「かんがえごと」~投稿千景~

エドサトウ

 「かんがえごと」と言う詩人の工藤直子さんの詩がある。ネズミのしゅん君がドングリを一回ごとにかじるたびに「何だろう?」と考え事をする。十回ドングリをかじって分かったことは何だろうかと、僕たち座ダイコンのグループで、日本語学校の「お話発表会」で演じて見ていただいたが、最初は僕たち自身も、これをどの様に演じるかと随分と悩んだのである。

 「かんがえごと」と言う意味は、何かに悩んで、いろいろ考えこむことで、どちらかと言えば悩み迷う心の状態を言う意味らしい。

 だから、ネズミのしゅん君がどうして十回もドングリをかじりながら、十回も考え事をしたのかという疑問もわいてくる。たとえば、秋になれば、リスさんがオーク(樫)の木から落ちたドングリを忙しそうに、どこかへ運んで行く。たぶん冬の食料として運んだりして隠しているのかもしれない。

 近所の公園を毎日のように僕は健康のために歩いていると、秋は忙しそうにリスがドングリかじったり、どこかへ運んでいる。春になり庭の花壇を起こすと、土の中からドングリの実が出てきたりする。たまに、庭のどこからかリスが食べ忘れたドングリが芽をだして小さな樫の木の双葉をみることもある。ドングリが庭で成長を始めている。公園のドングリの木は、直径が1メートル以上あり、二階建ての家よりはるかに大きい。夏になれば、良い日陰を作ってくれる。

 もう100年以上は成長を続けているのであろう。森の中でも、こうしてリスがドングリの木が増えるのを助けているのかもしれない。新しいドングリが大きくなり、また秋になればドングリの実を落とし、リスとドングリの木は共存しているのかもしれない。

 かつて、日本の縄文人もこのドングリの実を冬の食料として食べていたという。縄文人が食べていたから毒ではないだろうと、僕は思いたちドングリの実を沢山、拾って帰り、食べてみることにした。

 まず、ドングリのかたい皮をむき、その実を炭酸水につけてアク抜きをしてから、コーヒー豆のグラインダーでドングリを粉にして、それに小麦粉などを混ぜてパンケーキにしてみたら、少々苦みはあるものの、チョコレート色した濃い茶色のパンケーキができて、シロップをかけて試食してみると、意外と美味しかった。この苦さのせいか、翌日は少々、便秘気味になったから要注意である。しかしこれを食料とするには、皮むきが大変な仕事のように思われた。縄文人はどうやって皮をむいたのだろうか?

 リスはドングリを食べるが、リスとよく似たネズミは、ドングリをもともとは食べなかったらしが、そのドングリの苦みのタンニンを無害にする仕組みの唾液を獲得してドングリを食べるようになったとネットにあるので納得した。

 結局、ネズミのしゅん君が悩んでいたのは、ドングリを食べるべきか、食べないでいるべきか悩み考えたすえに、とうとうこれは、食べられると分かったのかもしれない。

 若い頃は、いろいろ悩むことも多いけれども、どんな生き方も、間違いではないと思うこの頃である。むしろ、その様な考えを抹殺しようとする行動の方が危険ではなかろうかと某国の大統領選挙を見て思うことである。

 今回の劇「かんがえごと」は、YOUTUBEで「座ダイコン」で検索すれば、見ることができます。

 『将軍』がデズニープラスで公開となり、小生はエピソード3に登場しています。こちらもどうぞお楽しみください。

投稿千景
視点を変えると見え方が変わる。エドサトウさん独特の視点で世界を切り取る連載コラム「投稿千景」。
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