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Naomi Mishima

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<申し込みを締め切りました>日本漢字能力検定(2026年1月)のお知らせ:グラッドストーン日本語学園

グラッドストーンで漢字検定開催

 2026年1月31日実施予定の漢字能力検定試験は11月15日に定員に達したため、申し込みを締め切りました。ありがとうございました。

***

 2026年1月31日(土)に『公益財団法人 漢字能力検定試験』を実施いたします。

 この検定は国内はもとより、世界の日本語学校でも実施されているものです。日本国内でも高校や大学の入学試験において有利であったり、企業内でも受検を促しているところもあるとのことです。

 カナダにいるけれども、将来日本で勉強しよう、あるいは働こうと思っている方、もしくはいずれ日本で社会生活を送ろうと考えている方は、この機会に受検をお勧めします。

 日本語能力試験に大変役に立っているという声もあります。

 受検をご希望の方は、グラッドストーン日本語学園までお問い合わせ下さい。

公益財団法人認定日本漢字能力検定実施要項

実施日:2026年1月31日(土)午後4時から
会場:グラッドストーン日本語学園(日系文化センター・博物館2階)

申し込み締切日:2025年12月6日(土)
※定員になり次第、締め切りとさせて頂きます。
※学園ホームページからお申込み頂けます(https://www.gladstonejls.com/kanji/

申し込み連絡先:グラッドストーン日本語学園
電話:604-515-0980
Email:info@gladstonejls.com
ホームページ:https://www.gladstonejls.com

第30回 “やることリスト”より、“やらないことリスト”で整える年末 ~Let’s 海外終活~

終活は新しい大人のマナー

叶多範子

気づけば、いつの間にか11月。

ハロウィンが終わった途端、スーパーにはもうクリスマスソング。日本では年賀状コーナーも出てくる頃でしょうか。

「うわ、もう今年もあと2ヶ月ないの?」と焦る方もいるかもしれません。でも、ここでちょっと立ち止まってみてください。

大掃除やクリスマスカード、はたまた年賀状の前に、“心と人生の棚卸し”をしてみませんか?今日は、年末前に少し取り組むだけで“新しい年が軽くなる終活3選”をご紹介します。

① エンディングノートを“ちら見”する

「とっくに書いたから大丈夫!」と思っている方も、念のため中をのぞいてみましょう。最後にノートを開いたのがいつだったか、思い出せない人もいるのでは?書いた当時は完璧でも、住所や保険、口座情報、希望の住まいなど、意外と変わっているものです。

全部を書き直す必要はありません。気になるところだけ、“ちら見更新”で十分。それだけで、今の自分に寄り添ったノートになります。

見直しのタイミングは、年末や自分の誕生日がおすすめ。
新年を迎える前、または生まれた日に感謝しながら、これからを整えてみる。

そんなアップデートや振り返りを、毎年の小さな習慣として取り入れてみてはいかがでしょうか。

② スマホの写真を“眺める”

「減らさなきゃ!」と気合を入れるより、“眺める”のがポイント。

1年分の写真って、けっこう捨てがたいんですよね。

え?1年どころか3年分?5年分?それ以上??
それはもう、見応えたっぷりの“人生アルバム”です。
でも今、見返してみると気づくはず。

「これ、なんで撮ったんだっけ?」とか、
「この夕飯シリーズ、ほぼ同じ構図じゃない?」とか。

そんな“あるある写真”は、笑いながら即削除。

削除したくない写真ばかりなら、これを機に思い切ってハードドライブなどへ保存。それができたら、携帯には本当に残したい写真だけになっているはず。

それが、“今を大切に生きる”ためのデジタル終活。
まずは、隙間時間でできる“スマホから”始めてみるのがおすすめです。

③ “やらないことリスト”を作る

「来年こそ新しいことを始めよう!」と意気込むより、まず「やめること」を決めてみましょう。

手放すものを決めると、時間も心も軽くなります。人生の“余白”をつくることでもあるのです。

たとえば、
・気が進まない飲み会には行かない
・SNSを目的なく眺めて、なんとなく時間が過ぎるのをやめる
・「いつか使うかも」で、物を溜め込まない
やらないことを決めるのは、“自分をラクにする”ための選択。「手放す勇気」も、立派な終活のひとつです。

来年を軽くしたいなら、今ちょっとだけ手を動かす。こんな小さな積み重ねの終活なら、取り入れやすく、続けやすいはず。

大掃除の前に、“心のホコリ”をサッと払っておきましょう。

……はい、書いている本人(筆者)も、溜めがちなので一緒に頑張ります!

*ご感想・ご質問は、メールにてお気軽にどうぞ。voice@shukatsu.ca

本コラムは終活に関する一般的な情報提供を目的としています。内容には十分配慮しておりますが、必要に応じてご自身での確認や、専門家へのご相談をおすすめします。なお、本コラムをもとに行動されたことによる不利益については、免責とさせていただきます。

「Let’s海外終活~終活は新しい大人のマナー」の第1回からのコラムはこちらから。

叶多範子(かなだ・のりこ)

グローバルライフデザイナー/海外終活アドバイザー
カナダ・バンクーバー在住。

カナダで親しい友人を突然亡くしたことをきっかけに、終活の大切さを実感。
相続専門の弁護士アシスタントとしての経験をもとに、海外を含むさまざまな場所で暮らす日本人の終活を、学びの視点から支えている。

エンディングノートの活用や家族との対話を通じて、「自分らしくこれからを生きる」ヒントを共有する活動を続けている。

「終活」を、これからの人生を見つめ直す機会ととらえる——そんな“私活(わたしかつ)”という考え方も、大切にしている。

家族は、カナダ人の夫、2人の息子、愛猫1匹。
ホームページ:https://www.shukatsu.ca

怪物の内側にある、人間よりも人間らしい心『フランケンシュタイン』(ギレルモ・デル・トロ監督)

「フランケンシュタイン」より。Courtesy of TIFF
「フランケンシュタイン」より。Courtesy of TIFF

 ハロウィーンが終わり街はあっという間にクリスマスムードになってきたバンクーバー。そんな11月7日、Netflixで『フランケンシュタイン』(ギレルモ・デル・トロ監督)が配信開始となりました。フランケンシュタインと言えば、ハロウィーンのコスチュームでも定番の、あの緑色で顔に傷がたくさんある怪物を思い浮かべる人も多いはず。でもメアリー・シェリーが書いた原作では、フランケンシュタインは怪物を創り出した科学者の名前なんですね。今回お届けするのは、その科学者フランケンシュタインと彼が創り出した怪物、クリーチャーが繰り広げる悲しい物語です。

あらすじ:19世紀ヨーロッパ。科学者ヴィクター・フランケンシュタインは、死者の体をつなぎ合わせて命を吹き込むという禁断の実験に成功します。
生まれた怪物は「クリーチャー」と呼ばれ、創造主であるヴィクターに拒まれながらも、生きる意味と愛を求めてさまよい始めます。やがてその孤独な怪物は、人間の残酷さと優しさの狭間で揺れ動き、復讐か赦しかを選ぶことになります。

怪物の内側にある、人間よりも人間らしい心

 ギレルモ・デル・トロ監督が長年温めてきた構想をついに映像化した『フランケンシュタイン』。デル・トロ監督らしい幻想的でダークファンタジー的な世界感の中で、「人間が命を生み出す」という傲慢が引き起こす悲劇を描いています。

 監督の代表作『シェイプ・オブ・ウォーター』も、異形の存在と人間の愛を描いた物語でした。『シェイプ・オブ・ウォーター』では愛による救いがあったのに、『フランケンシュタイン』ではむしろ愛を拒絶された痛みが強く描かれています。それでも監督の怪物の中に見る「人間らしさ」へのまなざしには、変わらぬ優しさが感じられます。その優しさがあるからこそ、「異形の物」を受け入れようとしない人間たちの愚かさとエゴが一層際立って見えるのです。

(L to R) Jacob Elordi as The Creature and Oscar Isaac as Dr. Victor Frankenstein on the set of Frankenstein. Cr. Ken Woroner/Netflix © 2025.
(L to R) Jacob Elordi as The Creature and Oscar Isaac as Dr. Victor Frankenstein on the set of Frankenstein. Cr. Ken Woroner/Netflix © 2025.

