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Naomi Mishima

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ホワイトキャップス今季初黒星「主力不在で自分がどう助けられるか」高丘

何度も好セーブを見せるGK高丘。シカゴ・ファイヤーFC戦。2025年3月22日、BCプレース。Photo by Koichi Saito/Japan Canada Today
何度も好セーブを見せるGK高丘。シカゴ・ファイヤーFC戦。2025年3月22日、BCプレース。Photo by Koichi Saito/Japan Canada Today
ボールは無情にもネットに吸い込まれていく...。ダメ押しの3点目がシカゴに。シカゴ・ファイヤーFC戦。2025年3月22日、BCプレース。Photo by Koichi Saito/Japan Canada Today
ボールは無情にもネットに吸い込まれていく…。ダメ押しの3点目がシカゴに。シカゴ・ファイヤーFC戦。2025年3月22日、BCプレース。Photo by Koichi Saito/Japan Canada Today

 今季開幕から全戦全勝と好調だったホワイトキャップスだが、この日は3失点で初黒星となった。

3月22日(BCプレース:18,717)

バンクーバー・ホワイトキャップス 1-3 シカゴ・ファイヤーFC

開始早々の1分にいきなり失点で0-1。しかし14分にはリオス(FW)が決め同点に。前半は1-1で折り返した。後半も激しい攻撃を続けるも得点につながらず。逆に62分に2点目、アディショナルタイムに3点目を許した。

主力がいない中「自分がどう助けられるか」を考えて

 キャプテンのゴールドもストライカーのホワイトもスターティング11に名前がなかった。この日の主力はGK高丘とDFベセリノビッチのみ。ポートランドでの今季開幕戦で衝撃デビューをしたFWネルソンが3試合ぶりに先発出場した。

 完全に主力を欠く中での試合となったがソレンセン監督は「戦える選手でどう戦うかを考える」と試合後に語った。ケガで欠場のゴールドについては復帰目途が立っていないという。「次の試合には良くなっているかもしれないし、しばらくかかるかもしれない」と説明した。LAギャラクシー戦で負傷したDFアデクベは復帰間近という。

 高丘は7、8人主力を欠いた試合でいつもと違った選手が出場する中で「自分がどうやって助けられるかというのは考えながらやっていた」と振り返った。それでも「そこがうまく今日はできなかったと思う」と責任を負った。

 自身も今季最多の3失点。チームメートを鼓舞する姿を見せ、好セーブで何度もチームの失点危機を救ったが守り切れなかった。

チームメートに大声で指示を出すGK高丘。シカゴ・ファイヤーFC戦。2025年3月22日、BCプレース。Photo by Koichi Saito/Japan Canada Today
チームメートに大声で指示を出すGK高丘。シカゴ・ファイヤーFC戦。2025年3月22日、BCプレース。Photo by Koichi Saito/Japan Canada Today

 「うまくゲームをコントロールできなかったと思います」と高丘。「(点の)失い方が悪かったり、ミスからやられたり」と失点を振り返り、「リスクマネージメントも含めてもう少しいい準備ができたと思う」と反省を口にした。

 3月15日ダラスでのFCダラス戦ではクリーンシートで1日早いバースデープレゼントを自身に贈ったばかりだった。

CONCACAFチャンピオンズカップは準決勝に進出、過密スケジュールが続く

 レギュラーシーズン前から続いているCONCACAF(北中米カリブ海サッカー連盟)チャンピオンズカップ(CCC)で準決勝に進んだ。次の相手は昨年のリーグスカップで戦ったメキシコのプーマスUNAM。

 4月2日BCプレースで、4月9日にメキシコで対戦する。その前には3月29日にトロントで、4月5日にはBCプレースでコロラドとのレギュラーシーズンがある。

 高丘はCCC準々決勝には出場していないものの、過密スケジュールについては「もう慣れてます」と気に留めていない様子。「そこの調整はちゃんとやっていきたいと思います」といつも通り次の試合を見据えた。

4月、5月のホームゲーム

4月2日(水)プーマスUNAM戦 6:30pm(CCC)
4月5日(土)コロラド・ラピッズ戦 6:30pm
4月12日(土)オースティンFC戦 4:30pm
5月3日(土)レアル・ソルトレイク戦 6:30pm
5月11日(日)LAFC戦 4:00pm
5月28日(水)ミネソタ・ユナイテッドFC戦 7:30pm
5月31日(土) ポートランド・ティンバーズ戦 6:30pm

(取材 三島直美/写真 斉藤光一)

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日本語認知症サポート協会「オンライン de Cafe・笑いヨガ」

「笑顔の力」を引き出そう〜「笑いヨガ」で、元気な心と体づくり〜

毎月、「笑いヨガ」を行っています。自宅にいながら参加できる、オンラインでのセッションです。初めての方も大歓迎。楽しく、一緒に笑いましょう!

