ホーム 著者 からの投稿 Naomi Mishima

Naomi Mishima

Naomi Mishima
1633 投稿 0 コメント

「おかあさんの被爆ピアノ(Hiroshima Piano)」上映会を終えて

映画の一場面と上映会の様子。2024年8月4日、バンクーバー市。Photo by Koichi Saito/ Japan Canada Today
映画の一場面と上映会の様子。2024年8月4日、バンクーバー市。Photo by Koichi Saito/ Japan Canada Today

 第48回パウエルストリート・フェスティバル(パウエル祭)のプログラムの一環として「おかあさんの被爆ピアノ(Hiroshima Piano)」上映会を行いました。パウエル祭は3日、4日に開催され、両日とも午前11時30分から午後7時までオッペンハイマー公園周辺でさまざまなパフォーマンスや出店があり、多くの人が年に一度の日本のお祭りを楽しんでいました。

 上映会は、パウエル祭2日目、8月4日の午後4時30分からファイアホールというオッペンハイマー公園から少し離れた劇場でありましたが、約80人が来場し、約2時間の映画を鑑賞してくれました。映画が終了後には拍手も起こり、無事に上映会を終えました。

 「おかあさんの被爆ピアノ(Hiroshima Piano)」は2020年に日本で公開、映画「おかあさんの被爆ピアノ」製作委員会の制作で、実際に被爆ピアノで演奏会を実施しているピアノ調律師・矢川光則さんの活動を基に物語が作られています。監督・脚本は後藤利弘さん、主演は矢野史郎さん(矢川光則役)、武藤十夢さん(江口菜々子役)、脇を固めるのは、森口瑤子さん(江口の母親役)、宮川一朗太さん(江口の父親役)。1945年8月6日に被爆したピアノを巡る物語が、ゆっくりと時間と場所と関わる全ての人々の思いを交錯させて紡がれていきます。

 上映会が行われた8月4日午後4時30分は、広島は5日午前8時30分。79年前の原爆投下の約1日前という偶然にも思いを馳せる上映会でした。

 バンクーバーで初めての上映会は成功だったと思います。この上映会成功にあたり、パウエルストリート・フェスティバル・ソサエティとファイアホールの映像スタッフの方の甚大な協力に感謝いたします。ありがとうございました。

 主催は”Hiroshima Piano” Film Viewing Group。バンクーバー広島県人会(Hiroshima Club)、新移住者特別委員会(JNIC)、日加トゥデイ、AK Jump Educational Consulting Inc.からなるカナダでの上映会実施グループで、協力は広島カナダ協会。

 今後もカナダ各地で上映会が実施されることを期待しています。

上映会の前と後に、映画について日英語で説明するパウエル祭のスタッフ。2024年8月4日、バンクーバー市。Photo by Koichi Saito/ Japan Canada Today
上映会の前と後に、映画について日英語で説明するパウエル祭のスタッフ。2024年8月4日、バンクーバー市。Photo by Koichi Saito/ Japan Canada Today

(寄稿 バンクーバー広島県人会/”Hiroshima Piano” Film Viewing Group)

合わせて読みたい関連記事

書道教室  並びに  書道ワークショップのお知らせ

★書道教室:月2回 漢字・かな・ペン字

 *日系センター 第①,②水 曜日 11時~

 *リッチモンド 第①、②火曜日      〃

―――――――――――――――――――――――――――――――   

★書道ワークショップ:「万葉集 を書く会」

*日系センター 通常第①土曜日 11時―12時半

    万葉歌で仮名をお稽古し仮名作品を制作します。

  清書用和紙受講料に込み  初心者用の手本有  準備上事前予約要

 予定日―  9月7日 11月2日 来年は2月より

______________________

★シニア(55才以上)の書道ワークショップ  -シニア料金-

      ( シニアのワークショップのみ お道具のレンタル有り )

    Minoru Senior Centre Richmond    ( 7191 Granville Ave. Richmond ) 

 _______________________________________________________________________________________________________________ 

  ●各クラス、初心者歓迎、見学できます。ご希望の方は事前連絡を。

  お申し込み・詳細は下記までお気軽にお問い合わせ下さい。

     書道研究 一成会

    TEL (604)273-1621

    e-mail     rvan2@hotmail.com

自力整体 2024年 9月~12月

ご自身の身体と向き合う時間、身体と対話する時間、そんな時間を持つことが、大病を遠ざけてくれます。

『最新の自力整体を日本よりお届け致します』

日系センター教室

◎金曜日クラス 9月6日(金) ・27日(金) AM10:30~11:30
15日(日)日曜日90分ゆっくりクラス AM11:30~13:00

◎金曜日クラス 10月11日(金) ・25日(金) AM10:30~11:30
20日(日)日曜日90分ゆっくりクラス AM11:30~13:00 

◎11月1日(金)・15日(金)・29日(金) AM10:30~11:30
(11月の日曜日90分ゆっくりクラス は休講) 

◎金曜日クラス 12月6(金) ・20日(金) AM10:30~11:30
15日(日)日曜日90分ゆっくりクラス AM11:30~13:00

バンクーバーMain教室    祝日開催

9/2(月)・9/30(月)・10/14(月)・11/11(月)
10:30am~11:30am

Web教室 (月)夕・(木)朝、夕(土)朝 各クラス開講中❢

詳細・お問い合わせはお気軽に、、、   
☎ 604‐448-8854
jirikiseitai.canada@gmail.com
Webサイトhttps://jirikiseitai-canada.jimdofree.com/

カナダ政府のマイノリティ政策として見る日系人の強制移動

ブリティッシュ・コロンビア州サンシャインバレーにあるタシメミュージアム。2018年9月7日。撮影 三島直美
ブリティッシュ・コロンビア州サンシャインバレーにあるタシメミュージアム。2018年9月7日。撮影 三島直美

 移民がつくった国、カナダ。世界的な流れとして反移民感情が強まる中、カナダはそれでも積極的な移民政策を取り、「多文化主義」を国の根幹におく。しかしカナダがマイノリティに常に寛容だったわけでない。

 愛知大学法学部教授でカナダ政治を専門とする岡田健太郎さんは、カナダ政府がマイノリティに対して行ってきた政策を調査し、それが現在にどのような影響を及ぼしているのか調べていると話す。

カナダ政府による日系人強制移動

 岡田さんによると、先住民に対する同化政策(レジデンシャル・スクール:寄宿舎学校)や日系人の強制移動といった問題は、カナダ政府がマイノリティをどのように見ていたか、という観点から共通の問題として考えることができるという。

 日系人の強制移動は彼らを「敵性外国人」とみなし、同化できない「敵」として扱うものだった。先住民の寄宿舎学校のように、隔離してキリスト教徒化しようとする同化政策とはその意味で異なる。

