第102回 『ふっと死ぬ前に…』4

グランマのひとりごと

~グランマのひとりごと~ 

 何時だったかなぁ、私が最後に飛行機に乗ったのは? 思い出した。なんともう11ケ月前、2020年の1月下旬東京行きだった。

 それはインドのアガスティア聖人の占いで、グランマの寿命はインド カレンダーの82~83歳だと言う。つまり、寿命が残り少なくなっている。それで、会いたい人に会って「さよなら」をして置こう思い日本へ行き、友達と姉弟に会いお墓詣りもして来た。

 2020年2月に入ってからは地球上はCOVID19で大騒ぎ。3月には腎臓結石でグランマのお腹は時々酷く痛む。又、911のお世話になる。

 友達の言った「澄子さん、911の回数券買ったら?」の言葉を思い出すが、救急病棟での手当ては「雑」そのもの、何してくれるわけでない。血圧を測り、ベッドに横なってドクターが来たら「タイラノール3」を飲みなさいと言った。

 昨年、腎臓手術した医師の計らいで、やっと6月25日手術が決定。それまで3ケ月間痛みとの戦いだ。それに、今は手術の際、何らかの理由で腱板断絶症、肩の痛みが始まった。

 今は、もう難聴、右肩と手不自由、約1週間前に転倒し左足を捻挫。とうとう杖を突いて歩くことになった。

  耳は聞こえない、目はショボショボ、杖を突いてふらふら歩くグランマは、会う人毎に、可哀そうがられたり、邪魔者扱いされたり、馬鹿にされ、優しくされ、まあ、色々な新しい体験が始まった。

 でも、このグランマ、しょぼくれて居るわけではない。幸い、ITの時代だ。手元のコンピューターを使って友人に手紙を書いた、「そうだ!苦楽一杯の81年自分の思い出を書いてみよう」と思った途端に、人生バラ色に変わって来た。

 そうだ、先回はルフトハンザの空港所長ストリッカーさんに見送られ、香港哲徳国際空港を飛び立ち、日本で家族と年末年始を過ごし、カナダへ移民。厳寒のモントリオロールについてからの話だ。

 うわぁー、寒いー! 夫と2人で引っ越し荷物を受け取りにミラベル空港まで行って帰宅した。南国香港から、厳寒のモントリオールに引っ越した私達には、この寒さは厳しかった。

 兎に角、夢中で色々処理して行かねばならなかった。やらねばならない事は、荷物の受け取りから配送依頼、子供達の学校、保険、運転免許証取得等々、諸事山済みだった。住むところは義弟の所となった。

 空港で荷物の一部を受け取り、後は運送会社に依頼。帰宅すると義妹から留守番していた、6歳と8歳の娘2人が自動開閉ドアのシステムを知らず、雪の庭へ出てしまった。家の中に入ろうとしたら、鍵がかかり中に入れなかった。

 そして、2人は夕方義妹が帰宅するまで雪の中で待って居たのだ。よく風邪もひかず、凍死の危険さえあったのだ。無事でよかった。でもねぇ、そのドアのシステムを実は私も知らなかった。カナダ到着3日目の事だった。

 やがて子供達はスクールバスが毎朝迎えに、昼には自宅ランチに送ってくれる。ランチ終了時間には又バスが迎えに来て学校へ戻る。通学には普通の暖かい衣服の上に、全身カバーするダウン入りスキー着を重ねて着て行く。平均零下10度位、寒い日は零下38度と言う日もある。それは息がハッとして詰るような寒さなのだ。

 ある時、次女は学校で自分が無駄話をするから、皆と一緒に勉強せず、クラスの端っこにある読書コーナーに行かされていると言うのだ。

 実は、2人の娘達は香港で入学難と言われているカソリックの学校で学んでいた。通学には「アマ」と呼ばれる24時間付きり子守が登校の世話をし、帰校は家庭教師が迎えに行く。そして、帰宅と同時に勉強する。学校での勉強プラス、家庭でもまた勉強。幼い子供なのに、そうしなければ学校の勉強について行けないのだった。

 学校では毎月席次が発表され、ある時、次女が末席、3番目に下がった。すると入学時にお世話になったイタリア人のsisterから優しい助言が入ってくる。そこで、家庭教師が頑張り、今度は彼女をトップ3番に持ち上げた。

 当時、6~7歳で既に英語と広東語の2ケ国語の読み書きと日本語は私と会話が出来た。その娘がカナダの小学校で、普通の授業を受け退屈なのだ。悪戯を始め、友達に声をかける。先生はとうとう彼女を教室端にある図書コーナーで本を読むように助言したと言うのだ。

 娘は「ママ、私ね、あの図書の本を全部読んだよ」と言っていた。それがきっかけだったのだろうか、読書好きになり、僅かの小遣いは全部「ナンシー ドルゥ」の探偵小説を買っていた。

 今も物知りで便利な娘だ。本は段ボール一杯、捨てられず我が家にある。当時彼女はまだ7歳の子供だった。

 最近、グランマの若い友人が『アイドル、芦田愛菜って知っている?』その人ってね、3歳から読書を始め「アガサ クリスティ」の本を一杯読んだそうです。と話してくれました。探偵小説は結構内容が広く深いようだ。

 さぁ、香港から遠く離れたこのモントリオロールにやって来た、私達を待って居たのは、なんと「静かな革命」 Quiet Revolution、(1960年代にカナダ、ケベック州で行われた、政治、経済、教育等に関する一連の改革のこと)だった。

グランマ澄子

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 好評の連載コラム『老婆のひとりごと』。コラム内容と「老婆」という言葉のイメージが違いすぎる、という声をいただいています。オンライン版バンクーバー新報で連載再開にあたり、「老婆」から「グランマのひとりごと」にタイトルを変更しました。これまでどおり、好奇心いっぱいの許澄子さんが日々の暮らしや不思議な体験を綴ります。

 今後ともコラム「グランマのひとりごと」をよろしくお願いします。