日時:2025年4月17日(木)午後8時〜午後9時
会場:Zoom
参加費:初回無料、2回目からドネーション(e-Transfer、PayPalまたは小切手にて)

申し込み締め切り:2025年4月15日(火)
申し込みリンク:https://forms.gle/5nxFsxSVFjBWNS3q9
*お申し込みいただいた方には、追って参加方法をご案内いたします。

お問い合わせ先:orangecafevancouver@gmail.com

主催:日本語認知症サポート協会(Japanese Dementia Support Association)
http://www.japanesedementiasupport.com

バンクーバー三田会春の懇親会のご案内

慶應義塾の校友会バンクーバー 三田会主催の懇親会のご案内です。マレーシア料理をお楽しみいただいた後は、慶應病院の外科医師で、現在St. Paul Hospitalにて研究に携わっておられる医学博士佐々木健人先生による、「一人の大腸外科医の視点から考える手術と医師のキャリア」と題したトークを予定しています。塾員、塾生、慶應義塾にゆかりのある方々のご参加をお待ちしています。

日時:3月30日(日)午前11時30分開場、11時45分より年次総会、12時開宴
会場:Banana Leaf Kitsilano  3005 West Broadway, Vancouver
会費:一般50ドル、現役塾生は40ドル

申込先:松本 akmatsumoto@shaw.ca

「Nickel Boys (邦題:ニッケル・ボーイズ)」ラメル・ロス監督

Photo courtesy of Amazon MGM Studios
Photo courtesy of Amazon MGM Studios

 やっと寒さも和らぎ春が近づいてきましたね。私の住んでいるバンクーバーエリアでは只今Spring Break(春休み)の真っただ中。近所の公園やデイケアからは一日中子どもたちのにぎやかな声が聞こえてきます。子どもたちが何の心配もなく笑っていられる世界ってそれだけで幸せなこと。当たり前に思わず、うるさいとも思わず(笑)ずっと続くように大切に守っていきたいですね。

 今回ご紹介するのは2025年アカデミー賞で最優秀作品賞と脚本賞にノミネートされた「Nickel Boys(邦題:ニッケル・ボーイズ)」(ラメル・ロス監督)。ピューリッツァ―賞を受賞したコルソン・ホワイトヘッドによる同名小説を原作とした作品で、実在した少年矯正施設をモデルに、少年たちが直面する不条理な差別や暴力、そのなかで育む友情や正義を求める心を描きます。

あらすじ:物語の舞台は1960年代、ジム・クロウ時代のフロリダ州。貧しいけれど優しい祖母に愛されて育ったエルウッドは、キング牧師に影響を受けた理想主義的な少年。正しいことを真っ当に頑張れば未来は開けると信じている。そんなエルウッドがカレッジでの新しい生活を始めようとしていた矢先、無実の罪で少年矯正施設「ニッケル・アカデミー」に入れられてしまいます。そこで出会ったのがターナー。彼は少年ながらも社会のシステムや残酷さを理解しており、その中で生き残るしかないと冷めた考えを持つ現実的なタイプ。対照的な二人は施設での厳しい日々のなかで少しずつ友情を深めてゆきます。

 まず、この映画で特筆すべきなのはエルウッドの一人称視点(POV)で進められる映像。初めは少し戸惑ったのですが、彼の感情や彼が見ている世界、おばあちゃんの優しさとか施設での環境などをそのまま体感することができて、すごい手法だなと思いました。途中視点が切り替わるのですが、その視点の移り変わりの意味が明らかになった時のショックと言ったら…!!これはもう観て体験していただければと思います。

 映像は全体を通してノスタルジックな感じで美しく、だからこそこんな美しい世界で子どもたちは絶望を感じていたんだ、と余計に胸に刺さります。映画の全編を通して描かれている歴史的背景と個人的なストーリーのバランスも絶妙で、忘れるべきではない過去の事実を少年たちの物語の中に織り込んで、現代社会にも通じている様々な問題を考える機会を与えてくれます。

 テーマは重めだし映画館での上映は限られていたにも関わらず、アカデミー賞、ゴールデングローブ賞でノミネートされ、国際映画批評家協会賞やトロント映画批評家協会賞では最優秀賞を受賞するなど高く評価されたこの作品。静かだけど力強い映画でした。

 カナダではAmazon Prime Videoで配信中です。

Lalaのシネマワールド
映画に魅せられて

バンクーバー在住の映画・ドラマ好きライターLalaさんによる映画に関するコラム。
旬の映画や話題のドラマだけでなく、さまざまな作品を紹介します。第1回からはこちら

Lala(らら)
バンクーバー在住の映画・ドラマ好きライター
大好きな映画を観るためには広いカナダの西から東まで出かけます
良いストーリーには世界を豊にるす力があると信じてます
みなさん一緒に映画観ませんか!?

