念じ続けて花開いた”逆転人生” Part 2/2

世界初のアルツハイマー病治療薬「アリセプト開発物語」

 日本語認知症サポート協会が、世界初のアルツハイマー病治療薬「アリセプト」の開発者、杉本八郎氏をゲストに迎えて開催する講演会。3回シリーズの第1回「アリセプト開発物語」の後半。

 講演会はZoomで杉本氏の住む京都と、バンクーバーをつないで10月3日に開催。バンクーバー在住という杉本氏の二人の姉を含め53人が参加した。

 画期的な医薬品の開発者に贈られる、英国ガリアン賞特別賞をはじめ、化学・バイオつくば賞、恩賜発明賞などを受賞している杉本氏。華々しい経歴を持つが、その裏では何度も壁にぶつかり、そのたびに諦めることなく立ち上がってきた。2019年にはNHK総合の『逆転人生』に出演。まさにその番組名を地で行く道のりだった。 

アルツハイマーの薬の開発へ

 認知症にはアルツハイマー型と脳血管性の二種類がある。8年を費やした脳血管性認知症の治療薬開発に失敗した杉本氏が次に取り組んだのは、アルツハイマー型の薬だった。

 1970年代にアルツハイマー患者の脳を調べたところ、アセチルコリンが減ることが分かった。いかにして、アセチルコリン減少を止めるか。アセチルコリンを分解する酵素の働きを止めるのはどうかと考えた。

 この酵素を阻害する作用があると考えられているものにタクリンと豆科のアルカロイドがあった。しかし、いずれもうまくいかなかった。もうダメかと思ったとき、たまたまシード化合物がアセチルコリンを増やす可能性があることを発見した。

 光明が見えたかに思えたが、イヌに対する実験結果が思わしくなく、臨床開発部の猛反対を受ける。プロジェクトは終結した。

突然の左遷

 当時、エーザイの筑波研究所を部長として束ねていたのは、内藤晴夫氏(現社長)だった。研究所を6つの部門に分けて、互いに競わせていた。研究員たちは夕方5時に職場を出ると早退という雰囲気で、内藤氏が研究室に回ってくる夜10時ごろまで仕事をしていた。他の研究室の研究員とは力を合わせるのではなくライバルだった。

 シード化合物に代わって、杉本氏のチームのメンバーの一人が、アセチルコリン減少を補うアリセプトの合成に成功した。臨床第一相試験も始まった。そんなとき、12月の飲み会で他の研究室の研究員と喧嘩して相手を殴ってしまう。結果、翌年2月に人事部に異動。突然の左遷だった。

 ショックを受けた杉本氏は転職を考える。大学は夜間で卒業、すでに40歳を超えていた。そんな杉本氏の就職活動はうまくいかなかった。がっかりしたものの、人事部に行けば人事部でがんばるという性格。日本全国の大学の薬学部をまわり、「先生方」と親しくなった。

 このときの人脈がのちにプラスになったほか、人事部にいる間に論文を書き、博士号を取得した。さらに「博士号を取ったおかげでエーザイを定年退職してから、(京都大学、同志社大学の)教授になることができました」と笑顔をみせた。

 もう一つの逆転だった。

アリセプトの開発にエーザイはファイザーと提携

 アリセプトについては、世界的な製薬大手ファイザーが自社開発をあきらめて、エーザイと提携を結んだ。この提携で、小さい会社だったエーザイは、一気にシェアを世界トップクラスまで伸ばすことができた。

 日本の第一相試験開始の2年後になる1991年、アメリカで第一相試験を行って成功。アメリカで先に開発を進めることになった。そして1996年にアメリカ食品医薬品局(FDA)にアルツハイマー病治療薬として申請をしたところ、わずか8カ月という短期間で承認を得て発売が決まる。

 杉本氏は1997年2月5日に開かれたアトランタでの新薬発売記念大会がターニングポイントだったという。人事部にいたものの、アリセプトの開発者を代表してスピーチをしたら、集まった聴衆にスタンディング・オーベーションで迎えられた。感激して、社長に研究部門への復帰をお願いしようと決心した。

 4月に研究に戻ってから、のちに世界初のアルツハイマー病治療薬となるアリセプトの開発に再び取り組んだ。

最後の夢、アルツハイマー病を完治させる薬の開発に向かって

 アルツハイマーは脳細胞がだんだん死滅していく病気だ。残念ながらアリセプトは症状を改善することはあっても、進行を止めることはできない。

 アリセプトを開発して20年が経過したが、アルツハイマー病の治療薬はほかに、イクセロン、レミニール、メマリーの4つのみ。しかも、どれも根本治療するものではない。

 杉本氏が目指しているのは、病気の進行を止める薬の開発だという。完治薬開発についてはシリーズの第三回で聞くことができる。

***

 講演冒頭で杉本氏が、自身の研究開発人生の根底にあるものとして語った、坂本真民さんの詩『念ずれば花ひらく』を紹介する。

念ずれば花ひらく

苦しいとき
母がいつも口にしていた。
この言葉を
わたしもいつのころか
となえるようになった。

そうしてそのたび
私の花がふしぎと
ひとつひとつ開いていった。

 杉本氏は10月1日に『世界初・認知症薬開発博士が教える 認知症予防 最高の教科書』(講談社)を上梓した。

杉本 八郎 (薬学博士)  
プロフィール
1942年東京都生まれ
1961年 (株)  エーザイ入社
1993年 10月 エーザイ科学賞受賞
1998年 3月 日本薬学会技術賞受賞、同年4月英国ガリアン賞特別賞受賞、同年5月化学・バイオつくば賞受賞
2002年 6月 恩賜発明賞受賞
2003年 3月(株)エーザイ定年退職後、京都大学大学院薬学研究科客員教授 、京都大学大学院薬学科最先端創業研究センター教授を経て、現在、同志社大学生命医科学研究科客員教授 

日本薬学会理事、有機合成化学協会理事、一般社団法人認知症対策推進研究会代表理事、(株)グリーン・テック代表取締役

趣味は俳句。日本俳人協会会員、俳誌「風土」同人会長
剣道教士七段

(取材 西川桂子)

 
杉本氏の講演第二回『あなたが認知症にならないために』の詳細はこちら

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