皆さん、こんにちは。心地よい風が吹く日が増え、夏の気配を感じる季節になってきましたが、いかがお過ごしでしょうか?気がつけば、前回のコラムを書いてから、早くも2年が経ってしまいました。
今回は、歯科医院で行うボツリヌス治療についてお話ししたいと思います。私が勤務しているクリニックではこの治療を導入しており、待合室にもパンフレットを置いています。
ただ、「ボツリヌス治療=美容医療」というイメージがまだ強いためか、患者さんからは「どうして歯医者でボトックスをするんですか?」と尋ねられることも少なくありません。
そこで今回は、ボツリヌス治療と歯科医療との関わりについて、少し詳しくご紹介したいと思います。
ボツリヌス治療について
ボツリヌス菌は、土壌や水中など自然環境に広く存在する細菌です。このボツリヌス菌が産生する「ボツリヌストキシン」と呼ばれる神経毒素を医療用に安全に加工したものが、現在のボツリヌストキシン製剤です。「ボトックス」とはアメリカ・アラガン社製のボツリヌストキシン製剤の製品名になります。
ボツリヌストキシンには筋肉の緊張をゆるめる働き(筋弛緩作用)があり、1970年代にアメリカの眼科医がこの作用を斜視(目の向きがずれる病気)の治療に応用しました。この臨床効果が認められたことから、眼瞼けいれん、片側顔面けいれん、脳卒中後の痙縮など、さまざまな神経・筋疾患への治療にも広がっていきました。
その後、眼瞼けいれんの治療を受けた患者さんの目元のしわが目立たなくなったことから、美容分野での応用が進み、現在では世界中で広く知られるようになりました。
そして歯科分野でも、咀嚼筋へのボツリヌス治療が有効に活用されています。
咬筋・側頭筋へのボツリヌス治療

咬筋は、耳の内側から顎にかけて位置する、噛む動作に関わる非常に強い筋肉です。上下の歯をギュッと噛みしめたとき、頬の横に硬く盛り上がる部分が咬筋です。
この筋肉は、食事のときだけでなく、無意識の歯ぎしりや食いしばりの際にも働いています。咬筋が過度に緊張したり、発達しすぎたりすると、歯の摩耗や詰め物・被せ物の破損、顎の痛みなど、さまざまな症状があらわれることがあります。
こうした症状に対しては、ナイトガード(マウスピース)の装着や、咬筋へのボツリヌス治療(いわゆるボトックス注射)を行うことで対応する場合があります。
咬筋にボトックスを注射すると、筋肉の過剰な緊張がゆるみ、噛みしめる力が自然に軽くなります。その結果、歯や顎関節への負担が減り、痛みや違和感の軽減が期待できます。
一方、側頭筋は、こめかみから耳の上にかけて広がる筋肉で、咬筋と同じように噛む動きに関わっています。側頭筋が強く緊張していると、こめかみの痛みや緊張性の頭痛の原因になることがあります。
この側頭筋にもボツリヌス注射を行うことで、筋肉の緊張がやわらぎ、頭痛やこめかみ周辺の不快感が改善されるケースがあります。
治療の流れと注意点
多くのクリニックでは、ボツリヌス治療を行う前にカウンセリングと診察が行われます。
ご本人は「顎の痛みは筋肉のせい」と思っていても、実際には顎関節自体に問題がある場合や、かみ合わせの問題で食いしばりが起きていることもあります。ボツリヌス注射が症状の緩和にあまり効果を発揮しないケースもあるので、ボツリヌス治療が本当に適しているかどうかを判断することが大切です。また、注射に使うボトックスの量は人によって適切な量が異なります。筋肉の大きさや症状の強さに応じて、医師が一人ひとりに合わせて判断しています。
また、妊娠中または授乳中の方など、ボツリヌス治療が適応ではない場合もあります。ボツリヌス治療の後はマッサージや激しい運動、また横になるのを避ける、など注意事項があります。
治療自体は10分程度で終了し、効果は通常、2〜3日後から徐々に現れ始め、効果の持続期間は3~4か月程度です。
ボトックスの副作用は少ないですが、噛む力が一時的に弱くなることがあるため、施術後しばらくは硬いものが食べづらくなる場合があります。注射による内出血や注射部位の痛みが出ることもあります。
体験談:私自身のボツリヌス治療
私自身も、これまでに3回ボツリヌス治療を受けた経験があります。もともと歯ぎしりの癖があり、ナイトガード(マウスピース)を使っていましたが、マウスピース矯正をしていた時期に、歯ぎしりがひどくなってしまい、顎の痛みが強く出る日が続いていました。
そのときは、筋肉の緊張をゆるめる薬や痛み止めを飲んで対処していたのですが、薬の副作用で胃の不調などの消化器症状が出てしまい、同僚に咬筋へボツリヌス注射をしてもらいました。私の場合は筋肉の張りが強く、痛みもかなりあったため、最初は少し多めの量を打ってもらいました。すると、数日後には顎の痛みがなくなりました。
でも、3か月ほどすると再び痛みが出てきたので、2回目は同じ量を注射してもらいました。その後は5か月ほど痛みが出なかったため、3回目は少なめの量で試してみました。今はその注射から半年以上経ちますが、痛みも出ずに快適に過ごせています。

左が私自身の咬筋のボツリヌス治療前、右が治療後の写真です。
審美を目的とした治療ではありませんが、咬筋の緊張が軽減され、筋肉が小さくなっているのがわかりやすく写っているため、比較の参考として掲載しています。
最後に
ボツリヌス治療は、これまで神経や筋肉の疾患に広く用いられてきた、安全性の高い治療法です。歯科領域においても、歯ぎしりや食いしばり、顎の痛みといった症状に対して効果が期待でき、日常生活の質を高める手助けとなります。
私自身は、歯科治療の延長線上で咬筋や側頭筋へのボツリヌス治療を行っていますが、同僚の中には表情筋に注射を行い、しわ予防やガミースマイルの改善に対応している歯科医師もいます。気になる方は、ぜひかかりつけの歯科医院で相談してみてください。
プロフィール
歯科医師 楠瀬智子
2004年北海道大学歯学部卒業
日本の歯科医師免許、ブリティッシュ・コロンビア(BC)州の歯科医師免許、BC州の歯科衛生士の免許を保有
2016年よりキツラノのDr. Wayne Okamura Inc.にて勤務(火曜、木曜、金曜と、月1回土曜日)
Dr. Wayne Okamura Inc.
TEL:604‐736‐7374
住所:2732 W Broadway #202, Vancouver, BC, V6K 2G4
診療日:火曜から隔週土曜 7:30 am – 6:00 pm(曜日により診療時間は異なります)
診療内容:定期健診、クリーニング、虫歯の治療、根管治療、抜歯、マウスピース矯正などの歯列矯正治療、インプラント手術、ホワイトニング、ボトックス注射など