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Keiko Nishikawa

Keiko Nishikawa
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「英語と日本語を仕事に活かそう!マルチリンガルの体験談」

「Use Your English & Japanese Skills for Work! Stories of Multilingual Professionals」

 BC州日英翻訳者ネットワーク「隣語組(Lingo Gumi)」のカナダ育ちメンバー3名が日本語と英語を使うキャリアについて Zoomで共有。トピックは翻訳・通訳業、JETプログラム、日本で働くこと・英語を教えることについてなど。プレゼンは英語。

 カナダで日本語と英語で育った高校生や大学生が今後の進路を考える際に参考になれば嬉しいです。

日時: 6月26日(土)7:30pm ~ 9:00pm

パネリスト

・船橋 敬子 「隣組」 事務局長、公認日英翻訳者、日米中で英語教育職を経験

・渡辺 雅之  JETプログラム参加者、大学職員、サラリーマンなど日本で20年間勤務

・吉野 吉子  大学・大学院で言語学と外国語教育研究を専攻、英語と日本語講師を経験   

参加登録アクセスリンク

https://tinyurl.com/afk9jzac

お問い合わせは 渡辺 まで 
 (tel: (778)320-4533   e-mail: mas.watanabe(a)icloud.com)

JAMSNETによるオンラインセミナー「コロナ渦での子育てと心のケア」

コロナ渦での子育てと心のケア©JAMSNETカナダ
コロナ渦での子育てと心のケア©JAMSNETカナダ

 来たる6月12日(土)オンラインセミナーコロナ渦での子育てと心のケア12歳以下のお子さんの子育てに携わる方を対象に開催いたします。

 カナダで活躍中の心のケアの専門家:サイコロジスト(臨床心理博士)の許斐先生が、皆様からのアンケートの質問や疑問にもわかり易くお答え致します。参加費は無料です。

 セミナーに参加ご希望の方は事前にJAMSNETカナダのホームページや申込みリンクからお申し込みくださいませ。

 また、できる限り皆様からのアンケートにお答えできるよう早期お申込みをお願い致します。(6月6日以降の質問には解答しかねる場合がありますことをご了承くださいませ) お申込み完了後にZoomリンクが届きます。

 申し込みリンクはこちらです。  https://docs.google.com/forms/d/1jr4FMJCLZeOxfCTDXX_x_5tNtHGdX_dxpqzONtCB8to/edit

 コロナ渦での子育てと心のケア

主催:JAMSNETカナダ(カナダ邦人医療支援ネットワーク)
協賛:トロント商工会

時間
4:30-5:30pm バンクーバー & ホワイトホース
5:30-6:30pm カルガリー&サスカトゥーン
6:30-7:30pm ウィニペグ
7:30-8:30pm トロント, オタワ & ケベック
8:30-9:30pm ハリファックス
9:00-10:00pm セントジョンズ

司会:林 あすみ Registered Nurse(正看護師:ON州)

講師:許斐由起子 Clinical Psychologist(臨床心理博士:ON州) 

[主な講演内容]

*親のストレスはどうしたら減らせる?

*子供のSOSサインってどんなもの?

*テレビ、ネット、ゲームは有害?

*生活で何を優先するべき?

*その他、皆様からの質問にお答えします

[司会及び講師の紹介]

許斐由起子

 東京出身。1996年よりカナダ在住。JAMSNETカナダ理事

 2001年より臨床心理学を大学院で履修の傍ら病院、学校、刑務所等においてサイコセラピー、心理検査を行う。2008年、Adler School of Professional Psychology(シカゴ)を卒業、臨床心理学博士号を取得。過去の主な勤務先にOntario Shores of Mental Health Sciences、Warkworth Institution等。Durham Collegeにて非常勤講師の経験あり。

 2010年よりDurham Psychologistsを経営。心理カウンセリング(サイコセラピー)と様々な心理検査を実施している他、カナダ連邦政府警察の警察官候補生選別審査も行なっている。

 College of Psychologists of OntarioにClinical, Counseling,Forensic, Rehabilitationを専門にPsychologistとして登録中(番号 4700)。2児の母。

林 あすみ

 埼玉県出身。2000年より北米在住。JAMSNETカナダ会員

 2015年トロント大学看護学部卒業。地域精神保健のケースマネージャーとして勤務後、トロント市の保健師として子育て支援に携わり、現在はコロナ対策部で奮闘中。

 3児の母。

コロナ渦での子育てと心のケア©JAMSNETカナダ
コロナ渦での子育てと心のケア©JAMSNETカナダ

乳がんサポート“つどい”

手術後や治療中などに利用できる
無料食事宅配“Meal Train”

 昨年からコロナの影響でさまざまな規制があって普段通りの生活ができずにストレスを感じている方も多いことでしょう。

 そんな状況下、乳がんについて“つどい”に相談する方々も年々増加してきています。今回は、手術後やその後の治療などで、自分の食事や家族の食事を作ることもままならない方々にぜひ利用していただきたい“Meal Train”をご紹介します。