 さらに、創造主と被創造物の関係を父と子の関係にも重ね、生みだした者としての責任にも問いを投げかけています。命を与えながら愛を与えなかった父と、愛されることを知らない子。その断絶こそが、この作品の悲劇の核心なのかもしれません。 

 デル・トロ版「フランケンシュタイン」は、この絶望的な物語の終わりに、ほんのわずかですが「救い」を忍ばせています。もしクリーチャーが、この究極の「毒親」である科学者を最後に赦し自分を受け入れられたのなら、それこそが本当に救いです。

 物語の悲しさとは別に、壮大なセットや衣装、そして俳優さんたち皆、怪物までもがとても美しく描かれています。150分と長めですが、ヴィクターサイドの話とクリーチャーサイドの話に分かれているので、気にならない長さです。細部にまでデル・トロ監督の情熱が宿る世界に浸れることは間違いなしの作品です。

 Netflixで配信中です。

Lalaのシネマワールド
映画に魅せられて

バンクーバー在住の映画・ドラマ好きライターLalaさんによる映画に関するコラム。
旬の映画や話題のドラマだけでなく、さまざまな作品を紹介します。第1回からはこちら

Lala(らら)
バンクーバー在住の映画・ドラマ好きライター
大好きな映画を観るためには広いカナダの西から東まで出かけます
良いストーリーには世界を豊にるす力があると信じてます
みなさん一緒に映画観ませんか!?

日系リメンバランスデー式典、戦後80年に改めて平和を願う

リメンバランスデーの象徴ポピー。2025年11月11日、バンクーバー市。撮影 日加トゥデイ
リメンバランスデーの象徴ポピー。2025年11月11日、バンクーバー市。撮影 日加トゥデイ
バンクーバー市スタンレーパーク内に立つ日系カナダ人戦没者慰霊碑。2025年11月11日。撮影 日加トゥデイ
バンクーバー市スタンレーパーク内に立つ日系カナダ人戦没者慰霊碑。2025年11月11日。撮影 日加トゥデイ

 晴天に恵まれた11月11日、バンクーバー市スタンレーパーク内にある日系カナダ人戦没者慰霊碑前で日系カナダ人を追悼する日系リメンバランスデー式典が行われた。

 第2次世界大戦が終わり80年を迎えた今年。当時はまだカナダ政府による日系カナダ人への強制収容が続いていたが、148人の日系人がカナダ軍に志願した。司会を務めたデイビッド・イワアサさんは、プログラムに紹介されている当時の日系カナダ人志願兵の物語を読んでほしいと語った。

 日系カナダ人戦没者慰霊碑は1920年4月9日に除幕式が行われた。第1次世界大戦にカナダ兵として参加した日系カナダ人222人のうち54人が戦死。彼らの貢献に敬意を示すために日系カナダ人コミュニティが資金を集め建立した。慰霊碑には第1次世界大戦に参加した日系カナダ人の名前が刻まれている。加えて、第2次世界大戦、朝鮮戦争、アフガニスタンの戦闘に参加して命を落とした日系カナダ人の名前も記されている。

1985年8月2日に慰霊碑の灯篭に再点火した第1次世界大戦でカナダ兵として戦った一人マスミ・ミツイさん(当時98歳)の孫デイビット・ミツイさんは毎年式典で “Act of Remembrance”を担っている。2025年11月11日、バンクーバー市。撮影 日加トゥデイ
1985年8月2日に慰霊碑の灯篭に再点火した第1次世界大戦でカナダ兵として戦った一人マスミ・ミツイさん(当時98歳)の孫デイビット・ミツイさんは毎年式典で “Act of Remembrance”を担っている。2025年11月11日、バンクーバー市。撮影 日加トゥデイ

 慰霊碑の一番上には灯篭が設置されている。建立当時は灯っていた灯篭も、第2次世界大戦当時は消されていたという。戦後再び灯ったのは終戦から40年がたった1985年8月2日だった。そして2025年11月11日も灯されていた。

 プログラムで紹介されていた第2次世界大戦・朝鮮戦争に参加した日系カナダ人の物語を以下に引用する。

「第2次世界大戦および朝鮮戦争における日系カナダ人兵士の貢献」

 第2次世界大戦中、日系カナダ人は極めて深刻で不当な扱いを受けながらも、揺るぎない忠誠心と勇気を示しました。

 1941年12月7日の真珠湾攻撃を受けて、カナダ政府は戦時措置法(War Measures Act)を発動し、約22,000人の日系カナダ人全員を「敵性外国人」と分類しました。彼らはブリティッシュ・コロンビア州沿岸から強制的に移送され、収容所などに送られました。このような組織的な不正にもかかわらず、第1次世界大戦の退役軍人である1人の1世と、147人の2世がカナダ陸軍への志願を申し出ました。真珠湾攻撃以前には、主にブリティッシュ・コロンビア州以外で32人のみが入隊を許可されていましたが、1945年1月には、イギリスやオーストラリアからの要請を受けて、より多くの2世がカナダ情報部隊に採用されました。その中には(国内の)捕虜収容所に収監されていた人も含まれていました。彼らはヨーロッパ、インド、東南アジア、占領下の日本など、さまざまな戦地で従軍し、語学力を活かして情報活動や戦犯裁判に従事しました。残念ながら、今年初めに第2次世界大戦に従軍した最後の日系2世退役軍人フランク・モリツグ氏が102歳で逝去しました。

 戦後、帰還した日系カナダ人退役軍人たちはなおも市民権を否定され続けました。ジョージ・タナカ氏やロジャー・オバタ氏のように、1988年に実現した戦時強制収容に対する補償運動の中心的存在となった人もいました。

 朝鮮戦争では49人の日系カナダ人が従軍しました。その中には、第2次世界大戦にも従軍した3人と、1946年に日本へ追放された後、日本で入隊した30人の2世が含まれます。タク・イリザワ氏はカナダにおける最後の存命の日系カナダ人朝鮮戦争退役軍人です。

 収容という逆境の中での勇気、そして二つの戦争にわたる献身的な奉仕を通じて、日系カナダ人退役軍人たちは、忍耐、犠牲、そして揺るぎない忠誠心に根ざした戦士の精神を体現しました。このリメンバランスデーにあたり、私たちは彼らを称え、その並外れた遺産を次世代が記憶し、語り継ぐことを願います。

日系リメンバランデー式典プログラムより翻訳

献花する在バンクーバー日本国総領事館・髙橋良明総領事。2025年11月11日、バンクーバー市。撮影 日加トゥデイ
献花する在バンクーバー日本国総領事館・髙橋良明総領事。2025年11月11日、バンクーバー市。撮影 日加トゥデイ
19団体からの献花が並んだ日系カナダ人戦没者慰霊碑。2025年11月11日、バンクーバー市。撮影 日加トゥデイ
19団体からの献花が並んだ日系カナダ人戦没者慰霊碑。2025年11月11日、バンクーバー市。撮影 日加トゥデイ

(取材 三島直美)

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上映会のお知らせです!『ある家族の肖像〜被爆三世代の証言〜』

