第53回 トーテンポールが取りもつ歴史の絆 ~3

 カナダは、多くの移民によって成り立っていることは広く知られている。元をただせば、ファーストネーションズ(先住民)の人々が住む国であった。だが時の経過と共に、まずヨーロッパから入植した人々によって一歩一歩歴史が刻まれて来た。

 その長い歩みの中には、もちろん日本からの人々も含まれている。移民史をたどると今我々が置かれている立場も、その延長上にあることが容易に分かる。

 では最初にこの国に一歩を踏み入れた日本人は誰か?これに関してはすでにいろいろな研究がなされている。

 だが最近カナダ(特に西海岸)の象徴であるトーテンポールが、カナダ日系移民史の突破口を作った街に寄贈されたことで、再度その足跡を三回の連載で振り返ってみたい。(一回:5月20済二回:6月17日済/三回:7月15日)

彫刻の詳細

 Yelton氏が選んだ材木は樹齢300年以上経ったレッドシダーの巨木であったが、制作に3か月を要して彫り上げた作品は高さ4m、直径70cm、重さは500kgであった。

 トーテンポールのデザインは、彫り師のそれぞれの思いと設置される場所に相応しい意味深いものが選ばれる。

 今回は、友情のシンボルであるハクトウワシが力と栄光の象徴として頭の部分に位置し、その下には“カヤッチン”と呼ばれる他者を歓迎して、聖地に導く案内人がハクトウワシに抱えられている。

 その下には、力と強靭さのシンボルであるグリズリーベアが彫られており、手にはチヌックサーモンを抱えている。サーモンは生まれた河から太平洋に泳ぎ出るが、最後にはまた生まれた河に舞い戻る。それはあたかも、和歌山から太平洋を渡りカナダに移り住んだ工野儀兵衛氏や、三尾地区からの人々の生きざまを象徴している。

 また中程に彫られているカエルは幸運のシンボルのため、広く和歌山の人々や美浜町三尾地区の人々に幸せが訪れることを願って、心を込めて彫り上げたとYelton氏は言う。

(2)*羽鳥隆在バンクーバー日本国総領事が出来上がった白木のトーテンポールに最初の一筆の色付けをした時の模様

(3)*出来上がったトーテンポールの送り出しセレモニーとそこに参加した日系人たちのコメント:

5月11日―トーテンポール/工野儀兵衛氏胸像除幕式

 3ヶ月かけて出来上がったトーテンポールは、まだ肌寒い日の続く2月半ばにバンクーバー港から大阪港に向けて出発し、トラックで和歌山県美浜町三尾地区まで運ばれた。

包みを開けた時のトーテンポール。写真提供:美浜町役場
包みを開けた時のトーテンポール。写真提供:美浜町役場

 立地の場所は、2018年7月に三尾地区の古民家を活用してオープンしたカナダミュージアムの庭である。(以前あったカナダ博物館は閉鎖された)

 本来であれば彫刻の制作者Yelton氏、また仲介役として奔走した高橋氏も出席して賑やかに除幕式が行われる筈だったが、二人共コロナ禍のためにカナダからの訪日は不可能になってしまった。

 だがこの先いつ終息するか見通せない現在では、将来の予測は至難のため、除幕式は予定通り5月11日に執り行われ、高井利夫氏を始め薮内美和子美浜町町長やミュージアムの三尾たかえ館長ら10人余りが出席した。

出席者が協力して綱を引き序幕した。写真提供:Tomoyo₋Artworks
出席者が協力して綱を引き序幕した。写真提供:Tomoyo₋Artworks

 またトーテンポールの横には、『カナダ移民の父』と崇められている曽祖父・儀兵衛氏の胸像も建てられたため、その除幕式も同時に行われた。

儀兵衛氏の胸像。写真提供:Tomoyo₋Artworks
儀兵衛氏の胸像。写真提供:Tomoyo₋Artworks

 コロナ終息の折りには多くの人々が新たな名所を訪れ、町の歴史、ひいては日本の移民史に思いを馳せて欲しいと関係者たちは切に願っている

サンダース宮松敬子 
フリーランス・ジャーナリスト。カナダに移住して40数年後の2014年春に、エスニック色が濃厚な文化の町トロント市から「文化は自然」のビクトリア市に国内移住。白人色の濃い当地の様相に「ここも同じカナダか!」と驚愕。だがそれこそがカナダの一面と理解し、引き続きニュースを追っている。
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