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Naomi Mishima

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建友会2025年9月講演会

建友会松原会長のあいさつ。2025年9月2日、バンクーバー市。写真 建友会
建友会松原会長のあいさつ。2025年9月2日、バンクーバー市。写真 建友会

建友会は、9月2日(火)にUBC Robson Squareにて、建友会役員の伊藤公久氏による 「Canada Greener Homes(既存住宅省エネ改修プログラム)」、京都の㈱丸嘉代表取締役・小畑隆正氏による「店舗、商業施設などの空間プロデュース&伝統的内装仕上げ材の提案」 をテーマに講演会を開催しました。

建友会役員の伊藤公久氏による 講演「Canada Greener Homes(既存住宅省エネ改修プログラム)」。2025年9月2日、バンクーバー市。写真 建友会
建友会役員の伊藤公久氏による 講演「Canada Greener Homes(既存住宅省エネ改修プログラム)」。2025年9月2日、バンクーバー市。写真 建友会

伊藤さんの講演は、気候変動がもたらすグローバルな課題が日々深刻さを増している中、我々に何ができるのか、又既存住宅省エネ改修工事にカナダ政府はからどのような支援が受けれるのか等、とてもタイムリーで興味深い内容でした。

小畑さんの講演には、創業安政6年、京都の老舗木想商家ならではの、発想、伝統的内装仕上げ材を再利用してのビジネス、また、インバウンドが増加する日本(特に京都)での店舗・商業施設の空間プロデュースを実際の事例をもとにお話しいただきました。

京都の㈱丸嘉代表取締役・小畑隆正氏による講演「店舗、商業施設などの空間プロデュース&伝統的内装仕上げ材の提案」。2025年9月2日、バンクーバー市。写真 建友会
京都の㈱丸嘉代表取締役・小畑隆正氏による講演「店舗、商業施設などの空間プロデュース&伝統的内装仕上げ材の提案」。2025年9月2日、バンクーバー市。写真 建友会

カナダに住む我々にとってはとても貴重な情報です。今後の日々の業務等の参考にさせていただきます。

建友会の会員はもとより、他団体の会員の方々も含め、約30名が参加、講演前後で、講演者と又参加者同士の交流・意見交換の場もあり、大盛況でした。

お忙しい中、伊藤さん、小畑さん、貴重なお話をお聞かせいただき、本当にありがとうございました。心より感謝申し上げます。

建友会講演会概要

日 時:9月2日(火)、午後6時15分受付、6時45分講演開始 質疑応答を含め午後9時30分までに終了予定

会 場:800 Robson St, Vancouver, BC V6E 1A7 Room: C400

講演者:建友会 伊藤公久 (K.Ito & Associates LTD)
講演テーマ Canada Greener Homes(既存住宅省エネ改修プログラム)
このプログラムは気候変動抑止策にも大きく関係するプログラムでNRCANから補助金支援があります。   

講演者:㈱丸嘉 代表取締役 小畑  隆正
講演テーマ 「店舗、商業施設などの空間プロデュース&伝統的内装仕上げ材の提案」
ウェブサイト:https://www.muku-flooring.co.jp/about/company/
参考ウェブサイト:https://amp-kyoto.co.jp/

参加費:建友会会員 無料、非会員 $5

講演プログラム
18:15 受付開始
18:40 建友会 松原会長挨拶
18:45 建友会 伊藤公久氏 講演
19:45 休憩
20:00 (株)丸嘉 代表取締役 小畑隆正氏 講演
21:00 質疑応答
21:30 建友会 トム副会長挨拶
21:35 閉会

(寄稿 建友会)

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Vancouver Sake Fest ’25 開催のお知らせ

日本酒ファン必見のイベント Vancouver Sake Fest ’25 を以下の通り開催します。

日本酒好きの方も、これから楽しんでみたい方も大歓迎!皆さまお誘いあわせの上ぜひお越しください!

日時・場所

日時:2025年10月9日(木)18:00〜21:00(PDT)
会場:Coast Coal Harbour Vancouver Hotel by APA
住所:1180 West Hastings Street, Vancouver, BC V6E 4R5

イベント内容

100種類以上の日本酒、焼酎、梅酒、ビールなどを一堂に楽しめます。
酒蔵の伝統と革新に触れながら、テイスティングを通して奥深い味わいと多様性を体験してください。
いろんな酒蔵の日本酒を飲み比べながら、それぞれの味わいや特徴を気軽に体験できます。
会場では日本酒に詳しい人たちから、ちょっとした豆知識やおすすめの飲み方も聞けます。

スポンサー様からのご厚意で、和牛やお刺身も一緒にお楽しみいただけます!
日本酒に合うシェフ特製のおつまみもご用意。

チケット
売り切れ前にぜひ!
19歳以上のみ入場可能(ID必須)

チケットはこちらから

https://www.eventbrite.ca/e/vancouver-sake-fest-25-tickets-1553364227219?aff=oddtdtcreator

スペシャルオファー

1. Instagramのフォロー&いいね
2.「SakeFest25」とDMを送信
3. 割引チケット用のプロモコードをゲット!
[@sake_association_bc]

https://www.instagram.com/sake_association_bc

日本語認知症サポート協会「オンライン de Cafe・笑いヨガ」

「笑顔の力」を引き出そう〜「笑いヨガ」で、元気な心と体づくり〜

毎月、「笑いヨガ」を行っています。自宅にいながら参加できる、オンラインでのセッションです。 初めての方も大歓迎。楽しく一緒に笑いましょう!

日時:2025年10月16日(木)午後8時〜午後9時

会場:Zoom

参加費:初回無料、2回目からドネーション(e-Transfer、PayPalまたは小切手にて)

申し込み締め切り:2025年10月14日(火)

申し込みリンク:https://forms.gle/VTJ5WqoXVWnGfGqT7

*お申し込みいただいた方には、追って参加方法をご案内いたします。

お問い合わせ先:orangecafevancouver@gmail.com

主催:日本語認知症サポート協会(Japanese Dementia Support Association)

「バーバラ・ペントランド」音楽の楽園〜もう一つのカナダ 第39回

はじめに

 日加関係を応援頂いている皆さま、音楽ファンの皆さま、こんにちは。

 9月の声を聞くと、オタワでは秋の気配が日に日に濃くなっていきます。温暖化の時代故に正午前後には30℃に迫る日もありますが、朝は深呼吸すると冷んやりとした空気が肺を満たし、身が引き締まります。そして、秋と言えば、“芸術の秋”であり“スポーツの秋”です。

