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Keiko Nishikawa

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激動の2020年を振り返る

 新型コロナウイルスに翻弄された印象がある2020年を、カナダのニュースで振り返る。

1月

1月5日
ワールドジュニアアイスホッケーW杯でカナダ金メダル
2020年ワールドジュニアアイスホッケー・ワールドカップで、カナダがロシアに4–3で勝利。金メダルを獲得。

金メダル獲得に喜ぶカナダチーム

1月8日 
ウクライナ国際航空752便撃墜事件
キエフ行きのウクライナ国際航空752便が、テヘランを離陸直後にイラン革命防衛隊のミサイルによって撃墜される。搭乗していた乗員9人乗客167人全員死亡。うちカナダ人が63人だった。

1月25日
カナダで初めて、新型コロナ感染者確認
カナダで最初の新型コロナウイルス感染者を確認したと、オンタリオ州政府が発表。 感染者は男性で、武漢への渡航歴があった。
(一方、BC州で最初の感染者が確認されたのは1月28日だった)

2月

2月4日
カナダ国民の帰国チャーター機武漢へ
新型コロナウイルス感染が拡大する武漢にいるカナダ国民を帰国させるため、チャーター機が中国を出発。帰国した人たちは、オンタリオ州トレントンで14日間隔離した。

チャーター機のトレントン空軍基地到着のツイッター

2月21日
横浜沖クルーズ船からカナダ人がチャーター機で帰国
横浜沖に停泊していたクルーズ船ダイヤモンド・プリンセス号で新型コロナウイルスの集団感染が発生。カナダは乗船していたカナダ人をチャーター機で帰国させた。ダイヤモンド・プリンセス号にはカナダ人256人が乗っていた。

3月

3月7、8日
7人制ラグビー大会でカナダが3位!
BCプレースで3月7、8日に開催されていた7人制ラグビーセブンズシリーズ「カナダセブンズ」でカナダが3位と健闘した。優勝はニュージーランド。

3月8日
ユーコン準州、固定サマータイム制へ

春に1時間進めて、秋に戻すデイライトセービング。日本ではサマータイムと呼ばれているこのシステムについて、廃止の動きが進んでいる。ユーコン準州は3月8日、2020年秋に1時間時間を戻さず、固定サマータイムとすることを決めた。

3月9日
BC州でカナダ初の新型コロナウイルスによる死亡を確認
カナダで初めての新型コロナウイルスによる死者となったのは80代男性。ノースバンクーバー市にある長期療養施設リンバレー・ケアセンターの入居者だった。

3月12日
トルドー夫人、新型コロナに感染
ジャスティン・トルドー首相のソフィ夫人が新型コロナウイルスに感染していることが分かった。夫人はイギリスで講演活動を行い帰国したあと、インフルエンザのような症状が出たため、PCR検査を受けていた。夫人の感染に伴い、トルドー首相も自宅で隔離した。

ソフィ夫人の感染を報告するトルドー首相のツイッター

3月14日から27日
カナダ各州、準州が次々に緊急事態宣言を発令

新型コロナウイルス感染拡大を受け、カナダの州や準州が緊急事態宣言を発令した。不要不急の外出が禁止となり、学校がオンラインに移行したほか、美容院やネイルサロン、図書館や美術館は休業。飲食店もテイクアウトやデリバリーのみとなり、必要不可欠の指定がない業種の店舗が休業となった。

3月18日
カナダ・アメリカ間で不要不急の渡航を制限

カナダBC州とアメリカ・ワシントン州との国境にあるピースアーチ。Photo by ©︎ Vancouver Shinpo
カナダBC州とアメリカ・ワシントン州との国境にあるピースアーチ。Photo by ©︎ Vancouver Shinpo

トルドー首相はカナダ・アメリカ間で不要不急の渡航を制限すると3月18日に発表した。3月16日にはアメリカ国籍者を除くカナダ国籍者以外の入国を禁止していた。

4月

4月6日
CERB(Canada Emergency Response Benefit)給付開始
カナダ政府は、新型コロナウイルス感染拡大の影響で、失業や事業の休業などで所得を失った国民を対象に月2000ドルの現金給付CERB(Canada Emergency Response Benefit)を4月6日に開始した。

4月18日~19日
ノバスコシア州で発砲事件

ノバスコシア州で4月18日から19日にかけて発砲事件が発生。22人が死亡、3人が負傷するカナダ史上最悪の銃撃事件となった。

ノバスコシアのRCMPはツィッターで発砲事件が発生しているとして、市民に自宅のカギをかけて、外出しないよう呼び掛けた。

5月

バンクーバーのダウンタウンで抗議運動に集まった人たち Photo © The Vancouver Shinpo
バンクーバーのダウンタウンで抗議運動に集まった人たち Photo © The Vancouver Shinpo

5月下旬
人種差別抗議運動、カナダでも

アメリカ黒人男性ジョージ・フロイド氏が5月25日、ミネアポリスで白人警官の暴行で死亡したことで起こった抗議運動。パンデミックの最中だったが、カナダの各都市でも行われた。バンクーバーでもマスクを着用して多くの人が集まった。

6月

6月1日
ブリティッシュ・コロンビア州で小学校~セカンダリースクール再開

BC州の小学校~セカンダリースクールは3月の非常事態宣言以降、オンラインでの学習となっていたが、6月1日から教室での授業を再開した。

7月

7月9日
トルドー首相の家族がWEチャリティから多額の報酬

自由党政権がコロナ対策の一環のCanada Student Service Grant(CSSG)プログラムをWEチャリティに委託した件で、同団体がトルドー首相の母親と弟に多額の講演料を支払っていたことが明らかに。トルドー首相は13日に謝罪した。

7月10日
ユネスコジオパークに東海岸2カ所が登録
ユネスコ世界ジオパークに、ノバスコシア州のファンディ崖郡とニューファンドランド&ラブラドール州のディスカバリーが登録された。

8月

8月18日 
カナダ初の女性財務大臣の誕生

ジャスティン・トルドー首相は辞任したビル・モルノー前財務大臣の後任にクリスティア・フリーランド副首相を任命。18日に就任式が行われ、カナダ初の女性財務大臣が誕生。副首相との兼任で名実ともにナンバー2となった。

8月24日
トランスリンクでマスク着用が義務化

バンクーバーの公共交通機関トランスリンクでマスク着用が義務化した。

9月

9月8日 
バンクーバー水族館が9月8日で閉館

新型コロナウイルス感染拡大の影響で休業していたバンクーバー水族館。資金面で大きな打撃を受け、6月に再開したものの9月8日に無期限の閉館となった。

Smoky Vancouver Sky, British Columbia on September 12, 2020; Photo ©︎ Vancouver Shinpo
真っ白なバンクーバーの景色。2020年9月12日。Photo ©︎ Vancouver Shinpo

9月12日
バンクーバーの空気が世界最悪レベルに
8月にアメリカのワシントン州、オレゴン州で発生した大規模な山火事の影響を受け、バンクーバーの大気の質が悪化。世界中の都市を対象に大気質の状態をランキングで発表しているIQAirで、バンクーバーが世界最悪もしくは2番目に悪い大気質にランクされた。