「アラニス・モリセット」音楽の楽園〜もう一つのカナダ 第33回

はじめに

 日加関係を応援頂いている皆さま、音楽ファンの皆さま、こんにちは。

 3月になり、厳しかった冬の寒さも幾分緩み始めました。世界で最も寒い首都の一つオタワにも春の予感が漂う日もあります。但し、翌日には冬に逆戻ることもままあります。日本で言う三寒四温に似た感じでもあって、一歩一歩春が近いている実感のある今日この頃です。

 そこで今回は、カナダが誇る現代の自由奔放なシンガー・ソングライター、アラニス・モリセットです。全く個人的な事で恐縮ですが、かつて友人とバンドを組んでた際に、ゲストで招いた女性ボーカルが大のアラニス・モリセットのファンでした。歌い方もアラニスを真似ていました。それに、何かと言えば、アラニスが如何に素晴らしいアーティストかを語っていたのを思い出します。特に、『ジャグド・リトル・ピル』が女性の本音を大胆かつ率直に述べつつ、荒削りながら極上のロック・ミュージックに昇華させていると力説していました。

 アラニスは、同時期にブレイクした先輩シェリル・クロウをより先鋭化させ現代的にしてると感じました。聴き比べると、米国のシェリルの方が音楽的にはより保守的で、カナダのアラニスの方がより進歩的で冒険的です。コマーシャリズムの影響が隅々にまで及ぶ音楽業界にあって、アーティストの創造性を重んじる気風がカナダには根強いのかもしれませんね。

オタワっ子

 アラニス・モリセットは、1974年6月1日に、オタワ大学医学部付属リバーサイド病院で、教師を両親の下、二卵性双生児の妹として誕生しました。因みに、12分早く生まれた兄のウェイドも地元でヨガ教師をしつつ音楽活動しています(アラニスほど有名ではありませんが)。

 両親とも教師、父の家系は、フランス系とアイルランド系です。一方、母はユダヤ系のハンガリーからの移民です。家族が1956年のハンガリー動乱で反ソ連活動に関わり、祖国を追われて、カナダに移住したのです。但し、母は自分がユダヤ系である事を隠していたと云います。

 いずれにしても、アラニスの両親の来歴は、移民国家カナダを代弁するような、多様性を示しています。アラニスの血脈には、ヨーロッパ諸国の多彩な歴史と伝統と文化が流れている訳です。

 幼少期のアラニスについて、もう少し詳しく述べると、アラニスが3歳の時にモリセット家は西ドイツのラール/シュバヴァルツアヴァルトに引越します。両親が現地のカナダ空軍・陸軍基地に付属する学校の教師となったためです。そこで3年間過ごし、1980年にオタワに戻ります。

 翌1981年、アラニスは7歳になると、オタワ市カトリック教育委員会の小学校に入学します。同時期に、ピアノとバレエとジャズ・ダンスを習い始めます。11歳の頃には、人前で歌うようになります。12歳で、子供向けのテレビ番組「You Can Do That on Television」にも出演するようになります。更に、オタワ地区最大の高校グリーブ・コリジエイト・インスティテュート(Glebe Collegiate Institute) に進学します。この学校は、芸術・スポーツ分野で活躍する多くの卒業生を輩出しています。首都オタワは、決してエンタテインメントの中心ではないのですが、アラニスは芸能分野で才能を開花させていくのです。

始動

 上述のとおり、アラニスに非凡な才能が宿っていることは明らかでした。が、それがどれ程のものかは簡単に分かりません。彼女の巨大な才能は、徐々に全貌を顕わし始めます。

 1987年、アラニスは、自主制作シングル盤「Fate Stay with Me」を発表します。この音盤は、レコード会社やラジオ局が出資して設立した非営利団体、FACTOR(Foundation to Assist Canadian Talent on Record)の支援を受けて完成したものです。若干13歳です。地元、オタワのラジオ局ではヘビー・ローテーションで、知名度が上がります。

 次のステップは、世界的レコード会社MCAのカナダ法人との間で契約です。レコード会社とアラニス本人、そしてアラニスの両親が署名しました。地元のちょっと出来る女子からプロフェッショナルへと移行するのです。

 1990年の9月から12月 にかけて、オタワ市内のディストーション・スタジオにて、デビュー・アルバムの録音が行われます。プロデューサーは、オタワ出身のレスリー・ハウです。収録された10曲は、全て、アラニスとハウの共作です。曲調は、マドンナやジャネット・ジャクソンに代表されるエレクトリック・ポップのダンス・ミュージックです。要するに、当時の流行りのサウンドで、未だアラニスの個性は確率している訳ではありません。しかし、この時、アラニスは若干16歳。フル・アルバムを自作曲で固めて、世界的レコード会社傘下でメジャー・デビューするのです。その事実だけでも見事とは言えるでしょう。

 1991年4月、音盤のタイトルをシンプルに自身の名前を冠し『アラニス』として、カナダ国内でリリースされました。この音盤からは「Too Hot」等の3曲が相次いでシングル・カットされて、カナダ国内でトップ10にチャート入りするスマッシュ・ヒットとなります。アルバム・チャートでもトップ30にランクインし、総計で10万枚のセールスを記録して、プラチナ・ディスクを獲得しています。商業的には成功です。

 この勢いをかって、翌1992年10月には、同じ路線のアルバム『ナウ・イズ・ザ・タイム』をカナダ国内でリリースします。「An Emotion Away」等の4曲がシングル・カットされ、5万枚を売り上げ、ゴールド・ディスクに認定されました。とは言え、苛烈な競争が日常のエンタテインメント業界では、二匹目のドジョウの如く流行のサウンドを続けては生き残れません。耳の肥えた批評家達もマドンナやポーラ・アブドゥルの亜流だと切って捨て始めました。MCAレコードとの契約も終了しました。