 さて、スポーツと芸術は一見全く別のものと思われがちですが、歴史を紐解くと非常に興味深いものがあります。古代ギリシャの誉れオリンピアの祭典では、スポーツの躍動美が彫刻や音楽で表現され、スポーツと芸術が一体となって発展していました。近代オリンピックを提唱したクーベルタン男爵は、古代オリンピアの祭典に習い、スポーツと音楽は一体として考えるべきと確信。その理念に従って、1912年のストックホルム大会からは、文学・絵画・建築・彫刻・音楽の5部門で“芸術競技”が行われ、金銀銅のメダルも授与されるようになりました。しかし、作品の輸送や客観的審査の難しさから、1948年のロンドン大会が最後の“芸術競技”となったのです。

 そして、このロンドン五輪の音楽部門には、カナダの音楽家等も参加しました。その中心メンバーの1人が女流作曲家の嚆矢にして、現代音楽の巨匠バーバラ・ペントランドで、声楽曲「Cities」を出品しました。

University of British Columbia Archives, [UBC 5.1/2414]
University of British Columbia Archives, [UBC 5.1/2414]

 そこで今回の「音楽の楽園」は、バーバラ・ペントランドです。但し、率直に言えば、日常生活の中、彼女の名前や彼女の音楽を聞くことは殆どありません。カナダ人が誰でも知っているヒット曲とかがある訳ではありません。それでも、音楽の楽園たるカナダにおける音楽の発展に注目し、その来し方を振り返れば、バーバラ・ペントランドの音楽的冒険の軌跡は鮮やかです。

ウィニペグ〜旅路の始まり

 バーバラは、1912年1月にマニトバ州ウィニペグの英国系実業家の裕福な家庭に生まれます。父親はスコットランドにルーツを持つペントランド家の出身。母親は、イングランド系のスミス家の出です。両親ともに19世紀に平原州に移民して来たアングロサクソン系で、カナダ社会のエリートです。当時のカナダはと言えば、1867年に大英帝国の植民地から自治領へと昇格しドミニオン・オブ・カナダとなり、近代国家建設が進んでいました。20世紀になると、ウィニペグは、北米全体に拡がる鉄道網の要衝にして穀物取引の中心地として発展していきます。

 バーバラが生まれた頃のウィニペグは「カナダのシカゴ」と称される程に繁栄していました。恵まれた家庭環境でしたが、バーバラは心臓疾患を抱えていて外出のままならぬ状況で幼少期を過ごします。両親とも教育熱心で、家庭内では教養が尊ばれ、クラシック音楽とシェークスピア等の英文学に溢れていました。

 静養生活が続き、運動は出来ず、基本的に室内で過ごす中、3歳にして読み書きが出来るほど才能に恵まれていました。特に、音楽への関心は強かったといいます。家庭教師から教養科目に加えピアノも習うと瞬く間に上達します。運動が出来ない分、才能が音楽に集中したのかもしれません。しかも、誰に教わる訳でもなく作曲を始めます。バーバラの創造中枢は幼くして活性化し音楽は生きる喜びの源泉となるのでした。

禁じられた遊び

 9歳になる頃には、心臓疾患の症状は徐々に軽減していき、バーバラは地元ウィニペグのルパートランド女学院に通い始めます。成績優秀にして、ピアノも作曲も面白くて仕方なかったのです。しかし、実は、ここから彼女の自由への闘争は始まったのです。

 バーバラが自作曲を音楽教師に聴かせると、音楽教師は作曲は男性のする事で女子はしてはいけないと指導するのです。教育を重んじピアノも積極的に勧めた母も、こと作曲となると厳しく禁止したといいます。母が信奉していた当時の上流階級の価値観では作曲は奇人変人の悪趣味と捉えられていたと云います。母にしてみれば、上流階級の良き妻となるためにはピアノが弾けることは良き事だが、作曲はその妨げとなると固く信じていたのです。1920年のカナダ社会の一つの断面だったのでしょう。

 作曲は、バーバラにとっては「禁じられた遊び」でした。12歳の頃、ベートーヴェンのピアノ・ソナタに出会い圧倒され、自分で曲を作る行為に没頭します。ピアノを弾けば、自然に自分の曲が湧いて来るのです。どんなに厳しく禁じられても、頭に浮かぶ自分の音楽を留めることなど出来ません。普通にみられる10代の反抗期とは全く別次元の抵抗だったに違いありません。好きな音楽を極めるためには、母の呪縛と徹底的に対峙しなければならなかったのですから。そんなウィニペグ時代は、15歳の時に終止符が打たれます。

自由への助走〜モントリオール・パリ・ウィニペグ

 学業優秀でもあったバーバラは、1927年から2年間、モントリオールの寄宿舎付女学校(Miss Edgar’s and Miss Cramp’s School)に進学します。母に内緒で作曲は続けつつ、ピアニスト・オルガニスト・指揮者・作曲家のフレデリック・ブレアに師事し、ピアノと楽理を本格的に学びます。師ブレアは、バーバラの潜在的な才能を高く評価します。

 そして、1929年、バーバラは17歳にしてフランス留学の機会を掴みます。その頃には、頑迷に反対していた母もバーバラの作曲への情熱が本物だと認めざるを得なくなったようです。或いは、反対するよりも応援して最先端のパリで思う存分勉強させれば、自分の才能の限界に気付いて諦め、良家に嫁に行くだろうという深謀遠慮だったかもしれません。

 いずれにしても、バーバラはパリのスコラ・カントルム音楽院で1年間、音楽を本格的に学びます。ここはパリ音楽院と並ぶ高等音楽教育機関です。パリ音楽院がオペラとヴィルトゥオーゾ養成を重視したのに対し、スコラ・カントルムでは古楽・宗教音楽・対位法を重視し、エリック・サティやダリウス・ミヨー等の20世紀の作曲家を排出しています。

 そんなスコラ・カントルムでバーバラの指導に当たったのは、長く教鞭を取っていたセシル・ゴーティエ教授です。ゴーティエ教授自身が当時のパリでも珍しかった女性作曲家でした。バーバラは大いに刺激を得たに違いありません。後年のインタビューでは、ゴーティエ教授こそ「最初に本格的に作曲を指導してくれた師」として深い敬意を表しています。パリ留学を終えて故郷ウィニペグに戻ってからも、通信教育という形で師弟関係は続き、作曲の奥義を授かっていきます。古楽・宗教音楽の根本にある基本的骨格を徹底的に極めたのです。これこそ、その上で自由に和声・ハーモニーを展開する未来の可能性の土台です。正に温故知新です。

 1930年、バーバラは故郷ウィニペグに戻ります。が、母の目論見は見事に外れます。19歳のバーバラは、いよいよピアニスト・作曲家として本格的な活動を始めます。自身のピアノ三重奏団も結成します。とは言え、音楽で食っていける訳ではなく、生活は親の世話になるのです。そんな生活が6年続きます。