10月

BC NDP leader John Horgan after election; Photo from BC NDP flickr
BC NDP ジョン・ホーガン党首、投開票後の会見の様子。 Photo from BC NDP flickr

10月24日
BC州選挙はBCNDPが圧勝

BC州選挙は10月24日に投開票が行われ、BC新民主党(NDP)が圧勝。2期目となった。

10月26日 
サスカチュワン州選挙でサスカチュワン党が勝利

10月31日  
ケベックシティで男が2人を刺殺

ケベック州の州都ケベックシティで、ハロウィンの10月31日夜、日本刀のような刃物を持った男が、近くにいる人たちを切りつけ、2人が死亡、5人が負傷した。

11月

11月2日
カルガリー空港からの入国者に自己隔離短縮プログラム開始

アルバータ州(カルガリー国際空港とCoutts 陸路国境)で入国後の自己隔離期間が短縮されるプログラムが始まった。パイロットプログラムへの参加希望者は、要件を満たすこと、到着日の5日前から到着時までに登録することが条件となっている。

12月

12月9日
カナダ保健省、新型コロナウイルスワクチン承認

カナダ保健省が米ファイザーが独バイオ医薬品企業ビオンテックと共同開発した、新型コロナウイルスワクチンを承認。

12月14日
ワクチン接種開始

オンタリオ州とケベック州でファイザー社のワクチン接種が始まった。

BC州でもボニー・ヘンリーBC州衛生管理局長が22日にファイザー社のワクチン接種を受けた。

(取材 西川桂子)

日系文化センター博物館 開館20周年 しなやかな未来へ

両陛下にはグラッドストーン日本語学園の生徒より歓迎の花束が贈られた。Photo courtesy of Nikkei National Museum & Cultural Centre
両陛下にはグラッドストーン日本語学園の生徒より歓迎の花束が贈られた。Photo courtesy of Nikkei National Museum & Cultural Centre
バーナビー市にある日系プレース。Photo by ©︎ Vancouver Shinpo
BC州バーナビー市にある日系プレース。Photo by ©︎ Vancouver Shinpo

 ブリティッシュ・コロンビア州バーナビー市にある日系文化センター・博物館が2020年9月22日に開館20周年を迎えた。

 日系文化センタ―・博物館について、設立の経緯を含め、日系カナダ人や日本人、さらに地域の人たちの交流の場、日系カナダ人の歴史を伝える場としての歩みを振り返る。

 日系文化センタ―・博物館の開館当時の名称はナショナル日系博物館・日系ヘリテージセンタだった。

リドレス(補償)基金で土地を購入

 日系カナダ人は第二次世界大戦中、財産没収のうえバンクーバーから強制移動となった。カナダ政府が第二次世界大戦中と戦後、日系カナダ人に不正を行ったことを認め、補償(リドレス)に関する合意をしたのは1988年のことだ。

 その後、1992年に日系カナダ人リドレス基金のうち300万ドルが日系ヘリテージセンター協会に提供された。1993年に同協会がバーナビー市に3エーカー(約12平方キロメートル)の土地を購入。「新さくら荘」、「日系ホーム」とともに、「ナショナル日系ヘリテージセンター(当時の名称)」が建設されることとなった。

 日系文化センター・博物館が生まれた背景には、財産を奪われた上に強制収容となった日系人への補償金や、歴史が失われることがあってはいけないと考えて、プロジェクトを支援してきたボランティアたちの献身的な働きがあった。

待望のセンター開館

ナショナル日系ヘリテージセンターのオープンを祝って踊りが披露された Photo Courtesy of Nikkei National Museum & Cultural Centre
ナショナル日系ヘリテージセンターのオープンを祝って踊りが披露された Photo Courtesy of Nikkei National Museum & Cultural Centre

 土地を購入してから約7年後、2000年9月22日、日系カナダ人や日本人念願のナショナル日系ヘリテージセンターがオープンした。

 開館式は秋晴れの空の下、内田勝久駐カナダ日本国大使、連邦政府アジア太平洋地域担当国務大臣レイモンド・チャン氏、ブリティッシュ・コロンビア(BC)州政府からは多文化主義・移民大臣のスー・ハメル氏、バーナビー市ダグラス・ドラモンド市長、 リドレス財団議長を10年間務めたヘンリー・シミズ氏、ナショナル日系ヘリテージセンター協会会長ゴードン門田氏(いずれも当時の肩書)などが出席して行われた。

 また、ナショナル日系ヘリテージセンターの開館を記念して、「日系カナダ人補償運動回顧展」が開かれた。

日系文化センター建設委員会のサム・ヤマモト氏、リドレス財団議長ヘンリー・シミズ氏、ダグラス・ドラモンドバーナビー市長、内田勝久駐カナダ日本国大使、連邦政府アジア太平洋地域担当国務大臣レイモンド・チャン氏、ナショナル日系ヘリテージセンター協会会長ゴードン門田氏、BC州政府多文化主義・移民大臣のスー・ハメル氏、全カナダ日系人協会(NAJC)ケイコ・ミキ氏、ジョージ・オイカワ氏によるテープカット。(Photo Courtesy of Nikkei National Museum & Cultural Centre)

カナダと関係の深い高円宮妃久子さまもご訪問
(2000年から2009年)
 

 開館から2年を経た2002年12月、ナショナル日系ヘリテージセンターと博物館が合併。「ナショナル日系博物館・ヘリテージセンター」と一つの組織となった。

 2004年6月、高円宮妃久子さまが日系ヘリテージセンターをご訪問。

 高円宮家は故・高円宮憲仁親王がカナダのクイーンズ大学に留学されていたこともあり、憲仁親王が亡くなった今もカナダとの関係が深い。高円宮妃久子さまは何度かカナダを訪れ、日系ヘリテージセンターにも足を運んでいる。 

 2005年10月、博物館でバンクーバー朝日軍に関する展示『朝日軍遺産展覧会』開催。

 映画『バンクーバーの朝日』で日本でも知られるようになった、バンクーバー朝日軍(Vancouver Asahi)は、1914年から1941年まで、バンクーバーで活動していた日系移民の野球チームで、2003年にカナダ野球の殿堂入りした。

 展覧会には、元朝日軍メンバーのケイ上西さんもカナダ野球殿堂から受け取ったジャケットを着て出席した。このユニフォームは日系博物館に寄付されている。

日加修好80周年には天皇・皇后両陛下をお迎え

日系センター前では両陛下を一目見ようと多くの人が詰めかけた。Photo © 高橋百合 The Vancouver Shinpo
日系センター前では両陛下を一目見ようと多くの人が詰めかけた。Photo © 高橋百合/ The Vancouver Shinpo

 2009年7月に平成の天皇・皇后両陛下(現、上皇ご夫妻)がカナダを公式訪問した際、ナショナル日系博物館・ヘリテージセンターでもお迎えした。

 両陛下は戦前、戦中に厳しい状況に耐えながら、移住先の国の発展に尽くし、日本との友好親善の基礎作りにも多大の貢献をされてきた日系人に深い思いを持ち、カナダの日系人のことも気にかけてこられた(宮内庁資料より*)という。

 ナショナル日系博物館・ヘリテージセンターでは日系人代表を含む招待客120人が両陛下と謁見した。歓迎した人の中には、隣接する日系ホームや新さくら荘の入居者、日系プレースに入っているグラッドストーン日本語学園の生徒たちもいた。