 この時、アラニス・モリセットは未だ18歳の高校生でした。ここからが真の音楽的冒険の始まりです。

脱皮

 1993年、アラニスはグリーブ・コリジエイト・インスティテュートを卒業します。この時まで、アラニスは、両親と共にオタワに住み高校に通いながら音楽活動をしていた訳です。決して音楽で勝負する上で最高の環境ではありません。それにも関わらず、2枚の音盤をリリースし、プラチナとゴールドを獲得したのは並大抵ではありません。彼女の潜在力を示しているとも言えますが、真の才能は未だ埋もれたままです。

 そこで、アラニスは、高校卒業を期に、トロントに拠点を移します。オンタリオ州の州都にして、カナダ最大の都市です(北米でも4番目)。政治、ビジネス、文化、学術の中心です。自由で多様で多彩。アラニスの音楽的冒険を進化させる絶好の街です。ここで、アラニスは、新たなレコード会社やプロデューサーと出会うのです。

 閑話休題ですが、音楽の世界は、何よりもアーティスト個人の才能が核心です。それがなければ何も始まりません。ですが、一人だけでは音楽は完結しません。アーティストの才能を最大限に発揮させるチームが不可欠です。敏腕プロデューサーのジョージ・マーチンがいなければビートルズはリバプールの田舎バンドで終わっていたでしょう。音楽学者ルードヴィッヒ・フォン・ケッヘルがいなければモーツァルト作品が後世に完全な形で伝わることはなかったでしょう。ハービー・ハンコックを採用しなかったなら、マイルス・デイビスの1960年代黄金のクインテットの新主流派ジャズは生まれていなかったでしょう。

邂逅

 トロントへ拠点を移したアラニスには、運命的な出会いが待っていました。ソング・ライター兼プロデューサー、グレン・バラッドとの邂逅です。バラッドは、非常に多くのアーティストを手掛けていますが、有名なところでは、リンゴ・スター、ヴァン・ヘイレン、アニー・レノックス、デイブ・マシュー・バンド等です。音楽出版社の紹介でアラニスと面談したバラッドは、僅か30分ほどの会話でアラニスの核心を察知。潜んでいる唯一無二の個性を見抜いたといいます。1994年のことです。この時、アラニスは19歳、バラッドは41歳。音楽的魂の触れ合いには年齢は関係ありませんが、後年バラッドは親子のような感じだったと述懐しています。

創造

 アラニスとバラッドは、早速、米カリフォルニア州はサン・フランド・ヴァレーにあるバラッドの自宅スタジオに入って、2人で曲作りとデモ・テープの録音を始めます。毎日、15時間ほど音楽漬けだったといいます。曲の骨格が出来ると、バラッドがドラム・マシーンでリズムをプログラムし、各種ギターとキーボードを多重録音して伴奏トラックを作ります。それを聞きながら、アラニスがハーモニカを吹き歌います。何度も試行錯誤を繰り返しながら曲を仕上げていきます。2人の作業は数ヶ月に及びました。

 年が明けて1995年、2人で作ったデモテープを土台に、実際のレコーディングがロサンゼルスのウエストレイク・スタジオで始まります。マイケル・ジャクソン『スリラー』等の名盤が生まれた場所です。

 ここで録音されたのがアラニス最大の成功作となる『ジャグド・リトル・ピル』です。1995年6月にマーヴェリック・レコードからリリースされました。因みに、このレコード会社は、ワーナーブラザーズ傘下のレーベルでマドンナが実質的に創設したものです。アーティスト側の創造性と商業主義の両立を目指す、史上初の女性アーティストによるレコード会社とも言われています。

訣別

 実は、マーヴェリック・レコードが『ジャグド・リトル・ピル』をリリースするに際して、一つ重大な条件が課されました。以前、MCAからリリースされた2枚の音盤を廃盤とするというものです。新生アラニス・モリセットとして世界デビューする観点から、マドンナの亜流ダンス・ポップ時代を封印し、軽薄な歌詞とエレクトリック・デジタルな機械サウンドとは完全に一線を画す戦略的な狙いだったとも言えます。

 確かに、『ジャグド・リトル・ピル』を聴いた耳で『アラニス』や『ナウ・イズ・ザ・タイム』を聴くと、本物と習作の差以上の大きな落差を感じるかもしれません。

 『ジャグド・リトル・ピル』は、女性の本音や怒りを直裁に訴える歌詞、感情を剥き出しにした歌唱、敢えて美声を拝した強靭な声、そしてグランジ系のリアルなバンド・サウンドが聴衆の胸を鷲掴みにします。特に、女性の共感を得て、“フェミニスト・アンセム”とも受け止められています。

記録

 『ジャグド・リトル・ピル』は、世界中で3,300万枚を超えるセールスを上げ、チャートを席巻。カナダ人アーティストとして初めてダブル・ダイヤモンド・ディスクを獲得しました。

 グラミー賞は、9部門にノミネートされ、最優秀アルバム賞、ベスト・ロック・アルバム賞、最優秀女性ボーカル賞等の5部門で実際に受賞しています。しかも、21歳でのグラミー賞受賞は、当時の最年少記録でした。この記録を塗り替えたのは、テイラー・スイフトです。

