第132回 幸せ「セレンディピティ」の人生

~グランマのひとりごと~

 許 澄子

 「セレンディピティ」って、そんな言葉知らなかった。生まれて約83年生きて来たのに、このグランマ、まぁ、知らないことの多いこと。
 仕方がない、調べてみたら:セレンディピティ(英語: serendipity)とは、素敵な偶然に出会ったり、予想外のものを発見すること。また、何かを探しているときに、探しているものとは別の価値があるものを偶然見つけること。平たく言うと、ふとした偶然をきっかけに、幸運をつかみ取ることである。
 その素敵な言葉「セレンディピティ」は、ふっと茂木健一郎さんのツイートを読んでいて見つけた言葉だった。知らない事の多い自分だけど、知ろうとする意欲、なんにでも興味を持つ、そんな性格はどうやら生まれ持ったものなのだろう。
 そして、振り返って考える自分の生きた83年、知らずにグランマは「セレンディピティ」の人生を歩んでいたのだと今、幸せ感に包まれているんだよなぁ。
 娘にそう言ったら「ママ、馬鹿みたい!」と言われた。

 昨日、日系女性企業家の会で日本へ帰国する会員の歓送会が行われる予定だった。ところが、その前日、主賓がコロナ陽性で歓送会欠席連絡が入った。主賓は欠席でも、それぞれがポットラック形式で料理を持ち寄り集まることになった。
 そして、当日、集まった面々がそれぞれ持ち寄った御馳走、それは「目で楽しみ」、「味を楽しむ」、そして「心まで温めてくれる」素晴らしい品々だった。
 食べ始める前に数人が小箱を持って、それぞれのお皿から御馳走を分けとっている。グランマが「あれ―、それどうするの?」と聞くと「〇○さんへ届けるのよ」。グランマの目に涙があふれた。
 今日の主賓予定だった病気の人へ皆がこうして御馳走を届ける。その優しい心使い。グランマは本当にそんな優しい仲間と一緒に居れる幸せ、そして、皆の優しさに感動したのだ。

 すべての人が違うから。互いに学び合えばみんな素晴らしい人、人生で起こることすべてに感謝し、楽しんでいるかを試される最も素敵な自分の生き方を決め、 次にその生き方で今日を生きてみる、そして、「楽しかった!」と言って寝る、こうして、素敵な一日ができる。

 それもまた「セレンディピティ」なのかな?