現代音楽への覚醒

 1936年、バーバラは24歳にしての奨学金を得て、ジュリアード音楽院の大学院コースに進みます。1936年当時のニューヨークは、大恐慌から7年を経て、不況の余韻はあるものの文化が爛熟しエネルギーに溢れていました。ジャズとブロードウェイ・ミュージカルが黄金時代を迎えていました。同時に、欧州ではナチが権勢を振るい、その迫害から逃れるべく、シェーンベルクやバルトークがニューヨークに移住して来ました。ウィニペグから来た無名の作曲家バーバラ・ペントランドの感性は全開で、新しい音楽を吸収するのです。

 ジュリアードの最初の2年間は、パリ時代の延長で古典派の音楽を学びます。しかし、バーバラ・ペントランドの創造中枢は、既に在る音楽の再現では全く満足出来ません。3年目に入ると、既存の音楽の重力圏の外を模索するのです。ストラヴィンスキーの音楽の更に先に目を向けます。これまで学んで来た古楽・宗教音楽・古典派の骨格を吸収した上で、リズムとハーモニーの新しい構造を目指すのです。

 3年間のニューヨーク留学の後、再びウィニペグに戻ります。地元で音楽活動を続けつつも勉強も怠りません。1941年と42年の夏には、マサチューセッツ州西部のバークシャー地方のタングルウッド音楽センターの講習会に参加。そこで、巨匠アーロン・コープランドに師事。古典音楽がヨーロッパで発展して来たからといって、アメリカ的な真に斬新な音楽を創ることを恐れてはいけないとの教えを胸に更に前進します。バーバラは30歳になりました。

音楽家として立つ〜トロント・バンクーバー

 バーバラは、1942年から49年までは、トロント音楽院で教鞭を取ります。第2次世界大戦の勃発で、多くの成人男性が前線に送られ、或いは後方支援に回されたことで、それまで男性に独占されていた仕事に女性が就ける機会が生まれたという面は否定できないでしょう。とは言え、ペントランドの音楽が評価され始めた証左と言えます。音楽教育者としても実績を積んだ訳です。一方、後年のインタビューで、「トロントこそカナダにおける音楽産業・エンタテインメント産業の拠点であったので移住した。当時の社会には厳然として女性差別があったので、作曲家として活動を始めた当初は、バーバラ・ペントランドではなく、女性であることが分からないように、ビオ・ペントランドという名前を利用していた」と述べています。冒頭に記した、ロンドン五輪への参加もトロント時代の業績の一つですが、世界的に見ても、女性作曲家は極僅かでした。

 そして、1949年からは、拠点をバンクーバーに移し、ブリティッシュ・コロンビア大学音楽学部の教授に就任。この時代に代表曲「10声部のための交響曲〜交響曲第3番」を発表します。表題のとおり、10人編成の室内楽オーケストラのための管弦楽曲。フルート、オーボエ、クラリネット、ファゴット、ホルン、トランペット、打楽器、第1ヴァイオリン、第2ヴァイオリン、チェロによって奏でられます。3楽章10分41秒は、カナダの現代音楽の到達点と言われています。音列とリズムを革新する「セリエル技法」を駆使しつつ、各楽器の最も美しい音色を提示。懐かしさすら感じさせます。

現代音楽の洗礼

 ここで、現代音楽について一言。バーバラ・ペントランドは、師アーロン・コープランドの「恐れることなかれ」という教えを胸に未知の領域へと足を踏み出し、カナダの現代音楽を切り拓きました。ルネッサンス期以降、ヴィヴァルディやバッハやヘンデルの天才等が発展させて来た音楽が20世紀に到達した究極の姿とも言えます。その核心には、音楽を自由に解き放ちたいという衝動があります。とは言え、初めて耳にすると、分かり難いというのが率直な感想でしょう。

 その関連で全く個人的な体験を共有したいと思います。中学生の頃の愛聴盤であったサイモン&ガーファンクルを親友の家に持って行き、彼の父親の書斎の高級ステレオで聴いた時の感動を今でも覚えています。私が持っていた小さなレコード・プレイヤーで聴くのと全く違う豊かな音でした。もっと違う音楽も聴いてみたいと思い、音楽好きだった彼の父親のレコード・コレクションから勝手に何枚か引っ張り出したのです。既にジャズと呼ばれる音楽がある事は知っていましたから、興味があったのです。ジョン・コルトレーンだったと思うのですが、その高級ステレオにレコードを置き針が落ちて音楽が始まるのを親友と2人で待った時のワクワク感は忘れ難いです。しかし、初めて聴くジャズは正直言うと苦行でした。雑音にしか感じず、5分も我慢出来なったのです。何処が良くて世の大人達はこんなモノを聴くのかと思いました。しかし、高校生になる頃には、背伸びして聴く苦行だったジャズの虜になりました。

 ロックとジャズの話で長くなりましたが、現代音楽にも似た面があると感じます。予備知識無しに初めてペントランドの「トッカータ」を聴いた時には、正直に言うと何も感じませんでした。2度目に聴いた時には、無機質な音だと思いました。3度目に聴いた時、何か胸に引っ掛かる感じはありました。但し、感動した訳というでもありませんでした。それでも、引っ掛かる感じの正体を知りたいと思ってもう一度聴きました。その時初めて、自由を希求する精神と真新しい響きを探し出した愉悦があるのだと感じました。ポップ・ミュージックのような綺麗なメロディーはここには有りません。しかし、「トッカータ」には音楽の美しき瞬間があります。

 簡単には気が付かないかもしれませんが、耳を澄まして心を無にすると聞こえて来ます。一度耳が慣れると、ペントランドの音楽には、それぞれの楽器が乱反射を繰り返しながらキラキラと煌めく音の断片が連なって行き、抒情と哀愁が現れて来るのがわかります。無機質と感じた響きは透明感の裏返しなのです。音楽を聴く醍醐味がここにあります。

結語

University of British Columbia Archives, [UBC 5.1/2415]
University of British Columbia Archives, [UBC 5.1/2415]

 バーバラ・ペントランドは、女性作曲家の道を開拓し、難解な音楽として敬遠されるアバンギャルドな現代音楽の地平を拡げました。女性作曲家と現代音楽という2つのマイノリティを主流に押し上げるための人生でした。1949年から教鞭を取り、彼女の音楽活動の拠点としていたブリティッシュ・コロンビア大学でも、音楽学部改革の最中に教育方針等で折り合いが付かず、1963年には辞職に追い込まれました。が、彼女は己の道を歩み続けます。1930年にパリから戻ってからの50年間で100曲を超える作品を世に問うています。

