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Naomi Mishima

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トロント国際映画祭の話題作が早くも劇場公開に「Megalopolis 」(フランシス・フォード・コッポラ監督)「Wild Robot」(クリス・サンダース監督)

「Wild Robot」より。Photo courtesy of TIFF
「Wild Robot」より。Photo courtesy of TIFF

 10月に入りあっという間に肌寒い日が増えてきたバンクーバー。秋って紅葉を楽しんだり、もう少し穏やかな季節じゃなかったっけ?と思いながらも、芸術の秋を楽しむべく映画館に通っている私です。

 さて、今回ご紹介するのは先月のトロント国際映画祭で観た超大作の中から、早くも劇場公開になった2作品「Megalopolis」と「The Wild Robot」。共に話題作ですが、実は両方とも大好きなスターウォーズ系俳優さんたちが出ているという個人的な理由(笑)からもおすすめする2本です!

「Megalopolis」(フランシス・フォード・コッポラ監督)

「Megalopolis」より。提供TIFF
「Megalopolis」より。提供TIFF

 近未来のニューヨークを思わせる都市が舞台。時と空間をコントロールする不思議な力を持つ理想主義者の建築家シーザー(アダム・ドライバー)が主人公。災害で荒廃した街にユートピアを作り再建しようとするシーザーと市長(ジャンカルロ・エスポジート)との権力攻防や彼の周囲の女性たち、メディアとのかけひきなどを描く。コッポラ監督が構想40年を経て巨額の私財を投入したことでも話題に。

「Megalopolis」のレッドカーペット。ナタリー・エマニュエルはすごく笑顔で可愛かったです。Photo by Michiru Miyai
「Megalopolis」のレッドカーペット。ナタリー・エマニュエルはすごく笑顔で可愛かったです。Photo by Michiru Miyai

 まず俳優さんは皆役柄にぴったりで、さすがコッポラ作品。ストーリーはシンプルなんだけど、あまりに細かい要素が盛りだくさんで何が起こっているか追いつくのに少し苦労しました。幸運にも観た後にコッポラ監督のQ&Aを聞く事が出来たのと、周囲の人との答え合わせでやっと理解できた感じです。要約すると、未来の都市を舞台にしたSF要素の入ったローマ叙事詩に、愛、政治批判、過去の映画へのオマージュ、監督の哲学、文学的知識などを詰め込んだ作品…かな。巨匠コッポラ監督が自費で自分が作りたい映画を作りたいように作ったある意味すごく贅沢な作品。終わった後にいろいろ考えたり誰かと話したり、そしてもう一度観てみたくなる映画であることは間違いないです。監督が「どの様な未来を子ども達に残すことが出来るのか、それを問いかけるためにこの映画を作った」と言うのを聞いて宮崎駿監督の「君たちはどう生きるか」を思い出したりもしました。

「The Wild Robot(邦題:野生の島のロズ)」(クリス・サンダース監督)

「Wild Robot」より。Photo courtesy of TIFF
「Wild Robot」より。Photo courtesy of TIFF

 同名の児童書(ピーター・ブラウン著)が原作でドリームワークス・アニメーションによる作品。人間をサポートするプログラムがインストールされたロボット、ロズ。貨物船の事故で流れ着いた島でスイッチが入り起動したロズは出会う動物たちに用件を聞いて回るが怪物扱いされるだけ。そんな中、ガンのヒナとの出会いをきっかけに他の動物たちとの交流が広がり、次第に仲間として受け入れられてゆく。ところが、ある日島に不気味な飛行船がやって来て・・・。

 感想は一言、最高でした!感情も無く無機質なはずのロボットのロズが、周囲から学び少しずつ成長してゆき最後は強く優しいお母さんに。親子の愛情(泣けます!)、仲間との絆、動物たちの厳しい世界などにロボットの戦いというハラハラする要素も合わさって始まりから終わりまでずっと楽しめました。そして忘れてならないのが声優陣。ルピタ・ニョンゴ、ペドロ・パスカル、キャサリン・オハラ、マーク・ハミルらがそれぞれのキャラクターを魅力たっぷりに演じています。アニーションは色味が絵本のようで美しいし登場する動物たちも皆可愛いし、音楽も良かったし、子どもだけでなく大人にもおすすめできる映画です。

トロント国際映画祭でWild Robot の上映後のQ&A。映画祭ならではの楽しみです。Photo by Michiru Miyai
トロント国際映画祭でWild Robot の上映後のQ&A。映画祭ならではの楽しみです。Photo by Michiru Miyai

 両作品ともCineplex系映画館で上映中。

Lalaのシネマワールド
映画に魅せられて

バンクーバー在住の映画・ドラマ好きライターLalaさんによる映画に関するコラム。
旬の映画や話題のドラマだけでなく、さまざまな作品を紹介します。第1回からはこちら

Lala(らら)
バンクーバー在住の映画・ドラマ好きライター
大好きな映画を観るためには広いカナダの西から東まで出かけます
良いストーリーには世界を豊にるす力があると信じてます
みなさん一緒に映画観ませんか!?

「いい旅 バンクーバー島 2」~投稿千景~

エドサトウ

 博物館の一角に、ネイティブ(先住民)の人々が、かつて(4000年前)に使っていたという石器が小さく展示されてあった。今から4000年前ということは、縄文時代の晩期である。司馬さんの話に縄文人は北海道から、海岸線をつたいアメリカ大陸に渡ったという話がある。一万年前にアメリカ大陸に人類が来たらしい。一万年前は、まだ海面が低かったから、アジア大陸とアメリカ大陸はベーリング海峡でつながっていたのかもしれない。春の大潮で、海水が遠くまで引いた時には、歩いて渡れたのかもしれない。

 アメリカ西海岸のネイティブの遺伝子を大学の先生が調べたところ、縄文人と同じ遺伝子があるらしいから、縄文人はずいぶんと昔から、カナダの西海岸で生活をしていたように想像できる。東部カナダでは、アメリカに英国からピューリタンが来る前から、北欧のバイキングのグループが船でカナダにたどり着いたという話もある。

