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Naomi Mishima

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「秋澄む*喜びあふれて寿の茶」

カナダde着物

第52話
*フォーマルな留袖 華やかな訪問着*

 秋の兆しが見え始めるころ、収穫祭やハロウィーンなどのイベントが続き、空からの強い光や楓の深紅色が鮮やかに彩られ、とても豊かな気持ちになります。

 市中の山居(*1)と思わせる新渡戸稲造記念庭園は、紅葉と濃翠の苔が秋の澄んだ空気と合わさり、訪れる私たちをなつかしい世界へ誘ってくれます。

 目に映る風景は二度と同じものはないでしょう。
 日々変わる庭と私の「一期一会」のようです。
 皆さまも訪れてみてはいかがでしょうか。

「新渡戸稲造記念庭園 2023」コナともこ
「新渡戸稲造記念庭園 2023」コナともこ

*今日の着物*Today’s Kimono

喜びを表す華やかな留袖と訪問着

 私たちは普段着として洋服を着ていますが、人生の節目に着物を選びたくなります。着物はハレの日をお祝いするのに相応しい華やかさと厳粛さを持ち、その場を演出する効果もあるからでしょうか。

 女性の正装は黒留袖(第一礼装)、色留袖(五つの紋は第一礼装)、訪問着(準礼装)があります。(*2)
 男性は黒紋付袴姿(第一礼装)、色紋付袴姿(準礼装)となります。(*3)
 色留袖は、家紋の数が増えますと、ぐっと格が上がります。
 五つの紋が入りましたら、黒留袖と同格になり親族の結婚式や披露宴、勲章授章式や表彰式にふさわしい装いとなります。

 私には可能性が低そうですが、日本人の方々が文化勲章やノーベル賞の授与式に和装姿で参加してくだされば、世界に誇れる着物の魅力をもっと伝えることができるかと思います。

「記念茶会での着物は*紋付色無地*菊錦紋袋帯 レセプションでの着物は*花車刺繍紋付色留袖*秋華袋帯」コナともこ
「記念茶会での着物は*紋付色無地*菊錦紋袋帯 レセプションでの着物は*花車刺繍紋付色留袖*秋華袋帯」コナともこ

*今日の和の学校*Today’s Gathering

カナダで茶道を伝承し続け60年、茶道裏千家淡交会バンクーバー協会60周年記念行事と茶会

 素晴らしいお天気に恵まれた、初秋の佳日。UBC敷地内にあります新渡戸稲造記念庭園に、記念茶会へ参加する人々が集まりました。
 庭園で散歩をしていた人々は、何かあるのだろうかと思いながらも「Beautiful Kimono!!」と声をかけていました。
 訪れた日本庭園で沢山の着物姿の人を見られた観光客のみなさんは、とてもラッキーでしたね。

 この日、庭園内にあります茶室「一望庵」では、茶道裏千家淡交会バンクーバー協会の記念茶会が行われていました。
 カナダで茶道や日本文化の継承にご活躍されている先生方や協会メンバーが、茶道を通じての出会いや経験を思い出しながら、それぞれが想う一服をいただきました。

 私は協会のメンバーになり20数年になります。カナダ人の夫と生後7か月の長女との生活がバンクーバーで始まった頃「カナダに住んでいても日本の文化を愉みたい」と当時キツラノエリアにありました、裏千家バンクーバー出張所の門をたたきました。

 3人の娘の世話をし、途中からは仕事をしながら茶道のお稽古へ通うことは、なかなか至難でした。
 それでも着物に着替え、家から離れ毎週お稽古に向かうことは、一個人に戻る時間であり、自分を育てる場所だったのだと思います。

 そのようなお稽古場をご提供してくださり、片付けもせず子供の迎えの時間になると、そそくさと帰る私を受け入れてくださった先生方や先輩方に感謝しております。

 記念行事の茶席中、今は亡き協会のメンバーの皆さんの顔が浮かび「ちょっと座って飲んでいきなさいな」という声が思い出されました。
 その当時の私は慌ただしい日々を送っており、お抹茶を点てる時のスピードが早いので「せかされて、心臓がドキドキしちゃうわ~。」とよく言われたものです。
 せっかちなのは変わっていませんが、少し考えて行動できるようになっているような…気がします。

 今は娘たちから手が離れ、私の人生の第2ステージがスタートしております。
 今度は私が子育て中の皆さんを応援する番となりました。

 裏千家バンクーバー協会のこれからの発展を願い、次世代の皆さまが茶道や日本文化にもっと興味を持っていただけるよう、私も微力ながら手伝いができましたら幸いです。

「新渡戸稲造記念庭園 茶道裏千家淡交会バンクーバー協会60周年記念茶会 2023年10月7日」茶道裏千家バンクーバー協会
「新渡戸稲造記念庭園 茶道裏千家淡交会バンクーバー協会60周年記念茶会 2023年10月7日」茶道裏千家バンクーバー協会
「茶道裏千家淡交会バンクーバー協会60周年記念茶会 一望庵 庭から 2023年10月7日」Natalie Yozhik
「茶道裏千家淡交会バンクーバー協会60周年記念茶会 一望庵 庭から 2023年10月7日」Natalie Yozhik
「茶道裏千家淡交会バンクーバー協会60周年記念茶会 一望庵にて 2023年10月7日」コナともこ/Natalie Yozhik
「茶道裏千家淡交会バンクーバー協会60周年記念茶会 一望庵にて 2023年10月7日」コナともこ/Natalie Yozhik

 今回写真を提供してくれたナタリーさん(Ms. Natalie Yozhik)は、ウクライナ出身で今年の春にご主人とカナダへ移民してきました。カナダに来る前は、中国と日本に住んでいて、写真家の活動以外にもダンスや映像関係のお仕事をされていました。
 今回の記念行事とお茶会では、裏千家淡交会バンクーバー協会60周年のために、ボランティアで写真撮影を担当してくださいました。
 日本文化に興味があり、お寺の和の学校では七五三の写真撮影も始めました。日本語も勉強中です。
 https://www.instagram.com/cameragirl_natyo/

(*1)市中の山居<しちゅうのさんきょ>
 室町時代、侘茶の流行にともない、市中にありながら山住まいを思わせるような車室が作られるようになり、当時それらは「市中の山居」と呼ばれた。

(*2)黒留袖、色留袖、訪問着
 女性の正装であり、格の高い着物の種類である。

(*3)黒紋付袴、色紋付袴
 男性の正装である。染抜きの五つ紋が入った羽織と袴は仙台平が最上級となる。

参照
日本の行事・暦:http://koyomigyouji.com/index.html
きもの大辞典:https://www.someoriren.jp/dictionary/index.html
晴れ着の丸昌:https://www.hareginomarusho.co.jp/contents/irotomesode/222/
男のきもの大全:https://kimono-taizen.com/kind3/

「着物語り」
コナともこさんが着物の魅力をバンクーバーから発信する連載コラム。毎月四季折々の着物やカナダで楽しむ着こなしなどを紹介します。
2020年8月から連載開始。第1回からのコラムはこちらから

コナともこ
アラフィフの自称着物愛好家。日本文化の伝道師に憧れ日々お稽古に励んでおります。
13年前からコキットラム市の東漸寺で「和の学校」を主宰。日本文化を親子で学び継承する活動をしております。

年間を通じて季節の行事に加え、お寺での初参り、七五三祝い、十歳祝い、元服祝い、二十歳祝い、結婚式、生前葬、お葬式などの設えと装いのお手伝いもさせていただいております。

*詳しくはコナともこ までお問い合わせ下さい。tands410@gmail.com
東漸寺は非営利団体で、和の学校の収益は東漸寺の活動やお寺の維持の為に使われています。

カナダ人の夫+社会人と大学生の3人娘+老犬1匹(昨年末、虹の向こうへ)がおり、バンクーバー近郊在住。

和の学校ホームページ https://wanogakkou.jimdofree.com/
インスタグラム https://www.instagram.com/wa_no_gakkou_tozenji/
フェイスブック https://www.facebook.com/profile.php?id=100069272582016

東漸寺Tozenji Temple https://tozenjibc.ca/

コナともこ
Facebook https://www.facebook.com/tomoko.kona.98
Instagram https://www.instagram.com/konatomoko/?hl

 

GK高丘の好セーブで最終戦引き分け、プレーオフ第一戦はLAFC

 試合終了間際に超満員の会場がどよめいた。際どいシュートをGK高丘が好セーブし、今季レギュラーシーズン最終戦は引き分けに終わった。すでにプレーオフ進出を決めていたバンクーバー・ホワイトキャップスはLAFCとのこの最終戦が順位を決定する一戦だった。

10月21日(BCプレース:25,146)

バンクーバー・ホワイトキャップス 1-1 ロサンゼルスFC

ホワイトキャップスは15分にペナルティキックのチャンスを得るものの、Gauld(#25)が失敗して先制の好機を逃した。LAは34分にゴールを決め0-1として前半を終えた。後半に入り、58分にホワイトキャップスAhmer(#22)が決め同点に。その後、2度目のPKのチャンスにまたもGauldが失敗。試合はそのまま引き分けに終わった。ホワイトキャップスはシーズンを6位で終え、プレーオフは3位のLAFCと対戦する。