 “Meal Train”とは、数人から成る無償のグループが病気療養中や出産後などの人に、毎日交互にその方に食事を無料提供、デリバリーするシステムです。

 下記のホームページからオンラインで申し込みます。
 https://www.mealtrain.com/

 乳がんに限らず、ほかの病気の方々、特に一人住まいで治療を受けている方など、ぜひお試しください。

 つどい連絡先 
 Eメール:tsudoivancouver@gmail.com

              電話相談:604-356-7325

(匿名でも結構です。また相談内容についても秘密厳守します)

つどいのホームページ 
http://tsudoivancouver.blogspot.com/

 活動はすべてボランティアで行われています。

今日の深夜、スーパームーンと皆既月食の天体ショー

天気次第でスーパームーンと皆既月食の天体ショーを楽しむことができるかも。©The Vancouver Shinpo
天気次第でスーパームーンと皆既月食の天体ショーを楽しむことができるかも。©The Vancouver Shinpo

 太陽と地球、月が一直線に並び、月全体が地球の影に隠れる「皆既月食」が北米大陸西部で5月26日に観測できる。太陽光が地球に遮られて皆既となる月は、赤黒い赤銅色に見える。

 さらに、満月が地球に近づいて大きく見える「スーパームーン」も重なっている。2021年中で地球に最も近い満月で、アメリカ航空宇宙局(NASA)によると、スーパームーンは最も遠ざかる満月と比べると、見かけの直径は約14%大きく、明るさは約30%増して見えるという。

月食の始まり:5月26日(水)2:45 a.m.
最大食:5月26日(水)4:19 a.m.
月食の終わり5月26日(水)5:52 a.m. 

earthsky.org

満月 
5月26日4:14 a.m. 
(時間は太平洋夏時間)

 天体ショーが楽しめるかどうかは天気次第ではあるが、日本の国立天文台ではライブ配信も行う。日本時間5月26日18時(太平洋夏時間2時)からで、東京都にある三鷹キャンパスから配信するとともに、すばる望遠鏡のあるハワイ島マウナケア山頂からの映像も紹介を予定している。
https://www.youtube.com/watch?v=JvkJZ5YWTKc

 次の月食は2021年11月19日で部分月食。また、5月の満月はアメリカ先住民がフラワームーンと呼ぶ。

日系プレース最新情報 2021年6月

ブリティッシュ・コロンビア州バーナビー市にある日系文化センター・博物館。
ブリティッシュ・コロンビア州バーナビー市にある日系文化センター・博物館。File photo

 日系プレースは日系文化センター・博物館、日系シニアズ・ヘルスケア&住宅協会および日系プレース基金で構成されています。

日系文化センター・博物館
ニュース

 ご来館の際、館内の表示に従い、同居されている方以外との距離を保ち、マスクをご着用いただきますようお願いいたします。体調が悪い場合はご自宅に留まり、オンラインにて是非「ご来館」ください。

 館内もしくはオンラインで開催されるプログラムの時間の詳細は、centre.nikkeiplace.orgにてご確認ください。

イベント

日系ファーマーズマーケット

6月から10月の第2&第4日曜日
午前10時から午後2時

 
 6月より第2と第4日曜日の10時から2時まで日系ガーデンにてファーマーズマーケットが開催されます。隔週(又は1週間おき)に、12から16軒の日系のベンダーさんが集まり、日本の食べ物や野菜、クラフトなどがお買い求めいただけます。

 マーケット開催中はギャラリーとミュージアムショップもオープン予定。

 詳細は随時ウェブサイトに更新されます。
 centre.nikkeiplace.org/events/nikkei-farmers-market/

展示

「破られた約束 (Broken Promises)」  

館内にて開催
6月27日まで開催期間延長

 不正義の風景 (Landscapes of Injustice) プロジェクトの展示「破られた約束 (Broken Promises)」は、1940年代の日系カナダ人コミュニティーのBC州西海岸からの強制移動をきっかけに行われた財産没収の実態を明らかにするものです。このプロジェクトは、カナダ政府の援助により実現しました。

会館時間
火曜~土曜、午前10時~午後5時

「体験:1877年からの日系カナダ人」

Lost and Found

常設展
2階入場無料

 木材労働者たちが残したもの/シーモア木材伐採キャンプ

ミュージアムショップ

 新入荷:アマビエのエナメルピン(オンライン販売)、日本の風景パズル、和風ラッピング用紙、豪華金箔調おりがみ、折り方説明書付き折り紙セット。

 再入荷:ゆりえほよほんのギフトカード、椿オイル。

 館内のミュージアムショップとオンラインショップとの間で在庫の調整をしています。
 お探しのものが見つからない場合にはご連絡ください。
 jcnm@nikkeiplace.org
 604.777.7000 ext.109 

 ミュージアムショップのウェブページ
 https://nnmcc.square.site/

「Writing Wrongs: Japanese Canadian Protest Letters of the 1940s」

オンライン

 日系博物館では、デジタル・ミュージアム・カナダの協力により制作された新しいデジタル展示「Writing Wrongs: Japanese Canadian Protest Letters of the 1940s」を開催します。

