子ども達と共に50年、絆の日々を振り返って

グラッドストーン日本語学園

村上 陽子

 よく聞かれるのは、グラッドストーンの名前の由来はと。それは寺子屋式に我が家で始めたのが、グラッドストーン通りだったからです。そこから1971年にスタートし、転々と公民館、公立学校、教会、等々7回移動しました。七転び八起の8回目にナショナル日系博物館・日系ヘリテージセンタ(日系文化センタ―・博物館の開館当時の名称)から、1998年にキャシー槇原様とサム山本氏が来られ「センターに移転しませんか」とお声がかかった時は、夢ではないかと思いました。

 それから日系文化センタ―・博物館での20年が経ち、学園50周年記念の年にこの新型コロナ感染という困難な時期に遭遇し、祝賀会が出来ず残念でなりません。しかし、「乗り越えられぬ試練を神は与えない」という言葉を胸に、常に明けない夜はないと笑顔を絶やさず子ども達と過ごしています。

 子ども達との50年は、カナダっ子に日本とカナダの架け橋になってもらいたいという希望をもって日本語教育を始めました。卒業生は通訳や弁護士、医者、パイロット、教員、日本で声優や外資系の会社でと日本語を生かして仕事をし、国際人として活躍していることを知るたびに先輩が後輩に良きお手本になっていることを誇らしく思います。

 学園のモットーは、生徒、保護者、教職員が三者一体となって日本語教育を続けていることです。そして、教職員が10人になり、内7人が12年以上の勤続で「子ども達への愛情と教育への情熱をもって」接してくれていること、素直な生徒、協力的な保護者との絆に恵まれていることに有り難く、頭が下がります。そして、今年は50周年記念としてウェブサイトの作成を行っています。

オンタリオ在住の卒業生より「50周年おめでとう」と書かれた花が届いた ©グラッドストーン日本語学園
オンタリオ在住の卒業生より「50周年おめでとう」と書かれた花が届いた Photo courtesy of © Gladstone Japanese Language School

 日本語を通して、日本の文化を学ぶ中で子ども達に素敵な思い出になることを願って50年過ごしてきました。その中で、日本研修旅行を4回(当時の皇太子殿下、美智子妃殿下に東宮御所で拝謁、富士山に登頂、国際科学技術博覧会(つくば万博)や名所旧跡観光、和歌山での田植えやホームステイの体験等々)、バンクーバーサンランに15年間学園チームとして参加、日系社会での桜祭りや日系センターの日系祭りにも参加。天皇皇后両陛下が日系センターご訪問の折生徒が歌の発表をし、恒例の学芸会、卒業式、運動会、文化学習等、子どもたちと共に感動し、心に残る一ページが増えていきました。

 こうして子ども達と共に過ごしてきた50年のこの年に、オンタリオ在住の卒業生より「50周年おめでとう」と書かれた花が届いたときは教職員皆、驚くとともに感慨無量に浸りました。                         

 この新型コロナ禍が収束し、平穏な日常が戻って来ることを願いながら、次回の55周年を目標に一歩一歩、生徒・保護者・教職員との絆を大切に笑顔で明るく過ごしていきたいと思います。

 最後に、この困難な時期にハイブリッド学習を楽しく続けられる事は、日系センターの多大な日本語教育へのご理解とご尽力によるものと感謝する日々です。

関連記事