 パークスビルに僕が来たのは50年以上も前のことである。僕が結婚する前のことである。当時、同じ会社で働いていた友が、新聞広告で見つけた土地を買いたいと言う。それで、彼が「サトー君、バンクーバー島へ行かへんか?」と言う。話を聞くと、将来、リタイヤ(退職)したら、バンクーバー島にアトリエを作って住み、絵を描きたいという。そのための土地を買うために、現地で不動産屋さんと会うという話である。仕事を二つ持ち、とにかくよく働く人であった。それでお金を蓄えたのか、当時、一万ドルもしない物件を見に行くのである。その一つが、このパークスビルの海岸線に近い宅地用の土地であった。

 もう一つの物件は、そこから、さらに山奥に入った山林のままの土地であった。彼は、こちらの方が広く大きな土地であったので気に入っていたようであった。

 彼が「サトー君、どっちが良いかな?」大阪弁のアクセントで聞いた。僕が「海岸線近くの土地は、もう、下水道や水道が準備されるというから、将来性があると思うけどーーー」と答えた。結局、彼は迷った末にパークスビルの海に近い土地を買った。

 今頃、パークスビルは多くの家や店が立ち並び、大きな町に変貌していた。彼は、その数年後に彼の区画整理のついた土地を買いたい人が現れて売却をして、いいお金を儲けたらしい。

 僕がカナダに来る頃に、父が将来の農地用に購入した山林の土地が、のちに工業団地に指定されて、高く売れたということもあり、当時から、カナダの不動産に興味があり、当時としては、早くに家を買ったほうである。古い我が家は都心に近く、今はビックリするような値段である。あの頃に、もう少し宅地を買っておけば、今頃は百万長者になっていたかもしれない。若い頃は、それなりに大変であったが、いい時代であったと思い返すこの頃である。その友も数年前にがんで亡くなられた。

 翌日、パークスビルのモーテルを朝の6時に出発。今日は天気も良く、海の向こうから美しい朝日が昇り始める中、国道を海岸線に沿って次の街コモックスをめざす。息子に「パークスビルの街の中心から、新しいハイウェイに出れば、早くに着けるから、ハイウェイに出たら?」と言うと、息子は「こちらでいいよ」と言う。まだ新しいハイウェイがなかったころ、なき妻や子供たちとこの旧道を走った記憶があるのか、懐かしそうに息子が「母さんと一緒に来た時、この辺を通ったよなあ」と言う。遠い過去の日が脳裏をかすめ、少々悲しかった。

 美しい海岸線に赤い夏の太陽が昇る中、車は北の街コモックスを目指して、快調に走り続ける。

 途中の海岸線の駐車場には車中泊をしているかと思われる車を多く見かけた。僕たちもキャンプの用意をしてきたが、パークスビルの街の入り口付近にある州立公園のキャンプ場はいっぱいで泊まることできず、心配であったが、幸い街のモーテルに泊まることができて良かった。けれども、この海岸線車中泊も面白そうである。

投稿千景
視点を変えると見え方が変わる。エドサトウさん独特の視点で世界を切り取る連載コラム「投稿千景」。
これまでの当サイトでの「投稿千景」はこちらからご覧いただけます。
https://www.japancanadatoday.ca/category/column/post-ed-sato/

「嫌いなものがあるから、新しいものが生まれる」海外に寿司の世界への扉を開いた東條さんドキュメンタリー バンクーバー国際映画祭で上映

映画にちなんだ東條さん特製「アップルだるまサラダ」を手に。2024年9月27日、バンクーバー市。撮影 斉藤光一/日加トゥデイ
映画にちなんだ東條さん特製「アップルだるまサラダ」を手に。2024年9月27日、バンクーバー市。撮影 斉藤光一/日加トゥデイ

 第43回バンクーバー国際映画祭(VIFF)で上映中の「The Chef & the Daruma」(Mads K. Baekkevold監督)は、バンクーバーの日本食レストラン「Tojo’s」のオーナーシェフ・東條英員(ひでかず)さんのこれまでの人生を描いたドキュメンタリー。

 映画祭開催前にチケットが完売し、2回の上映追加が決定した。本作にスクリーンライターとして参加し、「この作品が日本で上映されることが夢」だという村尾幸子ナタリーさんにはEメールで、カリフォルニアロールの原型「東條巻き」を生み出したシェフの東條さんには9月27日にレストランTojo’sで話を聞いた。

—このドキュメンタリー制作のきっかけは?

東條さん:監督からは「いろんなお店を回ったが、東條さんの料理はオリジナリティがあり、魂、パッションがある。そして、こんなにも地元の食材を生かした料理を今まで見たことない」と言って、この映画のオファーがありました。監督も「お金ではないもの」を重視する人で、そういう考え方が僕と似ていると感じました。監督、村尾さん含め本作のスタッフはみんな才能と情熱のある人ばかりでした。

ドキュメンタリー映画「The Chef & the Daruma」主人公、シェフの東條英員さん。2024年9月27日、バンクーバー市。撮影 斉藤光一/日加トゥデイ
ドキュメンタリー映画「The Chef & the Daruma」主人公、シェフの東條英員さん。2024年9月27日、バンクーバー市。撮影 斉藤光一/日加トゥデイ

村尾さん:元々は、監督のMads K. Baekkevoldがミシュランガイド関連の仕事で東條さんに出会ったことがきっかけです。その際に、レストランに置かれていた大きなだるまを見つけた監督は、東條さんとだるまや人生について長時間話し、お互いの人生観や目標に共通するものが多いと感じ、東條さんの人生をだるまの儀式と並行して描くアイデアを思いつきました。

「The Chef & the Daruma」より。Photo courtesy of VIFF
「The Chef & the Daruma」より。Photo courtesy of VIFF

 また、監督からこの企画を聞いたとき、この作品は、単純にシェフの料理や成功を紹介するものではなく、日系カナダ人独自のストーリーになる可能性があると思いました。私自身も日系四世として、このドキュメンタリーを作ることで、日系カナダ人の歴史やコミュニティについて学び、その知識を観客と共有する機会が得られると感じ、本作への参加を決めました。

—本作でも触れられていますが、日系カナダ人の歴史について思うことは?