 この展示は、1940年代にカナダ政府が日系カナダ人の財産を強制的に売却してしまった事に対して書かれた、300通を超える日系カナダ人たちによる抗議の手紙に着想を得て制作されました。

http://writingwrongs-parolesperdues.ca

ファミリーヒストリー個別相談

 日系博物館の専門家と一緒にあなたの家族の歴史をたどってみませんか。リサーチ及びアーカイブの専門家のリンダ・カワモト・リードが個別に直接お手伝いします。

https://centre.nikkeiplace.org/family-history-one-on-one/

チャールズ門田リサーチセンター 

 NIKKEIMUSEUM.ORGにて31,000点を超える所蔵物をご覧ください!リサーチセンターは安全対策を強化し、ご予約のみの受付です。

 研究調査についてのお問い合わせはリサーチ・アーキビストのリンダ・カワモト・リード lreid@nikkeiplace.org まで、寄贈に関するお問い合わせはコレクション・マネージャーのリサ・ウエダ luyeda@nikkeiplace.org までご連絡ください。

 戦後補償特別委員会からのご支援に感謝申し上げます。

ポッドキャストシリーズ——Sounds Japanese Canadian to Me: Stories from the Stage

 人々が互いに距離を取って暮らすこのパンデミックの時代、ポッドキャストSounds Japanese Canadian to Meでは、舞台芸術家のクンジ・マーク・イケダさんをホストに、今日活躍中の素晴らしい日系カナダ人の舞台芸術家たちとの深い話をシリーズでお届けします。

 日系カナダ人の歴史や文化をトピックとした過去の放送回もお聴きいただくとともに、隔週水曜日にリリースされる新しいエピソードをお楽しみください。日系センターのウェブサイトもしくは、アップルやグーグルのポッドキャスト、Spotify、Stitcherにてお聴きいただけます。

日系文化センター・博物館会員募集

 日系セ ンターでは会員を随時募集しております。会員になるとミュージアムへの入場が無料になるほか、ミュージアムショップでの割引、特定のイベントやプログラムなどで割引特典があります。また会員は年次総会に出席することができます。

 詳しくはウェブページにてご確認ください。
 https://centre.nikkeiplace.org/support-us/membership/

 会費収入は施設の維持や感染防止対策、そして展示、イベント、プログラムなどを充実させるために使用されます。

日系文化センター・博物館をサポートする方法

  • メンバーになる。
  • 博物館ギフトショップとオンラインショップ https://nnmcc.square.siteでお買い物をする。
  • 毎月のご寄付にお申込みいただく。
  • オンラインプログラムに登録していただく。 

ご寄付に関する詳細は、日系プレース基金にお問い合わせ下さい:604-777-2122 又はgifts@nikkeiplace.org

日系文化センター・博物館 (NNMCC)受付・ミュージアムショップ営業時間:
火曜~土曜 午前10時~午後5時
日曜~月曜 休館

バンクーバー日本語学校の隣にシェルター移転~後編~

完成予想図。©First United Church Community Ministry Society
完成予想図。©First United Church Community Ministry Society

 アレキサンダー・ストリートにあるバンクーバー日本語学校並びに日系人会館(VJLS-JH。以下「日本語学校」)。1906年に設立された非営利団体で、校舎はカナダ政府が日系人強制移動当時に没収した資産の中で、戦後日系人に返還された唯一の建物という。カナダの日本語学校では最も古い歴史を誇る。

 その日本語学校の隣に生活困窮者のシェルターが一時的に移転してくるという。園児の安全を懸念する読者から、シェルター計画について調べてほしいと編集部にEメールで連絡があった。

 学校のウェブサイトの情報から歴史を振り返るともに、シェルターの運営団体ファーストユナイテッドチャーチのカメロン・ランズダウン博士とコミュニケーション担当アマンダ・バロウズさんにZoomインタビューして聞いた計画について紹介する。

 シェルター移転について、2回に分けて、前編ではアレキサンダー日本語学校、そして後編では移転計画についてリポートする。

活動歴約135年のファーストユナイテッドチャーチが運営

 日本語学校の隣の建物でシェルターを運営する予定のファーストユナイテッドチャーチコミュニティミニストリー協会(ファーストユナイテッドチャーチ、英語名:First United Church Community Ministry Society)は、バンクーバーのダウンタウン・イーストサイドで135年以上にわたり活動を続けているという。

 ファーストユナイテッドチャーチは過去10年ホームレスの男女のためのシェルターを「320 East Hastings Street 」で運営している。施設の老朽化から新たに11階建てのビルに建て替えるなど再開発を計画している。

 「(現在の施設では)シェルター以外に、ドロップインセンターを運営し、地域の人たちに朝食や昼食を提供しています」とランズダウン博士は説明する。ドロップインでは下着や靴下といった衣類、女性用衛生用品やそのほかのトイレタリーの提供、電話、Eメールおよびファクスの送受信などを利用できる。