より成熟した組織へ(2010年~)

 2010年以後も、ナショナル日系博物館・ヘリテージセンターでは、さまざまな日系コミュニティのイベントが開催され、重要なイベントの場所としての地位を確立してきた。

 2010年2月のバンクーバー五輪開催に伴い、バンクーバーに滞在した日本人アスリートらがナショナル日系博物館・ヘリテージセンターを訪れた。また、五輪に参加する全てのアスリートを折り鶴で応援しようという「5千羽鶴プロジェクト」を日系団体が企画した。できあがった5千羽鶴の除幕式は日系博物館・ヘリテージセンターで行われた。

 2011年9月、日系カナダ人コミュニティに貢献した個人や団体に感謝の意を表するための日系プレース・コミュニティアワード授賞式と、日系センターの活動への寄付金を募るディナーが初めて開催される。

カナダ人落語家の桂三輝さん(左)と第一回日系祭り実行委員会のジョシュ・カワードさん(右)© The Vancouver Shinpo
カナダ人落語家の桂三輝さん(左)と第一回日系祭り実行委員会のジョシュ・カワードさん(右)© The Vancouver Shinpo

 2012年6月、日系カナダ人強制収容70周年イベント、バスツアー。

 2012 年9月、名称を日系文化センタ―・博物館(Nikkei National Museum & Cultural Centre)に変更。2階に常設の写真展示、“Taiken: Japanese Canadians since 1877” ができる。

 2013年8月、第一回日系祭り。

 今ではすっかり夏の終わりの恒例イベントとなった日系祭りが初めて開催された。
 
 大ホールには屋台が並び、日本のお祭りの雰囲気たっぷり。また館内ロビーには子ども向けゲームコーナーが用意されて、大人から子どもまで楽しんだ。ステージではカナダ人落語家、桂三輝(サンシャイン)さんによる特別落語、太鼓、日本舞踊、獅子舞、神輿パレードなどさまざまなパフォーマンスが披露された。
 
 2013年9月、リドレス運動25周年を記念して、巡回展 “A Call for Justice: Fighting for Japanese Canadian Redress” が始まる。

 2015年7月、バーナビー市と釧路市の姉妹都市50周年レセプション。

 日系文化センターのあるバーナビー市と、釧路市が姉妹都市関係を結んで50年になるのを記念して、2015年にはさまざまな記念行事が行われた。7月7日から11日までは釧路市からの訪問団がバーナビー市に滞在。7月9日に日系文化センター・博物館でバーナビー市が主催する記念レセプションが開催され、両市の市議会議員や日系コミュニティ関係者などが出席した。

 2016年1月、イベントホール横に武道場新設。

 合気道、柔道、空手、居合道など、日本の武道団体も日系文化センターを利用している。武道場はこれらの団体にとっての長年の夢でもあったという。それまでは倉庫として使われていたエリアを56畳のたたみ敷きにリフォームした。また壁もガラスになったことで、外から見学できるようになった。

 2016年4月、着物ファッションショー開催。

 2019年4月、カナダポストが朝日軍の記念切手を発売。

 2019年7月、日系博物館が「カラサワ・ミュージアム」、「チャールズ・カドタ・リソースセンター」となってリニューアルオープン。

 カラサワ・ミュージアムは強制収容時代だけではなく、それ以前の時代、戦後の新世代の移民、リドレス運動など、過去から未来へとつながる展示している。チャールズ・カドタ・リソースセンターでは、学生や研究者のためにギャラリースペース、アーカイブ・エリアの拡張、資料のオンライン化なども行った。

「カラサワ・ミュージアム」としてリニューアルした際、オープン前に関係者らを招待。Photo © The Vancouver Shinpo
「カラサワ・ミュージアム」としてリニューアルした際、オープン前に関係者らを招待。Photo © The Vancouver Shinpo

 2019年8月、高円宮妃久子さま、日系祭りご臨席。

 日加修好90周年記念行事など臨席のためカナダをご訪問中の高円宮妃久子さまが、日系祭りに臨席される。第7回となったこのイベントには2日間で約14,000人が訪れた。

パンデミックの中で迎えた20周年

 日系文化センター・博物館にとっても、パンデミックの2020年は困難の年となった。新型コロナ感染拡大により3月には閉館となり、再オープンしたのは6月。再開後は、来館人数を制限するなど公衆衛生命令を守り、イベントについては、日系祭りはサマーアット日系ガーデンとし規模を縮小して開催した。

 当初は盛大なものを考えていた20周年記念式典も、関係者のみで、かつ人数を制限して祝った。 

 博物館では日系人の歴史に関する実物資料の収集や管理も行っている。『バンクーバー新報』の41年分の新聞も寄贈された。

 日系文化センター・博物館では「この困難な状況によって、逆境に負けない強さを発揮する機会も得た」として、「これまでとは違う形でプログラムの提供を続けて、世界規模のコミュニティにオンラインでつながりを広げていきたい」と意欲も示している。

 年明けに際して、パンデミックが収束して、これまでのように日系文化センター・博物館で多くの人が集まることができるようになる日が早く来ることを期待したい。 

Nikkei National Museum & Cultural Centre
6688 Southoaks Crescent, Burnaby, BC, V5E 4M7
Tel: 604-777-7000
Fax: 604-777-7001

*https://www.kunaicho.go.jp/activity/gonittei/01/gaikoku/h21northamerica/eev-h21-northamerica.html

(取材 西川桂子)

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「料理で華やかに迎える新年」在バンクーバー総領事公邸料理人竹内シェフに聞く

前菜盛り合わせ(赤飯と真鯛の塩麹蒸し、慈姑煎餅、生麩田楽、黒豆蜜煮、海老旨煮) Photo courtesy of Consulate-General of Japan in Vancouver
前菜盛り合わせ(赤飯と真鯛の塩麹蒸し、慈姑煎餅、生麩田楽、黒豆蜜煮、海老旨煮) Photo courtesy of Consulate-General of Japan in Vancouver

公邸料理人竹内シェフに聞くハレの日のおもてなし

 クリスマスから新年にかけてはパーティなど人と集まる機会が多い。行動規制で、2021年の年明けは例年とは異なるものになったが、プレゼンテーションやスタイリングに工夫をして、美味しい料理を楽しみ、新年を迎えるのはどうだろう。

 2021年の新年は新型コロナウイルス感染拡大の影響で会食などは予定されていないとのことだが、公邸料理人の竹内えみさんにこれまでの公邸でのお正月料理や、おもてなしでの工夫などについて聞いた。画像については新年のおもてなし以外のものもあるが、参考にしてほしい。

 まず、公邸で提供しているお正月料理について教えてください。
 公邸での料理は会食とレセプションになります。お正月らしさを出すために前菜に工夫をしています。たとえば、お節料理を代表する食材や、松竹梅や金粉など縁起のよいあしらいで演出します。

 金粉は日本から仕入れていらっしゃるのでしょうか。
 いえ、金粉はデザートで使う方も多いですし、カナダでも簡単に手に入ります。

 確かにフレンチなどでも、金箔をあしらったりしていますね。スペシャルティショップのような専門店を使っていらっしゃるのでしょうか。
 キッチンウェア専門のお店を使っています。レストラン関係者のみでなく、一般の方も利用できます。