東條さん:僕が1972年にカナダに来た頃は、日系一世、二世の時代でしたが、当時彼らは生魚を公には食べていませんでした。白人からばかにされるからです。僕は「人間の差別がどこから生まれるのか?」ということにものすごく興味があったし、そうした差別意識を変えたいと思っていました。そこを打ち破るのが食べ物なんです。

映画にちなんだ東條さん特製「アップルだるまサラダ」。2024年9月27日、バンクーバー市。撮影 斉藤光一/日加トゥデイ
映画にちなんだ東條さん特製「アップルだるまサラダ」。2024年9月27日、バンクーバー市。撮影 斉藤光一/日加トゥデイ

 食べ物というのは、他の国の人たちに自分たちのアイデンティティを表明するのに、ものすごく大事なツールなんですよね。ばかにされないためには、食べ物に関してこっちの人との共通点を探す必要がある。そのために、僕はバンクーバーの一流レストランに月給のほとんどをつぎ込んで何度も通って勉強をしました。

村尾さん:映画制作者としての私の目標の一つは、戦中および戦後に日系カナダ人コミュニティが経験した多くの苦難に光を当てることです。私の両親の家族も強制収容所に送られ、その影響は今なお続いています。本作では、既存の日系カナダ人コミュニティが、戦後カナダへ移住した日本人(新移住者)から日本の文化、芸術、料理を学び、それを再び活性化させた様子を描いています。

 また、新移住者たちも、カナダで生活する中で日系カナダ人が過去に直面した苦難を学んできました。新移住者から四世、五世に至るまで、さまざまな世代によって、その豊かな歴史と文化が形成されています。本作でそうした日系カナダ人コミュニティの多様な側面とその複雑さを描けて自分自身も良かったと思っています。

—現地の人たちの好みを知ることでカリフォルニアロールを思いついたのですか?

いまでもTojo'sで提供されている考案当時の「東條巻き」、この日は東條さん自身が目の前で。2024年9月27日、バンクーバー市。撮影 斉藤光一/日加トゥデイ
いまでもTojo’sで提供されている考案当時の「東條巻き」、この日は東條さん自身が目の前で。2024年9月27日、バンクーバー市。撮影 斉藤光一/日加トゥデイ

東條さん:僕はカリフォルニアロールとは言っていなくて、「東條巻き」と言っています。当時「こっちの人たちは生魚を食べないし、海苔に抵抗感がある」と言われていたので、そういう人たちがアプローチしやすくするにはどうしたらよいか考えました。僕は大阪で料理人の修業をしたので、生魚を使用しない大阪の太巻きの材料(玉子、しいたけ、かんぴょう、ほうれん草)をインサイドアウト(裏巻き)にして出来たのが「東條巻き」です。

 後から聞いたのですが、海苔は英語で「seaweed」と言うので、こっちの人はそれが「雑草」のような感じで嫌みたいで、今では「sea vegetable」という言い方に変えています。時代によって食べ物の名前も変わりますしね。また、海苔を内側に入れても苦手な人には、海苔の代わりに薄焼き卵を使って作りました。「嫌いなもの」があるから、「新しいもの」が生まれるんですよね。

「海苔に抵抗感がある」と言われていたため海苔を内側に入れたのが「東條巻き」。2024年9月27日、バンクーバー市。撮影 斉藤光一/日加トゥデイ
「海苔に抵抗感がある」と言われていたため海苔を内側に入れたのが「東條巻き」。2024年9月27日、バンクーバー市。撮影 斉藤光一/日加トゥデイ

 当時日本では、東條巻きを「こんなのは邪道だ」と認めてくれなかったけど、その後「東條巻きは世界の日本食への意識を変えた」と言われるようになり、世界中からお客さんが来てくれるようになりました。僕のお店の名前を「東條ジャパニーズレストラン」のような名前にしていないのは、料理の壁を作らないようにするためです。それは、どんなテクニックを使ってもいいということ。「これは日本食ではない」と言われてもいい。僕が作るものは「東條フード」なんです。

—映画では目標達成の祈願としてだるまのシーンがありますが、今後の東條さんの目標は?

東條さん:目標というか、生き方やね。一生働きたいけど、今74歳なので、次の世代にバトンタッチして、今後は彼らを表に出して、僕は後ろからサポートしていきたいですね。

—バンクーバー国際映画祭の観客に伝えたいことは?

村尾さん:本作での私の役割は「東條さんのストーリーとは何か?」という問いに対する答えを見つけることでした。東條さんの過去から70代の現在までの旅路は、取り上げるべき内容が山ほどあり、90分にまとめることに非常に苦労をしました。しかし、観客の皆さんには、東條さんの人生がスクリーンに映っている90分以上に広がると信じています。

「The Chef & the Daruma」上映後のQ&Aで答える東條さん(右から3番目)ら関係者。2024年9月30日、バンクーバー市。撮影 斉藤光一/日加トゥデイ
「The Chef & the Daruma」上映後のQ&Aで答える東條さん(右から3番目)ら関係者。2024年9月30日、バンクーバー市。撮影 斉藤光一/日加トゥデイ

 また、本作では「とりあえずやってみよう」という言葉に焦点が当てられています。新しい食べ物、新しい経験、何でもやってみることが大切です!