 さらにダウンタウン・イーストサイドで暮らす400人以上が、身分証明書、GSTの払戻し、所得補助、年金を利用するため、申請用の住所として教会所在地を使用している。

シェルター移転は新しいビルができるまで

 工事は2021年の夏から始まる予定で、完成までの2〜3年の間、利用者が行き場を失わないためにプログラムを行う場所を数カ所見つける必要があった。「そのうちのひとつが、アレキサンダー日本語学校に隣接する467 Alexander Streetです」と述べた。

 当初は「ドロップインや食事サービスのプログラムを男性専用シェルターと平行して行うことを考えていました」とのことだが、学校側と話し合いを続けた結果、学校の隣接地には「新しい建物が完成するまでの一時的なシェルターのみを置くことに計画を変更しました」と明かす。

 炊き出しのような食事のサービスを行うと不特定多数が訪れる。「お子様方の身体的・精神的な安全を憂慮しているという話を伺い、毎日、何百人もの人々が当施設を訪れるのは賢明ではないという結論に達しました」

 学校との話し合いの結果、隣接の建物に一時的に移ってくるのは合計48床、男女比50%のシェルターで、各ベッドは利用者一人ひとりに割り当てられる。24時間オープンしているため、建物の外で列になって待っているということもないと説明する。

規定より多いスタッフを配置

 スタッフも4人配置する。「BC Housingではこのような施設では20人あたり1人(20:1)の割合でスタッフを置くことを定めています。48人で4人なので、スタッフとの割合は12:1で、BC Housingの規定より多いことになります」

 当社に寄せられた保護者の懸念の一つは「ファーストユナイテッドチャーチのシェルターでは以前、4カ月で6件の性的暴行事件が発生したという報道があったこと、その中で教会は人手不足という指摘があった」ことだった。この報道について聞いた。

 「事件は2011年のことです。当時のシェルターは120床で、人数制限をせずに希望者を受け入れていたため、多いときには300人が利用していました。事件があり、マネージメントは辞任しました」と、ランズダウン博士は新体制をアピールした。

 「現シェルターは男性40人、女性20人の定員計60人です。ただ、今はコロナなので密になるという印象のシェルターを避ける人もいて、30人しか利用していません」と強調する。

 そして「意外に思うかもしれませんが、彼らは自分のスペースをとても大切にします。新型コロナウイルスのパンデミックが始まってからは、シェルターで暮らす人は消毒などにとても気を付けています。現在のシェルターでこれまでに感染していた利用者は1人だけでした」と状況について語った。

細心の注意での対応予定

 保護者宛ての資料によると、小さな子どもを持つ保護者が不安をできるだけ感じることがないようにシェルターオープンの際には、

・シェルターのメインの入口は、学校のあるAlexander Street側ではなく、AlexanderとRailwayの間にある路地にする。Alexander Street側のドアは非常口として、警報機を取り付け、スタッフが監視する。

・可能な限り安全そして快適に子どもの送迎ができるよう、毎日、スタッフと居住者が細心の注意を払って学校周辺の安全を確保し、廃棄される注射針をはじめ、ゴミを片付け、学校の入口や駐車場周辺を徘徊する人がいないようにする。

と細心の注意を払うとして、移転についてのコミュニティの理解を求めた。

 「シェルターオープンにあたって、保護者の方にはファーストユナイテッドチャーチの担当者の連絡先をお渡しすることを考えています。問題が起こらないよう努めますが、何かあった場合も、保護者や学校がすぐに連絡することができるようにして迅速に対応します」と決意を述べた。

 プリスクールの隣にシェルターが移転することについて、ゾーニングやライセンスの問題はなかったのか聞いてみた。「このシェルターはテンポラリー・一時的なものなので、認可関係の問題はありません」との答えが返ってきた。

 バンクーバーのホームレス問題。その緩和のために手頃な料金で利用できる住宅の計画がいくつか進んでいる。ファーストユナイテッドチャーチが新たに建設する建物の中にも、完成時にはアメニティを備えた105室の住宅もできる予定だ。

 「ドラッグに手を出してしまう人の中には、住む場所がなくなり、ホームレスになったことがきっかけだったという人も数多くいます。住む場所がないという恐怖がトラウマになってしまっているのです」とランズダウン博士はいう。

 バンクーバーイーストサイドの問題は、さまざまな要素や背景が絡み合い複雑とされている。新しい建物の建設は、その問題の緩和や解決に極めて重要な役割を担う。教会は学校としっかりとコミュニケーションをとることで、着地点を模索している。

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カナダの1回目コロナワクチン接種率、米を上回る

canada vaccine

 新型コロナウイルスワクチンの接種が急ピッチで進められているカナダで、人口に対する1回目接種率が、5月21日時点でアメリカに上回ったとみられている。

 複数のメディアが21日付の*COVID Tracker Canadaとアメリカ疾病対策予防センター(Centers for Disease Control and Prevention: CDC)発表の数字を比較して、カナダの接種率がアメリカを上回ったと報じた。

 バンクーバー新報編集部が21日20:00の時点で確認したところ、カナダが49.327%、アメリカは48.6%と1回目接種率についてはカナダのほうが高かった。

 ただし、ファイザーやモデルナ、アストラゼネカ製ワクチンといった2回接種が必要なワクチンについて、2回とも接種済みと必要な回数の接種が終わっている人の人口への割合については、カナダは4.21%にすぎない。一方、アメリカは38.5% と大きく差をつけられている。