最終戦は良いセーブも出たが、勝てなかったのは悔しい

終盤LAの猛攻をかわすキャップスのディフェンス陣とGK高丘。ロサンゼルスFC戦。2023年10月21日、BCプレース。Photo by Koichi Saito
終盤LAの猛攻をかわすキャップスのディフェンス陣とGK高丘。ロサンゼルスFC戦。2023年10月21日、BCプレース。Photo by Koichi Saito

 超満員のレギュラーシーズン最終戦。強敵LAFCとの一戦は互角に見えたが、試合が進むにつれてホワイトキャップスのプレーが上がっていった。

 試合序盤についてVanni Sartini監督は選手たちの動きはなんとなく「ゆっくりだった」ようだと振り返った。そんな中で「陽平が好セーブを見せた」と監督が語ったように、GK高丘が随所に見せた堅い守りで相手に勝ちを与えなかった。

 高丘自身も「良いセーブが何個かできた」と振り返った。ただ失点について「あれを止めていかないと自分自身いけないなと思って。正直に悔しい結果かなと思います」と勝ち点3が取れなかったことを悔しがった。

 今季はここまでレギュラーシーズンはアウェイでの1試合を除いて、フル出場という活躍を見せた。10月4日セントルイス・シティSC戦、7日シアトル・サウンダーズ戦は無失点に抑えた。「初めてMLSに来て 1 年間通して戦ってみて、もちろん良い時もありましたし、なかなか勝ち点を積み重ねることができない時期もあったり、自分のプレーも自分が思ってるように発揮できない時期もありました」と振り返った。それでも、継続して試合に出場し「トライ&エラー」を繰り返しながら成長を実感。Jリーグとは違うMLSのサッカーを肌で感じ、研究しながら、「徐々にですけど、アジャストできたかなと思いますし、レギュラーシーズンが終盤になるにつれて、僕自身もパフォーマンスが上がってきてるなっていう実感があるので」と遠慮がちに自信をにじませた。

 次はアウェイで昨季MLSカップ優勝チームとプレーオフ第一戦を迎える。「LA のアウェイで戦うっていうのはそんなに簡単なものではないので、しっかり僕らも準備して僕らなら良い選手も揃ってますし、自信を持っていまプレーすることができてるんで、しっかり自分たちがやるべきことをちゃんと出せれば上に進めるかなと思います」と次の戦いを見据えた。

Sartini監督、歓声に「ウルっときた」

 試合開始早々にSartini監督の契約2年延長がスクリーンに大きく紹介されると、ファンから大きな拍手が起きた。

 会見で監督は「会場で紹介された時にはちょっと感情的になった」と照れながら話した。「本当のことを言うと涙をこらえていた」と笑った。「私にとって、チーム、ファン、そしてバンクーバーとの関係は特別なもの」と語り、チームは自分に高いレベルでの監督機会を与えてくれ、ファンは「いつも一緒に喜んでくれる存在」と、これからまた2年間一緒にチームを盛り上げていけることを喜んでいた。

 Sartini監督は2021年8月に暫定監督としてチームを率い、そのシーズンにもプレーオフ進出を果たした。昨季から監督に就任。チームは9位に終わりプレーオフを逃したものの、今季は6位と躍進し、最終戦に勝利すれば4位以内の可能性もあった。

 イタリア・フローレンス出身で、とにかく明るい。今季は高丘選手が入団したことで「日本語を勉強中」と機会があるごとに「こんばんは」と日本語で話しかけてくる。

 会見では、今後2年間も楽しみだが、「まずはこれからの数週間がとても楽しみ」と語り、「なにか特別なものを見せられたらと思う。そしたら、泣いても大丈夫かな」と笑った。

ホワイトキャップス・プレーオフ日程https://www.whitecapsfc.com/

ロサンゼルスFC戦、2勝先取

第1試合(ロサンゼルス)10月28日(土)5:00pm(PST)
第2試合(BCプレース)11月5日(日)4:30pm(PST)
第3試合(ロサンゼルス)11月9日(木)7:00pm(PST)第1、2試合で勝者が決まらなかった場合に開催。

Sartini監督、飛び入り参加の試合後インタビュー。2023年4月29日BCプレース。

(取材 三島直美/写真・動画 斉藤光一)

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バンクーバー日系人合同教会からのお知らせ

  • 教会日曜日日本語礼拝の案内

毎週日曜日午前11時より教会礼拝堂で行い、礼拝の後、軽食をいただきながら親睦の時を持っています。クリスチャンでない方も留学、ワーキングホリデーで来られた方も大歓迎です。 Zoom (ID 5662538165、パスコード1225)と教会Facebookに紹介されたのYoutubeで オンライン参加もできます。

  • 11月12日(日)午前11時は、天に召された家族、友人を覚えてのバイリンガル特別礼拝を行います。礼拝に参加される方は、亡くなった方の写真をお持ちください。礼拝の中で名前を唱えお祈りします。
  • シニア・初心者ラインダンス 毎週土曜午前11時から12時 会費$1、ダンスの後、軽食(実費)をいただきながら交流の時を持ちます。
  • Zoomで聖書を読む会(火曜、水曜)があります。
  • ダウンタウンイーストサイドでサンドイッチ等の手渡し:木曜日午前9時から教会でサンドイッチとコーヒーの準備、10時半から11時の配布のボランティアをしてみませんか?(場所はカーネギーコミュニティーセンタ―横)
  • Zumba Classの紹介 金曜日午後5時45分から7時、Drop-in $9 Instructor: Kayo Echizenya,  問い合わせ 778-858-8938, instragram @Kaya_Zumba
  • 結婚、葬儀、その他の人生相談をお伺いします。
  • 12月24日(日)午後11時にクリスマス礼拝を行います。皆様のご予定に入れてください。

お問合せ:604-618-6491(テキスト可)、vjuc4010@gmail.com  牧師 イムまで

住所:4010 Victoria Dr, (Between 23rd and 25th Ave East), Vancouver

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サレーNorthwood 合同教会 日本語会衆 礼拝

11月19日(日)午後2時より。

住所:8855 156 St, Surrey, BC, V3R 4K9

お問い合わせ:604-618-6491(テキスト可)イム、kuniokazaki98@gmail.com 岡崎まで 

青森県の伝統工芸「津軽塗」と現代の日本社会を描いた映画『バカ塗りの娘』鶴岡慧子監督インタビュー

鶴岡慧子監督、バンクーバー市内で。2023年10月5日。Photo by Koichi Saito/Japan Canada Today
鶴岡慧子監督、バンクーバー市内で。2023年10月5日。Photo by Koichi Saito/Japan Canada Today

 第42回バンクーバー国際映画祭(10月8日閉幕)で、「バカ塗りの娘(英題:Tsugaru Lacquer Girl)」が4日と6日に上映された。本作は、青森県唯一の国指定文化財「津軽塗」がテーマ。伝統工芸を世界にアピールすることを目的として、映画製作のためのクラウドファンディングが立ち上げられ、昨秋、青森県弘前市で撮影された。原作は髙森美由紀著「ジャパン・ディグニティ」。

 「過ぐる日のやまねこ」(2014)、「まく子」(2019)など、物語の登場人物たちの感情の機微、その土地ごとの自然美を映像表現に落とし込むことに定評のある鶴岡慧子(つるおか・けいこ)監督の最新作。

 映画のタイトルとなった「バカ塗り」は漆塗りの作業工程の多さを表している。何十回も塗っては研いでを繰り返す、手間をかけて丁寧に作られたという意味だ。

 主人公の青木美也子(堀田真由)は、江戸時代から続く伝統工芸「津軽塗」を継承する弘前市に住む一家の娘。美也子の祖父は過去に文部科学大臣賞を受賞した「津軽塗」の名匠・清治(坂本長利)。現在は介護施設に入所していて、美也子は父・清史郎(小林薫)と二人暮らし。自宅にある作業場で子どもの頃から兄のユウ(坂東龍汰)と共に「津軽塗」に親しんできたが高校を卒業後、スーパーでアルバイトをしながら自分のやりたいことが見つからず、自分に自信が持てずに日々を過ごしている。

VIFF2023 上映作品「バカ塗りの娘」より。Courtesy of VIFF
VIFF2023 上映作品「バカ塗りの娘」より。Courtesy of VIFF

 そうした日々の中、父が作業をする姿に「津軽塗」への思いが募っていく。父と離婚をした母(片岡礼子)、美也子が通勤中に見かける花屋の青年(宮田俊哉)、心温かい近所に住む吉田のばっちゃ(木野花)など、青木家に関わる登場人物たちが次第に美也子の生き方を変えていく。さらに少子高齢化問題、現行法では認められない同性婚など、伝統工芸と青木一家を取り巻く現代の日本社会の課題も浮き彫りにする。こうした数々の困難な課題に直面しながら「津軽塗」と向き合う家族のあり方を通して、伝統を守り続けていくことの尊さが描かれている。

 映画の舞台、弘前市の映像美も物語を盛り立てる。「津軽富士」と称され日本百名山の一つ岩木山、弘前城のお堀の桜、四季折々に色を変える津軽平野も見どころだ。

 上映後のQ&Aや各社取材のために来加した鶴岡慧子監督に話を聞いた。映画上映後の観客からは津軽塗や日本社会の問題を取り上げた今作についての質問があった。

4日の上映後、観客から監督へ質問

上映会後のQ&Aセッションで会場からの質問に答える鶴岡監督(左)。バンクーバー市VIFF上映会場で。2023年10月4日。Photo by Koichi Saito/Japan Canada Today
上映会後のQ&Aセッションで会場からの質問に答える鶴岡監督(左)。バンクーバー市VIFF上映会場で。2023年10月4日。Photo by Koichi Saito/Japan Canada Today