 新年の時期の前菜は、どのようなものを用意されていますか?
 メニューはお客様がアレルギーがないかなどを確認してから決めます。問題がないようでしたら、数の子や黒豆といった普段は召し上がらないお節料理の食材を取り入れた献立をご用意します。

 公邸での会食は外交活動の一環として日本の食文化の発信の場でもあります。はじめの前菜でお正月(年中行事)を表現することによって、日本に興味を持っていただくきっかけになればと考えています。

 数の子(子持ち昆布)は塩抜きして、鰹と昆布の合わせ出汁とお醤油、みりんで仕上げます。

 芽が出る、出世するという縁起のよい慈姑(くわい)も、アジア系スーパーなどで手に入るので使います。煮物のイメージがあると思うのですが、薄くスライスして素揚げにするとポテトチップのような仕上がりで美味しく召し上がれます。(ページトップの写真)

 そのほか栗が手に入りやすいのできんとんも作ります。

 お肉料理でしたら、七という数字が入って縁起がよい七面鳥(Turkey)の挽肉を使って松風焼とか。こちらのミートローフに似たお料理です。

 またモモ肉(Thigh)はポーションが小さめで扱いやすので、塩麹に漬けて焼くと柔らかくて美味しいですし、おめでたいお料理としても映えます。

 塩麴は取り寄せていらっしゃるのですか?
 麹も手に入るので自分で作ります。2週間ほどで出来上がります。

 ご飯は赤飯だったりするのでしょうか。
 お赤飯よりも、ちらしお寿司や混ぜご飯でおもてなしいたします。今の時期でしたら蟹(カニ)やイクラで華やかさを演出して、さらに旬の柚子を添えて和の香りも楽しんでいただきます。

稲荷寿司(升盛り) Photo courtesy of Consulate-General of Japan in Vancouver
稲荷寿司(升盛り) Photo courtesy of Consulate-General of Japan in Vancouver

 以前、総領事館の公式YouTubeチャンネル*やフェイスブックで紹介させていただいたのですが、最近ではバンクーバーでも柚子を売っているお店があります。

 デザートはいかがでしょう?
 きな粉や抹茶を使って洋菓子を作ることもありますが、和を感じて頂ける様に金粉や和紙などを使ってお正月らしさを演出します。

抹茶ミルクプリン(金粉と白玉添え)Photo courtesy of Consulate-General of Japan in Vancouver
抹茶ミルクプリン(金粉と白玉添え)Photo courtesy of Consulate-General of Japan in Vancouver

 会食でなくレセプションでも、前菜でお正月料理を用意されるのでしょうか。
 年始のレセプションでもお正月を意識した演出をします。

 黒豆を松葉に刺してお料理に添えたり。取り分けやすいですし、見栄えもします。

 普段のおもてなし料理と違う点があれば教えてください。
 公邸には特にお正月用の食器があるというわけではないので、縁起の良い色の水引きや季節の草花を取り入れています。

 水引きなどは、日本から手に入れているのでしょうか。
 バンクーバーにも日本の食器や雑貨を扱う店があるので、10月から11月のうちに訪れて準備するようにします。使いたい色味の物が品切れになる前に早めに調達しています。

縁起の良い色の水引きや和紙でお正月を演出 Photo courtesy of Consulate-General of Japan in Vancouver
縁起の良い色の水引きや和紙でお正月を演出 Photo courtesy of Consulate-General of Japan in Vancouver

 お正月料理の食材を仕入れる際に困ることはありますか?
 お正月に限ったことではありませんが、仕入れが安定しないことです。食材が手に入らず、メニューを急きょ変更することも多いです。それから今年は新型コロナの影響で去年より食材の値段が高いように感じています。

 日本から取り寄せているものがあれば教えてください。
 豊洲直送の鮮魚や、バンクーバーでは手に入らない生麩などの加工品、それにスダチなどの柑橘類を取り寄せることもあります。生麩をまだご存知無いお客様も多いですし、ベジタリアンの方にも安心して召し上がっていただけます。

お造り(本鮪、甲イカ、スズキ、〜本わさびと生海苔添え〜) Photo courtesy of Consulate-General of Japan in Vancouver
お造り(本鮪、甲イカ、スズキ、〜本わさびと生海苔添え〜) Photo courtesy of Consulate-General of Japan in Vancouver

 あとは用途に合わせた竹串も取り寄せています。竹細工も日本を代表する伝統工芸品なので、文化紹介になります。

 串も工芸品なのですね。見慣れているので特別なものだとは思っていませんでした。

 本日はありがとうございました。一般家庭でも取り入れることができるアイデアも教えていただいたので、これからおもてなしの際には参考にさせていただきます。串についても次回、日本に行く際にはチェックしてみたいと思います。  

*https://www.youtube.com/watch?v=QqQrtTy6Nxw
(在バンクーバー日本国総領事館 公式YouTubeチャンネル)

(取材 西川桂子)

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BC州、大晦日の酒類販売・提供は8時まで

今年の大晦日はアルコールの提供は午後8時まで Photo © The Vancouver Shinpo
今年の大晦日はアルコールの提供は午後8時まで Photo © The Vancouver Shinpo

 ブリティッシュ・コロンビア州では、2020年大晦日の酒類の販売・提供は午後8時までとして、元旦の午前9時までは行わない。BC衛生管理局長ボニーヘンリ―博士が12月30日の定例会見で新たな公衆衛生命令の発出を行った。

 今回の命令では、レストランやバー、パブ、さらに酒類を販売するリカーストアやスーパーは、2020年12月31日は午後8時で提供を終了。また、店における酒類の消費は、客のみではなく、オーナーやスタッフも含めて午後9時までとする。

 この決定について、ボニー・ヘンリー博士は「イギリス(で広がっている)変異種がBC州でも見つかったことから、コミュニティでの新型コロナウイルスの拡散を制限するために、できるだけのことをする必要がある」ためと説明した。

 酒量が増えることでパーティが自然に盛り上がるリゾートについて、特に警戒しているという。

 BC州ではスキーリゾート、ビッグホワイトで新型コロナのクラスターが発生して、12月30日の時点で111人の感染が確認されている。

 



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オンタリオ州フォード首相がチーズケーキレシピを投稿

フォード首相がチーズケーキレシピを紹介するツイッターのスクリーンショット
フォード首相がチーズケーキレシピを紹介するツイッターのスクリーンショット Twitter of Doug Ford

 オンタリオ州のダグ・フォード首相がツイッターに母から教わったというチーズケーキのレシピを投稿している。

 ロックダウン中のオンタリオ州で、自宅で家族で行うアクティビティとしてデザートづくりを挙げ、Stay Safe, Stay Healthy (安全そして健康で)と呼び掛けた。

 レシピの日本語訳は次のとおり。

材料

フォード首相のチーズケーキの材料。ツイッターのスクリーンショット。Twitter of Doug Ford
フォード首相のチーズケーキの材料。ツイッターのスクリーンショット。Twitter of Doug Ford