 アメリカでは4月下旬ごろから、ワクチン接種のペースが鈍化している。これはワクチンに否定的なグループがいるためとされている。

 状況を受けて、オハイオ州では接種を受けた人の中から抽選で賞金100万ドルが当たるというキャンペーンを始めた。そのほかの州でも同様の試みが行われている。

  

州別1回目接種者の人口への割合。©The Government of Canada
州別1回目接種者の人口への割合。©The Government of Canada

 BC州でも15日時点で人口の46%が一回目の新型コロナウイルスワクチンの1回目接種を受けた。

*カナダ政府の最新情報は5月15日までの数字となっている。 

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バンクーバー日本語学校の隣にシェルター移転~前編~

バンクーバー日本語学校並びに日系人会館。Photo by ©︎ The Vancouver Shinpo
バンクーバー日本語学校並びに日系人会館。2017年4月。Photo by ©︎ The Vancouver Shinpo

 アレキサンダー・ストリートにある、バンクーバー日本語学校並びに日系人会館(VJLS-JH。以下、「日本語学校」)。1906年に設立された非営利団体で、校舎はカナダ政府が日系人強制移動当時に没収した資産の中で、戦後日系人に返還された唯一の建物という。カナダの日本語学校では最も古い歴史を誇る。

 その日本語学校の隣に生活困窮者のシェルターが一時的に移転してくるという。園児の安全を懸念する読者から、シェルター計画について調べてほしいと編集部にEメールで連絡があった。

 学校のウェブサイトの情報から歴史を振り返るともに、シェルターの運営団体ファーストユナイテッドチャーチのカメロン・ランズダウン博士とコミュニケーション担当アマンダ・バロウズさんにZoomインタビューして聞いた計画について紹介する。

 前編では日本語学校、後編では移転計画についてリポートする。

日本からの移民や日系人とともに歩んできた日本語学校

 日本語学校は、1905年、当時の小村寿太郎外務大臣がバンクーバーに立ち寄り、森川領事に日本国民教育を目的とした学校の設立を奨励して150ドルを寄付したことがきっかけに生まれたという。

 当時日本人街があったエリアに、仮校舎の「晩香坡共立日本國民學校(当時の学校名)」が1906年に開校。戦前は地域に住んでいた日系の子どもたちが朝からストラスコナ小学校に通い、放課後の「アフタースクールプログラム」として毎日、日本語学校に通った。

 現在、日本語学校のある475 Alexander Streetに、日本語学校校舎並びに日系人会館が移ってきたのは1928年のこと。この校舎は1995年にバンクーバー市歴史的建造物に、さらに2019年にはカナダ国定史跡に指定された。

 ピーク時には1010人の生徒が学んでいたが、1941年の太平洋戦争勃発により、学校閉鎖の命令を受ける。1942年には日系人強制移動・財産の没収が始まり、日本語学校の校舎も国防相に賃与された。

 日系人はブリティッシュ・コロンビア(BC)州内陸部やオンタリオ、アルバータ、マニトバ州などへ強制移動させられて、コミュニティはバラバラになった。

戦争による学校閉鎖を経て、戦後再開

 戦争が終わってもすぐに学校を再開することはできなかった。授業を再開したのは終戦から7年後の1952年。その後、日系2世、3世や新移民の子どもたちが日本語を学ぶ場所、またカナダで日本文化を体験できる場所としての役割を果たしてきた。

 20年ほど前に家族でイベントに参加したという女性は「カナダ生まれの子どもたちがお餅つきに参加しました。七五三の撮影もしていただきました。娘は杵でお餅をついたのが楽しかったようで、今でもその時の話をすることがあります」と振り返る。

 1988年に戦時補償問題の合意が全カナダ日系人協会とカナダ政府の間で締結され、コミュニティ基金、日系カナダ人リドレス基金の設置が決まった。

 日本語学校にも新校舎及び日系人ホールを建設しようという計画に対して基金から140万ドルが寄託され、新校舎が1999年に完成した。

 完成に合わせて1999年には幼児教育部門としてプリスクール「こどものくに」の運営が始まった。ジャパニーズイマージョンというコンセプトで3歳から6歳の子どもたちが通っている。

 プレスクールに子どもを通わせているという保護者の一人は、(バンクーバー日本語学校のあるエリアは)「少し行くと、デザイン事務所や衣料会社のオフィス、家具屋のショールームなどがあり、学校自体も通わせていて、危険は感じません」と現状について語る。

 さらに「(パンデミック)以前は子どものクラスが終わるのを待っている間、図書室でほかのお母さん方と下の乳児をあやしながら話をしたり、ランチルームで子どもたちにお昼を食べさせてから体育館で遊ばせて帰ったりなど、とても良い交流の場になっていました」と振り返る。

 この保護者はバンクーバーイーストサイドの問題は「私も答えがわからない」としながらも「日本語学校にとっても問題が大きすぎるのでは?」と問いかける。

(後編に続く)