テレビ朝日の「報道ステーション」を立ち上げた上松道夫監督によるドキュメンタリー映画で、このバンクーバーでの上映が海外初上映になります。

広島で被爆した一人の男性、その娘、そして孫へと継承された負の遺伝子。科学的には放射能の影響が3世代へ引き継がれると証明はされてはいませんが、現実には二世や三世で病気に苦しむ人たちはたくさんいるのです。そのほとんどの人が声を上げずに、差別を恐れ、病気の苦しみにただ無言で戦っているのです。

この家族は、そういう現実の中で、実名をあげ、顔を隠すことなく映画の中で思いを語っています。たくさんの方々に見ていただき、核の解明されない恐ろしさを知っていただきたい。そして、戦後80年経った今も、戦争を知らない世代が向き合わなければならない身体を通しての戦争体験、そして、20代の3世が癌とどのように向き合い、未来を思うのかを見ていただきたいロードムービーです。

監督が挿入の音楽にこだわり、言葉ではなく音楽で語りたいと言わしめた音楽を提供した作曲家でありジャズピアニストである金谷康佑氏のピアノ演奏と、映画に出演した二世である鈴木カオル氏のトークショーも行います。映画は英語の字幕付きです。

▶︎上映日時 2025年11月22日(土) 開場13:00 開演13:30 終演16:00

13:30〜 映画『ある家族の肖像〜被爆三世代の証言〜』(60分)英語字幕付き
14:45〜 金谷康佑ピアノ生演奏+鈴木カオル(二世)のトークショー

▶︎場所 日系文化センター・博物館(Nikkei National Museum & Cultural Centre)

▶︎参加費 $10(会員) $15(非会員)

▶︎予約 お申し込みはこちらからお願いします https://00m.in/xoFSU

▶申し込みのリンクやQRコードから登録ができない場合は office.jccoc@gmail.com に氏名とメールアドレスを明記してお申込みください。

▶︎共催/後援 日本カナダ商工会議所共催・バンクーバー広島県人会後援・日加トゥディ(メディアスポンサー)

葬儀のことなら聞きたい放題 ~疑問や不安にお答えします~

4年にわたり開催してまいりました「葬儀関連講演会」は、昨年をもって一区切りとなりました。しかし、ご参加の皆さまから「今後も続けてほしい」との多くのご要望をいただき、このたびは講演会形式ではなく、質問形式の会として再開することとなりました。

葬儀・埋葬・供養のさまざまな選択肢や、日本とカナダにおける手続きの違いなど、「もう一度確認しておきたいこと」「今さら聞きづらいけれど気になっていること」など、皆さまの素朴な疑問にお答えいただける機会です。

今回は、事前質問を受付いたします。お聞きになりたいことがありましたら、11月14日までにお送りください。
人生の締めくくりに、自分らしい選択ができるよう、この機会をぜひお見逃しなく。
皆さまのご参加をお待ちしております。

日本語認知症サポート協会

✥ ✥ ✥ ✥ ✥ ✥ ✥ ✥ 詳細 ✥ ✥ ✥ ✥ ✥ ✥ ✥ ✥

葬儀のことなら聞きたい放題 ~疑問や不安にお答えします~

昨年までの「書類」、「葬儀」、「埋葬」に関する、葬儀関連の講演会にご参加いただいた皆様のご要望もあり、質疑応答の会を開催いたします。聞き逃したこと、新たに直面している問題等にお答えいただきます。事前にご質問いただくこともできます。奮ってご参加ください。

日時:2025年11月28日 (金) 午後7時から午後9時
場所: Zoom
講師:葬儀アドバイザー・奥山清太
講師プロフィール:筑波大学比較文化学類卒業後、1999年に渡加。同年、世界最大葬儀・霊園会社「サービスコーポレーション・インターナショナル(Dignity Memorial)」へ入社。現在、メトロバンクーバーにて、生前相談から葬儀後のアフターケアまで、葬儀・墓地アドバイザーとして活動する。

参加費:$20
チケット購入リンク: https://JDSA2811.eventbrite.ca
こちらはクレジットカードでのお支払いになります。
*他のお支払い方法(E-Transfer)をご希望の方は、下記の参加申込みリンクからお申し込みください。

追って、参加費お支払い方法の詳細をメールさせていただきます。
参加申込みリンク:https://forms.gle/71te4WLbadj8txTW7
申し込み締切:11月25日(火)
事前質問リンク:https://forms.gle/r4AvXXN8jnRCskaz5
事前質問の締切:11月14日(金)

連絡先:orangecafevancouver@gmail.com
主催:日本語認知症サポート協会
メディアスポンサー:月刊ふれいざー、日加トゥデイ、Life Vancouver

もう一つの8月9日〜グレイ大尉と女川と北極と

命名式でスピーチする山野内大使。2025年8月9日、ノバスコシア州ハリファックス。写真 在カナダ日本国大使館
命名式でスピーチする山野内大使。2025年8月9日、ノバスコシア州ハリファックス。写真 在カナダ日本国大使館

寄稿 在カナダ日本国大使館・山野内勘二大使

 第二次世界大戦末期の1945年8月9日午前11時2分、原子爆弾が長崎に投下された。以来、8月9日は、世界中の人々に記憶され、犠牲者の追悼と平和を祈念し、「核兵器のない世界」への決意を確認する特別な日だ。

オンタリオ州オタワ市にあるハンプトン・グレイ大尉の胸像。写真 在カナダ日本大使館
オンタリオ州オタワ市にあるハンプトン・グレイ大尉の胸像。写真 在カナダ日本大使館

 一方、一般には殆ど知られていないが、1945年8月9日は、東北地方の宮城県牡鹿半島の女川湾で英空母フォーミダブルの艦載機による空襲が敢行された日でもある。そして、作戦遂行中に攻撃隊長であったブリティッシュ・コロンビア(BC)州出身のロバート・ハンプトン・グレイ大尉が戦死した。享年27歳。UBCの医学生から志願した優秀なパイロットで、第二次世界大戦におけるカナダ軍人最後の戦死者だ。今日に至るまでカナダ海軍史上唯一のヴィクトリア・クロス勲章受賞者である。首都オタワの中心部コンフェデレーション広場の一角にあるヴァリアント記念碑で顕彰されている14人の英雄の1人としてグレイ大尉の胸像もそこにある。

 そして、グレイ大尉は日加関係の進展を象徴するカナダ人でもある。但し率直に言えば、その名前や意味合いは知られていない。概要を記せば次のとおりだ。

 第二次世界大戦が終結し時は流れ、日加関係は共にG7メンバーとして発展する。1989年1月、カナダ政府がグレイ大尉慰霊碑を女川に建てたいとの意向を伝えると、地元では、反対意見が圧倒的だった。カナダにとっては英雄でも地元女川にとっては200人以上の命を奪った女川空襲を指揮した「敵」であると。ここで、空襲当時の日本海軍女川防備隊の通信兵であった神田義男氏が立ち上がる。「戦争を憎む気持ちは日本人もカナダ人も同じだ。憎いのは、敵兵ではなく、戦争そのものだ」と述べ、反対派を説得した。1989年8月、慰霊碑は完成。除幕式には、グレイ大尉の姉フィリスさんら親族も参加。女川の人々も暖かく歓迎し、怨讐を乗り越えて友情が育まれる。日加間の素晴らしい絆だ。因みに、この慰霊碑は、日本に存在する唯一の外国人兵士の慰霊碑だ。

 実は、除幕式の機会に、神田氏は寄せ書きのためのカナダ国旗を用意して、参加者はメッセージと名前を記した。以来、神田氏は、この旗を日加友好のシンボルとして様々な機会に持参し、日加関係者の寄せ書きが増えていった。2003年には、フィリスさんの孫マルシアさんの結婚式がバンクーバーで行われ、神田氏の家族も招待された。交流は深まっていく。2005年に神田義男氏は天寿を全うするが、その後も国旗への寄せ書きは続く。余白が埋まると2代目のカナダ国旗に寄せ書きは続いた。