 映画の中でBGMがなく約12分間に渡る父と娘の作業風景の映像のみのシーンがある。漆にヤスリをかける音、塗料を混ぜ合わせる音だけが上映会場に響き渡る中、津軽塗の持つ艶やかさ、作業音の心地よさなどが会場に響き渡り、バンクーバーの映画ファンが弘前市に来て作業工程を眺めているような没入感があった。

 上映後の客席から伝統工芸「津軽塗」をどのように学び、映画の脚本を仕上げたか問われた監督は「何人かの職人さんに会いました。中でも(青森県弘前市原ケ平の「松山漆工房」)松山継道さんに大きなヒントをもらいました。劇中で美也子と父親が自宅で繰り返し眺める祖父の作品を作ったのが松山さん。撮影に入る前に継道さんは亡くなってしまいましたが、松山さんの息子さん夫婦が遺志を継いで、ピアノを塗ったり、映画の製作にご協力いただきました」と撮影当時を回顧した。

 また、俳優のうち誰か津軽塗をマスターしたかという質問には「(津軽塗は)ものすごい数の工程があるので全てをマスターするのは(映画の撮影期間では)無理ですね」と、簡単ではないからこその「津軽塗」の魅力を語った。

 さらにQ&Aの司会者から、現代の日本の問題を描いていたのが印象的だったと言われ「今の日本にはたくさんの問題があります。深刻な不景気、少子高齢化が背景にあり、小学校は廃校していくけれど老人ホームは急増しています。(また同性愛者を描いているが)同性愛についても不寛容な国です。同性婚が認められていません。伝統工芸をテーマにしていますが、舞台として現代日本を描かなければいけなかったですね」と説明した。美也子がピアノを塗るシーンがあるが「原作ではもう少し伝統的なカラーですが、さまざまな色があっていいんだよ、という思いを込めてカラフルな色をつけたかったんです」と本作での同性愛者の登場人物への思いを込めたことを明かした。

VIFF2023 上映作品「バカ塗りの娘」より。Courtesy of VIFF
VIFF2023 上映作品「バカ塗りの娘」より。Courtesy of VIFF

 さらに、家を出ると決意した兄に対して父がきつくあたっていた印象があったが「(親が娘と息子と衝突してしまう場面は)今の日本では映画より優しくないです。父親や周りの人が素直に受け入れることができるようになっていくまで時間がかかります」。日本における年代、性別による価値観の違いも今作で描かれている。

 津軽塗を守りながらそこに生き続ける難しさ、故郷を離れていく人の複雑な内面と共に現代の日本社会の課題を描いた筋書きに観客は関心を寄せていた。

鶴岡慧子監督、来加単独インタビュー

 鶴岡監督がバンクーバーを訪れるのは2度目。学生時代に監督した映画「はつ恋」が第32回バンクーバー国際映画祭でタイガー&ドラゴン賞にノミネートされた。5日のインタビューでバンクーバーの観客の反応について聞くと「リアクションが大きいことがうれしい。一つ一つ反応してくださるので、伝わったと思いうれしい」と笑顔で語った。

インタビュー中に笑顔を見せる鶴岡監督。バンクーバー市内インタビュー会場で。2023年10月5日。Photo by Koichi Saito/Japan Canada Today
インタビュー中に笑顔を見せる鶴岡監督。バンクーバー市内インタビュー会場で。2023年10月5日。Photo by Koichi Saito/Japan Canada Today

 4日にはVIFF Ignite High School programの高校生向け上映会も開催された。そのことについて「高校生とは鑑賞を一緒にしなかったので、反応はわかりません。日本語を学んでいるクラスの皆さんが鑑賞したと聞いているので(語学の勉強として)参考になったと思います。津軽弁だからちょっと難しかったかもしれませんが」。また「(関係者から)先週まで雨だったと聞いたのですが、着いてからずっと快晴で、滞在先の周辺(ロブソン周辺)を散歩しました。紅葉がきれいでした」と会期中晴天に恵まれたことを喜んでいた。

「やり続けること」

 鶴岡監督は大学卒業後、東京藝術大学大学院映像研究科で映画を専攻した映画一筋のキャリア。それに対して本作の主人公・美也子は自信がなく、やりたいことを言葉にできない性格。監督のキャリアとは真逆の設定だが、セリフがないシーンでも内面を表情から表現させていた。脚本を執筆時にイメージ像はあったか聞くと「私が参考にしたのは地元に残ることを決めた友人たち。誰かというよりはいろんな人をイメージしました。彼女たちは彼女たちなりの価値観でそこに住むことを選択している。誰かから押し付けられたのかもしれないし、そうではないかもしれない。そういった生身の人たちを思いながら美也子像を作りました」

 現在、神戸芸術工科大学映像表現学科で教員をしている鶴岡監督。学生には「続けていけばどうにかなる」と、映画に登場する主人公の祖父・清治が津軽塗について「やり続けること」と美也子に語りかけるセリフにも通じる言葉で背中を押している。「高校を卒業しても自信がない女性が日本には多いです。家のこともでき、頼まれたことを一通りできるのに、できて当たり前、できないと恥ずかしいという感覚がまだ日本にはあります。そんな女性が自信を持って(津軽塗に)取り組んでいく姿を伝えたいと思っていました。原作は美也子の一人称で、迷いはあるがしっかりした女性として描かれていますが、映画にする際には生身の人間が演じるので、もっとぼやっとして機転が利かないという女性像にすることで物語の奥行が出るよう意識しました」と話す。今の自分ができることに自信を持ち、継続することの大切さを本作でも伝えている。

弘前市の皆さんと一緒に作った映画

 撮影を通して「津軽塗」についての新しい発見は「初めは前時代のものだと思っていました。江戸時代からあるものなので、固い世界だと。でも、弘前市で職人の方々と出会い、話しを聞く中で、身近に感じるようになっていきました。漆でできたアクセサリーなどもあり、おしゃれ。今日もつけています」と胸につけた光沢のある津軽塗のブローチを見せてくれた。

 今作は「職人さんをはじめ、たくさんの現地の方々がボランティアで参加してくださった。人々が持っているリズムを映画にしようと思いました。弘前市の皆さんと一緒に作った映画です」と充実した撮影期間について振り返った。

 「ほかの作品でも地方で現地の方と撮影をして、一緒に作品を作り上げていくことに喜びを感じます。多くの方が関わり自分の存在が小さくなるほどうれしい」

 長い歴史を持つ伝統工芸の魅力や地元の景観、地元の人たちとの関わりを重視し、生身の人物像に近づき、映像化することに挑んだ鶴岡監督。バンクーバー国際映画祭で上映された日本人監督の作品は計6作品。その中で「バカ塗りの娘」は唯一日本の地方都市を描いた作品でもある。本作では同性愛を受け入れられないながらだんだんと答えを見出していく登場人物たちの様子なども描かれた。カナダ全国で同性婚が認められるようになったのは2005年。日本とは異なる性に対する社会の認識がある。伝統工芸の持つ美しさと共に、それらを継承する尊さ、その地に息づく現代の日本人のさまざまな葛藤がバンクーバーの会場で観客に届いたか。映画上映とQ&A後に起こった満席の会場からの大きな拍手がその答えだろう。

上映会後の鶴岡監督へのQ&Aセッションの様子。中央に鶴岡監督。バンクーバー市VIFF上映会場で。2023年10月4日。Photo by Koichi Saito/Japan Canada Today
上映会後の鶴岡監督へのQ&Aセッションの様子。中央に鶴岡監督。バンクーバー市VIFF上映会場で。2023年10月4日。Photo by Koichi Saito/Japan Canada Today

(取材 生沼未樹/写真 斉藤光一)

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「ブライアン・アダムス」音楽の楽園〜もう一つのカナダ 第16回

 10月も下旬に差し掛かり、オタワは晩秋です。紅葉もピークを過ぎ、葉が落ちて来ました。夏の間は、市街地の至る所に見かけた自転車愛好家も随分と減りました。いよいよ冬が近づいて来ました。という訳で、今月はホットな気分になるべく、今もバリバリ現役のブライアン・アダムスです。

はじめに

 ブライアン・アダムスは、1959年生まれで、今年64歳。ビートルズの「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」には、リンゴ・スターが歌った「When I’m Sixty-Four」という隠れた名曲があります。そこでは、64歳は、髪も薄くなり、草むしりをし、孫と戯れる老人を象徴する年齢として描かれています。実際、世の中には、そんな方々は大勢いらっしゃると思います。が、ブライアン・アダムスは、そんなイメージを微塵も感じさせません。若々しく、エネルギーに満ちています。

 最新盤「ソー・ハッピー・イット・ハーツ」は、新型コロナの真っ最中に制作を始められました。感染爆発の難しい環境下でしたが、しっかり完成させ、22年3月に発表されました。全12曲、39分のロック&ポップは、親しみやすく、ポジティブな極上の時間です。何とも言っても、ブライアンの声が健在なのが嬉しいです。少々ザラついたハスキーさは、低音から高音域まで芯が強く、正確な音程です。ブライアン・アダムスを聴くと、感動の正体とは、旋律、歌詞、アレンジ、歌唱力、そして声の5つが完璧に溶け合って最大化された音楽の力なのだと気付きます。決して、奇を衒った事はしてません。シンプルです。かつて、アインシュタインが「真理は単純にして美しい」と言ったことを思い出す程です。

