第123回 「自分の番 いのちのバトン」1

~グランマのひとりごと~

 な―んでこんなに「物」があるのかしら?  毎日、毎日、家じゅうの持ち物を一所懸命、整理している。つまり「終活」だ。でも、懐かしい思い出の物がどんどん出てくるので楽しい。

 あーれぇ、「これぇ、なんだか面白いことが書いてある」。チラシが見つかった。

自分の番 
いのちの バトン

父と母で 二人
父と母の両親で 四人
そのまた両親で 八人
こうしてかぞえてゆくと
十代前では 千二十四人
二十代前では――――?
なんと百万人を越すんです。

過去無量の
いのちのバトンを受けついで

いま ここに
自分の番を生きている

それが
あなたのいのちです
それが わたしの
いのちです

 みつを

 これって、昔、行った有楽町の「相田みつを美術館」でもらったチラシだった。

 グランマが子どもの時、何歳だったか忘れた。

 自分が知る一人で行ける川は、東横線の電車から見える多摩川だけだった。母の姉、大伯母が住む綱島へ、よく母に連れられ東横線で行った。車中から川が見えたのだ。

 その日、私は真剣に死にたいと考え家を出た。池袋駅から山手線で渋谷へ行き、そこから東横線で多摩川駅へ。「川に飛び込めば死ねる」と思っていたのだ。家を出る時、お財布の中から帰りの電車賃はいらないとお金を全部机の上に置いて出た。そのことだけは今でも覚えている。

 そして、川に着き、道路わきから、川淵迄大きな石がごろごろ。その上を歩き、やっと水際にたどり着いた。

 川に入る。行けども、行けども水は深くならない。足の先が濡れるだけで、身体を水につけることはできない。少し上流に歩いてみたが同じ。今度は下へ歩いてみたが浅い川の流れだった。其のうち、死ぬことをあきらめて道路へ戻った。

 気が付いたら帰りの電車賃を持っていない。駅近くの交番へ行き「お財布なくした」とお巡りさんにお金をもらったか、切符を買ってもらったか覚えていない。でも、びしょびしょに濡れた服のまま電車に乗って帰宅した。どうして、本当に何故自殺したかったのかその記憶がない。

 やがて、大人になり無我夢中で生きて、生きて、60歳、1999年母が、そして、2000年に夫が亡くなった。その1年後、2001年、今度は自分が脳卒中と体内出血。身体が不自由で生きる力を失った弱い自分がいた。

(「2」へ続く)

 許 澄子