材料

ホイップクリーム
Dream Whip® 3袋
牛乳 1/2 カップ(ビデオを観ると1パッケージに1/2Cの牛乳なので、牛乳は1.5C)

クラスト(ボトム)
グラハムクラッカー2箱
バター 半分
砂糖 1カップ

チーズケーキのフィリング
クリームチーズ3箱
アイシングシュガー 1カップ

チェリートッピング
チェリーパイフィリング2缶

作り方

1.Dream Whip® 3袋と牛乳1.5カップを泡だて器で混ぜる。
2.グラハムクラッカー2箱、バター半分、砂糖1カップを混ぜて、型の底に敷く。
 180度(350F)に予熱しておいたオーブンで15分焼く。
3.クリームチーズをパッケージから出して、耐熱皿にのせて電子レンジで1分。柔らかくする。
4.砂糖1カップと3、1をスムーズになるまで混ぜたら冷蔵庫に。
5..2が冷めたら、上に4をのせる。
6.最後にチェリーパイフィリングをのせてできあがり。

 フォード首相によると、このレシピを首相が10歳のときに母から教わったという。

 新型コロナウイルスの感染が拡大して、オンタリオ州では12月26日からロックダウンが始まった。ツイッターの投稿を見て、「どうやって買い物に行けばいいのか」「多数の州民がコロナで亡くなっている中、チーズケーキどころではない」などと厳しいコメントも挙がっている。

 フォード首相は5月にも同じレシピをツイッターに投稿している。

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BC州の新型コロナ感染状況、5日ぶりの発表

The Legislative Assembly of British Columbia, Victoria, Canada.
ブリティッシュ・コロンビア州の州都ビクトリアにある州議事堂。

 ブリティッシュ・コロンビア州衛生管理局長ボニーヘンリ―博士とエイドリアン・ディクス保健大臣が12月29日、共同会見を行い、5日ぶりで新型コロナウイルスの感染状況を発表した。

 BC州では23日に定例記者会見で感染状況を発表した後、24日は数字のみを発表していた。

 新たに感染した人の数は24日は582人だった後、25日512人、26日447人、27日424人、28日441人、29日382人を記録した。過去5日間では2206人だった。

  保健局別ではバンクーバーコースタルヘルスが378人、フレイザーヘルスが1,375人、アイランドヘルス44人、インテリアヘルス238人、ノーザンヘルス171人と、フレイザーヘルスでの感染者が依然として多い。

 現在378人が入院していて、うちICUに入っているのは80人という。また74人が亡くなった。

 Brookside Lodge、Rideau Retirement Residence、The Emerald at Elim Village、Heritage Square、Noric House、Chartwell Malaspina Care Residence、ノーザン・ブリティッシュ・コロンビア大学病院、バンクーバーゼネラルホスピタルの合計8カ所のヘルスケア施設で新たに感染が確認された。

 ワクチンについては、これまでに11,930人がファイザー社のワクチンの接種を受けていて、23日に承認されたモデルナ社のワクチンも今週中にBC州への到着が予定されている。

 モデルナ社のワクチンは現在のところ18歳以上の使用に限られるが、先に承認されたファイザーとビオンテックのワクチンのように摂氏マイナス70度で輸送、保管が必要ということはない。そのため都市から離れた地域でも、ワクチン接種が可能となる。

 

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今度はBCでコロナ変異種確認

Vancouver Airport, British Columbia; File Photo by Japan Canada Today
Vancouver Airport, British Columbia; File Photo by Japan Canada Today

 英国で広がっている新型コロナウイルスの変異種がブリティッシュ・コロンビア州でも確認された。BC衛生管理局長ボニーヘンリ―博士とBC州政府エイドリアン・ディクス保健大臣とが12月27日に連名で声明を出した。

 変異種への感染が確認されたのは、アイランドヘルス保健局の管轄に住む人で、12月15日、エアカナダ855便で英国からバンクーバーに到着した。この人物は隔離中に新型コロナウイルスの症状が出たため、すぐに検査を受け、19日に感染が確認された。

 さらに陽性と判明してから、濃厚接触者となる人たちも隔離していて、保健局が毎日フォローアップを行っている。BC州保健当局では、この変異種は従来種より感染力が強いとみられているが、重症化しやすいかどうかは分かっていない。

 変異種感染の確認を受けて、「BC州では来年1月6日までカナダ全体で英国からのフライトを全てキャンセルする決定を支持する」という。さらに、BC州民にはコミュニティやほかの州民の安全を確保するため、引き続き、不要な渡航は控えて欲しいと呼びかけた。
 
 新型コロナウイルスの変異種はオンタリオ州でも確認されたと12月26日に発表があった。

 英国からの便では、12月19日にもエアカナダ855便で新型コロナウイルス感染者がいたことが確認されている。

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オンタリオでコロナ変異種確認

 英国で広がっている新型コロナウイルスの変異種がオンタリオ州でも確認された。オンタリオ州保健当局が12月26日に発表した。

 変異種への感染が確認されたのは、トロント東のダラムに住む二人で、渡航歴や濃厚接触はない。二人は自己隔離中だという。

 オンタリオ州保健当局では、この変異種は従来種より感染力が強いとみられているが、重症化しやすいかどうかについてはまだ分かっていないと説明している。

 新型コロナウイルス感染拡大が続いているオンタリオ州では、26日から州全域でロックダウンに入った。また、カナダ政府は1月6日までイギリスからの旅客機の乗り入れを禁じている。
 
 また、オンタリオ州で新型コロナウイルスに新たにで感染した人は25日は2,159人、26日は2,142人を記録した。

 一方、カナダ保健省が新たに承認したモデルナ社のワクチンが24日に既にカナダに到着した。

 

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パンデミックでも安全に楽しく!  今年のホリデーシーズン

バンクーバーアートギャラリー前のクリスマスツリー © Tha Vancouver Shinpo
バンクーバーアートギャラリー前のクリスマスツリー © Tha Vancouver Shinpo

 多くの人が楽しみにしているホリデーシーズンも、今年はパンデミックにより例年とは異なるものとなっている。オンタリオ州全域で12月26日からロックダウンに入るほか、カナダ全国が何らかの規制下にある。

 ブリティッシュ・コロンビア(BC)州でも11月19日に一部地域で始まった行動制限・規制が、州全域に拡大して、期間も1月8日まで延長された。

 BC州政府の公衆衛生命令で、何ができるのか、あるいはできないのか確認するとともに、メンタルヘルスを含めた健康上の注意、ヘルプライン、一部ショッピングセンターでの感染対策を紹介する。

まずは健康第一!

 コロナ禍で最も重要なことは、外出せず自宅で待機しておくこと。新型コロナ感染が疑われる場合は、政府サイトのセルフアセスメント(https://bc.thrive.health/)を利用して、アドバイスにしたがう。

 ファミリードクターが休みでウォークインクリニックなどを探すときは、Health Link BCでも検索できる。
https://www.healthlinkbc.ca/services-and-resources/find-services

 あるいは811に電話をして相談することもできる。英語が苦手な場合は「ジャパニーズ・プリーズ」というと、無料の通訳サービスを利用できる。

メンタルヘルスでヘルプが必要な場合

  • 緊急の場合は9-1-1に電話するか、最寄りの病院の救急へ
  • 自殺願望がある場合(緊急ではないなら)1-800-SUICIDE (1-800-784-2433) に電話
  • メンタルヘルスの相談ができる電話番号310-6789
  • Crisis Centre www.crisiscentre.bc.ca(電話やオンラインチャット)
  • Here 2 Talk https://here2talk.ca/
    • ポストセカンダリースクールの学生向け。留学生も利用できる。アプリをダウンロードするほか、ウェブサイトにアクセスもしくは電話(1-877-857-3397)で相談
  • Foundry https://foundrybc.ca/
    • 12-24歳を対象としたメンタルサービス。電話、オンラインチャットなどバーチャルサービス、ドロップイン

コアバブルを確認しよう!

