「いい旅」~投稿千景~

エドサトウ

 十月中旬に日本に来てから、最初の週末がやって来た。甥っ子が自家用のハイブリッド車を運転して、弟夫婦と一緒に観光地金沢の有名な兼六園へ一泊の予定で出かけることになった。病院で寝たきりの95歳になる母の面会は週二回のみで、今のところ、認知症はあるものの話ができるほどの状態で少し安心な状態なので、僕が一度も行ったことのない金沢まで行くことになったが、ぼく自身は関ヶ原古戦場までゆき、実際の古戦場を見てみたいというのが、希望であって、それを見られれば大満足である。

 当日は秋晴れの上天気で、ハイブリッド車は、静かに走りだし、我が街の新しい街道を走り抜けて名古屋市東部のインターチェンジから、東名高速道路に入る。日本も車が一人に一台という時代で、いい車がたくさん走っている高速道路は、カナダ、特にバンクーバーよりも発展していて、有料ではあるが、とても便利で良くできているので、カーナビに従って行けば、どこへでも簡単に車で行けるような気がした。

関が原で。写真:エドサトウ
関が原で。写真:エドサトウ

 関ヶ原古戦場には10時ごろに到着した。NHKの大河ドラマで徳川家康のことを放映しているためか、関ヶ原古戦場には、立派な新しいモダンな博物館ができていて、驚いたりした。そこで関ヶ原合戦を説明した短い映画を見てから、色んな展示を見た。4階の展望台は古戦場が360度見渡すことができて、東軍西軍の武将の位置を確認することができた。展示を見終わる頃には、お昼となり食堂兼お土産店で関ヶ原ランチを食べたが、地元の食材でできているのか意外と美味しかった。

 昼食後に車で、石田三成や徳川家康の陣地のあった場所を見に行くと、その距離は意外と近距離であった。その距離は1㎞ぐらいである。これならば、家康が、三浦按針こと英国人ウィリアム・アダムスの漂着したガレー船から接収したと思われる船どうしの海戦で使われる大砲を使用することも可能であったように思われた。

関が原で。写真:エドサトウ
関が原で。写真:エドサトウ

 家康は織田信長がかつて折からの雨をついて、今川義元の陣地を奇襲して勝ったように、また、昨夜からの雨で朝霧が低く垂れこめた関ヶ原を自ら石田三成の陣地近くまで推し進めたのではあるまいか?同じく井伊隊もほぼ中央あたりからひそかに用意した、ピンポン玉ぐらいの玉を飛ばす大型の火縄銃で、朝日で霧があがる頃から一気に打ちかける。まず、長やりどうしの戦闘からではなく、大筒の火縄銃の轟音と同時に弾が敵陣に飛ぶ、家康隊も海戦では500メートルが射程距離の大砲に45度の角度をつけて1㎞先の石田三成の陣地に、大音響とともに次々と打ちかける。

 持久戦を想定していた石田三成の軍も一気になだらかな斜面をくだり徳川軍に襲い掛かるが、徳川軍の大砲と火縄銃が連射されて、勢い良く飛び出した三成の軍も統制を失い、東軍に押されて切りまくられるという状況の中で、小早川軍が西軍から寝返り後方の横から大谷軍を攻めあがる。黒田官兵衛の軍も山裾につたい横から西軍に襲い掛かる。これにより、西軍島津義久は戦うこともせずに家康軍の横を駆け抜けて伊勢街道へ駆け抜けて行く、それを追うのは井伊軍、この頃には既に東軍に勝機がめぐっていたのであろう。

 そういうことを想像するのが古戦場を見る者の楽しみであろう。

 小生が出演した映画新『将軍』のモデルとなった三浦按針ことウィリアム・アダムスは、この時の活躍によるのか、後に横須賀市あたりに領地を拝領して旗本となっている。本当に青い目の侍となったのである。

 この映画は来春に公開予定という話であるから、これを観るのも楽しみの一つである。

投稿千景
視点を変えると見え方が変わる。エドサトウさん独特の視点で世界を切り取る連載コラム「投稿千景」。
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