 時代がようやく追いつくのは1970年代になってからです。1976年には、故郷のマニトバ大学から名誉博士号を授与され、1987年には拠点であるバンクーバー市が彼女の誕生日である1月2日を「バーバラ・ペントランドの日」に指定しました。1989年にはカナダ人にとって最高の栄誉であるカナダ勲章を授与されました。

 バーバラ・ペントランドは、極短い結婚生活を除き、生涯独身を通しています。「私の作品は私の子供」と語っています。2000年2月に88歳で逝った彼女の作品群は20世紀のカナダ社会を映す鏡でもあります。

(了)

山野内勘二・在カナダ日本国大使館特命全権大使が届ける、カナダ音楽の連載コラム「音楽の楽園~もう一つのカナダ」は、第1回から以下よりご覧いただけます。

音楽の楽園~もう一つのカナダ

山野内勘二(やまのうち・かんじ)
2022年5月より第31代在カナダ日本国大使館特命全権大使
1984年外務省入省、総理大臣秘書官、在アメリカ合衆国日本国大使館公使、外務省経済局長、在ニューヨーク日本国総領事館総領事・大使などを歴任。1958年4月8日生まれ、長崎県出身

自力整体カナダ2025年10月から2026年3月までのお知らせ

自然治癒力・自己免疫力がつき、身体が整う教室を開催しています

身体の痛みや各種の不快症状も自分で完治できるどこにもない教室です

★日系センター教室   初心者、単発参加も大いに歓迎 !

⑩金曜日クラス 10月3日(金)・31日(金) AM10:30~11:30
10月の日曜日クラスは休講

⑪金曜日クラス 11月7日(金)・21日(金) AM10:30~11:30
日曜日クラス 11月30日(日) 正午~13:00

⑫金曜日クラス 12月5日・12日・19日(金)AM10:30~11:30
12月の日曜日クラスは休講

①金曜日クラス 1月9日(金)・23日(金)AM10:30~11:30
日曜日クラス 1月18日(日) 正午~13:00

②金曜日クラス 2月6日・13日・2月20日(金)AM10:30~11:30                                
2月の日曜日クラスは休講

③金曜日クラス3 月13日(金)・20日(金)AM10:30~11:30
日曜日クラス  3月29日(日) 正午~13:00

★Web教室も好評配信中❢サンプル動画もお気軽に❢
(月)・(木)の夕方クラス(週1回、1回90分)
(木)・(土)の朝のクラス(休憩時間5分込です)
★ Zoom配信ではなくWebが苦手な方も簡単と好評 ★

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(Jirikiseitai.Canada@)

詳細・お問い合わせはお気軽に、、、
☎ 604-448-8854
eメール jirikiseitai.canada@gmail.com

★メールで教室開催案内を希望の方はお知らせください。

第28回 放置の方が高くつく!? 遺言とノート、作らなかった“代償”とは ~Let’s 海外終活~

終活は新しい大人のマナー

叶多範子

「遺言を作るのに高いお金は払いたくない」
「ノートなんて作らなくても、誰も困らないでしょ?」

そんな声を、今でも耳にします。しかし実際にそのまま人生を終えたとき、“放置の代償”は想像以上に大きくなるのです。

今回は、私がこれまでに見てきた現実の例をもとに、 遺言やノートを作らなかったことで起きる困難や負担についてお話しします。

遺言がないと、裁判所の手続きが複雑に

ある日、カナダ国内で日本人の男性が急逝。配偶者や子供はおらず、血縁者は全員日本に住んでおり、現地では友人が手続きを手伝うことになりました。

彼には遺言がなかったため、まずは裁判所で 「誰が遺産管理人になるか」を決める手続きから始まります。申請に必要な情報を調べ上げ、各金融機関へ連絡し、裁判所に書類を提出する——。そのプロセスと最終的な遺産分与までには数十ヶ月〜数年に及び、弁護士費用だけで100万円超えになることもあります。

遺言は「本人のため」というよりも、「残される人のため」のもの。だからこそ、亡くなる直前に家族が弁護士を病院やホスピスへ呼び、急いで遺言を作成するケースも少なくありません。

しかし急な依頼では、書類の準備や時間外対応などで通常の3〜5倍の費用がかかることもあります。「もっと早く準備してくれていたら」そうした後悔が残る場面を、私は何度も見てきました。

友人に頼ったとしても、限界がある

現地に家族がいない場合、頼れるのは友人です。最初は「世話になったから」「生前に頼まれていたから」と、善意で奔走してくれる人もいます。

しかし、何ヶ月にも及ぶ複雑な手続きや日本の親族とのやりとりに疲れ果て、 途中で「もうやめたい」と思ってしまう人も少なくありません。

しかも、その友人は遺言で相続人に指名されていない限り、どれだけ尽くしても遺産を受け取ることはできません。裁判所や金融機関から見れば「ただの第三者」であり、報酬も基本的にはなく(場合によってはあり)、苦労だけを背負うのです。

迷惑をこうむるのは、遺産を受け取る血縁者よりも、むしろ身近な友人であることも少なくありません。これも「準備をしないこと」の現実です。

ノートがないと、探し物から大混乱

遺言があっても、エンディングノートがないと別の問題が起きます。

・いくつ口座があり、どの銀行にあるのか?
・スマホのロック解除方法は?
・オンラインの明細やサブスクの「ログイン情報をどこに保管しているか?」
・加入している保険や会員サービスは?

まさに「知らないこと」だらけで、残された人は困り果ててしまいます。さらに、本人の希望がわからないことは、大きな負担となります。大切にしていたコレクションをどう扱うか。お墓やお葬式の希望はどうだったのか。判断に迷い続けることで、家族や友人は精神的に疲弊し、「これで良かったのだろうか」というモヤモヤを抱え続けることも少なくありません

一方で、ノートに思いや感謝の言葉が残されていれば、それだけで救われるご家族も少なくありません。「大切な人が最期に何を望んでいたのか」それを知ることができるのは、大きな支えになります。

“準備しないリスク”は、お金だけではない

遺言やノートを残さなかった場合、負担になるのは手続きや費用だけではありません。

大切な人の心に、迷いや争い、そして後悔を残してしまう。これこそ、最も見過ごせないリスクです。もちろん、準備には時間やエネルギーが必要です。しかし「何も残さないこと」の方が、まわりの人にとっては、より大きな負担になるのです。

今日のまとめ

遺言がなければ裁判所の手続きに時間と費用がかかり、ノートがなければ探し物や希望の不明確さで家族や友人が疲弊してしまいます。残さなかったこと、準備しなかったことが、結果的に大切な人を苦しめることもあるのです。