外交官の息子

 ブライアン・アダムスは、成功したアーティストの例に漏れず、活動の拠点は米国ですが、カナダで生まれ育ち、カナダで芽が出て、カナダで研磨されたアーティストです。そして、移民国家カナダならではの家庭環境が彼を生み出しました。

 まず、ブライアンの両親は、1950年代に英国プリマスからカナダに移住しました。父コナルド・J・アダムスは、英陸軍士官学校出身の将校で、カナダ移住後にまずカナダ陸軍に入り、国連PKO監視員を務めた後に、カナダ外務省に移り、外交官として活躍した人物です。そんな両親の下、ブライアンは、1969年11月5日にオンタリオ州キングストンで生まれます。

 そして、外交官の息子ブライアンは、幼少期にはリスボン、ウィーン、テルアヴィヴ、ロンドンで暮らします。各地のインターナショナル・スクールで多感な時期を過ごします。知らず知らずのうちに、誰もが違う面を持ち、多様な価値がある事を受け入れるようになっていたことでしょう。中学生になる頃にオタワに戻ります。その頃までには、ブライアン少年は完全に音楽の虜となっています。ディープ・パープル、CCR、レッド・ツェッペリン、Tレックス、エルトン・ジョン、そしてハンブル・パイといった1970年代初頭のロックの王道を聴き倒します。

 初めてエレキ・ギターを買ったのは、ロンドン近郊のレディングで1970年の事です。フェンダー・ストラトキャスターのコピー・モデルでイタリア製だったといいます。本物のストラトは11歳の少年にとっては高嶺の花ですが、ディープ・パープルの核リッチー・ブラックモアの大ファンとしては、アームを使ったトレモロ奏法に憧れたのだと思います。そして、2台目のエレキ・ギターは、12歳の時に、オタワの廉価ショップで購入したレスポールのイミテーション・モデルです。或るインタヴューで「その頃、ハンブル・パイの『ロッキン・ザ・フィルモア』にのめり込んでいた。このバンドの2人のギタリスト、スティーブ・マリオットとピーター・フランプトンは両者ともギブソン製レスポールを弾いていたので、レス・ポール・モデルが欲しくてたまらなかった」と述べています。 1971年当時のオタワは、カナダ建国100年を超えて、首都機能を充実させていました。各国大使館があり、国際色豊かではあっても、ロック少年にとっては退屈な街だったでしょう。それでも、ブライアン少年は中学生にしてロック・ミュージックへの情熱が半端なく燃え盛る訳です。

プロへの目覚め〜バンクーバー時代

 転機は、1974年にやって来ます。父がオタワの外務省から在外勤務へ転勤することになります。世界中の外交官は、本省と在外公館とを往復する生活を送っている訳ですが、家族には家族の様々な事情もあります。この時のアダムス家は、父親が単身赴任して、母とブライアン少年そして弟ブルースの3人はノース・バンクーバーへ引っ越します。ブライアン少年は、芸術系も充実しているアーガイル高校へ入学します。ここまでは、何処にでもある話です。

 翌年1975年、ブライアン少年は高校を中退します。音楽活動に専念する訳です。「ショック」という名のバンドを結成。両親が将来の大学進学に備えて蓄えていた教育資金を切り崩し、グランド・ピアノを購入します。投資と言えば投資ではあります。但し、将来に対する何の保証も無い訳です。ブライアン少年には、どんな未来の自分の姿が見えていたのでしょうか?軍人から外交官に転じた父は、息子の青春をどんな思いで見ていたのでしょうか?とても興味深いところです。ロック・ミュージックへの熱い思いのみで高校中退してからビルボード誌チャート上位に喰い込む1983年1月に至るまでの7年余は、1人の音楽少年が世界に羽ばたくまでの青春の物語です。地図のない旅路と言えるでしょう。

 さて、音楽の道を歩み始めたブライアン少年ですが、極めて限られた収入しか無い訳です。生活費を賄うために、ペット・フード販売等々のアルバイトに精を出さざるを得ない時期もあったといいます。それも16歳の少年にとっては楽しき日常生活の冒険だったのかもしれません。その頃、地元バンクーバーのプロ・バンド「スゥイニー・トッド」のリード・ヴォーカルに迎えられます。そして、「ロキシー・ローラー」というシングル盤をリリース。1976年9月18日付ビルボード誌トップ100チャートの99位にランクインします。快挙です。普段は、バンクーバーの下町のパブ等で演奏しているローカル・バンドです。この曲の成功で、ブライアンを擁するスゥイニー・トッドは、カナダ版グラミーとも言うべきジュノー賞の最優秀新人バンド賞に輝きます。17歳の誕生日を前に、輝かしい未来の一端が垣間見えたに違いありません。

 そして、1978年1月、バンクーバーでの運命的な出会いが起こります。18歳のブライアンは、ダウンタウンの「ロング&マッケード楽器店」で、たまたま遭遇した友人からジム・ヴァランスという人物を紹介されます。ジムは、当時25歳。作曲家にして「プリズム」というカナダ全土で人気のあったバンドのドラム奏者でした。別のバンドに属していましたが、2人は意気投合します。ジムこそ、ブライアン・アダムスの眠れる才能を開花させるのです。

 初めて、ジムの自宅スタジオを訪れたブライアンは、2人でジャム・セッションをした際の、ジムの力量に舌を巻きます。ドラムを録音し、その上にベースを重ねるだけで、音楽の骨格が浮かび上がるのです。一方、ジムは、ブライアンの歌と曲づくりのセンスに脱帽します。2人は、作詞作曲のチームを結成します。ジョン・レノンとポール・マッカートニーの出会いを彷彿させます。数学では1+1=2ですが、音楽は1+1>2になり得ます。時には、10にも100にもなります。ブライアンとジムには無尽蔵の曲想が湧きます。ジムの人脈で、レコード会社とソング・ライティングの契約を結びます。頂上への第1歩です。キッス、ティナ・ターナー、ジョー・コッカー、カーリー・サイモン、ニール・ヤング、ボブ・ウェルチ等々への楽曲を提供です。これが起点となって、遂に、A&Mレコードとアーティスト契約を結びます。A&Mと言えば、カーペンターズやジョージ・ベンソン等を擁するメジャーの一角です。但し、契約額は1ドルでしたが。それでも、無名の19歳の視野に未来が入って来た瞬間です。

離陸と雌伏

 1979年11月、ブライアンとジムは、バンクーバーとトロントのスタジオでブライアンのデビュー・アルバムの録音に取り組みます。ジムは、ドラム、ベース、キーボード、ギターを弾き、プロデュースも担当。八面六臂でブライアンを支えます。ゲスト・ギタリストにドゥービー・ブラザーズで名を馳せたジェフ・バクスターも名を連ねます。僅か1か月足らずで全9曲、収録時間31分11秒の音盤を完成させます。遂に、1980年2月「ブライアン・アダムス」がリリースされました。ジャケットも熱いです。シングル・カットされた「愛の隠れ家」はビルボード誌チャートで43位まで上がります。が、セールスも批評も芳しくありませんでした。

 この時、ブライアンは弱冠20歳。ともかくメジャーのA&Mからデビューです。ビルボード誌にもチャート・イン。デビュー盤を引っ提げてカナダ各地で公演して回ります。勿論、まだまだ知名度は低く、スタジアムではなく繁華街のクラブ等のドサ回りです。それでも、このカナダ国内ツアーがブライアンを鍛え抜きます。

 翌81年7月、第2弾音盤「ユー・ワント・イット、ユー・ガット・イット」を発表します。デビュー盤が多重録音に頼り過ぎた点を反省して、ケベック州モリン・ハイツのスタジオ・ライブの形式で録音されました。ブライアン・アダムスの特徴である臨場感たっぷりの音楽に仕上がります。が、またしてもセールス面では惨敗です。

 メジャー・デビューを飾ったものの、21歳のブライアン、そしてチーム・メイトのジムは、確実にロックとポップの核心に迫っているものの、未だ世界の聴衆を掴み切れていません。世界中の才能が覇権を目指し集う北米マーケットの競争は苛烈を極めます。ブライアン、雌伏の時代です。そんなブライアンを励まし育んだのはカナダの大地と其処に住む人々です。

成功

 1982年8月、ブライアンは、彼の音楽的原点であるバンクーバーで新作に取り組みます。エアロスミスやボン・ジョヴィ、AC/DCらも録音した西海岸最高峰のリトル・マウンテン・サウンド・スタジオで3か月間に渡り、録音。10月には、ニューヨークのパワー・ステーション・スタジオにて最終的なミックス・ダウンが行われました。ジャケット・デザインもちょっとアイドル然とした戦略的ポップ路線です。そして、83年1月、第3弾音盤「カッツ・ライク・ナイフ」がリリースされます。ビルボード誌アルバム・チャート8位、カナダのRMP誌アルバム・チャート8位と大成功です。そして、翌84年「レックレス」は、米・加・NZのチャート首位、全世界で1200万枚を売り上げます。シングル・カットされた6曲が全てビルボード誌チャートの15位以内に入ったのは、マイケル・ジャクソン「スリラー」、ブルース・スプリングスティーン「ボーン・イン・ザ・USA」に匹敵します。