「The Chef & the Daruma」上映日時・会場

9月30日(月)6:00 pm @SFU Woodwards(東條さん他関係者のQ&Aあり)
10月3日(木)7:00 pm @VIFF Centre – Lochmaddy Studio Theatre
10月5日(土)1:15 pm @Fifth Avenue Aud 3(東條さん他関係者のQ&Aあり)
10月6日(日)8:45 pm @SFU Woodwards
https://viff.org/whats-on/viff24-the-chef-the-daruma

東條さん「The Chef & the Daruma」上映会のレッドカーペットで。2024年9月30日、バンクーバー市。撮影 斉藤光一/日加トゥデイ
東條さん「The Chef & the Daruma」上映会のレッドカーペットで。2024年9月30日、バンクーバー市。撮影 斉藤光一/日加トゥデイ

(取材 佐々岡沙樹/写真 斉藤光一)

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隣組オンラインセミナー「Rights and Obligations Tenants have under the Law in BC」のお知らせ

ハウジングの賃貸料金高騰が続くメトロバンクーバーで、隣組へルームシェアも含めた「オーナーとのトラブル」のご相談やお問い合わせを頂きます。10月の隣組無料セミナーでは、賃貸者のサポート支援サービスを提供しているTenant Resource and Advisory Centre (TRAC)をお招きして、賃貸人の権利と責任、そして契約書にサインする前に知っておくべき注意点等について説明して頂きます。セミナーはオンライン、英語で行われ、質疑応答時に日本語通訳サポートが提供されます。また、当日ご参加頂けない場合でも、セミナー参加登録いただいた方へは、隣組YouTubeチャンネルで10月3日から9日までの間セミナービデオをご視聴頂けます。

~詳細~

オンラインセミナー「Rights and Obligations Tenants have under the Law in BC

日時 10月2日(水)午後 1:00 pm – 2:30 pm             参加費無料

申込み方法:ズーム登録こちらをクリック

セミナー詳細:隣組ウエブサイトこちらをクリック

連絡先:services@tonarigumi.ca または csassistant@tonarigumi.ca

主催:隣組 Japanese Community Volunteers Association

おれんじカフェ de 看取りーと「いつか来る『死』を見つめて~誰にでも訪れるその瞬間~」

恒例になっております、高山宙丸さんをゲストにお迎えして開催している「おれんじカフェ de 看取りーと」は、今年、5年振りに対面で行います。しかし、Zoomでのご参加も可能な ハイブリッド形式で行います。

毎回、違った趣向を取り入れた彼の作品を楽しみにしていらっしゃる方も多いので、少し作品情報をネタバレにならない程度に記載いたします。

今回は、リアルな作品をご披露くださるようです。作品の骨子は、「大病を患った男が見つめる自分自身の『死』を、一人語りとモジュラーシンセの音を通して表現した作品」となるようです。

「おれんじカフェ de 看取りーと」は、やさしく、ゆる~く、皆さんと『死』を語る場です。一年に一度は、何時か必ず訪れる『死』と向き合ってみませんか?

皆様のご参加、お待ちしております。

日本語認知症サポート協会

「おれんじカフェ de 看取りーと」詳細

イベント名:おれんじカフェ de 看取りーと
タイトル:いつか来る「死」を見つめて~誰にでも訪れるその瞬間~

要約:大切な人の「死」。大病を患って考えた自分の「死」。生きているものは、いつか死ぬ。頭で理解していても、「死」に対して漠然と不安や恐れを抱く瞬間はありませんか? 今年の「看取りーと」では、「死」について、参加者の皆さんと優しく、ゆる~く、触れてみたいと思います。

特別ゲスト:高山宙丸

プロフィール:詩人、ビートメーカー(モジュラーシンセ)。法政大学哲学科卒。2007年より4 年半、世界を放浪。無印良品、バンクーバー日本語学校、日系プレースなどに依頼を受けて詩や動画作品を提供。「Labyrinth of Messages」など、パブリックアートイベントを企画・主催している。

開催日時: 10月27日(日) 午後2時から午後4時
会場: スティーブストン仏教会、またはZoom
参加費:$20

チケット購入リンク:https://linktr.ee/Orange_Cafe_Mitori ←こちらは、クレジットカードでのお支払いとなります。

) 他のお支払い方法 (E-Transfer、小切手)をご希望の方は、下記のお申し込みリンクからお申し込みください。追って、参加費お支払い方法の詳細をメールさせていただきます。

参加申込リンク: https://forms.gle/Khgc8MiYspBU9iNNA

申込締切:10月25日(金)

連絡先:orangecafevancouver@gmail.com

主催:日本語認知症サポート協会

後援:スティーブストン仏教会、一般社団法人日本看取り士会

メディアスポンサー:ふれいざー、日加トゥデイ

「おれんじカフェ de 看取りーと」特別ゲスト高山宙丸氏イベントのチケットプレゼント

日本語認知症サポート協会が主催「おれんじカフェ de 看取りーと」で特別ゲストに高山宙丸氏を迎えて開催される「いつか来る「死」を見つめて~誰にでも訪れるその瞬間~」のチケットを2名にプレゼントいたします。

日時は 10月27日(日) 午後2時から午後4時、会場はスティーブストン仏教会、またはZoomとなります。

チケットご希望の方は10月14日までに、「おれんじカフェ de 看取りーと」希望と件名を明記の上、お名前と連絡先を記載して、promo@japancanadatoday.ca までご応募ください。締め切りは10月17日(木)とさせていただきます。

Danoneヨーグルト、リコール

 Danone Canadaが主力ブランドヨーグルトKirkland Signature Probiotic Yogurtのリコールを発表した。対象商品は2024年9月3日から19日までCostcoで販売されていた1個100グラムが24個パッケージされた商品で、CostcoID番号は1264134。

 発表によると、対象商品に含まれている酵母の一種が体調不良を引き起こす可能性があるという。ただ声明では「この酵母は冷蔵温度では成長しないことが知られているため、食品安全のリスクは低い」としている。

 対象商品の消費期限は、2024年10月18日、10月20日、10月22日。

 対象商品を購入している場合は、食べないよう注意喚起している。Costcoでは対象商品の返金に応じている。詳しくはウェブサイトを参照。

(記事 編集部)

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「縁」が重なって実現したバンクーバー・矢野アカデミー30周年を迎えて、矢野修三さんインタビュー(前編)

矢野アカデミー校長・矢野修三さん。2024年8月20日、バンクーバー市。Photo by Koichi Saito
矢野アカデミー校長・矢野修三さん。2024年8月20日、バンクーバー市。Photo by Koichi Saito

 矢野アカデミーが2024年9月に開講30周年を迎えた。バンクーバーで日本語を母国語としない大人を対象に日本語を教える先駆者として活躍する矢野アカデミー校長、矢野修三さんに話を聞いた。