 しかし、2011年3月11日、東日本大震災の大津波が女川を襲い全てを飲み込んだ。グレイ大尉碑も失われた。が、地元女川の人々の手で再建された。神田家も家族全員が犠牲となった。仙台在住で難を免れた孫の義健さんは、何度も女川に戻り探索するも何の手掛かりもない失意の日が続く。ところが、6月、義健さんは、瓦礫の下から、ポリ袋に入れられ丁寧に畳まれた新旧2つの友好の国旗を見つける。全てを失った神田家に残された唯一のものだった。正に奇跡だ。そして、寄せ書きは、今も続けられている。イアン・マッケイ駐日カナダ大使も私も日加友好親善に最善を尽くすと署名した。グレイ大尉と女川の逸話は、ここまででも十分にインパクトがある。だが、物語は更に続く。

 本年7月、1枚の招待状が私に届いた。曰く、8月9日にカナダ海軍の最新鋭北極・沖合哨戒艦への命名式がハリファックス海軍基地で挙行される、艦名はHMCSロバート・ハンプトン・グレイだ、と。命名式はグレイ大尉の命日(1945年8月9日)に因んで計画された。日加関係の重要性から駐カナダ日本大使として私も招待された。しかし、長崎県出身の私は悩んだ。8月9日にはオタワ・ガティノーで原爆犠牲者追悼式典があるからだ。身体が二つあればと思ったが、ハリファックスに出張し命名式に出席した。そこで見聞した事は極めて印象的だった。是非、読者と共有したい。

 まず、HMCS Grayの来歴だ。全長103メートル、排水量は約6,600トン、速力は最高17ノット、航続距離は6,800海里だ。主たる任務は、北極海域での主権維持、領海警備、災害対応、NATOや国際任務の支援。過酷な環境に対処するため、厚さ2メートルの一年氷を3ノットで連続突破する砕氷機能を持つ。断熱構造と強力な暖房・換気システムを完備し、北極圏で補給なしで120日間の自立行動が可能だ。更に、大型フライトデッキと格納庫を備えており、CH-148サイクロン対潜哨戒ヘリコプターを搭載する。

 カナダ海軍は、連邦政府が打ち出した「国家造船戦略」に基づき、HMCS Grayを含む6隻の北極哨戒艦を2018年から順次、建造し今般完結した。国防戦略「Our North, Strong and Free」に規定されているとおり、北極圏は最重要海域だ。

命名式での集合写真。2025年8月9日、ノバスコシア州ハリファックス。写真 在カナダ日本国大使館
命名式での集合写真。2025年8月9日、ノバスコシア州ハリファックス。写真 在カナダ日本国大使館

 命名式には、サヴェージ州総督、マクギンティ国防大臣、トプシー海軍司令官、アーヴィン造船所関係らが列席。カナダの国防政策上の重要性は明らかだ。私は、スピーチの中で、日加関係が飛躍的に発展する中、グレイ大尉の名が刻まれた背景には神田義男氏の信念がある旨指摘。神田氏の孫の義健さんと曾孫の惟吹君も命名式に招かれている旨紹介すると、会場から大歓声が両名に送られた。命名式後には、神田家とグレイ大尉の親族との周りには人垣が出来ていた。国と国の関係の土台には個々人の友情があるのだと得心する光景だった。

神田家とグレイ大尉の親族と一緒に。2025年8月9日、ノバスコシア州ハリファックス。写真 在カナダ日本国大使館
神田家とグレイ大尉の親族と一緒に。2025年8月9日、ノバスコシア州ハリファックス。写真 在カナダ日本国大使館

 HMCS Grayは、今後、所要の準備を経て太平洋岸のエスカイモルト基地に配備され、太平洋、ベーリング海峡側から北極海を守る任務に就く。21世紀の苛烈な地政学的な現実を考えれば、最初の小さな一歩かもしれないが、時宜にかなった的確な動きだ。今後更に強化されることが期待される。

 日本も北極に関し、地球環境、ビジネス、先住民、国際協力の観点のみならず、安全保障面からも注視している。日加間で合意された「自由で開かれたインド太平洋に資する行動計画」には、北極における協力も明記された。カナダ軍が主催し米軍も参加している北極圏でのナヌーク演習にも自衛隊もオブザーバー参加している。

 資源大国カナダとの経済・ビジネス面での関係は緊密だが、安全保障分野での日加協力も進展している。80年前の8月9日に女川で戦死したロバート・ハンプトン・グレイ大尉は21世紀の新しい日加関係を象徴する。昨日の敵が今日の友になり、明日の平和のための同志国となるのだ。

命名式記念盾。写真 在カナダ日本国大使館
命名式記念盾。写真 在カナダ日本国大使館

(了)

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岡本フル出場バンクーバー・ライズ、NSLプレーオフ初戦勝利

試合後のインタビューで。オタワ・ラピッド戦。2025年11月4日、スワンガードスタジアム(バーナビー市)。Photo by Koichi Saito
試合後のインタビューで。オタワ・ラピッド戦。2025年11月4日、スワンガードスタジアム(バーナビー市)。Photo by Koichi Saito
ラピッドの選手と激しい攻防の岡本。オタワ・ラピッド戦。2025年11月4日、スワンガードスタジアム(バーナビー市)。Photo by Koichi Saito
ラピッドの選手と激しい攻防の岡本。オタワ・ラピッド戦。2025年11月4日、スワンガードスタジアム(バーナビー市)。Photo by Koichi Saito

 バンクーバー・ライズがなんとか1点差を守り、NSLプレーオフ初戦に勝利した。11月4日、スワンガードスタジアム(バーナビー市)にオタワ・ラピッドFCを迎え、スタジアムには満員のファンが詰めかけた。

 前半はライズが圧倒した。14分にアブドゥが先制点をあげると、21分に再びアブドゥが得点。このまま快勝するかに見えた。しかし、後半に入り66分にプリダムに得点されると、そこから一進一退の攻防が続く。緊迫した接戦は最後まで続き、ライズは何とか1点リードを守り切り、初戦を勝ち取った。

 次は11月8日にオタワで第2戦に臨む。

11月4日(スワンガードスタジアム)
バンクーバー・ライズFC 2-1 オタワ・ラピッドFC

岡本はプレーオフも左サイドバックでフル出場

後半リードが1点となり守りに力が入る。オタワ・ラピッド戦。2025年11月4日、スワンガードスタジアム(バーナビー市)。Photo by Koichi Saito
後半リードが1点となり守りに力が入る。オタワ・ラピッド戦。2025年11月4日、スワンガードスタジアム(バーナビー市)。Photo by Koichi Saito

 左サイドバックで先発出場した岡本祐花は、「入る前はちょっと緊張していたんですけど」と笑って、「入りも良かったし先に2点決めたところで前半はすごく有利に進めたと思います」と振り返った。ただそこはやっぱりプレーオフ。簡単にはいかない。「後半は相手もすごく強い気持ちでくる中でもっと点を取れた場面があったので、そこで取れていればもうちょっと落ち着いた試合になったと思います」と反省点を口にした。

 岡本も前半は攻撃に積極的に絡むシーンが多く見られた。「試合に入るにあたって先に点を取った方が勝つと思っていたので、積極的にいこうとは思っていました。そういう意味ではいつもより攻撃に絡むことができたかなと思います」。ただ、後半の体力的に厳しくなってくる時間帯でも攻撃に絡むことができるプレーが出せたらと、勝っても反省を口にする。