 この後は、現代ロック・ポップの歴史です。

結語

 ロックの世界で走り続けるのは、飛び抜けた才能、強固な意志、健康の3拍子が揃った上で、聴衆の支持が不可欠です。ブライアン・アダムスにはそれらが揃っています。ブロードウェイ・ミュージカル「プリティ・ウーマン」も制作。創造力は留まるところを知りません。これまでの大ヒット曲を改めて録音した「クラシック」とその第2弾「クラシック・パート2」も発表しました。ロック・フレイバー溢れるジャケット写真は、ブライアン自身の撮影です。改めて、40年に及び発表して来た楽曲の素晴らしさを実感します。

 カナダの生んだ生けるレジェンドです。

(了)

山野内勘二・在カナダ日本国大使館特命全権大使が届ける、カナダ音楽の連載コラム「音楽の楽園~もう一つのカナダ」は、第1回から以下よりご覧いただけます。

音楽の楽園~もう一つのカナダ

山野内勘二(やまのうち・かんじ)
2022年5月より第31代在カナダ日本国大使館特命全権大使
1984年外務省入省、総理大臣秘書官、在アメリカ合衆国日本国大使館公使、外務省経済局長、在ニューヨーク日本国総領事館総領事・大使などを歴任。1958年4月8日生まれ、長崎県出身

第5回 さくっと簡単に出来る終活 その2 ~Let’s 海外終活~

終活は新しい大人のマナー

叶多範子

10月に入り、秋がますます深まっていますね。私の周りでは、この素晴らしい季節を日本で過ごすために一時帰国する人が多いです。紅葉が始まり、街は色とりどりに染まってくる頃です。秋ならではの美味しい食べ物や行事も多い時期ですね。

前回の記事では、簡単に出来る方法の1つとして「大切な人たちを繋いでおく」をご紹介しました。海外に住む私たちは、まずは自分の身近な人たちを繋いでおくことの大切さと、その理由を紹介させていただきました。

今回は、え?こんなことも終活??と思われる(かもしれない)ことを2つご紹介したいと思います。

>>簡単に始められる海外終活<<

2−1.  感謝の気持ちを、日頃から伝えておく

  • 相手が生きているうちに、気持ちが伝わるうちに
  • 自分が元気なうちに、伝えられるうちに

​​ささいなことでも、日頃から感謝の言葉が自然にすぐに出るという人も多いと思います。

「いつも迎えにきてくれて、ありがとう」
「美味しいご飯をいつもありがとう」
「一緒に謝ってくれて、ありがとう」
「練習に付き合ってくれて、ありがとう」

感謝されて照れくさい人はいても、嫌な気持ちになる人はいないでしょう。

なまいきざかりで口ごたえも多いティーンの息子2人と、たまにわからずやになるだんながいる我が家でも、いまでも心がけているのは、朝出かける前に口論や喧嘩をしないこと。憎まれ口を叩きながらでも、お手伝いをしてくれたら、文句を言いたくなるのを堪えながらでも、私からお礼を言うようにしています。たまに「ありがとうは?」と私から催促することもあります。

一日の始まりに喧嘩したままだと、ずっとむしゃくしゃした気持ちになりますし、「いってきます」といった人が、「ただいま」と帰ってきてくれなかったら、「ごめんなさい」という機会を永遠に失い、きっとずっと後悔すると思うからです。

それと同じように高齢の両親へも、感謝の気持ちを伝えたいと思いつつ、照れくささもあって、なかなか出来ないことが多いので、これも自分への戒めとして気をつけて伝えるように努力しているところなので、あまり偉そうには書けないのですが。

2−2. 自分大好き!自分にありがとう!!

上記の「ありがとう」を伝えるとき、自分もその中に入っていることに気づかれたでしょうか?この世に生を受け、山あり谷あり、さまざまな試練や悲しみを乗り越えてきた自分。今まで頑張って生きてきた自分を褒めて受け入れ、自分自身にも「ありがとう」を言ってみましょう。

何もわざわざ鏡の前に立ち、自分自身に向かって「ありがとう」と言う必要はありません。この文章を読みながら、「私ってすごいな」「頑張ってきたな」と思いながら、心の中で自分に感謝の言葉を贈ってみてください。このときに「私、俺なんて、、」とか「そんな誇れるもんじゃないし、、」「大したことしてないし、、、」という肯定感の低い前置きは不要です!

まず大切なのは、どんなときもあなた自身が自分の理解者であり、味方であり、価値ある愛すべき存在であることを認識することです。これが​抵抗なくできたら、きっと自然にご両親やご先祖さま、周りの人への感謝の念が湧いてくるでしょう。そんなことも終活の1つなのです。

*このコラムは終活に関する一般的な知識や情報提供を目的とするものです。内容の正確さには努めておりますが、必要に応じてご自身で確認、または専門家へご相談ください。

「Let’s海外終活~終活は新しい大人のマナー」の第1回からのコラムはこちらから。

叶多範子(かなだ・のりこ)

海外終活アドバイザー

「なんの準備もなく、認知症になられて困った!」、「終活をせずに亡くなったため、わからないことだらけ!争いが起きた!」という人を少しでも​​減らしたいという思いから終活アドバイザー資格を取得。特に海外に住んでいる日本人の方を対象とした、あなたと大切な家族のための「海外終活」を学べる講座や相談会の詳細は、ブログやフェイスブックでご確認いただけます。

ブログ: https://globalmesen.com/
Facebook: https://www.facebook.com/noricovancouver

終活の基礎知識がさらっと学べる、書籍「海外在住日本人のための50代からの終活」を出版しました。
書籍(アマゾンカナダ):​​https://a.co/d/fjF2nfD

家族はカナダ人の夫+息子2人+猫1匹、バンクーバー在住。

Line公式: https://line.me/R/ti/p/%40490fuczh
その他SNS: https://lit.link/norikocanada

アートで日加交流「都市と文化を見つめるTOKAS とケベック州との交流記念展」東京で開催

ジャン=マキシム・デュフレーヌ&ヴィルジニー・ラガニエール《フクロウ》写真 90 x 60 cm 2019。写真提供:トーキョーアーツアンドスペース
ジャン=マキシム・デュフレーヌ&ヴィルジニー・ラガニエール《フクロウ》写真 90 x 60 cm 2019。写真提供:トーキョーアーツアンドスペース

 トーキョーアーツアンドスペース(TOKAS)で、都市と文化を見つめるTOKAS とケベック州との交流記念展「TOKAS Project Vol. 6 『凪ぎ、揺らぎ、』」が開催されている。

 ケベック州政府在日事務所設立50周年と、TOKASとケベック州との本格的な交流5周年を記念したこのイベントでは、ケベック州拠点のアーティスト3組、モントリオールのセンター・クラークで滞在制作したアーティスト1人の作品を展示している。

 トーキョーアーツアンドスペース(TOKAS)は、2001年に開館、「海外のアーティスト、キュレーター、アートセンターや文化機関などと協働して展覧会や関連プログラムを実施してきた」という。2018年からは「国際的な交流を促進し、多文化的な視点を通じて、アートや社会など、さまざまなテーマについて思考する」TOKAS Projectを開始。ケベック州とのコラボによる同展は、TOKAS Project第6回となる。

 TOKASは2015年から毎年ケベックを拠点とするアーティストを受け入れている。2017年には正式に協定を結び、二国間交流事業プログラムを提携しているモントリオールのセンター・クラークへ1年に1組ずつ派遣し、相互にアーティストの派遣を行っている。

 「凪ぎ、揺らぎ、」に参加するのは、2017年から2019年にかけてTOKASのレジデンス・プログラムに参加した、ジャン=マキシム・デュフレーヌ&ヴィルジニー・ラガニエール氏、ミシェル・ウノー氏、ジェン・ライマー&マックス・スタイン氏と、2022年にケベックへ派遣され滞在制作を行った國分郁子氏。都市の移り変わりと、それに伴う文化や環境への順応を見つめた各作品を展示している。

「TOKAS Project Vol. 6 『凪ぎ、揺らぎ、』」

期間:2023年10月7日(土)~ 11月12日(日)
会場:トーキョーアーツアンドスペース本郷(東京都文京区本郷2-4-16)
開館時間:11:00 – 19:00(最終入場は30分前まで)
休館日:月曜日(10月9日は開館)、10月10日(火)
入場料:無料
主催:公益財団法人東京都歴史文化財団 東京都現代美術館 トーキョーアーツアンドスペース
協力:ケベック州政府在日事務所、ケベック・アーツカウンシル、センター・クラーク
ウェブサイトhttps://www.tokyoartsandspace.jp/

ジェン・ライマー&マックス・スタイン《荒川―東墨田》サウンド・インスタレーション 2019。写真提供:トーキョーアーツアンドスペース
ジェン・ライマー&マックス・スタイン《荒川―東墨田》サウンド・インスタレーション 2019。写真提供:トーキョーアーツアンドスペース

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S.U.C.C.E.S.S.リッチモンド・オンラインワークショップ「BC州の家族法」のお知らせ