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友好の絆、トーテムポールが和歌山でお披露目

髙井氏や籔内美和子町長らが幕を引いた除幕式。(写真提供:Tomoyo_Artworks)
髙井氏や籔内美和子町長らが幕を引いた除幕式。(写真提供:Tomoyo_Artworks)

 和歌山県美浜町三尾地区にある日ノ岬・アメリカ村で、5月11日(日本時間)にブリティッシュ・コロンビア州のアーティストが制作したトーテムポールの除幕式があった。

 カナダ移民の功労者として知られる工野儀兵衛の出身地である同地区は、現在、高齢化や過疎化が進んでいる。その状況を知った日本カナダ商工会議所のサミー高橋会長が地域を支援したいと商工会としてスポンサーを見つけ、カナダのシンボルであるトーテムポールを寄贈することを提案した。

 さらに高橋氏はこの構想を工野儀兵衛のひ孫で、国際協力推進協議会の代表でもある高井利夫氏に相談。高井氏が協力を快諾して、氏が代表理事を務めるNPO法人国際協力推進協議会がスポンサーとなって今回の寄贈が実現した。

 制作を行ったのはウエストバンクーバーに住むスコーミッシュ族のダレン・イエルトン氏で、3カ月をかけて高さ約4メートルのポールを彫り終えた。

 除幕式では髙井氏や籔内美和子町長らが幕を引いた。

(取材 西川桂子)

【編集部】
日ノ岬・アメリカ村へカナダからトーテムポールが寄贈された経緯や日系移民の歴史について、サンダース宮松敬子さんがコラム『V島 見たり聴いたり』で『トーテンポールが取りもつ歴史の絆』として、3回に分けて取り上げる。

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カナダで3番目の高齢者、112歳の誕生日を迎えた峯柴志げさん

花の大好きな峯柴志げさん(写真左)。娘の京子さんと一緒に(2020年撮影)。 © the Vancouver Shinpo
花の大好きな峯柴志げさん(写真左)。娘の京子さんと一緒に(2020年撮影)。© the Vancouver Shinpo

 ブリティッシュ・コロンビア(BC)州バンクーバーに住む峯柴志げさんが5月18日、112歳の誕生日を迎えた。

 志げさんは1909(明治42)年5月18日に愛知県海部郡で生まれた。カナダに移住したのは1968年で、娘の京子さんに呼び寄せられたためという。

 現在、カナダ国内では3番目の高齢者で、BC州およびカナダの日本人としては最高齢。バンクーバー市内の自宅で京子さんと二人で暮らしている。

 食事はオートミールやおかゆが中心で、コーヒーと抹茶を毎日飲む。18日も「おかいさん(おかゆ)と焼き芋を食べました」と京子さん。「抹茶は健康食品のような感じで飲んでもらっています」という。

 「(誕生日には)近所の人からお祝いのバルーンが届いたほか、友達などからお祝いの電話をいただきました。母がここまで長生きできたのは、毎日、自宅に訪問看護で来てくださる看護師の方をはじめとする、周りのみなさんのおかげです」と感謝の言葉を述べた。

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第51回 トーテンポールが取りもつ歴史の絆 ~1

 カナダは、多くの移民によって成り立っていることは広く知られている。元をただせば、ファーストネーションズ(先住民)の人々が住む国であった。だが時の経過と共に、まずヨーロッパから入植した人々によって一歩一歩歴史が刻まれて来た。

 その長い歩みの中には、もちろん日本からの人々も含まれている。移民史をたどると今我々が置かれている立場も、その延長上にあることが容易に分かる。

 では最初にこの国に一歩を踏み入れた日本人は誰か?これに関してはすでにいろいろな研究がなされている。

 だが最近カナダ(特に西海岸)の象徴であるトーテンポールが、カナダ日系移民史の突破口を作った街に寄贈されたことで、再度その足跡を三回の連載で振り返ってみたい。

日本人移民のパイオニア

 カナダにおける日系移民の歴史を紐解くと、異論はあるものの、最初に日本からやって来たいわゆる“パイオニア“と呼ばれる人物は、1877年に外国船でカナダの西海岸に到着した長崎県出身の永野萬蔵氏と言われている。ここに「異論」と書くのは、近年の仔細な調査で萬蔵氏はこの年には、まだ日本に居たとする資料などを発掘したビクトリア在住の某歴史研究家夫妻の説が浮上したためである。

新説が発表された歴史書。©︎Keiko Miyamatsu Saunders
新説が発表された歴史書。©︎Keiko Miyamatsu Saunders

 だが丁度100年目に当たる44年前の1977年には、日系人/戦後移住者たちが中心になって、カナダ中の日系コミュニティーで各種の展示会が開催されたり、また当時アメリカに住んでいた萬蔵氏の子息を招いて祝賀会も催している。加えてカナダ政府は、BC州Owikeno Lakeの源頭の東側にそびえている標高1968mの山を、彼にちなんでMt. Manzo Naganoと命名した。