試合後のインタビューで。オタワ・ラピッド戦。2025年11月4日、スワンガードスタジアム(バーナビー市)。Photo by Koichi Saito
試合後のインタビューで。オタワ・ラピッド戦。2025年11月4日、スワンガードスタジアム(バーナビー市)。Photo by Koichi Saito

 まずはホームで勝って第2戦へという目標は達成し、「リードはありますけどフラットの状態と思って、自分の良さを出して攻撃に絡んで、自分が点を取ったり、クロスでアシストができるように、数日しかないですけどしっかり調整してがんばりたいと思います」と次戦に臨む。

 試合後は最後までファンにサインをして話しかけていた。「最初の花火ですごい!って思って気分が上がって、それからはファンの声が最後までずっと後押ししてくれました。勝ち切れたのはファンのおかげかなって思います」と笑顔を見せた。

NSLプレーオフは4チームで優勝を争う

 今年カナダで4月に開幕した女子サッカープロリーグ、ノーザンスーパーリーグ(NSL)は、11月1日からプレーオフが始まった。6チーム中上位4チームがプレーオフに進んだ。

 1日はモントリオール(Stade Boreale)で、AFCトロント(1位)とモントリオール・ローゼズFC(4位)が戦い、2-0でトロントが勝利。第2戦は9日にトロント(York Lions Stadium)で行われる。トロントには木﨑あおいが在籍している。ライズ(3位)は8日にラピッド(2位)とオタワ(TD Place)で対戦する。

 決勝は11月15日、トロント(BMO Field)で行われる。

カナダ人ファンも「がんばれ」と日本語で応援。オタワ・ラピッド戦。2025年11月4日、スワンガードスタジアム(バーナビー市)。Photo by Koichi Saito
カナダ人ファンも「がんばれ」と日本語で応援。オタワ・ラピッド戦。2025年11月4日、スワンガードスタジアム(バーナビー市)。Photo by Koichi Saito

(取材 三島直美/写真 斉藤光一)

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「カナダ“乗り鉄”の旅」第30回 「ラッキー」と思ったことを後悔、山火事の爪痕に心を痛める シリーズ「カナディアン」【4】

山火事の被害に遭ったカナダ西部アルバータ州ジャスパーでは、多くの木も焼けただれていた(大塚圭一郎撮影)
山火事の被害に遭ったカナダ西部アルバータ州ジャスパーでは、多くの木も焼けただれていた(大塚圭一郎撮影)

大塚圭一郎

VIA鉄道カナダの列車「カナディアン」に連結されたスカイラインドームカー(ブリティッシュ・コロンビア州で大塚圭一郎撮影)
VIA鉄道カナダの列車「カナディアン」に連結されたスカイラインドームカー(ブリティッシュ・コロンビア州で大塚圭一郎撮影)

 カナダ西部ブリティッシュ・コロンビア州バンクーバーと最大都市の東部オンタリオ州トロントの約4466キロを4泊5日で結ぶVIA鉄道カナダの看板列車「カナディアン」に2024年8月に乗車する前、私は「本当に走るのか」とやきもきしていた。というのも、途中に通る西部アルバータ州の保養地ジャスパーを襲った山火事によってカナディアンも運休が相次いでいたからだ。予約していた2024年8月12日バンクーバー発のトロント行き列車も「出発前または運行中に代替輸送手段を提供せずに運休する可能性がある」と警告されていたが、被災したジャスパー駅を通過して運行すると分かると「ラッキーだった」と胸をなで下ろした。

 だが、中央に突き出た2階のドーム形部分から360度の眺望を楽しめる客車「スカイラインドームカー」に乗り込み、山火事の爪痕の大きさを目の当たりにした時には心が痛んだ。そして、自分の都合ばかりを気にしていたことを悔いた。

【スカイラインドームカー】アメリカの金属加工メーカー、旧バッドなどが製造した1954年登場のステンレス製客車。1階にはテーブル席や長いすがあり、天井部分までドーム状のガラス張りになった2階には左右二つずつのクロスシート座席が6列、計24席並んでおり、車両全体で計62人が着席できる。名称は1933年にカナディアンロッキーを踏破したハイキング愛好家団体「スカイライン・トレイル・ハイカーズ・オブ・ザ・カナディアンロッキー」に由来する。カナディアン・パシフィック鉄道(CP、現・カナディアン・パシフィック・カンザスシティー)が発注して1954~55年に製造した。

 国営企業VIA鉄道カナダが1978年に国内の都市間旅客鉄道を集約した際、CPのスカイラインドームカーを含めた車両を譲り受けた。VIA鉄道は看板列車「カナディアン」の他に、中部マニトバ州のウィニペグ―チャーチル間を走る夜行列車などにもスカイラインドームカーを連結している。

▽「非常事態宣言」の連絡で運休も覚悟

 カナディアンの乗車を控えた日本時間2024年8月8日、VIA鉄道からバンクーバー発トロント行きのカナディアン2号の予約者宛てのメールを受け取った。「ジャスパーでの山火事の拡大により、非常事態宣言が発令されました」と説明した上で、VIA鉄道は「安全運行が保証できない場合、本列車は出発前または運行中に代替輸送手段を提供せずに運休となる可能性があります」と注意を促した。

 さらに「運行の安全性および大気の質に関して状況を注視しています」という一文を読み、運休を覚悟した方が良いかもしれないと思った。山火事の勢いが収まったとしても、火事による有害な煙も運休要因になりかねないと警告していたからだ。

 それだけに、列車がバンクーバーのパシフィックセントラル駅を8月12日午後3時に出発しても、走り続けられるかどうかには一抹の不安があった。ジャスパー周辺で火事が続き、煙が線路の周辺に立ちこめていた場合には運行を取りやめる可能性があると考えていたからだ。

 先を見通せない中で、なんとか手がかりを得ようと日中にしばしば足を運んだ客車がある。それは2階部分にあるドーム状の窓ガラスからから360度の眺望を味わえるスカイラインドームカーだった。

 夏の繁忙期だったため、列車は機関車と客車を計22両もつないでいた。途中には3両のスカイラインドームカーが連結されており、うち先頭から6両目がリクライニング座席で過ごすエコノミークラスの利用客用で、10両目と18両目が私の利用した寝台車「スリーパー寝台車クラス」にあてがわれていた。

 うち10両目は、2023年12月にトロントからバンクーバーまでのカナディアン1号を利用した時に乗り込んでいた客室乗務員のエミリー・ファラージさんが担当すると本人から連絡を受けていた。

 バンクーバーを出発した約1時間後、私は息子とともに15両目の2人用個室寝台を出て10両目へ向かった。

▽「W」と記した看板の意味は

VIA鉄道カナダの列車「カナディアン」に連結されたスカイラインドームカーで、書籍を示す客室乗務員のエミリー・ファラージさん(ブリティッシュ・コロンビア州で大塚圭一郎撮影)
VIA鉄道カナダの列車「カナディアン」に連結されたスカイラインドームカーで、書籍を示す客室乗務員のエミリー・ファラージさん(ブリティッシュ・コロンビア州で大塚圭一郎撮影)

 ファラージさんは地質学者の父親が北海道大学で研究していたため札幌市で生まれ、約7カ月過ごした。オーストラリア・クイーンズランド州の州都ブリスベーンを経て、1988年の冬季オリンピックが開かれたアルバータ州カルガリーへ2003年に引っ越した。岐阜県内の高校を卒業した日本語教師の母親から日本語を教わり、高校卒業後の15年には福岡市の日本語学校で約3カ月間学んだ。

 ファラージさんと約8カ月ぶりに再会し、日本からのお土産の菓子を手渡した。ファラージさんから「この後、ドーム(2階部分)で列車の説明をします」と聞き、息子と一緒に参加させてもらうことにした。