あなたの代わりに、誰かが泣きながら走り回る前に。小さな一歩から準備を始めてみませんか。

Let’s 海外終活!
「やっておけばよかった」と思わない未来へ。

終活とは誰かのためだけではなく、自分自身がこれからを楽しく悔いなく生きるために取り組むもの——。私はそれを「私活」と呼んでいます。

*ご感想・ご質問は、メールにてお気軽にどうぞ。voice@shukatsu.ca

本コラムは終活に関する一般的な情報提供を目的としています。内容には十分配慮しておりますが、必要に応じてご自身での確認や、専門家へのご相談をおすすめします。なお、本コラムをもとに行動されたことによる不利益については、免責とさせていただきます。

「Let’s海外終活~終活は新しい大人のマナー」の第1回からのコラムはこちらから。

叶多範子(かなだ・のりこ)

グローバルライフデザイナー/海外終活アドバイザー
カナダ・バンクーバー在住。

カナダで親しい友人を突然亡くしたことをきっかけに、終活の大切さを実感。
相続専門の弁護士アシスタントとしての経験をもとに、海外を含むさまざまな場所で暮らす日本人の終活を、学びの視点から支えている。

エンディングノートの活用や家族との対話を通じて、「自分らしくこれからを生きる」ヒントを共有する活動を続けている。

「終活」を、これからの人生を見つめ直す機会ととらえる——そんな“私活(わたしかつ)”という考え方も、大切にしている。

家族は、カナダ人の夫、2人の息子、愛猫1匹。
ホームページ:https://www.shukatsu.ca

和の学校@東漸寺9月のお知らせ

こんにちは。
夏休みが終わり、秋の風を感じる季節となりました。
9月9日は重陽の節句です。
陽が重なり、邪気を払うと言われています。

コキットラム市にあります東漸寺では、親子さん向けの五節句のお祝いとキッズ茶会を開いております。

今年最後のお節句のイベントとなります。
どうぞ、皆様お揃いでお寺へお越しください。

以下、ご案内となります。
どうぞよろしくお願い致します。

コナともこ
和の学校@東漸寺

重陽の節句

子ども演劇、茶道体験

914日(日)
午前1015分〜子ども演劇体験
午前11時〜子ども茶道体験

重陽の節句*キッズ茶会

子どもたちと楽しむ、お茶の時間♪呈茶スタイルでカジュアルに茶道経験してみましょう。
お茶代:$3(お子様〜12歳)$5(13歳〜大人)同時開催「子ども演劇体験」参加費:無料

演劇というコミュニケーションの表現を通じて、親子で昔話などの朗読や体を使った遊びをしてみませんか。
毎週日曜日、各種稽古を行っております。
最初は見学や体験から、お気軽にご参加くださいませ。

「フィルム向/殺陣教室」

9月7日、14日、28日(日曜日)*21日はお休みとなります。
午前10時~午後11時半 「殺陣*レギュラークラス」午後12時~午後1時半 「殺陣*基礎クラス」

<参加費>
レギュラークラス、基礎クラス
$23/回

「着付教室、着物ワークショップ/着物クラブ」

ご自分で着物を着て、お出かけしてみませんか。初心者向けの着付け教室です。
着物及び帯や小物のレンタルもしております。(有料)

*日時について変更もございますので、その都度ご連絡をいただけましたら幸いです。

<参加費>
通常教室$25/回(グループクラス;最少人数3名)

*セミプライベートやプライベートクラスもございます。

レンタル着物&名古屋帯$30/回 レンタル浴衣&半幅帯$20/回

「茶話タイム」
午後12時~1時
(茶話タイム内では、各種お教室に参加された方同士の社交の場として、お愉しみください。着物クラブを同時開催することもございます。)
茶話タイム $5~ドネーション/教室への参加者は無料です。

<和の学校@東漸寺イベント及び各種教室のお申し込み*お問い合わせ>
和の学校@東漸寺TOZENJI コナともこ tands410@gmail.com

住所 209 Jackson street Coquitlam, B.C.
和の学校@東漸寺ホームページ https://wanogakkou.jimdofree.com/

沖縄県人カナダ移住125周年記念公演 創作芸団レキオス「沖縄の鼓魂・ヌチカジリの響き、沖縄から世界へ」

日時:2025年9月21日(日) 午後4時~6時(開場:午後3時)

会場:Michael J. Fox Theatre(7373 Macpherson Ave, Burnaby)

チケット料金:一般:$30、シニア(65歳以上)・学生:$20、小人(4~12歳):$10、3歳以下:無料、※グループ割引:5枚以上のご購入で10%割引

お問い合わせ: REQUIOS2025@gmail.com Tel: 604-250-9532

チケット販売所:The Postcard Place、Tatchannoodle、Eventbrite (eventbrite.ca)

モントリオール植物園日本館で被爆80年展示会「被爆者の体験した記憶を次世代へと引き継ぎたい」

モントリオール植物園日本館で開催されている広島の基町高校の生徒が描いた「原爆の絵」を展示する「Hiroshima – Passing the Torch(Hiroshima – Relayer l’Histoire)」の様子。Photo: Ms. Sonia Dandaneau
モントリオール植物園日本館で開催されている広島の基町高校の生徒が描いた「原爆の絵」を展示する「Hiroshima – Passing the Torch(Hiroshima – Relayer l’Histoire)」の様子。Photo: Ms. Sonia Dandaneau

 カナダ・モントリオール市のモントリオール植物園内にある日本館で広島の高校生が描いた「原爆の絵」を展示する「Hiroshima – Passing the Torch(Hiroshima – Relayer l’Histoire)」が開催されている。

 モントリオール市は広島市と姉妹都市で、毎年8月5日午後7時15分(日本時間8月6日8時15分)には同園内日本庭園で平和式典が行われている。

 展示会を企画したモントリオール植物園日本庭園日本館館長ソニア・ダンダノーさんに話を聞いた。

広島基町高校生徒が描いた被爆者の体験した「原爆の絵」を通して次世代へとつなげたい

 今年は広島に原爆が投下されて80年という節目の年を迎えた。モントリオール市は1998年に広島市と姉妹都市提携。それ以前にも1987年7月には平和首長会議に参加していた同市にとって被爆80年を特別な思いで迎えていたという。

 「被爆80年という現実を考える時、『ヒバクシャ』がいなくなっていくということは、歴史の記憶に大きな穴が開くということだと思いました。被爆し、原爆投下の被害を目の当たりにした体験をした人は彼ら以外にいないのです」