「縁」が重なって実現したバンクーバーでの矢野アカデミー開講

 矢野アカデミーを開講したのは1994年9月。場所はバンクーバー・ガスタウン。観光スポット蒸気時計の近くで、知り合いを通して借りた部屋で「矢野アカデミー」が始まった。

 日本では日本語教師はおろか教員免許すら持っていなかったと笑う。きっかけはつくば博。1985年に茨城県つくば市で開催された国際科学技術博覧会に、当時勤めていた会社のプロジェクトチームの一員として参加した。準備から開催期間も含めて約1年。万博と言えば海外パビリオンも多く、そうした関係者には日本語がある程度できる人が派遣されていた。そうした中で「『日本語を教えてください』って多くの人に声をかけられたんですよ」と振り返る。

 これが矢野アカデミーinバンクーバーの最初の「縁」だった。

 つくば博が終了し、仕事は通常業務に戻った。そんな時、転勤の可能性が出てきたため、家族の事情も考慮して、「脱サラをしようかな」と密かに考えていたという。その時にひらめいたのがつくば博での体験。「万博で外国の人に日本語を教えてほしいって言われたのが頭に残っていたから、いまとなってはそれが日本語教師になろうと思ったきっかけかな」と話す。

 しかし終身雇用が当たり前の当時、脱サラには勇気がいった。「自分としてもすごい決心でしたね。ちょうど42歳。男の厄年です」と笑う。

 会社を退職後に父親も一緒に横浜に引っ越し、日本語教師養成講座を受講。会社員時代とは違い、時間に余裕がある生活の中で出合ったのがバンクーバーへの2つ目の「縁」だった。

 たまたま入ったピザ屋で食事をしていた外国人に声をかけた。「同じような世代の外国の人に声をかけたんですよ。自分は日本語教師になるための勉強もしていて、そのための英語の勉強もしていたから、英語で話しかけてみたんです。『どこから来たの?』って感じに」と思い出し笑い。すると「相手はこっちの英語が下手だと分かって優しく話しかけてくれたんですよ。それで会話が弾んで、どこに住んでいるのか聞いたら、すごい近所!奥さんの仕事の関係で家族で1年間だけ横浜に滞在していることが分かったんです」。しかも同年代の子どもがいて、彼自身は英語を教えているという。この彼がカナダ人だった。「ほんとこれが運命の出会いなんですよ。彼に会ってなければ、私のカナダ移住もなかったですね」

「ピザ屋で彼に会っていなければ、バンクーバーに行こうとは思わなかったですね」と振り返る矢野修三さん。2024年8月20日、バンクーバー市。Photo by Koichi Saito
「ピザ屋で彼に会っていなければ、バンクーバーに行こうとは思わなかったですね」と振り返る矢野修三さん。2024年8月20日、バンクーバー市。Photo by Koichi Saito

 それから家族ぐるみの付き合いが始まった。一緒に旅行にも行った。彼ら家族がカナダに帰った後も手紙のやりとりは続いていた。そんな時「カナダに行ってみようかっていうことになって。1988年、家族でカナダに会いに行ったんです」。当時友人家族はデルタ市に住んでいた。その時の印象が忘れられないという。「空港に着いた時、8月なのに、なにこのさわやかさ!って思って。その友人が空港まで迎えに来てくれてデルタの自宅に泊めてくれたんです。大きな裏庭があって豪邸に見えてね。いいところだなぁっと」。当時は物価も安く、カナダの銀行の利子は高いという時代と振り返る。「移住しようかなぁと芽生えましたね。でも、本当にできるとは思ってもいませんでしたけど」

 それでもバンクーバーにすでに移住している人に滞在中に色々と話を聞いた。すると「簡単、簡単なんて言われて。カナダ大使館に聞いたらいいよ」とアドバイスを受けた。早速帰国後カナダ大使館に問い合わせて、起業家移民という移住制度があることを知って、「じゃあちょっとやってみるかと考え始めましたね。正式に始めようと思ったのは1989年くらい」。すぐに申請したが、面接までいったにもかかわらずビザ発給とはならなかった。カナダ大使館からは政策が変わったためと説明され、再申請し1993年無事に移住が決まった。そして、1994年8月8日、「末広がりの吉日」にバンクーバーに降り立った。

 「いま思えば」と前置きして、「85年のつくば博の最終日に会場に『来年はバンクーバーで会いましょう』とあったんですよ。86年と言えばバンクーバーEXPO(バンクーバー国際交通博覧会86)。その時はバンクーバーなんて知らなかったけど、振り返ると『赤い糸』があったのかなと思います」と笑った。

「優しく、楽しくをモットーに」矢野アカデミー30周年、矢野修三さんインタビュー(後編)に続く

(取材 三島直美/写真 斉藤光一)

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20 ☆「雨雲」と「雨男」の違いは・・・?

日本語教師  矢野修三

 中秋の候、木の葉も色づき、日に日に目を楽しませてくれる。でも、「Rainクーバー」と揶揄されるバンクーバーは間もなく雨期がやってくる。毎日、雨、雨。気持ちも湿りがちでうんざりだが、雨は日本語教師にとっても、手ごわくてうんざり。この「雨」、漢字はやさしいが、読み方がいろいろ変化するので、生徒は大変だし、教師も説明に大変。

 先ずは連濁現象。「鼻」+「血」が連なって一つの単語「鼻血」になると、後ろの「血」が濁り、「はな+ぢ」となる現象。「青空」は「あお+ぞら」になる。すると、「雨空」は当然「あめ+ぞら」に・・・。うーん。でも正しくは「あまぞら」。なぜ「あめ」が「あま」に・・・。ややこしい。

 さらに、「大雨」は「おおあめ」だが、「小雨」は「こあめ」でも「こあま」でもなく、ナント「こさめ」である。えー、なぜ、生徒の悲鳴が聞こえてくる。

 確かに、この「雨」は日本語教師として手ごわく、生徒の戸惑いもよく分る。でも、こんなこと日本人はほとんど意識したことない。母語として、子供のころから「雨雲」は「あまぐも」、「雨戸」は「あまど」、さらに「春雨」は「はるさめ」などと聞き習ってきた。慣れや言いやすさもあり、なぜ「あめ」が「あま」や「さめ」になるのかなどほとんど考えたこともないのでは・・・。