 スカイラインドームカーでのイベントは担当者に裁量が与えられており、カナディアンについての紹介や沿線地域の説明、沿線のワインの試飲会、ビンゴ大会などが催される。私がつくづく感心するのは、客室乗務員が内容をよく調べた上で、自分の言葉で参加者に話しかけていることだ。これはとかくマニュアルに書かれた文言に頼りがちな日本の列車乗務員とは大違いだと言える。

 ファラージさんが出発1時間半後の西部時間午後4時半に始めたレクチャーに、私はヤマを張った質問が試験に出題された学生のような気分で参加した。解説のあった線路沿いの「W」の文字を記した看板は「WHISTLE」の頭文字で「警笛を鳴らせ」の意味、「W」の文字に車線が入った看板は「警笛を鳴らすな」の意味、線路沿いに点在している柱はかつて電報を打つ際に使われていたといった事柄は既に知っていたからだ。

 というのも、ファラージさんはカナダでの鉄道旅行を紹介する書籍『Canada by Train(カナダ・バイ・トレイン)』を引用しながら説明しており、私もこの書籍を読んだからだ。2023年12月にカナディアン1号に乗った際にファラージさんから教えてもらい、途中のジャスパー駅の売店で購入したのだ。

▽再チャレンジ

VIA鉄道カナダの列車「カナディアン」の前に立つ筆者(ブリティッシュ・コロンビア州のブルーリバー駅で)
VIA鉄道カナダの列車「カナディアン」の前に立つ筆者(ブリティッシュ・コロンビア州のブルーリバー駅で)

 2日目の2024年8月13日の午前8時25分ごろ、列車はブリティッシュ・コロンビア州の無人駅、ブルーリバーに到着した。車外に出ると美しい山並みが広がり、空気も澄み切っている。

 15分の停車は、車内で禁煙を余儀なくされている喫煙者にとってはまるでオアシスを見つけたような至福の時間で、あちこちで紫煙をくゆらせていた。

 最高峰とされるロブソン山(標高3954メートル)をはじめとするカナディアンロッキーの車窓を楽しむため、ファラージさんが乗務する10両目のスカイラインドームカーの2階部分に陣取った。しばらくするとファラージさんが現れ、「皆さん、カメラの準備はいいですか。シャッターチャンスが近づいてきますよ」と予告した。

VIA鉄道カナダの列車「カナディアン」から撮影したブリティッシュ・コロンビア州の「ピラミッドの滝」(大塚圭一郎撮影)
VIA鉄道カナダの列車「カナディアン」から撮影したブリティッシュ・コロンビア州の「ピラミッドの滝」(大塚圭一郎撮影)

 この区間を通る列車に乗らなければ全容を見られないという滝が進行方向右手に迫っているのだ。2段になった高さ約90メートルのピラミッドの滝で、私は2023年12月のカナディアン1号乗車時にはシャッターを切るタイミングを逃して“玉砕”した。

 そこで再チャレンジとばかりに、スカイラインドームカーの1階にある窓の一つに陣取って「今度こそ」とカメラを構えた。すると、列車の速度が遅めだったためか成功した。

▽言葉を失う光景

 食堂車でトーストなどのブランチを味わった後、2階の席に戻るとカナディアンロッキーの麓に群青色に彩られた湖面が車窓に広がった。列車は長らく走ってきたブリティッシュ・コロンビア州をようやく抜け、アルバータ州へと入った。

VIA鉄道カナダの列車「カナディアン」の車窓に広がる山並みと湖面(大塚圭一郎撮影)
VIA鉄道カナダの列車「カナディアン」の車窓に広がる山並みと湖面(大塚圭一郎撮影)

 通常ならば次の停車駅の有名保養地、ジャスパーが近づいているため、客車では準備作業に当たる客室乗務員がそわそわするところだ。降車客も支度を始めるところだが、この日は慌てた様子は全く見られなかった。

 というのも、山火事で大きな被害を受けたジャスパーを通過し、次の停車駅のアルバータ州の州都エドモントンへそのまま向かうからだ。ジャスパーに近づくとファラージさんが2階に上がってきて、「ジャスパーは山火事によって町の約4分の1が消失しました」と説明を始めた。約8カ月前に通った時に住宅が並んでいた一角は燃えた木材が山積みにされ、樹木は焼けただれており、火の勢いがいかにすさまじかったのかを物語っていた。

山火事の被害に遭ったカナダ西部アルバータ州ジャスパーでは、多くの木も焼けただれていた(大塚圭一郎撮影)
山火事の被害に遭ったカナダ西部アルバータ州ジャスパーでは、多くの木も焼けただれていた(大塚圭一郎撮影)
山火事の被害に遭ったカナダ西部アルバータ州ジャスパー(大塚圭一郎撮影)
山火事の被害に遭ったカナダ西部アルバータ州ジャスパー(大塚圭一郎撮影)

 そんな光景が眼前に広がっていることに言葉を失った。そして、カナディアンが予定通り運行するかどうかという些事で一喜一憂していたことを申し訳なく思った。

 住民の皆様が避難して無事だったことは不幸中の幸いだったものの、家を失って茫然自失とした方々も多いはずだ。被害に遭われた皆様が1日も早く日常を取り戻せることを心から願った。

 カナダ輸出開発公社によると、2024年時点で約4780人の人口を抱えていたジャスパーの就労者の半数弱は旅行業に就いているが、山火事の影響で24年の旅行者数は前年より46%減の約114万人に落ち込んだ。計358の住宅と企業が山火事で焼失し、宿泊施設は約2割減った。

アルバータ州観光公社の国際市場担当事務局長、ダーリーン・フェドロシンさん(大阪市で大塚圭一郎撮影)
アルバータ州観光公社の国際市場担当事務局長、ダーリーン・フェドロシンさん(大阪市で大塚圭一郎撮影)

 今もジャスパーは復興の途上にあるが、2025年9月に来日したアルバータ州観光公社の国際市場担当事務局長、ダーリーン・フェドロシンさんは「ジャスパーにとって観光業は極めて重要であり、火災後の復興に協力して取り組んでいる町に対して私たちも支援してきました」と訴えた。そして「ジャスパーが以前にも増して美しい観光地として必ず再生するでしょう」と強調した。

 次にVIA鉄道でジャスパーを訪れる時には、魅惑的な山岳リゾート地によみがえった元気な姿を見せてくれることを強く期待している。

共同通信社元ワシントン支局次長で「VIAクラブ日本支部」会員の大塚圭一郎氏が贈る、カナダにまつわる鉄道の魅力を紹介するコラム「カナダ “乗り鉄” の旅」。第1回からすべてのコラムは以下よりご覧いただけます。
カナダ “乗り鉄” の旅

大塚圭一郎(おおつか・けいいちろう)
共同通信社経済部次長・「VIAクラブ日本支部」会員

1973年、東京都生まれ。97年に国立東京外国語大学外国語学部フランス語学科を卒業し、社団法人(現一般社団法人)共同通信社に入社。2013~16年にニューヨーク支局特派員、20~24年にワシントン支局次長を歴任し、アメリカに通算10年間住んだ。24年9月から現職。国内外の運輸・旅行・観光分野や国際経済などの記事を多く執筆しており、VIA鉄道カナダの公式愛好家団体「VIAクラブ日本支部」会員として鉄道も積極的に利用しながらカナダ10州を全て訪れた。

 優れた鉄道旅行を選ぶ賞「鉄旅(てつたび)オブザイヤー」(http://www.tetsutabi-award.net/)の審査員を2013年度から務めている。共同通信と全国の新聞でつくるニュースサイト「47NEWS(よんななニュース)」や「Yahoo!ニュース」などに掲載されている連載『鉄道なにコレ!?』と鉄道コラム「汐留鉄道倶楽部」(https://www.47news.jp/column/railroad_club)を執筆し、「共同通信ポッドキャスト」(https://digital.kyodonews.jp/kyodopodcast/railway.html)に出演。
 本コラム「カナダ“乗り鉄”の旅」や、旅行サイト「Risvel(リスヴェル)」のコラム「“鉄分”サプリの旅」(https://www.risvel.com/column_list.php?cnid=22)も連載中。
 共著書に『わたしの居場所』(現代人文社)、『平成をあるく』(柘植書房新社)などがある。東京外大の同窓会、一般社団法人東京外語会(https://www.gaigokai.or.jp/)の広報委員で元理事。

モントリオールのアルバム10月

赤いレンガの巣門/The Crimson Web Gate

Silent Painter

色彩の番人/The Gatekeeper of Colours

光と木の葉に包まれて/In the Company of Leaves and Light

Montreal, 6:49 p.m.