 今年のホリデーシーズンはコアバブルでお祝いと、「コアバブル」がキーワードとなっている。BC州ではコアバブルとは
・同居家族
・アパートなどをシェアしている場合は、同じ場所に住むルームメイトやハウスメイト
のこと。

 一人暮らしの場合は、住居が別のパートナー、親戚、友人をコアバブルとしてもいいが、同居以外の人は2人まで。例えば、一人暮らしの女性が、同様に一人暮らしの友人2人と過ごすのはOK。

 コアバブル以外の人を訪れるのも避けることが求められている。

 慢性疾患を持ち、新型コロナウイルスに感染すると重症化リスクが高いというヘレンさん(45歳)は、別居している22歳の娘とはクリスマスにも会わないという。「娘とは同居していないので、コアバブルではありません。主治医に相談したところ、会いたい場合は2週間前から娘に仕事を休んで自宅で隔離してもらっておくようにと言われました。娘は仕事を休みたくないというので仕方がありません。今年は我慢です」

 アパートで独り暮らしをしているグレースさん(87歳)は「娘が2人いて、一人は独身、もう一人は結婚していて、娘、つまり私にとっては孫たちと同居しています。いつもは孫がいる娘のところで、にぎやかにお祝いするのですが、今年は独身の娘と2人でクリスマスディナーを予定しています」という。

社交的集まりは屋外もNG!

  • 自宅での社交的集まりは庭など屋外も含めて禁止
  • リアルのイベントや社交的集まりは、ドライブスルー以外は禁止
  • 映画館、コンサートホール・劇場などの営業停止中
  • 宗教イベントや集まりもリアルでは1月8日までは停止。教会などではオンラインで行っている

日系の教会のオンラインサイト(一部)
バンクーバー日系人福音教会 Vancouver Japanese Gospel Church jpgospelchurch.com
バンクーバー日系人合同教会 Vancouver Japanese United Church https://www.facebook.com/VancouverJapaneseUnitedChurch/

今年は地元で楽しもう

 BC州内およびカナダ国内、海外への不要・不急の移動は避けるようにという勧告がでている。レクリエーションやバケーションとしての旅行は不要の移動になる。

 ブリティッシュコロンビア州疾病管理センター(BCCDC)ではスキーやスノーボードを楽しむ場合はローカルのスキー場を勧めている。バンクーバーに住んでいる場合はサイプレス、グラウス、シーモアで楽しもうという。

 今年はスキー場は利用者数を制限するために、チケット予約制にする、マスク着用、リフトの相乗り制限などの安全措置を取りながらオープンしている。クラスターが発生したビッグホワイトは1月9日まではローカルのみの利用となり、既に予約をしていたゲストに100%返金などの措置を行った。

一体、何ができる?

近所のクリスマスライトを見に行くのも一案 © The Vancouver Shinpo
近所のクリスマスライトを見に行くのも一案 © The Vancouver Shinpo

せっかくの冬休み。では一体何ができるのだろう。 BCCDCはリスクの低いアクティビティとして

  • 同居家族のみと室内でのお祝い
  • プレゼントの交換は家の前にドロップオフまたは離れた状態で
  • 近所を散歩してクリスマスライトを楽しむ

を提案している。

屋外および屋内でのアクティビティ

 パンデミックの間も、連邦政府の保健省やBCCDCなどでは、ココロと身体の健康のためにも外で過ごすこと、アウトドアアクティビティを勧めてきた。

 ホリデーの間もフィジカルディスタンスやそのほかの注意事項を守って、大人数で集まることさえなければ、家族以外と散歩・ウォーキング、サイクリング、スノーシューに出かけてもよい。

 アウトドアのほうが安全で、屋内でのエクササイズのほうがリスクが高いとしている。また、高強度インターバルトレーニング(HIIT)、ブートキャンプ、キックボクシングといったハイ・インテンシティつまり負荷の高い運動は避けるということで、ジムでのクラスもほとんどがキャンセルされている。

 一方、一部、室内プールやスケートリンク、ゴルフコース、ドライビングレンジは営業している。

コミュニティセンターや市営プールなどの営業状況

・バンクーバー市
https://vancouver.ca/parks-recreation-culture/holiday-hours-for-recreation-facilities.aspx#fitness-centres

・リッチモンド市
https://www.richmond.ca/safety/COVID-19/covid-affected-services.htm

・バーナビー市では子ども向けのダンス、体操、大人向けのエクササイズをオンラインで公開している。
https://www.burnaby.ca/City-Services/Public-Safety/Novel-Coronavirus–COVID-19-/Online-Activities—Learning/Be-Active.html

ボクシングウイークの買い物

 混みあうボクシングウィークの買い物も避けたほうがよさそうだが、一部ショッピングモールでは対策も行っている。

パシフィックセンターモール
・営業時間を8:00 amから9:00 pmに延長することで、混雑緩和を図っている。

・ピークの時間帯を避けることを勧めている。

・セールやプロモーションの内容はウェブサイトでも確認できる。
https://www.cfshops.com/pacific-centre/promotions.html

メトロタウン
・一部店舗でオンラインのバーチャルラインナップで入店の時間帯を選ぶことができる。予約すると、QRコードが届くので、予約した時間帯にそのコードを利用して入店する。
https://metropolisatmetrotown.com/en/services/lineupinfo/

・カーブサイドピックアップ

 Best BuyやLondon Drugsなどでも、インターネットでオーダーして駐車場でピックアップする「カーブサイドピックアップ」も利用できる。

レストラン利用の注意

 テーブルは6人まで。ほかのテーブルの人のところに行って話しかけたりしない。たとえばトイレを利用するなど、テーブルから離れる際にはマスクを着用。

移動の際の注意

 不要・不急の移動は避ける。

車で移動する場合
同居家族と移動(同居家族以外と一緒に移動しない)
・休憩は最低限にして、できるだけ行き先に直行する

 BCフェリーは行動制限・規制に従い1月8日までは不要の移動は避けてほしいと、12月8日に声明を発表。この命令により予約をキャンセルする場合は予約料金が返金される。

タクシーを使用するとき
・マスク着用 ・可能であれば窓を開ける
・後方座席に座り、運転手とは距離をおく

(取材 西川桂子)

クライアントがコロナ感染…「もしや」が「やはり」に(体験談) 

covid19 testing site @central park
ブリティッシュ・コロンビア州バーナビー市セントラルパークのPCR検査所

~軽症で済んだものの、同居の親が心配だった~

covid19 testing site @central park
ブリティッシュ・コロンビア州バーナビー市セントラルパークのPCR検査所

 11月に新型コロナウイルスに感染したという20代男性にその体験について聞いた。男性はバンクーバー市内のフィットネスジムでパーソナルトレーナーとして教えている。職場での感染だったとみられていて、幸い軽症ですんだという。

 男性は現在、60代の両親と同年代の従兄と暮らしている。


 パンデミックが始まってから男性が勤務しているジムでも、入館前には体温をチェック、サニタイザーを各所に設置、器具も定期的に消毒するなどの対策を取ってきた。ただしマスク着用は勧めているものの任意で利用者の中には付けていない人も多い。

 感染が分かった状況を教えてください。どのように感染したか分かっていますか?