 かなり昔、上級者に「雨(あま)宿り」の話をしたら、バンクーバーでは、雨宿りなどする人はほとんどいないとのこと。確かに、傘なしで歩いている人多し。加えて、「雨男」って、おもしろい表現ですが、読み方はなぜ「あま男」ではなくて「あめ男」なんですか、と思いもよらぬ質問を受けて、びっくり。うーん、困った思い出がある。

 話し言葉における音声変化は、日本語だけでなく、どこの言語にも必ずあるはず。たとえば、英語の「want to」が「wanna ワナ」に、Why? 特にフランス語は言語として、長い、かなり込み入った歴史も絡んで、音声変化はとても複雑なようである。

 会話における音声変化には一応ルールはあるが、例外も多々あり、複雑で、いちいち生徒に説明などする必要はなく、「発音のしやすさ」が一番大事、と教えるようにした。

 これは日本で一番古いとされている「なぞなぞ」で、「母には二度会うが、父には一度も会わない、なーんだ?」である。答えは「くちびる」。理由は、平安、室町時代ごろの「母」の発音は、「ふぁ ふぁ」だったようで、上と下の唇が二度触れ合うが、「父」の発音は「ち ち」で唇は一度も合わない。なるほど、面白い。でも、江戸中期以降から、発音は「は は」になり、もはや意味が分からない「なぞなぞ」になってしまった。

 このように言葉の発音はその時代、時代の人たちの言いやすさが最優先であり、時代とともに変化するのは当然。生徒には、「あまぐも」や「あめおとこ」の発音が現代の日本人にとって、言いやすいからが理由。あまり気にせず、ぜひ慣れ親しんで、と説明ではなく、エールを送っている。ひょっとすると、100年後には、「雨雲」や「雨男」の読み方も変わっているかも・・・。

 この連濁に関してはこんな質問も。「豆腐汁」は「豆腐+じる」なのに、どうして「味噌汁」は「味噌+じる」と濁らないのか・・・。えー、衝撃ではなく、笑撃を受けた。でも落ち着いて、日本人には「みそじる」は言いにくいし、まずそうに聞こえるからね。 That’s all.

「ことばの交差点」
日本語を楽しく深掘りする矢野修三さんのコラム。日常の何気ない言葉遣いをカナダから考察。日本語を学ぶ外国人の視点に日本語教師として感心しながら日本語を共に学びます。第1回からのコラムはこちら

矢野修三(やの・しゅうぞう)
1994年 バンクーバーに家族で移住(50歳)
YANO Academy(日本語学校)開校
2020年 教室を閉じる(26年間)
現在はオンライン講座を開講中(日本からも可)
・日本語教師養成講座(卒業生2900名)
・外から見る日本語講座(目からうろこの日本語)    
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「いい旅 バンクーバー島 1」~投稿千景~

エドサトウ

 8月も半ばを過ぎて、少々涼しくなり、もう晩夏という感じである。この週末は雨模様の予報ではあるが、すでにバンクーバー島へ行くフェリーの予約を入れてチケットは買ってある。ドライバーの息子はコロナウィルスの時から、ホリデーを取っていない。ここは無理をしてでも行かねばなるまい。

 朝の8時半、土砂降りの雨のなか車に乗り出かければ、フレイザー河の下をくぐってているトンネルの中ほどは低く、結構な水たまりになっていた。ドライバーの息子が勢いよく通りぬければ、すごい水しぶきがトンネルの壁から跳ね返り、車のフロントガラスの視界が水しぶきで見えなくなるほどであった。

 しかし、前線が通り抜けたのか、フェリー乗り場に着くころには小雨となり、少々ホッとする。小雨ぱらつく中、フェリーはバンクーバー島の中ほどにあるナナイモ市に向けて、ゆっくりと動きだす。

 ナナイモは、割と雨の少ないところだと、以前、泊まった宿の主人が言っていたことを僕は少々頼りにしていた。9時15分、ゆっくりと港を離れてゆく。僕たちは、キャフェテリアに行き昼食を兼ねて、朝食のトースト、スクランブルエッグ、ハッシュドポテト、ソーセージのトラディショナルブレックファーストとコーヒーを注文した。料金は20ドルぐらいであったが、ボリュームもあり、おいしかった。

 朝食兼昼食を済ませて、少しゆったりとしたラウンジの柔らかいシートに座って外を見れば、雨もやみ、空が明るくなっている。朝の土砂降りの雨は、すっかりと止み、いい旅になりそうである。

 ナナイモの港に昼前に到着。太陽が照り始めた高速道路を最初の目的地パークスビルを目指して、我らの少々古いホンダシビックスポーツは快調に走る。出発前にエンジンオイルがエンジンからわずかに滲みでてオイル焼の臭いがするのでエンジンのガスケットなどを交換してもらい、少々お金がかかったが凄く調子がいい。

 この先のキャンプ場や宿の様子などを知りたいのでパークスビルの街の手前にある旅のインフォメーションセンターに寄るが、土曜日と日曜日は休みとある。それで、すぐ隣に新しくできた郷土歴史博物館があり、古い昔の建物が復元されて、いくつも建っていた。それによれば、この辺りは1866年頃、つまり江戸時代末期に英国のコロニー(植民地)となり、材木の切り出しが行われていたようである。当時の船は多くが木製であったから、バンクーバー島の大きなイエローシイダ(日本のヒノキに似る)が水に強く腐りにくいので船の船体を作るのに良く、ここで切り出されて製材されたものが、アメリカや英国に輸出されたのかもしれない。

 そのためか、早くに鉄道も敷かれて、ナナイモの港まで材木が運ばれたのかと想像される。その昔、ネイティブ(先住民)の人々しか住まない小さな集落の近くに白人の人々が住み、食料や鉄の道具を売る店もでき、学校ができて、次第にパークスビルの街も大きくなっていったようである。