写真撮影:鎌田淳平
Instagram:junpeke1984

晩秋の風景♪

写真撮影:鎌田珠代

Atwater Market

晩秋の彩り

Casino de Montréa

紅葉

写真撮影:芝本季代子

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ホワイトキャップス、FCダラスに劇的逆転勝利で西カンファ準決勝へ

大声援を送るバンクーバー・ホワイトキャップスのファン。FCダラス戦。2025年10月26日、BCプレース。撮影 斉藤光一/日加トゥデイ
大声援を送るバンクーバー・ホワイトキャップスのファン。FCダラス戦。2025年10月26日、BCプレース。撮影 斉藤光一/日加トゥデイ

 劇的な逆転勝利だった。MLSプレーオフ1回戦、FCダラスと対戦しているバンクーバー・ホワイトキャップスは10月26日の第1戦にホームで勝利して、第2戦のダラスに乗り込んだ。勝てば西カンファレンス準決勝進出が決まる。

 第2戦は大接戦となった。25分にダラスが先制した後、両チーム追加点がないまま90分を終えて0-1とダラスが1点リード。残り時間はアディショナルタイムの約5分。しかし、キャップスには5分あれば十分だった。コーナーのチャンスから93分にプリソがネット前混戦で押し込み同点に。そして勝敗はPK戦に持ち込まれた。

 ホワイトキャップスが1人目のミュラーから4人連続で決めたのに対し、FCダラスは2人目、そして4人目が失敗。この時点でホワイトキャップスの勝利が確定した。試合終了5分前まで1点を追いかけていたホワイトキャップスの劇的な逆転勝利で、西カンファ準決勝進出が決定した。

準決勝はBCプレースで11月22日

 西カンファレンス準決勝は、11月22日(土)BCプレースで行われる。対戦相手は西3位、韓国代表のソン・フンミン擁するLAFC。時間は未定で後日発表される。

 準決勝からは一発勝負。勝利したチームが西決勝に進出する。

(記事 三島直美)

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「アジア太平洋財団のカナダとアジアをつなぐ役割はこれからますます重要に」クリスティ・ナカムラさんインタビュー

東京のカナダ大使館で行われた式典であいさつするクリスティ・ナカムラさん。2025年5月22日、東京。写真提供 アジア太平洋財団トロント支局
東京のカナダ大使館で行われた式典であいさつするクリスティ・ナカムラさん。2025年5月22日、東京。写真提供 アジア太平洋財団トロント支局

 カナダとアジアを結ぶ重要な役割を担うカナダ・アジア太平洋財団(Asia Pacific Foundation of Canada)。ブリティッシュ・コロンビア州バンクーバー市にヘッドオフィスを置き、オンタリオ州トロント市に支局を置く。

 今回は同財団中央カナダオフィス副会長のクリスティン・ナカムラ氏にトロントオフィスで今年4月に話を聞いた。ナカムラ氏は東京生まれの日系3世。外交官として在日・在韓カナダ大使館に勤務した経歴を持つ。

 いまカナダとアジアの関係はこれまでで最も緊密になっていると話す。

カナダ・アジア太平洋財団(APF Canada)について

 「アジア太平洋財団は1984年に設立されました。『議会の法令』によって政府が創設した団体です。2004年からは政府から完全に独立した非営利のシンクタンクとして活動しています。当時私はオタワで仕事をしていました。

 なぜ当時、財団が必要だとカナダ政府が決めたかというと、当時日本が世界で2番目の経済力を持っていたため、『これは日本との繋がりを深めていく必要がある』と判断して作った団体です。つまり最初は、日本との関係を深めたいという理由で作られた財団でした。その後は、数十年たって中国の台頭や、色々な面でアジアが強く大事なマーケットだという認識の下で、日本だけではなくて、アジア中との繋がりを深めていかなければならないということになりました。

 特に今、インド・パシフィックストラテジー(インド太平洋地域戦略)を2022年に政府が発表して、アジアがカナダの将来に関して重要だという認識を確認しました。その中で日本も重要な国と位置付けられています。

 そのためアジア太平洋財団は独立したシンクタンクですが、アジア中の状況やトレンドなどさまざまな方面から政府にアドバイスしています。

 色々な面で、本当にこの10年間ぐらいにアジアが重要になってきたので、財団の仕事も増えてきています。

 仕事の内容は多岐に渡っています。ヘッドオフィスのバンクーバーではリサーチ&ストラテジーの副会長がいてリサーチの方に力入れています。リサーチでは、経済はもちろん重要ですが、政治とか、いま特にセキュリティ問題も重要になって、ラウンドテーブルをしたり、セミナーを開催してます」

アジア初の事務所をシンガポールに開設

 今年5月にアジア初の事務所をシンガポールに開設した。カナダから最も近いアジア、日本ではなくシンガポールに開設したのにはアジア全体を俯瞰する目的があったという。

 「財団ができてから40年がたちますが、ずっとアジアのどこかに拠点を作りたいとお願いしていました。このインド・パシフィックストラテジーからの支援で、ようやくアジアのどこかにオフィスを作ることが実現することになりました。その場所を選定する中で、やはりインド・パシフィックストラテジーとしては、東南アジアとの繋がりを深めていかなければならないということで、オフィスは東南アジアのどこかに作ることになりました。それは、日本とか韓国とか、本当に重要なパートナーと一緒にコラボしながら、アジアに力を入れていこうというのが目的です。

 現在はカナダ国内にある財団はカナダ人への支援プログラムなどがありますが、今回シンガポールにオフィスが開設されたことで、法律的にシンガポールでのプログラムに対して支援金を出すことが可能になりました。つまり、アジア人にも援助ができるということになります。それは一つの大きなポイントです。日本の研究者が希望すればカナダ研究に援助できるということです。例えば、カナダに半年や1年間滞在して研究できたり、もしくはシンガポールのオフィスでもアジア人を集めてカナダ人とラウンドテーブルをしたり、ゼミをしたり、共同リサーチができたり、色々な面ですごく良くなると思います。

 アジアの中で、仕事とかコラボができるのではないかと思っています。これから色々と考えながらやっていこうと思っています。

 アジアに拠点を置くことでカナダとアジアの国々がもっとコラボできると思います。日本や韓国という友好国と一緒に、いまは少し政治的に関係が良くないインドも政治問題は別としてリサーチなどで、シンガポールを中心にすればもっともっとアジアと深く関係できるようになると思っています」

 カナダにとってアジアとは「インド太平洋地域戦略」が示すように、オーストラリアやニュージーランドなどのオセアニアも含む構想となっているという。将来的にもう少し範囲が広がる可能性もあると説明した。

カナダとアジアの関係について

 「この数十年間、中国が経済的にすごく強くなって、カナダだけではなく世界中が中国に注目したと思います。しかし、いま経済力だけではなくて、他の面で考え方が似てる、バリューが同じとか、そういうことも重要だということが分かってきたと思います。