 職場での感染です。クライアントから感染の連絡があり、濃厚接触者になるのでバーナビーのセントラルパークに、ドライブスルーでのPCRテストを受けに行きました。

 結果が出る前に味覚と嗅覚がなくなったのに気が付いたので、恐らく自分も感染していると思っていたら、やはり陽性でした。クライアントから連絡があったときから隔離しました。

 陽性の連絡はどのような形で来ましたか

 電話連絡でした。テストを受けたときの説明では結果は24~48時間で分かるということでしたが、僕の場合は早くて4時間ほどで電話がありました。テストを受けた当日、私がその日の3人目ぐらいだったから早かったのかもしれません。

 保健所からの電話の内容について教えてください。

 陽性であったとの結果連絡と体調について聞かれました。私の場合は熱や咳もなく、味覚と嗅覚がないだけでしたので、自宅で隔離しながら、様子を見るようにと言われました。

 症状が出たときから10日間、隔離するように、また濃厚接触者についても、僕から連絡して検査を受けて結果が出るまでは隔離してもらうようにということでした。幸い感染していたのは職場関係で僕のほかは二人。友人や同居の家族は陰性でした。

 フォローアップの電話はありました?

 隔離中に体調についての確認と、2回目の電話では濃厚接触者に連絡をしたかと聞かれました。

 隔離の間、どのように過ごしましたか?

 テレビゲームをしたり、テレビを見て過ごしました。あとは部屋で筋トレと、とにかくあちこち消毒しまくっていました。感染が分かってまず手に入れたのは、アルコール消毒グッズでした。

 10日間隔離ということでしたが、隔離終了の際にPCRテストを受けたのでしょうか?

 いいえ、受けていません。受けるようにという指示はありませんでした。

 終了する日の保健所からの電話で体調について確認がありました。嗅覚と味覚が戻ってきていて、熱や咳もなかったというと、隔離終了していいとのことでした。あっけなくて、ちょっとびっくりしました。

 ちょうど公衆衛生命令が出て、規制が厳しくなったときなので、ジムも閉まっていましたし、そういうこともあって特に細かい指示がなかったのかとも思いましたが、よく分かりません。

 感染が分かって最初に思ったのが、「ジムの他のクライアント、家族や友人にうつしていたらどうしよう?」でした。みんなの結果が出るのを待っている間が辛かったです。大丈夫だったということで心底ホッとしました。

 親は若くないですのでコロナに感染したらきついかもしれません。仲の良い友人の50歳の親戚が、コロナ感染が分かって3日後に亡くなったという話を聞いたばかりだったのでゾッとしました。親戚の人はカナダではなくフィリピンにいるということですが、それでも怖かったです。家族や友人はテストを受けてから結果がでるまで、仕事を休まなければならなかったので申し訳なかったです。

 それから食べるのが好きなので、味覚が戻ってきたときも嬉しかったです。隔離中、ネットでいろいろ調べて、なかなか戻らないという人の話も読んだので心配しました。隔離中は暇なので、ネットでいろいろ調べて、悪いことを想像してしまいがちです。

 軽症で、そしてご家族や友人が感染していなくてよかったですね。ありがとうございました。

 (取材 西川桂子)

 

第104回 『ふっと死ぬ前に…』6

グランマのひとりごと

~グランマのひとりごと~

空腹の後のおいしさ、
寒い冬の後の春、
暑い夏の後の秋
辛さの奥にある喜び 泥水を栄誉として咲く蓮の花 正観

 義弟夫婦が引っ越し、たまらなく淋しくなった。ある朝早~く、誰かがドアを叩く。開けると隣家のMrs.アルバートだった。

 ポット1杯のお湯を持って『澄子、今朝この辺一帯停電なの、ストーブが使えないから、キャンピングカーでお湯沸かしたから使ってね』と。外は雪だ。皆、優しい。

 3月末、日本の親友が娘の小学校卒業連絡と同時に、その娘チロちゃんがカナダ留学希望だから預かってくれと言ってきた。

 そして、チロちゃんは日本から一人でやって来た。受け入れ校は我が家からバスに乗り、地下鉄に乗り、又バスに乗って行く遠―い所だった。

 しかし、彼女は頑張った。毎日一生懸命通学し、2人の娘達とは徹底して日本語で話し、3人は日本語が日常会話となった。 

 ある日、警察から電話があった。「ええっ、万引き!」チロちゃんの身柄を引き取りに来いと言うのだ。慌てて、バスに乗り、地下鉄に乗って言われた地下鉄駅内の大きな「薬局&雑貨屋」へ行った。そこで、チロちゃんが丸く細長い包装紙を脇下に抱えたままレジを通り過ぎつかまったと説明をされた。

 モントリオロールの冬は誰もが厚着だ、オーバーの袖下に何か挟んでも感覚はない。多分、買うつもりでわきに抱えたが、店内を歩いているうちに、それを忘れ、ボーっとレジを素通りし捕まった。不運な事に彼女はお金を持っていなかった。

 そこで店員がポリスを呼んだ。しかし、チロちゃんは泣かなかった。弁解もしない、そして、その後もしっかりと学校で勉強を続けていった。東京から一人12歳の少女が地球の反対側へ来て長期留学。勇気もあるし、色々な意味で聡明な子だった。

 カナダで中学高校卒業、帰国後、直ぐに東京外語大学へ入学していた。

 グランマは仏語学校で数ケ月勉強したが、それで仕事が出来る様にはならず、就職難を理由にマギール大学の英語科の試験を受け英語の勉強を始めた。

 開講第1日目、教室の中央通路の脇席に座った。見ると周りは皆白人、数人は牧師の制服を着ている。ヨーロッパからの移民が多いようだ。教室出入口は後方だ。そろそろ講師が来る頃、日本語なまりの英語でクラス確認をしている女性がいた。

 「あっ、日本人!」。通路を歩いて来た彼女がすぐ脇に来た。彼女の上着の裾を引っ張り、隣席に座らせた。

 これが美人シャキシャキ大阪は船場の娘、真理子さんとの出会いだった。モントリオールでの3年間に出会った日本人と言えば、この真理子さんと有名商社に勤めるその夫だけだ。3年間しっかり良い友達でいてくれた。