 丸太を四角く切り、それを積み上げて壁を作り屋根を作り、風が入らないように丸太の間にはしっくいなどを詰める。小さな室内には窓とドアがあり、ドアの近くに四角いキッチンストーブがあり、料理と部屋の暖房が出来る様になっている。その横に小さなテーブルがあり、食事ができる。さらにその横に壁に沿ってベッドが置かれてあるが、トイレとシャワーはない。たぶんトイレは外にあったのかもしれない。シャワーはないから、ストーブで沸かした熱いお湯で身体を拭くぐらいであったのかもしれない。

 週末には、お湯で身体を拭いて近くの教会へ行ったのかもしれない。食料は自分達の畑で作り、ほとんど自給自足であったのであろう。近くの海でサーモンはとれるし、山に行けば、鹿や熊の肉がハンティング(狩猟)できたのであろう。

投稿千景
視点を変えると見え方が変わる。エドサトウさん独特の視点で世界を切り取る連載コラム「投稿千景」。
これまでの当サイトでの「投稿千景」はこちらからご覧いただけます。
https://www.japancanadatoday.ca/category/column/post-ed-sato/

メトロバンクーバーの穀物ターミナルでスト始まる

 メトロバンクーバーの穀物ターミナル(穀物を貯蔵する施設)6カ所で9月24日、労働者約650人がストライキに入った。

 組合グレイン・ワーカーズ・ユニオン・ローカル333と、雇用者側のバンクーバー・ターミナル・エレベーターズ・アソシエーション(VTEA)は、2023年11月から労使交渉を続けてきた。しかし12月に契約が失効後、交渉は行き詰まり、組合側は今年9月21日にスト通告を出した。争点となっているのは賃金、年金、福利厚生、スケジュールという。

 ストが行われているのは、バンクーバー市とノースバンクーバー市にある6カ所のターミナル。生産者組織グレイン・グローワーズ・オブ・カナダ(GGC)によると、昨年はカナダ産穀物の50%以上がこれらのターミナルを利用しており、経済やサプライチェーンに与える影響は甚大で、輸出額の損失は毎日3500万ドルになるという。

 組合側と雇用側が互いに非難し合う状況のなか、収穫シーズン中の生産者は懸念を示し、GGCは連邦政府の介入を呼びかけている。スティーブン・マッキノン労働大臣はX(旧ツイッター)に、23日に両者と会談し政府の調停のもとで両者が交渉再開で合意したと投稿した。

 CTVニュース電子版は、食糧政策を専門とするダルハウジー大学シルヴェイン・シャルボワ教授の話として、「食料安全保障にも影響が出る可能性がある」とし、ストが1週間以上続けば消費者は商品不足や価格高騰に直面するだろうと伝えている。

(記事 編集部)

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BC州選挙活動、公式スタート

The Legislative Assembly of British Columbia, Victoria, Canada.
ブリティッシュ・コロンビア州の州都ビクトリアにある州議事堂。

 ブリティッシュ・コロンビア(BC)州で9月21日、州議会議員選挙の活動が公式に始まった。投開票は10月19日、選挙区は前回から増え93。

 BCNDP(BC新民主党)デイビッド・イービー党首は20日に保守党との激戦が予想されるサレー市を訪れた。選挙活動初日の21日にはリッチモンド市で事務所開設を兼ねてキャンペーンの公式スタートを切った。

 BC保守党ジョン・ラスタッド党首は、バンクーバー市ダウンタウン・イーストサイドで活動開始。バンクーバー市で唯一ホームレスキャンプが許可されているクラブパークで、ホームレスと薬物中毒問題への取り組みを訴えた。

 BCグリーン党ソニア・ファーステノー党首はビクトリア市で演説、「これ以上、環境問題に遅れを取ってはならない」と訴えた。

 イービー氏とラスタッド氏は、それぞれ党首として初めての選挙戦となる。BCユナイテッド(前BC自由党)は8月28日に票割れを防ぐために今回の選挙ではBC保守党を支援すると発表。同党から一切候補者を出さないことを表明し、事実上党として消滅した。

 今回の選挙で投票できるのは、カナダ国籍を有する18歳以上で、今年4月18日以前からBC州に住んでいる人。投票には登録が必要で、事前登録を呼び掛けているが、投票所でも登録できる。期日前投票は10月10日〜13日、15日〜16日。投票は郵送でも可能。

(記事 編集部)

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「コーダの人だけではなく普遍的な物語」北米プレミア バンクーバー国際映画祭「ぼくが生きてる、ふたつの世界」呉美保監督インタビュー

五十嵐大を演じる吉沢亮。Photo courtesy of VIFF
五十嵐大を演じる吉沢亮。Photo courtesy of VIFF

 第43回バンクーバー国際映画祭(VIFF)が北米プレミア上映となる「ぼくが生きてる、ふたつの世界(英題:Living in Two Worlds)」(日加トゥデイ・メディアパートナー作品)。原作は、作家・エッセイストの五十嵐大による自伝的エッセイ「ろうの両親から生まれたぼくが聴こえる世界と聴こえない世界を行き来して考えた30のこと」で、本作では、コーダ(Children of Deaf Adults/きこえない、またはきこえにくい親を持つ聴者の子どもという意味)の主人公・五十嵐大(吉沢亮)の「きこえる世界」と「きこえない世界」での葛藤と成長の姿を描く。

「ぼくが生きてる、ふたつの世界(英題:Living in Two Worlds)」の呉美保監督。Photo courtesy of VIFF
「ぼくが生きてる、ふたつの世界(英題:Living in Two Worlds)」の呉美保監督。Photo courtesy of VIFF

 現在、子育てと仕事の両立に多忙を極める呉美保(お・みぽ)監督は今回の映画祭への出席は見送ったが、バンクーバーでの上映に先立ち、東京から本作に込めた思いを語った。

—国内外で高い評価を得た「そこのみにて光輝く」以来、9年ぶりとなる長編監督作品となる本作。「映画にもう一度戻る勇気がなかった」という呉監督が、それでもこの作品を監督したいと思った理由は?