 カナダと中国の関係で言えば、2018年にカナダ人2人(マイケル・スペーバーさんとマイケル・コブリグさん)が中国に拘束されました。それを機に再び人権も重要だという認識に変わってきたと思っています。

 だからカナダも他のヨーロッパの国も同じだと思いますが、経済だけに集中しては問題が出てくるということをよく分かったと思うんです。それで日本はもう何十年間、本当に強い経済的なパートナーですが、考え方も似てる、民主主義でもありますし、ルールを守る国です。アジア中でいま最もカナダにとって重要なパートナーは日本だということになってきていると思います」

 ただ、ナカムラ氏は、日本・韓国・中国の外務大臣が今年3月に会談したことは非常に良い兆候だと捉えている。「アジアでは色々な政治的な問題がありますが、こういう(トランプ政権発足による世界情勢が不安定な)時は一緒になって、考え方が似てるところもあると思うので、自分の国の政治問題はおいておいて、集中してコラボしながら、(トランプ関税)問題が出てきたのを3カ国で解決しましょうという考え方になったと思うんです。だから先日の外務大臣の会見はすごくHappy to seeでした。

 私は中国も他のアジアの国とコラボしなければならない時期に入ってきたと思うようになってきたと思います。中国のアプローチは色々あって、その場によって変わりますが、今回のトランプ政権の動きは誰にも分からない。だから中国も、日本と韓国と協力してやった方がと納得したのかもしれません。3カ国会談は中国から提案されたものですから。だからそういう時期になってきたんじゃないでしょうか」

カナダと日本の関係

 「(日本とは)色々な場面で多方向的にいつも話し合ったりしています。この2年間で日本から(カナダへの)投資も多く、特に去年のホンダ自動車(の150億ドル電気自動車工場建設計画)は大きな話題にもなりました。ただ(アメリカの)トランプ政権でアメリカ回帰政策がどう影響するかは気になるところです。それでも、政治的、経済的な色々な面でこの先にトランプ政権の影響が多少はあっても悪くはならないと思っています。むしろ少しずつ良くなると思います。

 アメリカの政治的な不安定さを考えると、カナダは安全な国、安定的な国ということで、企業もカナダの方に向いてくれるかなと思ったりもしています。だから日加関係はこの先はどんどん良くなっていくと思います」

 日加関係で言えば、政治的関係だけではなく、人の交流が盛んで、カナダを好きな日本人は以前から多いが、最近は日本を好きなカナダ人も増えてきていると感じる場面が多いという。

 「それは絶対にあります。財団で1年おきに行っている調査で、アジアの国の中で1番好きな国は?というシンプルな質問なのですが、私が財団に入ってから14年になりますが、その間でずっと1番は日本です。その傾向はもっと強くなると思います。なぜかと言えば、いま円安で日本への観光者が多く、日本の良さをソーシャルメディアでも色々な面でみんなが発信しています。それで、どんどん観光者が多くなる。特に若者が日本の良さをどんどん分かっていくと思いますので、すごく良い傾向だと思います。

 残念ながらビザの方はいま少し(カナダ政府が)抑えていて、それは政治的な政策があってのことなのですが、元々は移民でできた国で国民はダイバーシティ(多様性)に関してすごくプライドを持ってますので、また落ち着いたら徐々に上がるのではないかと思っています。

 (カナダへの)移民者は、70年代頃に多く入ってきた時期がありましたが、日本からは昔から少ないです。いまはワーホリや留学で来て日本に帰る人が多いですね。それでも、いまのワーホリがポピュラーになってから、若者の中にはカナダでビジネスをしたり、お店を出したりと、この10年間で多くなってきたので、その傾向は続いてほしいと思っています。だから、政府の政策なのでまだ分からないですが、そのうちに(移民政策については)落ち着いてくれることを期待します」

 経済的、政治的関係はもちろん重要だが、人と人との交流、特に将来を見据えた若者の交流が盛んなことはカナダにとっても、日本にとっても、良い影響を及ぼすと語る。

 「人と人との交流は絶対に大事だと思います。財団では日本の外務省が推進する『カケハシ・プロジェクト』のカナダ側の実施団体として協力しています。私は2011年に日本からカナダに帰国しました。その年には東日本大震災があって、カナダ大使館も色々と協力しました。そんな中で、外務省が支援への感謝の意味を込めて、北米、カナダとアメリカに『カケハシ・プロジェクト』を1年だけ実施すると決めました。

 ただ、1年間実施して、その良さや重要さが分かって14年間やっています。始まった当時は、カナダから日本に200人、日本からカナダに200人、交流がありました。いまは人数は減りましたが、続いています。若者の交流が重要だと外務省が認めたのだと思います。

 こうした若者の交流は絶対プラスになると思います。例えば、『カケハシ・プロジェクト』ではカナダ人の若者に日本を知ってもらいたいと多く行ってもらったのですが、これまでに1,000人くらいは行っていると思います。そういう若者が、外交官になったり、金融関係で活躍したりするだけでなく、日本ファンクラブを作って『絶対若者の交流は重要だ』って言っています。そういう話が広がっていけば外務省も止められないのではないかと思って。それを目指しているんですけどね(笑)。

 若者の交流というのは本当に重要なんです。以前はカナダ政府も日本人学生に対して奨学金支援を行っていました。残念ながらいまはなくなってしまいましたが。でも、カナダ政府から奨学金をもらってカナダで勉強できたという当時の学生さんは、いまでも日加関係のイベントなどに出席してくれています。『その時の感謝が忘れられない』って。支援といってもわずかな金額でしたけど、その感謝の思いがあっていまでも日加関係を深めたいという希望があると言っています」

  「カケハシ・プロジェクト」は、2013年に「対日理解促進交流プログラム」の一環として日本の外務省が、日本と北米(カナダ・アメリカ)との間で若者の交流促進を目的に始まったプロジェクト。カナダ側は高校生・大学生・ヤングプロフェッショナルを対象に交流を行っている。毎年、カナダ側のプログラムの企画・運営・実施はカナダ・アジア太平洋財団が行っている。

 人と人との交流という意味では、日系カナダ人にも日本を訪問してもらいたいと話す。ナカムラ氏は東京生まれの日系3世だが、5歳の時にはすでにカナダに移り、教育は全てカナダで受けたという。ただ大学入学前に1970年に開催された大阪万博に行ったことで日本への印象が変わったと話す。「すごい印象に残って。その時までは日本に興味がありませんでしたが、その時に日本は良いところだなと思って」。大学入学後は、日本語を学び、日本の政治経済やアジアについて勉強したという。「それから日本が大好きになって」と笑う。流ちょうな日本語を話し、日本の文化や慣習は両親から学んでいたため日本に赴任した時も特に戸惑うことはなかったという。

 自身も日本に行くまでは興味がなかったという経験を踏まえて2世、3世の人たちにもぜひ日本を知ってもらいたい、日系コミュニティと日本のかけ橋になれればと、日系コミュニティにも深く関わっている。

 今年5月には在日カナダ大使館で、オンタリオ州トロント市のカナダ日系文化センター・ファンデーションが設立した東日本大震災救援基金(JERF)からの東北3大学への寄付金贈呈式が行われ、ナカムラ氏が代表で出席した。JERFは震災後に被災地に寄付したり、支援が必要な大学生・大学院生へ集まった寄付金を奨学金として14年間に渡って支援したりしてきた。ここでも若者への援助と日系社会と日本をつなぐ役割を果たしてきた。

 「いまは日本の文化はすばらしいと日系の人たちも自分たちのルーツに関心を持っていると感じています。4世や5世といった若い人たちには日本はすごく人気なので、これからの日加関係は良い方向にいくと思います」と語った。

(取材 三島直美)

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