り鉄” の旅」。第1回からすべてのコラムは以下よりご覧いただけます。
カナダ “乗り鉄” の旅

大塚圭一郎(おおつか・けいいちろう)
共同通信社デジタルコンテンツ部次長・「VIAクラブ日本支部」会員

1973年、東京都生まれ。97年に国立東京外国語大学外国語学部フランス語学科を卒業し、社団法人(現一般社団法人)共同通信社に入社。2013~16年にニューヨーク支局特派員、20~24年にワシントン支局次長を歴任し、アメリカに通算10年間住んだ。24年5月から現職。国内外の運輸・旅行・観光分野や国際経済などの記事を多く執筆しており、VIA鉄道カナダの公式愛好家団体「VIAクラブ日本支部」会員として鉄道も積極的に利用しながらカナダ10州を全て訪れた。

 優れた鉄道旅行を選ぶ賞「鉄旅(てつたび)オブザイヤー」(http://www.tetsutabi-award.net/)の審査員を2013年度から務めている。共同通信と全国の新聞でつくるニュースサイト「47NEWS(よんななニュース)」や「Yahoo!ニュース」などに掲載されている連載「鉄道なにコレ!?」と鉄道コラム「汐留鉄道倶楽部」(https://www.47news.jp/column/railroad_club)を執筆し、「共同通信ポッドキャスト」(https://digital.kyodonews.jp/kyodopodcast/railway.html)に出演。
 勤務先以外では本コラム「カナダ“乗り鉄”の旅」のほかに、旅行サイト「Risvel(リスヴェル)」のコラム「“鉄分”サプリの旅」(https://www.risvel.com/column_list.php?cnid=22)も執筆中。
 共著書に『わたしの居場所』(現代人文社)、『平成をあるく』(柘植書房新社)などがある。東京外大の同窓会、一般社団法人東京外語会(https://www.gaigokai.or.jp/)の広報委員で元理事。

「関ヶ原3」~投稿千景~

エドサトウ

 司馬遼太郎著『関ヶ原』の中に、細川ガラシャの最後の場面がある。小生が出演した『SHOGUN将軍』でも、最後の方の第9話で三浦按針こと英国人ブラックソンの通訳であったサワイアンナが演じるマリコさんがお城の中で大阪がたの侍たちと長刀で必死の覚悟で戦うが、最後は火薬の大爆発で吹き飛ばされてしまう。爆風で粉々になった部屋の片隅に倒れているマリコさんをブラックソンが必死に起こそうとするが、彼女の体はぐったりとして動くこともない。後に、ブラックソンにマリコは死亡したと老医師は言うが確かなことではない。

 想像を飛躍させれば、マリコは城から戸板に乗せられて城の外に運び出されて、京都の奥深い山寺で治療を受けて暮らしていたが、爆風のショックとその傷の深さから、生死をさまようこと数ヶ月に及んだといわれて生還はしたが、記憶は喪失している。ただ、語学の記憶は残っていて、晩年のキリシタンの反乱島原の乱の時には、それらしき老いた尼僧が信者のために奔走していたという話もある。

 細川ガラシャの最後の様子が小説『関ヶ原』では、次のようにある。<ーーーその焼けあとで数人の者が緩慢な動作で立ち働いている。それらしい指揮をしているのは長い黒衣を着た南蛮人であった。「あの南蛮人はだれかね」と、左近は町屋の娘に聞いた。娘も信者らしく胸もとに十字架をさげていた。この人垣の大半は信者であるらしく、彼らの顔つきからみて、焼け跡を荒らす者を警戒するために人垣を組んでいる様子でもあった。「オルガンチノ様でございます」と娘は小さな声で左近に教えた。伊達者の左近は、刀のつばに金の十字架を象嵌しているから、娘は左近も同信の人とおもったのであろう。「なにをなされておる」「ガラシャさまの遺骨をおさがしなされておりまする」「それはしゅうしょうな」
 左近は感動した。いわばガラシャの自殺は豊臣家にとって反逆行為といっていい。
 その反逆人の遺骨をひろうというのはよほどの危険を覚悟した行動といえるだろう。(勇気のある坊主だ)と思う反面、日本の坊主は何をしているのかと思った。細川家の代々の菩提寺は大阪の郊外の崇禅寺なのである。ゆうべの騒ぎは当然知っているのであろうに、この現場に駆けつけて骨をひろおうということもしない。「えらい南蛮坊主だ」左近は、つい大声を出して、焼け跡をさまよう碧眼紅毛の巨漢をほめてやった。
 余談ながらこの神父オルガンチノは、ガラシャ夫人の遺骨と、それに殉じた二人の家老、数人の家士の骨をかきあつめ、それを壺におさめて崇禅寺へ運び、仏教僧に托した。
 関ヶ原の戦後、細川忠興は大阪に戻るやこの夫人の葬儀を盛大におこなった。
 忠興は、故人の信仰を尊重し、神父オルガンチノにたのんでキリスト教による葬儀をとりおこなわせた。
 その後、忠興はお布施としてこの南蛮僧に黄金二百枚を贈ったところ、南蛮僧はそれを大阪市中の貧民にことごとく分け与えてしまった。「無欲である」と、忠興は感心した。ーーー>とある。

  島原の乱以後、幕府は鎖国政策をとり、家康がえがいた海外貿易は長崎の出島に限定される。海外からの交流がなくなった日本は戦争のない平和な社会がほぼ三百年続き、独自の日本文化を育て、今やその日本文化は、周りの国々にも影響を与える日本文明と言えるのではないかというアメリカの学者の話に、おおいに共感する小生である。平和な共同社会を一万年以上続けた日本の縄文時代もまた、注目されるべきかもしれない?

投稿千景
視点を変えると見え方が変わる。エドサトウさん独特の視点で世界を切り取る連載コラム「投稿千景」。
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