 そこでこの貴重な体験をどのように伝えるかと考えた時、次世代に引き継がなければならないという思いに駆られたと語る。

 「『ヒバクシャ』の体験は忘れてはならない。人間には過去の過ちを簡単に忘れ、繰り返すという性質がある。若い人たちに伝えるにはどうすればいいか」。当初は日本館が所有する被爆者自身が描いた作品30点を展示することを考えた。しかし、被爆者の記憶を次世代へと継承していくための取り組みとして、基町高校のプロジェクトに注目した。

 広島市基町高校では、広島平和記念資料館が2004年から行っている「被爆体験証言者の記憶に残る被爆時の光景を若者が絵に描き、当時の状況を伝える『次世代と描く原爆の絵』の事業」に2007年から同校創造表現コースの生徒が参加していた。被爆者との共同制作による「原爆の絵」として資料館に保存されている。

 「とても興味深いプロジェクトだと思いました」。作品の画像データを提供していることも分かった。そこで「約200点から私自身が選び、20点を展示することにしました。見る人に強く印象に残る作品、視覚的に訴える作品を中心に、さまざまな角度から紹介できると思う作品を選びました。選ぶ作業は大変で、かなりの時間がかかりました」。

 選んだ作品にはそれぞれに説明があり、高校生と被爆者のコメントが付いていた。「それらから印象に残ったコメントを選んで、テレビ画面に映し出すという方法で展示会場で紹介しています」。コメントを読んでいると「広島の高校生ですら原爆について知らないことがあると気づいたと言っていました。それを考えると、広島以外、ましてや日本以外の若者はなおさらだと思います」

 今回の展示会を通して「私は見た人が、罪のない被爆した全ての人々が経験した苦しみや困難に共感し思いやりの心を持ってもらいたいと思います。また被爆を体験した実際の体験に耳を傾けてほしいです。偽の情報が深刻な問題をもたらしている現代だからこそ、確かな情報から学ばなければならない。体験者の声は重要な意味を持つのです。展示会を訪れた人がそれを理解してくれることを期待します」

広島とのつながりを大切に特別な思いで迎えた8月5日

多くの人が見守る中で行われたモントリオール植物園日本庭園での平和式典。平和の鐘を突くモントリオール市議会マルティンヌ・ムサウ=ムエレ議長(左)と内川昭彦モントリオール総領事。モントリオール日系コミュニティとMr. Luc Leblanc, a member of the Montréal Japanese Garden and Pavilion Foundationから贈られた各千羽鶴も平和の鐘に飾られた。Photo Crédit : Ville de Montréal / Meve Design
多くの人が見守る中で行われたモントリオール植物園日本庭園での平和式典。平和の鐘を突くモントリオール市議会マルティンヌ・ムサウ=ムエレ議長(左)と内川昭彦モントリオール総領事。モントリオール日系コミュニティとMr. Luc Leblanc, a member of the Montréal Japanese Garden and Pavilion Foundationから贈られた各千羽鶴も平和の鐘に飾られた。Photo Crédit : Ville de Montréal / Meve Design

 日本庭園には広島から寄贈された「平和の鐘」がある。毎年8月5日には記念式典が行われ、午後7時15分にモントリオール市代表と在モントリオール日本国総領事が共に鐘を突く。広島の8月6日8時15分と同時刻だ。

 ダンダノーさんによると今年は例年より多い約300人が参加したという。モントリオール市を代表してモントリオール市議会マルティンヌ・ムサウ=ムエレ議長と、内川昭彦モントリオール総領事が鐘を突いた後、広島市松井一實市長の平和宣言が読み上げられた。平和宣言は式典後に全文をフランス語、英語、日本語で読めるようにした。そして今年はさらに日本館での「原爆の絵」の展示会場も訪れたという。

 「すごくシンプルな式典ですが、毎年とても感動します」。さらに今年は80年ということで「みなさんに鐘の音を聞いてもらいたかったので」と8月6日にも鐘を突いた。1日かけて80回。「同僚の中には1日中鐘の近くにいて、訪れる人に広島との関係や、『なぜこういうことをしているのか、鐘はどういうものか』などを説明していました」。

 記念式典は毎年一般公開されている。ただ情報を知らない人は来ないため一般の人が鐘の音を聞く機会はほとんどない。「でも今年は8月6日が何の日か知らずに植物園を訪れた人にも紹介できる機会になりました」。広島のこと、モントリオールとの関係、鐘についてなどを伝える、「それが重要だったと思います」。

 「平和の鐘」は広島市との姉妹都市提携した年にモントリオール市に寄贈された。以来、平和式典で鐘を鳴らし、哀悼の意を表している。

 モントリオール植物園日本庭園と広島市との姉妹都市提携には縁がある。日本庭園造設のきっかけは、当時のピエール・ブルク植物園園長と日本人僧侶・高畑崇導さんの出会いだったと説明する。「お互いに尊敬する存在となり、高畑さんからブルク園長に植物園に日本庭園を造ってはどうかと提案したそうです」。

 モントリオール市では1967年にモントリオール万博、76年にモントリオールオリンピックと国際的なイベントが続いた。モントリオール市民が海外文化に興味を持つきっかけになり「タイミング的にとてもよかったのでは」と話す。

 資金集めやさまざまな問題をクリアして1988年に日本庭園がオープンした。手掛けたのは造園家・中島健さん。それから10年後、広島市と姉妹提携した。調印式には日本庭園オープン時に植物園園長だったブルグさんが市長として調印した。

 日本館は1989年にオープン。ダンダノーさんは「広島は今、市民の日常、未来に引き継ぐ平和」という展示会を開催したこともあると話した。「数年前にプライベートで家族と日本を訪れた時、広島にも行きました。その時に広島といえば原爆というイメージしかないということに気づいたんです」。そこで被爆地という顔だけではなく、広島の町、人々の日常などを紹介したいと思ったという。「もちろん被爆地としての広島は歴史の重要な一ページですが、それだけが広島の町を定義しているわけはないのです」。

 そこで広島市の協力も得て、展示会を開催した。「それは現在の広島の日常を伝えるものです。すばらしい町で暮らす豊かな生活です。広島という町について人々の見方を少し変えるきっかけになればと紹介しました」。

 広島の町の魅力もモントリオールで発信したダンダノーさん。モントリオールと日本をつなぐ役割も担い、その功績に2024(令和6)年春の外国人叙勲受章者として旭日双光章が贈られた。

 今回の展示会は今年10月31日まで開催されている。

「Hiroshima – Passing the Torch(Hiroshima – Relayer l’Histoire)」

期間:2025年8月1日~10月31日 午前10時~午後6時
会場:モントリオール植物園日本館(4101, rue Sherbrooke Est, Montréal, QC)
ウェブサイト:https://calendrier.espacepourlavie.ca/hiroshima-n-passing-the-torch-a-powerful-exhibition-984585