テーマは「BC州の家族法」

日時:2023年10月18日(水)午前10時~11時半

申し込みリンク: https://success.jotform.com/232631714266858

お申し込みの締め切り:10月17日( 火 )午前9時

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今回は必要とされる方に是非参加していただきたいワークショップです。

法律の専門家である森永先生から直接お話しをいただける貴重な回です。別居や離婚についての正しい情報をぜひ得てください。ケースバイケースで事情によって異なるとは思いますが、人生での大切な決断について法律の観点からのアドバイスは非常に重要です。森永先生は長年にわたり法律の専門知識を磨き上げてこられました。それらの経験から得られる知識は、皆さんが別居や離婚に向き合う際には役立ち、また決断の支えとなることでしょう。

不安や疑念を解消し、将来の計画を立てる際に役立つ情報を得ることが出来ます。是非この機会をお見逃しなく。

<内容>

·        別居と離婚の手続きハウツー

·        子供に関する様々な決め事

·        親権申請について

·        無料・低価格の法的支援サービス紹介

·        質疑応答

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お申込み・問い合わせ:kozue.ito@success.bc.ca / 236-880-3392 こずえまで

ホワイトキャップスがプレーオフ進出を決める、GK高丘は無失点試合

プレーオフ進出を決めたセントルイス・シティSC戦。2023年10月4日、BCプレース。Photo by Koichi Saito
プレーオフ進出を決めたセントルイス・シティSC戦。2023年10月4日、BCプレース。Photo by Koichi Saito

 バンクーバー・ホワイトキャップスが今季プレーオフ進出を決めた。この日、チームは西カンファレンス首位のセントルイス・シティSCに快勝。GK高丘は無失点に抑えた。

10月4日(BCプレース:13,776)

バンクーバー・ホワイトキャップス 3-0 セントルイス・シティSC

前半を両チーム無得点で迎えた後半。ホワイトキャップスのホワイト(#24)が58分に決めて1点目。キャップスは、82分にほぼダメ押しの2点目を入れると、アディショナルタイムに3点目を入れ、試合を決めた。

圧倒した試合で快勝

 この日のホワイトキャップスは、19本のシュートを放ち、枠内シュートも7本と、怒涛の攻めを見せた。守ってはGK高丘が前半にスーパーセーブで相手の先制を許さず、無失点試合とした。

 プレーオフ進出がかかる一戦。終わってみれば、3-0の快勝だった。試合後、Vanni Sartini監督は、「もちろん気分がいいですよ。いい試合をしたし、良いチームだし。これまでの試合より内容も良く、ゲームプラン通りに試合を運べた」と機嫌よく話した。「これまでは、たくさんチャンスを作っても、ゴールに結び付かなったことも多かったが、今日の大事な試合でうまくいったことはよかった。とてもハッピーだ」と語った。

 この日の勝利でホワイトキャップスは勝ち点を46とし、西カンファレンス5位に。4位ソルトレイクとは勝ち点で並び、3位LAFCとは1点差、2位シアトル・サウンダーズとも3点差と、今後の結果次第では2位も狙える位置にいる。

 しかも残り2試合は、アウェイでシアトルと、ホーム最終戦でLAFCと直接対決。これからホワイトキャップスがどこまで順位を上げられるかに期待がかかる。

10月のホームゲームhttps://www.whitecapsfc.com/

10月21日 6:00 pm LAFC戦

(写真 斉藤光一/記事 編集部)

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「カナダ“乗り鉄”の旅」第5回 美しいハドソン川辺の車窓、実は米国版「新幹線大爆破」に登場 全面再開の国境縦断列車

アムトラックの米加国境縦断列車「アディロンダック」(2023年9月23日、ニューヨーク・ペンシルベニア駅で大塚圭一郎撮影)
アムトラックの米加国境縦断列車「アディロンダック」(2023年9月23日、ニューヨーク・ペンシルベニア駅で大塚圭一郎撮影)

大塚圭一郎

 カナダ第2の都市のモントリオールと米国の主要都市ニューヨークを結ぶ国境縦断列車「アディロンダック」が2023年9月11日、全面再開した。6月24日からの3カ月弱はニューヨーク州内だけを部分運行していたが、再び米加両国を行き来するようになった。見せ場の一つとなっているハドソン川沿いの車窓は、その美しさとは裏腹に米国版「新幹線大爆破」と呼ぶべき血なまぐさい映画に登場した―。

 【アディロンダック】カナダ東部モントリオールの中央駅と米国ニューヨーク中心部マンハッタンのペンシルベニア駅(ペン駅)の間を南北に縦断する国境縦断列車。1日1往復しており、走行距離は約610キロ。全米鉄道旅客公社(アムトラック)が運行し、VIA鉄道カナダが協力している。アディロンダックの営業損益は新型コロナ流行前の2019会計年度(18年10月~19年9月)で80万米ドル(1米ドル=145円で1億1600万円)の赤字で、ニューヨーク州の補助金などで支えている。
 列車名はアディロンダック山地から命名しており、アディロンダックは先住民「モホーク族」の言葉で「アメリカヤマアラシ」を意味する。山地はなだらかな山々が連なり、最高峰のマーシー山の標高は1629メートルと日本の東北地方の栗駒山とほぼ同じ。

長らく「薄暗く風情のない駅」に

米ニューヨーク・マンハッタンのグランドセントラル駅舎内(2023年9月9日、大塚圭一郎撮影)
米ニューヨーク・マンハッタンのグランドセントラル駅舎内(2023年9月9日、大塚圭一郎撮影)

 ニューヨーク・マンハッタンの主要駅は、ニューヨーク州やコネティカット州の閑静な住宅地と結ぶメトロノース鉄道などが発着するグランドセントラル駅と、全米鉄道旅客公社(アムトラック)やニュージャージー州との間を走る列車のNJトランジットなどが乗り入れるペンシルベニア駅(ペン駅)がある。これらの2駅の雰囲気は長らく、光と影のように受け止められてきた。

 グランドセントラル駅は完成から今年で110年を迎える石造り駅舎で知られ、星座が描かれた高いドーム形天井の下で記念撮影する観光客が引きも切らない人気観光スポットだ。丸の内口の赤れんが駅舎を擁する東京駅と姉妹提携を結んでいる。

 対照的に「薄暗く風情のない駅」(ニューヨーク市民)と受け止められていたのがアディロンダックを含めたアムトラックの列車が多く発着するペン駅だ。スポーツ競技やコンサートなどに使う会場「マディソン・スクエア・ガーデン」を建設するために荘厳な旧駅舎は1963年に解体され、それ以来は地下1階にコンコースのある殺風景な駅になっていた。

家系ラーメンも味わえるターミナル

ニューヨーク・ペン駅のライトアップされた外観(2023年9月23日、大塚圭一郎撮影)
ニューヨーク・ペン駅のライトアップされた外観(2023年9月23日、大塚圭一郎撮影)

 転機となったのは2021年に開業した「モイニハン・トレイン・ホール」だ。かつて郵便局だった石造りの建物を駅舎の一部として活用することで風格のあるたたずまいに一変した。列車が発着するプラットホームへ向かうエスカレーターが並ぶコンコースはガラス張りの天井で覆ったことで明るく、開放的な空間になった。

 モイニハンの名前は、郵便局の建物を駅舎として生かすアイデアを提案したニューヨーク州選出の故ダニエル・モイニハン元米国上院議員(民主党)から命名された。

ニューヨーク・ペン駅で味わえる「E・A・K・ラーメン」(2023年9月23日、大塚圭一郎撮影)
ニューヨーク・ペン駅で味わえる「E・A・K・ラーメン」(2023年9月23日、大塚圭一郎撮影)

 構内のフードコートには代表的な国際都市の一つのニューヨークらしく幅広いジャンルの飲食店が並び、メニューを眺めているだけでも楽しい。東京都町田市に2008年に誕生して以来、規模を急拡大している人気ラーメン店チェーン、町田商店がプロデュースする「E・A・K・ラーメン」も23年に開業した。町田商店が属する「家系ラーメン」をアルファベットで表記したユニークな店名で、私が注文した豚骨しょうゆ味のラーメンは税別で13・80米ドル(1ドル=145円で約2千円)。コクのあるスープが味わい深く、太めのめんと良い具合に絡みつく。

昔と変わらない“恒例行事”

 モイニハン・トレイン・ホールの開業後に様変わりしたペン駅だが、搭乗ゲートが発表されると利用者が一斉に押しかける“恒例行事”は変わらない。列車の出発予定時刻ぎりぎりまで発車ホームが案内されないこともあり、利用者が切歯扼腕(せっしやくわん)する姿をよく見かける。

 アディロンダックは米加国境を越えることから出国・入国審査もある。予約時に必要事項を申請し、当日はパスポート(旅券)の所持が必須だ。乗車時の体験に基づき、どのような行程なのかをご紹介したい。

全米鉄道旅客公社(アムトラック)のかまぼこ形客車をディーゼル機関車が引いた列車(2023年8月、米バージニア州で大塚圭一郎撮影)
全米鉄道旅客公社(アムトラック)のかまぼこ形客車をディーゼル機関車が引いた列車(2023年8月、米バージニア州で大塚圭一郎撮影)

 機関車がけん引する客車は、1975年に登場した「アムフリート」と呼ばれる断面が「かまぼこ形」をしたステンレス製車両だ。かつて存在した米国の金属加工メーカー、バッドが製造し、同社は日本初のオールステンレス車両となった1962年登場の東京急行電鉄(現東急電鉄)初代7000系の製造技術を供与したことで知られる。