結語

 アラニス・モリセットと言えば、『ジャグド・リトル・ピル』ですが、2002年発表の『アンダー・ラグ・スゥエプト』も聴き応えのある名盤です。今、聴いても新鮮なサウンドです。唯一無二の声と歌唱がアラニスの書く歌詞と旋律を天高く飛翔させています。

 私生活では、2010年に、ヒップ・ホップ・アーティストのマリオ・“ソウルアイ”・トレッドウェイと結婚。3人の子供を出産しましたが、産後鬱に苦しんだことを公表しています。

 そんな私生活上の困難も吸収して、アラニスは、その後もコンスタントに音盤を発表しています。最新作は、2022年発表の『ザ・ストーム・ビフォー・ザ・カーム』です。瞑想のための音楽を志向しています。一人のアーティストが進化し変貌を遂げる様が音楽に投影しています。

 アラニスは未だ50歳。まだまだ現役で頑張ってもらいたいと思います。激動の時代、彼女自身がどんな変貌を遂げ、新しい音楽を提供してくれるのか楽しみです。遠からず、『ジャグド・リトル・ピル』を超えて、世にインパクトのある音盤を送り出してくれることを期待しています。

(了)

山野内勘二・在カナダ日本国大使館特命全権大使が届ける、カナダ音楽の連載コラム「音楽の楽園~もう一つのカナダ」は、第1回から以下よりご覧いただけます。

音楽の楽園~もう一つのカナダ

山野内勘二(やまのうち・かんじ)
2022年5月より第31代在カナダ日本国大使館特命全権大使
1984年外務省入省、総理大臣秘書官、在アメリカ合衆国日本国大使館公使、外務省経済局長、在ニューヨーク日本国総領事館総領事・大使などを歴任。1958年4月8日生まれ、長崎県出身

バンクーバーでカクテル・ウィーク開催「ガライベントでは日本の酒を含めた28の酒ブランドがカクテルを提供」

白鶴の(後列左から)梅酒、にごり酒さゆり、にごりゆず酒と、カクテル2種Starlight plum spritz とIchigo Sour(前列右)。2025年3月8日、バンクーバー市。撮影 日加トゥデイ
白鶴の(後列左から)梅酒、にごり酒さゆり、にごりゆず酒と、カクテル2種Starlight plum spritz とIchigo Sour(前列右)。2025年3月8日、バンクーバー市。撮影 日加トゥデイ

 ブリティッシュ・コロンビア州バンクーバー市で3月2日~9日まで、市内のレストランやバーが参加した「バンクーバー・カクテルウィーク」を開催。8日には28の酒ブランドが一同に会しカクテルを提供する「ブラック&ホワイト・ガラ」も催し、多くの来場者が特製カクテルを楽しんだ。

The Alchemist 主催、今年で4回目

 蒸留酒、スピリッツ、カクテル関連の専門誌The Alchemist が主催し今年で4回目となる「バンクーバー・カクテルウィーク」。バンクーバーのバーテンダーたちが作り出す多彩なカクテル文化を楽しんでもらおう、と毎年同時期に開催されている。

 市内ホテルで開催された「ブラック&ホワイト・ガラ」には約350人のゲストが来場。「JOHNNIE WALKER」「DON JULIO」「STREGA」「TANQUERAY NO.TEN」などと共に、日本の「NIKKA」「白鶴」「海知」「霧島」「MASUMI」「宝山」「英勲」も参加。それぞれのブースで趣向を凝らしたカクテルを提供し参加者を楽しませた。

 「白鶴」のバンクーバーエリア販売担当者ジェナ・ゴゴさんは「日本料理が大きく受け入れられているバンクーバーエリアでは、酒への認知度はとても高いと言える。今回のイベントでは、まだ知らない人も多い「にごり酒」と「梅酒」を用意してさらに酒への楽しみを広げてもらえればと期待している」と話し、プラム色とオレンジ色のカクテルを紹介した。

NIKKA ウィスキーのバーテンダーさんたち、後ろにはNIKKAの商品が並ぶ。2025年3月8日、バンクーバー市。撮影 日加トゥデイ
NIKKA ウィスキーのバーテンダーさんたち、後ろにはNIKKAの商品が並ぶ。2025年3月8日、バンクーバー市。撮影 日加トゥデイ

 「NIKKA」ブースでは日本から参加したバーテンダーの斎藤久嗣さんが「バンクーバーでも日本のウィスキーを好んでくださる方が多いようでうれしく思っている」と話し、「カクテルなどでいろいろな楽しみ方を試してみる人は日本より多いと感じている。それぞれが気に入ったニッカウィスキーを見つけてもらえればうれしい」とシェイカーを振った。

ブラック&ホワイトガラに合わせた「霧島」にホイップクリーム、オレオクッキーをのせたカクテル。2025年3月8日、バンクーバー市。撮影 日加トゥデイ
ブラック&ホワイトガラに合わせた「霧島」にホイップクリーム、オレオクッキーをのせたカクテル。2025年3月8日、バンクーバー市。撮影 日加トゥデイ

