第16回 シンクロニシティ

 「シンクロニシティ」…というのは「偶然の一致」。
 偶然のように起きた出来事が、実は「特別な意味を持って起きた現象なのだ」と言うのだそうです。
 日本語で「共時性」の事ですかねぇ。
 グランマは今、83年半。随分長く生きてきた。そして、その80数年の間、この「シンクロニシティ」をどれだけ知らずに体験してきたことだろうか。それは沢山の人達との出会い、思えば最初、英国航空「BOAC」に、後にルフトハンザドイツ航空に香港哲徳国際空港で働いた時のことだ。空港勤務だから色々な人に会う。

 ある時、真っ白で異様な探検隊員服姿の三島由紀夫さんが飛行機から降りてくるのを出迎えた。
 「びっくりしたぁ」。あの彼の姿。彼の飛行機乗り継ぎのお世話をした。やはり乗り継ぎの長時間空港での待合に、「兼高かおるさん」と言っても、もう若い方には記憶にないかもしれないねぇ。世界160ケ国を旅した日本人女性だ。私は彼女を迎えに飛行機入り口まで行き、(当時の飛行機は空港ビルから離れて駐機されバスが迎えに行き、乗客をそのバスでビルへ案内していた)VIPルームへご案内し、その長い待ち時間、「日本人で1960年代に外国の空港で働く若い日本人女性」と言う事で、私が逆に質問攻めにあった。でも本当に色々な意味で素敵な方だったぁ。兼高さんって。
 あの頃、既に加山雄三さん、背の高い人とイメージをしていたら全く違っていた。先代貴乃花も相撲さんだから背が高く、それは太って大きな人と思っていたら、案外小柄なのに驚いた。
 小柄と言えば、ケンタッキー・フライドチキンの「カーネル・サンダースさん」。彼は全く看板とおりの姿、でも又彼も小柄でした。チェックインカウンターでお迎え出国手続きのお手伝いをした。いい思い出が一杯だ。

 そういう著名人達とその後、再会することはなかった。でも、そこで見て来た現実は、有名人だけではない、ベトナム戦争終了時、米軍機でべトナムから香港の空港へ運ばれ、そこから「パン・アメリカン」の民間機で米国に連れていかれた数100名の「ふんにゃふにゃな新生児達」。どうしてあんなに沢山の生まれたての赤ちゃんがいたのだろうか?あの時、空港の広ーいトランジットホール床上に敷かれた白布上に、これ又白布服を着た赤ん坊がずらーっと並べられていた。その空港でまぁ、色々な人達のとの出会いがあった。「困ったぁ」と思った時の突然の助け。全く思いがけない多々の助け。その経験は「感謝」と同時に『セレンディピティ』、時には「シンクロニシティ」かなぁ?
 自分には不思議現象としか思えない体験なのだ。そして、助けに助けられて、今がある。娘達に話すとまた「偶然よ、ハッハハハ、ラッキーなのよ。ママは。」と笑うだけ。

 ずっと時は経って、カナダへ移民後、ある時、バンフの高級ホテル、「バンフ・スプリング・ホテル」ってバンフで知らない人はいない。そこでこれまた高級毛皮セールとショーがあるという。友人の英子さんが私にアルバイトで数日手伝わないかと誘ってくれた。そして、私も行く事になった。その英子さんが往路機内で、貴女「桐島洋子」って知っている?と聞いた。私が「知らない、だーれその人?」と聞く。とにかく、その時、「IT」の無い時代、私は日本を離れて20年近く経っていたから日本のことをあまり知らなかった。すると英子さんは「へぇー、知らないの?有名な作家で第3回〈1972年〉大矢壮一賞の受賞者よ」。そう言われても分からない。
 英子さんが更に「私は彼女と同じ都立駒場高校を卒業なの」と自慢気に言った。そうだよなぁ、当時、都立駒場高校は都立高校の中でも入学も難しいと言われている有名校でもあったのは覚えている。兎に角、その都立駒場高校を卒業の英子さんと数日間の毛皮ショーのアルバイト終了後、あのお城の様な「バンフ・スプリング・ホテル」を後に、私はバンクーバーへ帰った。

 帰宅数日後、ドイツ在住の私の友人作家の小野千穂さんからFAXが送信されて来た。

澄子さん、

 桐島洋子さんが今ご家族とドイツに来ています。彼女のお母様も一緒です。
 彼女にバンクーバーがすばらしいとお話したら、この旅行(桐島さんの”世界一周家族卒業旅行”)の終わりにバンクーバーへ行きたいと言っています。
 彼女が行ったらお世話して差し上げて下さい。彼女から連絡が行くと思います。

千穂

Berliner Stra Be 213 62 Wiesbaden
Fax 661-3933

 この千穂さんからのFAXレターを読んでビックリ!
 千穂さんが以前バンクーバーへに来てすっかりバンクーバーファンになり、彼女自身も「移民」しようとした人なのだ。
 彼女は「上海 劇的な…いま!」と言う本を1986年に出版していた。そして、今、彼女の友人がVancouverへ来る、その友人とは「桐島洋子」さんだという。ついこの間、バンフに行く機内で英子さんが話していた彼女の高校の同級生、大矢壮一賞受賞者「桐島洋子」さんだという。
 これって「シンクニロシティ」? 

 そして、それから36年経った今2023年5月、今年も「桐島洋子先生」を横浜の御自宅へ訪ね、手を握り合い、やがて涙の別れ私はカナダへ帰って来た。

セレンディピティ(英語: serendipity)とは、素敵な偶然に出会ったり、予想外のものを発見すること。また、何かを探しているときに、探しているものとは別の価値があるものを偶然見つけること。平たく言うと、ふとした偶然をきっかけに、幸運をつかみ取ることである。

許 澄子
2016年からバンクーバー新報紙でコラム「老婆のひとりごと」を執筆。2020年7月から2022年12月まで、当サイトで「グランマのひとりごと」として、コラムを継続。2023年1月より「『セレンディピティ』幸運をつかむ」を執筆中。
「グランマのひとりごと」はこちらからすべてご覧いただけます。https://www.japancanadatoday.ca/category/column/senior-lady/