~グランマのひとりごと~
なんだか淋しいなぁ。テレビを視て、その不理解力70%。不理解が70%で、理解出来るのは30%。友達に電話をかけても、難聴だから、どーも、うまくいかない。
…かと言って、メイルを書くほどの事もない。とにかく、この淋しさを乗り越えねば!そう言いながら、何時の間にか、淋しさを乗りこえるためなのかなぁ? 「グランマのひとりごと」と「老婆のひとりごと」を楽しみながら、ずっと書いている。
もう120回!になった。まったく知らない人から編集部宛てに読後感が届いた時は嬉しい。励まして下さる方も多い。
それなのに、読み返す度にグランマは「淋しい」「淋しい」と書いている。最近はその「淋しい」がひどくなっているようだ。
「難聴だからなぁ」
それにインドの占い師が言った「インド歴で82~83歳が貴方の寿命」がどこかにひっかかっているのだろうかねぇ。
昨夜、息子の仕事仲間が我が家に集まって夕食会があった。集まった若者たちとグランマは話が出来ない。問題は「英語?」
いやいや「言葉の問題ではない」。「問題は聴力なのだ」。兎に角、難聴で、何回も聞き直す。それが、「遠慮」でやたらに人と話をせずに、只、ニコニコしている。それでも、人がいる場所に一緒に居るだけで楽しいのだ。
来客があれば料理は息子がやる。後の掃除は私。何だか知らないけれど、材料費の高価さを思うと、出前の方が楽なのに…とグランマはつぶやく。でも頑張る息子。亡夫は生前、旧正月の前夜、必ず家族親戚の為に料理をした。大仕事だから、私が何か手伝おうとすると「触るな!」と言って触らせなかった。料理下手のグランマ。
気が付くと、息子も同じような事をやっている。「触るな!」と昨晩、私に注意した。夫と息子は料理好き。作る料理は「中国料理」と完全な「洋食」と二人は違う。それに来客も違う。今はもう親族は近くにいないから、友達が来る。だけどねぇ、なんでそんなにこの二人、料理にこだわるの? その念入りさと、こだわり、見事にこの親子二人が同じなのだ。
忘れられないのは戦時中、そして、戦後の食糧難。あれから、75年。当時、疎開先で近所の子どもに会えば、必ず「何食べてるだぁ?」と手に持っている袋をみせられる。「うーん。豆ッかすだぁ」と答える。そして、遊び始める。
子供達のおやつは毎日「豆っかす」だった。大豆の絞りかす、それを干して、炒ったものが、毎日のおやつだった。食べ物はそれぞれが「生きられるだけ、食べればいい」のだと、身体がならされてしまったのだろうか? それも悲しいねぇ。
そして、今、美味しいものを好きなだけ、好きなように食べられる幸せな世の中だ。
昨夜のご来客。集まった人達の出身国、日本人がグランマを含めて5人いた。と言っても、カナダ生まれの息子の様な人もいる。
殆ど全員、異なる国から来ていた。正に、グランマがつぶやく。「ああ、これがカナダ」。皆が仲良くて、そこには人種差別なんて全くない、共に働き共に楽しんでいるようだ。
さっきテレビでミャンマーの軍事クーデターから一年、国民の貧困と現状、全土に非常事態を宣言し、国家の全権を掌握したと表明した。 アウン・サン・スー・チー国家顧問率いる政権を転覆。続けて、ウクライナ、ロシヤ軍の動きも報道されていた。
更に今度はもうCOVIVD-19じゃない、オミクロンの情報。
ああ、明日はないと思って、今日一日を生きる、そして、明日があると思って、夜はゆっくり寝るかぁー。
4セットの補聴器を手に取って、グランマ言った。放った言葉は、自分が一番聞いている、「淋しくなんかない」ぞぅ。
許 澄子