 「黒霧島」のブースではオレオクッキーとホイップクリームを合わせたカクテルを提供。霧島酒造の田浦壽人さんは「(バンクーバーでは)日本酒が多くの酒店やレストランに置いてあり焼酎も少しずつ認知度が上がっている」と手ごたえを話し、「焼酎は甘味とも合うので、バーテンダーの方が作ってくれた今日のカクテルで新しい焼酎の魅力を発見してもらえるのでは」と期待した。

 BC州日本酒協会(The Sake Association of British Columbia : SABC)の小西隆之代表は「日本にはカナダの市場に参画したいと思っている良い酒蔵さんがたくさんある。市や国の規制で思うように進まないこともあるが、ようやく定着してきた日本酒をもっと広めるためにも、これからも努力していきたい」と今回のイベント参加への意義を話した。

「海知」のウィスキーも。2025年3月8日、バンクーバー市。撮影 日加トゥデイ
「海知」のウィスキーも。2025年3月8日、バンクーバー市。撮影 日加トゥデイ

 イベントを主催したThe Alchemist 誌発行者のゲイル・ニュージェントさんは「(新型)コロナ(ウイルス)禍でダメージを受けたバーやレストランを活気付けれたらと2022年に始めたが、今ではそれ以上にバンクーバーの豊かなバーやカクテルの文化を楽しんでもらえるイベントに成長した」と大成功に終わったイベントを振り返った。今回は日本からの参加も多かったが、「寿司レストランでお馴染みの日本酒、という概念を超えたすばらしいカクテルを提供してもらい多くの来場者がその魅力を再発見したと思う」と話した。今年の10月にはトロント市でも初の開催を予定しており、「バンクーバーと同様に多様なレストラン、バーがあり各国からの来店客が集まる街。より多くの人にカクテルの魅力を知ってもらえれば」と期待した。

「宝山」焼酎はレモンが合いますよ、とおすすめ。2025年3月8日、バンクーバー市。撮影 日加トゥデイ
「宝山」焼酎はレモンが合いますよ、とおすすめ。2025年3月8日、バンクーバー市。撮影 日加トゥデイ
「英勲」ゆず酒を使ったYuzu Time Highball。2025年3月8日、バンクーバー市。撮影 日加トゥデイ
「英勲」ゆず酒を使ったYuzu Time Highball。2025年3月8日、バンクーバー市。撮影 日加トゥデイ
日本の酒を使ったカクテルレシピのカードを配布。2025年3月8日、バンクーバー市。撮影 日加トゥデイ
日本の酒を使ったカクテルレシピのカードを配布。2025年3月8日、バンクーバー市。撮影 日加トゥデイ

(取材 Michiru Miyai)

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天皇誕生日祝賀レセプション、バンクーバーで華やかに開催

あいさつをする髙橋良明バンクーバー総領事。2025年3月7日、バンクーバー市。撮影 斉藤光一/日加トゥデイ
あいさつをする髙橋良明バンクーバー総領事。2025年3月7日、バンクーバー市。撮影 斉藤光一/日加トゥデイ

 在バンクーバー日本国総領事館主催の天皇誕生日祝賀レセプションが3月7日、バンクーバー市内のホテルで開催された。

 当日はブリティッシュ・コロンビア(BC)州の各界から約300人が集まり、天皇陛下の誕生日を祝福した。

 髙橋良明総領事は「2月23日に65歳の誕生日を迎えられた天皇陛下を皆さんと一緒にお祝いできることをうれしく思います」とあいさつ。BC州高等教育省アン・カン大臣、環境・公園省ラナス-タマラ・デビッドソン大臣ほか、BC州議員、連邦議員、市長・市議、各国在外公館関係者、そして日系カナダ人コミュニティから関係者が多く出席したことに感謝した。

 日加関係は2027年には日系移民150周年、2028年には日加修好100周年の節目の年を迎えると紹介。日本とカナダは政治、安全保障、経済、教育、文化と多岐に渡って深い協力関係を築いてきたと語り、今年はバンクーバーと横浜、バーナビーと釧路が姉妹都市60周年を迎えたほか、4月に開幕する大阪・関西万博などで、日加の交流がますます盛んになることを期待した。また2026年にはFIFAワールドカップの試合がバンクーバーでも行われることにも触れ「日本とカナダの対決がバンクーバーで実現してほしい」と語った。

BC州デイビッド・イービー州首相に代わり州政府を代表してあいさつと語るカン高等教育大臣。2025年3月7日、バンクーバー市。撮影 斉藤光一/日加トゥデイ
BC州デイビッド・イービー州首相に代わり州政府を代表してあいさつと語るカン高等教育大臣。2025年3月7日、バンクーバー市。撮影 斉藤光一/日加トゥデイ

 BC州政府からはカン大臣があいさつ。BC州と日本との友好関係は長く、約55,000人の日系カナダ人の貢献は計り知れない、もうすぐ開花する桜は日本との友好の証で、カナダで最も多い33市の姉妹都市関係が絆の強さを表していると紹介した。日本はBC州にとって最も重要な貿易相手国であり、輸出先の多様化を促進する中で日本の存在はより重要となるだろうと語った。

 会場には、日本・バンクーバー間に直行便を運航している日本航空と全日空のほか、日本との貿易を促進するJETRO(日本貿易振興機構)やJNTO(国際観光振興機構)がブースを並べていた。