 車内の座席は、背もたれが倒れるリクライニング式のクロスシートが中心だ。旅のため軽食や飲料を売っているコーナーを備えた車両「カフェカー」も連結している。

 ニューヨーク発のアディロンダックはペン駅を午前8時40分に出発し、定刻で運行した場合でもモントリオール中央駅に着くのは午後8時16分と半日後になる。モントリオール発の列車は午前11時10分に出て、定刻ならばニューヨークに午後10時15分に到着する。

米国版「新幹線大爆破」の舞台

メトロノース鉄道ハドソン線の列車(2021年6月12日、米ニューヨーク州で大塚圭一郎撮影)
メトロノース鉄道ハドソン線の列車(2021年6月12日、米ニューヨーク州で大塚圭一郎撮影)

 ニューヨークからモントリオールへ向かうアディロンダックはペン駅を出発後、グランドセントラル駅を発着するメトロノース鉄道ハドソン線の線路とニューヨーク市ブロンクス区で合流する。メトロノース鉄道ハドソン線は2018年公開の映画「トレイン・ミッション」(原題は「通勤者」を意味する「The Commuter」)の舞台となり、走る列車内で乗客らの命を守るためにアクションシーンが繰り広げられる様子は日本国有鉄道(現在のJRグループ)の協力を得ないで撮影された1975年公開の映画「新幹線大爆破」をほうふつとさせる。

 トレイン・ミッションの血なまぐさい暴力シーンを和らげる効果を発揮するのが、列車の窓の向こうに時折映し出されるハドソン川の落ち着いた流れだ。ニューヨークから乗車する場合に左手にしばらく続く紺碧色の川面は、国際都市の近郊を走っていることを忘れさせてくれるような安らぎを与えてくれる。

米ニューヨーク州を走行中、車窓に広がるハドソン川のゆったりした眺め(2022年10月20日、メトロノース鉄道ハドソン線から筆者撮影)
米ニューヨーク州を走行中、車窓に広がるハドソン川のゆったりした眺め(2022年10月20日、メトロノース鉄道ハドソン線から筆者撮影)

 出発から約1時間半後の午前10時12分、列車はポキプシー駅(ニューヨーク州ポキプシー市)に着く。かつては地元の名産品だったれんがで造られた立派な駅舎が目を引く。この駅はメトロノース鉄道ハドソン線の終点だ。

 北へ約7キロ離れたニューヨーク州ハイドパーク市には、世界で愛飲されている日本酒「獺祭(だっさい)」を手がける旭酒造(山口県岩国市)の初めての海外生産拠点が2023年9月に開業した。ニューヨーク市に供給される水道水を取水している地域で、清酒の現地生産品「ダッサイブルー」を造っている。

20分停車の理由

れんがで造られたポキプシー駅舎(2022年10月20日、大塚圭一郎撮影)
れんがで造られたポキプシー駅舎(2022年10月20日、大塚圭一郎撮影)

 ポキプシー駅の北を走る旅客列車はアムトラックだけとなる。ニューヨーク州の州都オールバニにあるオールバニ・レンスラー駅に午前11時20分に到着し、20分後の11時40分に出発する。停車時間を長く取っているのは機関車を付け替えるためだ。

 ペン駅を含めたマンハッタンの区間には、規制によってディーゼルエンジンで走る列車は乗り入れることができない。このため、ペン駅とオールバニ・レンスラー駅の間は線路脇の第三軌条から集電して電気でも、ディーゼルエンジンでも運行できる機関車を用いている。

 このような特殊な設計の機関車は「通常のディーゼル機関車よりも車両価格が高い」(鉄道関係者)。そこでペン駅とオールバニ・レンスラー駅の間でフル活用し、オールバニ・レンスラー駅から北の運行では通常のディーゼル機関車に交換するのだ。

国境をどう通り抜ける?

アディロンダックの車窓から眺めたシャンプレーン湖畔の景色(2014年7月、米ニューヨーク州で大塚圭一郎撮影
アディロンダックの車窓から眺めたシャンプレーン湖畔の景色(2014年7月、米ニューヨーク州で大塚圭一郎撮影

 ハドソン川沿いとともにアディロンダックの車窓の山場となっているのが、アディロンダック山地にあるシャンプレーン湖畔の景色だ。森林を切り拓いて敷かれた鉄路は、湖岸を縫うように低速で進む。

 秋になるとこの区間に林立する木々が紅葉し、葉が黄色や赤色に染められた山肌を一望できるようになる。アムトラックは紅葉シーズンになるとガラスのドーム形天井で覆われた客車をアディロンダックに連結していたが、「1955年の製造から老朽化が進んだ」(関係者)ことから2018年秋が最後となった。

 アムトラックはシャンプレーン湖の西側のニューヨーク州を走るアディロンダックに加え、湖の東側にあるバーモント州のセントオールバンズと首都ワシントンを結ぶ列車「バーモンター」を運行している。

 バーモンターが1995年に登場する前は、モントリオールとワシントンをつなぐ夜行列車が走っていた。かつてのようにセントオールバンズの北約114キロにあるモントリオール中央駅まで運行区間を延ばすことが検討されている。

 鉄道関係者によると、併せて検討されているのがモントリオール中央駅に米加国境をまたぐ利用者の検問手続きをする施設の整備だ。両方の列車の利用者をモントリオール到着後、または出発時に入国・出国の審査をすることが考えられているのだ。

 現段階ではカナダと米国の国境地点でアディロンダックが停車し、検問に携わる係員が乗り込んで乗客の査証などを確認し、荷物を点検している。不審な点があった利用者にはカフェカーへ移動することを命じ、より詳しく事情を尋ねていた。

 ただ、カナダ国内に途中停車駅はない。よって、モントリオール中央駅に国境横断手続き用施設を造り、一手に入国・出国管理をしたほうが効率的だと想定しているようだ。

 検問が終わったアディロンダックが再び走り出したのは、カナダの大地だ。モントリオールを一路目指すケベック州のゆったりとした平原を窓外に眺めていると、「真の北国は力強く自由だ!」という国歌「オー・カナダ」の歌詞の一節が口をついて出た。

全米鉄道旅客公社(アムトラック)のガラス張りのドーム形天井になった客車(手前、2014年7月16日、米ニューヨーク州で大塚圭一郎撮影)
全米鉄道旅客公社(アムトラック)のガラス張りのドーム形天井になった客車(手前、2014年7月16日、米ニューヨーク州で大塚圭一郎撮影)

共同通信社ワシントン支局次長で「VIAクラブ日本支部」会員の大塚圭一郎氏が贈る、カナダにまつわる鉄道の魅力を紹介するコラム「カナダ “乗り鉄” の旅」。第1回からすべてのコラムは以下よりご覧いただけます。
カナダ “乗り鉄” の旅

大塚圭一郎(おおつか・けいいちろう)
共同通信社ワシントン支局次長・「VIAクラブ日本支部」会員

1973年、東京都生まれ。97年に国立東京外国語大学外国語学部フランス語学科を卒業し、社団法人(現一般社団法人)共同通信社に入社。大阪支社経済部、本社(東京)の編集局経済部、3年余りのニューヨーク特派員、経済部次長などを経て2020年12月から現職。運輸・旅行・観光や国際経済の分野を長く取材、執筆しており、VIA鉄道カナダの公式愛好家団体「VIAクラブ日本支部」会員として鉄道も積極的に利用しながらカナダ10州を全て訪れた。

優れた鉄道旅行を選ぶ賞「鉄旅(てつたび)オブザイヤー」(http://www.tetsutabi-award.net/)の審査員を13年度から務めている。共著書に『わたしの居場所』(現代人文社)などがあり、CROSS FM(福岡県)の番組「Urban Dusk」に出演も。他にニュースサイト「Yahoo!ニュース」や「47NEWS」などに掲載されているコラム「鉄道なにコレ!?」、旅行サイト「Risvel」(https://www.risvel.com/)のコラム「“鉄分”サプリの旅」も連載中。

ホワイトキャップス、1カ月ぶりのホームは引き分け

ホワイトキャップス対DCユナイテッド。2023年9月30日、BCプレース。Photo by Koichi Saito
ホワイトキャップス対DCユナイテッド。2023年9月30日、BCプレース。Photo by Koichi Saito

 バンクーバー・ホワイトキャップスが約1カ月ぶりにバンクーバーに帰ってきた。長いアウェイでの連続7試合を3勝2敗2分けで終え、9月30日、ホームにDCユナイテッドを迎えた。

9月30日(BCプレース:19,422)

バンクーバー・ホワイトキャップス 2-2 DCユナイテッド

先制はホワイトキャップス。試合早々の2分にホワイト(#24)が決め、1-0。しかしユナイテッドも11分に同点に。後半、ホワイトキャップスはPKのチャンスにガウルド(#25)が決め、再び突き放すも、62分に同点に追いつかれる。結局、試合はそのまま引き分けた。

プレーオフ進出に向け「ファイティングモードが必要」

 「全体的に内容は良かった」とVanni Sartini監督は記者会見で語った。最初の失点は「(相手への)ギフトだった」と、キャップスのディフェンダーが足を滑らせたためGK高丘からのボールを受け取れず相手に得点を許したシーンを振り返った。「ディフェンダーがソフトだと相手のオフェンスが強く出てくる」と繰り返す。

