Column お薬の時間ですよ

~お薬の時間ですよ 第101回~

 気がつけばカレンダーは9月下旬。新型コロナウイルスに翻弄された2020年もあと3ヶ月を残すところとなりました。毎年この時期になると、インフルエンザ予防接種(Flu shot)のキャンペーンが始まりますが、今年は新型コロナウイルスに対するワクチンも大きな注目の的となっています。今回は現場の薬剤師として、また町の化学者と呼ばれる薬剤師として、新型コロナウイルスワクチンに対する考えを綴りたいと思います。

薬の開発の現実

 世界経済に多大な影響を与え、また多くの死者を出した新型コロナウイルス(学術名SARS-CoV-2)のワクチンに対して、大きな期待が寄せらるのは無理もありません。

 その一方で、通常は新規の医薬品やワクチンの開発には10年から20年という非常に長い時間がかかるのが普通です。

 研究で見つけた薬の種がヒトに対して安全かつ有効であるかを調べる試験(臨床試験、治験)を行い、国の承認を得て、市場に送りだすまでのプロセスには、巨額の費用が伴います。

 そこで、米国のトランプ大統領は「Operation Warp Speed」というプロジェクト名のもとに、製薬会社に膨大な資金を提供し、1日でも早く新型コロナワクチンが登場するように推し進めてきました。

政治とワクチン

 予防接種の役割は、社会に対して感染性微生物が広く伝播することを防ぎ、また個人の疾患の発症と重症化を予防することです。

 1日でも早く免疫力の十分でない乳幼児や高齢者、また感染リスクの高い医療従事者等に、新型コロナワクチンを接種することで、更なる死亡者数の増加が抑えるに越したことはありません。

 瞬間移動を意味する「Warp」という言葉を使うことで、ワクチン開発のスピード感を出してはいるものの、「今から数週間以内にはワクチンが登場するはずである!」といった行き過ぎたリップサービスは過剰な期待以外に何も生むことはありません。

 11月の大統領選挙に向けてワクチン開発プロジェクトを成功させたいという思惑はあるかもしれませんが、「急いては事を仕損じる」のこの世の常。開発が成功した暁には、何十億人への接種が見込まれているワクチンだからこそ、安全性を第一に新型コロナワクチンの開発を進めて欲しいと思います。なんといっても10年以上かかる作業を1年弱で進めているのですから。

テクノロジーの進化と現実度

 ワクチンの急速な開発には否定的な私ですが、所詮、今から20年以上前に日本で薬学教育を受け、医薬品開発の最前線にはいない立場の人間の考えていうことですから、予想は外れるかもしれません。

 それというのも、新型コロナウイルス流行によるロックダウンなどにより、今後5年から10年に起こるはずと言われていたテクノロジーの進化が、この半年で実現してしまいました。

 多くのオフィスワーカーが、ある日突然在宅勤務を余儀なくされたものの、会議には「Zoom」等のオンラインツールを利用し、欧米では書類のサインの電子化が進みました。近年成長の著しいの人工知能(AI)の力も、コロナワクチンや治療薬の解析に用いられています。同時に、新型コロナウイルス関連の医学論文数は、これまでに類を見ないペースで蓄積してきています。もしかしたら、この年末や来年早々にも、北米でも新型コロナワクチンが登場する可能性はゼロではないのかもしれません。

海外諸国の様子

 世界各国で、国の威信をかけて新型コロナウイルス開発が進められていますが、ときには耳を疑うようなニュースもあります。例えば、ロシアでは、8月11日、国内で開発した新型コロナウイルス向けのワクチンに規制当局が使用認可を出したと発表しましたが、このワクチンの臨床試験期間はなんと2ヶ月未満だったそう。また、中国では、臨床試験が完了していない段階で数万人に緊急接種する方法を採用したというニュースも流れました。世界の薬害の歴史に学べば、このような粗雑なワクチンの開発・承認プロセスはありえません。折しも、英国では製薬大手のアストラゼネカ社は、9月11日、有害事象の発生により一時的にワクチンの臨床試験を中止したという報告もあります。

今できること

 「安全第一」こそ医薬品開発の根幹です。安全なワクチンが世界で供給されるようになるまでは、私たちは確実にできることをしなければなりません。

 年の初めに新型コロナのことがまるで分からなかった時期を乗り越え、一時はカナダ国内の感染者数を抑え込むことにも成功してきました。

 これからも石鹸を使って手を洗い、うがいをし、外出時にはマスクを着用し、そして流行の悪化時には極力人混みへの外出控え、コロナウイルスを予防していきましょう。Stay safe!

佐藤厚

新潟県出身。薬剤師(日本・カナダ)
2008年からLondon Drugs(Gibsons)勤務
2011年からバンクーバー新報紙面にてコラム連載開始
2014年から薬局内トラベルクリニック担当
国際渡航医学会医療職認定
2019年から薬局マネージャー