 また、髙橋総領事が「この日のために日本から取り寄せた」という新鮮な魚介類を使ったすしや厳選した日本の酒などが用意され、出席者は舌鼓を打ちながら和やかなひと時を過ごした。

乾杯の音頭を取る日系文化センター・博物館代表ハーバート・オノ氏(左)とカン大臣(中央)、髙橋総領事。2025年3月7日、バンクーバー市。撮影 斉藤光一/日加トゥデイ
乾杯の音頭を取る日系文化センター・博物館代表ハーバート・オノ氏(左)とカン大臣(中央)、髙橋総領事。2025年3月7日、バンクーバー市。撮影 斉藤光一/日加トゥデイ
連邦議員、州議員、市長、市議らと髙橋総領事夫妻を囲んで。2025年3月7日、バンクーバー市。撮影 斉藤光一/日加トゥデイ
連邦議員、州議員、市長、市議らと髙橋総領事夫妻を囲んで。2025年3月7日、バンクーバー市。撮影 斉藤光一/日加トゥデイ
各国在外公館関係者と髙橋総領事夫妻。2025年3月7日、バンクーバー市。撮影 斉藤光一/日加トゥデイ
各国在外公館関係者と髙橋総領事夫妻。2025年3月7日、バンクーバー市。撮影 斉藤光一/日加トゥデイ
BC州日本酒協会が日本の酒をふるまう。2025年3月7日、バンクーバー市。撮影 斉藤光一/日加トゥデイ
BC州日本酒協会が日本の酒をふるまう。2025年3月7日、バンクーバー市。撮影 斉藤光一/日加トゥデイ
いつも人気のすしコーナー。2025年3月7日、バンクーバー市。撮影 斉藤光一/日加トゥデイ
いつも人気のすしコーナー。2025年3月7日、バンクーバー市。撮影 斉藤光一/日加トゥデイ
会場の入り口付近にはいけばなの展示も。2025年3月7日、バンクーバー市。撮影 斉藤光一/日加トゥデイ
会場の入り口付近にはいけばなの展示も。2025年3月7日、バンクーバー市。撮影 斉藤光一/日加トゥデイ
会場の一角には日本の箱庭も用意され、日本の雰囲気を演出した。2025年3月7日、バンクーバー市。撮影 斉藤光一/日加トゥデイ
会場の一角には日本の箱庭(Ouka Landscape&Design Ltd.)も用意され、日本の雰囲気を演出した。2025年3月7日、バンクーバー市。撮影 斉藤光一/日加トゥデイ
ゲストを出迎える髙橋良明バンクーバー総領事夫妻。2025年3月7日、バンクーバー市。撮影 斉藤光一/日加トゥデイ
ゲストを出迎える髙橋良明バンクーバー総領事夫妻。2025年3月7日、バンクーバー市。撮影 斉藤光一/日加トゥデイ

(記事 編集部)

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第43回モントリオール国際芸術映画祭開幕、日本作品「Viva Niki タロット・ガーデンへの道」上映

©Photographs by Michiko Matsumoto
©Photographs by Michiko Matsumoto

 第43回モントリオール国際芸術映画祭が3月13日に開幕した。日本からはドキュメンタリー映画「Viva Niki タロット・ガーデンへの道」が公式招待作品として上映される。

 フランスを代表するフェミニスト・アーティスト「ニキ・ド・サンファル」の人生と作品を追ったドキュメンタリー。世界で活躍する女性アーティストを撮り続けてきた写真家松本路子が映画初監督を務める。ナレーションを担当したのは歌手で俳優の小泉今日子、エンディング曲でも上田ケンジとのユニット「黒猫同盟」として参加している。

 ニキの集大成としてイタリア・トスカーナに制作した彫刻庭園「タロット・ガーデン」。1981年からニキと10年以上にわたり交流してきた松本路子自身がその庭園を訪れ、ニキが歩んだ道を辿る。

 同作は昨年のバンクーバー国際映画祭でも上映され、好評を得ていた。

 松本氏は「バンクーバーに続いて、モントリオールでも私たちの映画が上映されるのは、とても嬉しいことです。見終わると幸せな気分になるというお言葉をたくさんいただきました。皆さまに、ぜひ見ていただきたいと思います」とメッセージを送った。

上映は以下の通り。

ケベック国立美術館
2025年3月19日(水)10:30〜

シネマ・デュ・ミュゼ – Auditorium Maxwell-Cummings
2025年3月21日(金)17:15~

詳しくはウェブサイトを参照:https://lefifa.com/en/catalog/viva-niki-the-spirit-of-niki-de-saint-phalle

(記事 編集部)

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第22回 最小限の準備で最大の安心を ~Let’s 海外終活~

終活は新しい大人のマナー

叶多範子

早春の候、皆様いかがお過ごしでしょうか。バンクーバーでは、日に日に陽射しが柔らかくなり、木々の芽吹きが感じられる季節となりました。海外での生活に慣れるにつれ、「いつか」と先送りにしがちな終活のお話を、今日は少し違った視点からお伝えします。

