159 「二度のお別れ」

~認知症と二人三脚 ~

ガーリック康子

 結局、母の死に目には会えませんでした。

 私が一時帰国している間に、療養入院していた母は体調がどんどん悪化。もうそれほど長くはないだろうと言われ、滞在期間を二ヶ月近く延ばしました。担当の先生の「ここ数日が峠でしょう」という言葉に、もしかすると滞在中に死に目に会えるかもしれないという、淡い期待もありました。

 とっくに口から食事は摂れなくなり、栄養補給は中心静脈栄養のみ。見る影もなくやせ細り、体重は元気な頃の半分近く。傾眠状態が続き、はっきり目が覚めている時間はほとんどなく、常にウトウトしています。呼吸は浅く、よく耳を傾けると、時々、息が止まります。結局、それから4ヶ月あまり、命を永らえました。

 認知症は、時間をかけて徐々に進行してくため、先の予測ができず、介護がいつまで続くかわかりません。例えば、アルツハイマー型認知症の場合、いろいろなケースはありますが、発症してから死亡まで、平均5年から9年と言われています。進行の過程で最も長い期間が発症初期の段階で、平均期間が約6年、中期から末期および死亡までの期間が約3年とされています。認知症と予後がわかりやすい癌と比較して、他の病気で死ねるなら、 癌で死にたいという人がいる所以です。

 母の場合、私が最初に気になり始めたのは、折に触れて送ってくれていた手紙の数が減ったことです。だんだんミミズが這ったような字になり、見たことのない漢字が増え、そのうち字が書けなくなりました。確実に家にいるはずの時間帯に電話をしても、呼び出し音が鳴り続けるだけ。電話の使い方がわからなくなり、電話に出ることができなくなりました。並行して調理できるおかずの数が減り、鍋を焦がすようになり、炊飯器でご飯を炊くことさえできなくなりました。食事にかかる時間がどんどん長くなり、箸やスプーンの使い方にも迷うようになり、困った挙句、手づかみで食べることもありました。少々の尿漏れに始まり、次第に粗相をすることが増え、最後はオムツをつけ、寝たきりになりました。まるで子供に逆戻りするように、少しずつ色々なことができなくなっていきました。

 目の前にいるのは、母であって母ではない。私を産み育ててくれた母はもうそこにはおらず、私の知らない誰かになってそこに生きています。それでも、時々垣間見える私の知っている母。母の住んでいる世界は、私の住んでいる「現実」の世界とは違い、まるで時間の感覚もそこにいる人達も違うようです。異次元のような世界にいても、母の人となりは中心に残っているようなのに、その中心にこちらから入っていけないのです。私にできることは、一緒にいて同じ空間を共有するだけ。新聞や本を読みながら話しかけると、言葉を話すことができなくなり、傾眠することが多くなっていても、時々目を覚まし、辺りを見回すように目を動かします。その視界に入る私を自分の娘として認識していたかどうかはわかりません。

 認知症の家族の日々の介護に追われ、とにかく、目の前にあることを片付けていかなくてはなりません。介護に集中するあまり、自分が知っているその人が消えていく悲しみをじっくり感じる暇もありません。介護していた人が亡くなった後に感じるのは、死そのものが原因となる喪失感や悲しみだけでなく、長い時間をかけて死に至る過程そのものから生まれる、より一層深い喪失感です。喋れなくなり意思疎通ができなくなること、妄想が激しくなること、家族との思い出が記憶の中から消えていくこと、家族の顔がわからなくなること、築いてきた人間関係がなくなっていくこと、親子の役割が逆転すること…。その理由はたくさんあります。

 しかし、いよいよ母が亡くなった時、悲しみや寂しさと同時に感じた安堵感。母が楽になって良かったと、「ほっとした」のが正直なところです。

ガーリック康子 プロフィール

 本職はフリーランスの翻訳/通訳者。校正者、ライター、日英チューターとしても活動。通訳は、主に医療および司法通訳。昨年より、認知症の正しい知識の普及・啓発活動を始める。認知症サポーター認定(日本) BC州アルツハイマー協会 サポートグループ・ファシリテーター認定。