第52回 トーテンポールが取りもつ歴史の絆 ~2

 カナダは、多くの移民によって成り立っていることは広く知られている。元をただせば、ファーストネーションズ(先住民)の人々が住む国であった。だが時の経過と共に、まずヨーロッパから入植した人々によって一歩一歩歴史が刻まれて来た。

 その長い歩みの中には、もちろん日本からの人々も含まれている。移民史をたどると今我々が置かれている立場も、その延長上にあることが容易に分かる。

 では最初にこの国に一歩を踏み入れた日本人は誰か?これに関してはすでにいろいろな研究がなされている。

 だが最近カナダ(特に西海岸)の象徴であるトーテンポールが、カナダ日系移民史の突破口を作った街に寄贈されたことで、再度その足跡を三回の連載で振り返ってみたい。(一回:5月20済/二回:6月17日/三回:7月15日予定)

美浜町三尾地区の衰退

 日本は1941年12月8日(日付け変更線をまたぐカナダでは7日・日曜日)に旧日本軍がハワイの真珠湾を攻撃し、英米両国と開戦したことをことを宣言した。これによってBC州に住む日本をルーツとした移民や、カナダ生まれの日系人をも敵性外国人とみなし、有無を言わせず、ロッキー山脈の麓に建てた粗末な強制収容所に送った。その数は22000余人であったが、それを機に日本に帰国した移民も多かった。

 三尾村出身の彼らももちろん例外ではなく、心身共に悲惨な思いを味わう事となったため、当時400余人が故郷に戻ったと言われている。

 しかし時は流れ1960年代には再びカナダに再渡航する人も増え、村は昔カナダで働いた経験のある人たちや関係者が集まる隠居村と化したのである。近年はそれが更に助長し、2020年4月の調査では人口565人のうち65歳以上の高齢者は55%(328人)と言う『限界集落』と化してしまった。

 そんな状況を憂いた美浜町の有志が、地域の再生と活性化を目指して2018年初頭に『日ノ岬・アメリカ村』というNPO法人を立ち上げ、協力を求めるために同年10月にバンクーバーを訪問した。

 その経緯が在バンクーバーの『日本・カナダ商工会議所』会長サミー・高橋氏の耳に入ったことで、彼はこの運動を支援しようと活動を開始したのである。まず閃いたアイディアは、儀兵衛氏の銅像を建てると同時に、カナダのシンボルであるトーテンポールをアメリカ村に寄贈し、往時に繋がる移民史の流れの一端を可視化することであった。

 しかしプロジェクトの推進のためには、何をおいてもスポンサーを見付けなければならない。そこで2019年の訪日の際に、友人を介して偶然知り合うことが出来た兵庫県在住の儀兵衛氏のひ孫である高井利夫氏(72)に相談を持ち掛けた。嬉しいことに高井氏は二つ返事で快諾し、以後計画はトントン拍子に進み実現へ向かって動き出したのである。

 当時はまだ未知の国であった遥かに遠いカナダを目指し、勇気をもって太平洋を渡り、商才を発揮した曽祖父・儀兵衛氏の血を引く高井氏。現在、国際協力推進協議会の代表であると同時に、日本全国で多くの事業を展開し功を成しているビジネスの才は、3世代前の儀兵衛氏から脈々と引き継がれていることは確かなようだ。と同時に、その風貌も儀兵衛氏によく似ていることに驚かされる。

トーテンポール彫刻家との出会い

 アメリカ大陸には、ヨーロッパからの移民が入植して来る遥か昔、先住民(ファーストネーション)たちが住んでいたことは広く知られている。カナダの場合、その種族の数はざっと数えただけでも600以上と言われており、それぞれが固有の言語や文化を持っている。 

 その中から高橋氏がトーテンポールの制作を依頼する人をどのようして探すかは至難の業のように思える。だが結果的には、彼と制作者のダレン・イエルトン(Darren Yelton)氏との出会いには幾つもの偶然が重なり、その流れに導かれるように話が進んでいったのである。

スーパーマーケットのトーテンポール。Photo courtesy of Keiko Miyamatsu Saundersy of Keiko Miyamatsu Saunders。Photo courtesy of Keiko Miyamatsu Saunders。Photo courtesy of Keiko Miyamatsu Saunders
スーパーマーケットのトーテンポール。Photo courtesy of Keiko Miyamatsu Saunders

 ある日いつものスーパーマーケットSave On Foodsに買い物に行った折り、それまで気付かなかった真新しいトーテンポールが店内に設置されているのが目に入った。

 早速インフォメーションを貰うためにカスタマーサービスに行ったところ、対応に出た女性は偶然にも制作者のYelton氏をよく知っているとのこと。問題は何もなく連絡が出来た上、彼の住まいが高橋氏のご近所と言う便利さも重なった。

 Yelton氏はスクワミッシュ族出身で、45年間もトーテンポールの制作に携わっており、その内の10本以上が、バンクーバー周辺に設置されているというベテランである。当然ながら彫刻に関して熟知しているとみた高橋氏は、彼に一任することに不安はなく、またYelton 氏も日本へ送る作品を制作することに大変乗り気になったのは言うまでもない。

コミュニティー紙に紹介されたYelton氏とサミー高橋氏。Photo courtesy of Keiko Miyamatsu Saunders
コミュニティー紙に紹介されたYelton氏とサミー高橋氏。Photo courtesy of Keiko Miyamatsu Saunders

(1)経緯を説明するサミー高橋氏からのメッセージ:
www.youtube.com/watch?v=zXFINeBmndY&t=241s

サンダース宮松敬子 
フリーランス・ジャーナリスト。カナダに移住して40数年後の2014年春に、エスニック色が濃厚な文化の町トロント市から「文化は自然」のビクトリア市に国内移住。白人色の濃い当地の様相に「ここも同じカナダか!」と驚愕。だがそれこそがカナダの一面と理解し、引き続きニュースを追っている。
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