先日、ある方たちからこんなメッセージをいただきました。「終活と聞くと、なんだか大変なことのように思えて、なかなか踏み出せません」「正直、終活にお金も時間もかけたくないって思ってしまうんです」と。この声は、おそらく多くの方が共感されるのではないでしょうか。

「終活」=時間とお金がかかる その思い込み、今日で終わりにしませんか?最小限の準備で、最大限の安心を。

終活というと、断捨離、エンディングノート、遺言書、お墓の準備など、やるべきことがリストとして頭に浮かび、その量に圧倒されてしまうかもしれません。特に海外在住者にとっては、「日本とこちらのどちらで準備すべきか」という悩みも加わり、さらにハードルが高く感じられる人もいるようです。

しかし、本当に必要な「核」は意外にシンプルです。

1.法的書類(遺言・委任状) 海外在住者にとって、日本と居住国の法律が絡み合う遺言書の作成は一見複雑に思えます。しかし、居住国の法律に則った形で基本的な遺言書を用意するだけでも、残された家族の負担は大きく軽減されます。

また、万が一の時のための委任状(Power of Attorney)も重要です。財務の決定権を信頼できる人に託す書類を準備しておくことで、もしものときの安心感が生まれます。

2.エンディングノート 法的拘束力はありませんが、自分の希望や思いを自由に書けるエンディングノートは、残された人々への大切なメッセージとなり、尚且つ、将来もしも認知症になったときには自分の取扱説明書(取説)になります。デジタル資産の管理方法、されて嫌なこと、苦手なこと、医療や葬儀の希望など、簡潔に記しておくだけでも、家族や医療関係者が迷うことなく進めることができます。

この2つの土台があれば、あとは人生を思う存分楽しむだけ。

終活の本質は、実は「生活」です。残された時間を大切に生きるための準備であり、不安や心配を取り除くことで、より自由に生きる手助けとなります。

断捨離や墓じまいなどその他のことは、人生を楽しむ過程で、必要性を感じたとき、タイミングが来たときの選択肢としてください。

先日、長年カナダで暮らすSさんはこう語ってくれました。「遺言書と委任状を作り、エンディングノートに基本的なことを書いておいたら、不思議と心が身軽になりました。今は旅行に行ったり、新しい趣味を始めたり、何かに挑戦することになっても、もしものときの心配や不安がなくなり、積極的にどんどんできるようになった」と。

終活は終わりのための活動ではなく、より豊かに生きるための準備です。最小限の準備で最大限の安心を得て、その先の人生を思う存分楽しむ。それこそが、私が提案する「海外終活」の真髄です。

私たち海外在住者は、移住という大きな決断と挑戦を経験してきました。みなさんのその勇気と行動力を、終活にも活かしていただきたいと切に願っています。異国の地で新しい生活を築いたように、終活も新たな一歩として捉えれば、意外とシンプルで、むしろ人生を豊かにする活動だと気づくはずです。

これまで自分の意思で人生を切り開いてきた皆さんが、人生の最後だけ何も準備せず人任せ、成り行き任せになってしまうのは、あまりにも残念なことです。海外で築き上げた豊かな人生が、準備不足のために混乱と後悔の中で幕を閉じる—そんな事例を数多く目の当たりにしてきました。特に海外在住者の場合、準備がないと家族は二重三重の困難に直面します。あなたの大切な人たちに、そんな重荷を背負わせたいでしょうか?また認知症になった自分に適切なケアがされないでいいのでしょうか?

日本とは異なる制度や文化の中で暮らす私たちだからこそ、「最低限何が必要か」を今すぐ見極める必要があります。複雑な終活をシンプルに捉え直し、必要最小限の準備から始めることで、かえって効果的な終活が実現します。時間はいつも思うより少ないのです。

今日から、あなたも小さな一歩を踏み出してみませんか?まずはエンディングノートを手に取るところから。最初の小さな一歩が、未来の安心につながっていきます。明日ではなく、今日が、その一歩を踏み出すべき日であって欲しいと思います。

*このコラムは終活に関する一般的な知識や情報提供を目的とするものです。内容の正確さには努めておりますが、必要に応じてご自身で確認、または専門家へご相談ください。このコラムを元にして起きた不利益は免責とさせていただきます。

「Let’s海外終活~終活は新しい大人のマナー」の第1回からのコラムはこちらから。

叶多範子(かなだ・のりこ)

グローバルライフデザイナー
2015年、友人の孤独死と相続問題をきっかけに、カナダのバンクーバーで遺言・相続専門の弁護士アシスタントとしてキャリアをスタート。2020年には終活アドバイザー資格を取得し、終活の視点を取り入れた知識と実務経験を活かしたノート術とコンサルティングを提供しています。
「終活せずに困った!」という後悔の声を「やってて良かった」「ありがとう」と笑顔で未来を彩ることをライフワークとしており、これまで300名以上に国境を越えた安心感を届けています。国内外問わず、すべての人が大切な未来をデザインできるようサポートしています。 家族はカナダ人の夫、2人の息子、愛猫1匹。日々の活動や最新情報は、メルマガ、ブログ、SNSで発信中。

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著書「海外在住日本人のための50代からの終活」:​​https://a.co/d/ad4OeLw

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