 日系人の強制移動政策は、今日に至るまでカナダにとってネガティブな歴史であり続けているが、だからこそ戦後カナダの多文化主義政策にも影響を与えた。1982年のカナダ人権憲章(人権と自由の憲章)の策定は、日系人の隔離政策への反省の意味もあると話す。

 カナダ政府が行ったマイノリティの人権を侵害するそれぞれの政策は、いずれも「人権を踏みにじった」という意味では同じ。「正義に反することをすると、のちのちそのしっぺ返しが必ずやって来るという、ごく当たり前のことが、いまのカナダで起こっているということだと思う」と語った。

岡田健太郎(おかだ・けんたろう)
愛知大学法学部教授
元バンクーバー総領事館専門調査員

*次回より寄稿記事として掲載します。

(取材 三島直美)

合わせて読みたい関連記事

セリーヌ・ディオン 音楽の楽園〜もう一つのカナダ 第26回

はじめに

 日加関係を応援頂いている皆さま、音楽ファンの皆さま、こんにちは。

 4年ごとに訪れる閏年にあって世界が注目するものは何でしょう?そうです。一つが米国の大統領選挙。もう一つが夏季オリンピックです。今年の開催地は、クーベルタン男爵の故国フランスは、花の都パリでした。日本人選手の活躍に歓喜と悔し涙が交差し、胸が熱くなった2週間があっと言う間に過ぎました。

 実は、100年前の1924年もパリ五輪でした。映画「炎のランナー」の原典です。ユダヤ人ハロルド・エイブラハムスとスコットランド人牧師エリック・リデルが「走る」ことは「生きる」ことだと身をもって示したのです。

 そして、2024パリ五輪。開会式を締め括るセリーヌ・ディオンの渾身の歌唱が、「歌う」ことは「生きる」ことだと強烈に印象づけました。

 と言う訳で、今回は、カナダが生んだ世界の歌姫、セリーヌ・ディオンです。

2024年7月26日午後11時

 パリ五輪の開会式は、極めてフランス的な趣向を凝らしたものでした。史上初めて、競技場の外で行われた開会式です。選手団はセーヌ川を船で入場しました。韓国を北朝鮮と間違えたり、国旗を上下逆さまに掲げたり笑えないハプニングもありました。それでも、パリの中心地を東から西に6kmにわたりパレードが進み、様々なパフォーマンスが行われ、毀誉褒貶はありつつも、今のフランスを世界に印象づける式典でした。その極め付けがセリーヌ・ディオンでした。

 エッフェル塔に設けられた特設ステージに登場したセリーヌは純白のドレスを纏っていました。ディオールのマリア・グラツィア・キウリが特別にデザインしたオートクチュールで、スパンコールが刺繍され、背中やスカートに施されたフリンジは計500メートルに及んだそうです。衣装も凄かったですが、とにかく歌が圧巻です。

 “あなたが望めば、世界の果てまで行ってもいいわ。
 髪をきるのも、家を捨てるのも、友達さえも、祖国をも裏切るわ。
 怖いものは何もない。あなたさえいれば”

 フランスを代表する歌姫エディット・ピアフ自身が作詞した『愛の讃歌(Hymne à l’amour)』です。元来は、妻子ある恋人プロ・ボクサー、マルセル・セダンとの恋を終わらせるために書いたと言われています。背徳的な匂いも漂います。が、マルグリット・モノーが紡いだ明朗な旋律が、毒をも制する崇高な愛の核心を突きます。今や、シャンソンの名曲中の名曲で、フランスを代表する曲です。パリ五輪開会式に相応しい曲と言えます。

 セリーヌは、低音域で囁くように歌い始めます。大人の女性を感じさせます。曲の展開とともに、正確な音程とアーティキュレーションで、歌が始動します。絹のような滑らかな表面と鋼鉄のような強固な芯を持つセリーヌの声の本領発揮です。高音域になると、あの華奢な身体のどこから出て来るのか、豊かな声量で魅了します。3分30秒の音楽の王国でした。

何故、セリーヌ・ディオンだったのか?

 オリンピックは、好むと好まざるにかかわらず、主催国の威信と誇りがかかります。特に、開会式においては、主催国の文化・歴史・伝統が色濃く反映します。パリ五輪の開会式を締め括る曲が「愛の讃歌」だったのも頷けます。しかし、その「愛の賛歌」を歌ったのがカナダ人セリーヌ・ディオンだったのが非常に興味深いです。

From left to right: Daphn Brki, Thomas Jolly, Tony Estanguet. ©Paris2024
From left to right: Daphn Brki, Thomas Jolly, Tony Estanguet. ©Paris2024

 一般に、フランス人は自国の歴史・文化への誇りとこだわりが強いイメージがあるのに、最大の見せ場がフランス人歌手でなかったのは何故なのでしょうか。鍵は、開会式の芸術監督を務めた42歳の気鋭の俳優・演出家トマ・ジョリにあります。22歳で演出家デビューし、シェークスピアの「ヘンリー6世」を大胆に解釈・翻訳し、18時間連続上演させ、仏演劇界で最高の権威あるモリエール賞も受賞しています。ジョリは、過去の因習やジェンダーなど固定観念に囚われず、移民・環境・格差などの社会問題も直裁に取り入れた作品を発表しています。自身、ゲイであることも公表しています。芸術の国フランスですから、パリ五輪の開会・閉会式の芸術監督候補は数十人いたそうですが、最終的にジョリが選ばれました。フランスの懐の深さを感じさせます。

 「シャンソンの名曲『愛の賛歌』の歌い手に、ラブソングの名手であることを理由に世界的歌手のセリーヌ・ディオンを選んだ」とは、ジョリ監督の弁です。開明的な芸術監督が一切の忖度抜きで、国籍にこだわらず、非常にシンプルな理由で歌手としての実力でセリーヌ・ディオンを選んだ訳です。フランスを象徴する歌を、世界最高の歌手に歌ってもらうことこそが、フランスの文化・芸術を世界に示すことだというジョリ監督の確信でしょう。

 そして、もう一つ。セリーヌ・ディオンを起用する理由があったのです。

スティッフパーソン症候群

 パリ五輪開会式でのセリーヌ・ディオンのパフォーマンスは、当日のその瞬間まで、極秘裏にかつ慎重に準備が進められて来ました。

 何故ならば、セリーヌは、2020年3月の米ニュージャージー州での公演以降は、スティッフパーソン症候群(SPS)という難病のため、歌手活動を停止していたからです。この難病は、不随意の痙攣や筋肉の硬直を引き起こす神経性疾患で、音や接触などの体感によって症状が誘発、悪化するものです。100万人に1人という極めて稀な疾患です。

