「グレン・グールド」音楽の楽園〜もう一つのカナダ 第3回

 皆様、こんにちは。

 9月の声を聞いて秋の気配が漂って来ました。自然の恵みを実感する美しい季節です。そして、カナダについて改めて実感するのは、非常に若い国だということです。1867年が英連邦の自治権を持つドミニオンとしてカナダが発足するのが1867年7月1日、今年で建国から155年。正式に外交権を持つ主権国家となったウェストミンススター憲章は1931年です。兎に角、若いです。若さは必然的にエネルギーを放出します。大らかな熱量に満ちているカナダは音楽においても凄い天才を次々に世に送り出しています。

 そこで、現代の音楽界に与えたインパクトの大きさで、1人のカナダ人音楽家を厳選すれば、グレン・グールドに尽きると思います。

 兎に角、膨大な録音を残しています。数年前にグールド全録音ボックスがリリースされましたが、生前彼が発表を認めたものだけでCD81枚組です。23歳でレコード・デビューして50歳で没するまでの27年間でこの分量です。平均すれば、毎年CD3枚分のレコードを27年間続けて発表した訳です。恐るべき生産性、と言うか創造力です。勿論、全てが傑作中の傑作と言えば、贔屓の引き倒しになってしまいます。が、駄作はありません。どの1枚をとっても素晴らしいストーリーに満ちています。正に、天才の証です。興味深いことに、その録音は満遍なく幅広いものではなく、バッハ、モーツァルト、ベートーヴェンに集中しています。ショパンはピアノ・ソナタ第3番だけです。

 そして特筆すべきは、グールドの演奏です。人類の歴史を画する偉大な作曲家が残した音楽について、思う存分に独自の解釈で演奏しています。その結果、グールドに先立つ数多の偉大なピアニストの演奏とは全く異次元の作品に仕上がっています。勿論、残された楽譜をグールドなりに「忠実に」弾いている訳ですが、テンポを極端に早くしたり遅くしたりと奔放に設定し、自由に装飾音を加え、リピート記号は時に無視します。完全に自分の音楽として演奏しています。或るインタビューで、グールドは「10代の頃は、作曲家になりたかった」と吐露しています。他人が作った音楽を再現する事には我慢出来ず、自分自身の音楽として作曲するが如く演奏していたのかもしれません。

 そんなグールドの作品群から1枚だけ選べば、バッハ「ゴルドベルク変奏曲」です。バッハを通してグールドのほぼ全てが凝縮しています。録音は1956年6月10日から16日、世界最大のレコード会社コロンビアが誇るニューヨーク30丁目スタジオで行われました。

 此処に至る過程を簡単に紹介します。グレン・グールドは、1932年9月25日、トロントに生まれます。両親とも音楽に造詣が深く、特に母親は、ノルウェーを代表する作曲家グリーグの親類でした。3歳の時から母にピアノを習い始めると瞬く間に上達します。神童神話には事欠きませんが、7歳でトロント王立音楽院(The Royal Conservatory)に合格します。1886年創立のカナダ最高峰で、ジョージ6世(エリザベス女王の父)が英連邦最高の音楽院の1つと称賛しています。1945年にはトロント交響楽団と共演して、コンサート・ピアニストとしてデビュー。史上最年少の13歳で卒業。まずカナダ国内での公演やラジオ出演の活動を本格化します。そして1955年1月22日、ニューヨーク公演を行います。演奏を聴いた伝説のプロデューサー、オッペンハイマーは圧倒され、翌日、終身独占契約を結びます。グールド22歳です。デビュー盤としてグールドが「ゴルドベルク変奏曲」を提案するとコロンビア側は反対します。当時、ピアノでこの曲を録音した例はほとんど無く、しかもバッハの中では人気のない地味な曲と見られていたからです。が、グールドは全く譲らず、コロンビア側が折れて録音、1956年1月に発表されます。

 グールドの「ゴルドベルク変奏曲」はルイ・アームストロングを抜いて新譜チャート首位を獲得する程、商業的にも大成功。のみならず、バッハの演奏に革命を起こしました。透明感のある音色で一音一音に命が宿り音楽の骨格が鮮明です。無駄な音は1つとして無く、バッハの美しき世界を描いています。同時にジャズのように躍動的です。実は、ジャズ界の巨匠キース・ジャレットもチェンバロでこの曲を録音していますが、グールドの方がより現代的です。古色蒼然とした練習曲のようなバッハ解釈を葬り去ったのです。今や「ゴルドベルク変奏曲」は最も人気のあるバッハ作品の1つです。

 グールドを記憶に残る唯一無二のピアニストにしているもう一つの理由は、奇行とも言える様々なエピソードです。例えば、録音の際に鼻歌を歌いながら演奏しているので、耳をすまさなくても名曲の向こう側からやや調子外れの声が聴こえてくる。ピアノ演奏の時には父親手製の極端に低い椅子に座るので、鍵盤の前に顔がある。夏でも分厚いコートとマフラーを着ている。食事は多量のビタミン剤で済ませる等々です。天才ならではの微笑ましい個性とも言えます。

 もう一つだけ大切な事があります。グールドは、31歳で公演活動を辞め、スタジオでの録音に特化していきます。音楽芸術に対するグールドの思想が集約しています。観客を前にやり直しの出来ない状況でどこまで真実の演奏が可能かという命題に対し、スタジオで思う存分弾いて、最高の作品を創る事を選択したのです。この12年後、ビートルズも公演活動を辞めて、スタジオに篭り「サージャント・ペパーズ」や「アビーロード」といった名盤を生んでいくのと本質は同じです。

 最後に、文化勲章も受賞した音楽評価の泰斗、吉田秀和に「世界のピアニスト」(ちくま書房)という評論集があります。29人のピアニストを縦横無尽に論じている名著ですが、グールドが筆頭に配置され最大のページ数が費やされています。興味があれば、是非。

 改めて、カナダが生んだ20世紀最高峰のピアニスト、グレン・グールドに耳を傾けてみては如何ですか?

(了)

山野内勘二
2022年5月より第31代在カナダ日本国大使館特命全権大使
1984年外務省入省、総理大臣秘書官、在アメリカ合衆国日本国大使館公使、外務省経済局長、在ニューヨーク日本国総領事館総領事・大使などを歴任。1958年4月8日生まれ、長崎県出身