モントリオール植物園日本館で開催されている「Hiroshima – Passing the Torch(Hiroshima – Relayer l’Histoire)」で広島の基町高校の生徒が描いた「原爆の絵」を熱心に見る来場者。Photo: Ms. Sonia Dandaneau
モントリオール植物園日本館で開催されている「Hiroshima – Passing the Torch(Hiroshima – Relayer l’Histoire)」で広島の基町高校の生徒が描いた「原爆の絵」を熱心に見る来場者。Photo: Ms. Sonia Dandaneau

(取材 三島直美)

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カナダ日系文化会館JERFから東北3大学に各1000万円寄付

高円宮妃久子さま(前列中央)を囲んで記念撮影。後列はこの日の式典に参加した基金の支援を受けた元学生たち。2025年5月22日、東京。撮影 三島直美/日加トゥデイ
高円宮妃久子さま(前列中央)を囲んで記念撮影。後列はこの日の式典に参加した基金の支援を受けた元学生たち。2025年5月22日、東京。撮影 三島直美/日加トゥデイ

 カナダ日系文化会館(JCCC)は2011年に起きた東日本大震災で被災した東北3県の3大学に各1000万円(約10万ドル)を寄付した。5月22日には東京の在日カナダ大使館で贈呈式が行われた。式には高円宮妃久子さまも出席され、カナダからの迅速で多大な援助に改めて感謝の言葉を述べ、奨学金を受けた学生が夫(故高円宮)がそうであったようにカナダを第2の故郷のように思ってくれることを願っていると語った。

 JCCC Foundationは2011年の震災直後、甚大な被害を受けた東北地方の被災者を支援するため、カナダ人からの寄付を募る「東日本大震災救援基金(JERF: Japan Earthquake Relief Fund)」を設立した。きっかけは被災地を支援したいという想像を超えるカナダの人々からの声だった。集まった寄付金は、高等教育を続けるために経済的支援を必要としている東北の学生を支援するために使うことに決定。募金は約160万ドルに上った。JERFは、赤十字に10万ドル、福島県、宮城県、岩手県に高校までの生徒のために各10万ドルを寄付、加えて、大学生を対象にした奨学金に充てた。合計で1,179,679ドルがこれまでに使用された。

 奨学金は、東北大学、岩手県立大学、福島県立医科大学で、医療や福祉関係を目指す大学学部生・大学院生を対象とし、2012年からこれまでに63人(162件)が支援(65,587,104円)を受けた。

JERFを代表してあいさつするクリスティン・ナカムラさん。2025年5月22日、東京。撮影 三島直美/日加トゥデイ
JERFを代表してあいさつするクリスティン・ナカムラさん。2025年5月22日、東京。撮影 三島直美/日加トゥデイ

 しかし、JERF代表のクリスティン・ナカムラさんは、「震災から14年が経過し、基金はその目的を果たしたと判断したため、理事会は経済的支援を必要とし、カナダと何らかの関係がある学業のために利用してもらえればと、残りの基金を3大学に同額ずつ寄付することを決定した」と今回の寄付について説明した。

被災経験を基に地元で市民を支えられる人に

 この日は、これまでに基金の支援を受けたことがあり、現在はそれぞれの分野で活躍している元学生たちが多く出席、その中から6人が代表でスピーチした。

 震災当時、小学生から大学生だったという6人は、それぞれに震災の被害や家族を失った悲しみなどを語った。いつまでも続くのではないかと思われる地震にこの上ない恐怖を感じたこと、被災し、仮設住宅での生活を余儀なくされ、ストレスで不登校になったこと、持病を持つ家族を抱え心身ともに疲れ切っていたこと、恐怖と不安で震えていた避難所生活で看護師にかけてもらった言葉に勇気をもらったことなど、それぞれの10代の体験を話した。

 その中で、被害に遭った人たちを救いたいと医療や福祉の勉強をすることを決意したものの、さまざまな事情から大学や大学院への進学をあきらめかけた時に基金の支援はとても心強くうれしかったとそれぞれに感謝した。

 最後に語った福島県立医科大学耳鼻咽喉科学講座専攻医の斉藤杏さんは唯一英語でスピーチ。「カナダの皆さんに感謝を伝えるのに相手の言葉を使って話したかったから」と言う。「カナダに行ったことがないだけでなく飛行機にすら乗ったことがないが、英語でスピーチしようとチャレンジした」と笑顔を見せた。中学校の卒業式当日に地震に遭い、自宅は全壊。それでもこの経験があったから医療の道に進んで地元福島で医療に携わりたかったと語る。そして「いつかカナダの人々から受けた親切に恩返ししたい」と感謝した。

 式典を終え、ナカムラさんは「皆さんのスピーチを聞いて、また昔のことを思い出して涙が出ました」と話す。式典の様子はビデオ録画していて、トロントで関係者に見せるという。震災当時はJCCCに「なにか支援できることはないか」と多くの電話が掛かってきたため基金を作って支援することになったと振り返る。「支援が皆さんの役に立ったという話を聞いて感動しました。本当に支援をして良かったなって思います」と笑った。

(取材 三島直美)

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沖縄県人カナダ移住125周年記念公演 創作芸団レキオス「沖縄の鼓魂・ヌチカジリの響き、沖縄から世界へ」

日時:2025年9月21日(日) 午後4時~6時(開場:午後3時)

会場:Michael J. Fox Theatre(7373 Macpherson Ave, Burnaby)

チケット料金:一般:$30、シニア(65歳以上)・学生:$20、小人(4~12歳):$10、3歳以下:無料、※グループ割引:5枚以上のご購入で10%割引

お問い合わせ: REQUIOS2025@gmail.com Tel: 604-250-9532

チケット販売所:The Postcard Place、Tatchannoodle、Eventbrite (eventbrite.ca)

静かに考える戦後80年・癒しのコンサート、バンクーバーで開催

左から、ペンさん、エップさん、ラムズボトムさん、ランメルさん、アクネさん、新屋さん、コーバーンさん。バラを贈られ最後に全員で。2025年8月15日、バンクーバー市。Photo by Koichi Saito/FRASER MONTHLY
左から、ペンさん、エップさん、ラムズボトムさん、ランメルさん、アクネさん、新屋さん、コーバーンさん。バラを贈られ最後に全員で。2025年8月15日、バンクーバー市。Photo by Koichi Saito/FRASER MONTHLY