 セリーヌはこの疾患が原因で「以前のように歌えなくなった」と吐露しています。実は、数年前から、徐々にその兆候があって、公演を短く切り上げたりしていました。2022年12月には、歌手活動を休止し治療に専念すると発表しました。2024年6月に公開されたドキュメンタリー映画「アイ・アム・セリーヌ・ディオン〜病との闘いの中で〜」が、困難な生活を赤裸々に描いています。スーパースターの光と影を包み隠さず映すこのドキュメンタリーも、苛烈な競争に晒されるショービジネス故のしたたかなプロモーション戦略の一環です。それでも、SPS療法のため1日に80〜90ミリグラムのジアゼバムを飲まなければならないと苦痛に涙しながら語る様子や、リハビリの途中で倒れる様子は、セリーヌが病と闘っている現実を突きつけます。

 そんな過酷な疾患を克服して歌うセリーヌの様子は、観る者の胸に迫ります。SPSを患いながらの圧巻のパフォーマンスは、意思があれば、困難は乗り越えられるのだと、勇気を与えます。世の中、綺麗事ですまない、そんなに甘くない、というシニカルな諦観に鉄槌を下します。ジョリ芸術監督がセリーヌを起用した理由の一つでしょう。話題にならない訳がありません。感動しない訳がありません。

 次に、そんなセリーヌ・ディオンの旅路を振り返りましょう。勿論、生まれた時からスターになるべく生まれた訳ではありません。ですが、運命の出会いがありました。

ケベック州モントリオール郊外シャルマーニュ

 セリーヌ・ディオンは1968年3月、ケベック州モントリオール郊外のシャルマーニュの屠殺業を営むフランス系の14人兄弟姉妹の末っ子として生まれました。両親とも音楽愛好家で、家計は楽ではありませんでしたが、家庭には音楽が溢れていました。そして、セリーヌは幼少期から類稀な才能を示していました。とにかく驚異的に歌が上手だったのです。5歳で、兄マイケルの結婚式の大勢の来客を前に歌って、皆を驚かせたといいます。以来、ピアノ・バーなど地元で歌っていました。とは言え、この類の神童神話は、決して珍しくありません。此処そこに、歌の上手い女子はいるのですから。

 転機は、セリーヌ12歳の時に訪れます。セリーヌは、母と兄マイケルと一緒に、“Ce n’était qu’un rêve”というオリジナル曲を自主録音したのです。家族の力です。そして、兄は、その音源を、たまたま或るレコードの裏表紙に記載されていた音楽マネージャー、ルネ・アンジェリルに送ったのです。ルネの事務所には、その種の音楽テームは頻繁に送られて来ていましたが、胸に迫る音楽は滅多にありません。しかし、ディオン・ファミリーの音楽を聴いた瞬間、ルネは、セリーヌの歌に魂を奪われ涙したと言います。この時、ルネ39歳。ケベック州の音楽業界でキャリアを重ねて来た男は、12歳のセリーヌに宿る尋常ならざる才能を確信。マネージメント契約を結びます。今日のセリーヌ・ディオンの原点です。

 因みに、英国の地方都市リバプールのビートルズが世界のビートルズになったのは、敏腕マネージャー、ブライアン・エプスタインの功績大です。ホイットニー・ヒューストンは、クライブ・デイヴィスなかりせば、世に出ていなかったでしょう。偉大な才能の原石は、発見され研磨されなければ、原石のままです。原石は、目利きでなければ、普通の石にしか見えません。ルネとの出会いが運命の扉を開いたのです。

 1981年、ルネは、自宅を抵当に入れて借金をして、セリーヌのデビュー盤“La voix du bon Dieu”をリリースします。この音盤は、ケベック州チャート首位に立ちます。そこで、セリーヌには、多数の公演ツアーの誘いがありましたが、ルネは「この才能を潰すわけにはいかない」として、全ての誘いを断りました。

 ここを起点に、現代のエンタテインメントのシンデレラ・ストーリーが始まるのです。但し、一朝一夕にスターダムに上り詰めた訳ではありません。必要十分な時間をかけて熟成していきます。“Easy come, easy go” は避けるのです。これもルネの戦略です。

世界へ

 1982年、セリーヌは、初来日します。「第13回ヤマハ世界歌謡音楽祭」に参加するためです。他のツアーは拒否したルネが、この音楽祭にはゴー・サインを出した訳です。極めて、戦略的です。ルネの狙いは的中します。カナダから参加したフランス語しか話せない無名14歳は、予選を勝ち抜き、「ママに捧げる詩」で最優秀歌唱者と金賞を受賞したのです。国際的に通用する歌唱力を証明しました。

 1984年には、初めてパリで公演します。オランピア劇場に出演者の最年少記録を打ち立てます。

 1988年には、ユーロビジョン・ソング・コンテストに参加。スイス代表としてフランス語の曲「私をおいて旅立たないで」を歌い、グランプリを獲得しました。フランス語圏以外にセリーヌ・ディオンの名前が知られるきっかけとなりました。

 但し、この段階では、未だフランス語のみを話し、フランス語の歌しか歌っていません。ケベック州で土台を固めて、まずカナダ全土、そして米国へと狙いを定めます。英語の猛勉強も始めます。

 1990年、ついに初の英語アルバム「ユニゾン」で米国に進出します。シングル・カットされた「哀しみのハート・ビート」がビルボード誌チャート5位のスマッシュ・ヒットとなります。今、聴いても、王道を行く良質のポップ・アルバムです。歌唱力は折り紙付きです。但し、セリーヌの唯一無二の個性は未だ発展途上との印象は否めませんが、ここから、セリーヌのサクセス・ストーリーは加速します。

 91年には、ディズニー映画「美女と野獣」の主題歌を、ピーボ・ブライソンとのデュエットでヒットさせ、アカデミー賞とグラミー賞を初めて受賞します。92年には、英語音盤第2弾「セリーヌ・ディオン」をリリース。全世界で500万枚のセールスを誇ります。96年には、アトランタ五輪の開会式で「パワー・オブ・ラブ」を熱唱。カナダ出身ですが、完全に世界を舞台に活躍するアーティストに成長します。そして、セリーヌの名を不動のものとしたのが映画「タイタニック」の主題歌「マイ・ハート・ウィル・ゴー・オン」です。余りに美し過ぎる歌です。洋楽カラオケで挑戦すれば分かりますが、あの曲の美しさを引き出すには、特別な歌唱力が不可欠です。色々なカバーはありますが、セリーヌにしか歌えない、彼女のシグニチャー・ソングです。この後は、現代エンタテインメントの歴史です。

私生活

 セリーヌほどのスーパースターになれば、1日24時間、7日で1週間、1年365日を、アーティストと一個人との間で分割するのは極めて困難でしょう。音楽のことを考えない瞬間は無いかもしれません。声が楽器ですから、常に丁寧なケアが必要でしょう。アフリカの諺に、「速く行きたければ一人で行け。遠くへ行きたければ皆んなで行け」というのがあります。素晴らしいパフォーマンスは、固い絆で結ばれたバック・バンドとの不断の練習と入念なリハーサルの賜物です。