 この一連の諸行事が揺るがない事実となって「萬蔵説」は固定化し、以後この史実がくつがえされる事はなく、カナダ日系史の初期を飾る人物として各方面で語り継がれている。

工野儀兵衛

 さてこの「異論/正論」は別としても、1800年後半から1900年初期にかけては、かなりの日本人がアメリカ大陸を目指して移民した事は確かである。

 歴史に残る大きな出来事では、1868年(明治初年)5月にハワイのサトウキビ畑で働くための労働者として153名が移民している。時代がちょうど明治元年であったことから、彼らは「元年者=がんねんもの」と呼ばれた。3年前の2018年には秋篠宮ご夫妻を招き、150年目を祝う大祝賀祭がホノルルで開催された。

 だがこの政策には政府が関与していたものの、維新のゴタゴタで国交間での規約がはっきりとしていた分けではなかった事から、多くの悲喜劇が生じたと言われている。

 しかしカナダの場合は、個々に渡カして西海岸のビクトリアやバンクーバー周辺にやって来たのである。その一例が永野万蔵であり、また1888年に和歌山県三尾村(現 美浜町三尾地区)から来た、34歳の工野儀兵衛(くのぎへい)氏(1854‐1917)を筆頭とする数名であった。

工野儀兵衛氏の顔写真(サミー高橋氏提供)©サミー高橋氏
工野儀兵衛氏の顔写真(サミー高橋氏提供)

 彼は生まれ故郷では大工であったものの、そこは山が海に迫り耕作する土地もない貧しい漁村。風光明媚ではあるが生活は困窮を極め、将来に希望を託すことはおぼつかなかった。そうした気持ちを抱えての日々には、目に入る大海原の向こうに広がるまだ見ぬ外国の地への憧れが膨らんだとしても無理からぬことであったろう。

 とは言え、130余年前に頼る人もいない新天地に向かって外国船で太平洋を渡るには、大いなる勇気と冒険心がなければ成し得ないであったろうことは容易に想像がつく。

現在の三尾村の遠景。©Opqr
現在の三尾村の遠景。©Opqr

 そしてやって来たBC州のスティーブストンと言う村で彼らが目にしたのは、流れるフレーザー河に泳ぐ想像を絶する鮭の大群であった。儀兵衛氏はその時の光景を「船に鮭が飛び込んでくる!」と故郷に知らせたのだが、この驚きの言葉は後々までの語り草になっている。

 彼はすぐさま、人手が幾らあっても足りないほど仕事の豊富な漁業にたずさわり、故郷の村から人々を呼び寄せ、缶詰工場を造るなど商才を発揮して、ひと角の成功を収めていった。その揺るぎない実績を持って20 年後の1908 年に、日本を出てから初めて村を訪れた時は、まさに「故郷に錦を飾る」の言葉に相応しい凱旋であったに違いない。

 外国で功をなし立派に成長した彼の姿に、村人たちの多くは更なる渡航熱に火を点けられ「儀兵衛に続け!」とばかりに次々とカナダに渡った。後に移民の最盛期を迎えた1940年頃には、2000余人にも達したと言われている。

 それはまさに年月と共に出現した「スティーブストン三尾村」そのものであったが、まじめで働き者の彼らは、漁業以外にも林業などに従事し、その稼ぎを故郷に送金したことで、三尾は豊かな村へと変身して行った。

 また出稼ぎを終え、長期のカナダ生活に終止符を打って帰国した人々は、西洋風の生活様式を持ち帰ったり、日本家屋とは一味違ったロッジ風の民家を建てたりする者もいて、三尾村は別名「アメリカ村」と呼ばれるようになった。

 スティーブストンはカナダのBC州にあるにも場所かかわらず、「アメリカ村」と呼ぶのには違和感を覚えるものの、当時は「海外=アメリカ」という一般の日本人の外国に対する乏しい知識が反映しての命名であったのだろう。

サンダース宮松敬子 
フリーランス・ジャーナリスト。カナダに移住して40数年後の2014年春に、エスニック色が濃厚な文化の町トロント市から「文化は自然」のビクトリア市に国内移住。白人色の濃い当地の様相に「ここも同じカナダか!」と驚愕。だがそれこそがカナダの一面と理解し、引き続きニュースを追っている。
URL:keikomiyamatsu.com/
Mail:k-m-s@post.com

第110回 歌子小母様 

グランマのひとりごと

~グランマのひとりごと~

 ねぇ、この手紙読める? きれいな字でしょう? これ万葉仮名っていうのですって。この美しい万葉仮名で書かれた手紙を80年の人生でグランマは数回受け取った。今、その歌子小母様からの手紙はグランマの宝なのだ。

 私達「女性企業家の会」にはブッククラブがある。もう10数年間,年に数冊の本を読む。メンバーの誰かによって選ばれた本は、グランマにとっては、自分以外の人が、毎回それぞれの観点から選んだ、本当に興味深い本達なのだ。

 今日は久しぶりにブッククラブの会合の日だ。COVID-19で集まり禁止令が出て集まる事が出来ない。やっとZOOMで会合が持たれたが、やはりパッとしない。そして、やっと今回は10名迄の集まりの許可が下りたのだ。

