第70回 この世にユートピアはない?!

  この時期、オオ何と多くの移住者の方たちが里帰りをしたり、或いは、今もしていることだろう!日本政府が久し振りに、本当に久し振りに、日本国籍保持者以外の人々にも全面的に門戸を開いたのを機に、ドッと「ふるさと」に向かったのである。

 もっとも規制がまだ今のように緩やかでなかった時期でも、ビジネス以外の私用にもかかわらず、面倒な手続きを踏みながらも何回か日加を往復した強者もいた。

 更には、まだオミクロン株の怖さが世間を騒がせていた頃にも「セールで安かったから・・・」と、クルーズ船でアラスカに行った人もいた。「この時期にまさか!?」と思ったのだが、戻ってからは案の定バッチリ陽性反応が出て、下船と同時に指定のホテルに直行。二週間近く隔離させられたが、ラッキーにも保険を掛けていたため全経費が賄われ、上げ膳据え膳の3食付きのホテル住まい。コロナに罹ったのは二回目とのことだが、元気に元の生活に戻った人もいる。

 だが中には後遺症で味覚が失われたり、長い間痰が喉に絡まったり、ふらついたり・・・。ことほど左様に、その後どのような影響が出るかは、人生と同じで先を予見することは難しい。

移住者の多かった年

 日本から戦後カナダに移住した数が一番多かったのは、今から半世紀昔の1973年で、1100余人であった。もちろんその前後にも、かなりの人々がそれぞれの理由によって海を渡り、怖いもの知らずであった若者たちも、今は殆どが「シニア」と呼ばれる年齢になっている。

 当時カナダの色々な場所に定住した移住者たちは、大小の差はあれ、何らかの形で同胞の集まるコミュニテイーをつくり結束した。「そう言うのは嫌い!」と言う人もいるようだが、さりとて、彼らはカナダ人にもなり切れていなかったりする。

 その長い年月の間に、結婚して家族を形成した人、離婚と言う結末を迎えた人、独身を通した人、仕事で大成功を収めた人、事業に失敗した人、評判のいい人悪い人・・・。人間模様は何処に住んでも同じであると、今更ながら思う事である。

 当然ながら幸福度の指数も人によって異なる。だが一番大事なのは、月並みながら健康に恵まれ日々元気に過ごせることではなかろうか。

日本に戻る選択

 そんな元気印の移住者シニアは多い。最近その人たちが長年のカナダ生活に終止符を打ち、日本に戻ると言う話をチラホラと耳にする。

 曰く、日本には安価で美味しい食べ物が山のようにある。庶民に馴染みのラーメン一つ例に取っても、1000円($10)で食べられる。またコロナで以前にも増して利用する宅配は、あの交通渋滞の大都会でも約束の時間にちゃんと配達してくれる。家のリノベーションに至っては、どんな些細な仕事でも誠心誠意仕事をして予定通りに仕上げる・・・。

 ひるがえってカナダはと見れば、ボール一杯のラーメンが、TAXやサービスの良し悪しにかかわらず反強制的に取られるチップを入れると$20もする。宅配が約束の日に届かず一日パカパカと待たされた挙句に翌日になる事も珍しくない。家の中の小さな修理などには、下見のアポを取るだけで一苦労。加えて近年のカナダは医者不足で、特にBC州では100万人が掛かり付けの医者を持てないでいる・・・。

 とは言え、何と言ってもカナダには雄大な自然と、人々の行動に「右に習え」の風習は少ない。となれば写真撮影で全員が「Vサイン」をすることはなく、女性が脚を組むことに批判が集まることもない。そよ風の吹く海辺でもマスクをすることを不思議と感じない慣らされた従順さ。コロナ禍でテレワークが珍しくないのに解消されない満員電車・・・。

「この世にユートピアはない」ある先人の漏らしたそんな言葉が脳裏をよぎる。

朝日が海の向こうから昇る。美しい自然が身近に一杯のカナダ。
朝日が海の向こうから昇る。美しい自然が身近に一杯のカナダ。

サンダース宮松敬子 
カナダに移住してもう何年になるだろう。指一本を10年と数えると、かろうじてまだ片手で済むが、その年月は我が人生の半分以上になる。世間に発表する物書き業を始めて30数年。世の流れに目を凝らすと「That’s not fair!」と義憤を感じる事が多く私を奮い立たせる。そんな自分の感性を頼りに原稿を書き続けている。
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