 そんな中、セリーヌは、彼女を見出したルネ・アンジェリルと結婚します。ルネの大戦略が奏功してスター街道爆進中の1994年12月のことです。この時、新婦セリーヌ26歳、新郎ルネは52歳です。実は、ルネにとってはこれが3度目の結婚でした。それはさて置き、この結婚は、セリーヌにとってもルネにとっても、ワーク・ライフ・バランスではなく、究極のワーク・ライフ・フュージョンと言えるでしょう。正に、歌うことが生きることです。

 2016年、喉頭癌を患い闘病中のルネでしたが、74歳の誕生日の2日前に、心臓麻痺で他界します。ケベック州葬が行われ、カナダ政府関連施設は半旗を掲げて、哀悼の意を示しました。

 ドキュメンタリー映画「アイ・アム・セリーヌ・ディオン」のサウンドトラック盤の内ジャケットは、自宅の居間で、薬を飲んでいるセリーヌを見守るルネの肖像写真です。セリーヌとルネの協働は次のステージに入ったように感じます。

未来へ

 数々の物語を生んだパリ五輪ですが、人々の記憶は徐々に薄れていくでしょう。エッフェル塔でセリーヌが歌った「愛の讃歌」もいずれ過去の出来事になっていきます。

 セリーヌ・ディオンの音楽的冒険は、今後も続くでしょう。それが、シャルマーニュの少女の頃からの歌手の本能だからです。難病と闘いながら、必ずや、素晴らしい歌を届けてくれることでしょう。

(了)

山野内勘二・在カナダ日本国大使館特命全権大使が届ける、カナダ音楽の連載コラム「音楽の楽園~もう一つのカナダ」は、第1回から以下よりご覧いただけます。

音楽の楽園~もう一つのカナダ

山野内勘二(やまのうち・かんじ)
2022年5月より第31代在カナダ日本国大使館特命全権大使
1984年外務省入省、総理大臣秘書官、在アメリカ合衆国日本国大使館公使、外務省経済局長、在ニューヨーク日本国総領事館総領事・大使などを歴任。1958年4月8日生まれ、長崎県出身

パリ五輪終了、カナダは夏季大会過去最高のメダル数に

Team Canada’s Summer McIntosh, left, and Ethan Katzberg pose in front of the Eiffel Tower at the 2024 Paris Olympic Games in France on Sunday, August 11, 2024. Photo by Darren Calabrese/© 2024 Canadian Olympic Committee
Team Canada’s Summer McIntosh, left, and Ethan Katzberg pose in front of the Eiffel Tower at the 2024 Paris Olympic Games in France on Sunday, August 11, 2024. Photo by Darren Calabrese/© 2024 Canadian Olympic Committee

 フランスのパリで開催されていた夏季オリンピックが全競技を終え8月11日に幕を閉じた。カナダは金メダル9、銀7、銅11を獲得。ロシアなどがボイコットした1984年ロサンゼルス大会を除いた夏季五輪で最高のメダル数となった。

Team Canada’s Katie Vincent celebrates her gold medal in women's canoe single 200m sprint at the 2024 Paris Olympic Games in France on Saturday, August 10, 2024. Photo by Kevin Light/© 2024 Canadian Olympic Committee
Team Canada’s Katie Vincent celebrates her gold medal in women’s canoe single 200m sprint at the 2024 Paris Olympic Games in France on Saturday, August 10, 2024. Photo by Kevin Light/© 2024 Canadian Olympic Committee

 後半は陸上競技で男子400Mリレーやハンマー投げ男女で金メダルだったほか、男子800Mでアロップ選手が銀でカナダとして1964年東京大会以来となるメダル、女子棒高跳びではニューマン選手が銅メダルとなった。その他、カヌースプリント女子C1-200Mでビンセント選手が世界新記録で金メダル、今大会初の公式種目となったブレイキンではフィリップ・キム選手が初代金メダリストに輝いた。ビーチバレー女子は決勝で敗れ惜しくも銀メダルとなった。

 前半は競泳で17歳のサマー・マッキントッシュ選手が金メダル3個を含む4種目でメダルを獲得。男子ではカーラム選手が200Mバタフライで銅メダルとなった。ドローン盗撮問題で揺れたサッカー女子は準々決勝でドイツにPKの末敗れ、東京に続く金メダルとはならなかった。

 カナダは317選手が参加、8位入賞は81選手。15種目で計27個のメダル、17個が女子種目、9個が男子種目、1個は混合種目で獲得した。

 8月11日に行われた閉会式では、女子は競泳のマッキントッシュ選手、男子はハンマー投げのイーサン・カッツバーグ選手が旗手を務めた。

 次にパリに聖火が灯るのは、五輪が終了して17日後に開幕を迎えるパリパラリンピック。8月28日から9月8日まで開催される。

Team Canada’s Summer McIntosh poses with her gold medal in women's 200m individual medley at the 2024 Paris Olympic Games in France on Saturday, August 3, 2024. Photo by Candice Ward/© 2024 Canadian Olympic Committee
Team Canada’s Summer McIntosh poses with her gold medal in women’s 200m individual medley at the 2024 Paris Olympic Games in France on Saturday, August 3, 2024. Photo by Candice Ward/© 2024 Canadian Olympic Committee

(記事 編集部)

合わせて読みたい関連記事

2024 夏のイベント特集(8月後半から9月初めまで)

プレイランドのアイコン、木製ローラーコースター。Photo courtesy of Pacific Walkers
プレイランドのアイコン、木製ローラーコースター。Photo courtesy of Pacific Walkers

 パウエル祭や花火大会も終わり、いよいよバンクーバーの夏もラストスパート。残り1カ月、まだまだ楽しめるイベント満載。少しずつ涼しくなるバンクーバーに出かけよう!

