第67回 あれから一年

 「それは甘い!」と言う声が何処かから聞こえて来ないとも限らない。だが想像するに、カナダに住む大方の日本人移住者や日系カナダ人で、その日の食べ物に困るという人は、それ程多くないのではと思う。もしそうした状況にいたなら、十分とは言えないまでも、この国では社会的な援助の手が差し伸べられるからである。

 だが世界を見渡すとそうした困窮生活を余儀なくしている上に、政府からの援助どころか、暫定政権の脅しによって、日々命の危険に晒されている人々が山のようにいるのである。

 どの国が一番ひどいか等はまったく言えないが、その一つがアフガニスタンであることは確かだ。昨年バイデン大統領が8月末までに米軍撤収を表明し、事実30日にはそれを完了した。理由の一つは、勝ち目のない戦争で若い兵隊たちの犠牲を防ぐことであった。

 これに準じ、それまで協力していたカナダの軍隊も引き揚げた。その時同時に難民としてカナダに入国したのは、大使館や報道関係の通訳など何らかの形でカナダに協力していた人々が本国を後にした。政府は後から家族等を含め、4万人程の難民受け入れを約束したのだが、今年6月までに申請を承認した数は一万五千人ほどである。主にジャーナリスト、弁護士、政府や人権擁護関連の従事者、宗教関係者、LGBTQの人々等などで、輸送には24のチャーター機、多数の民間機が使われている。

 さすがに世界に冠たる移民大国カナダではあるが、手続きが遅れている理由は、タリバン政権下での救出が困難を極めており、またコロナの蔓延による政府関連の働き手の減少、予想外だったロシアのウクライナへの軍事侵攻による急激な難民の増大を挙げている。

 難民保護の難しさは、カナダに無事に到着すればお終いと言うわけではない。一時的/将来的な住居の確保、英語/仏語の教育、職業斡旋、新生活に順応するための心身の援助機関等など細部にわたってのサポートを必要とする。その為の資金調達も大きなハードルで、連邦、州、地方行政の協力なしには実行不可能である。

 一年目を記念して先月からは、メディアが関連ニュースを報道しているが、移住先はやはりトロントなどの大都会に多いと言う。

映画『僕の帰る場所』

 日本では最近難民申請状況の実話に基づいた『僕の帰る場所』と言う映画が封切られた。残念ながらカナダでは鑑賞できないが、これは在日ミャンマー人の家族に起きた実話をもとにしている。制作は昨年クーデターが起きた以前であったが、今も民主化が達成されないまま、多くの人々が軍権統治下の生活にあがきながらの日々を送っている。

 例えばそうした人々がもし日本に行って難民申請をしても、確実なことはただ一つ。日本政府は容易には彼等を受け入れず、21年はたった74人と言う数字が示すように、殆ど「皆無」に近い状況なのである。

 ところがこの半年余りのウクライナからの人々には急遽呼称を「避難民」と変更し、9月7日現在1850人が日本で生活を開始しており、民間からの助けも各種ある。何がこの違いを生むのか?国際的な状況が全く違うとは言え、公言はされないが、ずばりウクライナ人は白人で、東南アジア、中東の人々は肌が白くないから・・・、と密かに言われているようだ。

 昨年3月に名古屋の入管局に収容されていたスリランカ女性(ウィシュマさん)の死亡事件はそれを如実に表しているかに思える。信じがたい程ずさんな入管の対応が当時大問題になったものの、死因が特定されることもなく、名古屋入管の局長ら4人が「訓告」等の処分を受けたのみで事件は解決されたかに見える。

 こうした日本人の人種偏見や人権意識の欠如した事件が起こるたびに、もしこれがカナダで起こったらどの様に処理されるだろうか・・と考える。当然ながらここでも人種差別による事件は多々あるのは事実だが、常に心に重くのしかかる問題である。

 と、ここ迄原稿を書いていたら、新たなニュースが日本から飛び込んできた。それはウィシュマさんの事件後、残念ながら政府は出入国管理法等の改正案を臨時国会へ提出するのを見送ったのだが、現在更なる検討を進めていると言うのである。今後の動きに注目したい。

サンダース宮松敬子 
フリーランス・ジャーナリスト。カナダに移住して40数年後の2014年春に、エスニック色が濃厚な文化の町トロント市から「文化は自然」のビクトリア市に国内移住。白人色の濃い当地の様相に「ここも同じカナダか!」と驚愕。だがそれこそがカナダの一面と理解し、引き続きニュースを追っている。
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