 そして、政情は子ども達を英語の公立学校入学させることさえ新しい規則が出来、難しくなってきた。

 チロちゃんは他の知人を頼ってバンクーバーの学校へ転校して行った。

 私達は家を売却しアパートへ移り、何時でもバンクーバーへ越せる用意をし、夫は仕事を続けていた。

 結局、私はこの3年間就職はせず、移民前に考えていた仏語と英語の勉強をし、3人目の子供の出産。長女と12年間の年齢差がある男の子が生まれた。

 9月の新学期に間に合うように、夫を後に、私は一足先に3人の子供とバンクーバーへ向かった。義弟夫婦と再会を喜び、その数日後、どうしても母に会いたいと3年ぶりの東京へ行った。

 「どこへ住んでも、色々問題はある。」そして、香港も、モントリロールも良い、東京も大好きだ。何がこの先、バンクーバーで私達を待って居るのだろう。

 

グランマ澄子

***

 好評の連載コラム『老婆のひとりごと』。コラム内容と「老婆」という言葉のイメージが違いすぎる、という声をいただいています。オンライン版バンクーバー新報で連載再開にあたり、「老婆」から「グランマのひとりごと」にタイトルを変更しました。これまでどおり、好奇心いっぱいの許澄子さんが日々の暮らしや不思議な体験を綴ります。

 今後ともコラム「グランマのひとりごと」をよろしくお願いします。

My Experience at a Japanese Funeral

Japanese Funerals Picture © The Vancouver Shinpo
Japanese Funerals Picture © The Vancouver Shinpo

What is it actually like to attend a Japanese funeral? Discover what a young Canadian, whose mother is Japanese but was born and raised in Canada, found out by attending a funeral in Japan.

***

Recently, my Japanese grandfather passed away. While this situation in itself was already depressing, it was made worse by COVID-19, as few were able to visit him before he passed. However, as I am currently residing in Japan, I was able to attend his funeral.

It was not only my first time attending a Japanese funeral, but it was my first experience at a funeral at all. And, as I was born and raised in Vancouver, B.C., I grew up with a Western idea of funeral traditions (mostly influenced by American films and TV). Consequently, I wasn’t totally sure what to expect at a Japanese funeral. To be frank, I was quite anxious about it; what if I accidentally do something that is culturally insensitive or rude? How am I supposed to act at a Japanese funeral? What are the procedures?

Fortunately, I had a family by my side to guide the way. Nevertheless, I would like to share my experience and thoughts with you as a half-Japanese Canadian at a Japanese funeral.

Part 1: Prep

First, I had to research what to wear to a Japanese funeral. Luckily, Google is filled with resources.

Through my research on Google, I discovered that wearing jewelry was discouraged, but women can wear a string of pearls. What I found interesting was that, at the funeral, all the older women (of my grandfather’s generation) wore pearl necklaces, but the younger women did not. I am still not sure whether I should attribute this to age differences or wealth differences.

Other dress code guidelines were very similar to Western funerals, with both men and women wearing black. While the article I read recommended that women wear a plain black skirt that reached below the knees paired with black stockings, there were women wearing black dress pants.

Part 2: The Ceremonies

There were many aspects to my grandfather’s memorial service that differed from (my impression) of Western funerals. For instance, before the wake, I took part in a mini-ceremony in which we transferred my grandfather’s body into his coffin.

In that mini-ceremony, we scattered green tea leaves into his coffin (so he can go to heaven surrounded by a nice aroma), as well as some other leaves meant for protection. We then surrounded my grandfather’s face with flowers and filled his coffin with travelling gear, including his favourite hat.

At the end of that mini-ceremony, each person dabbed a bit of water onto my grandfather’s lips using a leaf, the significance being that it was his last drink of water. However, my mother told me that under her family’s Buddhism school (Jodo Shinshu), this was not traditional.

While the wake and funeral ceremonies were not too different from Western ceremonies, I couldn’t help but notice the androcentrism of Japanese culture, as my uncle and his entire family were of higher priority than my mother. Nevertheless, I was not too shocked, as I was aware of this aspect of Japanese culture.

What I remember most from the funeral ceremony was the ending, when the staff of the memorial hall cut off all the flowers from the vases, and the guests were instructed to grab bunches of flowers at a time and surround my grandfather’s body with them. By the end, he was almost entirely covered, his face barely discernable. Many family members were crying at this point, stroking his face, and saying their final goodbyes. I recall finding this custom, and the way my grandfather was being celebrated, to be incredibly beautiful.

Part 3: Cremation

The next portion of the memorial service was the one I was anticipating (and to some extent, dreading) the most: the cremation ceremony.

Now, my mother had described this Japanese funeral custom to me a couple of years ago. This custom consists of close family members picking at the bones of the deceased’s cremated ashes using chopsticks. Her family would then send some of the bones to a local temple, where the bones would be combined with several others and formed into a statue of the Buddha.*

When I first learned about this custom, I was shocked. I was also slightly alarmed, and to some extent, disturbed. However, I then visited one of the temples with the Buddha statues. After seeing the crowds of people visiting the Buddhas, and knowing that this meant the lives of so many were still being celebrated long after their deaths, my perspective of this tradition changed. While I used to feel appalled, I now admire it greatly; I find this tradition beautiful.

Nevertheless, I was anxious about participating in this custom. My experience was as follows: upon entering the room with my grandfather’s recently cremated body, we were all given long, cooking chopsticks.

On a stone platform laid my grandfather’s skeleton. I remember being able to feel the heat from the cremation emanating from the platform. There was around one-half to two-thirds of his skeleton left, with his leg bones, hip bones, spinal column, and jaw being most prominent. I remember the position of his skeleton, with his head pulled back, skull missing, and jaw pointed towards the ceiling, to be slightly distressing.

A man then guided us in the cremation process. First, he looked for the laryngeal prominence located in the neck. We then started picking at my grandfather’s bones, starting from the bottom of his body (at his feet) to the top. The guide instructed us to pick at specific bones; starting with my uncle, everyone picked up a couple of bones using the chopsticks and transferred them to a jar.

What was truly interesting was my family members’ reactions to my grandfather’s skeleton. While the funeral ceremony was filled with tears and grief, it was now filled with curiosity. I even recall someone pointing out his hip replacement.

Part 4: 49 Days

After all the ceremonies were completed, the memorial hall staff set up an altar at my grandfather’s house. It was to remain up for 49 days, i.e., the amount of time it takes for his spirit to get to heaven. During those 49 days, someone had to sleep in his house, as he was not to remain alone.

What I found most interesting about this custom was that the dolls and figurines in the room containing the altar were covered. They explained that, as these dolls are empty, my grandfather’s spirit was prone to attaching to them. So, covering them was a preventative measure. I couldn’t help but think that this sounded like the tropes often used in horror films.

After 49 days, we held the burial ceremony. As the COVID-19 cases had significantly escalated in Japan during that time, this ceremony was limited to me and four others. A priest first visited my grandfather’s home. We then proceeded to the cemetery, where my grandfather’s ashes were placed in the base of the family tombstone.

In Conclusion,

While I was initially shocked upon learning some Japanese funeral customs (specifically, the ones relating to the cremation procedures), I have since come to greatly appreciate and admire them. Overall, while my grandfather’s funeral was filled with sorrow and grief, it was also filled with love and respect. And this is the custom of funerals around the world, regardless of culture: to celebrate the life of the deceased.

*The webpage of the temple, which shows pictures of Buddha statues with bones/ashes. https://www.isshinji.or.jp/nokotsu.html

(by Mia L. )


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