8月・9月

8月2日~8月11日 Harmony Arts Festival – ウエストバンクーバーで開催される無料のイベント。音楽や野外映画など。https://www.harmonyarts.ca/

8月7日~11日 Vancouver Mural Festival – バンクーバー市開催されるアートフェスティバル。https://vanmuralfest.ca/

8月8日~ Richmond Sunflower Festival – リッチモンド市のサンフラワーフェスティバル。今年は8月8日から開催。https://www.richmondsunflowerfest.com/

8月9日、10日、11日 Abbotsford Airshow – 西カナダ最大の航空ショー。アボツフォードで開催。https://abbotsfordairshow.com/

8月10日 BC Dumpling Festival – コッキトラムで開催のフードをテーマにしたフェスティバル。飲茶がいっぱい! https://www.bcdumplingfest.ca/

8月16日~18日 Ribfest Langley – ラングレーで開催される BBQリブとライブエンターテイメントが楽しめるイベント。https://www.ribfestlangley.com/

8月17日、18日 Festival of India – バンクーバーのフォールスクリークで開催。https://www.vanrathfest.com/

8月17日~9月2日 PNE Fair  – バンクーバーに夏の終わりを告げるThe Fair。絶叫マシンやコンサート、珍しいジャンクフードなど、みんな楽しめるアミューズメントパーク。夏休みの終わりまで開催。https://www.pne.ca/fair2024/

8月24日・25日 Philippine Days – フィリピンコミュニティのお祭り。今年はバーナビー市セントラルパークで開催。https://www.philippinedays.com/

8月31日、9月1日 日系まつり – 日系文化センター・博物館で開催される日系のお祭りが体験できるイベント。https://nikkeimatsuri.nikkeiplace.org/

8月31日~9月2日 Taiwan Fes – 台湾フェスティバル。バンクーバー・アート・ギャラリー広場ほか、ダウンタウンで開催。https://vancouvertaiwanfest.ca/

夏期に長期間開催されているイベント

6月~10月 日系ガーデン・ファーマーズ・マーケット – 日系文化センター・博物館で開催される日系のファーマーズ・マーケット。毎月第2、4日曜日に開催

4月26日~10月14日 Richmond Night Market – 毎年夏に開催されるナイトマーケット。開催日は金・土・日と祝日。バンクーバー国際空港のすぐ南、スカイトレインで行くのが便利。http://richmondnightmarket.com/

5月10日~9月13日 Shipyards Night Market – ライブ音楽やフードトラックが並ぶノースバンクーバーのナイトマーケット。対岸にダウンタウンを見ながら楽しめる。毎週金曜日開催。https://shipyardsnightmarket.com

5月6日~ Artisan Farmers Markets 2024 – アンブルサイド(ウエストバンクーバー)、バーナビーで、毎週土曜日に開催。10月まで。https://www.artisanmarkets.ca

4月6日~ Vancouver Farmers Markets 2024 キツラノ(毎週日曜日)、ウエストエンド(毎週土曜日)、マウントプリザント(毎週日曜日)、ダウンタウン(毎週水曜日)他で開催。詳しくはウェブサイトをチェック。https://eatlocal.org/

Vancouver Canadians 2024Season
4月から始まっているバンクーバー・カナディアンズの2024年シーズン。詳細はウェブサイトを参照。バンクーバー・カナディアンズはMLBトロント・ブルージェイズ傘下の5Aチーム。https://www.milb.com/vancouver

合わせて読みたい関連記事

パリ五輪 BC州出身選手がハンマー投げで男女金メダル、カナダ後半もメダルラッシュ

Team Canada’s men's 4x100 relay team Andre De Grasse, Brendon Rodney, Jerome Blake, and Aaron Brown pose after winning the gold medal at the 2024 Paris Olympic Games in France on Friday, August 9, 2024. Photo by Mark Blinch/© 2024 Canadian Olympic Committee
Team Canada’s men's 4x100 relay team Andre De Grasse, Brendon Rodney, Jerome Blake, and Aaron Brown pose after winning the gold medal at the 2024 Paris Olympic Games in France on Friday, August 9, 2024. Photo by Mark Blinch/© 2024 Canadian Olympic Committee

 あと2日を残すのみとなったパリオリンピック。カナダ代表は後半もメダルラッシュとなっている。

 陸上では、ハンマー投げ男子のEthan Katzberg選手(ブリティッシュ・コロンビア州ナナイモ市出身)が8月4日に第1投で金メダルを手中に収めた。22歳のKatzberg選手は同種目最年少金メダリストの称号も手に入れた。続いて6日、ハンマー投げ女子はCamryn Rogers選手(同リッチモンド市)が5投目で76.97メートルをマークし、この種目カナダが男女とも金メダルを獲得した。7日にはAlysha Newman選手が棒高跳び女子で銅メダルとなった。

 8月9日に行われた陸上男子4x100Mリレー決勝でカナダは、アンカーのAndre De Grasse選手がイギリス、南アフリカを振り切り、37.50 秒のタイムで1位でゴール。1996年Donovan Bailey選手がアンカーを務めたアトランタ五輪以来の金メダルを獲得した。アメリカはバトンミスで失格、日本は第4走者にバトンが渡った時点では1位争いをしていたが5位に終わった。カナダは東京五輪では銀メダル。De Grasse選手は個人種目で決勝に進めなかったがリレーで雪辱を果たした。

 その他、決勝に進んだ注目のビーチバレー女子カナダParedes/Wilkerson組は惜しくもブラジルにフルセットの末に敗れ銀メダルとなった。カナダ代表は、カヌー、ウエイトリフティング、テコンドーでもメダルを獲得。前半の水泳や柔道に続いて、後半も好成績となっている。

(記事 編集部)

合わせて読みたい関連記事

ホワイトキャップス、Leagues Cupベスト16進出ならず

Pumas UNAMのシュートを弾くGK高丘。Pumas UNAM戦。2024年8月7日、BCプレース。Photo by Koichi Saito/Japan Canada Today
Pumas UNAMのシュートを弾くGK高丘。Pumas UNAM戦。2024年8月7日、BCプレース。Photo by Koichi Saito/Japan Canada Today

 MLSは現在レギュラーシーズンを一時中断し、Leagues Cupを開催している。バンクーバー・ホワイトキャップスはグループステージを1位で通過しベスト32に進出したが、メキシコシティを本拠地とするPUMASに敗れた。

Leagues Cupベスト16を逃す

 現在開催されているLeagues Cupは、北米3カ国のトップリーグ、MLS(カナダ・アメリカ)とLIGA MX(メキシコ)の全47チームがワールドカップ方式で戦う大会。期間は7月26日から8月25日まで。昨年はMLSでの鮮烈デビューを飾ったリオネル・メッシ擁するインテル・マイアミが優勝した。

 チームは東西に分かれ、1グループ3チームでグループステージを戦い、勝ち抜いた32チームがトーナメント方式で優勝を目指す。

 ホワイトキャップスは、7月30日初戦をロサンゼルスでLAFCと戦い、PK戦を制して勝利。この試合、高丘は出場機会がなかった。1勝で迎えた2試合目はBCプレースでメキシコのClub Tijuanaと対戦。先制されたものの後半に3ゴールで逆転勝ち。グループステージを1位で突破した。

1失点に抑えたClub Tijuana戦。2024年8月3日、BCプレース。Photo by Koichi Saito/Japan Canada Today
1失点に抑えたClub Tijuana戦。2024年8月3日、BCプレース。Photo by Koichi Saito/Japan Canada Today