 アウェイが続いて選手たちが疲れているのではないかとの質問には、「この時点で100%の選手はいない。疲れているのは相手も同じこと」と、同点だったことに疲れは言い訳にできないと厳しい表情で語った。

 次戦10月4日BCプレースでのセントルイス・シティSC戦でキャップスが勝利し、ミネソタ、もしくはダラスが敗れるとプレーオフが決まる。

 「良いプレーをしているが結果がついてこない。今は結果が全て。チームには、メンタル的にも、テクニカル的にも、ファイティングモードが必要」と次を見据えた。

9月30日はNational Day for Truth and Reconciliation

 この日は、カナダの祝日 “National Day for Truth and Reconciliation”。試合前練習では選手たちは全員オレンジのシャツを着用。

 試合前には先週民族の人たちによるブレッシングも行われた。

オレンジシャツを着て試合前の練習に参加するGK高丘。DCユナイテッド戦。2023年9月30日、BCプレース。Photo by Koichi Saito
オレンジシャツを着て試合前の練習に参加するGK高丘。DCユナイテッド戦。2023年9月30日、BCプレース。Photo by Koichi Saito

(写真 斉藤光一/記事 編集部)

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誰もが安心して参加できる研修で繋がることでパワーが生まれる:日本各地でインクルーシブ教育導入活動『All Means All 』を目指す

研修後東京都内の私立高にレインボーフラッグスティッカーが登場した!(写真:Ak Jump Educational Consulting Inc.)
研修後東京都内の私立高にレインボーフラッグスティッカーが登場した!(写真:Ak Jump Educational Consulting Inc.)

2023年3月にバンクーバーで開催された、カナダインクルーシブ教育研修は人を繋いだ。日本ではまったく他人だった人たちが研修を通して出会い、日本の既存の分離教育システムという大きな壁を排除していく一歩に繋がっていった。

日本でのインクルーシブ教育導入がなかなか実現できずいる、施策が思いつかないと重い口調であった研修参加者達が多かったなか、研修中盤から、その参加者の顔が断然明るくなり、研修後には『やはり何か行動を起こしたい』『一人ではないんだ』と励まされたと、感想を述べてくれた。帰国後には、即ゴールに向かって行動を開始されたという報告がたくさんあり、嬉しい悲鳴をあげた。

例えば、東京都内私立高校生物学教師は、生徒とできる簡単な意識向上活動(レインボーカラースティッカーを制作し学校の廊下に貼る等)を実行。また、政策関係の仕事に従事している参加者は、よりインクルーシブな教育政策方針改定提案をと政策見直し活動にも活発に取り組む姿勢で、報告会を日本でしている。NPO法人ワンステップかたつむり国立からや、自立ステーションつばさなどからも参加者さんが来てくれた。そして研修後の今年2023年5月にかたつむり国立さん主催で『インクルーシブ教育ってなあに?』という劇をして、インクルーシブ教育の基本概念を理解してもらう活動を起こした。この劇では、カナダ研修で強調した、近隣の学校で望んだ学校に行ける権利、障がいがあるからと特別に選ばなくていい権利について主張されていた。一参加者の広島にある日本インクルーシブ研究所代表者はインクルーシブ教育セミナー、発達支援員養成講座開催を今まで以上に精力的に実行してくれている。障害児を普通学校へ・全国連絡会の一員として活躍するという方は大変積極的に研修事後報告会企画を主導し運営委員会を、難民支援団体職員の方や学校教師と一緒に結束して実施まで持っていってくれた。また数々の研究者や福祉関係者の参加者さんが、大学や自治体などでインクルーシブ教育セミナーや講演を開いてくれているという。このような参加者さんからの活発な活動報告を聞いて、当研修で行動を起こすパワーの種まきができたことを大変嬉しく思っている。

日本は実現に向けて、まずは法律でインクルーシブ教育の保障をする、それに付随して政府からの教育予算増加、通常クラスの担任の負担を減らす為のEducational Assistant(教育アシスタント=教員補助)などの専門家チームで普通学級担任を助けていくシステム構築、そして人権と人権擁護の理解とその普及活動を積極的に実施していかなければならない。

それには、考えているだけで終わらずに、実際に行動に移す!この実行力が重要な鍵となる。行動に移す際には、仲間が要る。その仲間を作るには、横繋がりになり、お互いにできるところを助け合い、学びあい、進むというインクルーシブさが決めてになる。

当研修チームにも多様なスキルや才能を持った運営スタッフや地元BC州の専門家が集まった。特に筆者のビジネスパートナーで運営の要になってくれた Yasuko Donily氏 (In8 Consulting Inc. 代表、Whistler Adaptive Sports Program 理事)には、感謝をしきれない。彼女はユニバーサルデザインに力をいれていて、インクルージョンの概念を真剣に世の中に浸透させる活動をしている。そして、誰もが参加できるイベントやカンファレンスの企画から運営までを務めてくれた。

彼女のおかげで介助士さんと一緒に発語が無い参加者さんや車椅子の参加者さんも安心して参加できていた。四歳の幼児も移民難民の支援員の母親と参加。LGBTQの当事者の参加者もいてバンクーバーの街のEVERYONE IS WELCOMEの雰囲気に感動してくれた。これから特別支援学級の教師を目指すという大学生も分離ではない教育方法を学びに来てくれた。研修の雰囲気は、いろんな具の出しが凝縮した味のある温かい豚汁みたいにごちゃ混ぜ状態であった。

そして日本からの研修参加者とカナダ側の研修企画関係者の間に、海を超えた仲間意識がたった一週間で芽生え、団結心が湧き上がった。繋がったことでエンパワーされ、行動を即座に起こす勇気が起こった瞬間には皆からまぶしいくらいに輝く笑みがこぼれ、ポジティブなバイブを感じたのは私だけでなかったはずだ。

何度も繰り返すが、この研修を通して、日本に必要なのは、『行動に移すぞ』という、自信とパワー源だったと実感。実現に向けて、必要性や可能性の明瞭でない目的を掲げているだけでは、行動を起こすパワーは湧き上がらないし岩も動かない。

カナダのインクルーシブ教育実現に向けての移り変わり

(Transformation)にも触れ、真のインクルーシブ教育現場を目の当たりにできる研修で、カナダも色々な壁がありそれを乗り越えてきた様を見るのも大事だ。決してカナダのいままでの道のりも平坦なJourneyではなかったからだ。

『ALL MEANS ALL:全ては全てを意味する』という、全ての子供が一緒に学べる場を作る事ができるという信条を持って進めてきている、カナダのインクルーシブ教育関係者達の強い信念にオンラインではなく、現地の様子を視察し、五感で感じ、目の当たりに触れることでもう一歩前進する勇気をもってもらえたと、一般公開された研修後報告会(東京世田谷で8月にハイブリッドで参加者有志による主催で開催)からも伺えた。

追記:これからの活動について

ネットワークをもっと広げたい、カナダのインクルーシブ教育の良さをもっと肌で感じてもらいたい、もっと詳しく伝えたいと痛切に望みながら、来年度の二回目の実施に向けて準備を進めている。研修第一弾での多々ある反省点を踏まえ、次回はインクルーシブ教育システムについての研修と、さらにはユニバーサルデザインのある学びの場や社会や生活環境にも焦点を置く予定である。ユニバーサルデザインの概念なくしては、既存の排他的な環境を変えてはいけないからインクルーシブ教育実現に向けての大切なポイントである。

インクルーシブ教育推進と実現に向けて世界規模で行動を起こしている多様な実行者の人達の声が日本中に響きますように、そして、これからも日本全国でのインクルーシブ教育実施に向けて、カナダと日本を繋ぐ架け橋になって応援できますようにと願いながら寄稿文を〆に思いを託しました。読んでくださった皆様どうも有難うございます。

寄稿者:高林美樹

高林美樹

プログラムプロデューサー、AK Jump Educational Consulting Inc. Founder
ウィスラーマルチカルチュラルソサエティ理事
Japanese New Immigrant Committee(JNIC:新移住者委員会)委員
West Vancouver School District Parent Committee, Equity Diversity Inclusion, メンバー

NY、ロンドンなど合計28年の海外生活で大学院修了、出産、子育てを異文化で経験し、人権を重んじた海外の共生社会、“誰もが取り残されない環境“に助けらてきた。2022年に留学・教育コンサルティング会社起業。グローバルリーダー養成、地域とつながるボランティア、文化継承企画をオンラインで多創出。National Association of Japanese Canadians(NAJC)/JNIC委員、共生社会推進団体理事を務め、日加交流活動を通し、インクルーシブで多様な人とひとを繋ぎ社会課題解決策を生み出し、コミュニティ繁栄を目指す取り組みに全力投球中。カナダと母国日本を結び、両国の人々の信頼関係を強め、ともに公正な社会で幸せに暮らせるように貢献することを常に目標としている。
*NAJCは1947年に設立された、日系コミュニティを代表するカナダで唯一全国組織で人権擁護と多様性あるコミュニティ作りを推進。傘下に戦後の移民中心に日本語で活動する新移住者委員会(JNIC)が昨年発足。

連絡先: Miki@akjump.ca
HPリンク: https://akjump.ca

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