 映画は四六時中そこに時間を割かなきゃいけない本当に大変な作業なので、2015年に子どもを産んで以来、育児中心の生活となり、長編作品を監督することは難しいと感じていました。しかし、2人目の子どもが1歳になった頃にこの企画をいただき、本作が息子と母親の話であり、私たちの生活の延長線上にある話で、なにより社会的マイノリティを描いている点に興味を引かれました。

 原作を読むまでコーダのことは知りませんでしたが、そこに流れている感覚が自分の幼い頃の感覚に似ていたんです。私は在日韓国籍で、そのことでいじめられた経験はないですが、「あれ、私は他の人とはちょっと違うの?」、「『普通』って何だろう?」と思っていた当時の感覚を思い出し、この作品は、コーダの人だけではなくこの社会で生きるいろんな人たちに共感をしてもらえる物語、普遍的な物語にできるのではないかと思い、ぜひともこれを映画にしたいと思いました。

 また、この企画をいただく2年前に私のめいが元々あった聴力を高熱で失い、ろう学校で手話の勉強を始めたんです。会うたびに、手話を習得して吸収していく様子にびっくりして、本当にすばらしいな、こういう世界もあるのだと気付かされたことも、この作品に引かれた大きな理由です。

—制作が始動すると、9年前にはなかった母親としての不安との闘いだったという監督。そんな状況の中、作品でこだわったことは?

 今回、9年ぶりの長編監督作品としてのプレッシャーよりも、子育てと両立ができるのかという不安が大きかったです。「今日子どもが熱を出したらどうしよう」とか、「この打ち合せが子どもの迎えの前までに終わるのだろうか」ということを常に考えて、ずっと動悸がしている状態で1日中不安を抱えていました。

 限られた時間の中でも特に作品でこだわったのは、「違和感をなくす」こと。この作品の原作は実話なので、作られたような世界の描き方にはしたくないと思っていました。例えば、この作品では、ろう者役は、全てろう者俳優に演じてもらっています。ろう者の方々に聞くと、今まで多くのろう者役を聴者の俳優が演じてきたけど、「外国人が生粋の日本人を演じているような違和感があった」と皆さんおっしゃる。よくよく考えると当たり前なのですが、実は気付いていなかったことに今回たくさん気付かされました。

子どもの頃の五十嵐大(右)と母(左)、父(中央)。Photo courtesy of VIFF
子どもの頃の五十嵐大(右)と母(左)、父(中央)。Photo courtesy of VIFF

 また、この作品では観客がドキュメンタリーを見ているような感覚になるように、主人公・五十嵐大の0歳から28歳までを描くことが目標でした。映画「6歳のボクが大人になるまで」では何年もかけて実際に撮影されていますが、この作品の撮影期間はわずか3週間でしたので、幼少時代から吉沢亮さんまでの変遷を違和感なく見てもらえるように、とことんオーディションをやり、「ミニ吉沢亮」を探し続けました。

—撮影中、監督自身の感情が最も動いた瞬間は?

 吉沢さんが父親と線路沿いを歩く長いワンカットのシーンの撮影だったのですが、吉沢さんの初めての手話のシーンですし、電車のタイミングやワンカットでの撮影など、難しい要素が多く、1回ではOKは出せないだろうと思っていました。

「ぼくが生きてる、ふたつの世界(英題:Living in Two Worlds)」より。Photo courtesy of VIFF
「ぼくが生きてる、ふたつの世界(英題:Living in Two Worlds)」より。Photo courtesy of VIFF

 でも、びっくりしたのですが、ワンテイクで、吉沢さんの手話の間違いもなく、カメラワークもよく、電車もベストなタイミングで走り、うわーっと思いました。吉沢さん、持ってるなと。そのとき、「この映画は、きっとうまくいく!」と確信しました。今考えてもわくわくします。いまだに試写で見るたびに、もう完成しているのに、セリフの間違いないかなとドキドキして。そして毎回感動します(笑)

—本作では、ろう者と聴者間のコミュニケーションの問題が描かれています。手話を作品で扱う上で、苦労したことはありますか?

 今回最も苦労したのは、「手話」という「異文化・異言語」を理解することのハードルで、ロスト・イン・トランスレーションといいますか、本当に忍耐勝負でした。話し言葉もたくさんの言い方が人それぞれあるように、手話の場合も、年代、性別、方言、性格によって全然違い、言葉の選択も違うため、まず、各キャラクターにのっとった手話翻訳をし、そのあと実際の俳優も交えて一緒に精査をして、現場でさらにもう一度修正するということを何段階も行って、手話を作り上げていきました。

 現場にはおおよそ8人の手話チームが常駐し、ろう者俳優と話すときは、手話通訳に入ってもらい、手話演出メンバーともメールなどの活字での打合せが必要でしたので、やはりこうして話すよりも2倍、3倍の時間を要しました。そのときの疲労は想像以上で、英語が話せないのに海外に行ったときの疲れと同じ感覚でした。しかし、そこで少しでも気を抜くと自分の目指すところには行けないと思ったので、諦めずに最後までやり抜きました。

—バンクーバー国際映画祭で期待していることは?

 私にとっての初めての国際受賞は2014年のモントリオール世界映画祭で、そのとき、カナダの人たちがとてもおおらかに迎え入れてくださったことを今でも覚えています。今回私が描いたコーダの主人公は、確固たる夢があるわけでもなく、何をしたいのかも分からない。主人公が「第一歩を踏み出すか、踏み出さないか」のような日本独特の空気の映画をカナダという多文化の国の人たちが、どのように受け止めてくれるのかすごく気になります。日本の片隅の、何でもない男の子の人生を見守るように楽しんでもらえたらなと思います。

「ぼくが生きてる、ふたつの世界(英題:Living in Two Worlds)」上映日時・会場

9月26日(木)8:30 pm @The Cinematheque
9月30日(月)10:30 am @International Village 9
https://viff.org/whats-on/viff24-living-in-two-worlds

母親(忍足亜希子)と大(吉沢亮)。Photo courtesy of VIFF
母親(忍足亜希子)と大(吉沢亮)。Photo courtesy of VIFF

(取材 佐々岡沙樹)

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