 試合後、高丘は3得点を挙げた後半には自らロングの縦パスで攻撃に参加する形になったことについて、「相手が結構前から来ていたので、それをうまく利用して」と説明した。ほんとはつないでいきたいが「日本の時とはやり方が違うし、結果的に点が取れたというのは僕としてもチームとしても良いことだと思うので、状況に応じて判断をしっかり変えていきたい」と相手によって勝ちを引き出すやり方に順応しているという。

 この試合ではチームを救う好セーブを連発。それでも1失点したことを反省したが「最小失点で抑えられたことが逆転につながったと思います」と勝ってグループ1位でベスト32に進んだことを「良かったと思う」と素直に喜んだ。

 ベスト32は同じくメキシコのチームでメキシコシティを本拠地とするPumas UNAM。前試合の勝利から急きょ決定した3日後の試合で水曜日ということもあり、BCプレースの観客数は1万人以下と少なかったが、Pumasファンが多く駆け付け、さながらキャップスのアウェイの雰囲気を醸し出していた。

 試合は0-2。高丘は随所に好守でチームの危機を救ったが、ディフェンダーの一瞬の隙を突かれて前後半に1点ずつ許した。

 シーズン途中に1カ月もレギュラーシーズンを中断して行われるLeagues Cup。高丘は「メキシコのチームと対戦できるのは非常におもしろい取り組みだと思いますし、日本では体験できないことなので」と話した。ただ初戦のLAFC戦では高丘はサブに回り、この2試合では若い選手が起用される機会も多かった。そんな中、「普段出場する機会が少ない選手が出たりしますけど、そんな中でも勝っていけるようなチームになりたい」と前向きに捉えた。

レギュラーシーズン終盤戦に向け準備

インタビューに答えるGK高丘、試合後にロッカールームの前で。Pumas UNAM戦。2024年8月7日、BCプレース。Photo by Koichi Saito/Japan Canada Today
インタビューに答えるGK高丘、試合後にロッカールームの前で。Pumas UNAM戦。2024年8月7日、BCプレース。Photo by Koichi Saito/Japan Canada Today

 Leagues Cupから敗退したことで、次は8月24日のレギュラーシーズン再開に向けて照準を合わせていくことになる。

 現在5位につけるホワイトキャップス。「残り10試合とプレーオフというところで、チームとしては4位以内は確保する。そうするとプレーオフでホームで試合ができるので」と高丘。「プレーオフを勝ち残っていくうえで、ホームで試合をするというのは大きなアドバンテージになりますし、そういう意味ではこれからの1試合、1試合がより大きな意味を持ってくると思います」

 レギュラーシーズン再開まで約2週間。「まずはしっかり休んで、心も体もリフレッシュして、もう1回作り上げたいと思います」と次の試合を見据えた。

Leagues Cup 2024

8月3日(BCプレース:18,896)
バンクーバー・ホワイトキャップス 3-1  Club Tijuana(メキシコ)

8月7日(BCプレース:9,691)
バンクーバー・ホワイトキャップス 0-2  Pumas UNAM(メキシコ)

8・9・10月のホームゲーム

8月24日(土)4:30pm LAFC戦
8月27日(火)7:30pm パシフィックFC戦(カナディアン・チャンピオンシップ)
9月7日(土)7:30pm FCダラス戦
9月14日(土)7:30pm サンノゼ・アースクエイク戦
9月28日(土)7:30pm ポートランド・ティンバーズ戦
10月2日(水)7:30pm シアトル・サウンダーズFC戦
10月5日(土)4:30pm ミネソタ・ユナイテッドFC戦

(記事 三島直美/写真 斉藤光一)

合わせて読みたい関連記事

パウエル祭2024、日本文化が花咲いた2日間

パウエル祭の人気者ダルマと一緒に。「ダルマと一緒に写真を撮ろう!」のイベントも開催されていた。2024年8月3日、バンクーバー市。Photo by Koichi Saito/Japan Canada Today
パウエル祭の人気者ダルマと一緒に。「ダルマと一緒に写真を撮ろう!」のイベントも開催されていた。2024年8月3日、バンクーバー市。Photo by Koichi Saito/Japan Canada Today

 真夏の日差しが照り付ける中、今年も盛り上がったパウエル祭。8月3日、4日のバンクーバー市オッペンハイマー公園周辺は、日本文化を楽しむ人たちであふれた。

 開会式に出席した在バンクーバー日本国総領事館総領事代理・岡垣さとみ首席領事は、「48回目のパウエル祭に参加できて非常にうれしく思います」とあいさつ。カナダで最も長く続いている最大規模の日系イベントが日系カナダ人の歴史的な場所オッペンハイマー公園で開催されることに大きな意味があると思うと語った。日本の伝統文化やフードが楽しめるコミュニティに親しまれている夏祭りにバンクーバー総領事館も毎年ブースを出展し、「今後のパウエルフェスティバルの発展を願いつつ、総領事館としても可能な支援を続けていきたいと思います」と応援した。

開会式に出席した、(左から)、岡垣首席領事、クワン国会議員、ブリティッシュ・コロンビア州ジョアン・フィリップ議員、パウエル祭実行委員長エドワード・タカヤナギさん、地元先住民のビル・ウィリアムズ首長。2024年8月3日、バンクーバー市。Photo by Koichi Saito/Japan Canada Today
開会式に出席した、(左から)、岡垣首席領事、クワン国会議員、ブリティッシュ・コロンビア州ジョアン・フィリップ議員、パウエル祭実行委員長エドワード・タカヤナギさん、地元先住民のビル・ウィリアムズ首長。2024年8月3日、バンクーバー市。Photo by Koichi Saito/Japan Canada Today

 パウエル祭はもうすぐ50周年を迎える。ジェニー・クワン国会議員(NDP、バンクーバー・イースト選挙区)は、パウエル祭はバンクーバー市で最も長い歴史を持つフェスティバルと紹介。「もしかして誰かから何か言われるかもしれないけど、私が最も好きなフェスティバルです」と告白して拍手を浴びた。パウエル祭が行われるオッペンハイマー公園周辺は戦前には日本人街として知られ、現在はホームレスの人たちが生活拠点としている。数年前には同公園が使用できず、周辺の道路を歩行者天国にして開催したいきさつもある。その後、現在のような公園と周辺道路を利用しての開催となっている。

 クワン議員はパウエル祭がインクルーシブでさまざまな方面の関係者と協力しながら開催されていることを称賛した。

 パウエル祭は、パウエルストリートフェスティバル・ソサエティが主催している。今年は第48回。毎年多くのブースや展示があり、公園やストリートに設置されたステージやバンクーバー日本語学校では途切れることなく武道や踊り、和太鼓などのパフォーマンスが行われた。