 今回の本は『危機の現場に立つ』中満 泉 講談社 

 著者は「国連軍縮で担当事務次長」であり、2児の母である。其の本は難民支援交渉から、目のあたりにした不正義への憤りと国連で働く意義、子育てと両立、等々国際協力の現場を目指す人に有意義なメッセージが書かれている。

 其の本を読んでいるうちに、万葉仮名を書く「歌子小母様」を思い出した。

 歌子小母様の夫は大瀬の小父様と私が呼ぶ、国連の熱帯病の専門医だった。

 ご夫妻は人生のほとんどをアフリカで過ごしていた。最後に住んでいたのはエチオピアだった。当時のエチオピアの皇帝が「NOと言わない男!」と激賞したと言う、それがその大瀬のおじ様だと聞いている。

 彼は大宅壮一賞受賞作家桐島洋子先生の伯父様で、国連の熱帯病専門医として長年アフリカで働いていた。退職しご帰国後、洋子先生が彼らをバンクーバーへご招待し、彼女のコールハーバーのコンドに滞在されていた。

 当時、コールハーバーとは未だ呼ばれていなかったが、そこは海に面し、西はライオンズ ゲイト ブリッジから東はセカンド ナロウ ブリッジ迄サーっと窓から見渡せる。早朝にアラスカ クルーズの真っ白な船がライオンズ ゲイト ブリッジをくぐって出航し、夕方には又他の船が、さっそうと入港してくる。

 海の向こうはウエスト バンクーバ―の山々、水上飛行機がスタンリー公園の入り口のマリン ハーバーから飛び立ち、着水はそのコンドの目前でする。水中にガソリン スタンドがあり、モーターボートがそこでガソリンの供給しているのだろう。時々、山側から美しい虹が海を東西に渡ってサーっと広がって見える。

 洋子先生に誘われて一緒に買ったそのコンドの6階にグランマの事務所があり、洋子先生は9階だった。兎に角、眺めがよく又立地条件が最高、住み心地も満点コンドであった。

 大瀬ご夫妻は時々事務所へ私を訪ねて下さった。そして、珍しいアフリカでの彼らの体験談を聞く。

 ある時、歌子小母様が一人で事務所へいらした。お茶を飲みながら、ジープの話! ええ、このお年寄りが「ジープ!?」と思った。

 やがて彼女が「それがねぇ、臭いのよぅ。」

 何故、臭いかと言うと小父様がジープに乗って、病人が出るとどこでも行く。彼は「人食い人種と言われる人達の村でも、病人が出れば治療に行くのよ。そしてねぇ、そこで、彼等と同じ食べ物を食べて帰って来るから臭いのよー」と小母様は笑いながら言う。そいう所へ、普通の車ではいけないからジープを使っていたのだ。

 ある時、大瀬の小父様が言った「部落民と一緒に、彼等の食物を食べる事で、信頼を得て、治療が出来るのです。食べたくないけれど、それも良い治療法の過程なのです。」と語り、一つのアルミを固めたような飾り物を下さった。

 それは10cm大の十字架に似た物だった。病人の治療をし、助けられた部落人はドクター大瀬にお礼がしたい。彼等の生活で大事なもの、それがその金属の手造りの飾り物だった。一番大事な物を、助けた小父様に差し上げ、感謝の意を表していたのだ。

 お二人はそんな飾り物を沢山持っていた。助けた人の数だけあるのかもしれない。それは一般社会で金銭価値のあるものではない、しかし、普通の人が決して入手できる物ではない。グランマは有難く頂いた。

 彼らが20数年間、人命を助けながら生きた、アフリカでのご苦労がグランマの心にジーンと沁み伝わっていた。

 そして、今日、ブッククラブで話す『危機の現場に立つ』の読後感。ドクター大瀬もまた国連で働く人だった。数々のグランマが行った事もない、聞いた事もないそんな所で、著者、中満さんが体験され、「私達の仕事では、時に人間の最も恐ろしく、汚く、罪深いところをみせつけられることもある。

 今日の日本では想像するのが難しいが、世界の多くの場所で「平和」は苦労して作り出し、大切に守らなければならない物で、自然と存在するものではない。

 日本で育ち、チームワークを尊重して勤勉に正直にガンバル習慣を自然に身に付けることが出来た私は、日本人として得をしたと思う、損したと思った事は一度もないと言っています。

 そして、グランマも日本を出てから60年、日本人であり、「和」の教えに生きて来た国民なのですね。

 本当に、中満さんと同じ気持ちです。グランマは 「カナダ大好き」、

 そして、今更ながら、有り難う、母国日本!

許 澄子

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 好評の連載コラム『老婆のひとりごと』。コラム内容と「老婆」という言葉のイメージが違いすぎる、という声をいただいています。オンライン版バンクーバー新報で連載再開にあたり、「老婆」から「グランマのひとりごと」にタイトルを変更しました。これまでどおり、好奇心いっぱいの許澄子さんが日々の暮らしや不思議な体験を綴ります。

 今後ともコラム「グランマのひとりごと」をよろしくお願いします。

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