 日本にとって終戦80年となった2025年8月15日、カナダ・バンクーバー市で「静かに考える戦後80年・癒しのコンサート」が開催された。

 8月のバンクーバーには珍しく朝から土砂降りの雨となったが、会場には約250人が集まり、戦争体験者の語りと癒しの音楽に耳を傾け、心をゆだねるひと時となった。

今なお記憶に残る戦争体験、太平洋をはさんで日本とカナダで

 第2次世界大戦は日本、そしてカナダで人々に大きな傷を残した。日本では1945年8月6日、9日に原子爆弾が投下され、約21万人がその年のうちに亡くなったとされる。一方、カナダでは1941年12月7日の日本軍による真珠湾攻撃を機にカナダ政府の日系人強制収容政策が翌年から始まった。罪のない市民が戦争によって犠牲になる。日本でもカナダでも変わらない。

 この日は、8月6日に広島で被爆したランメル幸さんと、強制収容政策でリッチモンド市スティーブストンからアルバータ州レイモンドに移動を強いられたロイ・アクネさんが、自らの体験を語った。

自身の体験談を語るランメル幸さん。2025年8月15日、バンクーバー市。Photo by Koichi Saito/FRASER MONTHLY
自身の体験談を語るランメル幸さん。2025年8月15日、バンクーバー市。Photo by Koichi Saito/FRASER MONTHLY

 幸さんは8月6日、爆心地から約3.5キロメートル離れた小学校の校庭で遊んでいた時に被爆した。当時8歳。大きな木の陰にいたため奇跡的に助かったが、黒い雨に打たれ、着ていた服に黒いしみがついて取れなかったことを覚えているという。長く原爆体験は話していなかったが、2011年3月11日の東日本大震災時に起きた福島第一原子力発電所事故をきっかけに、「原爆について語らなければ」との思いに駆られた。体験談をつづった日本語版「忘れないでヒロシマ」(南々社)、英語版「Hiroshima-Memories of a Survivor」も執筆し、バンクーバーを中心に語り部として平和活動を続けている。

 キリスト教徒である幸さんにとってバンクーバーで歴史あるクライストチャーチ大聖堂で多くの人に自身の体験談を聞いてもらえたことは言葉にできないほどうれしかったという。「『すばらしかった』と言ってもらえて」と遠慮がちに喜んだ。今回は通訳が入ることもあり講演は約10分と短かかったため、まとめるのが難しかったという。「短い時間で伝わるかなと思っていましたけど、伝わったようでよかったです」。楽しみにしていたパイプオルガン演奏は講演準備のため残念ながら聞けなかったそうだが、「ピアノも、トリオもすばらしくて。教会もすばらしく、本当に胸がいっぱいになりました。最高のイベントでした」と振り返った。

転んでも立ち上がる、そんな人生を歩んできたと語るロイ・アクネさん。2025年8月15日、バンクーバー市。Photo by Koichi Saito/FRASER MONTHLY
転んでも立ち上がる、そんな人生を歩んできたと語るロイ・アクネさん。2025年8月15日、バンクーバー市。Photo by Koichi Saito/FRASER MONTHLY

 ロイ・アクネさんは現在スティーブストン仏教会で開教使補佐をしている。日本で戦争が終わった年にはカナダでは強制収容が終了するどころか、ロッキー以東への移動か日本への送還を選択するという状況だった。8月15日という日について聞くと、「当時働いていた農園でトラクターを運転していた父がトラクターを止めて涙していたことを覚えています」と話した。日本の終戦を何らかの形で聞いたのだろうと推測する。アクネさんの父は16歳の時にカナダに移住した。日本への強い思いがあったに違いないと振り返った。

 講演では自身の人生は「七転び八起き」だったと語った。6歳の時に強制収容政策が始まり、移動先では子どもながらに長男として父の農業を助けなければならなかった。バンクーバーに戻った後も就職先で昇進を拒まれる差別に遭った。差別をなくすにはどうすればいいかと考え教育の道に進んだ。教師、校長、教育長など責任ある役職をアジア人でも担えることを子どもたちに示し、肌の色や出身地に関係なく全ての人が公平に扱われることが大事だと説く。「自分の経験を語ることで何かを感じてもらえらたら」と強制収容時代のことも話すようになったという。「一人ひとりに心があり、気持ちがあります。それを尊重しなければなりません」と語り、自分の経験を語ることで平等で公平な人間関係を築いてもらえれたらと話す。

 現在は寺院の開教使補佐という仕事がら多くの人に話をする機会がある。この日は通訳が付くこともあり、原稿を読みながらの講演となったが、「本当は原稿なしに立ってみなさんに語り掛ける方が得意なんです」と笑った。

戦後80年の節目の年に改めて平和の大切さを思う

新屋宗一さんのピアノ独奏。2025年8月15日、バンクーバー市。Photo by Koichi Saito/FRASER MONTHLY
新屋宗一さんのピアノ独奏。2025年8月15日、バンクーバー市。Photo by Koichi Saito/FRASER MONTHLY

 講演の前にはニール・コーバーンさんのパイプオルガン演奏、講演の後には新屋宗一さんのピアノ独奏、ボー・ペンさん(チェロ)、ジーン・ラムズボトムさん(クラリネット)、リチャード・エップさん(ピアノ)のバンクーバーPROトリオによるピアノ・チェロ・クラリネット三重奏というぜいたくな時間を過ごした。

 イベントは、日本語認知症サポート協会と月刊ふれいざーの共催。日本語認知症サポート協会は、「戦後80年という節目の年に、カナダで戦中・戦後を体験された方や、日本で被爆された方をお迎えし、その生の声を直接伺えることは、今なお世界各地で戦争が続く現状を思うとき、平和の尊さを分かち合うかけがえのない機会になると考え、今回の共催企画を立ち上げました」と意義を語る。

 「語り部の方々による体験談、音楽家の皆さまの心に響く演奏、そしてボランティアの皆さまの温かなご奉仕に支えられ、会場全体が『平和への祈り』に包まれました。この節目の集いを通じて、ご参加くださった皆さまの心にも、平和の尊さが深く刻まれ、ここで共有された思いと記憶が、未来へと平和を語り継ぐ力となることを心より願っております」と思いを寄せた。

左から、クラリネット奏者ラムズボトムさん、ピアノ奏者エップさん、チェロ奏者ペンさん。2025年8月15日、バンクーバー市。Photo by Koichi Saito/FRASER MONTHLY
左から、クラリネット奏者ラムズボトムさん、ピアノ奏者エップさん、チェロ奏者ペンさん。2025年8月15日、バンクーバー市。Photo by Koichi Saito/FRASER MONTHLY

(取材 三島直美)

訂正:オリジナル記事では真珠湾攻撃1942年となっていましたが、1941年に訂正しました。

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