 もちろん夏祭りと言えば屋台を楽しみにしている人も多く、今年も日本を思わせるフード屋台やクラフト販売店などが通りにずらりと軒を並べた。

写真で見る第48回パウエル祭

オッペンハイマー公園での佐藤派糸東流空手のデモンストレーション。2024年8月3日、バンクーバー市。Photo by Koichi Saito/Japan Canada Today
オッペンハイマー公園での佐藤派糸東流空手のデモンストレーション。2024年8月3日、バンクーバー市。Photo by Koichi Saito/Japan Canada Today
ちび太鼓の演奏。2024年8月3日、バンクーバー市。Photo by Koichi Saito/Japan Canada Today
ちび太鼓の演奏。2024年8月3日、バンクーバー市。Photo by Koichi Saito/Japan Canada Today
毎年大人気、サーモンBBQ。2024年8月3日、バンクーバー市。Photo by Koichi Saito/Japan Canada Today
毎年大人気、サーモンBBQ。2024年8月3日、バンクーバー市。Photo by Koichi Saito/Japan Canada Today
1日目の目玉イベント、バンクーバー神輿楽一による神輿。2024年8月3日、バンクーバー市。Photo by Koichi Saito/Japan Canada Today
1日目の目玉イベント、バンクーバー神輿楽一による神輿。2024年8月3日、バンクーバー市。Photo by Koichi Saito/Japan Canada Today
バンクーバー日本語学校で行われた武仙会田宮流国際本部によるパフォーマンス。2024年8月4日、バンクーバー市。Photo by Koichi Saito/Japan Canada Today
バンクーバー日本語学校で行われた武仙会田宮流国際本部によるパフォーマンス。2024年8月4日、バンクーバー市。Photo by Koichi Saito/Japan Canada Today
いけばなのデモンストレーション。バンクーバー仏教会で。2024年8月3日、バンクーバー市。Photo by Koichi Saito/Japan Canada Today
いけばなのデモンストレーション。バンクーバー仏教会で。2024年8月3日、バンクーバー市。Photo by Koichi Saito/Japan Canada Today
日本の祭りを思わせるヨーヨーつりとお面販売のブース。2024年8月3日、バンクーバー市。Photo by Koichi Saito/Japan Canada Today
日本の祭りを思わせるヨーヨーつりとお面販売のブース。2024年8月3日、バンクーバー市。Photo by Koichi Saito/Japan Canada Today
アレキサンダー通りに並ぶクラフト販売などの出店。右側はバンクーバー日本語学校。2024年8月4日、バンクーバー市。Photo by Japan Canada Today
アレキサンダー通りに並ぶクラフト販売などの出店。右側はバンクーバー日本語学校。2024年8月4日、バンクーバー市。Photo by Japan Canada Today
ダンレビー通りに並ぶフード店。たこ焼き屋の前はいつも長蛇の列が...。2024年8月4日、バンクーバー市。Photo by Japan Canada Today
ダンレビー通りに並ぶフード店。たこ焼き屋の前はいつも長蛇の列が…。2024年8月4日、バンクーバー市。Photo by Japan Canada Today

(写真 斉藤光一/記事 編集部)

合わせて読みたい関連記事

日本・カナダ商工会議所主催、「からだとこころの出会いの会」歓迎会と会員懇親会を実施(寄稿)

写真 Gaku Sugioka
写真 Gaku Sugioka

日本と海外でエイサーや演劇などの公演を行う団体「からだとこころの出会いの会」が、8月上旬に行われる公演を控え、カナダのバンクーバーを訪れている。同団体のカナダ訪問を祝い、日本・カナダ商工会議所主催のもと、ダウンタウンのSELC ランゲージ・カレッジで懇親会が7月26日に行われた。

ー今もなお受け継がれる、第二次世界大戦の歴史

今回の懇親会に訪れた「からだとこころの出会いの会」は、これまで5カ国以上の国を訪れ、演劇やエイサーを通じて第二次世界大戦の歴史、そして平和について発信している。

メンバーは約80名で構成され、大人だけではなく2歳の子どもも立派な役者として舞台に立つ。第二次世界大戦の終戦は約80年前。現代の世代にとって第二次世界大戦は遠くかけ離れた出来事に感じるかもしれないが、同団体は現在もなお公演を通じて歴史を伝え、世代を通じて未来のあり方を発信し続けている。

バンクーバー日本語学校で、Joy Kogawaの作品をもとに描かれた「Naomi’s Tree」を公演する予定。同作品は、音楽、ダンス、スポークンワードを使って、第二次世界大戦の原爆で母親を亡くした日系カナダ人の少女ナオミの物語を語る。

写真 Gaku Sugioka
写真 Gaku Sugioka

懇親会には、総勢約40名が集まった。在バンクーバー日本国総領事館の岡垣さとみ首席領事も参加し、「Joy Kogawaさんの作品が、日本のパフォーマーによって行われると聞き、日本の文化を伝える素晴らしい活動だと嬉しく思った。またこのような懇親会は、パフォーマーの方々と触れ合い、彼らの生き方を知ることができる貴重な機会。カナダでの滞在を通じて、公演だけではなく人と人との出会いが生まれ、より日本とカナダの関係を深くしていくきっかけになって欲しい」と話した。

ー平和を願うエイサーや演劇を通じて、日本の歴史を発信

からだとこころの出会いの会がカナダを訪れるのは13回目だ。

数十年前、同団体の松井洋子主宰が初めてカナダを訪れた際に、カナダと日本の演劇の違いを目の当たりにし大きな衝撃を受けた。自身も演劇を行っていたことからその話をしていたところ、ナイアガラオンザレイクでエイサーを公演する機会が生まれ、偶然その公演を見かけたJapanese Canadian Cultural Centreから「日本人の誇りを生む素晴らしい活動だ」と声をかけられた。以来、毎年カナダを訪れ日本の歴史や文化を発信するためにエイサーや演劇を行なうようになったという。

写真 Gaku Sugioka
写真 Gaku Sugioka

松井主宰は、「第二次世界大戦では、日本国内だけではなくカナダに住む日系人も迫害されるなど、多くの人々が辛い思いをしていたが、カナダに訪れるまでそのようなことを知らなかった。国内でも同じように多くの日本人がこの事実を知らないことに気付き、衝撃と深い悲しみを感じた。平和を願うエイサーや演劇を通じ、より多くの人々に日本の歴史について知ってもらいたい。

私たちの舞台は、これまでの歴史と未来を作る新しい文化が混合している。私たちなりの表現方法で、より多くの人々に日本の歴史、そして平和について考えるきっかけを与えていきたい」と話した。

ー日本とカナダを繋ぐ、新しくユニークな取り組みを

写真 Gaku Sugioka
写真 Gaku Sugioka

日本・カナダ商工会議所では、年に数回ほど新会員への活動理解促進、そして人と人を繋ぐことを目的に、このような懇親会を開催している。

日本・カナダ商工会議所のサミー高橋会長は、「日本・カナダ商工会議所では、ビジネス団体とも連携しながら、今までにない新しく面白い方法で日本とカナダを繋ぐ活動をしている。今年はセルク・ランゲージ・カレッジと連携して、からだとこころの出会いの会さんのメンバーに英語を教える新しい取り組みも行った。

からだとこころの出会いの会さんは、それぞれお仕事もされている中で、毎年継続してカナダを訪れていることが本当に素晴らしいと思う。皆さんの活動を長年見ていて、心から平和と愛を願っていることが伝わってくる。日本・カナダ商工会議所は、日本とカナダを文化で繋ぐこのような活動を支援する」と話した。

(寄稿 日本・カナダ商工会議所/文 田上麻里亞)

合わせて読みたい関連記事

第15回 おひとりさまが終活をしないと、どうなる?! Pさんのケース その2~Let’s 海外終活~

終活は新しい大人のマナー

叶多範子

皆さまは、それぞれに楽しい夏の思い出を刻んでいることでしょう。一方、私の7月は「天中殺」とでも言うべき試練の連続でした。特に前半の2週間は、まるで嵐の中にいるかのようでした。何十年ぶりかで、アスファルトの上で前のめりに転倒。腕と足に大きな擦り傷を作ったのが序章でした。息子たちの野球シーズン真っ只中で、突然決まった配偶者の長期出張。送迎を一人でこなし、時には助けを借りてのやりくり。泊まりがけでの長男の野球チームの州大会。そんな中、愛猫の緊急治療や介護、長男の健康不安も重なり、まさに八方ふさがりの状態。ここに書ききれないほどの出来事が、まるで雪崩のように押し寄せてきました。

普段は穏やかな日常や喜ばしい出来事をお伝えしていますが、人生にはこのような停滞期や困難な時期もあるものです。8月は穏やかに過ごせることを祈るばかりです。

さてここからは前回の続きです。

Pさんの妹さんは、突然の知らせに大きなショックを受けていました。彼女は自分が家庭を持ってからも仕事を続けていたこともあり、カナダへ行った兄とはあまり頻繁にやりとりをしていなかったそうです。最後の肉親を失った悲しみに打ちのめされていましたが、カナダにある兄の遺体や財産の処理という現実的な問題に直面し、気を取り直してすぐに行動を起こしました。忌引き休暇を取り、家族や仕事のスケジュールとも折り合いをつけカナダに来れたのが、連絡が取れてから5日後のことでした。

やっと日本にいるPさんの妹さんと連絡が取れた、と責任が軽くなるのを喜んだQさんがほっとするのも束の間。妹さんがカナダに滞在できるのは、なんとたったの1週間。人が亡くなった後のことを手伝うのは、Qさんにとっても全く初めての経験だったため、ましてやそれが日本でのことではなく、カナダでのことだったため、人から聞いたアドバイスなどを元に、腹を括ってとにかく1つずつやっていくしかありませんでした。

一方、それと同時にQさんはPさんの会社や顧客への対応を行う必要がありました。Pさんが一人で経営していた翻訳会社には、進行中の仕事がいくつもあり、突然、Pさんと連絡が取れなくなり、パニックに陥っていた取引先があったため、それらを適切に処理する必要がありました。Qさんは、自身の仕事をこなしながら、Pさんの仕事の整理にも奔走します。

Pさんの遺体は、妹さんの到着を待って火葬されることになりました。しかし、カナダでの火葬手続きや、遺骨の日本への持ち帰りなど、妹さんにとっても初めての経験ばかり。また長時間フライトの疲れがあったり、言葉の壁もあることから、結局はQさんが中心となりその都度、大使館、現地の葬儀社、航空会社に確認し、妹さんと相談しながら進めていく必要がありました。

Pさんの相続手続きを進める上で様々な障壁に直面することになり、弁護士を雇う必要性も出てきてましたが、後にこれは賢明な判断だったとわかることになります。

なぜなら、日本へ戻るQさんの代わりにPさんが代理人として、今後のことをカナダで進めていくためには委任状の作成が必要だったからです。また銀行口座や貴重品が入った貸金庫の存在も判明しましたが、それらへアクセスする際にも銀行から弁護士の立ち会いを求められたりしたからです。Pさんが生前に何も準備していなかったため、すべての手続きが通常よりも複雑になっていたのです。

終活ポイントアドバイス
①上記のような場合の他に、認知症や植物人間状態などの不測の事態に備えて、元気なうちに委任状を作成しておくことをお勧めします。
なぜなら、家族であっても法的な代理権を自動的に持つとは限らないからです。正式な代理人として行動するためには、通常、委任状(Power of Attorney)が必要です。また、委任状には通常、委任者(指名する人)と受任者(指名される人)の両方の署名が必要です。多くの国や地域では、委任状の有効性を確保するために、公証人や弁護士の立ち会いのもとでの署名が求められます。

貸金庫は開けられたものの、これは遺言があるかの確認作業だけしか許されず、金庫内にあったものは何も手に取ることが出来ませんでした。裁判所の手続きを経て、Grant(グラント)というものをもらわない限り、金庫のものは出せないと言われてしまいます。結局、Pさんは遺言を残していないことがわかり、弁護士事務所にこの手続きも依頼することになりました。

このような状況の中、妹さんは短いカナダでの滞在中にQさんと協力して、唯一の身内として問題に対処していきました。妹さんとQさんは、お互いに初めての見知らぬ者同士でしたが、Pさんとの思い出を共有しながら、目まぐるしい1週間を共に乗り越えたのでした。

妹さんが、ようやくPさんの遺骨を日本に持ち帰ることができたのはPさんが亡くなってから約3週間後のことでした。

続く

*このコラムは終活に関する一般的な知識や情報提供を目的とするものです。内容の正確さには努めておりますが、必要に応じてご自身で確認、または専門家へご相談ください。このコラムを元にして起きた不利益は免責とさせていただきます。

「Let’s海外終活~終活は新しい大人のマナー」の第1回からのコラムはこちらから。

叶多範子(かなだ・のりこ)

海外終活アドバイザー・弁護士アシスタント
「終活をせずに亡くなった!認知症になって困った!途方に暮れた!!」を、「終活しておいて良かった!」「終活してくれていて、ありがとう!」に変えたい!そんな思いから2020年に終活アドバイザー資格を取得。海外在住の日本人向けの「海外終活」についての講座や説明会、ご相談はブログやFacebookなどのSNSをご覧ください。家族はカナダ人の夫+息子2人+猫1匹、バンクーバー在住。

ブログ: https://globalmesen.com/
Facebook: https://www.facebook.com/noricovancouver
Instagram: https://www.instagram.com/norikocanada/
Line公式: https://line.me/R/ti/p/%40490fuczh
その他SNS: https://lit.link/norikocanada
著書「海外在住日本人のための50代からの終活」:​​https://a.co/d/ad4OeLw

Today’s セレクト

最新ニュース